2017年01月25日

感謝の経済学 (感謝がなくなった社会には災いが起きる)


感謝の経済学


(感謝がなくなった社会には災いが起きる)


●感謝する人、感謝される人が多い社会→平和な幸福な社会

×感謝する人、感謝される人が少ない社会→不幸な地獄的な社会

今の社会は感謝する人、感謝される人が少ない社会である。だから不幸な社会となる
確かに豊かなのだけど働いても感謝されない、消費者が王様だとなっているのだから働いている人が金払う人に感謝しているのである。
これは逆なのかもしれない、感謝される人はその人は何か金でないとしても与えられるものがある、感謝されたことで幸福感が生れる、有為な人材としての誇りもいだける。
感謝された人は目に見えないが何か力が付与されたのである。感謝した人もやはり精神が浄化されるというか幸福になるものが付与される、そうなると自然からも他者からも災いが与えられないともなる

でもまたいくら心で感謝されても感謝の具体的なものとして金が払われるべきであり言葉などでの感謝はいらないと言う人もいる。
つまり現代の資本主義社会では金がすべてとなっているから感謝でも金に変えなければ何もならないということにもなる。
では一番金持ちの人が一番感謝されているかとなるとなっていない。むしろ恨みと妬みとかを受ける、株でもうけたような人はギャンブルでもうけた人のように見られている
大富豪に感謝している人がいるのか?それは労働した人からその果実を奪い取った人のように見られる、だからその金も人も呪われているとなる
それはいつかカルマとなり結果として現れる、不幸なことが災いがその人や家族でも回りにも起きてくるのである。

感謝などどうでもいい、金さえ得ればそれでいいというのが現代の資本主義社会である。そのことが本当は怖いことになる、危険なことになっていたのだ
この辺で起きた津波や原発事故がなぜ起きたのかというとき現代社会のそうした感謝しない社会から起きてきたと書いた。
一匹の魚でも一粒の米にでも感謝しないことが危険だったのである。
一匹の魚の恩恵より原発を建てた東電から補償金として金をもらうことだと漁業者はなっていた。
結果的には何が起きたのか、港は壊滅して魚も食べられなくなった、それがすべて原因とは言えないけど関連性がある、津波で壊滅した港がある所が壊滅したというとき本当に恐ろしいものを感じた、それが自然の罰なのかどうかはわからない、でも今はどこでも漁業者でも農業でも社会全体が一匹の魚の恵みとか一粒の米の恵みとかに感謝していない
それを捕り作る人も金にならない金にならないとなげくだけである。
すると結果としてどうなるのか?原発の方が金になるとなって積極的に住民が誘致したのである。

もちろん時代だと言えば時代である。米がありあまる時代、減反などあるから米一粒を大事にする社会とは違う、米余りで困っている時代である。
だから米とか野菜を作る農民に感謝する心がなくなっていこともいえるし漁師でも農民でもその人たち自体が金にならないと軽んじるようになった。
それは社会全部がそういう傾向になっていたのである。
魚とか米でも野菜でもそれは自然が与えるものである、食料に感謝するということはそれを作って与えてくれた神に感謝することなのである。
感謝の基本はそこにあることを現代は工業社会とかなり忘れていた。
文明こそが富を与える、原発が富を与えるとなれば漁業とか農業は軽んじられる
すると自然に天に感謝しなくなるのである。
むしろそうなると原発から電気を作り出す科学者などに感謝する、まるで神のように科学者が今なっているように科学者こそ富を作り出すものとなって崇められるのである。
科学にはそういうところがあるからだ。科学によって寿命は伸び死ななくなとまで思う人さえ出てくる。それは科学が信仰までなっているということである

グローバル経済とか現代の社会には相当な矛盾がありそこに人間的なものを逸脱している誰も地球の裏側から来る果物でもそれをとった人、育てた人になどに感謝しないのである感謝しようもないのである。
グローバル経済が世界的にいいもののように見えたが天の利とか地の利とか人の和を壊すものとして認識されるようになった。それでナショナリズムが起きてくる。
ナショナリズムはその土地にアイディンティティを見いだすものであり基本とするからである。だから食料でも自給自足を目指すことになる、それが利にかなったことにあるからである。その土地でとれたものに食べて感謝することは理にかなっているのである。

経済学というのは広い範囲にわたるものである。

道徳なき経済は罪悪であり、

経済なき道徳は寝言である

二宮尊徳がこう言うとき、道徳無きとは感謝がないということである。感謝がない経済は罪悪になる、でも反面、経済無きというときそれは今なら金にならないとしたらそれは寝言だとなる、空論になってしまうということである。

そのことは感謝しただけでは労働した人は喜ばないし生活も成り立たないからである。
でも逆に感謝がない労働のみになっている現代は道徳無き経済であり罪悪であるとなっている、この二つが調和することが社会にとって必要だとなる。
現代は感謝もない道徳なき経済にかたよりすぎているのである。
その基本に二宮尊徳の天地に感謝して労働する、勤めるということがなくなったことなのである。
ただこれはあくまでも江戸時代から農民が社会の大半のときに生れた思想なのである。
今はまるで違った社会である。工業商業社会でありその中で道徳がない、それでも商業にも商業のモラルがある。契約でありルールである、工業でもやはり壊れないものが作ることで信頼を得るとかある。日本製品はそれで信頼を得て売れているともなる。
ただ一般的に道徳なき経済になったのである。
でも基本的には天地に感謝して労働する人に感謝するということで調和の平和な世界になる、その基本が欠けてしまったことに道徳無き経済となった。
ただ二宮尊徳の思想を今に適用することはむずかしい、常に過去は新たなものとして適用されてゆくからである。

