2017年01月01日

新春2017年(春の城俳句十句)


新春2017年(春の城俳句十句)

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春日さし福岡城の跡たずぬ

福山城天守へのぼる花盛り

花冷えや蔵之助の家赤穂城

姫路城天守の高く春の空

春夕陽船の往来明石城

花曇り15万石の松山城

春の海望み船入る今治城

船の入る高松城下春の暮

夕日映え花散り尽きじ大坂城

花吹雪一代の栄華大坂城

花盛り小田原城の栄かな

みちのくや春の夕日に小峰城

安達太良の残雪映えて二本松城

二本松城井戸の深しも落椿

燕来る流れのはやみ青葉城

門古りて枝垂桜や弘前城




和歌山城石段上り朝の菊

金の鯱夏の陽ざしや名古屋城

実り終え近江平野や彦根城

岩手山紅葉に映ゆや盛岡城

井戸多し熊本城や秋深む

熊本城弾痕残す秋深む

金沢城路にちりしく薄紅葉

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日本はやはり城である。城のあるところが歴史的中心になる。城もたずねたけど日本は城が多いから全部はたずねていない、でもほぼたずねている。
それぞれ徴がある、ともかく城から歴史をみるのが一番わかりやすい

今年の自分の生命曲線としては十年介護で精神的に相当に消耗した。
去年一年も何か呆然としているうちにすぎた。
そして母の一周忌もすぎた。
自分にとってこの十年間は修羅場だった。自分の家族が死んだということで気がぬけたようにもなった。
ただ生命曲線としては気力も回復してきたしこれからもしてゆく
だからまた旅に出るかもしれない、それもあまり遠くには行けないだろう。

ともかく人間はいつか旅すらできなくなる、だから死ぬ前にでもやれることはなんでもしていたほうがいいとなる。要するになんであれなんの理由があれやりたいことをやった方が勝ちなのだ。人生は誰のためのものでもない、国のためでも会社のためでもない、自分のためのものなのである。自分の人生を充実するためのものである。
それが最後になってみれわかる、社会でも会社でも国に尽くすためでもない、自分のために生きるのである。結果的には国や社会に尽くすことになっても自分のために生きるのが人生である。

人間はどんな人生を歩んでも後悔する、なぜなら時間は限られていて時間はたちまち尽きるからである。
だからやるべきときにやらないと遂になにもやらずに終わることになる
要するに何もしなくて終わるよりも失敗でも何でも何かを思い切って行動した方が得だったとなるのである。

旅をするというときも何か車だとか電車もいいが自転車だとなんとか醍醐味がでてくる。でもこれもだんだん疲れてできなくなる、でも今年は気力も回復していているからなんとかできるかもしれない。


今年もいろいろと書きますのでよろしくお願いします

2017新年短歌十首(津波より五年過ぎた右田浜)


2017新年短歌十首(津波より五年過ぎた右田浜)


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これは人が植えた松ではない、自然に育った松である。
防波堤の中にあったからだ。(海老の浜)

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(右田浜)



新年やまず雀の声聞きぬ

遊ぶ子の声野にひびく初笑

浜通り冬たんぽぽや気候よし

新年や鴎とびきぬ街の空

故郷に底辺生きて冬の草


新年に五六羽飛びぬ白鳥や朝日を受けて年は明けにき

松の根の残り鐘の音ひびくかな海に朝日や年の明けにき

津波より五年のすぎて新しき松の育つや年は明けにき

年明けぬ波穏やかに朝日さし新しき松ここに育ちぬ

かもめ飛び海を目指して少年の走りけるかな年は明けにき

一本松五年もすぎてなお残る年も明けしもあわれ朽ちなむ

右田浜かつて人住む今はしも松の根残り枯芒かな

五年過ぎ津波の跡や寥々と松の根のみぞ昔語りぬ

故郷のあしたを生きむともにしや波おだやかに年は明けにき

花の色心に写る赤き花まさりて写る今日も見ゆかな

今年また花を活かさむ我が家に一人し住むも華やぎにけり

百両の二色の実こそ霊前にささげてよしや我が家をつぎぬ

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海老の浜から右田浜に行ったけど以前として津波の跡は残っている
一本松はすでに枯れている、あの松も消えるが松の根は残っていた。

そして新しい松が結構一本防波堤の中に育っていた。
五年すぎて結構育ったのである。
これが自然の再生の力だとなる。この松は人間で植えたのではなく自然にここに育ったのである。だから貴重に思える。
少年が海に向かって走っていた。それは新しい松が根付いて育つのとにている。
自然もそうだが人間もやはり新しい芽がでて子供は育ってゆく。

ただあの子供は正月で外から来た人だろう。土地の人ではない、正月には外から来る人が多いからだ。
雀の声というときやはり政治でも本当は上だけではない、下々の声を庶民の声を聞くことである。雀は庶民なのである。

年末は駅では除染の人でも工事関係者でも中国の女性の出稼ぎ者でも故郷に帰る人が多かった。長崎の人もいた。駅はもともとそういう人間模様がある場所だった。
人間臭い場所だったのである。それは何か車社会の道の駅とは違った感覚の場所である。

ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく 啄木

様々の人間模様や駅をたち帰る人送る年のくれかな

去年は結構駅で外から来た人を案内したり話したりした。今年はどうなるのか、何か一人だと自分も淋しいから駅にゆく、そこで人と交わるのである。

ともかく右田はま何か以前として寂寥としている、新しい防波堤はほぼ完成した。
でもあそこに人が住んでいたということはだんだん忘れれる、でも五年すぎてもやはり人が住んでいて死んだりしたのだから何かそこに淋しさが以前として残っている
それが松の根でありあの一本松でも何か本当に淋しいのである。
それだけすさまじい津波だったからその跡は簡単には消えないのである。

津波の傷痕は本当に深いと思う、家族を死んだりした人は以前として昨日のように思えるかもしれない、自分も家族は全部失った。その傷痕も深い
だから去年はただ呆然として過ごしてたちまち一年がすぎた
でもなんか一人暮らしになれつつあるのかもしれない、家族が死んだすぐあとはショックが大きいのである。

百両の実を霊前にささげた。自分にとって姉と母のことは死ぬまで忘れない、姉と母は争っていたが自分にとっては二人は自分を支えてくれたし家も支えたのである。
二人があって自分があるのである。
百両の実は何か姉と母にふさわしいので買った。二人は争っていたけど今は争わない、実りとなっているのである。

花を挿すということは花を活かすことである。生け花というとき生きた花のことであり生きた花を常に見ることである。
だから家の中で毎日見ることによって花は心に写る、今の花は花屋の花は冷蔵庫に入れるから枯れやすいという、農家が育てた花は近くの市場で買った花は長持ちしている。
花は生き物であり農作物と同じように新鮮でないとだめなのである。

故郷というとき実際は自然と共に生きまた人と共に生きることなのだろう。
それが原発事故で失われた、散り散りばらばらになってしまった。
それもしかしもともとそういう故郷の自然とともに土と共にという生き方が喪失したためかもしれないと書いてきた。
農業中心の社会から工業中心の社会になったとき故郷に自然と共に生きるとか人とともに生きるとかが喪失していたのかもしれない。

それが極端化すると親に農業だけが継ぐなとなぐられたと語る人がいた。その人は原発で主に働いたのである。そんな時代だから故郷を意識することが弱くなっていたのである。啄木が故郷を望郷したというのはまた別な状態から生まれたのである。
みんな故郷がいいなど思っていない、若いときは嫌って外に出たいのである。
故郷はあまりにも平凡に見えるからである。
故郷が別に理想郷でもなんでもない、そこはやはり醜い人が住むし争いもある。
自分もひどい目にあったから故郷は苦い場所にもなっているのである。
一茶はそれで故郷は茨しかないものとなっていた。それもまた故郷なのである。

