2017年01月08日

大和魂とは何なのか? (日本の国土と一体化した独特のものの発露)


大和魂とは何なのか?

(日本の国土と一体化した独特のものの発露)



一方、大和魂は
「武士の想い」で、良い世の中を創るために、
志に生きることだと思います。

 ここでは、『毎日』が一歩リードした。三勇士の報道では、その内容、詳細さ、迅速さ
において『朝日』が先んじた。『朝日』が「肉弾三勇士」として報じれば、『毎日』は「爆弾三勇士」とそれぞれの名称で、報道、イベント合戦をくり広げた。

関東軍の重砲兵として入隊した当時、「百発百中の砲一門は、百発一中の砲百門に当たる」と教えられた。
疑問を挟むと、「貴様は敢闘精神が足らん。砲の不足は大和魂で補え」と怒鳴られた。”
by 中内功 (私の履歴書 2000年1月31日)

この点にかけても、わが大和民族は選民といっていいほどに、他のいかなる民族よ
りも優れたる特質を具備している。
それは皇室と国民との関係に現れ、軍隊の指揮者と部下との間に現れ、国初以来の
光輝ある国史は、一にこれを動力として進展して来たのである。肉弾三勇士の壮烈な
る行動も、実にこの神ながらの民族精神の発露によるはいうまでもない」
『大阪毎日』では26日第一面の「日々だより」のコラムで徳富蘇峰が「廟行鎮攻撃の
三勇士」として絶讃した。


「誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。誰も聞いた事はあるが、誰も遇(あ)った者がない。大和魂はそれ天狗(てんぐ)の類(たぐい)か」

夏目漱石の『我が輩は猫である』


 敷島の大和心を人とはば朝日ににほふ山桜花  本居宣長

 かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂  吉田松陰

宣長の歌は平和そのものである。そこに何か戦うとかは微塵もない、ただ山桜が朝日の中に咲き誇る、これと全く違うのが大和魂なのである。
これはものすごく戦闘的なものになっている、それは明治維新で対外的になり攘夷論になりふきだしたものである。
だから当然戦争になったとき大和魂は戦争するために不可欠の精神論になったのである。大和心には戦争などイメージするものは微塵もないからである。
それは江戸時代の300年の平和な世界から生れたものである。

大和魂とは何なのか?

漱石がわけわからんものだというときそうなる、大和魂は外国を排斥するものとして日本の独立を保つために自ずと歴史的伝統から尊皇思想となり生れた
「やむにやまれぬ」ものとして生れたのである。だから日頃は江戸時代には意識しない、宣長は例外であり学者であるから意識したのであり侍でも意識していない
でも古来から大和心はあり大和とはそもそも何かとなると奈良時代に日本が建国したとき統一したときが大和となったのである。
その統一の象徴として奈良の大仏があった。蝦夷が強大な敵でありそれを征服した
大和が建国されたのである。だからその時大和魂が生れたとなる
大和魂が形成されたときちょうど万葉集が生れた、だから日本人の心は万葉集にある
万葉集の短歌から俳句も生れているから日本の文化の発祥は万葉集とともにある
政治的にも文化的にも日本となったのは奈良時代である。

大和魂は日本建国したことで生れた、日本統一したとき生れた。それが尊皇思想となったのである。日本が分裂して蝦夷と二分して戦っていたが統一されたのが奈良時代だったのである。それは東と西の戦いでもあった。その前には蝦夷魂とかあったともなる
その蝦夷魂は大和魂に敗れたとなる、そこには神道派と仏教派の争いもあって日本は奈良時代に統一国家になったのである。
大和魂とはすでに平安時代にあった、ただ大和心という意味で平和なものだった。
大和魂が意識されたのは明治維新のときだったのである。
大和魂は一個人の想いではない、国という大きなものの中に利己を自我を捨てることにある
人間はどうしても利己的であり自我にエゴに普通は生きている、でも国家が危難にさらされればそうした利己心の集まりでは対抗できないのである。
大きな国のために犠牲になることが要請されるのである。

日本人の強みは優秀だというとき大和魂が理屈ではなく備わっている、それは日本が海に囲まれて一つの独立国として存在しつづけたことにあった。
つまりいつも言うように地理がやはり日本を作ったのである。外国はそうした強固な民族の統一性を作れない維持もできない、絶えず異民族が侵入してくる、それで万里の長城を作らざるを得なくなってくる、その労力が膨大なものとなる
アメリカがメキシコ国境に壁を築くというのも歴史の繰り返しなのである。
大和魂とは強固な日本の国土と人民の民心の統一一体感を日本という地理的特殊性から自ずと生れたものである。だからこそ「やむにやまれぬ」ものとして対外的に危難のときに発露してくるのである。

でも大和魂は日本国土の統一のやまにやまれぬ感情であり国土の一体感から生れたものである。自分はそうした国土の日本の自然とのアイディンティティを追求してきた。
そのアイディンティティが万葉集となったのである。
それは他国を侵略する戦闘的な大和魂となったのは大和魂ではないのである。
なぜなら外国は日本の国土としてのアイディンティティがもていなからである。
大和魂とは日本の国土と自然と一体化した日本独特の感情なのである。
人間は自然を体躯としてもつ、国土はその体躯なのである。人間とその国土は一体なのである。
日本はそういうことが理屈ではなく地理的にも歴史的にも自ずと形成された国なのである中国とかアメリカとかヨーロッパとも国の成り立ちが特殊なのである。
大和魂は日本の国土に根ざした国民の一体感であり対外的に侵略する精神ではないのである。ただ日本の国土を侵略するものがあれば日本人の大和魂はやまにやまれず発揮されるそこに大和の大義のために日本人は利己心を捨てて大和の大義に殉じるのである。
そこに日本の強さがあり日本が簡単に征服できない、ヨーロッパにも植民地にできないものがあった。
インドであれ、中国であれ、南米であれ、なぜあんなに簡単に征服されて植民地化されたのかをみればわかる。日本は強固な統一された別個の文明を築いたいたからだとなる
その原因は日本の地理的条件とそこで作られた歴史にあった。

天の時は地の利に如かず地の利は人の和に如かず

日本には古来から人の和が強固に作られていたのである。それが大和魂なのである。
そして今日本の問題は何かとなると戦前はその過剰な強固な国意識により侵略戦争となった、大和魂は外国を侵略するものとしてはなかったからである。
日本の独立するためには植民地化しないためにはあったが侵略するためにはなかったのである。侵略しなければ日本も守れないという意識はあっても自ら他国へ侵略して殺りくするというのが大和魂ではなかったのである。
なぜなら外国の国土とは一体化できない、アイディンティティ化できないからである。

