2017年01月01日

新春2017年(春の城俳句十句)


新春2017年(春の城俳句十句)

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春日さし福岡城の跡たずぬ

福山城天守へのぼる花盛り

花冷えや蔵之助の家赤穂城

姫路城天守の高く春の空

春夕陽船の往来明石城

花曇り15万石の松山城

春の海望み船入る今治城

船の入る高松城下春の暮

夕日映え花散り尽きじ大坂城

花吹雪一代の栄華大坂城

花盛り小田原城の栄かな

みちのくや春の夕日に小峰城

安達太良の残雪映えて二本松城

二本松城井戸の深しも落椿

燕来る流れのはやみ青葉城

門古りて枝垂桜や弘前城




和歌山城石段上り朝の菊

金の鯱夏の陽ざしや名古屋城

実り終え近江平野や彦根城

岩手山紅葉に映ゆや盛岡城

井戸多し熊本城や秋深む

熊本城弾痕残す秋深む

金沢城路にちりしく薄紅葉

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日本はやはり城である。城のあるところが歴史的中心になる。城もたずねたけど日本は城が多いから全部はたずねていない、でもほぼたずねている。
それぞれ徴がある、ともかく城から歴史をみるのが一番わかりやすい

今年の自分の生命曲線としては十年介護で精神的に相当に消耗した。
去年一年も何か呆然としているうちにすぎた。
そして母の一周忌もすぎた。
自分にとってこの十年間は修羅場だった。自分の家族が死んだということで気がぬけたようにもなった。
ただ生命曲線としては気力も回復してきたしこれからもしてゆく
だからまた旅に出るかもしれない、それもあまり遠くには行けないだろう。

ともかく人間はいつか旅すらできなくなる、だから死ぬ前にでもやれることはなんでもしていたほうがいいとなる。要するになんであれなんの理由があれやりたいことをやった方が勝ちなのだ。人生は誰のためのものでもない、国のためでも会社のためでもない、自分のためのものなのである。自分の人生を充実するためのものである。
それが最後になってみれわかる、社会でも会社でも国に尽くすためでもない、自分のために生きるのである。結果的には国や社会に尽くすことになっても自分のために生きるのが人生である。

人間はどんな人生を歩んでも後悔する、なぜなら時間は限られていて時間はたちまち尽きるからである。
だからやるべきときにやらないと遂になにもやらずに終わることになる
要するに何もしなくて終わるよりも失敗でも何でも何かを思い切って行動した方が得だったとなるのである。

旅をするというときも何か車だとか電車もいいが自転車だとなんとか醍醐味がでてくる。でもこれもだんだん疲れてできなくなる、でも今年は気力も回復していているからなんとかできるかもしれない。


今年もいろいろと書きますのでよろしくお願いします

2017新年短歌十首(津波より五年過ぎた右田浜)


2017新年短歌十首(津波より五年過ぎた右田浜)


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これは人が植えた松ではない、自然に育った松である。
防波堤の中にあったからだ。(海老の浜)

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(右田浜)



新年やまず雀の声聞きぬ

遊ぶ子の声野にひびく初笑

浜通り冬たんぽぽや気候よし

新年や鴎とびきぬ街の空

故郷に底辺生きて冬の草


新年に五六羽飛びぬ白鳥や朝日を受けて年は明けにき

松の根の残り鐘の音ひびくかな海に朝日や年の明けにき

津波より五年のすぎて新しき松の育つや年は明けにき

年明けぬ波穏やかに朝日さし新しき松ここに育ちぬ

かもめ飛び海を目指して少年の走りけるかな年は明けにき

一本松五年もすぎてなお残る年も明けしもあわれ朽ちなむ

右田浜かつて人住む今はしも松の根残り枯芒かな

五年過ぎ津波の跡や寥々と松の根のみぞ昔語りぬ

故郷のあしたを生きむともにしや波おだやかに年は明けにき

花の色心に写る赤き花まさりて写る今日も見ゆかな

今年また花を活かさむ我が家に一人し住むも華やぎにけり

百両の二色の実こそ霊前にささげてよしや我が家をつぎぬ

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海老の浜から右田浜に行ったけど以前として津波の跡は残っている
一本松はすでに枯れている、あの松も消えるが松の根は残っていた。

そして新しい松が結構一本防波堤の中に育っていた。
五年すぎて結構育ったのである。
これが自然の再生の力だとなる。この松は人間で植えたのではなく自然にここに育ったのである。だから貴重に思える。
少年が海に向かって走っていた。それは新しい松が根付いて育つのとにている。
自然もそうだが人間もやはり新しい芽がでて子供は育ってゆく。

