2017年01月14日

千変万化の流れ(abstract streams)


千変万化の流れ(abstract streams)

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なぜこれほどまでに無限のように尽きずに抽象画ができるのか?
それは抽象画が変化しやすいものだからである。
具象画だったら固定して変わらない、その具象画からも抽象画ができている不思議であるそれはオリジナルなものがインターネット上にいくらでもあるからそのタネが尽きないとなる
世界的になるとその数が膨大になっているからだ。
絵の分野でもそうであり絵は世界的に見てわかりやすいからグローバルなものとして利用しやすいのである。
だから自分で操作していても不思議だとなる


Why is an abstract picture made without running out like this like eternity?
It is because an abstract picture is the thing which is easy to change.
When the seed does not run out because the thing which is original as for it which is mysterious which has an abstract picture from the representational painting which fix it if is a representational painting, and does not change is how much on the Internet, it is; is because the numbers become enormous if become global.
It is so, and the picture looks worldwide in the field of the picture and is easy to use it as a global thing because it is plain.
Therefore it becomes even if I operate it by oneself if mysterious

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2017年01月15日

本を作る構想ができた 「津波原発事後の教訓」


本を作る構想ができた


「津波原発事後の教訓」


津波原発事故についてはずいぶん連続して書いてきた。それで読み返してみて一冊の本を作る構想ができた。
「津波原発事後の教訓」である。いろいろ書いたが確かに原発避難者からは非難もあったそれもまたこの辺の事情であり原発避難者の見方は当事者として違っていた。
とにかく人間は金になるとうるさいのである。利害がかかわるとうるさいのである。
遺産争いをみればわかる、骨肉の争いになる。

今回のこの辺の津波原発事故は後世に大きな教訓を残したことは確かである。
それは歴史的教訓だった。その当事者となったことで外部から見るものとは違ってくる
前にも書いたようにまず原発は一旦事故になったら広範囲に影響する
30キロ圏内だけではない、飯館村とか中通り、福島市とか郡山市とか白河まで影響したのである。
すると非常に狭い範囲で原発を建てることを決めたこと自体に問題がありそれが後々まで尾をひいたのである。
原発を建てる地権者と県の許可だけで決められたということが異常だったのである。
それだけ回りのものも原発がどういうものか知らなかったのである。

それを知らせるのがマスコミとか学者とか他にもあったが協力な原子力村が形成され「安全神話」が形成されたのである。
原子力となるとわかりにくいから余計に何か危険を言うにてもしにくいのである。
「素人になにがわかる」これは現代は専門家の時代だから何も言うことができなくなる
それは医療関係でも法律関係でも何でもそうである。素人が立ち入れることができない社会である。
マスコミにはそうしたことで危険性を知らせる役目があっても宣伝費をもらってしなかった。マスコミというときテレビでも新聞でも何か公共的のようでも宣伝費で成り立つとしたらその宣伝費を払う会社を批判できない、東電は国並の会社であり宣伝費も莫大だったからである。市町村を買えるほどの大きな会社だったのである。
実際にこの辺では半分が東電の社員のようになっていたのである。
だから原発事故は現代の社会の複雑さから起きたともいえる。

一番怖かったのは日本が震撼としたのは吉田所長が東日本は人が住めなくなる、特に東北は住めなくなると言っていたことである。吉田所長が言うくらいだからそれだけの事故のとき危機感をもったのである。
だから原発は全国的なものとして日本の存亡にかかわる恐ろしいものだと認識したのである。それはチェルノブエリでもすでにわかっていたことである。
ただそれも警告とはならなかったのが日本だった。
原発はロシアとか中国とかアメリカとか大陸だったら広いのだから日本よりは適していた日本は狭いし他に移住することが簡単にできないのである。

武田邦彦氏が言うように一ミリシーベルトを基準にすべきだとしたらそこに住めないとしたらもう福島県の半分も住めなくなる,そんなこといくら科学的には正しいとしても現実問題としてできないのである。
要するに自分は思うにはもう放射能がどうのこうのよりもうその土地に放射能とともに住むほかない、それで病気になっても何になってもどうしようもないとまで覚悟しなければならない、それがた狭い日本だからそうなる、老人の場合はもう他に移り住みたくないということでチェルノブエリではそうなったしここでもそうなっている
それまでの覚悟をもって原発は作らねばならないものだったのである。
そんなに危険なものだったらなぜその前にその危険性を警告しなかったのかとなる
武田邦彦氏も原子力村の一員だったのである。

ともかく原発事故の教訓は後世に伝えられるべき歴史的教訓だったのである。
それは津波でそうだった。なぜこれほど無警戒だったのかというのも今になると悔やまれる、それは別に警戒するものが全くなかったということではなかった。
津波でもスマトラで起きた津波の時も日本だったら警戒しているからあんなことならないよなと見ていたし原発事故でもチェルノブエリのようにはならないよなと日本の技術は優秀だからなと見ていたのである。
今でも右翼系統は盛んに日本の技術の優秀性を言う、確かに日本の技術は優秀な面はあるでも原子力に関してはアメリカがずっと進んでいたし日本には原子炉でもお古のマーク1がアメリカによって買わされたのである。
日本の技術はすべてのもので優秀というわけではなかったのである。

なぜそれが危険かという自分も科学音痴だから日本の技術は優秀なのだなと単純に思う人が多いからである。すると結果的に原発も日本の技術は優秀だから事故など起こらないよなと思ってしまうのである。
それがいかに危険なことか人間の奢りがいかに危険なことかをそれが歴史を見ればわかるその奢りによって滅びたものがどれほどあるか、個々人でも奢りが一番危険なのである。俺は優秀だというときその人は確かに一級の資格をもっていたことで技術的には優秀でも経営はまた違っていて事業に失敗した。技術と経営はまた違っていたのである。
そういう奢りで滅びたことは歴史をみればいくらでもある。
俺は優秀だと身内でも言って最後は認知症になり銀行から金をおろせなくなった、そして最後まで優秀だと言いつつ死んだのも悲惨であり家族だから余計にショックだった。

いづれにしろここでも津波原発事故はそうした教訓を残した、それは歴史的教訓であり後世に伝えられるべきものである。それは世界に対してもそうである。
原発の恐ろしさを知らしめたのである。
しかしそういう教訓を人間は忘れるからまた悲劇が繰り返されてきた。
だからこの辺はそうした悲惨な現実から教訓の場となったのである。

本を出すというとき本を作るのめんどうである。まず流通させるのがむずかしい、電子本になると楽だがそのノウハウがまだわからない。
本は何か一つのテーマで追求したものとしていい、プログだといろいろなテーマに分かれてわかりにくいのである。
だから自分としても一つのテーマで一冊の本にすればわかりやすいとなる
自分にはそういうテーマがいろいろとある。
鉄道の駅の短歌をまとめるとかそれぞれのテーマによって分類して作品化する、それが多くなったから結構な仕事になっているのである。


科学者の責任は問われない科学万能社会
(日本人の技術は優秀だという思い上がり)
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冬深む(正常化した自分?)