つまり日本とはnatinal identified body、one identified bodyなのである。
国体=大和魂=大和の義になる、国体という言葉がそれを物語っている
それが大和魂なのである。像をもって考えろというときまさにその像とは日本のBODYなのである。それはライン川をドイツの父なる川とするように外国でも通じるものがある
ドイツには特にそういうものがあるからドイツと日本はにている面はある。
中国とかアメリカとなると大きすぎるからそうした国土との一体感が生れにくいのであるだから中国は統一するのがむずかしく三国志になっている、国が大きくても人の和が保てないのである。それで一見強いのだが弱いのである。
つくづく地の利があっても人の和が形成されないと国でも人でも弱い、でも日本は地理的条件、地の利に恵まれて和が作られたとなる、日本でもこの和の強固さが崩れるときもろくも国自体が分裂して滅びてゆくともかぎらない、これだけグローバル化しているとき国が分裂して蹂躙されないとも限らないのである。

栄えある大和の大義に殉ぜよというとき日本は理屈ではなく国土的にも歴史的にも作られてきたのである。それを外国まで適用したのが間違いだったのである。
そうした日本の義は日本にとどまるものであり外国となると別になるからである。
そうした義は世界的には通じないのである。





タグ:大和魂

2017年01月09日

悠久の大義とは何だったのか? (悠久とは自然であり天皇のことでとはなかった)

悠久の大義とは何だったのか?

悠久とは自然であり天皇のことでとはなかった


悠久(ゆうきゅう)とははてしなく長く(例えば皇紀2600年)続いているさま、大義とは、国家・天皇への忠義を意味する。

進め悠久大義の道 敵米英学徒を圧倒せよ=学徒出陣壮行会での東条英機首相の訓示(1943【昭和18】年10月21日)

…申すまでもなく、諸君のその燃え上がる魂、その若き肉体、その清新(せいしん=新しく、生き生きとしていること)なる血潮(ちしお=身体をめぐる血。激しい情熱や感情のたとえ)総(すべ)てこれ、御国(みくに=国を敬っていう語)の大御宝(おおみたから=天皇の民。国民)なのである。この一切を大君(おおきみ=天皇を敬っていう語「おおぎみ」とも)の御為(おんため)に捧(ささ)げ奉(たてまつ)る(献上する)は皇国(こうこく=天皇が統治する国。「すめらみくに」)に生を享(う)けたる諸君の進むべきただひとつの途である。諸君が悠久の大義に生きる唯一の道なのである。諸君の門出の尊厳(そんげん=とうとくおごそかなこと。気高くおかしがたいこと)なる所以(ゆえん=わけ。理由)は、実にここに存するのである…。

悠久というときなにが悠久なのか?自然が悠久なのである。日本の自然が悠久なのである天皇が代々つづいたから悠久ともならない、それはせいぜい2000年にもならないのでる。自然はそれよりはるかに悠久なのである。
だから大和の悠久の大義とはただこうして戦争のためにのみ使役されたことが悲劇につながっていた。
現実に敵を殺すということは戦争はいかなる大義がるとしてもやはり犯罪になる。
それを戦場では理屈ではなく日本兵は体験したのである。
志願兵も中国人を殺すことを命令されてしたらしい、ただそのことは言っていない、それを大ぴっらに言えないのである。そこに良心の痛みが人間だからあったからだ。
それが悠久の大義のために天皇のために許されるとしたらどうなるのか?
そもそもそれが日本の世界の大義となるのかとなる
日本の国土が攻められたらそうなるが外国に侵略して殺すといことが大義なのかとなるとなりえない。

悠久の大義は確かにある、自然が悠久であるごとくそこに日本の自然と共に大義がある。でもその悠久な自然とはなになのか?その国の山川草木が悠久でありでもそれが敵を殺していいと支持するのか?それは平和そのものであり敵を害するものではない
だから右翼でも何かそういう自然とは関係なくただ天皇もちあげ戦闘的になる
右翼の中には暴力団などがいて実際にかえって日本国民を苦しめているのを知っている
自分の店で働かせて給料を払わなかったりと何か不正をしていたりとか普通にある
そういうふうにむしろ国家至上主義者は大きな不正を愛国者気取りで隠している
そういう人たちが愛国心を語るのは偽善なのである。
それは左翼にも言えるのである。左翼の問題は日本の歴史をすべて否定的にとらえる、だから中国の文化革命でそうした歴史的遺産を破壊したのである。

だから悠久の大義というとき別に日本にだけあるのではない、外国にだって山川草木があるのだからそこに悠久の大義があるとなる
戦争のためにのみ悠久の大義があったことがまちがいなのである。
そもそも悠久の大義が自然にあるとするときなぜ右翼は原発を支持して核武装になるのか悠久の清らかな自然を汚した原発を支持しているのか?それは日本を核武装するために必要だからともなる
国賊とは何かとなるとそうした原発で「安全神話」を作った人たちなのである。
それは政治家であり官僚でありマスコミであり科学者であり学者であったのだ。
日本の悠久の大義を汚したものが日本の支配者層だったとなる
この人たちこそ糾弾されるべきなのである。

だから愛国心というときなになのか?愛国者が何なのかとなるとこれまた偽善的愛国者が多いのである。暴力団が愛国者になりうるのか、庶民を苦しめている人たちがなりうるのかということがある。
ただ愛国心は必要である、人間は戦後はただ利己心の私益の極端な追求しかなくなった。民主主義はただ個々人の利己心を全面的に認め物質的豊かさのみを求めたのである。
そこには国の大義に殉じるなどなくなっていた。カルト宗教団体なども労働団体でもなんでもそうである。ただ個々人の利己心の私益を求めて運動しているから同じだった。
それが宗教という名のもとに社会主義というマルキシズムの思想のもとに団体組織化しただけである。その中味はただ個々人の利己心の私益の追求で同じなのである。

人間は確かにこうした利己心私益から脱することが何か大きなものに殉じることが不可欠なのである。そういう大義があるとき日々のささいなことから脱することができる
戦争はその大義が誤って利用されたのである。もちろんすべてを否定できないものはあるヨーロッパの植民地にされない戦争だったということも一理ある。
でもそこに日本の大義が通用するかとなると疑問になる
それぞれの国はまた義があるからである。

