2017年01月28日

平戸の春の短歌十首


平戸の春の短歌十首

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平戸なる海の世界通じけり春の日明るくみちのくゆ来ぬ

平戸なる入江の深く桜咲き真昼明るく海に映えにき

平戸なる入江の深くアンジンの墓こにありにき

城ありて教会に寺交じりつつ平戸に春の潮流れぬ

和蘭の船の来ると遠き日やその跡しるし春の日くれぬ

春の日や平戸の海は世界へと結びつながる夢ならじかも

みちのくゆ春の日たずぬ平戸かなその海の気を運ぶゆかむかな

平戸なる海の思い出鮮やかに蘇るかな春のめぐりて

キリシタン隠れて眠るその島に祈り聞こえむ春の日くれぬ

海に向き十字架の墓平戸かなたずねてあわれ春の夕ぐれ



平戸の海に出たときのことは忘れられない、それは20代くらいだったのか若かった
それを今思い出すのも不思議である。
その海の感覚がみちのくの海の感覚とはまるで違っていたのである。
太平洋を見ていてもそこは荒寥としている、向こうにアメリカがあくとしてもあまりにも遠いし大陸があくとはイメージすらできないものである。ただ海だけが広がっているのだ
平戸に来たときの海はそれは入江であり島の間にしろ太平洋とはまるで違った感覚になるその海は陸に近いし船が行き来する古くから船の往来があった海なのである。
そういう海はただ自然の海ではない、人間的な海になっているのだ。

だからオランダの船が来てイギリスの船が来て三浦アンジンがここで死んで墓がある。
九州の海は外国と関係している、通じる海なのである。
みちのくの海は外国との交流がないし国内的にすら海が航海に適していないのであったとしも今でも感じられないのである。
むしろ津波が来たように荒寥としたものとしてさらに感じる海になった。
津波の跡に壊滅した港の村を見たら海は非情にも吠えていたとなる

瀬戸内海とか九州の海はみんな外国と通じているということで東北の太平洋とはまくで違った感覚をもつのである。
山にしてもインカ帝国があった山とカナダの山が違っているというときそれは歴史がそうさせているのである。古くから人が住んでいる山とカナダのように移民が住んだ所で感じる山は違っているのである。

例えばこの辺でも駅に八重桜が咲いていた、その影で自分は電車を待っていた。その木は人間化している木になる。それが普通の原始林の木とは違う人間化した木なのである。
だから原発事故で避難して人がいなくなったところち取り残された木が人間のように見えたのである。

日本は海に囲まれていても海の感覚は違っている、それは歴史があり人間の交流が外国とあったのとないのでは相当に違ったものとなる
平戸でも地図を見ると韓国に近いし済州島にも近いのである。
だから済州島の漢拏山(ハルラサン)を見たときこれは日本ともつながっていると感じたのである。韓国は地理的一体感を感じるのである。

九州でも地図を見ると平戸は伊万里にも近い、伊万里から有田焼がオランダにも輸出された。それで伊万里焼きになっている。地理を見るときやはり全体的に広視野で見ないと地理もわからない、名護屋城もありあの辺を旅したからふりかえる

いづれにしろこうして韓国であれ中国であれその海は外国に通じている、オランダとかイギリスは遠いけどやはり海を介して通じているとなる。
自分が行ったとき春だった、桜が満開だった、あそこは春にふさわしいとなる
今でも旅の記憶が蘇りそれを短歌とか詩にしている
それが膨大になっているのだ。外国もありそれを思い出して詩につづる
冬の寒い日は家に閉じこもり回想するのが向いているのだ。
石油ストーブでもあたたまるとイマジネーションが刺激されるのである。
老人は何か駅のことでも書いたが思い出に生きるようになるのである。
だから豊富な思い出をもっていると老人の生も豊かなものになる
旅だけではない何か思い出をかみしめるというか思い出が宝となるのである。