とにかくグローバル経済はそうした道徳を無視して金だけの世界にする社会だったのである。
そこでマネーゲームとか行われ労働の成果の富が極一部の者に収奪されたのである。
だから世界の人がそういう人たちに誰も感謝しないのである。
それが恨みとなってかえって極一部の富者に向けられるいる、だから富者もまた感謝されないということで危険な状態にあるのだ。
いつ金をもっていても襲われるかもしれないという危険になっているのだ。
極端な格差社会は常に波瀾含みでありいつ暴動が起きるかもしれないし犯罪も起きやすい社会だとなる。そういう社会では金持ちも安穏とはしていられないのである。
たから富者にしても貧乏な者にとっても不幸な社会なのである。平和もない社会なのである。

posted by 老鶯 at 10:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2017年01月26日

土とることで景観破壊 (ローソンの人も気にしていた)


土とることで景観破壊

(ローソンの人も気にしていた)

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鹿島のローソン


あそこは別に誰も気にしていなと思ったけどローソンに勤めている人が気にしていた。
古墳が発見されたとかで何かある、それは教育委員会に聞いたら確かに古墳らしきものが発見されたと言っていた。まだ発掘調査はしない
鹿島区では海老の方の山にも古墳がありあの辺は高台だから昔から人が住んでいたとなる鹿島で古墳が一番多いのは小池である。そこも高台なのである。
古墳は鹿島では低い場所には少ない、横手古墳群は別である。
低い場所は湿地帯であり人が住めなかったからである。

海老の津波の跡でも発掘があり弥生時代の住居跡があり鎌倉時代のもあったという。
それは瓦が発見されたからわかった。鎌倉時代に瓦を使っているということは裕福な家であり館かもしれない、あそこには弥生時代から人が住んでいたとうことは重要である。

それで海老はエヒであり蝦夷がエミシが住んだ場所として前に書いたのである。
浜通りにはエとつち地名がつづいてある、それは単なる偶然ではない、エゾ(えぞ)とエヒと関係しているのである。

ともかく人間は景観には無頓着のところがある。それは景観というのは金にならないからである。あそこで土をとれば金になる、売れば金になるが景観を維持しても誰も金をくれるわけではないからだ。だから容易に景観は破壊されやすいのである。
ただあそこを気にしていたのは自分くらいかと思ったらローソンに勤めていた人は毎日来ているから気にしていたのである。

別にローソンに行かなければ気にしないだろう。ローソンにはカフィラティがうまいので毎日のように自分は行っているから気になったのである。
あの土むきだしのを見ると嫌なのである。
この辺では工事で土を取り出す場所が多く景観が破壊されている
でも隠れたところにあるとあまり気にしないがあそこは丸見えであり毎日のように行っていると気になるのである。

景観は利益にならなくても心にかなり影響する、毎日そこに住んでいると余計に影響するなぜなら旅しているなら通りすぎるだけだが住んでいると毎日見るようるなるからだ。
そうなると嫌だとなり心に影響するのである。
でもあれもあのように土むきだしになってはじめて感じたのである。
その前はただ木におおわれていればそれは当たり前でありそれをいいものとして認識していないのである。

ともかくこの辺では津波でも原発事故でも景観が破壊されてしまった。その影響も大きかったのである。


タグ:景観破壊

冬深む短歌十首



冬深む短歌十首

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深々と眠れる山やさわりなく起さずあれやみちのくに住む
故郷の山は眠りぬ責められず我が苦しみは今は去りにき
末永くここにあれや松と菊新年なれや我が家調ふ
我が家を留守にしあれば三色の菊の花映え部屋に和しにき
我が家に石の二つや今はしも争うことなく冷えにけるかな
争いもなきも淋しかしんしんと冬の夜冷えて一人なるかな
寒き日も並び立ちにし樹々なりし今日も通りて日も暮れにけり
猫一匹石にのりつつ我が家になれにしものや冬深まりぬ
一軒の仮設の食堂閉じにけり年なりにしと残り惜しかも
飯館に久しく行かじ古き家何か語らむ冬深まりぬ

眠る山とか山眠るは俳句の季語である。でも俳句は短くて表現できない、だから俳句の季語は活きていて短歌にもなる、俳句はやはり文芸としての限界を自分は感じる
短歌はまだ表現するものがある。

この歌に今の自分の心境が表現されている。これまで苦しんできたことや家族がみんな死んだことなどがありこうないっている、争いがあった家族でも今は全くないというのも不思議である。
今は自分を苦しめるものはない、そしてなぜあんなに苦しめられたのか不可解だともなるどんな苦しみもすぎる、すぎてふりかえると苦しみはない、ただ夢の中でうなされることがある。戦争に行った人などはあとあとまで後遺症が残る、夢でうなされるのである。