冬深む(正常化した自分?)

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寒椿雪に散りにき据えし石

平和なり障(さわ)りなくて山眠る

平和なり山の眠りの深きかな

冬深む石黙然と一人かな

冬深む契りを強む森の樹々

何を見む寒星一つ徴しかな

四両の列車明るき冬の夜


凍るごと雪降る庭に一輪の薔薇の咲かむや石の静まる

故郷の老いたる女と親しくも我が家にありて一人なるかな


自分は母が死んで一年とかすぎてようやく正常化したのかもしれない、姉で認知症で苦しみその後も回りは津波だ、原発事故と信じられない異常なことの連続だったのである。
そして常に何かに追いやられていたのである。障りがあったのである。
何かそういうことは人生の中で家族でも誰にでもあることなのだろう。
なぜなら人間は必ず病気になり死ぬからそれが逃れられないから家族でもごたごたするのである。

それはどんな宗教を信じようかカルト宗教団体に入っていようが関係ないのである。
そういう問題から不幸からみんな誰も逃れられないからである。
カルト宗教団体に入ってもいてもそうした不幸になった人は山ほどいるのである。
近くにそういう不幸な人がいて家に住んでいる人はいない
事業が失敗して家がなくなったとかそんな人はめずらしくもないのである。
事業に成功している人の方がまれなのである。

ともかく一人というのはなにかまたこれまで経験しない心境になる
一人も慣れないと淋しいとなる、わかったことは確かに動いて人ごみにまぎれると淋しさもまぎれることがわかった。
それで時々原町に自転車で行くのである。意外と動くということが淋しさをまぎれることになる、大きな家でぽつんと一人でいると淋しさを感じるのである。
動いているとそういうことをあまり感じないのである。
一人は来ているから誰も来ないというわけではない、でも家ががらんとしているのが嫌なのである。

自分で言うのもなんだがここの俳句と短歌はかなり深いものがある。
その深さを読むことがむずかしい、芸術はまず鑑賞すること自体が常にむずかしいのである。だから深く鑑賞できる人はその人は芸術家と同じのように思える
俳句などでも深いものがあっても鑑賞できないのである。
「冬深む契りを強む森の樹々」これは短いから鑑賞できない、別に詩を作っているからだ、それと合わせると鑑賞しやすくなる。
今回庭に咲いた咲こうとしている薔薇は不思議である。凍えるような時に咲くものなのか?
冬薔薇という季語があるから冬に咲く薔薇はある、でもこんなに寒いとき咲くものなのかとなる。
それはまさに自分が一人なのとにている

自分はもともとほとんど人と接しず一人だった。それも何か異常だったのである。
それで介護とかで苦労したのである。社会性がないからそうなった。
でも自分はもともと一人でいるとき精神も安定して平和を感じる
一人でも淋しいとき別に淋しいと感じないときがある。夜はかえって感じないのも不思議である。

今日は本当に寒かった。氷柱が近くで見たのもめずらしいからである。
滅多に氷柱はこの辺では近くでは見ないからである。一部水道が凍結した。
今頃は冬深むの時期である。今年はあたたかったりこんなにもまた寒くなる。
ただ何もわずらわされない平和がある。平和とは結局何もわずらわされないことなのである。
まず自分が病気になったりした平和がないし家族が介護になったりしても平和がないし
また借金などしたら平和がない、もちろんその他で平和がないことはいくらでもある
平和であることが人間はそんなにないということもある
でも自分は30年間くらい平和に暮らしていたのである。確かに家族が平和というわけではないにしろ自分にとってなにもないわずらわされない時が30年間つづいたことは不思議だったとなる、こういうことはまれなことなのだろう。

いづれにしろ冬深む山眠る時である。山眠るというときみちのくが何か合っている。
山眠るというとき高い山ではなく低い山があっている気がする
高い山だと眠るというより冬でも厳しくそそり立つという感じにもなるからだ。
この辺では高い山がない、それが自然としては欠けているからものたりないのである。


2017年01月16日

豊洲市場と原発事故の問題は同じ構図 (専門家集団に会社でも素人は太刀打ちできない)


豊洲市場と原発事故の問題は同じ構図

(専門家集団に会社でも素人は太刀打ちできない)


これほど多くの東京ガス製造工場で、一様にシアンやベンゼンが検出されたということは「石炭の乾留技術は土壌汚染を前提に成り立っていた」と結論付けざるを得ない。

そもそもなぜ東京ガスの跡地に生鮮を扱う豊洲市場が作られたのか?
そこからしてこの問題が発生している
東京ガスがとても売りに出せるようなものでなかったとして東京都に売れておおもうけした。これもおかしな話だった。

「あんな汚染した土地を売っておおもうけした」

そんなことだったのだろうか?東京ガスの会社の責任も重いとなる、なぜならなんらか会社では専門集団なのだからそういう汚染のことを知っていたからである。
でも利益があるということでその土地を売りおおもうけしたのである。
その会社の責任は相当に重いとなる、なんでも利益になるからといってすべて是認されるわけではない、会社は大きな公共的なものであり社会的責任必ず背負っているのである。
そして何かこの問題も利権がからんでいてはっきりしないにしろ東京都議会の議員がかかわりその利権が金がまわっていた。だから手抜き工事が行われた。
その金はどこにまわっていたのか?石原慎太郎などがその手抜き工事を是認して金がまわっていたかと追求がある。別荘を鹿島建設に高く売ったとかなんとかある。
みんな生鮮食料を扱うことがどういうことか意識していなかった
まず生鮮食料を扱うことはそんな汚染していることが一番の問題になるからである。
それが東京ガスとか東京都議会の議員とか建設会社にゼネコンに食い物にされたともなる

