パリの旅の回想ー東駅界隈(秋の短歌十首)
パリの東駅
パリの東駅のサンマルタン運河
セーヌ川で洗濯している女
落葉せしパリまで来てそ安宿を探す我かな年も古りしを
運河ありパリの裏町安宿は満員なりし落葉踏み去る
パリにつく東駅かな運河ありたどり歩みぬ秋の夕ぐれ
東駅パリの下町運河にそ枯葉の木々を写しけるかな
パリの秋路地を歩みてあわれかな人種様々行き交う人かな
秋のくれセーヌの岸辺絵描きかなノートルダムの寺院も古りぬ
ルーブルの窓に枯木や石の橋歩みてあわれ偲ぶ歴史を
傍らに彫塑の像やもの思ふルーブルの秋我もめぐりぬ
かたわらに貴婦人の彫塑かなローマの女や秋の日暮れぬ
ルーブルの絵洗濯女のあまたかな橋も古りにし秋の夕ぐれ
セーヌの橋によりにつ恋人の愛を語るや秋は深まる
パリの街秋も深まるもの思ふセーヌの岸や石の橋かな
東駅とサンマルタン運河(写真)
アポリネールの「ミラボー橋」
日々は去り
去った時も
昔の恋も帰ってはこない
ミラポー橋の下 セーヌが流れる
夜よこい 鐘よ時を告げよ
日々は過ぎ 僕はとどまる
パリには春と秋に二回行ったけど記憶が定かでなくなった、でも思い出す旅は外国までつづいている、外国はまた記憶しにくいし忘れやすいのである。
パリの東駅についた、写真を見たら確かに教会があった、ただ東駅がどうなっていたのかわからない、写真を見てこんなだったのかとなる、駅はゴシック建築のようにヨーロッパ
では威厳があり日本とは違っている、なんかヨーロッパでは建物が立派であり威厳があるそれがヨーロッパの歴史であり文明だということを一番感じたのである。
石の文明であり石が恒久性をもっているから歴史を偲べる、ローマ時代のものもそちこちに残っているからだ。ヨーロッパは石の情緒なのである。
石の橋にもたれるときそれがヨーロッパ的情緒になる、その感覚は日本では感じることはできないのである。
ネッカー川の石橋
ネッカー川の石橋古りぬ
その冷たき石の手触り
市門のありて中世の街
ゆるやかに川の流れて
落葉踏むその岸辺
城砦も古りイギリス門とあり
この城に嫁ぐ王妃の物語
晩秋のハイデルベルグ
ここは古都にして学問の府
その歴史をここに刻みぬ
その岸辺の公園を一人
そぞろ歩みてもの思ふ
もの寂びて薔薇の花の赤しも
我が旅の記憶ここにとどまる
これはパリではないがやはり石の橋ということで共通している
もともと木の橋だったが洪水が度々あり石の橋にしたとある
石の橋はやはり木の橋のように簡単には作れない、だから石の橋があってももともと木の橋が最初にあったとなる
ハイデルベルグ
ともかく自分は旅を外国までつづけていた、それでいつも安宿を探していた、それが外国までつづくとは思わなかった。東駅におりて安宿を探したがそこは満員だった、とても言葉が通じないからそういう安宿に泊まるのは自分には無理だった、でもヨーロッパは意外と旅行しやすい、ユースホステルも多いし年配の人も利用している。
外にも安宿が多い、でもなかなか探せないということはある、でもヨーロッパは宿が多いのである。ホテルが本当に多いので旅行しやすい。
でも日本と同じように安い宿を探し歩くとは思わなかった。
自分はハックパッカーでありヨーロッパ旅行でも安い旅行しかしていない、旅で一番かかるのは宿代でありこれは日本でも変わりない、食事はほとんどマグドナルドとかでハンハーガーだった、何かレストランはヨーロッパでは一人では入りにくい場所である。
だから最低の食事しかしていない、自分の場合は食事とか余り興味がない、旅することに重点を置いているからである。
日本でもうまいものを食べたことがない、ありきたりのものであり千円くらいしか使っていない、というのは食事に金を使うと長い旅はできなくなるからだ。
自分は貧乏旅行者でありずっとそうだった。
金がなくても実際は旅は世界でもできるものだと思った。その時は円高だから旅しやすいということもあった。一ドル80円とういいう時代があったからだ。
バックハッカーの時代は今では終わった、それでdarkness duoサイトは面白い、沈没したとかしていて経験を積んだことを書いている
そういう人がかつていてその経験を書いているのである。
自分はそういう人ではないが一応年になってハックパッカーを経験したのである。
ただこれも十年間くらい介護に追われていたら記憶がうすれてしまったのである。
でも短歌にするというときパリはつくづく芸術の都だとなる、パリにいるだけで芸術家になった気分にさせられるのである。橋にもたれているだけで歩いているだけで何かそれが絵になっているのがパリなのである。
ただ最近移民が増えすぎてその情緒が失われたと言える、やはり異国情緒があってこそ旅もいいとなるが移民が増えすぎるとそれも失われる、今は日本だって外国人だらけになると嫌な感じになり旅行したくなくなったのとにている。
何度も言っているけと旅でも記憶が大事になる、何か記憶に残らないと行ったいうことにもならない、団体旅行ではなかなか記憶には残らないだろう
今になると海外旅行も自転車旅行もできない、肉体的にも精神的にもできない、気力もない、だからやりたいことは若い内に早めにやらないとできなくなる、登山だった自分は体力がないから今はできない、結局老人はこうして回想しているのが至福のときだということがわかったのである。
でも記憶されていないならその至福の時もないから何でも記憶するように生きるということ旅でもそうしないと後で何も残らないということになるのである。
つまりその時間は永遠に帰ってこないのがショックになるのである。