日本人の心は日本の自然と共に一体化して歴史として作られてきた。それが戦争に結びつくものではない、ただ奈良時代に大和国家が形成されたとき日本は統一されて日本となった。
その時天皇が各地に特に大和王権に敗れた蝦夷の魂を鎮めるために奈良の大仏を作ったのである。そういう祭りが天皇に継続されていた。
各地にはその土地と一体となった魂があったからだ。今でも会津魂とか相馬魂とか何かそうなりうるものがある。会津だととくに明治維新の戦いで会津魂が発揮されたとなる
封建時代は藩ごとにそうしたその土地に根付いた文化があり魂があったともなる
その土地と共にはぐくまれるのが文化だからである。

悠久の大義というときそれは別に日本だけではない、自然とともにあった心だからそれは世界に通じる普遍的なものである。だから神道にはそういうことがありモラルもあり世界に通じないことはないのである。ただ天皇を神として世界には通じないだけである。
清らかな自然の中に真直なる心とか直し心とか大和言葉に伝えられている言葉の中にそうした日本人の精神が受け継がれているのである。
そういう心は別に世界的に共通なのである。清い心の人は神を見るだろうというのもそうである。それが他国への侵略とか戦争に結びつかないのである。
それはキリスト教でもイスラム教でも人を殺すことが是認されるわけではないから同じだとなる。だから義の戦争、義戦というのがあったとしても滅多にはないだろう。
それぞれの国々は義があるからどっちの義が正しいともならないからである。

何か日本の大義というときどうしても今は戦争に結びつく、そんなこと主張したらお前は戦争を支持するのかとなる、それはあの太平洋戦争がそうさせたのである。
そこには確かに日本の義もあったが他国の義は無視されたのである。
ただ戦後はあまりにも利己心私益の追求であり会社中心主義になった、そこに日本の大義は失われたのである。
「日本の大義」それすら死語になったともなる、でもその復古が必要になっている
復古というとき古いものをそのまま受け継ぐ回復させることではないのである。
新しい意味をもって復古するのである。本居宣長が大和言葉を新たに発見する作業をしたのもそうである。日本人の心は大和言葉の中にあり受け継がれているからである。
それが万葉集に残されているからである。

豊国の企救(きく)の浜辺の真砂土(まなごつち)真直にしあらば何か嘆かむ

真直(まなお)という言葉は死語になったけどやはりこれと大和言葉の独特な精神を現している、自然の中に真直なる心をもつことが日本人の精神だったのである。




タグ:悠久の大義

2017年01月10日

新春短歌十首(海より望む大和島)


新春短歌十首(海より望む大和島)


天離(あまざか)る夷(ひな)の長通(ながぢ)ゆ恋ひ来(く)れば明石の門(と)より大和島(やまとしま)見ゆ

浦廻漕ぐ熊野船着きめづらしくかけて偲はぬ月も日もなし(12-3172)

御食つ国志摩の海人ならしま熊野の小船に乗りて沖辺漕ぐ見ゆ」(6-1033)

島隠り我が漕ぎ来ればともしかも大和へ上るま熊野の船


(韓国)

韓国に東海望むかなたにそ大和島あり年は明けにき

島一つここに成りしも漢拏山反りつつ高く四方の海望む

韓国の済州島の漢拏山春風吹きて四方の海望む

韓国のゆ船に帰りて伽耶山の春の夕日に染まり暮るるも

春の陽の海より昇り輝きぬ新たな年を大和島見ゆ

明石城夕日に染まり行き来する船の絶えじも淡路島見ゆ

淡路島城もありにし春の月大阪近く一夜泊まりぬ

瀬戸内の島々船に行き来する小湊一つ春の夕暮

島々に潮流早し春の日や汽笛鳴らして大船の行く

島一つ望みてあわれ春の日や誰か住みなむ瀬戸の海暮る

春の日の海より昇りて船よりそ四国を望み難波に入りぬ

赤々と夕日輝きつ大坂城花散りやまじ人絶えぬかも

大坂城栄の跡やゆくりなく夕日に散りぬ花にそ想へ

旅路して花また花の宴の跡西の栄えの跡を行くかな


日本列島を見るときどうしても韓国が視界に具体的に入ってくる。
それはただ地理的なものだけではない、歴史的にもそうである。
それが今日までその綱引きがつづいている。
大和の義というときその国土にあるというとき韓国の一部が入ってきているのである。
もちろん韓国側からすればその義は韓国にあるとなる
韓国から日本海を見れば東海になる、日本海というのが韓国では嫌だとなるものそうである。
つまり日本の海だとなるからだ。それはただ方角的なものとして見ればどこの国の海ともならなんとはなる
でも明らかに韓国の一部は伽耶などがあった任那などは日本だったのである。
だから地理的に歴史的に日本の一部なのである。
韓国は中国と日本にはさまれてその国土のアイディンティティを義を維持するのがむずかしい国だった。だから良くこれまで国を維持できたとも感心する国なのである。

地理とか風土とかでもそこに歴史がかかわってくる、歴史とはその自然とアイディンティティ化した一体化したものである。だからインカとかマヤとかの山を見たときカナダの山とは違っていてそっちが魅力があったというときそれはそこに長い歴史のなかでアイディンティティ化した山だったから違っていたのである。
それは海でも同じなのである。瀬戸内海と西側の海は東北などの海とはまるで違った海である。船が絶えず古代から行き来してアイディンティティ化した海である。
瀬戸内海というのはだから地中海ともにているのである。
海人族が活躍した所だからである。平家などはそうした海の民を味方にして勢力を伸ばしたというのもそのためである。南船北馬ともなる国である。
東北の太平洋は荒寥として船も通わない海ともなっていたからである。
海が荒いし島が少ない、瀬戸内海は航海するには内海ともなっていい海だったのである。でも潮流が早し結構危険な海だったのである。