この構図が原発事故と酷似しているのである。何か他の事故でも事故になったりこういう問題起きると原発と比べてきたが酷似しているのである。
そこには様々な人々が利権とかかわっていたのである。
ただここでは住民とかいないし生鮮食料品を扱う人たちは別に利権と関係していない
かえって苦しんでいる人たちである。利権はまわっていない
原発の場合は地元住民とか漁業関係者とか議員関係でもやはり利権があり多額の金がまわっていたのである。
原発は豊洲市場とは比べることもできない何千倍なのか?巨大な利権の巣窟だったのである。天下り先として検察とか警察関係も東電がお得意先だったとなる
こういう構図は何か問題が起きる事故が起きるとかいつでも問題になっているバターンなのである。

原発事故でもこれだけ危険なものなのに生鮮食料を扱う豊洲市場とにていたのである。
生鮮食料を扱うことはまず安全性が第一になる、原発は最初から門とも安全性を第一にするものだった。
でも地権者と県の許可で議論もせずに建てられたとなるとその時から今の災いになる原因があったのである、災いは起きたときすでにどうにもならないという状態になっている
その災いの根を断つのは事故が事件が起きてからは遅いのである。
ただそうした危険なものでも意外と簡単に作られてしまうことが問題だったのである。

民主主義はコンセンス得ることが根幹にある。みんなでそれなりに議論して合意することが民主主義の基本としてある。
では豊洲市場問題でそれが行われていたかとなるとされていない、肝心の豊洲市場で魚を扱う人たちが一番被害があるのだからかかわってもいいようだがそういうふうにも見えない、それは原発でも同じである。そこの住民が一番被害を受けるのだから積極的にかかわるべきであった。それも広範囲にかかわる必要があったが実際は地権者と県で基本的に許可されて建てられたということは今になれば信じられないものとして法律もあったともなる

豊洲市場問題でも地権者は東京ガスでありそこは東京ガスが危険な場所と専門集団だから知っていたのである。でも利益のために東京都に売りおおもうけしたのである。
だから日本でも土地の私的所有権が強すぎるのである。

「この土地は俺のものだ、会社のものもだ、どうしようが勝手だ」

この土地所有権の権利が課題に認められすぎたのである。江戸時代はみんな共有財産として土地でも山でも海でもあった。それが今度は会社だとか組合だとか集団でその権利を得るようになった。それから無数に私的所有権を得ることになり俺の土地は売るのは勝手だとなってしまった。
土地はつながっているから公共的なものとしての役割があるから細分化して私的に所有することになじまないのである。
だからそもそも豊洲市場でも東京ガスが汚染しているのを知っていたのに東京都に売っておおもうけしたこと自体が詐欺であり犯罪でもあったとなる
商品の欠陥を知っていて売ったとなるからだ。買った方も東京都も悪いとなる。
そこにまた利権がからんで東京都の議員などがかかわっていたとかなる

原発でも科学者は原発が危険なことを知っていた。まだ建てられた当初はフクシマ原発の時は危険をわかっていた。日本にはまだその技術がなかったのである。
それでお古のマーク1の原子炉をアメリカから買った、買わせられたともなる。
そしてその原発を利権として利用したのが正力松太郎とかだった、自分の会社読売新聞社をテレビ局を成長させるためにそうしたからである。
これも豊洲市場が利権の場所となっているのとにている
科学者の責任は余り問われないが科学者はやはり東京ガスのように専門家集団であり原発の危険は知っていても知らせなかったのである。
強力な安全神話を作った共同責任者だったのである。

そして日本の技術は優秀なんだとかばかり言っている科学者が国民をだましていたともなる、日本の技術は確かに家電とか他の分野で素材とかでは優れている
でも全部は優れていない、原発はアメリカが今でも優れている、だから日本の技術が優秀だから事故が起きないというとき嘘だったのである。
ただ科学の素人は「日本の技術は優秀なんだ」と科学者が言うとき原発でも同じだと思わせる、それが危険だったのである。自分でも科学に弱いからそう思っていたからである。そういう錯覚をうむからあまり日本の技術は優秀だというのも危険なのである。
ある部分については優秀だというのはいいとしても原発ではそうではなかったのである。そういう誤解をもたらしたのが科学者でもあったのだ。
ただ東京ガスと同じように危険な土地と知っていたのに知らせないことは原発にかかわった科学者でも同じだったのである。でも科学者の責任は現代では一切問われないのである
そもそも豊洲市場では魚を売買する人たちと東京都民でも一番かかわっているのだからコンセンスを得る必要があった。それもここではできていない、原発でもそうである。
広域的に住民のコンセンスを得る必要があったが原子力となると素人などわからないからそのコンセンサスを得る議論する席にすらつけなかったのである。
住民にしても利益を得ればいいとしかなかったのも問題なのである。
素人は素人なりに参加できたかもしれないからである、それは巻町でできていたからである。

素人的にも何か直感的に危険を感じることがある

東京ガスの跡地で大丈夫なの?

原発って危険じゃないの?

こういう疑問は素人でももっていた、でもどっちでも素人は肝心の都民とか市場で魚を実際に扱う人たちは除外されていたとなる。
そこに現代の複雑な文明の問題があった。素人は科学にはかかわれない、法律でも専門的なことにかかわれないから一番被害を受ける人たちのことは無視される
会社だって専門家集団でありたちうちできない、安全だと言われればそうなのかとなり反論もできない,原発だってそうである。
マスコミがあったとしてもそういうチェックする機能は果たしていない、原発でも宣伝費をもらえばいいとかしかないのである。
専門家集団に現代社会は牛耳られていることが問題だということにもなる
一見議員などがいてもそうした人たちも科学には弱い、文系も多い、するとその人たちもチェック機能が働かないのである。別な科学者集団に頼るほかないとなる
現実に最近有害物質を調べたら80倍とか危険状態にあったと報告されている
つまりそこが危険でもその危険も報告されないしチェック機能がないのは原発でも同じだったのである。


科学者の責任は問われない科学万能社会
(日本人の技術は優秀だという思い上がり)



