2017年01月07日

万葉集の意味が新たに問い直される (新年の大和の歌ー詩)


万葉集の意味が新たに問い直される

(新年の大和の歌ー詩)


新年の大和の歌

敷島の大和の国を我が歩み
代々の大君の陵居並び残りぬ
大君のここに眠るや
三輪山の神とし祈りて
手水場の水に手を清めつ
拍子打つ音の朝にひびけり
ここに大和の国は興りぬ
その地を我が踏みしめ歩みぬ
百伝ふ磐余の池や・・・・
皇子の悲嘆の歌はなほひびきけり
二上山秋の夕日の没りにつつ
その影濃くも映えにけるかも
あわれかな平城宮の跡は枯野かな
月のい出につ昔偲びぬ
ここより真野の草原はるかけきや
笠女郎の歌は残されけるかな
我はみちのくより来たりて想ふ
大和の国のここに成りしを
そのいしずえのここに築かれしを
蝦夷の恨みの深きを鎮める
大きなる鎮護の大仏錆びて静まる
敷島の大和の国はここに成りぬも
その前に藤原宮や飛鳥宮あれ
大和はなお成らじもあわれ
刈田の原に我はたたずむ
大和はここに興り栄えぬ
万葉の歌もこの地に興りぬ
千歳の磐の代々の天皇の国歌
朗々と大和の大地に空にひびきけり
その栄も天皇と共にありし日本
栄えある日本よ、その国人よ
万古なる大和の大地に根づき
新たな栄をさらに築かむ



六年甲戌きのえいぬ、海犬養宿禰岡麻呂の詔に応こたふる歌一首

御民みたみわれ生ける験(しるし)あり天地の栄ゆる時に遭へらく思へば(万6-996)


@
これから起ころうとする物事の前ぶれ。きざし。前兆。徴候。 「成功の−が見える」 「大雪は豊年の−」
A
霊験。御利益ごりやく。 「真実微妙の仏の不思議、−を見せしめ給へやと/浄瑠璃・用明天皇」
B
ききめ。効能。効果。 「薬の−を待ち居りぬ/浴泉記 喜美子」 「なべてならぬ法ども行はるれど、更にその−なし/方丈記」
C
甲斐かいのあること。 「 −無き物を思はずは一坏ひとつきの濁れる酒を飲むべくあるらし/万葉集 338」


験(しるし)にはこんな意味がある。前触れとかきざしとか前兆があるということは自然の中に古代の人は見ていた。大雪の豊年のしるしとなれば雪がふると豊年になるということである。
自然と一体化して生活していたから自ずと自然の中にその栄もあった。
つまり科学技術社会になるとすべてが科学技術でもって栄がもたらされると思うようになった。それが原発事故にもなった。
天地と共にあるとき人の栄もあるが科学技術とともにすべての栄はありえないのである。
万葉集の歌は日本の国の起こった土地と密接に結びついていた。国のまほろばとして奈良があった。そのアイディンティティはその土地と密接に結びついて形成されたのである。国家とは何かというとき一つは歴史国家と理念国家がある。
理念国家はその国の土地と切り離されて形成される、博愛、自由、平等のフランス革命は理念国家を目指したのである。それは国土から切り離された理念に基づく国家の形成である。それは国家を越える理想である。
一見それは人類の理想にも見えたが混乱をもたらして失敗した。それはグローバル経済にに発展した。世界が市場化した経済原理だけのグローバル化はそもそも無理であり失敗した。人間は経済だけに生きるものではないからである。
国がないユダヤ人が資本主義を作ったという説もうなづける、国土がないということが国土を無視したグローバル金融資本主義を作ったともなる

国土がないということはどうなるのか?何がアイディンティティになのか?
文化がそもそもculture-cultivate(耕す)の意味のとき土地と国土と密接に結びついていた。国家というとき最初の国家は国土をアイディンティティとして興った。
理念国家というとき社会主義もグローバルに展開していたから同じだったのである。
それは経済原理主義であり文化を否定するグローバル化だったのである。
またその国々の歴史も無視するグローバル化だった。そこに破綻するものが内在されていたのである。

国家というとき歴史がなければ国家もありえない、国家は千年とか二千年とか長い間に形成されたものである。日本の場合は皇国史観になるのは天皇を中心に国造りした歴史があるからである。
国を統一すくまとめることは容易ではない、それで天皇(すめろぎ)とは統(す)べるからきた言葉なのである。
この皇国史観はグローバル化になると外国と対立するものを生んだ、ナショナリズムの嵐が吹き荒れて第二次世界大戦になったのである。
文化的側面から考えればナショナリズムは国風文化の再興なのである。

