今日の駅の短歌(寒い日に駅で待つ中学生)
この駅に電車を待てる時のありしばし話しつ寒き日なりし
冬の雨しとしとふりて石ぬらす一人しあわれこもりいるかな
今日は特に寒い、人身事故があって電車が遅れているという電光掲示板に流れていた。
セブンイレブンから六号線を横切り踏み切りを出た鹿島の十字路で交通事故があった。
車はそれほど損傷がないから大きな事故ではなかったのか?
今日の駅にいたのは中学生だった、また一学年で3クラスくらいあるという、そんなにまだいたのか?ただ鹿島区では中学校は一つであり小高の人もまじっているからかもしれない。団塊の世代の時は一学年で八クラスだった。
何かそれもあまりにも遠い話になった。その中学生は塾に通っているという。
インターネットで英語の単語など勉強すると便利だと言ったら自分もしているという
この前はタブレットを見ていた中学生がいた、その女性は受験生だった。
相農で環境科とかで花の栽培を学ぶという、そういう目的をもって学ぶのはいい。
今日はこれだけのことだけどプログは毎日書くのでありこうして日々のことを伝える
それがプログ的だとなる、その日その日の感想を書くのである。
それはその日だけのことでありあとは書けない、そしてそれが記録となり記憶となってゆく、そういうことは今まではできなかった。
だからプログは何であれ一日一回はその日のことを書く、それが勤めである。
それが読んで面白くないとしても自分の日記だからかまわないとなる。
その日にしか書けないことを書いているのである。
一日一回は駅に行くのが自分の勤めともなっている
ともかく駅は待っていることが人間的なのである。待つ時間が人間的時間を作り出している。
バスだとなにか待っていても電車の駅のようにはならないのである。
旅でもこの待つ時間が記憶として残ったりする
急ぐ旅は記憶に残りにくいのである。
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