2017年02月01日

心に青雲の著者の心情-戦争とは何であったのか? (レールモントフの詩より考察)


心に青雲の著者の心情-戦争とは何であったのか?


(レールモントフの詩より考察)



詩人

レールモントフ

我が短剣の金の飾りは光りかがやき
刃は頼もしく傷跡もない
剣は神秘な焼きの跡を
戦国なる東方の秘伝の跡をとどめる

この短剣は奉仕の報いを受けることなく
長年山国の騎手に仕えてきた
胸に恐ろしい傷跡を残されたものも一人どころではなく
貫かれた鎖かたびらも一つどころではない

しもべより従順に持ち主と苦楽を分かち
侮辱の言葉に答えて探検は響きをたてた
その頃の剣のゆたかな彫り物は
縁なき恥ずべき装いだった

これはテーレク河の向こうで勇ましいコサックが
持ち主の冷たくなった死骸から奪い
その後行商のアルメニア人の店先に
長らく投げ出されていたもの

この勇士の哀れな道連れも今では
鞘は戦いに打ち砕かれてなくなり
金のおもちゃのように 壁にかかって光っている
なお 誉れにも害にならずに

誰一人慣れた入念な手つきで
手入れしてくれるものも、愛撫してくれる者もなく
誰一人夜明けに祈りながら
真心こめて短剣の銘を唱えるものもいない

惰弱に成り果てた現代では詩人のお前も同様
おのれの使命を見失っていないか
世人が黙然と敬虔に耳を傾けた
あの権威を黄金に見変えてしまっていないか

昔 お前の言葉は朗々たるひびきは
武士(もののふ)の戦意を燃え立たせた
その民にとってはなくてはならぬもの
酒宴の盃、祈りの香のように

お前の詩句は 神の御霊のように、民の頭上を駆けり
式典や民の災厄の日々には
気高き思想の反響が
民会の鐘のようにとどろきわたったものだった

それが今や、お前の月並みで傲慢な言葉は退屈で
金箔と欺瞞がわれらを楽しませてくれるだけだ
老いぼれた今の世は 老いさらばえた美女のように
脂の陰に皺を隠す癖が身についている

あざ笑われている予言者よ お前は再び目覚めるか
それとも復讐の声を耳にしても
一面に侮蔑の錆びに覆われた刃を
二度と鞘からぬくことはないのか?


A.N オドーエフスキーの思い出

わたしは彼を知っていた
東方の山の旅をともにし
配流のわびしい思いも
親しく分かち合った仲 だがわたしは
故郷に帰り 試練の時代は
当座の成り行きで速やかに過ぎ
彼はついに甘美な時にめぐりあわず
遠征軍のみじめな天幕の中で
病に倒れ、己が身とともに
天翔る まだ熟さぬ
漠然たる霊感や 裏切られた期待や
勇ましい無念の思いを墓へ運び去った

それら そういう期待や幸福のために
生を受けながら 彼は無分別にも
はやくも子供の衣ぬぎすてて
荒れ騒ぐ人生の海に投げこんだ
だが世間は容赦せず-神の救いもなかった
とはいえ、苦しい激動の中
人群れのなか 無人の荒野にあっても
内なる感情の静かな炎は消えず
保ち続けていた、瑠璃色の目の輝きも
良く透る 子どもぽい笑い声も
活気ある話ぶりも
誇らかな人間信頼も 人とコトナク生き方も

だが 彼は友達のから遠く隔てた所で相果てた
我が愛しのサーシャよ、心に安らぎあれ
異国の土におおわれて
静かに眠れ 我が記憶の
黙せる墓に眠る二人の交わりのように
きみはみんなのように 音もなく死んでいった
ただし毅然として 神秘な思いが
まだ君の額をさまよううちに
目は閉じられ、永遠の眠りについた
いまはのきわにもらした言葉は
聞いていた者のだれにもわからなかった

それは故国への別れの挨拶か
残してゆく友の名前か
青春を惜しむ気持ちか
それとも単なる最後の病の叫びか
だれも教えてくれない、・・・君の臨終の言葉の
深い意味は失せ・・・君の仕事も見解も
思索も すべて跡形なく消えさった
あたかも夕雲の軽やかな蒸気のように
それはきらりと輝く間ももなく また風に運び去られ
どこへ、なぜぁどこから などとたずねる者もいない、


レールモントフの詩をはじめて読んだけど27歳で死んでこれだけの詩を書いた。
早熟の天才だったというのはそうだろう。
これは啄木ともにている。なぜあのような短歌が作れたかとなるとこの二人には共通したものがある。
啄木は肺病で死と直面していた。レールモントフは戦争で死に直面していた。
若いときに死を現実に身近に感じて実際に死んだからこれだけの詩を作れたのである。
ただ若いが故に未完成で終わったのである。その思いが詩に痛切に現されている。

病に倒れ、己が身とともに
天翔る まだ熟さぬ
漠然たる霊感や 裏切られた期待や
勇ましい無念の思いを墓へ運び去った

それは故国への別れの挨拶か
残してゆく友の名前か
青春を惜しむ気持ちか
それとも単なる最後の病の叫びか
だれも教えてくれない、・・・君の臨終の言葉の
深い意味は失せ・・・君の仕事も見解も
思索も すべて跡形なく消えさった


こういうことが痛切なものとして詩で現されている。この感覚は自分などは天才でもないからこの年になりわかる、もう死が近い年齢になって実感することなのである。

「天翔る まだ熟さぬ」とか「勇ましい無念の思い」とかもそうである。
これは若くして死んだ人に共通なのである。
人間はつくづく成長するに時間がかかりすぎる、やっと死ぬときになって人生はこうだったのかとか自分などは悟っている、そういうふうに人間は人生を社会でも歴史でも深くみれないのである。その意味を知り得ないのである。
それは芸術でも同じである。芸術は鑑賞すること自体がむずかしいのである。
だから鑑賞できる人は芸術家でもあるともなる