故郷のあしたを生きむともにしや波おだやかに年は明けにき

今年の海は波は穏やかだった、昨日も地震があったり地震がつづいている。これはまだ余震なのだろうか?
今年は一体どういう年になるのか?自分はいい方向に向かっている、なぜなら介護が終わったし気力も回復しつつある。だから余裕がでてきている。
ただ自分を支えるものは自分しかいない、こが以前として苦しいとなる
それでもやはりこの土地に生きるかぎり共に生きることになるのである。
都会だったらあまりその土地のことを意識しないのである。
郷土というときやはり土の上に成るものなのである。その土が放射能で汚されたことが最大の被害だったのである。


今年もフログがかきつづけます、去年の12月は50タイトルを書いたから最高記録だった。、それだけ余裕が生まれてきたのである。

では皆様の良いおとしを祈ります、今年もフログをかきつづけますのでよろしくお願いします
タグ:右田浜

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2017年01月03日

新春短歌十首(海と桜と船と・東海から九州へ・・・)


新春短歌十首(海と桜と船と・東海から九州へ・・・)


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伊豆の桜と富士山

瀬戸内海-写真

開聞岳

写真はいいのが一杯あります、これは一例です


朝桜富士の嶺の映える伊豆の海

(東海)

東海に朝日の昇り紅梅の映えて電車のひた走るかな

駿河湾波うちひびき富士の山望みて春や心高鳴る

(瀬戸内海)

瀬戸の海見えて今しも花盛り行き交ふ船や島見ゆかな

島一ついづこにありや菜の花の咲きて行く船遅かりしかな

瀬戸内の島の古りにき夕暮れに梅の香りて宮居静けし

春の日の海に昇りて船は行く四国の沖や大阪へ入る

瀬戸の海入り来る船や古ゆ難波の港春日さすかな

淡路島今宵城にし春の月波おだやかに我が泊まるかな

(四国)

菜の花の咲きて沖にし船の行く遍路の旅も電車にのりぬ

(長崎)

春の日に海をわたりて韓国へ慶州にしも桜咲くかな

長崎に春の雨ふりあわれかな出島の跡に旅人たたずむ

春の日や長崎去りぬ大船の去りにし後や雨しととふる

春の日や石畳みの坂歩みつつ昔偲びて長崎の暮る

開聞岳春の夕日に染まりつつ船は去りゆく影そ濃くして



青春18切符でここから韓国まで行ったのは長かった、やはり長距離に旅の醍醐味がある、そうなるとどうしても時間がかかる、それで勤め人は旅がしにくいのである。
自分は金はないけど時間がふんだんにあったからできたのである。
要するに何度も言うようにその時間が人生では貴重であり帰って来ないのである。
ここに短歌にしたのでも相当に時間をかけてまわっているからだ。

旅とはあとから思い出すのも楽しみとなる。そのために車などだとなかなか思い出しにくいだろう。運転に集中するから外の景色も見ないからである。
鉄道だと外の景色が見えるからいいと車に乗っている人が駅で言っていた。
車に乗っている人は電車や鉄道のことが良くわからないのである。
これも車社会だからこそである。

自分は電車と船でも相当に旅した。一週間かけて東京から沖縄に船で行ったこともある
それだけ暇であり時間があったことなのである。
その船は貨物船のようなものであり大きな船ではなかったのである。
船の旅は気持ちに余裕ができるからいい、急ぐ必要がないからである。

瀬戸内海も相当にまわった、その時は瀬戸大橋はできていない、でも瀬戸大橋ができたときも行った、その時島に港があっても用がなくなっていたともなる
日本の魅力はやはり海に囲まれていることである。
常に海が見えて船が行くのが見えるのである。

いづれにしろこれまでも書いたが自分は旅が以前として心の中でつづいているのである。回想する旅ができて旅も完成するのである。旅しているとき発見しえないものが回想の旅で発見しているのである。










2017年01月04日

5年半ぶりに開通した常磐線 (駅は人間臭い場所だった-新地駅の記憶(詩)


5年半ぶりに開通した常磐線

(駅は人間臭い場所だった−新地駅の記憶(詩)

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明治時代日本に鉄道が導入されたとき、今の「駅」にあたるものも含め、列車が止まる場所はみな停車場と名づけられた。利用者はこれを駅と呼ぶことが多く、鉄道関係者も時に停車場、時に駅と用語を混用した。時とともに駅が優勢になったが、昭和時代まで停車場という言い方は残った。1936年(昭和11年)の鉄道省の職制改正によって、停車場と駅の呼び分けが明確になり、一般の会話から停車場という表現は少なくなっていった。

今でも都道府県道・市町村道の法定路線名には「停車場」という言葉が使われる。例えば、札幌駅から南にのびる道路は、北海道道18号札幌停車場線(通称:札幌駅前通)である

停車場というのは死語になったけどこれは最初はただ車両が止まる場所だった。
駅とは違っていたのだ。なぜそうなったのか?
駅というのがまだそんなに生れなかった時代の名残りなのだろう。
車両が止まるから停車場でありそれは駅とは違っていたのである。
停車場線というのも不思議である。車両が止まる場所へ通じる道路だとなる。
駅には前は引き込み線があり貨物車両が入り荷物を運んでいた。
だから駅前には自転車屋があったという,荷物を運ぶに便利だからである。
その頃車とかは使われていないからである。
縄屋とかあったのも縄で梱包するからである。
とにかく交通の要として鉄道があり駅前が街の玄関口でありにぎわっていたのである。
駅は人が集まる場所であり交差する場だったのである。
水上勉の「停車場有情」という短編小説などがあるのもそうである。


年末は駅では除染の人でも工事関係者でも中国の女性の出稼ぎ者でも故郷に帰る人が多かった。長崎の人もいた。駅はもともとそういう人間模様がある場所だった。
人間臭い場所だったのである。それは何か車社会の道の駅とは違った感覚の場所である。

ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく 啄木

様々の人間模様や駅をたち帰る人送る年のくれかな

去年は結構駅で外から来た人を案内したり話したりした。鹿島駅が無人駅になったから案内する人がいないのも困ることがある。

正月になり二日は今度は常磐線で帰る人がいた、その人は車をもっているから電車には乗らない、それで電車のことがわからなくなっている
今は車社会だから電車のこと鉄道のことをわからなくなっている人が多いのである。
自分は車に乗っていないから車のことがわからないのである。
今どきそんなことがあるのかと思ってしまう。

「電車はいいよ、景色を見れるから、車だと景色は見ていられないから」
「常磐線は今度は高架橋になり海が広く見えるよ,船も見えたよ」

そう言って見送る人がいたが確かに電車だと景色をゆっくり見られる、車だと運転に集中するから景色が見れないのである。そういうことも車に乗らない人は良くわからないのである。
常磐線は五年半ぶりに開通した。今度は高架橋で広く海が見えるし船が行くのも見えた。

東京へ帰れる人を見送りぬ人も老いにし駅舎も古りぬ

常磐線五年ぶりにし開通す仙台に通じひびき高鳴る

ともかく自分にとってこの常磐線の開通は復興を一番感じた、というのは自分は仙台には良く行っていたし旅をしたからである。
その時はあまり電車のありがたみを感じなかった。つまりこの辺では当たり前にあるものが失われた。第一故郷に住めなくなるなどということをイメージもできないものだったのである。
今でもまだ仮設に住んだり移り住んだ人がいるからその心境はどういうものなのかその人にしかわからないだろう。

普通に電車が走る、今までは原町と相馬市の間しか走っていない、なにかそれも不思議だった。でも仙台まで通じるとまるで違ったものを感じた
その電車が走るひびきは仙台へ通じていることなのだ。その相違は大きいのである。
バスは何か疲れるし好きではない、電車は乗っても楽なのである。
津波で流された駅は新地でも山下でもずいぶん立派になった。
ひなびた駅が都会風になったのである。

