2017年01月15日

冬深む(正常化した自分?)


冬深む(正常化した自分?)

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寒椿雪に散りにき据えし石

平和なり障(さわ)りなくて山眠る

平和なり山の眠りの深きかな

冬深む石黙然と一人かな

冬深む契りを強む森の樹々

何を見む寒星一つ徴しかな

四両の列車明るき冬の夜


凍るごと雪降る庭に一輪の薔薇の咲かむや石の静まる

故郷の老いたる女と親しくも我が家にありて一人なるかな


自分は母が死んで一年とかすぎてようやく正常化したのかもしれない、姉で認知症で苦しみその後も回りは津波だ、原発事故と信じられない異常なことの連続だったのである。
そして常に何かに追いやられていたのである。障りがあったのである。
何かそういうことは人生の中で家族でも誰にでもあることなのだろう。
なぜなら人間は必ず病気になり死ぬからそれが逃れられないから家族でもごたごたするのである。

それはどんな宗教を信じようかカルト宗教団体に入っていようが関係ないのである。
そういう問題から不幸からみんな誰も逃れられないからである。
カルト宗教団体に入ってもいてもそうした不幸になった人は山ほどいるのである。
近くにそういう不幸な人がいて家に住んでいる人はいない
事業が失敗して家がなくなったとかそんな人はめずらしくもないのである。
事業に成功している人の方がまれなのである。

ともかく一人というのはなにかまたこれまで経験しない心境になる
一人も慣れないと淋しいとなる、わかったことは確かに動いて人ごみにまぎれると淋しさもまぎれることがわかった。
それで時々原町に自転車で行くのである。意外と動くということが淋しさをまぎれることになる、大きな家でぽつんと一人でいると淋しさを感じるのである。
動いているとそういうことをあまり感じないのである。
一人は来ているから誰も来ないというわけではない、でも家ががらんとしているのが嫌なのである。

自分で言うのもなんだがここの俳句と短歌はかなり深いものがある。
その深さを読むことがむずかしい、芸術はまず鑑賞すること自体が常にむずかしいのである。だから深く鑑賞できる人はその人は芸術家と同じのように思える
俳句などでも深いものがあっても鑑賞できないのである。
「冬深む契りを強む森の樹々」これは短いから鑑賞できない、別に詩を作っているからだ、それと合わせると鑑賞しやすくなる。
今回庭に咲いた咲こうとしている薔薇は不思議である。凍えるような時に咲くものなのか?
冬薔薇という季語があるから冬に咲く薔薇はある、でもこんなに寒いとき咲くものなのかとなる。
それはまさに自分が一人なのとにている

自分はもともとほとんど人と接しず一人だった。それも何か異常だったのである。
それで介護とかで苦労したのである。社会性がないからそうなった。
でも自分はもともと一人でいるとき精神も安定して平和を感じる
一人でも淋しいとき別に淋しいと感じないときがある。夜はかえって感じないのも不思議である。

今日は本当に寒かった。氷柱が近くで見たのもめずらしいからである。
滅多に氷柱はこの辺では近くでは見ないからである。一部水道が凍結した。
今頃は冬深むの時期である。今年はあたたかったりこんなにもまた寒くなる。
ただ何もわずらわされない平和がある。平和とは結局何もわずらわされないことなのである。
まず自分が病気になったりした平和がないし家族が介護になったりしても平和がないし
また借金などしたら平和がない、もちろんその他で平和がないことはいくらでもある
平和であることが人間はそんなにないということもある
でも自分は30年間くらい平和に暮らしていたのである。確かに家族が平和というわけではないにしろ自分にとってなにもないわずらわされない時が30年間つづいたことは不思議だったとなる、こういうことはまれなことなのだろう。

いづれにしろ冬深む山眠る時である。山眠るというときみちのくが何か合っている。
山眠るというとき高い山ではなく低い山があっている気がする
高い山だと眠るというより冬でも厳しくそそり立つという感じにもなるからだ。
この辺では高い山がない、それが自然としては欠けているからものたりないのである。


本を作る構想ができた 「津波原発事後の教訓」


本を作る構想ができた


「津波原発事後の教訓」


津波原発事故についてはずいぶん連続して書いてきた。それで読み返してみて一冊の本を作る構想ができた。
「津波原発事後の教訓」である。いろいろ書いたが確かに原発避難者からは非難もあったそれもまたこの辺の事情であり原発避難者の見方は当事者として違っていた。
とにかく人間は金になるとうるさいのである。利害がかかわるとうるさいのである。
遺産争いをみればわかる、骨肉の争いになる。

今回のこの辺の津波原発事故は後世に大きな教訓を残したことは確かである。
それは歴史的教訓だった。その当事者となったことで外部から見るものとは違ってくる
前にも書いたようにまず原発は一旦事故になったら広範囲に影響する
30キロ圏内だけではない、飯館村とか中通り、福島市とか郡山市とか白河まで影響したのである。
すると非常に狭い範囲で原発を建てることを決めたこと自体に問題がありそれが後々まで尾をひいたのである。
原発を建てる地権者と県の許可だけで決められたということが異常だったのである。
それだけ回りのものも原発がどういうものか知らなかったのである。