ただあの子供は正月で外から来た人だろう。土地の人ではない、正月には外から来る人が多いからだ。
雀の声というときやはり政治でも本当は上だけではない、下々の声を庶民の声を聞くことである。雀は庶民なのである。

年末は駅では除染の人でも工事関係者でも中国の女性の出稼ぎ者でも故郷に帰る人が多かった。長崎の人もいた。駅はもともとそういう人間模様がある場所だった。
人間臭い場所だったのである。それは何か車社会の道の駅とは違った感覚の場所である。

ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく 啄木

様々の人間模様や駅をたち帰る人送る年のくれかな

去年は結構駅で外から来た人を案内したり話したりした。今年はどうなるのか、何か一人だと自分も淋しいから駅にゆく、そこで人と交わるのである。

ともかく右田はま何か以前として寂寥としている、新しい防波堤はほぼ完成した。
でもあそこに人が住んでいたということはだんだん忘れれる、でも五年すぎてもやはり人が住んでいて死んだりしたのだから何かそこに淋しさが以前として残っている
それが松の根でありあの一本松でも何か本当に淋しいのである。
それだけすさまじい津波だったからその跡は簡単には消えないのである。

津波の傷痕は本当に深いと思う、家族を死んだりした人は以前として昨日のように思えるかもしれない、自分も家族は全部失った。その傷痕も深い
だから去年はただ呆然として過ごしてたちまち一年がすぎた
でもなんか一人暮らしになれつつあるのかもしれない、家族が死んだすぐあとはショックが大きいのである。

百両の実を霊前にささげた。自分にとって姉と母のことは死ぬまで忘れない、姉と母は争っていたが自分にとっては二人は自分を支えてくれたし家も支えたのである。
二人があって自分があるのである。
百両の実は何か姉と母にふさわしいので買った。二人は争っていたけど今は争わない、実りとなっているのである。

花を挿すということは花を活かすことである。生け花というとき生きた花のことであり生きた花を常に見ることである。
だから家の中で毎日見ることによって花は心に写る、今の花は花屋の花は冷蔵庫に入れるから枯れやすいという、農家が育てた花は近くの市場で買った花は長持ちしている。
花は生き物であり農作物と同じように新鮮でないとだめなのである。

故郷というとき実際は自然と共に生きまた人と共に生きることなのだろう。
それが原発事故で失われた、散り散りばらばらになってしまった。
それもしかしもともとそういう故郷の自然とともに土と共にという生き方が喪失したためかもしれないと書いてきた。
農業中心の社会から工業中心の社会になったとき故郷に自然と共に生きるとか人とともに生きるとかが喪失していたのかもしれない。

それが極端化すると親に農業だけが継ぐなとなぐられたと語る人がいた。その人は原発で主に働いたのである。そんな時代だから故郷を意識することが弱くなっていたのである。啄木が故郷を望郷したというのはまた別な状態から生まれたのである。
みんな故郷がいいなど思っていない、若いときは嫌って外に出たいのである。
故郷はあまりにも平凡に見えるからである。
故郷が別に理想郷でもなんでもない、そこはやはり醜い人が住むし争いもある。
自分もひどい目にあったから故郷は苦い場所にもなっているのである。
一茶はそれで故郷は茨しかないものとなっていた。それもまた故郷なのである。

故郷のあしたを生きむともにしや波おだやかに年は明けにき

今年の海は波は穏やかだった、昨日も地震があったり地震がつづいている。これはまだ余震なのだろうか?
今年は一体どういう年になるのか?自分はいい方向に向かっている、なぜなら介護が終わったし気力も回復しつつある。だから余裕がでてきている。
ただ自分を支えるものは自分しかいない、こが以前として苦しいとなる
それでもやはりこの土地に生きるかぎり共に生きることになるのである。
都会だったらあまりその土地のことを意識しないのである。
郷土というときやはり土の上に成るものなのである。その土が放射能で汚されたことが最大の被害だったのである。


今年もフログがかきつづけます、去年の12月は50タイトルを書いたから最高記録だった。、それだけ余裕が生まれてきたのである。

では皆様の良いおとしを祈ります、今年もフログをかきつづけますのでよろしくお願いします
タグ:右田浜

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2017年01月03日

新春短歌十首(海と桜と船と・東海から九州へ・・・)


新春短歌十首(海と桜と船と・東海から九州へ・・・)


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伊豆の桜と富士山

瀬戸内海-写真

開聞岳

写真はいいのが一杯あります、これは一例です


朝桜富士の嶺の映える伊豆の海

(東海)

東海に朝日の昇り紅梅の映えて電車のひた走るかな

駿河湾波うちひびき富士の山望みて春や心高鳴る

(瀬戸内海)