まずこの辺はいろいろ変わり方は激しいのである。
駅をおりて浪江の人が新しくできた復興住宅に行ったりと除染や工事関係者がまだ外部から入ってきている。
駅というのがその街の玄関だというとき確かにそうである。
駅からその街をまず見るからである。電車の旅でも駅の名前がなぜか心に残っている
駅はバスとは全く違った乗り物なのである。バス停なとには何か今でも原町の深野の
豪蔵とかの地名が記されている、高瀬川を上った葛尾村に磐城落合とか停留所の地名が記されているときやはりそこでその土地のことを記憶に残すからバスでも昔はその土地の字名を記憶に残したのである。

駅はやはり途中下車なのである。

新地駅おりたちあわれ虫の声ここに聞きつつ月の光りぬ

新地駅五分まちつつ交換の電車を待ちぬ秋の夜かな

日立木駅ものさみしかもおりる人一人二人や冬のともしび

前の新地駅では交換のために五分間待っている、新地駅に来るともう相馬であり鹿島も近いとなる。
その時は家族がいて待っている人がいたからなにかほっとする
今になると家族もみんな死んだから一人帰るのが何か淋しいとなる

いづれにしろ鉄道には自分は相当に愛着がある。鉄道マニアになもっている、ただそのマニアでもいろいろある。鉄道だと今はローカル線では観光鉄道になっているところもある津軽鉄道などがそうである。スト-ブ列車でもある、春には乗ったが冬には乗っていない、やはり冬に乗ることで津軽を感じるだろう。
鹿島駅でもストーブがあったという、何かその記憶にともしいが確かにあったのだろう。それはどこでもあったものである。スト-ブがあるということはそこで待ち時間に会話がある。
この待つ時間が旅では記憶に残るのである。今の時代待つということが効率化で失われたのである。結果的に人生の時間が失われていたのである
瀬戸内海でも旅したとき土地の人と船を待っていたことが記憶に残る
瀬戸内海では船が日常の交通手段だから観光ではないから違っている
そこで瀬戸内海の人々の生活を感じるのである。観光では生活を感じにくいのである。
津軽鉄道があったとしても今はどこでも車が主だとすると何か違ったものになる。

今は車社会だというとき道の駅が生活を感じるものになる、でも何か鉄道の駅のように人間味を感じない、鉄道には何か人間味を感じるのである。
人を迎えまた見送ること、電車を待つことそれは人間的なことなのである。
車には何かそういう人間味がないのである。機能面がけが優れていてそこに人間的なものが生れないのである

常磐線が仙台まで通じて仙台に行きやすくなった。それでまた出かけたいとなる。
仙台に出ればまた遠くに行き安いから旅もしやすいとなる。
ただ何度も言うが旅で大事なのは記憶に残る旅をすることなのである。
それが一見非効率的なものになる、電車を待つとか船を待つとかの時間が記憶に残っている、そういう時間が実は大切な時間だったのである。
だから旅をふりかえると不思議なのである。その記憶が宝となっているのである。
それで思い出して短歌なり俳句なり詩にしているのである。
回想するたびというのもつくづく今になると不思議である。
かえって旅しているときより深く見ているのである。それは人生でもそうである。
その時々の経験したときは何かわからないが老人になるとその意味がわかり記憶が宝となるのである。

だから生きるというときどういう体験を積んだかであり必ずしも大金持ちになったとか金では計れない、何か大きな冒険をして九死に一生を得るというごとくそういう経験した人は貴重な経験をしたのである。津波とかがそうだった。そんな経験は滅多にできるものではないからである。


記憶の駅

津波に流される前の新地駅
五分交換のために電車を待つ
ホームにおりると
虫がかすかに鳴いている
月が光り新地の海側の家々
それらはみんな津波で流された
ここはすでに相馬に入り
我が家も近くほっとする
その新地駅は新しくなった
でも自分は前の新地駅に
なお幽霊のように立っている
そんな簡単に人は変わるものではない
人は長く生きていればどこにも愛着が生れる
だから愛着ある場所にいたいのだ
津波で流された後に松の根が残っているように
人の記憶はそう簡単には消えないのだ
私はそこに以前としている
家族もみんな失った自分だが
やはり以前としているように思う
長くあったものはそう簡単には消えない
記憶はその人の中に残っているのだ



こういうことなんだろ、津波とかで家が流されて人も大勢死んだ、原発事故で避難した人々の気持ちもこういうことがある。
だから老人はどうしても故郷に帰りそこで死にたいという気持ちになるのである。
何でも長くいると愛着が生れるからである。若い人にはその気持ちがわかりにくいのである。老人になると記憶を生きるようになるからだ。
新地駅はまるで変わったものになった。するとそこからこのように過去を回想することはできないのである。
すると過去の記憶と今の記憶の断絶が生れるのである。そういうことは歴史でいくらでもある。東海道などはもうそこに江戸時代を回想することがむずかしくなる
その変化が激しすぎたからである。
中原中他の「桑名駅」では蛙が鳴いていた。桑名というという東海道の宿駅であったがそれがた現代と結びついている。そういうことは今はまれである。
この辺はまず大きな変化に見舞われた、だから経験し得ないことを経験したのである。

マスコミはもう終わっている (これからは土着的地域に根ざす報道機関が必要)

マスコミはもう終わっている

(これからは土着的地域に根ざす報道機関が必要)



テレビ報道の現場は、誰に向かって何を伝えるべきか、また自分たちが視聴者や取材相手にどう思われているのか、見失っている。そう懸念するのは、ある民放キー局元幹部である。


マスコミというとき放送する相手が誰かとなると日本国民とかでありその範囲が広すぎるのである。マスコミニケーションでありマス(大衆)を相手にして放送する。
全国放送だとどうしてもだから一様な放送になる、大衆相手だから視聴率をとるために芸能人を出す、知識人でも芸能人なのである。
電波芸者だとか揶揄された人もいる、マスコミは何か真面目なことを追求しているわけでもない、視聴率を稼ぎ宣伝費を稼ぐためにある民営の会社にすぎないのである。
だから報道に対する使命などないのである。
でもなぜこれほどマスコミが社会に影響力をもっていたのか?
それは全国放送するのがキー局が六つとか独占されていたからである。
前はテレビでしか知ることができないことがあった。

そもそもNHKが受信料をとるのはテレビを普及するためだったという。
テレビが出たときはテレビは高いもので見れなかったからである。
だからその時テレビで放送されるものはその内容ではない、テレビに写るだけで見られたのである。
テレビにでるだけでつまらいな人物も有名になり政治家になったりした。
有名になるにはテレビが一番効果的だったのである。別にその人物は問わないのである。大衆受けする面白そうな人を抜擢して視聴率を稼ぐのである。
また団体の圧力がありそううい人を出す、だから今やマスコミに選ばれ出る人は何かうさん臭いとなったのである。芸能人と変わりないと見られるのである。
マスコミ自体がすでに信用できないものとなった。だからトランプが大統領になったことでもマスコミの権威は地に落ちたのである
アメリカではそんなにかたよっていると思えなかったがそこも同じだった
アメリカのマスコミを言うことを日本のマスコミも一方的に報道するだけだかったのである。

どうしても今までは東京中心の放送になる、出版すら東京中心にしないとできない仕組みになっていた。地方から全国放送することはできなかった。すると東京中心の放送だけが流されることになり地方のことは放送されない、また関心ももてないのである。
例えば地方からそこに住んでいる人たちが発信するのと東京などから外部から来て伝えるものの何が違うかとなるとまず地方には代々住んでいる人たちがいるから時間軸として歴史的にその土地のことをみる、そこが根本的に違っている
なかなか時間軸でみることは外から来た人にはむずかしいからだ。
外国でもヨーロッパなどでも歴史があるから時間軸で見るのがむずかしいのである。
それは津波で流された新地駅のことを書いたがあそこは津波で流される前に自分は何度も停車して下りていた。
なぜなら下り列車が交換のために3分間とか5分間止まっていたからである。
その時ホームにおりて待っていると虫が微かに鳴く音を聞いていたのである。
今は津波で流されて新地駅は高くなりエレベーター付きの都会風の立派な駅になった。
すると前のようなひなびた駅の感じがしないし前の駅のことを思い出せなくなる
こういうふうに大きな変化があるとたちまち記憶が失われるのである。
だから江戸時代が何かとなると相当に想像力豊かにしないとまるで異国になってしまうのである。