この人は若くして死んだが故にそうした心残りを痛切に啄木と同じように残したのであるそれはまた戦争を経験したためでもある、すると戦争というとき戦争では日本でも300百万人も死んだ、そこにこれとは同じ思いをもって死んだ若い兵士がいるとなる。
でももう一つそうした戦死者の思いとか意味とかが語られていない、否定的に語られるのが多い、

この詩のように

それは故国への別れの挨拶か
残してゆく友の名前か
青春を惜しむ気持ちか

故国となれば日本でも戦争で死んだ人はそういう思いがあり死んでいった、今でも戦友のことを忘れることができないのである。
自分の姉はシンガポールで今のマレーシアのジョホールバルで従軍看護婦として4年間勤めた。そこはイギリスの赤十字病院だった。
そのことを死ぬまで語りつづけて最後はそのことを叫んで遂に死んだ
だから自分はそのことを忘れがたいのである。
重い認知症になっていたけどその青春の時が姉は忘れることができなかった。
それは戦争に行った人はみんなそうだった。90歳でも生きているが今でも戦争のことは生々しい記憶なのである。青春時代はなかなか忘れられないものを残す、それが戦争となると特に経験できないことだからそうなる
ただ日本の戦争については語られることが少ない、それは戦争自体を何か封印したいということがある、生き残った人も語らない、そこであの戦争とは何であったのか伝えられていないのである。

「心の青雲」の著者の気持ちはこの日本の戦争と深く結びついている、そして日本を守るためには徴兵制が必要でありあの戦争を賛美している、日本を守るためにはかつての日本兵のように強くならねばならないととして徴兵制を復活すべきだとしている。
空手をしていたからそういう強い意志を感じるのである。
ジャングルで生き残った小野田少尉のようなものを感じる、小野田少尉は本当に精悍な顔つきをしていてジャングルでまだ日本兵として戦っていたことに驚いたのである。
日本兵の亡霊のように出てきたから驚いたのである。
日本刀を下げていたしこの詩のうよにそれは短剣と同じである。
日本の侍だったとなる。だからそれから見ると

この勇士の哀れな道連れも今では
鞘は戦いに打ち砕かれてなくなり
金のおもちゃのように 壁にかかって光っている
なお 誉れにも害にならずに


現代に対してこうした感情をいだいているのが心の青雲のプログの著者である。

惰弱に成り果てた現代では詩人のお前も同様
おのれの使命を見失っていないか

惰弱になった現代の若者に失望して叱咤する、それが徴兵制復活なのである。
その是非はともかく戦後は国を否定してきた、そしてただ企業戦士となり利益のみを経済のみを追求してきたのが日本人だったのである。
その最たるものが同じ年代の団塊の世代だったのである。高度成長時代を生きたのが団塊の世代だからである。

ただ戦争とは何だったのかと問うときそのおびだたしい犠牲は何だったのかということになる、何かそれに対して意味を見いだされていない、だから戦死者を讃える詩なども作られていない、もし詩人だったら叙事詩として詩を作ることになるからだ。

だれも教えてくれない、・・・君の臨終の言葉の
深い意味は失せ・・・君の仕事も見解も
思索も すべて跡形なく消えさった

これと同じである。無数の死者の臨終の言葉は何であったのか?深い意味は失われて
ただ3百万人の犠牲がある、それだけの人間の死は虚しくされるとなる
そこでは若い人も数多く死んだし有能な未来を嘱望されたが死んだ
石巻の彫刻家の高橋英吉も戦死したし他にも若い有望な人たちが死んだのである。
それは若くして死んだからこの詩と同じものとして理解される

当座の成り行きで速やかに過ぎ
彼はついに甘美な時にめぐりあわず
遠征軍のみじめな天幕の中で
病に倒れ、己が身とともに
天翔る まだ熟さぬ

時代の浪に翻弄されるだけで自らの道を歩み大成できなかった。では戦争そのものに意義があればそうはならない、それがないから戦争が虚しいものとして否定される
ただ意味ある戦いとしている人もいる、それももう一つ訴えないのである。
ただあの戦争の意味はまだ歴史的に価値づけられていないこともある。
それはアジア史とか世界史とかアメリカとかもかかわって価値ずけられる世界歴史になっているからである。
その時何が起きたのか?その世界史の解明が必要になるからである。

この詩にはただ若くして死んだということでその悔しさがにじみでている。
人間はやはり戦争が自己実現の道なのかとなると国家のために自己を犠牲にするのが戦争である。
何か一人の人間として平凡なものでも職業でも道を追求して大成するとかにはならない
国家なければ個人もないというのもわかるが国家は個人のためにあるとも言える
個人の大成のために国家がありともいえる、

人間とはどんな平凡な人でも大きくなりたい、偉大になりたいという願望がある。
それが「心の青雲」の著者は戦争に見いだしているのである。
戦争で英雄になることが偉大になることだとしている、ただそれだけではないにしろそういうふうに見られ安い。
彼自身が戦争を指揮して英雄になりたい、若者は徴兵制で鍛え自ら将軍となり指揮したいとなる。そういう危機意識をもっている、だから今の時代はただ自己の利益追求しかない国でも会社でも家族でも個々人でも金、金、金しかないのである。
第一愛国心などでも本当にもっている人がいるのかとなる
会社でもうけることでは過労死になるくらい必死になっているけど愛国心のためではない会社がもうけるためにそうしているだけなのである。だから企業戦士なのである。

でも強力な軍隊をもっていれば国を守れるのか?核武装すれば守れるのか?
武器によって守れるのか?武器が第一なければ戦いにもなれないとなるのか?
あれだけの核兵器があったソビエト連邦が崩壊したのか?
いくら武器を揃えてもそれだけで国が守れるのか、必要にしてもそれだけで国が守れるのか?今やロボットが戦争するというとき一体戦争とは何なのかともなる

徴兵制は別に戦争するわけではない、それに備えよというのだからまた違っている
そのことに意義があることも確かである。そのために備えることは悪いことではない
その時具体的に国を守るという共同意識が培われることも確かである。
現代は会社の共同意識かないからである。
徴兵制自体が即戦争になるわけでもない、でも本当に戦争になったらこの詩のようなことが起きる

戦争では若い人が死ぬ

その意義を見いだせるのか?