瀬戸の海見えて今しも花盛り行き交ふ船や島見ゆかな

島一ついづこにありや菜の花の咲きて行く船遅かりしかな

瀬戸内の島の古りにき夕暮れに梅の香りて宮居静けし

春の日の海に昇りて船は行く四国の沖や大阪へ入る

瀬戸の海入り来る船や古ゆ難波の港春日さすかな

淡路島今宵城にし春の月波おだやかに我が泊まるかな

(四国)

菜の花の咲きて沖にし船の行く遍路の旅も電車にのりぬ

(長崎)

春の日に海をわたりて韓国へ慶州にしも桜咲くかな

長崎に春の雨ふりあわれかな出島の跡に旅人たたずむ

春の日や長崎去りぬ大船の去りにし後や雨しととふる

春の日や石畳みの坂歩みつつ昔偲びて長崎の暮る

開聞岳春の夕日に染まりつつ船は去りゆく影そ濃くして



青春18切符でここから韓国まで行ったのは長かった、やはり長距離に旅の醍醐味がある、そうなるとどうしても時間がかかる、それで勤め人は旅がしにくいのである。
自分は金はないけど時間がふんだんにあったからできたのである。
要するに何度も言うようにその時間が人生では貴重であり帰って来ないのである。
ここに短歌にしたのでも相当に時間をかけてまわっているからだ。

旅とはあとから思い出すのも楽しみとなる。そのために車などだとなかなか思い出しにくいだろう。運転に集中するから外の景色も見ないからである。
鉄道だと外の景色が見えるからいいと車に乗っている人が駅で言っていた。
車に乗っている人は電車や鉄道のことが良くわからないのである。
これも車社会だからこそである。

自分は電車と船でも相当に旅した。一週間かけて東京から沖縄に船で行ったこともある
それだけ暇であり時間があったことなのである。
その船は貨物船のようなものであり大きな船ではなかったのである。
船の旅は気持ちに余裕ができるからいい、急ぐ必要がないからである。

瀬戸内海も相当にまわった、その時は瀬戸大橋はできていない、でも瀬戸大橋ができたときも行った、その時島に港があっても用がなくなっていたともなる
日本の魅力はやはり海に囲まれていることである。
常に海が見えて船が行くのが見えるのである。

いづれにしろこれまでも書いたが自分は旅が以前として心の中でつづいているのである。回想する旅ができて旅も完成するのである。旅しているとき発見しえないものが回想の旅で発見しているのである。










2017年01月04日

5年半ぶりに開通した常磐線 (駅は人間臭い場所だった-新地駅の記憶(詩)


5年半ぶりに開通した常磐線

(駅は人間臭い場所だった−新地駅の記憶(詩)



明治時代日本に鉄道が導入されたとき、今の「駅」にあたるものも含め、列車が止まる場所はみな停車場と名づけられた。利用者はこれを駅と呼ぶことが多く、鉄道関係者も時に停車場、時に駅と用語を混用した。時とともに駅が優勢になったが、昭和時代まで停車場という言い方は残った。1936年(昭和11年)の鉄道省の職制改正によって、停車場と駅の呼び分けが明確になり、一般の会話から停車場という表現は少なくなっていった。

今でも都道府県道・市町村道の法定路線名には「停車場」という言葉が使われる。例えば、札幌駅から南にのびる道路は、北海道道18号札幌停車場線(通称:札幌駅前通)である

停車場というのは死語になったけどこれは最初はただ車両が止まる場所だった。
駅とは違っていたのだ。なぜそうなったのか?
駅というのがまだそんなに生れなかった時代の名残りなのだろう。
車両が止まるから停車場でありそれは駅とは違っていたのである。
停車場線というのも不思議である。車両が止まる場所へ通じる道路だとなる。
駅には前は引き込み線があり貨物車両が入り荷物を運んでいた。
だから駅前には自転車屋があったという,荷物を運ぶに便利だからである。
その頃車とかは使われていないからである。
縄屋とかあったのも縄で梱包するからである。
とにかく交通の要として鉄道があり駅前が街の玄関口でありにぎわっていたのである。
駅は人が集まる場所であり交差する場だったのである。
水上勉の「停車場有情」という短編小説などがあるのもそうである。


年末は駅では除染の人でも工事関係者でも中国の女性の出稼ぎ者でも故郷に帰る人が多かった。長崎の人もいた。駅はもともとそういう人間模様がある場所だった。
人間臭い場所だったのである。それは何か車社会の道の駅とは違った感覚の場所である。

ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく 啄木

様々の人間模様や駅をたち帰る人送る年のくれかな

去年は結構駅で外から来た人を案内したり話したりした。鹿島駅が無人駅になったから案内する人がいないのも困ることがある。

正月になり二日は今度は常磐線で帰る人がいた、その人は車をもっているから電車には乗らない、それで電車のことがわからなくなっている
今は車社会だから電車のこと鉄道のことをわからなくなっている人が多いのである。
自分は車に乗っていないから車のことがわからないのである。
今どきそんなことがあるのかと思ってしまう。