大和王権が船で日本を制圧したというときあの辺の民だったら船の技術が発達していたからできたとイメージできる、でも太平洋は荒いから丸木舟の大きくしたくらいで行けたのかとなる、船のロマンはバスコダガマとかコロンブスとかある
船の魅力は何か海を通じて一挙に新たな陸地に到達することなのである。
だからそれを鹿児島から四国の沖をまわって大阪へ難波へ来たとき感じたのである。
朝に春の日が太平洋から昇り四国の島影を望み進んだからである。
大阪というときまさに難波でありそれは古来から日本の大和島の入り口だったのである。
そして大坂城の桜は見物だった、特に春の夕日がかがやいて花が散っていた景色は忘れがたい、それは秀吉の大坂城にふさわしかったとなる
そこに日本の栄華があったということでありそれは難波の港ということから古代からそうであったのだ。そういう地理的環境から栄華が生れたのである。
だから桜というとき西側に大阪を中心にした所に一段と映えて散るのである。
それは東北の桜とは感覚的に違ったものである。それは歴史がそうさせているのである。

それにしてもあの辺を旅していたのはずいぶん前になった。それも不思議になる。
自分ほど旅した人間はいない、旅に時間が費やされていたのである。
そういう環境が用意されていていたというのも不思議だとなる、とても勤めていたらできないからである。旅に必要なものは時間であって金ではない、泊まるのに金がかかるにしてもそれより時間がないと旅はできなかったと今では想う
なぜなら年とれば時間が尽きてしまうからである。
結局自分は最初は鉄道の旅であり船の旅であり次に自転車の旅であり最後が外国の旅で終わったとなる。、ふやはり船の旅は時間がないとなかなかできないと今ではふりかえる
それだけ船の旅は時間がかかるからである。
世界一周の船旅でも3カ月かかるとかなる、それだけ旅したら満足だとなるだろう。
それでも船旅は楽だから年取ってからもできるだろう。年配の人が主になっているからわかる。80くらいでもそうした船旅はできるだろう。
ただ早めに旅はしていたほうがいいとなる、何か困難な旅は外国の旅でも早めにしていないとあとはしにくいのである。
ただ時間は容赦なくすぎてゆく、そして時間は二度と帰ってこないのである。
今はそして回想する旅となっているのである。それもやはり旅の延長であり旅だったのである。





タグ:大和島見ゆ

2017年01月11日

新春短歌-近辺 (南相馬市のパークゴルフ場は景色がいい)


新春短歌-近辺

(南相馬市のパークゴルフ場は景色がいい)

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正月や森に大きな昼の月

冬の日やゲートボール場に昼の月


去年(こぞ)散りし楓一枚玄関に雨しととふりぬれにけるかな

玄関に新春の光まぶしかな幸あれにしと我が家を守る

新春や松風鳴りぬ錚々と新たな息吹ここに感じぬ

竹青くますぐに伸びて新春や真日輝きつ鳥の羽ばたく

新春やパークゴルフ場開くかな人々集いなごむもよしも

新春やまた活動のひびきかな六号線を我も行くかな

あきらけくきらめきにけり星一つ徴とあれや新年迎ふ


昨日はあたたかいから新春の光を感じた、春の感じの光である。
今日は寒い、玄関は家にとって大事だという、玄関を掃除して整えておけということを言う人がいる。確かに玄関は人が出入りするから福を呼ぶというので大事になる
ただ家事をしているとかたづけることが大変なのである。
未だに片づいていない、空家をかたづけるに十年かかったとか言うのもわかる
今はいろいろなものがありすぎるのである。

今年の新春は何かこれまでとは違った、十年か介護に追われたし余裕がなかった
それで一昨年も母が死んで次の一年も何かそのことで心の整理ができなかった
人間が自分のことでも家族でも介護とか死にかかわることが大変なのである。
何か異常に疲れることなのである。家族でも焼いたり灰にしたり葬式したりそのあとでも墓参りしたりとか何かそれが精神的に疲れるのである。
だから人間が一人でも死ぬということは容易なことではない
それをなんとか乗り切ったという安堵感がある
それで今年は今までと違った新年になったのである。

南相馬市の前の東北電力の廃棄場に大きなパークゴルフ場ができた、あそこは見晴らしがいいのである。だから別にゴルフをしなくても寄ると気持ちがいい、休む場もある。
あの辺に喫茶店みたいながあったら休むのにはいい、喫茶店はやはり場所がいいところにあるといいのである。
あそこは老人が集まるにはいい場所である。隣に小さいが森もある。
なごめる場所になっている。
そこは自分がいつも通る場所にある、川子の坂を上ったところであり鹿島区内にある。
あれは鹿島町だったら財政的に作れなかったかもしれない、とにかく広いからである。
ただ東北電子の土地を無料で提供されたなどはあった。

老人にとっては鹿島区で新しい施設もできたしスーパーも一つ増えたし人口も減らないから津波や原発事故があってもそれほど打撃を受けていない
小高と比べるとその差があまりにも大きかったと今ではなる
小高の人が帰りたくないというとき小高の場合は南相馬市民であり別に南相馬市内なら移り住んでもみな相馬市民であり変わらないのである。
そして小高でも原町の市街が近いから車があれば買物はできる
そういうことがかえって小高に住まないということにもなっているかもしれない。

デイサービスで厚寿園などを利用した。でも母は行くのを嫌がっていた。特に風呂に入るのを嫌がっていたしそれほど利用していいものではなかった。
何が自分もそれで楽したということもそんなになかった。
それより在宅なのだから在宅で家事など少しでも応援してもらえばよかった。
何か介護はそういうことが多いのである。ある人は介護する人に金をやればいいというのもそうである。その人が介護で苦しんでいることを緩和することが施設ばかり作ってできているとはならないのである。
むしろ介護などは人手であり施設ではないとういこともあるからだ。
自分は全くそうした援助は皆無だった、全部一人でせざるをえなかった
そして来た人は自分を借金がどうだとかなんだとか責めるだけだったのである。
強盗も来たり借金の強要があったり弱者と化したらその弱いことにつけこまれるだけだったのである。相手も金で追い詰められていたからそうなった。
人を助けるにはまず余裕がない人はできないのである。

ともかく今年の新年はこれまでとは違って余裕あるものだった。
だから何か昼の月が大きく出ていたのでふさわしかった
自分は30年間ものんびりしたものだったのである。それがまさにあまりにも恵まれた例外的なことだったのである。そんなことがいつまでもつづくとは思えなかったからである。そのカルマがこの十年間の苦しみだったのである。
それが一段落したということである。

今年は世界情勢でも何か不安とか混乱を予想している、でも自分一身上では正月に出た昼の月に象徴されるようにそういうものはない感じがする
そんなに悪いことばかり苦しいことばかりつづいたら身がもたない、生きるのも嫌になってしまうだろう。ただ介護は十年とかそれ以上している人も結構いることが負担なのである。



