2017年01月19日

原発反対するにはどうするのか? (補償金を要求すると逆効果になる)


原発反対するにはどうするのか?


(補償金を要求すると逆効果になる)


この辺ではこれだけ原発の被害があったから原発に反対になる。
ところがなぜ被害にあった人たちがいてそれを訴えても何か効果がないのはなぜなのか?あいつらは補償金が欲しいだけだ、原発乞食だとか言われる
内部でも補償金でももめて争った経過がある。
こういうことしていると外部でもあいつらは補償金でもめている、結局金目なんだよなとなる、外からもそう見られる

もちろんそれだけの被害があったのだから補償金をもらってもいいしもっともらいとう言う人もいる。でもそれにも限度がある。限りなく金がかかって廃炉には20兆円もかかるとか途方もなくなっている、それで国民の不満がある、税金からその金が出るからである。原発の金は途方もない、その金を福祉とかに利用したら介護なとでもかなり改善されるという。その金は一兆円にもならないのである。
ただ原発は実際はこれだけ金がかかるものだと知らしめたことは効果があった。

でも本当に原発に反対するのなら被害を受けた地元でも何か国民に訴える方法を考えねばならない

補償金が欲しい、もっと欲しい

そればかり言っていると効果がないし逆効果になる、どれだけ金が必要なんだとなってしまう。その金でギャンブルで遊んでいるだけじゃないかともなりますます批判が強まり子供のいじめになったりする。

一方で俺たちは補償金などいらない、もらったとしてもこれ以上は要求しない、俺たちは俺たちでなんとか生活する、必死でする、何かそうしたら国民の見方も相当に変わるだろう
そうなるともう地元の人も必死になる姿がありありと見える、原発被害者はあんなに苦労している、極端になると生きるか死ぬかで苦労していると見えたら相当な効果になる
原発被害者はあれほどまでして訴えているんだとなる
補償金をもらっている限りそうした必死さはない、もっと金よこせと言うだけならそういう必死さは伝わってことない、かえって国民からの反発が多くなる

とにかく補償金をもっとくれというとき国民から反発が多くなる
そのことは原発を作ったときから言われてきた。お前たちは金欲しくて原発を建てさせたその時から多額の補償金をもらって潤っていた。
そして事故後もまた補償金をもらえる、そうなるとこういう人たちが原発反対と言っても何か訴える力が弱いのである。
ただ「俺たちは被害者だ、弱者だ」だから援助されるべきだ、そして内部でも補償金でももめて争いがあり多くもらった人たちが少ししかもらわない人を非難する
それも考えてみれば何かただ少ししかもらわない人たちも結局金が欲しいだけなのだともなる、自分もそうだったから反省されるべきかもしれない、ただ額は多いとは言えないものだった、避難はしていないからそうなった。

つまり本当は原発被害者が一番原発に反対する立場にあった。それがかえってできないようになったのは補償金問題だったのである。
もっともらうべきだという人も外部にもいた、もちろん内部では補償金はもらえるだけもらうとなっていた。
極端にはなるが要するに被害というときシリア難民のようになれば世界にも訴えられる
子供が波に打ち上げられた映像とかみたとき世界が同情したからである。
原発の被害も故郷に住めなくなるということで実際は大きかったのだがそれがそれほど訴えないものだった。
なぜならいわき市に2万人が移り住んだとき次々に補償金で家を建てたりいい車を買ったりギャンブルとか飲み屋で遊んでいたりとかあったからだ。
もしシリア難民ともいかなくてもテント暮らしとかになったらどうか?
それを見た人たちは原発事故はひどいない、原発りてどやめるべきだとなっていたかもしれない、でもそんなことはない、なんだかえって贅沢しているんじゃないかと見られたところがあったことはいなめない、避難者にとっては苦しいとしても外からそうみられないところがあったのである。

結局原発に反対するにしても反対する人もただ反対、反対と言っても効果がない、何かそこに真剣さがないし口だけ言っても効果がない、何かそうした問題でも体を張って反対するような覚悟が必要にもなってくる。
それはその人の生活自体まで問われる、見られることになる
ただ補償金だけをもらいたいだけなんだと外部から見られていたら地元で被害があっても訴えない、もともとあいつらは原発でも金が欲しくて建てたんだ、そして事故後もまた金を欲しいだけでなんだとか見られる
だからそのことを書いてきたけど地元でも生活自体が問われたのである。
豊かな生活を求めてきたのが戦後だった、原発もその一つだった。
でもそこに大きな落とし穴が待っていたのである。

ただ原発の被害は故郷に住めなくなるということだけは知らしめたのである。
空気とか土や水とか基本的なものが汚染されるから住めなくなる、空気が汚染されてそれは何十年と減らない消えないのである。
部屋の中の放射能も減っていないのである。空気の中の原発は減らしようがないとかある水とか土が汚染されたら取り除くということがあるが空気はできない、ただ泥に付着したりするとその泥を捨てるということが除染になったのである。
それが原発の深刻な被害だったのである。
事故が起きたら今住んでいる所に住めなくなるということは知らしめたのである。
それが最大の被害だったのである。
posted by 老鶯 at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

新しい新地駅が復興構想の見本 (発想の転換で新しい街作りー小高や浪江も参考になる)


新しい新地駅が復興構想の見本


(発想の転換で新しい街作りー小高や浪江も参考になる)

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人の和も大事、復興も人でもある


新地駅があれほど変わってしまったのには驚いた。人間は変化が激しいとそれが現実のように思えなくなる。それは津波とか原発事故でこの辺では経験してきた。
津波は本当に現実に思えない災害だった、こんなことがあるのかと夢見ているような気分がずっとつづいているし今もまだその津波の被害の跡に立てばなる