報道というとき何かあっても必ず時間軸で語るということも必要になる、それは東京からよそから来た人たちには記者にはわからないのである。
新地駅に来ても自分のように語れる人はいない、そこはどこの地方でも同じである。
時間軸で語ることはそこに長く住んでいないと語れないのである。
報道というとき今を語るだけでは見えてたない、過去から語るとき今が見えてくるからだそれが外から来た人たちには見えないのである。
ただ外から来た人たちにも有利な点はある、何かそこの土地のしがらみとは関係なく客観的放送ができることはある。
でも客観的になることもその土地のことを知らないとむずかしいとなる
この辺は原発の補償金でもめた、その事情も複雑になる、でもNHKではそういう事情が知らないわけではなかったが原発避難民側について放送したのである。
それには問題があったと自分は指摘した、ただそれは地元の人でないと気づかないようなことだったのである。だから全国放送されたときなぜ原発避難者に回りの人が冷たいのだと思ったことは確かでありそれで感情的にみる人もいたとなる
その土地に土地の事情がありそれを一方的に放送することがマスコミ報道の危険だった。それは今までは放送する手段がないのだからその効果は絶大だったのである。
マスコミが世論を作っていて選挙でもマスコミの力で煽動で政治を動かしていたのである
報道というときこれも土着的な報道というものが必要である。その地に根を下ろした人が伝えるのと外から来た人たちが伝えるのは違ったものになるからだ。
例えば福島県でも民報と民友があるがこれは福島県全体の報道である。
そうなると必ずしも地元に詳しい人とは限らない、福島県でも広いからである。
ハマ、ナカ、アイヅとあるとき本当はこの三つに区切った報道が必要である。
それは東電の原発事故で浜通りが実は被害があった。放射能の被害というより双葉とか大熊と富岡とから大量に避難してきたことで直接的に感じるものがあったからだ
そして原発事故の補償金でいわき市に次々に家を建てたとき顰蹙かったのである。
二万人も移住して一時はパニック状態になったからである。
でも補償金はいわき市民はほとんどもらえなかったのである。
浜通りは原発地帯というとき一つの共通意識をここではもつ必要があった。
そういうことを浜通りに根付いて生活する人からの発信が必要だったのである。
原発はそれだけ重大なのに浜通り全体の問題してとあったが認識されなかったからだ。
原発はなになのか良く検討もされないしただ利益になるというだけで受け入れていたのである。

でも原発が作られたその土地の事情としては出稼ぎをなくして働く場所を与えることにあった。だから原発は別にその時は危険なものと地元の人は思っていない、それより働く場所を収入を欲しいということで作られたのである。
それで室原だとか飯館村の比曽とかからも原発で働いていたのである。
いかに原発がこの辺では働き口となり恩恵を得ていたかが事故後にわかったのである。
ただ原発のことはこの辺ではもっと報道されても良かったがされなかった。
それより報道できなかったのである。「安全神話」が作られて危険だと口に出してもいえなくなっていたのである。それは福島県の報道関係は全部そうだった。
東電からみんな宣伝費をもらっていたからだ。それはマスコミ全部がそうだったのである何かそれを象徴していたのは朝日新聞社までマスコミの幹部が中国に東電から接待されていたとき事故が起きたのである。
マスコミは全部原発の危険性について報道しなかったのである。
その危険を喚起することもしなかったのである。

誰に向かって伝えるべきなのか?

まず原発周辺の地元住民に向かって危険を伝えるべきだった。そこに報道の使命があった報道は会社の宣伝のためにあるのではない、地元住民のためにある。
だから会社の宣伝費で成り立つこと自体すでに報道の使命は果たせないのである。
新聞社はあらゆる会社でも団体でも資金が入ってくる。民報などは聖教新聞を刷っているすると創価の支持に従うことにもなる、すでにもうここに報道の使命は失われている
創価の悪口は言えないことは東電で原発を作ったときも賛成の意を紙面で書いていた。
それはやはり宣伝費が大きいからである。それはどこでも同じだった。
要するに報道は金のあるもの権力あるものに従うだけになっていた
マスコミとはただ大きな権力に従うだけであるからそれに従うことはまた大きな権力に従うように仕向けられるだけだとなる
結果として巨大な事故となりまた戦争にもなり地元住民が国民が大被害を受けるのである
ただ新聞でもテレビでも報道に金がかかりすぎるからそうなった。まず会社の支援がなければ成り立たないのが報道会社であり一営利会社なのだから倒産してはもともこうもないのだから利益を第一にする、だから大きな権力、金があるところには従うほかないとなるそれで報道の独立性が失われているのがマスコミだった。
報道が第三の権力だというとうときそうした独立性がないなら住民のためになる報道もできない、ただ権力に従うだけだとなってしまうからだ。
だからなぜトランプが勝ったのか?泡沫候補としてマスコミでも馬鹿にされていた人が勝ったのかとなる、マスコミを信用しなくなったからなのか?
何かそういう変化があった。マスコミはアメリカ国民の不満が大きい層のことを見逃していたのである。つまりウオール街とか一部の富裕層側に立っていたのである。
アメリカでさえそうなっていた、金で操作される報道機関になっていた。
それは結局マスコミがアメリカでも報道に金がかかるからである。
インターネットは金はかからない、そこが最大の強みである。
手間はかかるが金はかからないのである。別にいくら書いてもいいし制限されることもないのである。
それで一応全国に放送される、これもありえないことであり今やインターネットは不可欠なものとなった。そしてマスコミは凋落してゆくとなる

マスコミにかかわる人の恐怖はテレビの放送でもyoutube並になるのではないかということである。youtubeで400万回も見られたというのには驚いた。
するとテレビ並になる。テレビは何か特殊なものではない、ありふれたものである
そして大衆向きだから視聴率第一だから何か勉強することはできない
プログの方が詳しい人もいて勉強になる、自分のことを言うのもなんだが俳句短歌を学ぶなら自分のプログが参考になるとかなる
そういうプログが増えた、テレビはただコンテンツを報道する箱になる。
それはインターネットで報道しても同じだとなる、すでにNHKではインターネットでも報道するようになるとしているからだ。
報道も水平化される、並列化されるのである。今までのような報道の特権は権力は失われたのである。

2017年01月05日

復興は今まであった価値を見直すこと (感謝しないことが大きな災いを呼ぶ-津波,原発事故がそれを示した)


復興は今まであった価値を見直すこと


(感謝しないことが大きな災いを呼ぶ-津波,原発事故がそれを示した)


人間は普通ありふれたもの普通にあるものに感謝しない、それを感じたの常磐線が5年半ぶり開通したときだった。バスは疲れるし嫌だった。5年半ぶりに乗ったら楽だった、そしてまた仙台が近くなったと思った。自分の場合は鉄道の旅が長いので思い入れがあったのも影響していた。
その時何を思ったのか?鉄道があることに通じたことがありがたいなと思ったことである
電車なら何も普通に走っている、それに感謝などしたことがないのである。
その時何か鉄道を運営しているJRとか運転手とか車掌まで感謝する対象になった。
この人たちが鉄道を動かしていてこうしてまた乗れるのだと思ったからだ。
その前にこの鉄道再建した人たち工事にかかわった人たちにも良くやってくれたと感謝した。これも今までにはありえないことだった。ただ電車賃が高いとかばかりで文句言うことが多かった。でも今はそういうことは思わない、何か感謝したということである。