タグ:昼の月

海の回廊 ( corridor into the sea)



 海の回廊  ( corridor into the sea)


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 抽象画にできるソフトでもその中の二三の操作が抽象画になりやすい、この回廊というのはそうである。
 みんなが抽象画にならない、二三の操作は確実になっている
 そのコツを覚えると抽象画は大量生産できる

 というのは原画がインターネットにいくらでもあるからである、それを変化させればいいから大量に作れるとなる、ただそれが著作権違反になることはありうる
 それで自分でもなかなか自分の創作といいがたいのである。

 インターネットは何か文章すら合作みたいになりやすいからこの抽象画もそれとにていたのである。インターネットから生れた芸術なのである。
 だから今までにはありえない芸術だとなっているのだ。
 第一自分は全く絵などは描けない、本当に絵の才能は全くのないのに創作しているというのも不思議になるからだ。



 This corridor that two and three operation of the inside is easy to become the abstract picture by the software made to an abstract picture is so.
When two and three operation that an abstract picture does not have all learns the art becoming certain, I can produce the abstract pictures in large quantities

Because, as for mere its that it is becoming the copyright violation, it is hard to be said that I can make it in large quantities because the original picture should change it which is because it is how much into the Internet with readily myself one's creation in it which is possible.

Because the Internet was easy to become even some sentence like a collaboration, there was this abstract picture in it. It is the art that came out of the Internet.
Therefore it becomes when it is impossible art so far.
Oneself first is because it becomes mysterious that the talent of the picture really creates though there is not really it that I cannot draw the pictures at all.

2017年01月12日

トランプはなぜマスコミを嫌うのか (マスコミを相手にすると偏向報道がされるから)


トランプはなぜマスコミを嫌うのか

(マスコミを相手にすると偏向報道がされるから)


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そもそも民主主義が発生したのはギリシャであり小さな都市国家である。そこでは直接民主主義だった。市民が直接投票して市を運営する人を選んだ、そういうふうに小さい都市国家だからその人がどういう人物かもわかる、その主張もわかる。
民主主義がもともとデモクラシーというときデモとは地域のことだったというときもそうである。小さな地域で行われていたのである。またそうでなければ成り立たないものだったのである。
それが今の国家規模になると民主主義が成り立ちにくい、そこでマスコミが第三の権力になったのである。
つまり直接民主主義が成り立たずマスコミ民主主義になったのである。
マスメデアというときまずメデアは

メディアとは、媒体、媒質、伝達手段、中間などの意味を持つ英単語。“medium”の複数形。

それはただ何かを情報を伝える媒体であり単なる機械だとなる、でもそれが現代で重要になったのは一億人に伝えるとなるともうそうしたメデアがなければ伝えることもできないのである。だから最初は新聞であり次にラジオが大きな力をもち次にテレビが大きな力をもつようになったのである。
国民の声を伝えるにもそうしたメデアをマスコミを通じなければできないのである。
そしてマスメデアをマスコミを通じてある人物でも事件でも何でも取り上げられれば一億人の国民に伝えられる、でも取り上げられなければ何も伝えられないとまでなったのが
今の民主主義なのである。
マスメデアがマスコミがなぜこれほど大きな力をもち社会に影響したことが民主主義を歪めたのである。

今日見たフジテレビのトクダネでは盛んにトランプを批判していた、なぜマスコミを拒否しているのかとかトランプはなぜツイッターでしか発言しないのかとか盛んに批判していた。ますあからさまに批判ありきなのである。あからさまにテレビ局の意向を出しているそこに客観的に見るメデアとして中間となどなっていないのである。
トランプが第一になぜツィッターでしか発言しないのか?、そんなことが許されるのかということで日本のマスコミもアメリカと同じようにそのことが一番の不満なのである。
それはマスコミ不用論にまでつながるからである。

インターネットが一般化してこれもできたことである。何千万のフォロアーが読んでいるということも驚きである。ただそれは一方的になるということでマスコミが批判した。ツイッターなどは自分もしていないのだからそういうことができるものなのか理解しにくいということはある。
それはでも直接的に国民に訴えることができるようになったからそうしている。
これまでは政治家でも直接訴えること伝えることがしにくいからそうなった。
マスコミに出るだけで有名になり当選した議員もかなりいた。第一東京都知事すらそうだった。石原慎太郎でもなぜあれだけ力をもったのか不思議だとなる、それはマスコミの力だったのである。マスコミでは批判できなくなっていたからである。
でも石原慎太郎を批判していた人は本も出しているしいたのである。
それは無視されていたのである。そういうことは常にマスコミ、マスメデアは民主主義では起きていたのである。

トランプがなぜアメリカのマスコミすら泡沫候補としてしか報道されなかった。
それがなぜ大統領までになったのか?それが外国になれば余計にそうなる
アメリカのマスコミがみんなヒラリー側につきそれに呼応して日本のマスコミもそのまま伝えているからそうなった。トランプってなんなのだとマスコミだけの情報から見ればそうなってしまう。
そういうことはマスコミ民主主義では常にあった。
原発の安全神話もまずマスコミに多額の宣伝費を払い批判をおさえる、それで地元の福島県の民報でも民友でも原発推進であり安全神話に組みしたのである。
福島県でもほとんど原発の危険を伝える報道がなかった。
ただプルサーマルとかで前の佐藤栄作知事が危険を問題にしていたことはあった。
でもそれは原発全体が危険だということではなかった、原発自体の危険性を伝えるものはほとんどなかったのである。
そういう批判は片隅に追いやられ冗談かとまでなる、それほど強固に安全神話は作られていたのである。

だからトランプがアメリカのマスコミに批判されるばかりだったからマスコミ不信になりインターネットのツイッターでしか発言しなくなった、マスコミに発言すればそれを取り上げてマスコミの偏向報道につながるからである。
マスコミはまずトランプはけしからんということからトランプは大統領になるべきではなかったいいう明確な主張がありそれで問いつめるからマスコミを通すと歪曲されたものとして国民に伝えられるからである。
つまりマスコミは単なるメデアではない、伝える媒体ではない、明確に主張をもって白黒を決めていて報道するのである。
ただそれがわかりにくい場合がある、それはNHKでも同じなのである。どうしても左翼的な報道をしているのがNHKである。
原発避難者のことでもとりあげたが最初から原発避難者側についた報道をしていた。
この辺の事情は複雑であるから変だなと思った、それは地元でないとわかりにくい面があった。
取材するにしても発言させるにしてもそういうふうにNHKでは原発避難者側について取材していた。だから津波被害者のことを考慮していなかったのである。
両方の言い分を言わせればいいが一方的に原発避難者のみの言い分を言わせていたのである。
マスコミは単なるメデアではない、その会社の主張をもったメデアなのである。
だから