でも苦しみも過ぎ去ってしまえばそんなことがあったのかともなる、苦しんでいるときそうはならない、自分は自分自身も他者かも責められつづけていたからである。
何か重しをのせられたような、そして一つの石ではない、さらに石が加えれた責め苦だったのである。
何か苦しいときは不幸なときは悪いことが重なりやすいのである。
一つの石をもたされるだけではない、二つ三つとのせられる責め苦なのである。

山眠るというときそれは平和な時なのである。平和でなかったら眠っていられないからである。
飯館村は山の向こうでありここは雪が降らなくても降っている、寒い標高の高い山であるでもここからだと山の向こう側として意識されるのである。
川俣とかなるともう一つ山を越えるからなかなか意識されにくいのである。
だから空間的なものでつながるのはそんなに広い範囲ではない、20キロ四方くらいかもしれない、そんな広い範囲では空間に一体感は感じられない

猫が一匹飼っているというかいついたとかなるがこの猫も自分にとっては面倒なのであるただ自分は性格的には猫なのである。石の上にじっと座っている猫なのである。

あつみ食堂は明日で終わりである。あそこで一食野菜を食べているとまにあっていた。
必ずケンチン汁を出していたからである。
それがなくなると昼間で食事を用意するのがめんどうなのである。
時間と手間がとられるから困るのである。

ともかく家の中を母が死んでから整理しやすくなった,なんとか整理して身軽にしなければならない、自分も年だから家が重荷になってくるからである。

タグ:冬深し

2017年01月27日

逃れられないカルマの怖さ (事業失敗のカルマを受けた自分)


逃れられないカルマの怖さ

(事業失敗のカルマを受けた自分)


カルマというときそもそもアダムの原罪というカルマがありプロメテウスがゼウスから火を盗んで過酷な刑罰を受けたなど人類的なものとしてあった。
だから今でもそういうカルマは継続していて解消しないのである。

●個々人のカルマ
●家族のカルマ
●地域のカルマ
●国のカルマ
●人類のカルマ

普通カルマというとき個々人もあるが家族のカルマ、家のカルマを一番意識しやすいかもしれない、家にはどんな家でもプラスの面とマイナスの面がある。
そういうカルマを業をもったものがカルマである。
人間個人にしてもみんなカルマを業をもっている、それから逃れられないのである。
つまり人間は罪を犯すものとしてあり罪を犯さず生きることはできない
なぜなら殺傷を禁止するといっても動物を食べることはやはり業となっている
動物を犠牲にして人間は生きているのである。そういうところから仏教は生れてきた。

カルマというときそれぞれの家がもっているカルマがあることはまちがいない、それで昔は結婚というとき家といえの結婚だったのである。
家柄がいいとかその家がどんな家かで親が結婚を決めていたのである。
それが意外とかえって離婚が少ないし互いに幸福だったということもある。
ただ女性だけでは生活できないとか今とは違っているから一概には言えない
問題は昔から伝統的なものには何かしら意味があり価値があり継続されてきたのであるそこには必ずいい面があり何かを守るものとしてあった。

家同士の結婚が古いとかなるときでは恋愛結婚になったときみんなうまくいっているかとなると離婚が増えた、三分の一は離婚しているのである。
恋愛結婚がいいようでもこれもうまくいっていないことでわかる。
家のカルマの怖さはなかなかわかりにくい、でも結婚の怖さは必ずその家のカルマを受けざるを得ないことなのである。それは親戚にも及ぶから怖いのである。家風というものもあり悪い家風もありそれに染まるのである。
そして長男と長女はその家のカルマを一身に受け継ぐ、そのカルマから逃れられないから怖いのである。

自分の家もいい面と悪い面のカルマを受け継いでいた。
それは事業失敗のカルマである。父親でも親戚といってもそれほどでもない、兄弟関係というものでもない、でもやはりそのカルマの影響があった。
二つの家が事業に失敗したということはあまりないだろう。今でもそこは更地になっている。事業で失敗して家は売られたのである。
もう一軒これまで書いてきたが自分に最も影響した。そのカルマを身をもって受けた。
自分が苦しいときその人も事業に失敗して借金をかかえていた。
そういう人が来たことで最悪のときに自分が苦しいときに関係した、それで自分はそのために恐怖を味わった。

自分もそういうカルマを受けざるを得ない家系としてあったのかとなる
母方でも父親が機織りの事業を失敗して一家離散になった。
ただ事業失敗というときそれは20人に一人しか成功していないというとき珍しくはない
だからなんらかそういうことで回りにも影響してくる
連帯保証人で苦しみ自殺した人とかめずらしくないとかある。
だからこの事業失敗はめずらいことではないのかもしれない、それにしても自分の家の関係は事業失敗が多い、自分の父親自体が酒屋に勤めてその酒屋が倒産してもめたのであるこれほど事業失敗が家の関係にあることは自分もそのカルマを受けざる得なかったのかとなる

いづれにしろカルマは逃れられない、そのカルマを誰かに肩代わりもできない、長男、長女が一番受ける、もし肩代わりして誰かにそのカルマ肩代わりさせようとするとかえってカルマが重くなる。カルマは他人に責任転嫁できないのである。
借金とそれはにていたのである。借金もカルマを作ったことなのである。
その借金の肩代わりをしようとすることはできない、自分でその家族で負うほか払う他ないとなる
自分はこの十年で家族のカルマを負い清算したように思う、ただまだカルマが残っていることはある。
結婚の怖さは必ず結婚相手のカルマを背負うことになることにある。
それは60以降とかにそういうカルマが現れて苦しむことがあるのだ。
60以降は個人的にも家族的にもカルマの清算を強いられるからである。

