2017年01月30日

原発自主避難者のいじめは朝日の捏造だった (マスコミがシナリオ作り判断するのが報道)


 原発自主避難者のいじめは朝日の捏造だった


 (マスコミがシナリオ作り判断するのが報道)


 朝日女性記者がスクープした「原発いじめ」記事の悪評

朝日に限らず、マスコミは最初に売りたいシナリオを作って 
そこに事実関係や証言の断片をはめ込んでるだけだからな

新聞社の取材受けてみればわかるけど、 
やつら結論ありきで取材するからな。 
初めの想定通りにいかないと発言を切り取ったり、 
無理矢理それっぽい発言をさせて筋書き通りにする。 
取材に行って金かけてるんだから面白い記事かかなゃっきゃってのも分からんこともないが、 
それで「取材による事実」とか誇りにしてるんだから呆れたやつらだよ。 
事実を自分の主観や利益のためにねじ曲げてるのはどちらなのか… 

極左活動家と自主避難者とメディアはズブズブの関係 

差別でっち上げてボクチンはカワイソーな福島のみなさんの味方ですよー 
とすり寄る福島支援者 

なんで今になって続々原発イジメなんて話が出てきたかと言うと 
自主避難者への住宅無償提供打ち切りが近いから 
まだまだ問題はあると長引かせたいんだよ 
そのために受け入れ先の住民を差別主義者ということにする 


自主避難者は地元でも裏切り者とか批判されていた。なぜみんなが困っているとき出て行くんだとか批判があった。
それは原発避難者全般にあった、南相馬市の看護師など原発事故になったときみんな一斉に逃げた、それで批判された。今も南相馬市で避難した看護師は帰ってこないのである。それで病院では困っている、なぜ地元の人を見捨てて避難したのかとなる

それで大内村ではなぜ

C 「戻る」「戻らない」の対立構図を生み出さない
 (二極化が鮮明)

 こういうことを村の方針にした。避難して帰る者と帰らない者のの対立がかなりあるということである。それは自主避難者にもあった。
 それで避難した先でなぜいじめにあったのかというのがそもそも疑問だったのである。
自主避難者ということだと疑問になった。その人たちはそれほど補償金をもらっていないからである。地元でも批判されているのだから避難先でも批判されてもしかがないのかとか自分は思った。
この辺はこうして地元でも外に出ても分断されたのである。

それで前にもNHKの放送で原発避難者でも南相馬市内とかに避難して仮設に住んでいる人たちがいる、その人たちと地元の人たちとは補償金でもめていたことを書いた
NHKの放送で飯館村の人が相馬市のトマト農家に雇ってもらいたいと行ったが断られたとその怒りをぶつけていた。その時は自分もひどいなと見ていたのである。
でもよく考えてみると相馬市でも津波の被害者がいてその人たちは補償金をもらっていないのだから優先したというからそれなりの理由があって全うだったのである。

でもこれはNHKのシナリオでは原発避難者を非難するなということを公に報道して応援していたのである。
朝日の報道もそういうシナリオが意図があり報道していた。
マスコミは事実を報道していんるのではない、事実があってもそこでシナリオを作り編集して報道するのである。
なぜなら津波の被害者にも言い分がありそのことは言わせないからである。
それはいわき市でも同じ団地に住んだから起きたことである。
でも双方が仲直りすることなどを後で放送していた。
このことはなかなか外から見るとわかりにくかったのである。

マスコミの報道は事実を報道してもそれがどこまで事実なのか調べようもないからわからない、良く極端な貧乏の人のことを伝える、それも実際は嘘だったとかなる
こんな貧乏人がいるような社会にしている政府が悪いとして報道している
政権に打撃を与えるためにそういう報道をしている
それを常に否定しているのがネットなのである。
その事実が本当なのかということを問題にしている

今回の自主避難者のいじめ問題でもはじめに朝日がシナリオを書きそれにそって取材する取材することから事実をひきだすのではなくそのシナリオ通りに発言させることがマスコミなのである。
たからそのシナリオに反することは取り上げない、発言させないのである。
ともかく人間はもめているときは喧嘩両成敗なのである。
必ずどちらにもなにかしらの言い分がありどっちがいいと悪いとか簡単に判断できないのである。