マスコミは信用するな、まず疑へ、批判的に見ろ

それを可能にしているのがインターネットだともなる、ただインターネットにもいろいろ問題があるが対抗メデアとして出てきたことは変化であり民主主義にとってはいいとなるのである。
トヨタをトランプが批判したときもそれはトヨタでもメキシコに工場を作るより日本に工場を作り日本の利益を優先させるべきでありアメリカも外国に工場を作ってもアメリカの利益になっていないからそうなったという主張がある。
そういうことは別にグローバル化した経済の反省からでてきている。
だからフジテレビでなんでトヨタを批判するのだとか感情的になる
テレビは良く冷静に見られるメデアではない、感情的になり一方的に洗脳されるメデアなのである。
何かテレビ局に文句も言えないからである。それは新聞社でも同じである。
それを言ったとしてもまず批判的なことはマスコミでは取り上げないからである。
だから今はマスコミ自体が批判の対象になった。インターネットである程度できるからそうなったまでなのである。これまでのマスコミ支配が崩れることは民主主義にとっていいことなのである。




津波の跡の烏(からす)浜にまだ新年はなかった (五年半過ぎても津波の傷痕は消えない)


津波の跡の烏(からす)浜にまだ新年はなかった

(五年半過ぎても津波の傷痕は消えない)

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樅の木の間より望みぬ冬の海

海暮れて樅の木一本冬の月

烏浜津波の跡や冬の暮   

冬の灯や我が家に帰り石一つ   


烏崎津波の跡に残る墓地なおたずねつつ冬のくれかな

烏浜波うちひびき人をのむ津波の跡や冬の雲垂る

烏浜無情にひびく波の音ただ墓残り冬のくれかな

樅の木の墓地に一本立ちにつつ変わらずあれど家はなしかも

烏崎津波の跡や冬の浪うちひびきつつ暮れにけるかな


烏(からす)浜は烏崎になったけどやはり崎だけではない浜になっていたし人も住んでいたから崎という地名だけでは現せないものがあった。
烏浜は前は東北電力の火力発電がなかったのである。
その時原町と鹿島は砂浜でつながれていた。その時も良く行っていたのである。
火力発電所ができてそういう風景も消えた、あれは景色的にいいものではないと思っていたが今から考えると原発よりは良かったのである。あの中で2000人とか働いているというのは本当なのか?、相当なこの辺での雇用の場所になっているのだ。
東北電力の社宅の団地も鹿島区にあるしまた最近できた広いパークゴルフ場は東北電力の廃棄物処理場の跡にできたのである。

この火力電力が建ったときも烏浜には補償金をもらっていたのである。それで近くの呉服屋が着物を売ってもうけたということは家の人から聞いている。
その時も相当にもらっていたのである。その後は船主など船子は漁業組合に入っていた人は原発で事故前も事故後も補償金をもらっていたのである。
そういうことで墓を見ると立派なものが多いとなるのか?

でも不思議なのは海老でもそうだが墓地が残って家は津波で流されたのである。
だからなんか奇妙な感じになる、墓地だけが墓だけが残って部落が消失するというのはどういうことなのかと思う
海老では本当に墓地だけが高台に残ったから目立つ、ここは隠れるように墓地があったから目立たない、でも墓地だけが残り部落が消失している風景は何なのかとなる
墓地が流されて部落が残っているならいいがそれがないのだ

あの墓地から見晴らしが良くなったのは家がなくなったからだろう。
あそこに立っていると未だに新年を祝う気分になれなかったし現実にそうである。
津波はあまりにも悲惨だったのである。
根こそぎ部落がなくなることが悲惨だったのである。
あそこに野生の咆哮のように冬の浪が打ちつけひびいていた。
まさに自然は無情なのである。ここに死んだ人たちのことなど考慮していないのである。無情もまた自然なのである。自然を呪った海を呪ったというのもわかる
自然には情がないのかとなってしまうのである。

なんか今になるとその波の音が恐ろしいとなる、海はやさしいものではない、自然でもそうである。海はもともと何か恐ろしいものを感じていた。
だからあのように海に面して家々があることが不安にならないかとも思っていた。
海鳴りがいつもひびいているからである。
津波の跡に新年が来るのはいつになるのか?
復興というとき津波の跡でも家が建って人が住めば復興したとなるがここにはない、他でもなくなった。
だから復興したと感じるのはいつになるのか?
それは何十年も先になるのか?ただ墓だけがここにも残っているのである。

2017年01月13日

新年の赤い月を写真に撮る (駅の日常風景がもどった)


新年の赤い月を写真に撮る

(駅の日常風景がもどった)

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夕日さし新年の月赤しかな

新年や外部の人と睦みあう


帰り来る娘を待ちぬ母のあり電車通りて新しき年

何か自然は兆候があるのかもしれない、写真に撮った赤い月もめずらしい
夕日さして赤くなった。月には見えないのである。
今年は月が良く見える、それは何なのか?


睦月(むつき)とは睦み合うということから来た言葉である。正月には人が睦み合う時なのである。正月にはもともとそういう気分があった。人が集まり睦み合う時なのである。
駅で話したのは青森の人だった。青森には仕事がないから来たという、警備の仕事なのか車の整理をしているみたいだ。
大間のマグロを食べてきたと言っていた。何かあまり話しにくい人がいる
その人もそうだったが話が通じないわけではなかった。
まずこの前は長崎の人が来たりと何かこの辺は全国的になる
大間のマグロを食べたというとき一番贅沢だったとは言った

電車が通り日常の風景がもどった。娘が帰ってくるのを母親が待っていた。
仙台から来たらしい、駅は迎えたり見送りしたりする場である。
それが人間的なのである。駅には何か人間的な温かさがある場所なのである。

駅にはこの辺では今いろいろな人が来ている、全国から来ている、それが前とは違っている、前は地元の人しかほとんどいない、地元でもこの前相農で花の栽培などを習う科に入る受験の中学生がいた。そんな科があるのかと興味をもった。自分は花に興味をもっているからだ。