万葉集がただ恋愛歌だとするときそれはいくらいい歌でも歴史的に意味をもたないのである。日本の大和が興った時に歌われた叙事詩的なものがあった。
それは日本の大地と山と深くアイディンティティ化した歌であったことに意味があった。それで万葉集が一つの原点となり受け継がれているのである。

ただ国家形成のとき必ず犠牲がある。蝦夷というのが大和王権に逆らった、その勢力はもともと日本の原住民もいて強大なものだったのである。
だから大和王権が確立するとき蝦夷が追いやられて犠牲にされた。その恨みが深いので奈良の大仏が鎮護として作られたのである。
つまり奈良の大仏をみるとき犠牲となり殺された蝦夷を思わねばならないのである。
そういうことは外国人だとわからないし意味がないとなる
ただ何でも価値とか意味は変わり新たに見いだされたり作られたりするのである。
でも基本的な日本の大地から生まれた価値は万葉集のように不壊なのである。

いづれにしろ自然があって自然と共に天地とともに民の栄もある。それを痛切に思い知らされたのがこの辺の原発事故だったのである。
確かにこの辺では原発によって恩恵をこうむっていた。それは天地とともに栄える恩恵ではなかったのである。だから故郷にすら住めなくなった悲劇になった。
そのアイディンティティ化した故郷に住めないということこそ最大の原発事故の悲劇だったのである。
だから避難したばあちゃんが故郷に帰りたい泣いているということがそれを物語っている金はいらないから故郷に帰りたいと言っているのである。

こういうことは日本がもし中国とかアメリカとかロシアの狭間で分断されたり本当にシリアのように国を追われたら起きてくる、そんなことありえないというがそれもわからない現実にはここでは故郷に住めなくなったからである。
だからこれから何が起きるかわからないのである。
だから日本は国力を充実させるべきである。でもその国力と軍事力なのか科学技術力なのかとなる、それはあったとしてもそれだけで国力の充実があるのか?
国をまとめる力、統べる力があるのかとなる、なぜならこの辺は原発事故でちりぢりばらばらになってしまったからである。
それは天地と共にある栄えを求めなかったからである。

国家もそうだが故郷というときも一つの国家なのである。故郷はやはり密接にその土地と自然と結びついてあるからだ。
でも東京とか大都市になると自然がないからそういうものは感じない、自然とのアイディンティティを形成できない、名古屋だったら今やトヨタの城下町であり自動車会社が国になってしまっている。この辺でも東電の会社員となっていたので同じだったのである。
事故前は気づかなかったが今になると市町村が東電の配下になり社員化されていたのである。それほど大きな会社だったのである。
グローバル化社会が多国籍企業化しているといき国土をアイディンティティ化した国家とは違う、国境のないグローバル経済社会になった。その時文化は消失した。
そもそも土地とか私的に所有できない、売買できないものとしてあった。それが資本主義ではあらゆるものが売買の対象となり自然破壊が世界的に多国籍企業で起きたのである。多国籍企業にとってその国の文化とか自然を無視するからであ。
ただ自社の製品を売れればいいとなってしまうからである。
多国籍企業の恐ろしさは軍需産業だったから戦争を起こしてまで武器を売ろうとしていることなのである。

いづれにしろ万葉集は国の基となる歌としてあった。ただこれを恋愛歌としてみれば価値がない、それは近代的な利己的なものとしてしか意味がなくなる
日本の国土と深くアイディンティティ化したものだから価値がある。
それは奈良だけではない、それぞれの土地でアイディンティティ化するものがある。
最上川となれば川がアイディンティティ化してそういう詩が生まれる
外国で大河があるからラインがドイツの父なる河というときと同じである。
自然とはどこでも聖なる宮居であり神殿なのである。
現代はアメリカのビジネスセンターとかウオール街とか株式市場が神殿になってしまったのである。それは異常な世界であり限界にきているから今世界が混乱しているのである。それは自然の理、天地の理に反しているから破綻する、そういう混乱と破綻が2017年以降に起きてくる、つまりグローバル市場経済が機能しなくなるのである。
そのあとに何か起きるのか、その兆候はイギリスのEU離脱とかアメリカのトランプ勝利とかで兆候が現れている、世界が激変化して再構築される時代である。
原発事故もその一つとして起こった。だからこれから混乱の時代であり痛みを受ける時代である。
ただ自分が書いてきたように原発事故で本当に価値あるもの大事なものが何か?
一匹の魚を軽んじるもの一粒の米を軽んじるものがいかに危険だったかということを具体的に知らしめられたのである。だから原発事故は世界への警告だったのである。

しきしまの 大和の国は 言霊の さきはふ国ぞ まさきくありこそ

ももづたふ磐余池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ

うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)とわが見む






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posted by 老鶯 at 12:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題