それが300百万人の死が現代に問うているのだ。特攻隊を賛美してもその人たちも苦渋の内にやむをえず死んだということになる、国家の犠牲になったともなる
戦争とは人が死ぬ、それも若い人が死ぬということで問題になる
戦争にもしそれだけの若くても死ぬ意義があればいいとなる
この詩ではそれが見いだせない苦渋を詩にしている
要するに別に日本だけではない、敵国でも戦争になると若い人が死ぬのである。
若い人の未来を奪うということにもなる、それが戦争だったとなる

それもやむをえない時代だったということもあるしそれだけ意義があったという見解も歴史の評価もある、戦争が残したものは何なのか
それは味方であれ敵であれみんな問われているのである。
アメリカが勝ったとしてもやはり問われている、原爆を落としたことでも問われている
だからといって徴兵制がすべて悪いとはならない、国を守る意識は作られるからである。ただ準備だけではない、戦争があるからこそ武道には意義があるともしている
短剣の詩でもそれが敵を殺したことで意味がありただ今はその用がなくなっているのと同じとしている。

武道を追求してゆくと真剣勝負が本当の勝負だとなる
それで本当に人を切ってみたいと侍が江戸時代の平和な時に辻斬りになった。
戦国時代のように人を簡単に殺せないからそうなったともなる
平和な時代もそういうふうになる、エネルギーのある人はそうなる。
自衛隊でも戦争して死んでみないと用がないともなる
自衛隊は戦争では役に立たないということも言われる
アメリカは戦争しているから自衛隊とは違う、そこに国民の不満さえある
税金はらっているんだから自衛隊は戦争して死んで意味があるとなる
そうでないとただ税金を無駄使いしているとみられる職業なのである。
でも災害の時はこの辺で津波などで一番働いたのは自衛隊であり感謝しているのである。
いづれにしろ徴兵制が言われるようになることは戦後70年で時代の変わり目になったのである。
それはあらゆる面で世界でもなってゆく、アメリカからは日本は日本で守れとなるしそういうことで日本はアメリカに守られている時代が終わったからである。


ネットウヨの徴兵には賛成である
口で勇ましいこと言っても訴えない
徴兵制で鍛えられてから言えば違ってくる
その言葉に重みがでてくる

戦争を経験したものが言うのと口だけで言っているのは全く重みが違うのである。
タグ:戦争の詩

2017年02月02日

戦友は特別なものだったー三陸会の記録より) (戦争しないものにはわからないことが多い)


戦友は特別なものだったー三陸会の記録より)


(戦争しないものにはわからないことが多い)


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それは故国への別れの挨拶か
残してゆく友の名前か
青春を惜しむ気持ちか

レールモントフ

戦争は何なのかというのがわからないのは体験しようがないからである。
敵でも殺してみれば戦争とはこういうことなのかとわかる、戦争とは人を殺すことを正当化されることだからである。
でも実際に戦場で人を殺してみたらどうなるのか?それでトラウマになりアメリカの兵士は病んだという報告は常にある

自分の姉は傷ついた兵士を看護していたのだから敵でも殺していない、だから戦争の本当の恐ろしさを知らない、経験していない、ただ戦友とは何かとなると姉は思いつづけていた。認知症になっても変わらなかった。
島根の人であり他にも一緒に働いた人とは交際があり自分の家にもきたことがあった。

そしてその島根の特別親しい戦友からもらった粗末な手作りの バッグを肌身離さず持ち歩いていたのである。認知症になると忘れるのだけどそれだけを肌身離さず持ち歩いていたのであるそれは戦友が作ってくれたものだから特別大事にしていたのである。
認知症をテーマにした「もがりの森」でも大事なものを袋に入れてあった、それを奪われたとき怒った、つまりその袋は人生の記憶がつまっていた。
その記憶が人生を生きたことになっていたのである。
だから認知症になると一番記憶に残ることを延々と話すのである。
今のことは忘れても昔のことは忘れないからである。

悲しかな戦友よりし贈られしバッグ忘れず持ち歩きしを

その女性は文学少女であり短歌を残している、多くの手紙を姉に書いている。
ただ姉は体育系であり気丈夫な人がそういう文学的なものは何もない

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 (小林カツ)

このバッグをいつも持ちあるいていた姉

せききりてこみあぐる思いあふれ来ぬ中央病棟の洗い場辺り

マレー旅行によせて(中島淑子)

ここで洗いものしていたからこのように感じた、まず青春の四年間は長いのである。
それも尋常ならざる体験をしたからこういうふうにこみあげるものがあった。

ここで悲惨だったのは日本が負けたとき一時ジャングルに逃げたのである。
その時食べ物もなく辛酸をなめたのである。
病院でも傷を負って耐えられず自殺したとか何かあった、姉も赤痢にかかったとか過酷すぎたのである。そこは地獄だったのである。
この洗い場もアメリカのB29に爆撃されて現地の女性が死んだ。

戦争というとき記憶は別に膨大に残っているから戦争を何かを探るものはいくらでもあるまだ戦争を体験した人も生きている、おそらく姉の戦友ももしかしたら死んでいるかもしれない、最後は姉は認知症になり年賀状を書けなくなったから消息が絶えたから生きているかどうかわからない。
戦争の記録でも「三陸会」の記録を読むだけで結構な量になっている。これも戦争を語るものであり戦争が何であったのか知る具体的な資料である。

つわものの 看護(みとり)はげみし その乙女らは

今語りあり 三十年のちぢの思ひを 若き日の熱き心を

その乙女らはというときみんな20代の若さであり十代の女性もいたし死んだ人もいる。
今は看護師だと年配の人もいるがその戦争では20代の女性しかいなかったのである。
その当時看護師は優秀な人しかなれない、試験でもむずかしい、姉の場合は県の赤十字社に行き試験は東京で受けた、学校でも一番だったと自慢していた。
その当時看護師になれた女性は心身ともに優秀な人だったのである。
だから短歌を残した戦友も優秀な女性だった、今の看護師とは違った女性のエリートだったのである。
心身ともに強い心をもっていないとそんな戦場で耐えられないだろう。たから文学少女というものでもなかった。
姉はともかく強い女性だったのである。男も怖がっていたのである。
それも最後は認知症になり無惨に死んだのである。