つくづく人間は感謝しないというとき普通に当たり前にあるものに感謝しないのである。家族を自分は二人失った,そして介護を十年していた。
その時思ったことは自分が今まで食べていたものは食べれない、それより自分で食事を用意するとかなり大変だった。
そして母親が死んで今年の正月でも雑煮が食べられないのでコンビニでもちスープを食べた、これはたいしてうまくない、だいたいコンビニには調味料とか化学薬品が使っているから体に良くないのである。他にも食べられないものがあり悲しかった。
ただ自分の母親は別に料理が得意ではないがずっと食べていたものが食べられないことが悲しかった。
それは結局食べられなくなったからこそそう思ったのである。
要するに人間はありふれたもの当たり前にあるものを感謝しないのである。
失ってみてはじめてその価値がわかり感謝するのである。

だから故郷自体などあることを感謝している人などいないだろう。それは当たり前にあるものなのである。故郷がなくなるなど想像することもできないことだったのである。
それが失ったとき故郷の価値を知ったのである。
そういうことが人間には本当に多い。何か失ってみて本当の価値を知る
妻と長年暮らしていて死んだりするとそうである。その時空気のよう地存在したものの価値がわかる。

人間は失ってみてその価値を知る

人間はそういう性質をもっている、それは何でもそうなのである。
科学のこと技術のことに否定的発言をしたが鉄道も技術である。技術の恩恵も実際は大きいのである。試しに電気がなくなったらどうなるのか?車がなくなったらどうなるのか?
石油がなくなったらどうなるのか?そういうことがこの辺では一時的に本当に起きたのである。電気がないともうご飯もたけなくなり食べることすらできなくなる、すると電気に感謝するのである。だから別に電気を作る原発が悪いものとはならない
電気が悪いとはならない、技術が悪いものとはならない、それは人間の進歩の証しでもあった。技術によって新しい価値が産み出されたのである。
グーテンベルグの印刷機の発明で聖書が一般の人が読めるようになって宗教改革があったそれは技術の力であり技術が新しい価値を作り出したのである。
インターネットなどもそうである。そういうことは人類の歴史でいくらでもある。
人類の歴史は一つは技術革新の歴史だったからである。

その技術でも今回の鉄道の開通でわかったようにその技術がないとすると不便になる、だから車社会になったとき車がなくなったらどうなるのか?
車があることに人々は感謝するようになる、車が交通事故などでマイナス面も大きいのだがそのプラス面もそれにまさって大きいからである。
技術でも科学でもそれがなくなったとき本当の価値を知るのである。
でも一方でそうした技術の価値もそうだがその前に人間は本当に価値あるものを見失っていた。それが津波や原発事故でわかったのである。

●一匹の魚や一粒の米でも感謝しないと危険なことに

南の島々で古くからの災害としていわゆる、シガリナミ(海嘯)の記憶の最も印象強く残っているのは自然である。これがただ一尾の魚を尊敬するかせぬかによってさういう恐ろしい結果を生じたざとつ伝えるのは考えて見れば不思議なことである。
(柳田国男全集-五巻-もの言う魚)

漁業者が一尾の魚を尊敬するなど今は全くないだろう。一尾ばかりとったってなになるのだ。大量にとらなければ商売にならないとか常になっている。そして漁業では金にならない、だから跡継ぎもできない、これは農業でもそうである。一粒の米に感謝していた昔とは大違いである。常にどれだけの金になるのかが問題になる。それもやはり買うものが増えすぎたからそうなる。家もほしい車も欲しい電気製品も欲しい子供は大学まで出すのが普通だとなると常に金がかかるのが現代の生活だからである。
ただそこに大きな落とし穴があった。何か大事なものが見逃されていたのだ。

それは一尾の魚でも神からの贈り物であり一尾の魚をありがたく食べさせてもらう感謝の気持ちが喪失していた。このもの言う魚は神の使いであり危険を告知するものだったともとれる。自然からの何らかの警告として生き物もみるべきものがある。漁業権者にももらろん自分のような魚を食う方にもそうした意識は皆無になった。ただ金を出せば何でも食えるし必要なものは手に入るという感覚になってしまった。そこに人間の奢りが生まれていた。一尾の魚に一粒の米に感謝する心はない、ただ足りない足りないという嘆くだけだったのである。

現代というのはまず第一次産業となるのものが軽んじられた。だから当然漁業でも一匹の魚でも農業でも軽んじられた。全然金にならないものとしてその当事者もやりたくないと軽んじられた。ある者は親に農業だけはやるなと親に殴れたという、その人は原発や建築関係で働くようになった。
要するにそれほどまでに一匹の魚でも一粒の米でも大事にしなくなった。それはすべてがそうである。金になるかならないかですべてが決まる、金になりさえすればなんでもいいとさえなっている。原発もいいじゃないか金になるんだからとなっていた。
その危険性は地元でも問われることもなかった。

そして津波や原発で何が問われたのかというと一匹の魚や一粒の米に感謝しないことだったのである。
科学技術が極端に価値あるものとしたとき一匹の魚に一粒の米に感謝する心を失っていたのである。農業中心のときはそれは祭りとして神への奉納として継続されたものがあったそれは神に対しての感謝を示す祭りだったのである。
つまり逆の意味でそういう本来基本的に欠かせないもの、土や水や木でも汚染されたときその大事さを知ったのである。
そもそも放射能汚染で土も使えない、水も飲めない、木も使えないとなったらもうそこでは生活もできない、住むことすらできないのである。
でも大地に水に木に感謝したりする人はいなくなっていたのである。
だから親は農業だけは継ぐなと子供を殴ったとかまでなっていたのである。

●本来の価値を見直すことにより復興がある

河がうたっている
家畜をはなす若者
ふるさとの土を守れと
わかものは合唱する
黒い虹のかわりに
白い翼の鳩がふるさとの空に帰る日の歌を
河は夕映えを写す
河は星を写す
歴史をいろどる

真壁仁詩集

この詩のように本来その土地にもっていた価値を見直すことから復興がはじまる
何か価値あるものだったかを見直すことからはじまる。
それをこの辺では痛いほど感じさせられたからである。
土に水に空気にさえ感謝せねばならなくった。なぜなら空気も放射能に汚染されたからである。

でも以前としてそうした本来の価値はおとひめられている,金にならないものは価値ないものとされる。
いづれにしろ一匹の魚に一粒の米に感謝しないものは危険になっていたことである。
金にならない、金にならないというばかりで原発は金になるとなってそれで漁業のことなど考えない、東電にすぐに漁業権をうりわたして原発御殿を建てたのである。
そしてそれが津波で流された、まるでそれは一匹の魚を軽んじたために起きた天罰のようにも思える
それはここだげの話ではない、文明社会自体が一匹の魚を一粒の米を軽んじる社会になっているからだ。そこに危険性があった。

確かに鉄道が開通したとき感謝した。でも一方で一匹の魚に一粒の米に水に感謝しないことは危険なことだったのである。そこに神が見ていて罰を与えるとういことがある。
感謝しないということは神が与えたものを大事にしないということでもある。
電気というのは悪いものではない、でも基本的生活に不可欠なものこそ大事であり感謝すべきものだった。
だからもともとあったそうした基本的なものの価値を見直すことが復興のはじまりにもなる。

ふるさとの土を守れと
わかものは合唱する
黒い虹のかわりに
白い翼の鳩がふるさとの空に帰る日の歌を

まさにこれなのだ。土を守るというのは土に感謝することなのである。恵みを与える土に森に山に自然に感謝することなのである。
それは千年とか祭りとして継続されたことだがそれが見失われたのである。
いづれにしろ感謝しないこと本来の価値を見失うことは本当は相当に危険なことだったのである。
でも人間は当たり前にあるもの普通にあるものは大事にしないし感謝もしないのである。だから復興というとき何が復興なのか?
そうした本来あったもの価値を見直すことでもある。
だからこの辺が放射能で汚染されてもう食料も生産できないというとき様々な技術を導入してそれで復興を計るのはいいことなのか、技術は悪いものではない、でも原発事故で起きたように本来あったものの価値を見直さないとまた同じことが起きる
一匹の魚に一粒の米に感謝しないことは危険なことだったのである。
ここで起きたことは人類への文明の警告であり教訓だったのである。
だからここだけの問題ではない世界的文明の問題だったのである。


権利ばかり主張して感謝しない社会





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2017年01月06日

故郷に帰れないと嘆くのも因果応報、カルマだった (原発事故の結果楽を求めて苦を受けた?)