タグ:専門家集団
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鹿島駅であったヨーロッパに8年いた人の仕事 (ミシン関係で安い賃金を求めて世界をわたり歩いていた)


鹿島駅であったヨーロッパに8年いた人の仕事

(ミシン関係で安い賃金を求めて世界をわたり歩いていた)


武藏野中央公園と中島飛行機など軍需産業だったところも多い。

あれこれ調べていたら、調布にあったジューキミシンも軍需産業だった。機関銃を作っていた。戦後は技術を生かしてミシンの製造に転換した。

それで、てっきり戦前の会社名は漢字表記で「銃器」かと思ったら違いました。東京重機工業株式会社だった。でも、この重機は、大辞泉の@「重工業に用いる機械」ではなくてA「重機関銃の略」の方だよね。広い意味では「銃器」だ。当たらずといえども遠くない

その人は札幌生まれであり東京の大学を出てミシン関係の会社に就職した。
今札幌に帰ったのは生れたところであったからだ。
その人はドイツに8年ではなくヨーロッパを広く回っていた。
それはミシンの会社であり裁縫関係の仕事をしていた。
それで別に外国だけではなくこの辺に良く来ていた。裁縫関係の会社がこの辺では結構多い、福装は有名であり150名が働いていた。ここに女性はこの辺で働いた人が多い。
浪江にもあったとかその人はこの辺を結構知っていた回っていた。

そのように国内だけではない、世界中を回っていたのである。
カザフスタンとかにも行ったとかそれからアジアもいろいろ回っている
それはなぜかというと安い賃金を求めて会社が移動していたのである。
それはテレビなどで放送されるが会社が安い賃金を求めて工場を移してゆくのである。
最初は中国だったが最近は東南アジアでベトナムが安いからいいとか移動しているのである。
その人もそのために世界中を移動していたともなる
そんな人いるのかとこの辺ではそういう人にあまり出あわないから驚きだとなる

でもそういうグローバル化社会をまさに身をもって生きていたのがこの人だったのである最後は生れた札幌に帰ったとなる。何かこの辺にきたのは前にもコネがあり来たと言っていた。
こういう生活しているとどういう感覚になるのか?
もう生まれ故郷も日本もどこの国とかも関係ない、ただ安い賃金を求めて世界を移動してゆく、渡り歩く、要するにどこの国とか関係ない、賃金の安い所などこでも行くという感覚になる、まさにこれは多国籍企業を象徴している人である。
それが今は現実としてある、トヨタとかでも工場をメキシコに作る、それは賃金が安いからである。
それが世界的にグローバルに行われたのが現代なのである。
企業にとってその国々のことなど関係ない、賃金が安ければいいというだけである。
そうしないとグローバル競争に勝てないからである。
福装では中国人も働いている、この前駅から中国に正月に帰ったのを見ている

ミシンで面白いのは銃器の技術を応用してミシンを作っていたのである。
これも意外だが何か技術はどこで利用されるかわからないところがある。
トヨタも最初は紡績関係の会社だったのである。
例えば車でも賃金の安いところで作る、そうするとヨーロッパでもアジアでもメキシコでもその会社員はこの人のように渡り歩くことになるしそういう人が現代のグローバル社会では多いとなる。

しかし自分が国内でも国外でも旅したとしてもこの人とは違う、自分は故郷にずっと住んでいたからである。それで故郷とアイディンティティをもつことを探求した。
この人にはそんなことはない、ただ会社のために世界中を回り歩いていたのである。
だからこの人はそういう一生を生きてどんな感覚になったのかとなる
いくら世界中を渡り歩いてもそこでその国のこと文化とかとはあまり関係しないし理解していないだろう。
なぜなら仕事はミシン関係でありそうした仕事中心に回っているからその国々のことは深くは関係しない
ただこの前あったオランダの大使館に3年間勤めていた人はオランダと深くかかわったことは確かである。それは大使館員であったからであり会社員とは違うからである。

いづれにしろソビエト連邦時代からかかわりカザフスタンまで工場を開くために行っていたというのは驚きである。その頃まだ日本がそんなソビエト連邦まで行っていたのかとなるからだ。
これが現代のグローバル社会の人間なのである。こういう生活は人間としてどうなるのかともなる、何かと深く自然でも文化でもアイディンティティをもつことは不可能になる
日本人としてのアイディンティティすらもてなくなる、ただこうしたグローバル社会を生きた人だったということである、他でも今はそういう人が結構いるのである。

韓国であった人も会社員ではないにしろアルジェリアで石油工場で働く人を集めて入って行った。そこは危険な場所であり実際に日本の会社員が9名とかテロで殺害されたのである。そういうグローバル社会にまきこまれているのが現代である。
そして今度はミャンマーが開国して賃金が安いとなるとこうした会社が進出してゆくからそこに日本人が派遣されるのである。
世界で起きているのはこうしたグローバル社会での問題がありテロも難民問題も起きている
シリア難民をどうしてドイツで受け入れているのか?危険を冒して受け入れているのか?
安い労働力が必要だからである。世界へ安い労働力を求めるより自国へ呼んでいるから文化の相違なと宗教の相違なとでテロが起きたりしているのである。

でも他国へ工場だけを作り働かせるならそういう問題は生れにくい、それでも軋轢は生れてくる、だからそもそもこのグローバル経済社会は世界的な問題でありこれでいいのかとなってナショナリズムが勃興する。
トランプが大統領になったのはアメリカですら多国籍企業でグローバル社会で一番もうけていたと思っていたがそうではないからその不満が大きくなって大統領に押されたのである。グローバル経済社会は自分の国を利するものではないし自国民にとってすべていいものとなっていなかったのである。
だから会社は国民のために従業員のためにあるべきでありメキシコのような所に関税を安いからといって作るべきではない、日本で生産して高くても売れるという主張がある
武田邦彦氏がそのことを言っているのもわかる。
多国籍企業というのがただ自社の利益だけを求めて世界中に進出して安い労働力で働かせること自体が何か反発されて拒否されるようになったのである。

2017年01月17日

鹿島駅の回顧の短歌十首 (復興してふりかえる)


鹿島駅の回顧の短歌十首


(復興してふりかえる)