戦争の事でレールモントフの詩で短剣のことを詩にしていたが日本兵でもやはり日本刀を大事にしていたことが「三陸会」にのっていた。


我が軍刀が生き残っているはず

新潟市 石田 啓

新潟医科大学を卒業したとき、親父が「日本刀は男の魂だ、これを見て家伝を思へ」
と家宝の肥前国忠吉の一刀をくれた

ところで招集以来肌身離さずもっていた軍刀、武器は任意に供出したようだが私は耳をかさずひそかにレンガムまでもちつづけ土葬した墓の横に一メートルの墓を堀り鍔とか目貫とか取り去り埋めた
この軍刀を戦後探そうとマレーシアに旅したが見つからなかったと書いている。

短剣の詩もそうだが軍刀はやはり侍の魂として日本軍兵士はもっていたのである。
それは侍としての矜持があってそうなった。

もののふの心と伝ゆ刀かなその跡知らず異国に埋もれぬ

戦後は日本軍が日本刀をぶらさげているのを何か嫌悪する風潮もあり否定的に見られていた。日本兵というのは肯定的に見られていない、ただ刀はただ武器ではなく魂だったいうとき侍だという自負があったとなる
このもののふの心は武道をしている人には伝わっている

結局戦争は肯定的には語れなくなった。その刀も異国に埋もれて見いだされなかったという事はその心も埋もれてしまったのである。
ただシンガポール陥落は日本にとって大勝利だったのである。欧米をアメリカ人すら捕虜にしたからである。だから白人連合軍に勝ったということは世界史ではじめだとかなりその歴史的意義を認める人はいる、そこは最も華々しい戦績を残した場所だったのである。アジアは欧米に蹂躙されつづけたのだからこれは快挙だったとなる。
今でもこの時捕虜になったイギリス人などが抗議しているのも変だとなる
アジアを侵略したのは欧米列強だったからである。
イギリスはインドを支配してビルマまでネハールも支配していたから英語が通じる人がいる。そこに七つの海を支配した大英帝国の名残りがまだある
それを敗ったのが日本がはじめてだったのである。
つまりシンガポールとかマレーシアのジョホールバルはその中心地域だった。
要衝の地だったのである。そこに四年間いたということは長かったとなる

この日本刀についてもこれを親からもらった人は医者であり代々つづく家柄であり優秀な人たちだったとなる、「三陸会」は医者と看護婦が主な人たちでありすると医者だから兵士として前線で戦い敵を殺したということはあまりなかったかもしれない、日本刀を大事にした人も医者でありそれで人を切ったということはなかった。
その辺がやはり戦争の生々しさを伝えていないとういことはあるかもしれない、実際は他の記録を見れば悲惨極まりないとかあるからである。

いづれにしろ戦争のことはまさにその心も異国に埋もれ忘れられるとなる
ただ自分の場合は姉が死ぬまでその戦争のことを叫ぶようにして死んだのでそれが戦争の記憶として自分に伝えられたのである。

戦争のことは忘れず我が姉の死して八年過ぎしもはやし

2017年02月03日

抽象画(一連のものとして鑑賞する)


抽象画(一連のものとして鑑賞する)


  • Abstract picture (I appreciate it as a series of things)


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a mountain in the depth  

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seven coloured mountain
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over mountains

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dark way

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one direction   stright and bright


抽象画は単一のものではなく一連のものとして鑑賞するといいかもしれない
量が作れるからである。そこに抽象画としての物語が生れるともなる

これは別にそういうものではないが何か一連のものとして鑑賞するとより深く鑑賞できるとなる

詩でもそうだが外国人の詩でもそこから霊感を得てつづきを作れるし自分でも作ったからである。抽象画でも具象画でもそこに物語が生れるとより総合的な芸術となる

ただこれはアトランダムに並べたものである。
でも何か一連のものとして鑑賞できないことはない


This is because it, please input the sentence that I want to translate here, and the quantity that you should appreciate as a series of things not a single thing can make the abstract picture. Even if the story as the abstract picture is born there, it becomes

This is not such a thing particularly, but it is when it is deeper and can appreciate it when I appreciate it as a series of things

Even poetry is so, but this is because it can make a continuance with an inspiration from there, and it made even the poetry of the foreigner myself. Even an abstract picture is a representational painting, but it becomes general art when a story is born there

I only arranged these in atto- random.
But I may appreciate it as something a series of

タグ:Mountain

外国の映画も深く鑑賞するには地理を知らねばならない (『大陸横断超特急』を見て)


外国の映画も深く鑑賞するには地理を知らねばならない


(『大陸横断超特急』を見て)

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アメリカに帰ったアメリカ人が、こっちではオレンジジュースひとつ買うのでも一時間掛かる、
東京では近所のコンビニで五分だったとブー垂れたりしてる 


映画を最近良く見ている、今日もアマゾンでたいめん鉄道を見た、無料で見れた
映画でも古いのから見ると膨大なものになる、映画の場合知らない映画が相当にあるが
インターネットで紹介されていてアマゾンで注文する
それで結構面白い映画を見た

そして映画もやはり鑑賞するには読書と同じで映画を読むというかその背景を知らないと鑑賞できない、特に外国の映画は背景が外国だから外国のことを知らないと鑑賞できないそこでやはり地理的なもの外国でもその土地に一回でも行ったなら感覚的にわかる
一回も行かないで本とかテレビだけでは外国はわからない

例えばアメリカには一回冬にアムトラックで行ったのでその広さがわかった
その鉄道の映画がこの前放送したので見た
途中で車両から投げ出された、そしてレールの上を歩いてゆくのだがそこには家も人もない、荒野である。アメリカには荒野がまだある。
延々と荒野がつづき人がいない、西部劇のようなシーンがつづく
そこで一軒の家にたどりつく、そこからグライダーに乗ってアムトラックに列車に追いつきのる