故郷に帰れないと嘆くのも因果応報、カルマだった

(原発事故の結果楽を求めて苦を受けた?)


この辺では本当に原発で働く人が多かった、原発がある双葉とか大熊とかそこから近ければ近いほど原発で働く人が多かった。だから浪江は相当に多かった。
南相馬市では小高は多かった。原町でもそれなりにいたが数はわからない
原町には工場もあり働く場所があったからだ。
相馬市となるとやはり原発は遠いから働く人はほとんどいなかったのかとなる
大内村は原発が見える位置にあり近かった、三分の一が原発で働いていた。
すると結構豊かな暮らしをしていたとなる、もし原発がなかったら限界集落のようになり過疎地域になっていた。原発があったから村が成り立っていたともなる
だから原発で働いていた人はみんな東電を悪く言えないんだよなと言っている
実際に東電で働くことにより生活が成り立っていたからである。
家を建てたとかなるとそうなる。東電が原発があって恩恵があったのである。

それが事故で一転した、その変わり方はあまりにも激しかったのである。
そこで問われたのは原発が悪いものとなり被害を受けたことである。
原発で働いたことが悪いとまでなってしまった。
そうなるとそうして生きたことの価値まで否定された
それは子供にも俺は東電で働いて家建てたんだよとうことも自慢できない
人生そのものを否定される

現実に息子や娘が子供が故郷を捨てて流出するとき、それが具体的に示されたのである。なぜ親を捨てて出て行くのかというとき

「お父さんは原発で働いていたけど原発なんかいらなかったんだ、そんなところで働くこともなかったんだ、こんな放射能汚染地帯に住めないよ、お父さんたちがそうしたんだよ、出て行くのは当然だよ」

こんなふうになってしまったのである。それは自業自得のカルマだったのかとなる

そしておばあちゃんとかが故郷に帰りたいと泣いているという、金をもらってもありがたくない、故郷に帰りたいと泣いているという。
だからこれも何を意味しているのか考えさせられる

というのは何度も書くが小高の人がもう80歳くらいになる人が親に

「農業だけは継ぐな、やるな」と殴られたというからだ。

このことは何を意味しているのか?ここに重大な過ちがあり原発事故へ結びつく原因があったともなる

もしこういうことがあっても

「農業は苦しい、金にならない、でも懸命にやればここで生きていける、この土地と共に生きていける、息子よ、苦しいけどこの土地を大切にして農業をやるのも生きがいだよ
金だけが人生ではない、苦しいけど今ならそれなりにがんばれば暮らしてはいける」

こんなことを息子に言っていたらどうなるのか?
これは漁業にも言えた、漁業だけでは暮らしが成り立たないと東電に漁業権を売り渡して贅沢をしていたのである。それは事故後もそうである。
漁業というのもどこでも跡継ぎがないとか生活できないとか農業と同じだったからである
双葉とか大熊とかは原町から離れていて働く場もなく出稼ぎに出ていて現金を稼いでいた場所である。
それで原発が政治家によって誘致されたのである。
お前には現実の苦しみなどわからないのだといえばそれまでである。

ただ人間はつくづく因果応報がある、自分もここ十年の介護でその因果応報、カルマを受けた、これは本当に苦しかった。なぜ病気なのに介護してさらに自分にかかわった人たちに責められるのか、本当に過酷だったのである。
同情は一切なかったからだ。それより弱みにつけこまれるだけだったのである。
そういうことも自分が結局楽しすぎたカルマだったと今では思う

そういうことは原発事故でも言える、原発は働く場となり楽をさせた、でもその楽が裏目に出たのである。原発は給料が高いし交付金も高く経済的に楽をさせたのである。
その楽が今度は苦になったともなる
そして息子や娘に言われる

「こうしたのはお父さんやおじいちゃんなんだよ、こんなところに住んでいられねえよ、俺はここを出て行って外で暮らすよ、子供いるし放射能を嫁が恐れているからな

これが因果応報なのか、故郷に帰りたくても帰れないとおばしちゃんが泣くときその息子でも子供でも故郷を壊したのはお父さんやおじいちゃんなんだとなってしまう。
それでも別に知っている人は名取に家を建てて親を暮らせるように部屋まで作っているから薄情なわけでもないのである。
ただ故郷に住めなくなったとうことなのである。
その原因はたどればそういうことを作り出したものが親や祖父にあったとなる

つまりカルマというとき因果応報というとき自分だけ一代で作り出すものではない、祖父母であれ先祖が作り出しているものを次の代のものがその因果をカルマを受けるのであるそれは悪いカルマだけではない、いいカルマも受ける、原発だってではそれで稼いだ金で大学とかに行った人もいるだろう、子供も恩恵を受けていたからだ。
そしして子供は別に故郷を出て外で暮らしてもそれほど苦痛でもいなということがある
やはり一番苦しみを受けたのは親である。帰りたくても帰れないとおばあちゃんが泣いているときそうである。どうしてもなじんだところに年寄りは住みたいからである。
若い人はそういうことをあまり感じないからである。

そうはいっても今は原発事故がなくても全国に散らばり住むというとき故郷にいつまでも住めるとは限らない、実際に近くでも病気になり娘の所に都会に引き取られたとか普通にあるし増えているからだ。だからこれは原発事故があったからだけだともいえない、こうした社会状況も影響している。
ただ人間には必ずなんらかの因果応報が必ずある、カルマを受ける、それは個々人でもそうだしその地域でもそうである。
そういうことがあからさまに具体的に現れたのがこの辺だったのである。



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通販でパソコン買って故障 (ASUSのノートパソコンの保証書なくして修理できない)


通販でパソコン買って故障

(ASUSのノートパソコンの保証書なくして修理できない)


商売やってるんだが、良いお客さんは神様みたいに大事にという気持ちでやってるよ。 
良いお客さんを大事にすればお客さんの方も店を気に入ってくれて通ってくれるし、お互い様で成り立ってる。 
店が無くなると嫌だなと思って貰えるくらいにやれば、お客さんも店を大事にしてくれる。 
多少迷惑なお客さんも悪意は無い人が多いから、注意というよりやんわりお願いします、ご協力ありがとうという気持ちで接すればとても協力的になってくれる。 
そうすれば、神様みたいな良いお客さんが増えた事になる。 
逆に自分がお客さんとして他店利用する時は神様みたいに大事にしろとかじゃなく、神様みたいに穏やかで感じの良い客として振る舞うようにしてるわ。 
神様として扱われるかは自分次第。 


大陸と違い島国日本は同じ客を相手にしなくちゃいけない 
内需で成長してきた日本の企業は他の競争相手に客を取られないように 
お客さまさまになってしまった。残念ながらこれは日本が大陸と陸続きにでも 
ならない限りはお客さまさまは変わらないと思う。店員が高飛車にでたら 
客は二度と来なくなってしまう。日本は大陸のように違う客は流れてはこない



今回の買物の失敗はASUSの3万のノートパソコンを買ったが一カ月くらい使って使えなくなった。
充電ができない、充電しても点燈しないから確実に充電できなくなっている。
何かASUSは充電に関して問題があるらしい,ネットでそうしたことがあったと書いてあった。
そもそもこのASUSというのがどこのメーカーなのかわからなかった。そもそも3万で買えたのでアマゾンで買った。失敗してもしょうがないと思い買った。
パソコンが使えないということが今までなかったからである。

バッテリを接続した状態で電源コンセントにつないで使用していると過充電となり、さらに熱によって劣化が早まることがあります。
また、長期間使用していなかった場合はバッテリが過放電となり、充電ができないなど故障の原因になります。