「電車はいいよ、景色を見れるから、車だと景色は見ていられないから」
「常磐線は今度は高架橋になり海が広く見えるよ,船も見えたよ」

そう言って見送る人がいたが確かに電車だと景色をゆっくり見られる、車だと運転に集中するから景色が見れないのである。そういうことも車に乗らない人は良くわからないのである。
常磐線は五年半ぶりに開通した。今度は高架橋で広く海が見えるし船が行くのも見えた。

東京へ帰れる人を見送りぬ人も老いにし駅舎も古りぬ

常磐線五年ぶりにし開通す仙台に通じひびき高鳴る

ともかく自分にとってこの常磐線の開通は復興を一番感じた、というのは自分は仙台には良く行っていたし旅をしたからである。
その時はあまり電車のありがたみを感じなかった。つまりこの辺では当たり前にあるものが失われた。第一故郷に住めなくなるなどということをイメージもできないものだったのである。
今でもまだ仮設に住んだり移り住んだ人がいるからその心境はどういうものなのかその人にしかわからないだろう。

普通に電車が走る、今までは原町と相馬市の間しか走っていない、なにかそれも不思議だった。でも仙台まで通じるとまるで違ったものを感じた
その電車が走るひびきは仙台へ通じていることなのだ。その相違は大きいのである。
バスは何か疲れるし好きではない、電車は乗っても楽なのである。
津波で流された駅は新地でも山下でもずいぶん立派になった。
ひなびた駅が都会風になったのである。

まずこの辺はいろいろ変わり方は激しいのである。
駅をおりて浪江の人が新しくできた復興住宅に行ったりと除染や工事関係者がまだ外部から入ってきている。
駅というのがその街の玄関だというとき確かにそうである。
駅からその街をまず見るからである。電車の旅でも駅の名前がなぜか心に残っている
駅はバスとは全く違った乗り物なのである。バス停なとには何か今でも原町の深野の
豪蔵とかの地名が記されている、高瀬川を上った葛尾村に磐城落合とか停留所の地名が記されているときやはりそこでその土地のことを記憶に残すからバスでも昔はその土地の字名を記憶に残したのである。

駅はやはり途中下車なのである。

新地駅おりたちあわれ虫の声ここに聞きつつ月の光りぬ

新地駅五分まちつつ交換の電車を待ちぬ秋の夜かな

日立木駅ものさみしかもおりる人一人二人や冬のともしび

前の新地駅では交換のために五分間待っている、新地駅に来るともう相馬であり鹿島も近いとなる。
その時は家族がいて待っている人がいたからなにかほっとする
今になると家族もみんな死んだから一人帰るのが何か淋しいとなる

いづれにしろ鉄道には自分は相当に愛着がある。鉄道マニアになもっている、ただそのマニアでもいろいろある。鉄道だと今はローカル線では観光鉄道になっているところもある津軽鉄道などがそうである。スト-ブ列車でもある、春には乗ったが冬には乗っていない、やはり冬に乗ることで津軽を感じるだろう。
鹿島駅でもストーブがあったという、何かその記憶にともしいが確かにあったのだろう。それはどこでもあったものである。スト-ブがあるということはそこで待ち時間に会話がある。
この待つ時間が旅では記憶に残るのである。今の時代待つということが効率化で失われたのである。結果的に人生の時間が失われていたのである
瀬戸内海でも旅したとき土地の人と船を待っていたことが記憶に残る
瀬戸内海では船が日常の交通手段だから観光ではないから違っている
そこで瀬戸内海の人々の生活を感じるのである。観光では生活を感じにくいのである。
津軽鉄道があったとしても今はどこでも車が主だとすると何か違ったものになる。

今は車社会だというとき道の駅が生活を感じるものになる、でも何か鉄道の駅のように人間味を感じない、鉄道には何か人間味を感じるのである。
人を迎えまた見送ること、電車を待つことそれは人間的なことなのである。
車には何かそういう人間味がないのである。機能面がけが優れていてそこに人間的なものが生れないのである

常磐線が仙台まで通じて仙台に行きやすくなった。それでまた出かけたいとなる。
仙台に出ればまた遠くに行き安いから旅もしやすいとなる。
ただ何度も言うが旅で大事なのは記憶に残る旅をすることなのである。
それが一見非効率的なものになる、電車を待つとか船を待つとかの時間が記憶に残っている、そういう時間が実は大切な時間だったのである。
だから旅をふりかえると不思議なのである。その記憶が宝となっているのである。
それで思い出して短歌なり俳句なり詩にしているのである。
回想するたびというのもつくづく今になると不思議である。
かえって旅しているときより深く見ているのである。それは人生でもそうである。
その時々の経験したときは何かわからないが老人になるとその意味がわかり記憶が宝となるのである。