これもアメリカ的な広さの映画なのである。アメリカでの交通が飛行機になるのもわかるそれだけ広いからであり砂漠もある、外国だと中国でもそうだがこの広さの感覚が日本では実感できない、鉄道でも広い軌道でありゆったりと座れた、アメリカには太った人が多いがその太った人でもゆったりと座れる、アメリカの鉄道と比べると日本の列車は狭いのである。だから窮屈に感じるだろう。
アメリカでは鉄道は今は利用されていない、アムトラックは観光用なのである。
自分はアムトラックではゆったりできるから眠ることができた
日本の鉄道では狭いし窮屈だから眠れないのである。
バスにあるソファーの大きなものでアムトラックでは眠れたのである


人間は周囲を見るときその四方10キロ20キロくらいしか見ていない、でも日本だったらそういう狭い村の中で住んできてアイディンティティが形成されてきた
アメリカは百キロとか何かその生きる感覚が日本の十倍とか広いのである。
それは中国でも同じである。そこに日本では考えられない途方もない広さがある
東京には空がないというが日本には空が狭く感じるのである。
空は区切られた空のように感じる、これも外国の空は日本の空とは違う
そういう広い所で生きている人間と日本のような狭い所で生きている人間の感覚はかなり違ってくる
アメリカで小型で性能がいい車を作れない、大型の車になるのも当然だと思う
それだけ広いし余裕があるからである。日本が小さきものは何でもいいと枕草子で言うとき昔からそうだったのである。

 雛の調度。蓮の浮き葉のいと小さきを、池より取り上げたる。葵のいと小さき。なにもなにも、小さきものは、皆うつくし。

かわいいなというときそれは小さいものである。それが風土からそうなった

戦争でも日本はとても大東亜戦争などできる力がもともと歴史的に風土的にもなかった。戦略というときそれは世界史を見ればわかるけどあの広大な土地から生れてきている。
その広大な平原とか草原とか河でもそうでありそこでどのように戦陣を組むかとなる
それが戦略になる、そこには広い舞台が用意されないとできない
日本にはそうした大陸のような大きな戦争をする風土がなかったのである。
関が原のような戦争はまれでありあれでも大陸の戦争にしたら小規模だろう。

日本はとても大きな戦争をする風土ではなく歴史もなかったのである。アメリカとか中国でも大陸にはそういう大きな戦争を経験しているし風土があった
モンゴルのように遊牧民の世界もありそこに世界を見て戦略があり戦争を大局的にみて戦略をたてる戦争ができたのである。
だから日本の戦争が中国に深入りしてのが失敗だったのである。
敗戦の大きな要因だったのいうのがわかる、それはアメリカでもその大きさを日本人は知らなかったからである。

思想でも荘子の大鵬の例えのように日本人は大鵬を知り得ようがないのである。
中国の広さ故に生れたのが荘子のよう思想家だからである。
その反面日本の風土から歴史から作られたものが小さくても精巧なものを作るもの作りとかにあったというのはそれが日本の文化であり歴史だからそうなった。
やはり日本はロケットとか何か武器でも大きなものを作るのは苦手なのである。
アメリカはそうした巨大なもの技術は向いている
だから原発というのは日本には向いていない、それは巨大技術の操作だったからである。日本の風土にもあっていなかった、でもトンネル技術が発展したというとき山が多いから技術もそれに適した技術が発展したとなる。

つまり科学技術でもその国の風土とか歴史に適したものが発展する
だから日本は日本なりの科学技術でも風土と歴史に適合するものを採用すべきだったとなる
大陸のものを日本の狭い土地に何でも受け入れるは間違っていたのである。
取捨選択して日本の風土と歴史に適合したものを入れる、または改良することなのである日本は巨大なの技術は適合しない、戦争でも大陸的な戦争は向いていなかったのである。
いづれにしろ映画は今世紀の文化だった、映画の時代がアメリカが作ったというときまさにアメリカ文化は映画にあった。
だから老後の楽しみは読書もあるが映画をもう一度見て鑑賞して新たなものを発見することである。映画もやはり鑑賞するにはそれなりの経験が必要なのである。
まず外国映画は一回そこに行ったのと行かないので興味をもつ度合いが違ってくる。
それは地理の感覚があって理解できる、それは歴史でも何でもそうである。
何かを日本でも外国でも地理の理解なくして映画も観賞できないとなる
10年間くらい外国旅行したので自分は外国映画でも深く鑑賞できるようになったのである。



2017年02月04日

冬の日(青い不思議な花)



冬の日(青い不思議な花)

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冬の灯や石に向かいて一人かな

四輪の藍色深き花を見つ冬の日静か家に過ごしぬ

カーネーションの赤き花にそ藍色の花の青さの深まりゆきぬ


この青い花はトルコ桔梗なのだろう。色が深い海の色のように青いのがいい
赤い花があって青が対象的に映えてくる、これは何も工夫しなくてもフラワーアレンジメントとなっていた。
花の種類が増えたけどこの辺では花の種類はあまりない。
この辺の畑でとれた花を売っているけど主に菊なんだけどその花は長持ちする
でも冷蔵庫に入れておく花は長持ちしないのであ。
だから早い時期に写真をとっておかないといいものがとれない

この前飯館村の若い人が川俣の花屋で働いているのをテレビで放送した、何かフラワーアレンジメントの大会があり入賞したという。そんな人もいたのかとなる
ただ飯館村だと花が何か違って見えたのである。
花が高原の山村にはより美しく映えていた、それも不思議なんだけどいつも感じていた。花もそういう雰囲気に映える、フラワーアレンジメントはまた別である。

ただその人が正月用の生け花を見せたけど竹と梅と苔をあしらっただけげ平凡だった。
そこに創作性はなかった。
飯館村とか大内村とかなると自然の感性を磨くのにはいい、飯館村にゆくと何か空気が違って感じられたからである。
原発事故後はそれも変わってしまった。草野にソーラーパネルとかしかれて山村の雰囲気が乱された、あそこに新しい村が生まれるのでまた違ったものとなる
飯館村は本当は神秘的な場所だったのである。そういうものが損なわれた
これからどういう村になってしまうのか?