これを充電したままにしていたので過充電になったのが故障の原因かもしれない
でも普通は充電したままでも電気が自動できれるようになるとかも書いてある。

そして失敗だったのは保証書もなくしていた。それで今度はヨドバシカメラに電話して修理できないかと聞いたらできるという、でも保証書がないとだめだという、修理はできるが金がどれくらいかかるかわからないという、これも失敗だった
量販店では保証書がなくても修理は頼めていた、それができないのでどうにもならなかった。
ここで保証書の大事さを思い知らされた。
商売では保証書が大事である。でも量販店で買っていたら保証書は別に必要ないのである修理は頼めるのである。

今回のことはアマゾンで通販することがもう習慣になっていることから起こったことである。量販店は何かいつも高いとか品数が少ないとかいいものが置いていないとか自分の場合、車がないので配達すると3000円くらいとられて損だとかなり量販店からはあまり買っていなかったのである。
この前レンジを3万で買ったけどそれはいろいろな機能があっても全く普通のレンジと同じであった。ただ機能がいろいろできるとなっていただけである。
それは売る方に問題があったのではなくメーカーに問題があった。
そんなにいろいろな機能がありできるようにしていたことである。
それももしアマゾンならレビューをみるから買わないということがあった。
量販店は使った人の意見を聞くことができないことが問題なのである。
使った人が一番良く知っているからである。

でも通販にも弱点があった。それそも人を介して買わないという通販はどこで信用を補償するかが最大の問題だったのである。それで通販では高いものは買えなかった。
保証がないからである。今回も3万だったらと買った、そんなに簡単に不良品とか故障しないと思ったからだ。
そして量販店では最新のいいものを置いていない場合がある。ノートパソコンなどASUSなどもそうなのかとも思った。
一方で掃除機は2014年ものを買った、別に十年前とか買ったものだから自分にとっては最新式になるからだ。そういうとき量販店には古いものはなく最新式になっていて高いのである。

そして意外だったのはデスクトップのパソコンなら今は中古品にいいものがでている。
win7をソフトの関係で欲しいと思い3万か2万で買ったがいいものだった。
問題はペイントショップがCPUの関係で遅くなり操作しにくい、ペイントショップを使うには相当に高性能でないとできないことがわかった。もう一台の新品のではできたからである。
量販店の問題は品数が少ないことと高いことになる、ただ保証だけはしっかりしているのである。ヨドバシカメラでは震災後買物していない、バスで簡単に行けないからである。電車が仙台まで前のように通るようになってまた行けると思い電話したのである。
ワ-プロでもフロッピイデスクを読み出せないので調べたらワープロの中古品店があり何でもあるのに驚いた。
ネットだとそうした店がある、その規模が大きいのである、他にも壊れたパソコンをなんても5000円で直せるとかもあった。
ネットだとそういう店があることがわかる、田舎だとまずお手上げになるからだ。

ともかく今回の失敗は

保証書をなくした、もう何もできない

これは領収書をなくしてどうにもならないとかと同じだろう。通販とかなると対面販売でもないから保証しようがないのである。その時保証書と領収書が大事になる。
領収書はアマゾンでも出せるが保証書は出せない、アマゾンで売ったものを保証しないのである。そこに大きなリスクがある,そのことがわかっていて高いものは買わなかった。でも日本のメーカー品はカメラなど買っていた。
いづれにしろ通販が習慣化してしまったことが今回の失敗の原因だったのである。
まずアマゾンをみて買うとういのが習慣になっていたのである。

良いお客さんを大事にすればお客さんの方も店を気に入ってくれて通ってくれるし、お互い様で成り立ってる。 
店が無くなると嫌だなと思って貰えるくらいにやれば、お客さんも店を大事にしてくれる。

こういうことが今までの商売であり売る方と買う方の関係であり人間的だった。
つまり店屋の時代はお得意さんというのがあっていつも買ってくれた人を大事にしたのである。
今は量販店でもないし、なんかコンビニでもない、なぜなら店員が一つのコンビニで働いていない
広い範囲で働いていて交代しているからである。だから何か自分の店でないから愛着がないということもある
自分の家族で経営している所は愛着が生れる、でも今はチェーン店も多いしそうした愛着がないただ雇われているだけだとなるからだ。
通販だと売る方で買う方でも相手が見えない、そこには人間関係が生れないのである。
対面で買ったり売ったりしない、遠いこともあり保証もないということが問題だった。
つまり商売でも仲介する販売店は品物を保証する役割があったのである。
商売には保証するということが大事なのである。
作った人がいて売る人がいて買う人がいる
作ったものをまず販売店で買う、でもその時販売店ではその作ったものを吟味していいか悪いか決めて客に保証するのである。
ともかくメーカー品がいいというとき故障しにくいとかあるがASUSとかなると外資系であり保証できないということがある。
でも別に量販店も買えば保証はある

いづれにしろ通販社会になっていたことから自分の問題は起きた。今や通販なしでは生活が成り立たなくなっているのである。
量販店がなくなってもなんとかしのげるが通販がなくなったらどうにもなちらなくなる
そういう時代になってしまっていたのである。
自分は田舎町に住んでいるからかえって通販なしでは買物できなくなっていたのである。エビアンとの水まで注文して送ってもらっていたからである
これを買うと重いからかえって送ってもらった方がいいとなる

通販時代でも量販店とか店はまだ生き残るのだろう。何かそういう機能があるからだ。
自転車屋などは通販では買えない、必ず修理があるからだ。それでわざわざ通販で安いものでも一軒ある自転車屋から買っている、その自転車屋もなくなるというときここでは困ったことになるのだ。隣の街まで行くのが大変になるからだ。
だからなくてならないものはありそういうものはつぶれないしなくならないとなる
本屋などはなくなってもしょうがいなものだったろう。
その数が一万倍なのか百万倍なのか違いすぎるからである。
だから本当に本がこれだけ読めるということは田舎でも知識では都会と同じであり差はないのである。だから田舎でも知識的には遅れをとることは今はないのである。

ともかく商売というとき意外と仲介するものが大事だった、なぜ有田焼が伊万里焼きとして外国に売られていたのか、作ったのは有田である。でも伊万里の港から外国に輸出したから伊万里焼になっているのである。
仲介する方が外国に知られていてそうなった、それは商売というとき売る方がその場が外国に知られてそうなった。それは仲介する店ともにているのである。
だから店とか仲介するものとか何かそれにも大事な役割がありいくら通販時代になっても消えないということがある。
ただ自分の場合は通販が習慣となって混乱したともなる




2017年01月07日

万葉集の意味が新たに問い直される (新年の大和の歌ー詩)


万葉集の意味が新たに問い直される

(新年の大和の歌ー詩)


新年の大和の歌

敷島の大和の国を我が歩み
代々の大君の陵居並び残りぬ
大君のここに眠るや
三輪山の神とし祈りて
手水場の水に手を清めつ
拍子打つ音の朝にひびけり
ここに大和の国は興りぬ
その地を我が踏みしめ歩みぬ
百伝ふ磐余の池や・・・・
皇子の悲嘆の歌はなほひびきけり
二上山秋の夕日の没りにつつ
その影濃くも映えにけるかも
あわれかな平城宮の跡は枯野かな
月のい出につ昔偲びぬ
ここより真野の草原はるかけきや
笠女郎の歌は残されけるかな
我はみちのくより来たりて想ふ
大和の国のここに成りしを
そのいしずえのここに築かれしを
蝦夷の恨みの深きを鎮める
大きなる鎮護の大仏錆びて静まる
敷島の大和の国はここに成りぬも
その前に藤原宮や飛鳥宮あれ
大和はなお成らじもあわれ
刈田の原に我はたたずむ
大和はここに興り栄えぬ
万葉の歌もこの地に興りぬ
千歳の磐の代々の天皇の国歌
朗々と大和の大地に空にひびきけり
その栄も天皇と共にありし日本
栄えある日本よ、その国人よ
万古なる大和の大地に根づき
新たな栄をさらに築かむ