だから生きるというときどういう体験を積んだかであり必ずしも大金持ちになったとか金では計れない、何か大きな冒険をして九死に一生を得るというごとくそういう経験した人は貴重な経験をしたのである。津波とかがそうだった。そんな経験は滅多にできるものではないからである。


記憶の駅

津波に流される前の新地駅
五分交換のために電車を待つ
ホームにおりると
虫がかすかに鳴いている
月が光り新地の海側の家々
それらはみんな津波で流された
ここはすでに相馬に入り
我が家も近くほっとする
その新地駅は新しくなった
でも自分は前の新地駅に
なお幽霊のように立っている
そんな簡単に人は変わるものではない
人は長く生きていればどこにも愛着が生れる
だから愛着ある場所にいたいのだ
津波で流された後に松の根が残っているように
人の記憶はそう簡単には消えないのだ
私はそこに以前としている
家族もみんな失った自分だが
やはり以前としているように思う
長くあったものはそう簡単には消えない
記憶はその人の中に残っているのだ

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こういうことなんだろ、津波とかで家が流されて人も大勢死んだ、原発事故で避難した人々の気持ちもこういうことがある。
だから老人はどうしても故郷に帰りそこで死にたいという気持ちになるのである。
何でも長くいると愛着が生れるからである。若い人にはその気持ちがわかりにくいのである。老人になると記憶を生きるようになるからだ。
新地駅はまるで変わったものになった。するとそこからこのように過去を回想することはできないのである。
すると過去の記憶と今の記憶の断絶が生れるのである。そういうことは歴史でいくらでもある。東海道などはもうそこに江戸時代を回想することがむずかしくなる
その変化が激しすぎたからである。
中原中他の「桑名駅」では蛙が鳴いていた。桑名というという東海道の宿駅であったがそれがた現代と結びついている。そういうことは今はまれである。
この辺はまず大きな変化に見舞われた、だから経験し得ないことを経験したのである。

マスコミはもう終わっている (これからは土着的地域に根ざす報道機関が必要)

マスコミはもう終わっている

(これからは土着的地域に根ざす報道機関が必要)



テレビ報道の現場は、誰に向かって何を伝えるべきか、また自分たちが視聴者や取材相手にどう思われているのか、見失っている。そう懸念するのは、ある民放キー局元幹部である。


マスコミというとき放送する相手が誰かとなると日本国民とかでありその範囲が広すぎるのである。マスコミニケーションでありマス(大衆)を相手にして放送する。
全国放送だとどうしてもだから一様な放送になる、大衆相手だから視聴率をとるために芸能人を出す、知識人でも芸能人なのである。
電波芸者だとか揶揄された人もいる、マスコミは何か真面目なことを追求しているわけでもない、視聴率を稼ぎ宣伝費を稼ぐためにある民営の会社にすぎないのである。
だから報道に対する使命などないのである。
でもなぜこれほどマスコミが社会に影響力をもっていたのか?
それは全国放送するのがキー局が六つとか独占されていたからである。
前はテレビでしか知ることができないことがあった。

そもそもNHKが受信料をとるのはテレビを普及するためだったという。
テレビが出たときはテレビは高いもので見れなかったからである。
だからその時テレビで放送されるものはその内容ではない、テレビに写るだけで見られたのである。
テレビにでるだけでつまらいな人物も有名になり政治家になったりした。
有名になるにはテレビが一番効果的だったのである。別にその人物は問わないのである。大衆受けする面白そうな人を抜擢して視聴率を稼ぐのである。
また団体の圧力がありそううい人を出す、だから今やマスコミに選ばれ出る人は何かうさん臭いとなったのである。芸能人と変わりないと見られるのである。
マスコミ自体がすでに信用できないものとなった。だからトランプが大統領になったことでもマスコミの権威は地に落ちたのである
アメリカではそんなにかたよっていると思えなかったがそこも同じだった
アメリカのマスコミを言うことを日本のマスコミも一方的に報道するだけだかったのである。