自分は花は相当に探求してきた、それはフラワーアレンジメントではない、自然の花を見てきたのである。でもそれはフラワーアレンジメントに通じるものがあって旅しなくなり最近飾り楽しんでいるのである。
それにしても花の種類は多くなった。こんな青い花があるのも不思議だとなる。
タグ:青い花 sj l

2017年02月05日

冬の暮(今日も駅に見送る)


冬の暮(今日も駅に見送る)


80の歳と昔の駅語る親交あたため冬の日さりぬ

ふるさとの駅に帰りて冬のくれ別れを惜しむ80の人かな

年はふり芒の枯れて別れゆく故郷の駅今日も見送る


今日見送ったのは80歳の人であり大宮の人だった。親戚とかでくるのは東京辺の人が多いその人は80歳の人であり昔の駅は高架橋をわたるのはこっちの方だったとか言っていた。そういう時があったのか忘れていた、蒸気機関車の時代も経験している
自分が子供のとき知っているのは引き込み線があり荷物をそこで下ろしていたのである。それで近くに縄屋とかなったのは梱包するために縄を必要だったためである。
輸送がほとんど鉄道に頼っていたからである。

駅は何か迎えたり別れたりする人間臭い場所だったのである。
自分が無人駅になった鹿島駅で案内して一緒に見送りしていると奇妙な感じになる
自分も一緒に別れを惜しんでいる感覚になる
道の駅とかバスの停留場ではそううい感覚にならないのである。
そこが鉄道の魅力なのである ただ新幹線になるともうそういう雰囲気はない
ただ止まるまもなく過ぎてゆくだけだとなる
人間的になる時間ないのである。

待つ時間は実際は人間的なものを演出する、待っていることが旅で記憶に残ることを何度も書いてきた。待つ時間が実は旅では重要な要素になっていたのである。
自分が駅員のようなことをボランティアで演じているのも奇妙ではある。
何か自分は鉄道の旅が長いから駅でも愛着を感じるからそうなった。
駅はつくづく人間臭い場所だったのである。



タグ:冬の駅

2017年02月06日

冬の暮(鹿島駅の写真と詩)



冬の暮(鹿島駅の写真と詩)

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思わぬものが写っていた  

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鹿島駅今日も待つ人冬芒

待つ人や枯木一本駅舎かな


鹿島駅待つ人一人山脈の雲に翳りて冬の朝かな

鹿島駅乗る人一人待ちにけり枯れし芒や朝の一時

鹿島駅引き込み線の残りけり我がたどりつつ冬のくれかな

北風の今日も唸りて遅るかな電車を待てる駅に我がいぬ


故郷の駅

この駅になにかあれかし
年明くも芒の枯れにしままに
80となれる人こそあわれ
昔の駅のことを語りぬ
鉛色の雲の棚引きて
今日も見送りのあり
故郷に親交をあたため
また一人去りにけるかな
人の世の歳月の流れの早しも
すでに還らざる人もありしも
もはや会うことなしも悲し
我が腹からもみな墓に眠りぬ
墓ののみ名を留める人もあり
今我を迎え送る人もなしも
なぜ今我の他者を迎えて見送りぬ
我も老いしも故郷の駅に・・・・


鹿島駅のなんでもない風景が心にしみる、それはなぜか?やはり年を重ねて見る目が違ってきた、なんでもない風景にこそ実は深いものを見いだすのである。
ただそれを見いだせない、たいがい死をまじかにしたときはどんな人でもありふれた光景でもこれが最後だとなったら全然違って貴重なものに見える

自分でも家族はみんな死んだし迎える人もなくなり心境が変わってしまった。
人は結局みんな別れてゆく、永遠に会わないという感覚になる
「さよならだけが人生だ」というのは本当に実感である。
人は何度も会えると思ったがもう会えないとなる

駅で別れて遂には会えないともなる、墓に入った同級の人もいるし家族でも会えなくなるもう墓に眠っているだけである。
今まで見てきたなんでもない風景すら見納めだとかなる

引き込み線はまだ残っていた。これも注意していないから見ていなかった。
ここから貨物の車両が入り荷物を運んだのである。
それで縄屋とかあり梱包に使っていた。それもずいぶん昔のことである。
八〇の人は別な所から高架橋を渡ったと言っていた。
蒸気機関車の時代である。
引き込み線は原町紡績の工場の中まで通じていた。
汽車で作ったものを運んでいたし材料も運んでいた。
原ノ町は機関区になっていたからである。

こういう駅は別にありふれている、でも年を重ねれば全く違って見えるのである。
今日はこの写真をとった後北風が強くうなり吹いた。
この辺は朝は静かでもそのあと風が吹いてくるから注意である。
そしてまた今回も六〇分とか遅れた、運休もあった。
新しくなった路線は高く作ったので風の影響を受けやすくなった。
しょっちゅう遅れているのである。

撮り鉄という人がいるけど何もないありふれた駅に人生があり物語があることを見いだすのはむずかしいだろう。でも駅にはそういう物語が人生が感じられる
車には道の駅でもバスでも感じにくい、駅はそういう人生の出会いとか別れとかを演出する場である。

鉄道の駅は玄関であり待ちあう場所であり迎える見送る場所なのである。
そこに他の乗り物とは違う意味がありそれが見直されるかもしれない。
そういうものは混んでいる駅だと見いだしにくい、こうした平凡な田舎の駅だと今は冬芒になっていて季節感があり感じる、写真も季節を感じないと情緒がない
これが原町駅とか相馬市の駅になると枯れた芒が見えないので季節を感じなくなるのである。

タグ:鹿島駅

2017年02月07日

抽象画(太古の花-flower-the earliest times)



抽象画(太古の花-flower-the earliest times)