六年甲戌きのえいぬ、海犬養宿禰岡麻呂の詔に応こたふる歌一首

御民みたみわれ生ける験(しるし)あり天地の栄ゆる時に遭へらく思へば(万6-996)


@
これから起ころうとする物事の前ぶれ。きざし。前兆。徴候。 「成功の−が見える」 「大雪は豊年の−」
A
霊験。御利益ごりやく。 「真実微妙の仏の不思議、−を見せしめ給へやと/浄瑠璃・用明天皇」
B
ききめ。効能。効果。 「薬の−を待ち居りぬ/浴泉記 喜美子」 「なべてならぬ法ども行はるれど、更にその−なし/方丈記」
C
甲斐かいのあること。 「 −無き物を思はずは一坏ひとつきの濁れる酒を飲むべくあるらし/万葉集 338」


験(しるし)にはこんな意味がある。前触れとかきざしとか前兆があるということは自然の中に古代の人は見ていた。大雪の豊年のしるしとなれば雪がふると豊年になるということである。
自然と一体化して生活していたから自ずと自然の中にその栄もあった。
つまり科学技術社会になるとすべてが科学技術でもって栄がもたらされると思うようになった。それが原発事故にもなった。
天地と共にあるとき人の栄もあるが科学技術とともにすべての栄はありえないのである。
万葉集の歌は日本の国の起こった土地と密接に結びついていた。国のまほろばとして奈良があった。そのアイディンティティはその土地と密接に結びついて形成されたのである。国家とは何かというとき一つは歴史国家と理念国家がある。
理念国家はその国の土地と切り離されて形成される、博愛、自由、平等のフランス革命は理念国家を目指したのである。それは国土から切り離された理念に基づく国家の形成である。それは国家を越える理想である。
一見それは人類の理想にも見えたが混乱をもたらして失敗した。それはグローバル経済にに発展した。世界が市場化した経済原理だけのグローバル化はそもそも無理であり失敗した。人間は経済だけに生きるものではないからである。
国がないユダヤ人が資本主義を作ったという説もうなづける、国土がないということが国土を無視したグローバル金融資本主義を作ったともなる

国土がないということはどうなるのか?何がアイディンティティになのか?
文化がそもそもculture-cultivate(耕す)の意味のとき土地と国土と密接に結びついていた。国家というとき最初の国家は国土をアイディンティティとして興った。
理念国家というとき社会主義もグローバルに展開していたから同じだったのである。
それは経済原理主義であり文化を否定するグローバル化だったのである。
またその国々の歴史も無視するグローバル化だった。そこに破綻するものが内在されていたのである。

国家というとき歴史がなければ国家もありえない、国家は千年とか二千年とか長い間に形成されたものである。日本の場合は皇国史観になるのは天皇を中心に国造りした歴史があるからである。
国を統一すくまとめることは容易ではない、それで天皇(すめろぎ)とは統(す)べるからきた言葉なのである。
この皇国史観はグローバル化になると外国と対立するものを生んだ、ナショナリズムの嵐が吹き荒れて第二次世界大戦になったのである。
文化的側面から考えればナショナリズムは国風文化の再興なのである。

万葉集がただ恋愛歌だとするときそれはいくらいい歌でも歴史的に意味をもたないのである。日本の大和が興った時に歌われた叙事詩的なものがあった。
それは日本の大地と山と深くアイディンティティ化した歌であったことに意味があった。それで万葉集が一つの原点となり受け継がれているのである。

ただ国家形成のとき必ず犠牲がある。蝦夷というのが大和王権に逆らった、その勢力はもともと日本の原住民もいて強大なものだったのである。
だから大和王権が確立するとき蝦夷が追いやられて犠牲にされた。その恨みが深いので奈良の大仏が鎮護として作られたのである。
つまり奈良の大仏をみるとき犠牲となり殺された蝦夷を思わねばならないのである。
そういうことは外国人だとわからないし意味がないとなる
ただ何でも価値とか意味は変わり新たに見いだされたり作られたりするのである。
でも基本的な日本の大地から生まれた価値は万葉集のように不壊なのである。

いづれにしろ自然があって自然と共に天地とともに民の栄もある。それを痛切に思い知らされたのがこの辺の原発事故だったのである。
確かにこの辺では原発によって恩恵をこうむっていた。それは天地とともに栄える恩恵ではなかったのである。だから故郷にすら住めなくなった悲劇になった。
そのアイディンティティ化した故郷に住めないということこそ最大の原発事故の悲劇だったのである。
だから避難したばあちゃんが故郷に帰りたい泣いているということがそれを物語っている金はいらないから故郷に帰りたいと言っているのである。

こういうことは日本がもし中国とかアメリカとかロシアの狭間で分断されたり本当にシリアのように国を追われたら起きてくる、そんなことありえないというがそれもわからない現実にはここでは故郷に住めなくなったからである。
だからこれから何が起きるかわからないのである。
だから日本は国力を充実させるべきである。でもその国力と軍事力なのか科学技術力なのかとなる、それはあったとしてもそれだけで国力の充実があるのか?
国をまとめる力、統べる力があるのかとなる、なぜならこの辺は原発事故でちりぢりばらばらになってしまったからである。
それは天地と共にある栄えを求めなかったからである。

国家もそうだが故郷というときも一つの国家なのである。故郷はやはり密接にその土地と自然と結びついてあるからだ。
でも東京とか大都市になると自然がないからそういうものは感じない、自然とのアイディンティティを形成できない、名古屋だったら今やトヨタの城下町であり自動車会社が国になってしまっている。この辺でも東電の会社員となっていたので同じだったのである。
事故前は気づかなかったが今になると市町村が東電の配下になり社員化されていたのである。それほど大きな会社だったのである。
グローバル化社会が多国籍企業化しているといき国土をアイディンティティ化した国家とは違う、国境のないグローバル経済社会になった。その時文化は消失した。
そもそも土地とか私的に所有できない、売買できないものとしてあった。それが資本主義ではあらゆるものが売買の対象となり自然破壊が世界的に多国籍企業で起きたのである。多国籍企業にとってその国の文化とか自然を無視するからであ。
ただ自社の製品を売れればいいとなってしまうからである。
多国籍企業の恐ろしさは軍需産業だったから戦争を起こしてまで武器を売ろうとしていることなのである。

いづれにしろ万葉集は国の基となる歌としてあった。ただこれを恋愛歌としてみれば価値がない、それは近代的な利己的なものとしてしか意味がなくなる
日本の国土と深くアイディンティティ化したものだから価値がある。
それは奈良だけではない、それぞれの土地でアイディンティティ化するものがある。
最上川となれば川がアイディンティティ化してそういう詩が生まれる
外国で大河があるからラインがドイツの父なる河というときと同じである。
自然とはどこでも聖なる宮居であり神殿なのである。
現代はアメリカのビジネスセンターとかウオール街とか株式市場が神殿になってしまったのである。それは異常な世界であり限界にきているから今世界が混乱しているのである。それは自然の理、天地の理に反しているから破綻する、そういう混乱と破綻が2017年以降に起きてくる、つまりグローバル市場経済が機能しなくなるのである。
そのあとに何か起きるのか、その兆候はイギリスのEU離脱とかアメリカのトランプ勝利とかで兆候が現れている、世界が激変化して再構築される時代である。
原発事故もその一つとして起こった。だからこれから混乱の時代であり痛みを受ける時代である。
ただ自分が書いてきたように原発事故で本当に価値あるもの大事なものが何か?
一匹の魚を軽んじるもの一粒の米を軽んじるものがいかに危険だったかということを具体的に知らしめられたのである。だから原発事故は世界への警告だったのである。

しきしまの 大和の国は 言霊の さきはふ国ぞ まさきくありこそ

ももづたふ磐余池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ

うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)とわが見む






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posted by 老鶯 at 12:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題