カルマは地域的なものでも起きてくる、現実にこの辺では津波や原発事故でカルマを作ったからである。もともと津波でもこの辺では400年前に起きていたのである。
そのカルマが今になって現れたのである。だから地域的カルマとして津波のことをもっと知るべきだったのである。
地域的カルマというときとこに地の利がありいい面と悪い面に働く、雪国が嫌だなと思うときでもキャベツが雪の下であまくなるということがありいい面としても働いていたのである。青森では寒くてもリンゴがうまいとかいい面として働くから地域にもカルマがある
ともかくカルマの怖さは人類的なものとしてあり人間は生れたときみんなカルマを背負うことになる。そしてまた人間は新たなカルマを作るのである。

この辺では原発事故でプルトニウムが二万年も消えないというカルマを背負った。
カルマの恐ろしさがここにあった。子孫はそのカルマを背負わされたのである。
それは地域的だけではなく日本自体のカルマともなっていたのである。
20兆円も廃炉作業に税金がかかるということでもわかる。
そのカルマは簡単には消えないから怖いのである。
タグ:カルマ

ミネルバ大学 インターネットでグローバルに創造的に学ぶ


ミネルバ大学

インターネットでグローバルに創造的に学ぶ

今日アクセス解析でコロンビア大学から来ていた。抽象画ではない、テキストの部、郷土史関係を読んでいるみたいだ、でも日本語だから英語に翻訳しているのか?機械翻訳して読んでいるのか?

抽象画が定期的に見ている、アメリカ人がいる。一定数いるしときたまいろんな国からくるのは抽象画を見るためだろう。なぜなら抽象画は言葉の壁がないからである。

今日は後は広島大学からもきていた、前のホームページでは中華大学からも来ていた。
ハーバード大学から研究者が来たようにこの辺は原発事故や津波で世界の関心が集まったこともある。

前のホームページも20年前とかからはじめたが未だに読まれている、そこは更新していない、プログにリンクをはったのでそこから来ていることがわかる

時間ができたのでなんとか整理分類することなのだがこれが手間なのである。

ミネルバ大学のモットーは

Thinking Critically(クリティカル思考力)
Thinking Creatively(クリエティブ思考力)
Communicating Effectively(プレゼンテーション能力)
Interact Effectively(対人コミュニケーション能力)

とかある。NHKの放送ではハーバード大学よりここを選んだというのはそれだけインターネットの影響力が現れてきたことである。
先生が一人で教室で生徒に一方的に授業する形式は古くなったのかもしれない
自分は学校が嫌いだったし学校にいるとき学問にも興味をもったことがない、ただ試験の点数だけを気にしていた、気にさせられていたのである。
学校は自ら考えることをさせない場所なのである。
何でも自分で考えるということが自立する道である。
学校は自ら考えること、創造することが否定されている場所なのである。
ただ教育というときあまりにも今は多様だからとても理想的な教育はありえない
それでもインターネットができたことは知識でも拡大した、自ら学べる独学の場を提供したのである。

このミネルバ大学に入るには英語力ないと入れない、グローバルになるにはどうしても英語力が必要だとなる。機械翻訳も進歩したから多少補えるとしても選考に英語力をみられるから簡単には入れないとなる
テクニカルなものがインターネットとかで飛躍的に発展した。
それでもまたインターネットが学びの場としてあってもこれを有効に利用することはかなりむずかしい。グローバルだとしても英語力がまたは言葉の壁がある。

ただ思うに人間の能力は簡単には決められない、生まれつきでもない、それを証明したのが自分でも意外だと思っている抽象画をソフトで変化させて作ることだったのである。
なぜなら自分は全く絵の才能がないのに抽象画を描いているという不思議なのである。
これはまさにインターネットがあったからこそでありただそれは創造というよりテクニカルなものから生れたものである。
芸術というとき普通はテクニカルなものがあるとしても何らか創造力がある絵のの才能があるとなってはじまっている
でもインターネットの抽象画は全くテクニカルなものとしての芸術だったのである。
もちろんそんなもの芸術でもないといえばそれまでだが絵画的なものを楽しんでいるということは確かなのである。

創造的能力というときそれは学校教育の一方的おしつけからは生れない、常に自ら考える、創造的になるという雰囲気とか作業をしてゆくことから生れる
educationがeducate(引き出す)となっているようにである。
能力は引き出さない限り生れないのである。天才は別として普通の人はそうである。
だから能力を引き出すものとしてインターネットがありソフトがあったとなる
抽象画が想像力よりテクニカルなものソフトを使いこなすことが創造することになる
そのソフトを使いこなすことがかえってむずかしいのである。
ペイントショップなどは本当にどこかの機関で習わないと会得できない、ソフトを使いこなせないのである。それはソフト全般に言えるし機械でも使いこなせないということが問題になる。

