貧困化する日本で社会不安が増大する
●金でめんどうみてもらへ
●金をくれ
●金をよこせ
●金をください
最初の人は全く金に困っていないが人格異常になっていた、何か遺産が入る人だったのである。ただその遺産でもめたりはしていた。
「金をくれ」と来た人は火をともすような生活をしていた。おそらく年金だけは少なくて暮らしていけない状態だった、国民年金でもそうだし厚生年金にしてもまともな会社に入っていなければもらえない、その女性は10万以下しかもらっていない、でもカラオケだとか趣味とかに金を使っていた、だから節約するにしてもそうした楽しみを奪われたくない、つきあいもしたいとなり金が必要になる
そもそも10万以下ではカラオケにもつきあいもできないのである。
「金をよこせ」という人は事業に失敗していたからこれも切羽詰まっていた、自分が介護とか病気になり借金をせまってきた、最初はわからなかった、成功していたと思っていたのである。家族すら知らなかったのである。パチンコ屋に妻が勤めているということでわかったのである。
事業に失敗したとなるとその額は大きくなる、そしてその人は節約していない、いい車をもって外見は成功した生活をしているのである。だから知らない人はやはり成功していると見ているだろう、ただパチンコ屋に勤めているということで金に窮していることがわかる
その人は何かまだ成功するとしている、事業も別に継続しているからだ。
ただ借金の額が大きいからそういう人は軽く百万とか平気で要求するから怖い
だからそういう人と付き合えるのは事業して何十億とかある金持ちしかいないだろう。
そんな人と付き合うとなると怖いとなる、保険金殺人とかの危険もあり何か自分もそういう恐怖になった
最後の人はやはりサラ金からも借金していてヤクザ風の取り立て屋が来た。
でもその額は小さいのである。その女性は一万とか二万とか少額の金を借りてやりくりしていたのである。だから自分はそれを払ってやった。
その人は見栄もなにもないし贅沢もしていない、ぎりぎりでずっとやりくりしていたのである。その日暮らしのような状態であり今でもそうである。
でもサシミなどは魚屋で新鮮なものを食べていた。
ただ人に頼むのがうまい、たけている、処世術がある。
「金をくれ」とか「金をよこせ」とか命令してそれを実行している人とは違う、見栄もなにもないのである。他の人は見栄があるからそういうことはできない
いづれにしろダークネスデュオで言っているように日本も貧困化している、ただそれが現代では見えないのである。着るものでも食べるものでは昔の貧困とは違うからである。
自分の父親は明治生まれでサシミなど酒のつまみに食べすに終わっている
味噌を焼いたようなものを魚にしていたのであてる。
そしてサシミ食べれるようになったけど食べたくないと言って病気で死んだのである。
貧困は自分の子供時代はみんなそうだった、第一物が何もない、電化製品もない、飯台が一つしかないという生活はみんな共通だった
そして農家では卵を食べることができたからかえって自給自足で贅沢だったのである。
街の人は卵を食べていない、自分の家では店をしていたから卵を買うことが仕事にさせられたのである。ものがない時代の貧乏だった、その時はみんな貧乏だったのである。
今は物がある時代の貧乏なのである。これほど物が世界から集まり何でもあるが今度は金がなければ買えないという貧乏なのである。そして格差社会になった貧乏である。
格差社会というときこれは世界的問題である。グローバル経済になるとどこの国でも格差社会になる、グローバルに企業が低賃金の労働者を求める、企業は競争に勝たねばならないからみんなそうなる、そしてAI化とか機械化が進んでゆく、コストを人間にかけられないからである。人間より機械の方が企業にとっては都合がいいのである。
そこにあるのは人間を見る論理ではなくより効率的に企業を経営するという企業側の論理しかないのである。だから非効率な人間は切り捨てられる
それがコンピューター化や機械化でますますめんどうな人間はいらないとなる
グローバル経済になれば低賃金化した職業が増えるし貧困化した人間が増大するのであるグローバル経済はアメリカでもそうだけど極一部の人に富が集まるシステムである。
スキルをもった頭脳となる部分に富が集中するのである。
そして人間を雇うよりそうした頭脳となる人たちはより効率的にするために人間は切り捨てられるしグローバルに低賃金化して雇うのである。それは世界的なものでありアメリカでもそうだしどこの国でもそうなっているのだ。
これほど借金してやりくりしている人が多いということは社会的不安が犯罪でも増大す
る、まず高齢社会になり国民年金だけでは生活できない、貯金ある人も少ない、その人たちは生活保護になり国の財政を圧迫するから75歳まで働けとなった、もう75歳までは老人ではないから福祉サービスも受けられない、国でも出さないとなったのである。
自分が助かったのは介護であまり金を使わなかったことである。
手間がかかったが金はそんなにかからなかった、そのうち死んだので金はかからなかったでも介護だと長くなるし一千万とか二千万使ったという人がいるからこれも負担なのである。高齢化社会は介護の負担が金だけではない労力としても負担が大きいのである。
それはみんなにのしかかってくる負担なのである。
こういう時代は社会不安が増大してくる、その犠牲になったのが自分である。格差社会となり金持ちでも安心して暮らせない、困窮している人が増えれば犯罪は増大してくる
怨嗟も大きくなる。
ただ自分もそうだが犯罪でも被害にあわないかぎり実際にそうした貧困化している人と会わない限り感じないのである。だから自分はこれまでそんなことを感じない状態にあったからみんないい人だと思っていたのである。
現実はあまりにも違ったものだったのである。
ただ自分も贅沢などしていない、旅するにも温泉宿になど泊まったことがないし土地のうまいものも食べたこともない、そんな金の余裕がないからである。
本を買ったりしたがほとんど何か贅沢などしていないのである
小遣いを多少もらっていただけだからである、だから百万の金を使ったことがないのである。家だって親が建てたからそこに住んでいたというだけである。
要するに自分が贅沢だったというとき時間だけが与えられたというだけだったのである。
ともかく借金で汲々としてやりくりしている生活はどこで破綻するかもしれない、そして何かローンで家を買った人なども退職してからも余裕がないのである。
ローン地獄となる、それも経済成長しないから誤算だったとなる
そもそもそんなに借金でやりくりしているということがまちがいだった、節約すべきだったと言うのもわかる、節約が唯一の道だったというのわかる
で物があふれいる時代は節約することがかえってむずかしい、物がない時代はそもそも買いたいものもないのだから節約もないのである。
だから事業に失敗しても以前としてレベルの高い生活をしているが借金を返すことに汲々していてもそうしている
そういうことは理に反しているけど現代はそうなっているのである。
だから「絶対に借金はするな」となるがそれが実行されずにそのために回りの人もまきこまれることが怖いのである。犯罪の被害者になり自分のように脅迫されるとかもなる。
そもそも節約しないで他人が金あるからとそれを借りてまた脅迫してでも犯罪でもとるということがおかしなことなのである。
そんなに金を出せる人がいるのかとなる、自分だってそんな金はないけどそんなことはかまわず要求してくる、遂に奪えばいいとなる、そして自分のことなど死のおうが何になろうがかまわないとなっている、だから金は怖いとなる
この辺で補償金でもめたけどこれもどうにもならない、どんなことしたって金をもらったものが勝ちだとなるからだ。そういう社会になっているからである。
もらえるものはもらう、金がもらった方が何であれ勝ちだとなっている社会だからであるそして人心の荒廃がすすんでゆくのが現代なのである。。
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