鹿島駅八重桜咲きその影に休みて電車待ちし時かな

この駅のホームに白きつつじかな車窓に写し電車は去りぬ

鹿島駅待つも長しやあわれかな秋の薔薇しもここに見るかな

新年や乗りおりする人それぞれに無人駅に活気のいでぬ

復興の電車通りぬそのひびき今日も駅にし我はあるかな

母待ちぬくもりここに娘かな寒き日なれば寒からじかも

遠くより来る労務者駅にいてしばし語りぬ寒き日なりし

鹿島駅昔ストーブありにしと語りてあわれ寒き日なりし

四両の電車とまりて明るしや仙台へ通ず冬の夜かな

帰りきて待つ人あれや今はなし一人帰りし冬の夜かな

駅をおり月影さして我が一人影ひき帰る淋しき町かな

鹿島駅我が老いつつもここにあり年の明けにきまた旅たたむ

遠き国憧れにつつこの駅ゆ我が旅立ちてまた帰り来ぬ

乗り降りの少なき駅や今になほ二両の電車山眠るかな


鹿島駅の八重桜がみんな切られた、それが残念だった、ただ根っこは残っている
それが成長するには何十年もかかる、だから生きている内はもう八重桜の花は見れない
自分はその花の影で休み電車を待っていたのである。

白いツツジというとき田舎の電車はすいている、仙台近くになるとこむがこの辺はすいているから車窓に白いツツジが移っていてその花を写して去ってゆくのである。
何かそれも情緒がある、見送りしたりするのもそうである。

それは田舎駅だからそういう人間的情緒が残っている、東京都とか都会になると混むからそういう情緒もなくなる、新幹線でもそれが早すぎるから人間的に見送りするにしても時間の余裕がないのである。
結局何度も言うが旅は時間をかければかけるほど記憶に残る、だから意外と電車でも船でも待っている時間が貴重であり記憶に残っている不思議があるのだ。
今の忙しい時代は待つ時間がない、それが無駄とされているのである。

鹿島駅のことをいろいろふりかえる、集団就職の列車もここからでた、でも自分は恵まれていてその時それが何を意味していたかわからなかった、自分は大学に行ったのだからその差が大きかったのである。
その後電車はただ遊びとして旅として乗っていただけである。

実際は旅するにしても家をまもり家に家族がいたから余裕をもってできたなどなと思う
一人になったら家があってももう誰も待っていない、だから何かそれが感覚的に変なものとなる、今度は旅たったらもう待つ人もないのだから永遠に帰らないとまでなってしまう感覚にもなる、家があったとしても待つ人がいないとそんな感じになる
家はあってもそれは建物だけだからである。死んだ人が待っているともならないからである。

いづれにしろ人間は最後はみんな啄木のようになる、啄木は最後にあの若さで死ぬとなったから何でも惜しみ短歌にしたのである。本当に日常のささいなことを短歌にしたのである。そういうなんでもないものでも惜しむようになる。
最後は人間はみんなそうなる。普通は若いときはそうならない、いよいよ死ぬ時期がせまればもうみんな何かつまらない日常的なものでも愛おしくなるのである。
自分にとって駅とか鉄道は愛着がありそれを惜しむものとなるのである。


古い駅の写真

鹿島駅も建てた当時と変わらない古い駅なのである。
この写真の駅は本当に古い、何か駅にはやはり人間的なものがしみついている
ただ新しくなるとそうしたものが消える

城でも新しく建てるとそれが博物館のようにもなる、何かそこにあった人間的なものの記憶が消えてしまうことがある。
日本では木造だから新しくなり昔の記憶が消えやすいのである。

鹿島駅で出会った人 (新地町で港から天然ガスの供給基地とパイプラインを仙台まで作る人)


鹿島駅で出会った人

(新地町で港から天然ガスの供給基地とパイプラインを仙台まで作る人)


当社は、震災後の福島県・宮城県・岩手県など東北太平洋沿岸地域等における今後の天
然ガスの需要増に対して、長期安定的に天然ガスを競争力ある価格で供給していくことを社会的使命と考え、相馬港に大型 LNG 外航船を着桟させ、これを LNG タンクで貯蔵し気化する LNG 受入基地の建設と、同基地で気化したガスを、当社の大動脈ともいえる新潟
仙台ラインに(宮城県岩沼市・岩沼バルブステーションで)接続させる約 40kmの新規パイプライン建設を進めてまいります。

名 称 :相馬 LNG 基地
建設地点 :福島県相馬郡新地町(相馬港 4 号埠頭地区)
敷地面積 :約 20ha
主要設備 :LNG タンク(地上式 23 万kl×1 基、将来増設可能)、LNG 外航船受入バ
ース、LNG 内航船出荷バース(LPG 内航船受入兼用、将来増設可能)、LNG
気化器 2 基(将来増設可能)、気化ガス用熱量調整設備、LNG タンクロ
ーリー出荷設備、ほか
投資金額 :約 600 億円(接続パイプ)


今日鹿島駅で休んでいた人はガスの配管工事をする人だった。新地駅でしている大きな工事である。
鉄管を通すために土を掘ったら靴とか何か津波で埋もれていたものが出てきたという、津波の痕跡が地中に埋もれてしまった。
そして新地駅は前とはまるで変わったものとなってしまった。駅前開発がすすんでいる

このガスの工事は船を受け入れるためとか配管するために仙台とつながる大規模なもののようだ。新地町の変わりようも激しい、こういうものができれば前とは違う経済効果もあるのだろう。
六〇〇億円も投資することはやはり大きなものになるだろう。

新地駅前の開発では温泉が出たということで施設が作られるとかもありあの辺は前より魅力ある場所になるのだろうか?駅が高く立派になった。
津波や原発事故を契機にかえって新しい開発進んだのもある
それだけの投資が国からも行われたようだ、鉄道工事はJRで四〇〇億円投じて五年半かけて完成した。これも大きな金である、六〇〇億円となるとこれより大規模なのである。
仙台までガスの管をつなぐためにそうなったのか?