人間は生まれつきの能力ですべてが決まらない、環境因子も大きく働く
自分は俳句でも短歌でも最初はただ五七五とか言葉を並べているにすぎなかった。
だから自分は能力がないと見られていたのである。それも当然だったとなる
若いときはどんな優秀な師がいたとしてもその人が将来どうなるかは見抜けないのである
それは自分ながら不思議なのは最近啄木調の短歌を膨大に作っている、次々に苦労しなくても作れるのである。啄木は天才だから作れた、でもこの年になって自分は同じように作れているから才能の開花は老人になってからもありうるのである。
長寿の時代になるとかえって老人になって様々な才能が開花することもありうる
高齢化社会は負の部分もあるがプラスの面もある。
それは人間の才能を伸ばす時間が増えたということなのだ。

ともかく人間は学ぶのに時間がかかりすぎるのである。学ぶことはきりなくあるからだ。そのうち時間切れになり何もできなくなるのである。
自分の場合は能力というより環境因子が大きく働いた。
会社にも勤めないし三〇年間自由に過ごしたからである。
その間に旅したとしてもそれは勉強でもあり自分の能力を伸ばすことができたともなる

技術というのは人間を変える、社会を変える、ARTとはそもそも技術の意味だからである
一方で原発事故のように社会に甚大な影響も与える
技術にも負の部分とプラスの部分がある、教育に関してはプラスの部分が大きい
ただインターネットで人間のコミニケーションができるかとなると疑問になる
直接会って話すこととは違うだろう。それでも人間は会える人は少ない
自分など孤立しているから学問的なこととか芸術的なことなど話す人など近くに一人もいない、インターネット上で毎日読んでいるプロクとかはあり直接あわなくてもそれで得るものはある。
それでもインターネットを利用すること自体、テクニカルにはできてもその内容を理解するとなるとむずかしいとなる。
ただテクニカルな面はこれからもどんどん発達してゆき追いつけなくなる
若い人はテクニカルな面は進んでも内容を理解する能力となると簡単には身につかないのである。

ミネルバ大学のようなものはすでにインターネットができたときイメージされていた。
別にミネルバ大学でなくてもインターネットを利用すれば居ながらにして学べるということがあったからである。
これからの時代はやはり創造力があるかないかでその価値が決まる傾向が強くなる、単純なものはAI化されロボットが肩代わりする、すると残されたのは人間の創造力なのであるそこに価値が生れる、でも学校教育ではそういう創造的教育が成されていなかったのである。
でもこれからはそうした教育で創造的人間が生れ安くなるのかもしれない
それも不明だが優秀な人がミネルバ大学を選ぶということはやはりそういう傾向になっている。

今日の鹿島駅


今日の鹿島駅

乗車証明書が必要でもわからない無人駅

今日は川崎から来た人が「香の蔵」に行きたい、タクシー呼びたいと言って聞いてきた、おややげを買いたいと言っていた。
あそこはお土産にはいいものを売っている、地元の菅野漬け物店で実際に漬け物を作っているからである。そこに長年勤めていた女性を知っている
その人には世話になったけど死んだ、菅野漬け物店はこの辺では有名である。

ここで気づくことはお土産でも買いたいとなっても駅では買えないことなのである。
六号線まで出ていかないと買えない、車で来たならいいが電車で来るとそうはいかないのである。だからタクシーを呼んで買いに行った。

もう一人は新地の人であり最終の電車の時間をいつかと聞いてきた。
それで一〇時何分だとか教えた、無人駅でありなかなかわかりにくいところがまだある。なぜ新地の人がというと新地までも仙台まで電車が開通したからである。

すぐ駅前の「車輪梅」とかで飲み会があるらしい、それで最終の電車を知りたかった
そこから駅はすぐ近くであり帰るには便利である。高架橋をわたる必要もない
新地との交流も電車の開通で再開されたともなる

鹿島駅は無人駅になったけどやはりまだその利用方法が知らない人が多い
それで自分はときたま気晴らしに行って教えたり案内している
地元の人でもまだ利用になれていないのである。
だから案内人が必要なのだと思った。

たいがい乗車証明書をここで押してとってから乗りあとでそれを見せて金を払うですよと教えている、そのことがまだ知らないのである。
そしてそんなことを教えてもたいがいありがとうと言っている
こんなことでもありがとうというのかと思ってそのことを前にも書いた
言わなかったのは本当に少ない、若い人が一人言わなかったのはだから目立ったのである
自分もありがとうとあまり言わない、自分は社会と隔離したような生活を三〇年くらいしていたから何か社会常識がなかったのである。
ただここ十年介護とか自分の病気で苦しみ社会とかかわり社会常識が備わったともなる
たいだい普通はありがとうとささいなことでもいうのが普通なのかとなる
すみませんとはいつも自分は言っていたがありがとうとはあまり言わない、そこが社会常識がないということだったのである。
感謝の経済学などとだから自分には言えないところがあったのである。
それは経験してきたから書いたのである。

ともかく人にありがとうと言われことは悪い気持ちはしない、こんなささいなことでありがとうと言われのかということも再認識した。
二年間くらい食事を出してくれた仮設の食堂だったらていねいに今日はありがとう、ごくろうさんでしたと礼をするのは当然だが駅でちょっと案内してありがとうというのは意外だったともなる