ところが何かテレビは一方的になりやすい、心理的な問題としてもテレビは洗脳されやすいメデアなのである。
ネットのように「それ本当なの?」こう簡単なことだが疑問に思わせないでストレートに一方的にテレビで報道したものをそのまま受け入れる、そういうのがテレビでは特になりやすいのである。
裁判だったらどんな人でも双方の言い分を詳しく聞いているのである。
一方的になれば必ず裁判官にそうさせないように提言できる
でもテレビはマスコミは審判者になっていてマスコミの判断があって取材して編集して報道しているのである。それに見ている人は文句は言えないようになっている
ネットだったら絶えず否定できるし真意を追求する、それがマスコミの報道に対してはできない、マスコミの言うことが絶対だとなってしまう
それでトランプがマスコミから相手にもされずトランプはとんでもない奴だとかしかなっていなかった。それで当選したのだから驚いたのである。

ともかくこの辺は津波の被害者もいるし原発の補償金でもみんなが避難者のようにもらってはいないから複雑になっている。
原発避難者に対しての不満が大きい、何か鹿島区の人でもあうとそのことを言うのである別に自分はそれほど金にはこだわらない、でも他の人は自分よりもっとそのことに補償金のことにこだわっているのである。

いづれにしろこの辺では内部でも対立している、地元に帰るか帰らないかでも対立している、だから外から取材する人、マスコミでもこういう問題は相当に慎重さが必要だった。テレビは感情的メデアなのも問題なのである。

この油まみれの鳥を見ろ

イラク戦争のときがそうだった、あれは世界にイラク憎しという感情をもたせたのだ
それは世界的なものとしてその一枚の写真がイラクへの憎しみを作り出したのである。
それは本物の映像ではない、作られた映像だったのである。
ここに映像の恐るべき力を見たのである。
テレビは感情を刺激するものであり事実でもなくても事実として報道されることがあるのだ。

なんで原発避難者をいじめるんだ、差別するんだ

まず感情的にすることが危険なのである。それが朝日とかマスコミのねらいでもある。
そうなると今度は原発避難者でもマスコミでこう言っているとなるとそれが世論となっているように思わせる、みんながそう思っていると思わせるのである。
それでちょっとでも原発避難者を批判するとこいつは何なのだととなり自分も批判されたのである。
トランプでも全くそうしてマスコミに批判されていても当選したということが本当に信じられないことだったのである。
それは日本のマスコミもまたアメリカのマスコミと同じでありトランプを歓迎しないからそうなっていた。トランプが大統領になってもそうであり変わっていないのである。
トランプは結局つづかない、途中で投げ出すとかなんとか当選する前と同じである。
その政策にも過激でも一理はあるがそういうことを報道しない、全部トランプが悪いとなっているのである。

自分も原発に反対である。ただ左翼でもないし地元でこれだけの被害を受けたから原発反対になった。反対するにしても左翼のような意図はないのである。
むしろ自分は日本の伝統を重んじるから心情的には右寄りである
左翼は原発問題を自分の政治運動に利用するという方が多い、原発そのものの問題より今の政治を批判するために原発を利用するとなる、それが必ず反発される原因になっているのだ。
それで原発を批判した左翼系の人があいつは左翼なんだよ、だから原発に反対しているとされた、右からも政治運動に利用しているだけなんだとされて肝心の原発のことその危険性など追求されなかったのである。
原発が危険なのか危険でないのかという科学的なものより原発反対は左翼なんだと決められる
また原発を推進は右翼だと決められる、結果的に科学的に原発が危険のだというまさに政治的な右左の問題ではない、政治的力学のみが働くのである。科学とは関係ないもので左右される
それで左であっても危険を指摘したものは「安全神話」が作られ排斥されていた。
科学でどれだけ危険なのかということが追求されなかったのである。
それも右寄りの人もまたそうして政治運動として原発を見るから本当の危険性を追求できなかった。原発が政治運動の道具にされていたのである。






posted by 老鶯 at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

大内村の復興の方針の検討



大内村の復興の方針の検討


@ 村に住み続ける誇りや意義をどう取り戻していくか
A 補償させることは重要だが、それ以上に生きる意欲や
目標を見失わないこと
B 短期的・集中的に投資
C 「戻る」「戻らない」の対立構図を生み出さない
 (二極化が鮮明)
D 戻るための新たな制度設計の必要性
 避難者のモラルだけでは解決できない
E 帰還に関わらず生活再建(バリエーションを認める)
F 新しい村づくり ⇒ コンパクトビレッジ