その人は溶接していて目を悪くして原町の病院に行く所だった。確かに目が赤くなっているのが見えた、白内障とか言っていたがそうでもないらしい

可視光による青光障害は,遮光保護具を用いず,裸眼で溶接アークを見つめた場合に発生する。症状は,視力が低下する,暗点(視野内の部分的に見えない領域)が生じるなどである

これも職業病の一種となる。インターネットはこういう時便利である。
これだけでもすぐに検索してわかったからである。

この辺はとにかくまだ工事がつづいている、除染が主だがその他にもこうした工事がつづいている、いろいろな人が入れ代わり入ってきているのである。
意外とだから鹿島駅でもそういう人たちに会うのである。
それが何かこの辺がどうなっているのか知ることにもなる
こうした工事はこの辺でまだつづくのか、あと二三年もつづくのだろうか?
除染関係は相当に縮小したが小高とか浪江とか双葉でも向こうの方へ行く人もいるからこの辺が宿舎にもなっているから駅も利用しているのである。

2017年01月18日

「心に青雲」の日本語と英語の解釈について (文化の基に言葉がある)


「心に青雲」の日本語と英語の解釈について

(文化の基に言葉がある)


例えば、として日下氏は日本語の「潔い」は英語にない(ならない)と言う。Nobleでもgracefulでもなく、強いていえばManly という古い言葉が近いのだと渡部昇一氏が教えてくれたそうだ。

「潔い」にしても、これは対象たる社会のありようが、曖昧にも関わらず、どうしても白黒つけないとうまく人間関係、社会関係が立ち行かないと見てとって

言葉は文化の基底である。だからどこの言葉でもそこに歴史があり思想があり文化があるそれで訳せないのである。そこからして外国に対して誤解が生れる
「心の青雲」では反発するもものがあるが日本文化を尊ぶという点では共感している。

「潔い」という言葉が訳せないというときもそうである。勇む、清しが合体していさぎよいとなったらしい。このいさぎよいは英語でもある、良くフェアという言葉が使われる
スポーツでもフェアプレーが重んじられるから外国にもそうした概念がないということではない、ただ深く読むことがその言葉のもっている一語一語の感覚がそもそも違っているのである。


基本的に英語はイエスかノーになる、あるかないかでありあるでもないないでもないというあいまいな表現はない、白、黒をはっきりする、勝負になれば勝つか負けるかでありその過程ばとうであれ結果がすべてだとなる、それは何を意味しているのか?
でも勝負の過程でフェアプレーしないとラクビーなどでもサッカーでも反則になる。
フェアでないものはすでにルールで決められているのである。
日本では何がフェアでないかフェアなのか明確に決められていない
でもそこに日本の文化があり日本は何でもルール化はしないのである。
それは日本人は異民族と交わることがなかったからである。
大陸では絶えず異民族が攻めてくるし交わる歴史だった。
異民族とは容赦のない戦いとなる、勝つか負けるかであり負けたら奴隷にされるのであるそういう歴史が反映して言葉も文化もある

日本は和をもって尊しとすべしというときそういう国柄だった。勝負でも徹底的に完膚無きまで負かすということはしない、この完膚無きまでとは中国から来た諺だから中国も大陸だからそうして相手を完全に打ちのめすという文化になっていたのである。
要するに異民族同士の戦いは熾烈になるのである。
日本の戦争はこうした熾烈さはなかった。それで敵味方塚とかもある、敵でさえ墓を建てた、明治維新でも薩摩長州が東北に攻めてきても死んだ人の墓が福島県にはある
将棋でも駒をとってそれをまた活かす、中国の将棋でも外国のチェスでも敵をとればもう活かすことはできないのである。
日本は一つの民族であり相手を徹底的にうちのめすという文化はないのである。

ただ聖書には選民思想がありそれはユダヤ人のなかに今も生きている、神から選ばれた民は絶対なのである。神が選んだから絶対なのである。それは別にその民族が優秀なのかどうかも関係ないようにも見える、神が選んだということで優秀だとなる
ではなぜそうなのか?その解答は神が選んだからだとなってしまう、そういう思想や宗教は他にないのである。神が絶対的なものだから逆らうことはできない、神があるのかないのかというあいまいさは許されないのである。
要するにあるかないかしかない、あるでもないないでもないとかならないのである。
厳然たるものして神はあるとなる


言葉はその国の自然とか歴史からも作られてきたのである。
それでクエーンズイングリッシュとアメリカ英語が違っているときその区別は日本人にはつかない、でも英語にも古語がありシェークスピアの英語と米語は違っているのである。そこには歴史の相違が同じ英語でも違うのである。
言葉が文化だというときどうしてもコンピューターが生れたのは英語の発想から生れている。基本的にイエス、ノーで世界を見ることにより生れたのである。
だからアジアの文化から生れなかったともなる
技術でもやはり国の文化があり生れている
日本人は英語を明治維新語でも習ってきたがどうしても感じのように自分の国の文化として融合できない、漢字はもう日本の文化として融合した。そしてかえって明治維新語に漢字でもって西欧文明の言葉を概念を訳したのである。
漢字に新しい意味を与えたのである。英語はそうなっていないのである。
そこに文化の障壁の大きさがある。

自分も単語だけでも自分の詩に合わせようとしたができない、つまり一語一語の意味が感覚がどうしても日本語に訳すとあわないからである。
例えば

stateとは

状態、ありさま、様子、興奮状態、威厳、威儀、荘厳、公式、国家、国

(立っている)状態
個人の(立っている)「状態」を表すほか,自治権のある(独立している)「国家」「州」も表す

謳う, 述べる, 宣べる, 陳べる, 鳴らす, 申し述べる, 申述べる, 言い立てる, 言立てる, 仰せられる, 申し上げる, 申上げる, 申しあげる


この言葉でもなぜ状態とか威厳とか国家まで現しているのかとなる
日本語だったら国とか国家くらいしか表現できないからだ。
クニとはあなたのオクニはどこですかというとき地方のクニのことである。
それは小さな村がクニにもなっていたのである。
でもヨーロッパの成り立ちでは国とは全く違った成り立ちがある。
ローマ帝国のようなものがありstateとはこれにあっている。
だからそもそも歴史がわからないと言葉も歴史から生れているから理解できないとなる

stately

屹屹たる;不昧;弘遠だ;堅手;荘厳;巌巌たる;厳かだ;厳峻だ;屹々たる;清高;いかつい;険相だ;厳粛だ;気高さ;厳威;尊厳だ;巌々たる;厳たる;厳い;重し;儼乎たる;厳威だ;儼たる

stately mountain
stately rock

こういう詩的な表現にも応用される、でもそれがなぜ国家と結びつくのか?
国家とはそれだけ重々しいものとして自覚されていたからなのかとなる

ともかく武道などでも文化である。日本人はそもそも勝ち負けより型とか姿勢を重んじる剣道でも空手でも武道はまず型があり姿勢を見る、その後に勝負がある
外国はまず勝負ありきなのである。勝ち負けしかないのである。フェアなルールのもとに勝ち負けしかない、日本の武道はむしろ型とか姿勢とかが先にある、それで格好いいとかなる、必ずしも買ったから格好いいとかならないのである。