最近はみんなスマホをしているから話しにくい、みんなうつむいてスマホを見ている光景を何か異常にもみえる。受験の中学生もタブレットの漫画を見ていたのである。
スマホは暇つぶしは一番いい、でもその時回りのことが無視される,そこで話することなどなくなる、地元の人と少しでも話すると何か得るものがある場合がある
それがなくなる、ただ旅ではスマホは便利だろう。交通のことがわからないからである。人に聞いても道すら良くわからない場合がある、スマホの方がわかるとなるし案内になる
でもそこでそこにいる生の人間と接しないことは何か大きなものが欠けてくることもある旅でもスマホばかりみていたら辺りのことが記憶に残らないだろう。
風景でも集中しないと記憶に残らないのである。それであとで失敗したとなる
デジタルカメラに撮ることに夢中で風景がかえって心に残らないことすら起きる
なぜなら人間が記憶することと機械が記憶することが違っているからだ。
機械に記憶できるものとできないものがあるからだ。
その場所の雰囲気はカメラで全部記憶できないのである。

ただ今回の月はなかなか見れないし写真にもとれないものだったことは確かである。
カメラは今は近くでも持ち歩かないといいものがとれない
近くでも日々変化しているからである。

2017年01月14日

小高区と鹿島区のうまくいかなかったことの反省 (急激に起きたことで原発避難者はまとまることができなかった)



小高区と鹿島区のうまくいかなかったことの反省


(急激に起きたことで原発避難者はまとまることができなかった)


近くの小高区の仮設の人がまもなく出るということでモチをついて回りに配ったとか聞いた、そこは回りともうまくいっていた。
別に小高の人にもいろいろいるからみんなが悪いとはならないし自分も話したりした。
基本的には補償金でもめた、でもそうだからといってみんなが悪いとはならない
でもどうしても補償金の問題は大きかった、なぜ小高ばかりが待遇されるのかと補償金をもらえない人たちは不満になった、それは相馬市でもそうだしどこでもそうである。
鹿島はまだ多少はもらっているからいい方だとなる。

そして毎日パチンコとかギャンブルで遊んでいたことも反発された、それも考えると急激に避難者になったことが原因していた。何もすることがなくなり金は入ってくる、やることがないとなりそうなった。
でもその時回りではなんだあいつら毎日ギャンブルで遊んでいるだけだと見られた
避難先では働く人たちがいたからである。そして避難者は常に外部からボランティアなどがきて援助していた、かわいそうな人たちとして援助していた、すると俺たちは同情されるべきであり援助されるのが当然となったのである。
だからそういう人に何か文句を言うとなんだと同情もしない奴なのかと怒る
それにお墨付きをつけたのがマスコミだった、テレビでは避難者のことなど悪く言わない、常に同情する立場にたっていた。
NHKでも原発避難者と津波被害者がいたとき原発避難者の側に味方して放送していた。
なぜ仲間に入れないのかとか放送していた。ただその後は双方が和解することなどを放送していた。

なぜ原発避難者がいろいろ問題になったかというと急激に避難者となったことで村でも町でも混乱したのである。自治体で一つの方向をもって共同して対処できなかった。
そしてどうなったかというと個々人が補償金をどれだけもらうかが問題になり自治体がまとまるとかはなかった。そして結果的には自治体のまとまりがなくばらばらになった。
小高の場合は小高町としてまともまることができなくなっていた。
なぜなら南相馬市として合併していたからである。それはいい面と悪い面に働いた。
ただ他と比べて小高自体のまとまりはなくなっていたかもしれない。

人間はそもそも急激に起こることに弱いのである。自分も一身上で介護だ、自分の病気だということに十年間苦しんできた。そこで事件にもまきこまれた。
本当に急激に起こることに人間は弱い、どう対処していいかわからなくなり混乱してしまう。そういうことでやはり自治体がばらばらになったということもある
第一放射能というのにどう対処していいかわからないからだ。
それが混乱の一番の原因だった。津波くらいだったら苦しくてもなんとか対処できたのである。

こういう危難の時は何か指導者が必要となるのかもしれない、みんなそれぞれに勝手に行動したらまとまりがなくなりそれが回りとの軋轢をうむ、いわき市などでは2万人も移住してその中で家が建てた人が多いというとき市が混乱状態になる
するとその2万人が非難の対象になる、つまり自治体としてまとまり行動しないと回りの顰蹙をかうことになる、その中でばらばらに行動していると何人かでも勝手に金あるんだからギャンブルしようが何しようがかまわないとなっていた
それが回りの顰蹙をかったのである。

そもそもこうして自治体がばらばらになったことが問題なのである。それは原発を建てる時から自治体は広くまとまり原発の周辺だけではなくいわき市でも南相馬市でもさらに広くまとまって原発に対処する必要があったのである。
その土地の所有者と県の許可で原発が建てられたということが異常だったのである。
なんら議論すらなく原発は利益になるというだけで建てられたのである。
そこからして現在の混乱を生む原因になっていたのである。

だから十津川村で土砂崩れとか洪水で大被害を受けて北海道に村が移住したときは村が一つになっていたのである。時代もあるがそういう危難の際にはまとまること団結することが優先されたのである。それを見るとギャンブルどころではない、徹底した節制を全員一致でしていたのである。政府からも援助金をもらったから無駄をしてならないとか全員で徹底して団結して危難に立ち向かったのである。
それだけのまとまり団結ができたのはなぜかとなると時代背景があり今とは比べられないともなるが参考にはなる
そういうふうに団結しなければも自治体は維持できなかったのである。

だから原発避難者でもそうしたまとまりが必要だったが第一原発避難者でも全国に散らばったり福島県でも広いから散らばった。そこからしてばらばらになってしまった。
どこかに一カ所に住めばまだまとまりやすいことがあるが最初からばらばらになった。
その後は何か町の再建するというよりもう町から出た方がいいとなった。
補償金もらってそれで家を建てた人も多いし若い人に多かったのである。
それで老人は故郷に帰りたいといっても町や村を維持できなくなった。
飯館村さえ補償金もらって外に出て牧場経営した方がいいともなったのである。

補償金をらうことにより個々人でその将来を考えるようなった

そうなると町や村を維持しよう、守ろうとか将来を考えることもできなくなったのであるそれは急激なことであり時代背景もある、現代は金があればどこにでも暮らしていいという時代である。
そして豊かな時代だから誰も放射能汚染した所に住みたくないとなった、人間は誰も豊かな時代に不便な貧しい生活など望まないのである。
十津川村の場合は貧しい時代であり北海道に開拓に入る人が普通にいた時代だからそこでの苦労をいとわなかったのである。戦後まもなく津島などに開墾に入った人たちもそうである。働く場所がないのだからそんな場所にでも入って働いたのである。
そういう苦労したから津島では団結していた人のつながりが強いと放送していた。