どうもたとえ社会的に認められた生活をしてきた人でもその人は資格があり機械とかに詳しく仕事ができてもなんかそうした社会常識がない人だったようにも思う。
そういう人がよく会社を経営できたのかと思う、経営と機械いじりとか理系の研究だけの生活とかは違うからである。あの人も社会常識がなかったのかとも思う

要するに社会的に仕事をしないことは何か欠けてくることはまちがいない、自分はそういう点で欠けていたのである。
考えてみると普通の生活では人間は常にありがとうという立場にある。
医者とか看護師をのぞいてありがとうと言う立場にある。ありがとうと言われる立場の人は少ないと思う、もしそういうふうにありがとうとばかり言われる立場にいると人にそんなささいなことでありがとうとは言わないだろう。
自分の接した人は普通に生活している人だからなのかもしれないとなる

駅では人の流れがありそれで人がどう動いているのかを実際に見ているのも面白いとなる暇になったから気晴らしに駅に毎日行ってそうしているのである。
でもそこには無人駅になってなんらかの用が生れていたことを知ったのである。
あそこには無人では困ることもある、人が必要なのだと思った。

タグ:鹿島駅

冬深む短歌十首(故郷の駅に昔を回想する)


冬深む短歌十首(故郷の駅に昔を回想する)


この町の漬け物会社に働ける女の死にしも駅にし思いぬ

正直に生きて我が町眠る人目たたず生きてあわれなるかも

残りける去年の落葉やあわれかな故郷に住み死ぬ人思ふ

名もしれず働き死にぬその人を誰か思ふや冬深まりぬ

故郷の墓に眠れる人知れや我が参りつつ冬深まりぬ

我が町の駅におりたち淋しかも迎える人もなくなりにけり

この駅の八重桜の樹切られけりその根残りて冬の日暮れぬ

冬の夜に何を思ふや近くあれこの町に暮らす一人なるかな

家無きに墓のみ残る母方の実家を思ふ何か淋しき

人は会い別れて淋し駅にあり枯れし芒や電車すぎゆく


つづきとして川崎から来た女性が香の蔵で土産を買うとタクシーを呼んだ。
その時思いだしたのが菅野漬け物店で働いていた女性である。
それはかなり長く働いていたと思う、それが何か奇妙だけど思い出したのである。
その女性は農家でありもともと農業していた。それで便所から肥料としてくみ取りをしていた。それは農家ではしていたことだが何かそういうことはなかなかしたくないだろう。水洗式になったのはそのあとである、水道も子供の時はなかった。
水洗式になるのは結構遅かったと思う。

そういう時代があったのもこれだけ便利なれば忘れるし経験していないから実感がないとなる
ただ何かそういうなんでもない普通の人を思い出しているのも不思議である。
そういう人もこの町に生きて働いていたのだと思い出す
それで香の蔵でそうして働いていた女性がいて漬け物を買ってゆくんだと思った。
その女性はまず嘘をついたことがない、真面目そのものの正直な人だったのである。
今はあういう女性はいない、やはり大正生まれだったかもしれない

何か目立たない、ありふれたことでもその町を市を支えているということはあった。
それは電車が通じなくなり通じたときわかったようにわからないのである。
ただ自分はみそ漬けは食べない、塩分が多いから食べたくないのである。
でも料理には欠かせないものである。外食だとそうしたものがバランス良く出しているのでそういうものが必要だとわかった。

いづれにしろ何気ないことでも感じる、感傷的になる、それは年のせいだともなる
こういう歌は啄木調なのである。死ぬ前に何気ないことに愛着して歌にしたからである。自分もそういうふうに死が近いからこうして何気ないものにも愛着を感じるようになる。若いときはこんなふうに感じないからである。
当たり前のことに何も感じないのである。

墓でも死んだ人でもやはり町の中に眠っていてなお家族とともにあり町にあるのかもしれない、生きた人があるとするから墓参りするからあるのかもしれない
母方の実家の墓は墓しかない、家はなくなったから墓しか残っていないのである。
それも淋しいとなる、やはりなおすこに住みつづける人がいて墓も生きるとなるからだ。ただ現代は墓だけが残されていて遠くからお参りする人も多い
この辺は仙台から来る人が多い、いづれはその墓も消えてしまうだろう。

ともかく死者も以前として町の市の構成員としてありつづけるのかもしれない、だから死んだ人を回顧するのである。
つまり香の蔵というときここに書いたようにそのみそ漬けでも一つの物語として味わえば違ったものとなる
ただお土産を買うのではない、物があり語りがあるときその物も味わい深いものとなる
ただこれは今の世の中では無理である。外国から来た物でも遠くから来たものはそうした物語を読み取ることは不可能だからである。
物とこうした物語は分離している、そのことが豊かなのだけど人間の経済になっていないのである。