「形」が「力」を越える真理があります。古流で言う「カタチはチカラ也。」

これが日本の武道の基底にある。
でも「柔能く剛を制す」という言葉は中国から来た諺だから中国由来であり老子などの思想の影響がある。欧米だとスポーツでも剛しか見えない、だからこの言葉は思想はアジア的だとなる、アジアの思想と欧米のアングロサクソンとかの思想は大きく違っているのである。
誤解しているのは聖書が生れたイスラエルはアジアなのである。その地中海の向こうがヨーロッパなのである。
だから宗教とかはすべてアジア発祥でオリエントあり深いのである。
だからヨーロッパ的キリスト教とアジア的キリスト教が違ったものになる
アジアの方が本当は深くキリストを理解するともなる
そもそも文化とか文明はアジアが発祥なのである。科学はイスラムが発祥のが多い、ヨーロッパは後進国だったのである。





新装の新地駅短歌十首 (一変した新地駅の驚きー観光スポットになった)


新装の新地駅短歌十首


(一変した新地駅の驚きー観光スポットになった)


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New station ,SHINCH


all new station

SHINCHI on the Jyoban line

Mt.ZAO in the distance

the snowy severest one

flight of swans in refreshed place

turn around

Kinkasan on the Ocean

in the distance

Shinch station in the future

clear sky in winter


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蔵王
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駅前の開発地 クリック拡大

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新しき街の息吹や新地駅年の明けしも海広しかな

新地駅新装なりて海広く新しき年や金華山も見ゆ

新地駅雪の蔵王の迫り見ゆ白鳥も飛び年も明けにき

新地駅広々として清しかな冬の空澄み電車来たりぬ

新しき新地駅にそおりたちて雪の蔵王の厳しく迫る

新地駅おりたち帰る女高生都会めきたる新装なりぬ

新しき新地駅にそ二本の樹の植えにけるかな冬の日暮れぬ

新地駅電車の待つやうれしかな海広く見え復興成りぬ

新地駅タクシー乗り場に障害者乗る場もうけぬその配慮かな

新地駅昔を想うものもなし悲しく津波被害埋もれぬ


新地駅に今日行って驚いた。全く変わってしまい昔の面影は全く消えて別な町になっていた。雪の蔵王が見えて牡鹿半島も金華山もまじかく見えた、あんなに近くにはっきり見えるのも新鮮である。それは海が広く見えるようになったからである。
そして土盛りして高い所に駅を作ったからである。
だから駅をわたる通路の高架でなくても下のホームからも見える
駅からの景観が抜群になったのである。

そしてもともと新地駅は回りに家がないし海側の港があったところは全部津波で家がなくなった。それで広い土地が自由に利用されるようになり改造された新しい街作りをするようになった。
本当にその土地が広いのである。そこにコンパクトシティのように施設ができる
住宅もできる、温泉も出たということで温泉施設もできる
文化会館もできるとか駅を中心に新しい街が形成されるのである。

何か自分がおりたときそこが全く異次元の別な世界のように見えた驚きである。
宇宙ステーションではないが何かそんな感じの不思議さがあった。
テーマパークというかデズニーランドというか仮想の世界に来たのかとも思った。
こんなふうに変わるものかという驚きである。そこは人工的空間と自然空間がマッチしていたのである。
都会だとこんなに見晴らしがいい場所はないからである。

ともかく雪の蔵王もまじかに見えたし海も広々と見えて金華山も見えたし牡鹿半島も見えた。その景観が素晴らしいとなる、だからここは駅だけでも観光スポットになると思った何しろ広々として気持ちいいし景観がいいからだ。
ここは新しく開発するのには適した場所だったのである。駅前には家がなかったからである。
そして国からも金が出たからである。それは原発の被害がなかったから人口も減っていない、つまり津波だげの被害だったらこんなふうに復興できたのである。
原発の被害地は放射能被害などで復興できなくなったのである。
その差が大きすぎたのである。新地駅と小高駅を比べるとその差が歴然としているからである。

まあ、白鳥が飛んできたのも新しい駅にふさわしかった。またあの駅に行ってみるだけで価値がある。まだまだ整備は完了していないがあの駅には価値がある。
あれだけの広い土地にまだ住宅は建っていない、その点鹿島は新しい家が建ってほぼ完了した。やはり新地では原発などの補償金が出ないことがその差なのかもしれない
新地には原発の被害者、小高でも浪江でも他でも家を建てているのである。
土地が安いと建てやすいからである。

いづれにしろこれだけ変わることには驚きである。なにしろこの辺は常に変化して驚きの連続だったのである。それがまだつづいていたのである。
駅前はどこもさびれたがこれから駅前が復活するという人もいる、駅は他からの人を迎える玄関でありここからその市町村の印象が決まるとうときそれは家でも同じだから玄関を大事にしろという人がいる、玄関は人の出入りがあるから福を呼ぶから大事だと言っているのである。
新地駅はだからその玄関だけは特別立派になった。そしてその前に新しい街が生れて復興するとなる

ただあの駅見たらもう津波のことは忘れられる、わからなくなる、天然ガスのLPGのパイプウラインを仙台までつなぐという大阪から来た人がいたがそうした大工事もある。
その人が掘ったら津波で埋もれた靴とかなにか出てきたというときわずかにそんなことで津波のことを思い出す、でも新地駅から津波の被害を想像するものは何もなくなったとなる
それもまた歴史が埋もれるということで問題があるかもしれない。昔を何か残すことも必要だからである。
ともかくまた行きたくなったのが新しい新地駅である。

5年半ぶりに開通した常磐線 (駅は人間臭い場所だった-新地駅の記憶(詩)