どうしても今までは東京中心の放送になる、出版すら東京中心にしないとできない仕組みになっていた。地方から全国放送することはできなかった。すると東京中心の放送だけが流されることになり地方のことは放送されない、また関心ももてないのである。
例えば地方からそこに住んでいる人たちが発信するのと東京などから外部から来て伝えるものの何が違うかとなるとまず地方には代々住んでいる人たちがいるから時間軸として歴史的にその土地のことをみる、そこが根本的に違っている
なかなか時間軸でみることは外から来た人にはむずかしいからだ。
外国でもヨーロッパなどでも歴史があるから時間軸で見るのがむずかしいのである。
それは津波で流された新地駅のことを書いたがあそこは津波で流される前に自分は何度も停車して下りていた。
なぜなら下り列車が交換のために3分間とか5分間止まっていたからである。
その時ホームにおりて待っていると虫が微かに鳴く音を聞いていたのである。
今は津波で流されて新地駅は高くなりエレベーター付きの都会風の立派な駅になった。
すると前のようなひなびた駅の感じがしないし前の駅のことを思い出せなくなる
こういうふうに大きな変化があるとたちまち記憶が失われるのである。
だから江戸時代が何かとなると相当に想像力豊かにしないとまるで異国になってしまうのである。

報道というとき何かあっても必ず時間軸で語るということも必要になる、それは東京からよそから来た人たちには記者にはわからないのである。
新地駅に来ても自分のように語れる人はいない、そこはどこの地方でも同じである。
時間軸で語ることはそこに長く住んでいないと語れないのである。
報道というとき今を語るだけでは見えてたない、過去から語るとき今が見えてくるからだそれが外から来た人たちには見えないのである。
ただ外から来た人たちにも有利な点はある、何かそこの土地のしがらみとは関係なく客観的放送ができることはある。
でも客観的になることもその土地のことを知らないとむずかしいとなる
この辺は原発の補償金でもめた、その事情も複雑になる、でもNHKではそういう事情が知らないわけではなかったが原発避難民側について放送したのである。
それには問題があったと自分は指摘した、ただそれは地元の人でないと気づかないようなことだったのである。だから全国放送されたときなぜ原発避難者に回りの人が冷たいのだと思ったことは確かでありそれで感情的にみる人もいたとなる
その土地に土地の事情がありそれを一方的に放送することがマスコミ報道の危険だった。それは今までは放送する手段がないのだからその効果は絶大だったのである。
マスコミが世論を作っていて選挙でもマスコミの力で煽動で政治を動かしていたのである
報道というときこれも土着的な報道というものが必要である。その地に根を下ろした人が伝えるのと外から来た人たちが伝えるのは違ったものになるからだ。
例えば福島県でも民報と民友があるがこれは福島県全体の報道である。
そうなると必ずしも地元に詳しい人とは限らない、福島県でも広いからである。
ハマ、ナカ、アイヅとあるとき本当はこの三つに区切った報道が必要である。
それは東電の原発事故で浜通りが実は被害があった。放射能の被害というより双葉とか大熊と富岡とから大量に避難してきたことで直接的に感じるものがあったからだ
そして原発事故の補償金でいわき市に次々に家を建てたとき顰蹙かったのである。
二万人も移住して一時はパニック状態になったからである。
でも補償金はいわき市民はほとんどもらえなかったのである。
浜通りは原発地帯というとき一つの共通意識をここではもつ必要があった。
そういうことを浜通りに根付いて生活する人からの発信が必要だったのである。
原発はそれだけ重大なのに浜通り全体の問題してとあったが認識されなかったからだ。
原発はなになのか良く検討もされないしただ利益になるというだけで受け入れていたのである。

でも原発が作られたその土地の事情としては出稼ぎをなくして働く場所を与えることにあった。だから原発は別にその時は危険なものと地元の人は思っていない、それより働く場所を収入を欲しいということで作られたのである。
それで室原だとか飯館村の比曽とかからも原発で働いていたのである。
いかに原発がこの辺では働き口となり恩恵を得ていたかが事故後にわかったのである。
ただ原発のことはこの辺ではもっと報道されても良かったがされなかった。
それより報道できなかったのである。「安全神話」が作られて危険だと口に出してもいえなくなっていたのである。それは福島県の報道関係は全部そうだった。
東電からみんな宣伝費をもらっていたからだ。それはマスコミ全部がそうだったのである何かそれを象徴していたのは朝日新聞社までマスコミの幹部が中国に東電から接待されていたとき事故が起きたのである。
マスコミは全部原発の危険性について報道しなかったのである。
その危険を喚起することもしなかったのである。

誰に向かって伝えるべきなのか?