タグ:故郷の駅

2017年01月28日

平戸の春の短歌十首


平戸の春の短歌十首

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平戸なる海の世界通じけり春の日明るくみちのくゆ来ぬ

平戸なる入江の深く桜咲き真昼明るく海に映えにき

平戸なる入江の深くアンジンの墓こにありにき

城ありて教会に寺交じりつつ平戸に春の潮流れぬ

和蘭の船の来ると遠き日やその跡しるし春の日くれぬ

春の日や平戸の海は世界へと結びつながる夢ならじかも

みちのくゆ春の日たずぬ平戸かなその海の気を運ぶゆかむかな

平戸なる海の思い出鮮やかに蘇るかな春のめぐりて

キリシタン隠れて眠るその島に祈り聞こえむ春の日くれぬ

海に向き十字架の墓平戸かなたずねてあわれ春の夕ぐれ



平戸の海に出たときのことは忘れられない、それは20代くらいだったのか若かった
それを今思い出すのも不思議である。
その海の感覚がみちのくの海の感覚とはまるで違っていたのである。
太平洋を見ていてもそこは荒寥としている、向こうにアメリカがあくとしてもあまりにも遠いし大陸があくとはイメージすらできないものである。ただ海だけが広がっているのだ
平戸に来たときの海はそれは入江であり島の間にしろ太平洋とはまるで違った感覚になるその海は陸に近いし船が行き来する古くから船の往来があった海なのである。
そういう海はただ自然の海ではない、人間的な海になっているのだ。

だからオランダの船が来てイギリスの船が来て三浦アンジンがここで死んで墓がある。
九州の海は外国と関係している、通じる海なのである。
みちのくの海は外国との交流がないし国内的にすら海が航海に適していないのであったとしも今でも感じられないのである。
むしろ津波が来たように荒寥としたものとしてさらに感じる海になった。
津波の跡に壊滅した港の村を見たら海は非情にも吠えていたとなる

瀬戸内海とか九州の海はみんな外国と通じているということで東北の太平洋とはまくで違った感覚をもつのである。
山にしてもインカ帝国があった山とカナダの山が違っているというときそれは歴史がそうさせているのである。古くから人が住んでいる山とカナダのように移民が住んだ所で感じる山は違っているのである。

例えばこの辺でも駅に八重桜が咲いていた、その影で自分は電車を待っていた。その木は人間化している木になる。それが普通の原始林の木とは違う人間化した木なのである。
だから原発事故で避難して人がいなくなったところち取り残された木が人間のように見えたのである。

日本は海に囲まれていても海の感覚は違っている、それは歴史があり人間の交流が外国とあったのとないのでは相当に違ったものとなる
平戸でも地図を見ると韓国に近いし済州島にも近いのである。
だから済州島の漢拏山(ハルラサン)を見たときこれは日本ともつながっていると感じたのである。韓国は地理的一体感を感じるのである。

九州でも地図を見ると平戸は伊万里にも近い、伊万里から有田焼がオランダにも輸出された。それで伊万里焼きになっている。地理を見るときやはり全体的に広視野で見ないと地理もわからない、名護屋城もありあの辺を旅したからふりかえる

いづれにしろこうして韓国であれ中国であれその海は外国に通じている、オランダとかイギリスは遠いけどやはり海を介して通じているとなる。
自分が行ったとき春だった、桜が満開だった、あそこは春にふさわしいとなる
今でも旅の記憶が蘇りそれを短歌とか詩にしている
それが膨大になっているのだ。外国もありそれを思い出して詩につづる
冬の寒い日は家に閉じこもり回想するのが向いているのだ。
石油ストーブでもあたたまるとイマジネーションが刺激されるのである。
老人は何か駅のことでも書いたが思い出に生きるようになるのである。
だから豊富な思い出をもっていると老人の生も豊かなものになる
旅だけではない何か思い出をかみしめるというか思い出が宝となるのである。

2017年01月29日

冬薔薇と石(写真の加工)


冬薔薇と石(写真の加工)


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一輪の石に刻める冬薔薇


冬に咲いたのは今年はあたたかいときもあったからだという、何かあったかくなったり急に寒くなったりと去年から今年もつづいている
今日はそれほど寒くはないが寒いときがあった。

冬薔薇と石はにあっている、ソフトで写真を加工すると一つのまた違ったアートとなる
何か自分は抽象画をソフトで作っているがこういうことがもともと好きだったのである。それがたまたまパソコンが生れソフトが生れて開花したともなる

字のデザインでもパソコンが出る前にもしていたからである。デザインが好きだということである。ただ絵は全く描けないのでパソコンのソフトでできるようになった。
建築でも自分は興味があった。でもこれは数学とかグラフとか関係してくると苦手になる
でもなんか自分はもっと数学でも興味をもてたかもしれない、それがじっくり学べない自分なりに学べないので興味を失った。
ただこれは才能が関係しているから時分には無理だったろう。

ただ人間の才能は開発能力が相当に関係している、自分でも開発していかないと才能があってももちくされるになる。
学問だってそうでありこれも自らの開発能力なのである。
現代の学校教育はこういう点では欠けている、遊びの要素がほとんどないからである。

タグ:冬薔薇

大内村ではなぜ人口の半分が帰還しているのか? (老人がもともと多く帰ったから?)

大内村ではなぜ人口の半分が帰還しているのか?


(老人がもともと多く帰ったから?)