2017年01月19日

新しい新地駅が復興構想の見本 (発想の転換で新しい街作りー小高や浪江も参考になる)


新しい新地駅が復興構想の見本


(発想の転換で新しい街作りー小高や浪江も参考になる)

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人の和も大事、復興も人でもある


新地駅があれほど変わってしまったのには驚いた。人間は変化が激しいとそれが現実のように思えなくなる。それは津波とか原発事故でこの辺では経験してきた。
津波は本当に現実に思えない災害だった、こんなことがあるのかと夢見ているような気分がずっとつづいているし今もまだその津波の被害の跡に立てばなる

今回新地駅に行って不思議だったのはそこは人間の力で変えてしまって現実のように思えなかった。前の駅とは全く違ったものになっていたからである
何か宇宙ステーションなのかデズニーランドの仮想駅なのかそれも現実に思えないように変わったのである。

そういうふうに駅でも人工的な人間の作ったものでも変わると辺りの風景まで変わって見える、蔵王が見えて白鳥が飛び大きく開けて海が見えてかなたに牡鹿半島と金華山が見えた。景観が抜群になったのである。だから新しい観光スポットになると思った。
おそらく鉄道マニアなどがこれから来るかもしれない。

ただ不満だったのは過去の津波のことがその駅に来たら思うものがない、つまりまるっきり変わってしまって過去の痕跡がなくなっていたのである。
その被害は写真とかで見る他なくなっていた。
するとそこにあった津波で死んだ人たちとかも忘れられるとなる
過去と現在を結ぶものがない、全く新しい空間になってしまったのである。

だから駅員は年取ったひとだけどあういう場所には若い人がふさわしいと思った。
その新しい空間でこれから津波の被害があったにしろ若い人はここで生活して行くからである。だから女高生が電車でおりて歩いてゆくのがふさわしいとなる
それは都会的風景なのである。
違っているのはそこは広い自然的空間の中にあったということである。
だから都会の駅より気持ちいい場所になったのである。

ここはだから小高とか浪江で今年は鉄道が通るというとき復興の参考になる。
新地駅があれほど変わったのはやはりあそこはもともと田んぼであり何もない空間だった海の方に村があったがそれもみんななくなった。
するとその広大な空間が生れ自由に新しい街を設計できるようになったのである。
そういうことが女川町とか他で起きているのである。
街ごと泣くなってしまったからそうなる。何もなくなったからこそ新しい街作りができるとなる
その時そこに古いものにこだわるとき新しい街作りはできなくなる
ただ古いものも活かした街作りが歴史を活かした街作りも必要なのである。
ただ古いものにこだわりすぎると新しいものは作りにくいのである。
それで女川町では若い人にその街作りをゆだねたのである。
老人は口だすなとなったのである。

新地駅を中心としたコンパクトシティはやりやすかった。あれだけの広大な空間が生れたからである。そこに温泉も出たということで憩いの場所になるし農園も作る広さがある。そしてこの辺と違って原発の被害がそれほどなかったことも幸いした。
この辺は原発の放射能被害が致命的だったのである。
ただ原発の補償金など新地ではもらっていないからあれだけ広い敷地にも家はぱらぱらしか建っていないのである。鹿島になると三つくらい新しい街ができるほど住宅地が生れたからである。それは原発マネーがあったからである。

とにかく発想の転換が必要なにる。今までは駅は車社会になり利用者がへり駅前通りもさびれシャッター通りになった。でもこれからはまた鉄道も見直されるかもしれない。
そして駅前に大きな駐車場スペースができた。すると車の人も温泉などあれば寄ることになる
公共的施設も文化会館とも作るというからあそこが新しい一つの街になる
すると鉄道でも車でそこに人が集まり人の流れができることになる
あそこは広場の役目も果たす、外部の人と内部の人が交わる場所にもなる
とにかく景観がいいからそれが最大の魅力になると思う。

それで小高などでも駅中心にこうした新しいコンパクトシティを作るのもいいかもしれない、今までの駅前通りという発想では新しいものはできない
この際、今まであったものを無視して新し街作りを目指す、それで新地駅が見本になる。ただあの駅にしても地元の人が新地町の人が役所でしたはいうわけではない、ほとんどはJRが作ったのである。今はこうした会社の力がないと大がかりなものは作れない時代である。
浪江でも今年中に鉄道も通るというとき小高とも結ばれるからそこで復興のはずみとはなる。ただ新地駅のようにはならない、そこが問題なのである。

でも浪江町でも小高でもまず今までのような街はもうありえいことを自覚すべきである。そういう前の街にこだわると新しい街作りができないからである。
ただ伝統的なもの歴史的なものは継続されるべきである。
だからといって前の街のイメージを強く残りいだいていると新しい街作りはできないのである。
だから若い人に新しい街作りを女川町ではまかせたのである。
原発被害地域ではその肝心の主役となるべき若い人が流出したから復興できないのである
鹿島駅で大阪から除染に来た人がこの辺は人がいいから三年もいたなとか大阪弁で話した大阪弁だともめんるんだよなとか言っていた。
都会を嫌う人もいて田舎が見直される時代でもある。
そういう人が移り住むといいとも思った。
その人は旅の人ではないからこの辺の人とか事情を知った人だから違っている
三年も住んでいたらやはりかなり土地のことに詳しくなる。
こういうときは移り安いということもあるから移り住む人がいるかもしれない。
ただ今のような状態ではとても住みたくないとなるだろう。


飯館村の場合は草野を中心にコンパクトビリッジになるのか?
若者を住まわせるための新しい住宅を作っている。
ただソーラーパネルがそこに大きくしめていたり前のような村の景観が多少壊されているでも飯館村でもやはり新しい村作りをする意外にない。
それがどういうものになるのか?それは町や村でもみんな個性があり違っているから個性的な村作りになる。飯館村だったらどうしても山村だから山を活かす村作りがふさわしいとなる。でも放射能被害で山菜がとることができないなど苦しいのである。
牛を飼うにしても土地の牧草を利用できないとか前のようにはいかないのである。
ともかく発想の転換が復興には必要なことは確かである。
でもそれは一番むずかいしことかもしれない、今あるものから人間は発想しているからである。

新装の新地駅短歌十首 (一変した新地駅の驚きー観光スポットになった)

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