まず原発周辺の地元住民に向かって危険を伝えるべきだった。そこに報道の使命があった報道は会社の宣伝のためにあるのではない、地元住民のためにある。
だから会社の宣伝費で成り立つこと自体すでに報道の使命は果たせないのである。
新聞社はあらゆる会社でも団体でも資金が入ってくる。民報などは聖教新聞を刷っているすると創価の支持に従うことにもなる、すでにもうここに報道の使命は失われている
創価の悪口は言えないことは東電で原発を作ったときも賛成の意を紙面で書いていた。
それはやはり宣伝費が大きいからである。それはどこでも同じだった。
要するに報道は金のあるもの権力あるものに従うだけになっていた
マスコミとはただ大きな権力に従うだけであるからそれに従うことはまた大きな権力に従うように仕向けられるだけだとなる
結果として巨大な事故となりまた戦争にもなり地元住民が国民が大被害を受けるのである
ただ新聞でもテレビでも報道に金がかかりすぎるからそうなった。まず会社の支援がなければ成り立たないのが報道会社であり一営利会社なのだから倒産してはもともこうもないのだから利益を第一にする、だから大きな権力、金があるところには従うほかないとなるそれで報道の独立性が失われているのがマスコミだった。
報道が第三の権力だというとうときそうした独立性がないなら住民のためになる報道もできない、ただ権力に従うだけだとなってしまうからだ。
だからなぜトランプが勝ったのか?泡沫候補としてマスコミでも馬鹿にされていた人が勝ったのかとなる、マスコミを信用しなくなったからなのか?
何かそういう変化があった。マスコミはアメリカ国民の不満が大きい層のことを見逃していたのである。つまりウオール街とか一部の富裕層側に立っていたのである。
アメリカでさえそうなっていた、金で操作される報道機関になっていた。
それは結局マスコミがアメリカでも報道に金がかかるからである。
インターネットは金はかからない、そこが最大の強みである。
手間はかかるが金はかからないのである。別にいくら書いてもいいし制限されることもないのである。
それで一応全国に放送される、これもありえないことであり今やインターネットは不可欠なものとなった。そしてマスコミは凋落してゆくとなる

マスコミにかかわる人の恐怖はテレビの放送でもyoutube並になるのではないかということである。youtubeで400万回も見られたというのには驚いた。
するとテレビ並になる。テレビは何か特殊なものではない、ありふれたものである
そして大衆向きだから視聴率第一だから何か勉強することはできない
プログの方が詳しい人もいて勉強になる、自分のことを言うのもなんだが俳句短歌を学ぶなら自分のプログが参考になるとかなる
そういうプログが増えた、テレビはただコンテンツを報道する箱になる。
それはインターネットで報道しても同じだとなる、すでにNHKではインターネットでも報道するようになるとしているからだ。
報道も水平化される、並列化されるのである。今までのような報道の特権は権力は失われたのである。

2017年01月05日

復興は今まであった価値を見直すこと (感謝しないことが大きな災いを呼ぶ-津波,原発事故がそれを示した)


復興は今まであった価値を見直すこと


(感謝しないことが大きな災いを呼ぶ-津波,原発事故がそれを示した)


人間は普通ありふれたもの普通にあるものに感謝しない、それを感じたの常磐線が5年半ぶり開通したときだった。バスは疲れるし嫌だった。5年半ぶりに乗ったら楽だった、そしてまた仙台が近くなったと思った。自分の場合は鉄道の旅が長いので思い入れがあったのも影響していた。
その時何を思ったのか?鉄道があることに通じたことがありがたいなと思ったことである
電車なら何も普通に走っている、それに感謝などしたことがないのである。
その時何か鉄道を運営しているJRとか運転手とか車掌まで感謝する対象になった。
この人たちが鉄道を動かしていてこうしてまた乗れるのだと思ったからだ。
その前にこの鉄道再建した人たち工事にかかわった人たちにも良くやってくれたと感謝した。これも今までにはありえないことだった。ただ電車賃が高いとかばかりで文句言うことが多かった。でも今はそういうことは思わない、何か感謝したということである。

つくづく人間は感謝しないというとき普通に当たり前にあるものに感謝しないのである。家族を自分は二人失った,そして介護を十年していた。
その時思ったことは自分が今まで食べていたものは食べれない、それより自分で食事を用意するとかなり大変だった。
そして母親が死んで今年の正月でも雑煮が食べられないのでコンビニでもちスープを食べた、これはたいしてうまくない、だいたいコンビニには調味料とか化学薬品が使っているから体に良くないのである。他にも食べられないものがあり悲しかった。
ただ自分の母親は別に料理が得意ではないがずっと食べていたものが食べられないことが悲しかった。
それは結局食べられなくなったからこそそう思ったのである。
要するに人間はありふれたもの当たり前にあるものを感謝しないのである。
失ってみてはじめてその価値がわかり感謝するのである。

だから故郷自体などあることを感謝している人などいないだろう。それは当たり前にあるものなのである。故郷がなくなるなど想像することもできないことだったのである。
それが失ったとき故郷の価値を知ったのである。
そういうことが人間には本当に多い。何か失ってみて本当の価値を知る
妻と長年暮らしていて死んだりするとそうである。その時空気のよう地存在したものの価値がわかる。