それを知らせるのがマスコミとか学者とか他にもあったが協力な原子力村が形成され「安全神話」が形成されたのである。
原子力となるとわかりにくいから余計に何か危険を言うにてもしにくいのである。
「素人になにがわかる」これは現代は専門家の時代だから何も言うことができなくなる
それは医療関係でも法律関係でも何でもそうである。素人が立ち入れることができない社会である。
マスコミにはそうしたことで危険性を知らせる役目があっても宣伝費をもらってしなかった。マスコミというときテレビでも新聞でも何か公共的のようでも宣伝費で成り立つとしたらその宣伝費を払う会社を批判できない、東電は国並の会社であり宣伝費も莫大だったからである。市町村を買えるほどの大きな会社だったのである。
実際にこの辺では半分が東電の社員のようになっていたのである。
だから原発事故は現代の社会の複雑さから起きたともいえる。

一番怖かったのは日本が震撼としたのは吉田所長が東日本は人が住めなくなる、特に東北は住めなくなると言っていたことである。吉田所長が言うくらいだからそれだけの事故のとき危機感をもったのである。
だから原発は全国的なものとして日本の存亡にかかわる恐ろしいものだと認識したのである。それはチェルノブエリでもすでにわかっていたことである。
ただそれも警告とはならなかったのが日本だった。
原発はロシアとか中国とかアメリカとか大陸だったら広いのだから日本よりは適していた日本は狭いし他に移住することが簡単にできないのである。

武田邦彦氏が言うように一ミリシーベルトを基準にすべきだとしたらそこに住めないとしたらもう福島県の半分も住めなくなる,そんなこといくら科学的には正しいとしても現実問題としてできないのである。
要するに自分は思うにはもう放射能がどうのこうのよりもうその土地に放射能とともに住むほかない、それで病気になっても何になってもどうしようもないとまで覚悟しなければならない、それがた狭い日本だからそうなる、老人の場合はもう他に移り住みたくないということでチェルノブエリではそうなったしここでもそうなっている
それまでの覚悟をもって原発は作らねばならないものだったのである。
そんなに危険なものだったらなぜその前にその危険性を警告しなかったのかとなる
武田邦彦氏も原子力村の一員だったのである。

ともかく原発事故の教訓は後世に伝えられるべき歴史的教訓だったのである。
それは津波でそうだった。なぜこれほど無警戒だったのかというのも今になると悔やまれる、それは別に警戒するものが全くなかったということではなかった。
津波でもスマトラで起きた津波の時も日本だったら警戒しているからあんなことならないよなと見ていたし原発事故でもチェルノブエリのようにはならないよなと日本の技術は優秀だからなと見ていたのである。
今でも右翼系統は盛んに日本の技術の優秀性を言う、確かに日本の技術は優秀な面はあるでも原子力に関してはアメリカがずっと進んでいたし日本には原子炉でもお古のマーク1がアメリカによって買わされたのである。
日本の技術はすべてのもので優秀というわけではなかったのである。

なぜそれが危険かという自分も科学音痴だから日本の技術は優秀なのだなと単純に思う人が多いからである。すると結果的に原発も日本の技術は優秀だから事故など起こらないよなと思ってしまうのである。
それがいかに危険なことか人間の奢りがいかに危険なことかをそれが歴史を見ればわかるその奢りによって滅びたものがどれほどあるか、個々人でも奢りが一番危険なのである。俺は優秀だというときその人は確かに一級の資格をもっていたことで技術的には優秀でも経営はまた違っていて事業に失敗した。技術と経営はまた違っていたのである。
そういう奢りで滅びたことは歴史をみればいくらでもある。
俺は優秀だと身内でも言って最後は認知症になり銀行から金をおろせなくなった、そして最後まで優秀だと言いつつ死んだのも悲惨であり家族だから余計にショックだった。

いづれにしろここでも津波原発事故はそうした教訓を残した、それは歴史的教訓であり後世に伝えられるべきものである。それは世界に対してもそうである。
原発の恐ろしさを知らしめたのである。
しかしそういう教訓を人間は忘れるからまた悲劇が繰り返されてきた。
だからこの辺はそうした悲惨な現実から教訓の場となったのである。

本を出すというとき本を作るのめんどうである。まず流通させるのがむずかしい、電子本になると楽だがそのノウハウがまだわからない。
本は何か一つのテーマで追求したものとしていい、プログだといろいろなテーマに分かれてわかりにくいのである。
だから自分としても一つのテーマで一冊の本にすればわかりやすいとなる
自分にはそういうテーマがいろいろとある。
鉄道の駅の短歌をまとめるとかそれぞれのテーマによって分類して作品化する、それが多くなったから結構な仕事になっているのである。


科学者の責任は問われない科学万能社会
(日本人の技術は優秀だという思い上がり)
posted by 老鶯 at 10:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連