@村に住み続ける誇りや意義をどうとりもどしてゆくか

普通はこういうことは今までは考えないだろう。それを考えざるを得なくなった
何かこの辺ではそうした当たり前のこと故郷に住み続ける意義などを考えるようになった

A補償より意欲や目標を見失わないこと

これもこの辺では補償金でもめたからいろいろ言われたので同じだった。
どっちかというと老人の場合は無理できないから補償金をもらって暮らした方がいいとなる
そこで問題になるのは老人ばかりで村を維持できるのか?
それが原発避難者であれ津波被害者でも共通しているのである。
医療と介護をになうものは若い人だというときその若い人がいないからだ
双葉辺りでも高齢者の医者が死んで病院が維持できなくなる
南相馬市でも看護師不足は解消していない、そこが深刻なのである。
いづれは介護になったとき老人ばかり残ってもそれもできない
介護の負担は自分も経験したが過酷な面があるからだ

B 短期的・集中的に投資

これも老人が多いからこうなったのか?老人は先がない、庭に木を植えても育つの何年もかかるとなると待っていられないから自分もそんに育つのに長くかかる木は植えたくないとなる、そして跡継ぎが入ればいいがそれいないとなると余計にそうなる
原発事故で避難した地域も若い人が流出しているから跡継ぎがいないからこうなったのか?

C 「戻る」「戻らない」の対立構図を生み出さない
 (二極化が鮮明)

この問題も深刻なのだろう。自主避難者も地元の人に批判されていたのである。
故郷を捨ててゆくのとかなる、子供でも親を捨てるのかとなる。
そういう対立が深刻だからこういうことが上から指示されたとなる
江戸時代でも贅沢するなというとき贅沢になっていたからそうなる
禁止されることはそういうことがはびこるから増えるから禁止される
贅沢できることはいいことだったのである。

戻った人と戻らない人で故郷は分断されるからこう言っている
結局今の世の中強制はできない社会である。
ともかく補償金とか戻る、戻らない人でも故郷は分断された
その傷は大きいのである。

村に生きつづける意義というときそれは歴史の保存でもある、農民だと三代で一人前というように仲間に入れられるというとき土地に根ざしているからそうなる
農民は先祖を意識する、代々耕して守ってきた土地がありその土地に根ざしているからこそ先祖を意識する、それで先祖代々の土地は売りたくないのである。
商業とか工業となるとそうした先祖意識は薄いのである。
サラリーマンなども会社に勤めていても先祖意識などもたない、ただ会社から賃金をもらうサラリーマンだとなる、それは一代限りのものもだからである。

ここで問われたことはそれぞれに事情があるが共通している、津波の被害地にも共通した問題としてある。
コンパクトビレッジとかなると飯館村は草野中心にしてそういう村作りをしている、
にたような状況になっている。
小高とか浪江でもコンパクトタウンになる。農業は共同でするほかない、会社組織のようなものになる、若い人が流出したからもう一軒一軒では農業はできないからである。

この方針は良くまとめられている、それは厳しい現実から生れたからそうなっている
3000人の内半分帰っても本当に村が残るのか?消滅するのかという危機だからである。
それは葛尾村とか飯館村でもそうなる、存亡の危機なのである。
葛尾村はもっと人口が少ない、そしたら村自体維持できるのかとなる
それは限界集落と同じである。

農業の復興にしても老人が働き手となってしていたがこれも厳しいし長続きはしない、近くの仮設の食堂も70歳の女性がしていたがとても一人ではやれなくてやめた。
そういうことがこの辺では増えているだろ。それで人手不足になっている
このことは自分のプログで原発事故関連で追求してきたことだった。
だからよく問題をまとめた方針だと読んだのである。

タグ:大内村
posted by 老鶯 at 09:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連