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抽象画は具象画の変形である。これもひまわりの具象画の変形だった。
でもなんかこんな花が太古に咲いていたとかイメージすると面白い
イメージは制限されないから無限に広がる
抽象画もそれとにている、本当にこの変形の芸術も不思議だなと自分でしていてつくづく思う

こんなことができるということが不思議なのである。
それはやはり技術がまたはインターネットが生れてできた芸術だからである
今までにないものがインターネットからはコンピューターからは生れたのである。
だから今世紀最大の発明がコンピューターとインターネットだったともなる


The abstract picture is transformation of the representational painting. This was transformation of the representational painting of the sunflowers, too.
But when the art of this transformation is mysterious, it is oneself and thinks that I image it that such a flower bloomed in the ancient times in the truth that the abstract picture is in it to open endlessly utterly because the interesting image is not limited

It is mysterious that there is such a thing.
The unprecedented thing which was because after all it was a technique or the art that the Internet was born, and was possible was born from a computer from the Internet.
Therefore it becomes even if the biggest invention was a computer and the Internet in this century

タグ:太古の花

蝋梅(百歳の間(続)


蝋梅(百歳の間(続)

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蝋梅に風花舞いてそのあとに日さし静けし百歳の間

風花の駅に舞いにし待つ人の今日はなしかも我が帰り来る


百歳の間

我が母の百歳生きぬ
我が介護せしその間や
今年も蝋梅咲きぬ
今我ここにありしも
石一つ庭にありぬ
我が母の嫁ぎて七十年
ただ働きてつとめぬ
母はか弱く地味なる女なり
大正生まれにしてただ働きぬ
我、今百歳の間にありて
この家を一人継ぎぬ
我なおも家族をしのびつつあれ
百歳の間にあり長く生きてあれ
つつがなくも長くも生きてあれ
そして供養するが勤めなるかな

母は自分の家に嫁いでもいいとは言えなかった。この家の事情でそうなった。
ただ働くだけだったのである。だから何か欠けていた。
働くことがいいということはあってもそれが度が過ぎると人間は異常になり狂気にもなる花にも何にも興味もなくただ働く人間は蟻になっていたのである。
蟻の一生だったともなる

ともかくそれぞれの家族には何かしら問題があったり事情があったり何かある
それぞれの家には家風があったり代々つづく家では歴史があり伝えられる
ただなかなか他人の家の事情はわかりにくいのである。
まず自分の家は複雑で他者にはわかりにくい

でも何か家には物語が生れる、代々つづく家だと余計になにかしら物語が生れる
家の価値は単に建物というだけではない、そこに何か家族の物語が生れるのである
「百歳の間」というときまさにそうである。
百歳生きる時代の象徴としてそういう物語がここだけではない生れているのである。
ただ母がこの部屋にいたのは介護している五年間くらいだったのである。
それでもそれが記念として残されたのある。

何かしらぞこの家でも物語がありそこにその家の価値がある。
だから家というのは単に建物だけではない、だから簡単に壊して何もないものとはできない、そこに原発避難民の問題があった。
家は単に建物ではない、家族の物語がある場所でありそこから離れることはそうして作られてきたアイディンティティを喪失することなのである。
町にしても村でも一軒一軒の家がそうした物語をもっているから価値があるとなる
だからこそ老人は故郷に自分の家に帰りたいとなるのである。
逆にその家になにかしら悪いことがあると呪われているとか嫌がられる、価値が低くなる
自殺したり何か嫌なことがある家は価値も低くなり人も住まないというのは当然なのである
家は単なる建物ではない、何かを物だけではなく心を受け継いでるからそうなるのだ

今日の駅には夕方にあわててタクシーに乗りたいという人がおりた。
よほど急いでいた、大きなバックをもって歩いてゆくという
タクシーには先約があって乗れずに待つと時間がかかるからと六号線の方に歩いた
自分も案内した、その間もタブレットで連絡していた
途中で迎えにゆくという連絡あったので自分も帰ってきた
こうして鹿島駅で何かしら用事があり役に立つことがあるもんだとなる
ボランティアの駅員として用事があるのもいい
何も役に立たないとした行ってもつまらないとなるからだ。

今日も風が吹いて風花が舞っていた、この辺は雪はほとんどふらないけど風花は舞う
そして山の向こうの飯館は雪雲に覆われているのがこの辺の冬の景色なのである。

蝋梅の間、百歳の間
タグ:蝋梅 百歳

2017年02月08日

自殺の怖さ (後世に重いカルマを残す)



自殺の怖さ(後世に重いカルマを残す)


自殺することがなぜいけないのか?別に自分で自分を始末するのだからいいんじゃないかともなる、ここでは宗教的問題としてでなく自殺が怖いのはその子供とか後世に残す影響が大きいからである。
身内で自殺者を出すということはその家系に重いカルマを残しているのである。
その家系に家族に暗いものを残しそれがカルマとなる。
だから自殺した家から自殺者がまた出るとかなる

最初は彼の母親であった。彼女はホテルで38口径のピストルで自殺した。彼の兄弟の一人は散弾銃で地下室で自殺した。彼のもう一人の兄弟は下宿で服毒自殺した。彼の一人の姉妹は寝室で自殺した。そして3年前には父が銃口を自分に向けて自殺した。アレン・ボイド・ジュニアにはボイド家の暗い歴史が付きまとっている。

20世紀にアーミッシュ部落で起きた自殺の半分(僅か26人)が2つの家族とその親戚で起きていたのを発見している。その内の73%が4つの家族に集中していた。アーミッシュの部落は小さいから、4つの家族の人数は部落全体の16%を占める。

人間はどんな人であれその一生で残すものがある。それがいい見本ともなり悪い見本ともなる、そして教訓を残すから庶民の間でも諺が生れた、その諺(ことわざ)が廃れないのは人間は同じ業(カルマ)を繰り返すからである。
「金の切れ目が縁の切れ目」だとかこれをどれほど経験しているか?
人間の関係なんてみんなそんなものかということを嫌というほど経験しているし変わらないから諺も普遍的不変の真理なのである。