大内村の人口3,038人

現在の避難者数

平成28年8月1日現在

920人 内訳… 県内734人、県外186人

郵便物の送付先を自宅住所にした方を帰還者とした人口:1,830/2,750(66.5%)(平成28年8月1日現在)

現在の帰還者数

平成28年8月1日現在

778世帯 1,830人

○川内村住基人口 2,756人(1,248世帯)
・65歳以上 1,062人
・高齢者率 38.53%
○村内生活者 1,779人(748世帯)
・65歳以上 717人
・高齢者率 40.30% ・生活者率 64.6%

大内村の復興の方針

@ 村に住み続ける誇りや意義をどう取り戻していくか
A 補償させることは重要だが、それ以上に生きる意欲や
目標を見失わないこと
B 短期的・集中的に投資
C 「戻る」「戻らない」の対立構図を生み出さない
 (二極化が鮮明)
D 戻るための新たな制度設計の必要性
 避難者のモラルだけでは解決できない
E 帰還に関わらず生活再建(バリエーションを認める)
F 新しい村づくり ⇒ コンパクトビレッジ



大内村は三〇〇〇人くらいの人口で1830人が帰っている、これは他と比べると多い、小高では一割もまだ帰っていない、この差は何なのだろうか?

一つはもともと高齢者率が40パーセント近くで高かった、それでこの辺でも故郷に帰りたいというのは高齢者である。高齢者の特徴は過去の思い出に生きることなのである。
するとその思い出はその土地に深く結びついている

自分も故郷とそんなにかかわらなくても家族が二人死んでもう思い出に生きているとなるそして何かこの思い出すということが不思議なのである。
死者は何なのか?それは今生きている人があると認めるときある、だから親子でも親にひどいめにあった人は親を思い出したくない、墓参りすらしないとまでなる

ただあの人はいい人だったなとか思い出すときその人が死んでも生きている感じになる
そしてその思い出が甘美なものになるのである。
なぜそうなるのか?人間は生きているときは何かしら嫌な点がある、そういうものを見ないでいい点だけを死者に見る傾向があるのだ。
だから死者は過去は美化される、江戸時代でもその暮らしは過酷だったのである。
でも何かその時代をふりかえるとき良く見えるのである。
それはその現実を生きる必要がないからである。
いつの時代でも現実を生きることはどんなに豊かでも苦しい面があるからだ。
今の時代は過酷な労働を強いられている、豊かでも余裕がないとかある

ともかく大内村は帰らない人が多いと思ったが実際は老人が多くかえって帰る人が多かった。人口の半分が帰っているのは多いなと思った。
その原因はやはり老人がもともと多く老人が帰ったからなのだろうとなる。
小高でも帰ったのほとんど老人だからである。
若い人は流出しているのである。
そして大内村とか3000人の山村とかなると人と人の結びつきが強い、みんな親戚関係とかなるかもしれない,それは一万の町とかとも違う結びつきがあった
そして何度も言っているように老人は自分もそうだが今や家族をみんな失って思い出に生きているのである。
その思い出すにしてもそこで生活していたところでないと思い出が活きてこないのである思い出はその場所に深く結びついているからだ。
それが故郷ともなる、それで子供が避難してから6年ともなると小学校は別な土地で過ごしていたのである。つまりもうそこに小学校の思い出はなかったのである。

村の再建の方針としてB 短期的・集中的に投資というのは老人が多いからかもしれない
若い人だったら長期的な視点でできる、でも老人が多いということは先がないからできない、それで短期的に集中的に成果を上げることを望まれたのかもしれない
ただこの方針を見ると意外と帰るとか帰らないとか強制していない、強制できないのだろう。
帰る人と帰らない人を分断しないためだろう。
この辺では補償金でもめたように心が一つにならないと復興できないからだろう。
強制しても強制したからといって不満が残ったらいろいろ残らさせられたとかなり村に生きる意欲もなくなるからだろう。

大内村は原発の煙突が見えたとか近かった、それで三分の一が原発で働いていたということは意外と豊かだったのかもしれない、現金収入が相当にあったからだ。
すると老人も蓄えがあり年金暮らしでもできるから帰ったのか?
その辺の事情がのみこめない、まず老人になると小高の人も国民年金ではたりないから一生東電で政府で補償してくれと実際に要求したことでもわかる。
老人はもう苦労したくない、楽したいのである。苦労もできないのである。

でも老人ばかり帰って村が維持できるのか?そのことが心配なのである。
老人だけが残り若い人がいないと村が消滅してゆく危機になる
三匹獅子舞いでも中学校と小学生ですでに20人もいないようだからである。
そういうところで村が維持できるのだろうかとなる

小高の場合は南相馬市内だからまだ医療施設もあり人もいる、それでも65歳以上の割合が全国平均より10パーセントくらい高くなったし、看護師でも震災当時の減った状態からわずかしか増えていない、ということは流出した看護師は帰ってこないということである。それでまともな医療も受けられないとなっているのがこの辺である。

ともかく思い出に生きる場所が故郷とするとき大内村で半分も帰ったというとき老人がもともと多くそうなったとみる。老人は慣れない場所には移りにくいのである。
特に大内村はそうした人のつながりの強い山村だからそうなった。
その仲間も死んでゆくが死者でもやはり思い出して村に以前としているような感じになる自分もそのことを経験している。ある死んだ人を思い出したときその人が以前としてこの町にいる感じになったのである。
まして人と人のつながりが強い大内村だったら死者とのつながりも深いものがあると見たそれでこれだけ帰る人が多いのかと思ったのである。
ただいろいろな事情があるからこれは本当はまだその理由はわからない、自分の推測である。




タグ:大内村
posted by 老鶯 at 19:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連