いづれにしろこの津波とか原発事故は自治体の在り方とか対処の仕方とか自治体とは何かとか問われたのである。普通だったらそんなこと問われない、でも例えばこの辺でとなくても夕張などでは自治体が破産するとかなり問われた、自治体が維持できなくなる
税金も入らなくなり住民もへってゆくから福祉関係で何でもサービスを受けられるなくなるのである。限界集落になっているところもそうである。

危難の時は国でもそうだが一個人のことを言っていられない、日本でも戦争の是非があっても一個人の自由はなくなる、国の存亡がかかっているからである。
それは自治体でもそうだったのだが今の時代は移動が簡単だし時代背景もありそうして十津川村のように団結できなかったのである。
それが原発避難者が各地に散らばり地元の人と軋轢を生んだりした原因だったのである。本当は原発避難者は一つにまとまり団結して対処すべきだったのである
それが急激に起こったことで対処できなかった、結果的に自治体がばらばらになってしまったとなる
だから十津川村と比べるとその差はあまりにも大きかったのである。

移住住民は、故郷を去り、親や兄弟と別れ、絶海の地に移住してきて、移住者同士しか頼れるものはいないのだから、これまでにも増して一致団結し、お互いに助け合い、猜疑や軋轢を生むことなく、新村の隆盛と勤王の由緒相続を目指そう。


これを読めばひしひしとその時の危機感が伝わってくる。その困難に際して人々がいかに一致団結したかわかる。その覚悟と決意の強さが復興の原動力だったのである。
人間はこういう危機のときでも困難のときでもこうした覚悟と決意があれば力を発揮するものだと思った。
だから避難民はここはかなり参考になると思う。
これを読むと相当なまず覚悟があったということである。原発避難者にはそんな覚悟もなにもない、補償金をもらえばいい、それしか頭になくなっていたのである。
それがまた当然であり回りでもそれは認められるべきでありボランティアでもマスコミでもそうさせたからである。それはしかたないにしても何か過剰な援助でもあった。
そうなると自分たちでなんとか復興しようとする気すらなく個々バラバラになり補償金をもらうことにだけ奔走する、それが回りとの軋轢を生んだ
だから人間は恵まれたからといって豊かだからと言っては限らない、金持ちが協力しあわないで貧乏な時代はかえってわずかのものを与えたりもらったり隣近所と協力していたのと同じである。今の時代はただ求めるのは金だけなってしまったのだからそういう時代背景があってまとまれなかったということもある。
ただ危難の際には普通の場合とは違った対処が必要だったのである。
それができなかったのが復興できなくさせた大きな要因だったともなる

十津川村の教訓ー移住する意志と覚悟と決意があった
(原発事故周辺は補償金だけをもらうことしかないので復興はできない)
タグ:原発避難者
posted by 老鶯 at 10:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

鹿島駅の重いドアは原ノ町機関区の人が来て直す (今日はホームを雪かきしていたので話できた)


鹿島駅の重いドアは原ノ町機関区の人が来て直す

(今日はホームを雪かきしていたので話できた)

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雪で今日は18分遅れた

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ここで宣伝ができる


鹿島駅の重い扉を直してくれるようだ、原ノ町機関区の人がホームの雪かきにきていて聞いてみたら滑車がなんとか言っていたから重い扉も軽くなるだろう。

これは市役所にも言ったし市の方にもいった。でも実際は原ノ町機関区で管理しているから原ノ町機関区で直すのである。水戸が管理していてもその人に言っても無駄だった。
やはり近くでないとできないことがある

そのJRの人に電車が通ってありがたいものだとみんな感謝していると言った。
今までそんなことを感じなかった、電車賃が高いとか何か文句を言うことが多かった。
でも一番今回復興を感じたのは自分の町では電車が仙台まで通ったことだった。

自分はもともと鉄道が好きで旅したこともあり思い入れがあったこともある
でも鉄道を運営している人々に感謝したことなどない、それは当たり前だと思っていた。でも鉄道がなくなったときバスで難儀した、それから電車に乗って仙台まで行ったとき本当に楽だった。それは五年間も乗らなかったから余計に感じたのである。

人間は何でも家族でも妻でも失ったときそのありがたみがわかる、この辺では津波や原発事故でそういうことが多かったのである。
当たり前にあるものは感謝しない、かえって文句を言うことが多いのである。

電車が走らないのと走るのでは相当に違ったものになる、この辺では見慣れているからだけど何か電車が通らないと僻地のような感覚になる、飯館村などがそうであり電車が通らないから僻地の感覚になる、バスが通ったとしてもバスと電車は全然違ったものなのである。

鉄道でも雪がふれば滑らないように雪かきしたり鉄道を守る、運行する仕事がある。
その仕事をしているのはJRなのである、ただ何か現代はそういう人間が働いて機械が動いているという感覚がなくなっている、鉄道でも自動運転なのかと錯覚するのである。
すると人間に感謝したりしないのである。
でも人間がいなければ機械だけでは運営できない、なにかしら人の手が必要なのである。だから今回の電車を運転しているとか車掌とか鉄道の保守をしている人とかがいて運行していることを自覚した。だから感謝したのである。

まず鉄道が通らないと廃線になるとさびれたものとなる、北海道は半分以上廃線になったしこれからもなる、北海道は採算がとれない、常磐線はまだ採算をとれる線だろう。
仙台との交流もあり学生も通うし坂本山下辺りになると通勤圏にもなっていたからだ
それでも二両の電車が何本か走っている、仙台まで二両でまにあうのかという疑問がある普通は4両が一番多い、八両も走っている、前は八両が多かったのである。
だから二両で仙台まで行くのかと疑問になる、仙台近辺になると乗る人が増えるからである。途中までなのかよくわからない。

いづれにしろ電車が仙台まで通ることがやはり活気がでる、夜でも八両とかの電車が行くと明るい感じになる、前はそれはいつも見ていた光景なのである。
でも今回復興して見ているとき前見ていた感じとは違う。
これが仙台まで通じているということが違っている、相馬市までしか通じないとのとは大きな差だったのである。