百歳の間のことを書いたが自分の母親も実際は自殺の危険があった。それは腰が曲がるとき苦しみ自殺未遂になった。それは自分にとって恐怖だった
自殺したいということは自分だってあったし誰にでもある、でもなんとかしないですんだとなるのが人間の実情なのだろう。

自殺の怖さは何か?。それが本人が自殺することだけではない,その後の回りへの影響が大きいからである。自分が死ねばそれでかたづくというものではない、だから自殺した家系とかあり家族は苦しむのである。
そのカルマが暗雲のように後世の子供たちに影響するから怖いのである。

例えは自分の母親が百歳を生きたことで「百歳の間」ということで書いた。
親が百歳を生きることはどういうことなのか?
自分も百歳を生きるのか、生きられるのかとなるのだ
これは理屈ではなくそういう目標を親から与えられたともなるのだ。
別に長生きすることはすべて悪いことではない、ただ負担になるから嫌われるだけである介護の負担も大きいからである。

自分も家族二人を看取ってその後また考えることがある。
人間は死んだからといってすべてが終わるわけではないということである。
必ずいい悪いにしろ後世に残すものがありその影響が大きいのである。
人間の生は一代だけで終わるものではないのである。
子供に後世にも責任を課せられているのが人間である。
何も一代だけで今の代だけよければいいとかならないのである。

そして人間は死んでみるとそのあともその人のことを考える
その人が残すものがいい悪いにしても必ずあり死んだからすべて終わるわけではない
もし自分の母親が自殺していたらものすごく後味悪いものとなり自分に影響した。
また自分が介護しないで恨まれたりしてもそうである。
そこに介護は苦しいのだけどむずかいしものがあった。
そうして子供を恨んで死んでいった親を知っているからである。
それは必ずその子供に悪い影響を残すことはまちがいないのである。

百歳を母が生きたということはやはり後世への子供へ長寿の目標を与えたことなのである自殺したりしたらそれと全く反対のものとなりただ親は呪われて自分も呪われたともなるからその相違が大き過ぎるのである。
単純に今は母が百歳生きたな自分も生きるのかなとか思うのも不思議である。
それは理屈ではない、何かそういう感覚になるのだ。

もちろん超高齢化社会になるとき様々な問題がある、そんなに長生きされても困るということも現実にある。ただ自殺のことを問題にするときそれが後世に子供にさらに孫にも残す影響が大きすぎるのである。
今自分が母を介護した「百歳の間」に安らかにいれるのも母が自殺しなかったからであり自分もそれなりに介護したからである。
母は問題もあったが祝福を与えて死んだともなる、姉は姉なりに自分は尽くしたから最後に正気にもどって死んだから救われたとなり自分は苦しかったけど今になると良かったなとなり心が安らかなのである。

ともかく人間はどんな人でもカルマを残し教訓を残す、本当に母は自殺しなくて良かったとか思ったり認知症でも苦しんだが最後は姉も正気にもどってわかってくれたとかなり自分自身が救われたとかなる
認知症の問題もこれも介護してみると本当に複雑であり簡単に何もわからなくなったとは言えない病気だったのである。これは明らかに病気である、でも認知症の人が正気にもどるということがある、それは二人を介護して自分は経験したのである。
だから認知症という病気は本当に不思議なものでありわけわからないものなのである。

人間はどんな人でも何かをその一生で残す、それがいい面と悪い面があり後世に影響するカルマの怖さはこの辺での放射能被害がありプルトニウムが二万年消えないというカルマを残したことでもわかる。それだけ恐ろしいものが人間が作り出したカルマなのである。そのカルマにこの辺では苦しまねばならなくなったのである。
それは人類的カルマですらあったのである。

ただ先祖霊がどうのこうのとかかかわるものは金もうけだから危険である。徐霊などもカルトであり危険である。今の宗教はほとんど金儲けしかない、利権しかない、カルト教団だからである。そういうところに入るとまた後世に子供に悪影響残すのである。
結局地獄に落ちるとかなんとか恐怖だけ残される、与えられるだけなのがカルト教団である。それでもそんなに入る人がいるというとき宗教に対して安易なためだろう。
何か多少でも援助してくれる、相談にのってくれるとか軽い気持ちで入るから後で怖いことになる。触らぬ神にたたりなしである。軽く触った結果祟りだけをもらうのがカルト教団なのである。

ともかく自分はこの十年介護とかいろいろなことで苦しんできた。
でも今は何か心が安らかになっている、介護した甲斐があったともなる
自分の苦労が報われたという感覚にもなる
それは自分が特別に良くされたのでありそのことで恩を返そうとしていたこともある
子供でも兄弟でも親に良くされなかったら介護でもしない、お前が親にかわねいがられたから介護しろとなっているのを聞くからである。
金持ちの親だと子供はみんな施設に入れる、子供は何もしないのである。
それが幸福ともいえいないのである。だから人間の幸不幸は最後までわからないのである最後の最後に不幸に死んでゆく人もいるからだ。
そして死んですべてが終わるわけでもない、延々とやはり死んでもやはり残された人に末代にも影響しているのが人間なのである。


  家と死者

 窓の外に蝋梅が咲いている
 母は百歳生きた
 今介護した部屋に自分がいる
 「百歳の間」となづけている
 母は窓からこの部屋を見て
 笑っているように見える
 姉もこの家に育って良かったと思っている
 それで自分も心安らかである
 この家になお死者は生きているかもしれない
 この家に嫁いで来て良かったとか
 この家で暮らして良かったとか
 それで我が家には死者がなお住みたいと思う
 我が家には死者が見守り祝福があるかもしれない
 ただどんな家族でもそこに影の部分がある
 自分の家族にもある
 それがまた人間の業(カルマ)であり
 そのカルマは消えることなく
 どこでもつづいているのが現実である
 でも何か自分は恩を返したとかなり
 心安らかになっている



蝋梅(百歳の間)

タグ:自殺
posted by 老鶯 at 10:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 福祉医療-老人問題