トランプはなぜマスコミを嫌うのか
(マスコミを相手にすると偏向報道がされるから)
そもそも民主主義が発生したのはギリシャであり小さな都市国家である。そこでは直接民主主義だった。市民が直接投票して市を運営する人を選んだ、そういうふうに小さい都市国家だからその人がどういう人物かもわかる、その主張もわかる。
民主主義がもともとデモクラシーというときデモとは地域のことだったというときもそうである。小さな地域で行われていたのである。またそうでなければ成り立たないものだったのである。
それが今の国家規模になると民主主義が成り立ちにくい、そこでマスコミが第三の権力になったのである。
つまり直接民主主義が成り立たずマスコミ民主主義になったのである。
マスメデアというときまずメデアは
メディアとは、媒体、媒質、伝達手段、中間などの意味を持つ英単語。“medium”の複数形。
それはただ何かを情報を伝える媒体であり単なる機械だとなる、でもそれが現代で重要になったのは一億人に伝えるとなるともうそうしたメデアがなければ伝えることもできないのである。だから最初は新聞であり次にラジオが大きな力をもち次にテレビが大きな力をもつようになったのである。
国民の声を伝えるにもそうしたメデアをマスコミを通じなければできないのである。
そしてマスメデアをマスコミを通じてある人物でも事件でも何でも取り上げられれば一億人の国民に伝えられる、でも取り上げられなければ何も伝えられないとまでなったのが
今の民主主義なのである。
マスメデアがマスコミがなぜこれほど大きな力をもち社会に影響したことが民主主義を歪めたのである。
今日見たフジテレビのトクダネでは盛んにトランプを批判していた、なぜマスコミを拒否しているのかとかトランプはなぜツイッターでしか発言しないのかとか盛んに批判していた。ますあからさまに批判ありきなのである。あからさまにテレビ局の意向を出しているそこに客観的に見るメデアとして中間となどなっていないのである。
トランプが第一になぜツィッターでしか発言しないのか?、そんなことが許されるのかということで日本のマスコミもアメリカと同じようにそのことが一番の不満なのである。
それはマスコミ不用論にまでつながるからである。
インターネットが一般化してこれもできたことである。何千万のフォロアーが読んでいるということも驚きである。ただそれは一方的になるということでマスコミが批判した。ツイッターなどは自分もしていないのだからそういうことができるものなのか理解しにくいということはある。
それはでも直接的に国民に訴えることができるようになったからそうしている。
これまでは政治家でも直接訴えること伝えることがしにくいからそうなった。
マスコミに出るだけで有名になり当選した議員もかなりいた。第一東京都知事すらそうだった。石原慎太郎でもなぜあれだけ力をもったのか不思議だとなる、それはマスコミの力だったのである。マスコミでは批判できなくなっていたからである。
でも石原慎太郎を批判していた人は本も出しているしいたのである。
それは無視されていたのである。そういうことは常にマスコミ、マスメデアは民主主義では起きていたのである。
トランプがなぜアメリカのマスコミすら泡沫候補としてしか報道されなかった。
それがなぜ大統領までになったのか?それが外国になれば余計にそうなる
アメリカのマスコミがみんなヒラリー側につきそれに呼応して日本のマスコミもそのまま伝えているからそうなった。トランプってなんなのだとマスコミだけの情報から見ればそうなってしまう。
そういうことはマスコミ民主主義では常にあった。
原発の安全神話もまずマスコミに多額の宣伝費を払い批判をおさえる、それで地元の福島県の民報でも民友でも原発推進であり安全神話に組みしたのである。
福島県でもほとんど原発の危険を伝える報道がなかった。
ただプルサーマルとかで前の佐藤栄作知事が危険を問題にしていたことはあった。
でもそれは原発全体が危険だということではなかった、原発自体の危険性を伝えるものはほとんどなかったのである。
そういう批判は片隅に追いやられ冗談かとまでなる、それほど強固に安全神話は作られていたのである。
だからトランプがアメリカのマスコミに批判されるばかりだったからマスコミ不信になりインターネットのツイッターでしか発言しなくなった、マスコミに発言すればそれを取り上げてマスコミの偏向報道につながるからである。
マスコミはまずトランプはけしからんということからトランプは大統領になるべきではなかったいいう明確な主張がありそれで問いつめるからマスコミを通すと歪曲されたものとして国民に伝えられるからである。
つまりマスコミは単なるメデアではない、伝える媒体ではない、明確に主張をもって白黒を決めていて報道するのである。
ただそれがわかりにくい場合がある、それはNHKでも同じなのである。どうしても左翼的な報道をしているのがNHKである。
原発避難者のことでもとりあげたが最初から原発避難者側についた報道をしていた。
この辺の事情は複雑であるから変だなと思った、それは地元でないとわかりにくい面があった。
取材するにしても発言させるにしてもそういうふうにNHKでは原発避難者側について取材していた。だから津波被害者のことを考慮していなかったのである。
両方の言い分を言わせればいいが一方的に原発避難者のみの言い分を言わせていたのである。
マスコミは単なるメデアではない、その会社の主張をもったメデアなのである。
だから
マスコミは信用するな、まず疑へ、批判的に見ろ
それを可能にしているのがインターネットだともなる、ただインターネットにもいろいろ問題があるが対抗メデアとして出てきたことは変化であり民主主義にとってはいいとなるのである。
トヨタをトランプが批判したときもそれはトヨタでもメキシコに工場を作るより日本に工場を作り日本の利益を優先させるべきでありアメリカも外国に工場を作ってもアメリカの利益になっていないからそうなったという主張がある。
そういうことは別にグローバル化した経済の反省からでてきている。
だからフジテレビでなんでトヨタを批判するのだとか感情的になる
テレビは良く冷静に見られるメデアではない、感情的になり一方的に洗脳されるメデアなのである。
何かテレビ局に文句も言えないからである。それは新聞社でも同じである。
それを言ったとしてもまず批判的なことはマスコミでは取り上げないからである。
だから今はマスコミ自体が批判の対象になった。インターネットである程度できるからそうなったまでなのである。これまでのマスコミ支配が崩れることは民主主義にとっていいことなのである。