2017年01月13日

新年の赤い月を写真に撮る (駅の日常風景がもどった)


新年の赤い月を写真に撮る

(駅の日常風景がもどった)

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夕日さし新年の月赤しかな

新年や外部の人と睦みあう


帰り来る娘を待ちぬ母のあり電車通りて新しき年

何か自然は兆候があるのかもしれない、写真に撮った赤い月もめずらしい
夕日さして赤くなった。月には見えないのである。
今年は月が良く見える、それは何なのか?


睦月(むつき)とは睦み合うということから来た言葉である。正月には人が睦み合う時なのである。正月にはもともとそういう気分があった。人が集まり睦み合う時なのである。
駅で話したのは青森の人だった。青森には仕事がないから来たという、警備の仕事なのか車の整理をしているみたいだ。
大間のマグロを食べてきたと言っていた。何かあまり話しにくい人がいる
その人もそうだったが話が通じないわけではなかった。
まずこの前は長崎の人が来たりと何かこの辺は全国的になる
大間のマグロを食べたというとき一番贅沢だったとは言った

電車が通り日常の風景がもどった。娘が帰ってくるのを母親が待っていた。
仙台から来たらしい、駅は迎えたり見送りしたりする場である。
それが人間的なのである。駅には何か人間的な温かさがある場所なのである。

駅にはこの辺では今いろいろな人が来ている、全国から来ている、それが前とは違っている、前は地元の人しかほとんどいない、地元でもこの前相農で花の栽培などを習う科に入る受験の中学生がいた。そんな科があるのかと興味をもった。自分は花に興味をもっているからだ。

最近はみんなスマホをしているから話しにくい、みんなうつむいてスマホを見ている光景を何か異常にもみえる。受験の中学生もタブレットの漫画を見ていたのである。
スマホは暇つぶしは一番いい、でもその時回りのことが無視される,そこで話することなどなくなる、地元の人と少しでも話すると何か得るものがある場合がある
それがなくなる、ただ旅ではスマホは便利だろう。交通のことがわからないからである。人に聞いても道すら良くわからない場合がある、スマホの方がわかるとなるし案内になる
でもそこでそこにいる生の人間と接しないことは何か大きなものが欠けてくることもある旅でもスマホばかりみていたら辺りのことが記憶に残らないだろう。
風景でも集中しないと記憶に残らないのである。それであとで失敗したとなる
デジタルカメラに撮ることに夢中で風景がかえって心に残らないことすら起きる
なぜなら人間が記憶することと機械が記憶することが違っているからだ。
機械に記憶できるものとできないものがあるからだ。
その場所の雰囲気はカメラで全部記憶できないのである。

ただ今回の月はなかなか見れないし写真にもとれないものだったことは確かである。
カメラは今は近くでも持ち歩かないといいものがとれない
近くでも日々変化しているからである。