今回新地駅に行って不思議だったのはそこは人間の力で変えてしまって現実のように思えなかった。前の駅とは全く違ったものになっていたからである
何か宇宙ステーションなのかデズニーランドの仮想駅なのかそれも現実に思えないように変わったのである。

そういうふうに駅でも人工的な人間の作ったものでも変わると辺りの風景まで変わって見える、蔵王が見えて白鳥が飛び大きく開けて海が見えてかなたに牡鹿半島と金華山が見えた。景観が抜群になったのである。だから新しい観光スポットになると思った。
おそらく鉄道マニアなどがこれから来るかもしれない。

ただ不満だったのは過去の津波のことがその駅に来たら思うものがない、つまりまるっきり変わってしまって過去の痕跡がなくなっていたのである。
その被害は写真とかで見る他なくなっていた。
するとそこにあった津波で死んだ人たちとかも忘れられるとなる
過去と現在を結ぶものがない、全く新しい空間になってしまったのである。

だから駅員は年取ったひとだけどあういう場所には若い人がふさわしいと思った。
その新しい空間でこれから津波の被害があったにしろ若い人はここで生活して行くからである。だから女高生が電車でおりて歩いてゆくのがふさわしいとなる
それは都会的風景なのである。
違っているのはそこは広い自然的空間の中にあったということである。
だから都会の駅より気持ちいい場所になったのである。

ここはだから小高とか浪江で今年は鉄道が通るというとき復興の参考になる。
新地駅があれほど変わったのはやはりあそこはもともと田んぼであり何もない空間だった海の方に村があったがそれもみんななくなった。
するとその広大な空間が生れ自由に新しい街を設計できるようになったのである。
そういうことが女川町とか他で起きているのである。
街ごと泣くなってしまったからそうなる。何もなくなったからこそ新しい街作りができるとなる
その時そこに古いものにこだわるとき新しい街作りはできなくなる
ただ古いものも活かした街作りが歴史を活かした街作りも必要なのである。
ただ古いものにこだわりすぎると新しいものは作りにくいのである。
それで女川町では若い人にその街作りをゆだねたのである。
老人は口だすなとなったのである。

新地駅を中心としたコンパクトシティはやりやすかった。あれだけの広大な空間が生れたからである。そこに温泉も出たということで憩いの場所になるし農園も作る広さがある。そしてこの辺と違って原発の被害がそれほどなかったことも幸いした。
この辺は原発の放射能被害が致命的だったのである。
ただ原発の補償金など新地ではもらっていないからあれだけ広い敷地にも家はぱらぱらしか建っていないのである。鹿島になると三つくらい新しい街ができるほど住宅地が生れたからである。それは原発マネーがあったからである。

とにかく発想の転換が必要なにる。今までは駅は車社会になり利用者がへり駅前通りもさびれシャッター通りになった。でもこれからはまた鉄道も見直されるかもしれない。
そして駅前に大きな駐車場スペースができた。すると車の人も温泉などあれば寄ることになる
公共的施設も文化会館とも作るというからあそこが新しい一つの街になる
すると鉄道でも車でそこに人が集まり人の流れができることになる
あそこは広場の役目も果たす、外部の人と内部の人が交わる場所にもなる
とにかく景観がいいからそれが最大の魅力になると思う。

それで小高などでも駅中心にこうした新しいコンパクトシティを作るのもいいかもしれない、今までの駅前通りという発想では新しいものはできない
この際、今まであったものを無視して新し街作りを目指す、それで新地駅が見本になる。ただあの駅にしても地元の人が新地町の人が役所でしたはいうわけではない、ほとんどはJRが作ったのである。今はこうした会社の力がないと大がかりなものは作れない時代である。
浪江でも今年中に鉄道も通るというとき小高とも結ばれるからそこで復興のはずみとはなる。ただ新地駅のようにはならない、そこが問題なのである。

でも浪江町でも小高でもまず今までのような街はもうありえいことを自覚すべきである。そういう前の街にこだわると新しい街作りができないからである。
ただ伝統的なもの歴史的なものは継続されるべきである。
だからといって前の街のイメージを強く残りいだいていると新しい街作りはできないのである。
だから若い人に新しい街作りを女川町ではまかせたのである。
原発被害地域ではその肝心の主役となるべき若い人が流出したから復興できないのである
鹿島駅で大阪から除染に来た人がこの辺は人がいいから三年もいたなとか大阪弁で話した大阪弁だともめんるんだよなとか言っていた。
都会を嫌う人もいて田舎が見直される時代でもある。
そういう人が移り住むといいとも思った。
その人は旅の人ではないからこの辺の人とか事情を知った人だから違っている
三年も住んでいたらやはりかなり土地のことに詳しくなる。
こういうときは移り安いということもあるから移り住む人がいるかもしれない。
ただ今のような状態ではとても住みたくないとなるだろう。


飯館村の場合は草野を中心にコンパクトビリッジになるのか?
若者を住まわせるための新しい住宅を作っている。
ただソーラーパネルがそこに大きくしめていたり前のような村の景観が多少壊されているでも飯館村でもやはり新しい村作りをする意外にない。
それがどういうものになるのか?それは町や村でもみんな個性があり違っているから個性的な村作りになる。飯館村だったらどうしても山村だから山を活かす村作りがふさわしいとなる。でも放射能被害で山菜がとることができないなど苦しいのである。
牛を飼うにしても土地の牧草を利用できないとか前のようにはいかないのである。
ともかく発想の転換が復興には必要なことは確かである。
でもそれは一番むずかいしことかもしれない、今あるものから人間は発想しているからである。

新装の新地駅短歌十首 (一変した新地駅の驚きー観光スポットになった)

タグ:震災復興