人間は失ってみてその価値を知る

人間はそういう性質をもっている、それは何でもそうなのである。
科学のこと技術のことに否定的発言をしたが鉄道も技術である。技術の恩恵も実際は大きいのである。試しに電気がなくなったらどうなるのか?車がなくなったらどうなるのか?
石油がなくなったらどうなるのか?そういうことがこの辺では一時的に本当に起きたのである。電気がないともうご飯もたけなくなり食べることすらできなくなる、すると電気に感謝するのである。だから別に電気を作る原発が悪いものとはならない
電気が悪いとはならない、技術が悪いものとはならない、それは人間の進歩の証しでもあった。技術によって新しい価値が産み出されたのである。
グーテンベルグの印刷機の発明で聖書が一般の人が読めるようになって宗教改革があったそれは技術の力であり技術が新しい価値を作り出したのである。
インターネットなどもそうである。そういうことは人類の歴史でいくらでもある。
人類の歴史は一つは技術革新の歴史だったからである。

その技術でも今回の鉄道の開通でわかったようにその技術がないとすると不便になる、だから車社会になったとき車がなくなったらどうなるのか?
車があることに人々は感謝するようになる、車が交通事故などでマイナス面も大きいのだがそのプラス面もそれにまさって大きいからである。
技術でも科学でもそれがなくなったとき本当の価値を知るのである。
でも一方でそうした技術の価値もそうだがその前に人間は本当に価値あるものを見失っていた。それが津波や原発事故でわかったのである。

●一匹の魚や一粒の米でも感謝しないと危険なことに

南の島々で古くからの災害としていわゆる、シガリナミ(海嘯)の記憶の最も印象強く残っているのは自然である。これがただ一尾の魚を尊敬するかせぬかによってさういう恐ろしい結果を生じたざとつ伝えるのは考えて見れば不思議なことである。
(柳田国男全集-五巻-もの言う魚)

漁業者が一尾の魚を尊敬するなど今は全くないだろう。一尾ばかりとったってなになるのだ。大量にとらなければ商売にならないとか常になっている。そして漁業では金にならない、だから跡継ぎもできない、これは農業でもそうである。一粒の米に感謝していた昔とは大違いである。常にどれだけの金になるのかが問題になる。それもやはり買うものが増えすぎたからそうなる。家もほしい車も欲しい電気製品も欲しい子供は大学まで出すのが普通だとなると常に金がかかるのが現代の生活だからである。
ただそこに大きな落とし穴があった。何か大事なものが見逃されていたのだ。

それは一尾の魚でも神からの贈り物であり一尾の魚をありがたく食べさせてもらう感謝の気持ちが喪失していた。このもの言う魚は神の使いであり危険を告知するものだったともとれる。自然からの何らかの警告として生き物もみるべきものがある。漁業権者にももらろん自分のような魚を食う方にもそうした意識は皆無になった。ただ金を出せば何でも食えるし必要なものは手に入るという感覚になってしまった。そこに人間の奢りが生まれていた。一尾の魚に一粒の米に感謝する心はない、ただ足りない足りないという嘆くだけだったのである。

現代というのはまず第一次産業となるのものが軽んじられた。だから当然漁業でも一匹の魚でも農業でも軽んじられた。全然金にならないものとしてその当事者もやりたくないと軽んじられた。ある者は親に農業だけはやるなと親に殴れたという、その人は原発や建築関係で働くようになった。
要するにそれほどまでに一匹の魚でも一粒の米でも大事にしなくなった。それはすべてがそうである。金になるかならないかですべてが決まる、金になりさえすればなんでもいいとさえなっている。原発もいいじゃないか金になるんだからとなっていた。
その危険性は地元でも問われることもなかった。

そして津波や原発で何が問われたのかというと一匹の魚や一粒の米に感謝しないことだったのである。
科学技術が極端に価値あるものとしたとき一匹の魚に一粒の米に感謝する心を失っていたのである。農業中心のときはそれは祭りとして神への奉納として継続されたものがあったそれは神に対しての感謝を示す祭りだったのである。
つまり逆の意味でそういう本来基本的に欠かせないもの、土や水や木でも汚染されたときその大事さを知ったのである。
そもそも放射能汚染で土も使えない、水も飲めない、木も使えないとなったらもうそこでは生活もできない、住むことすらできないのである。
でも大地に水に木に感謝したりする人はいなくなっていたのである。
だから親は農業だけは継ぐなと子供を殴ったとかまでなっていたのである。

●本来の価値を見直すことにより復興がある

河がうたっている
家畜をはなす若者
ふるさとの土を守れと
わかものは合唱する
黒い虹のかわりに
白い翼の鳩がふるさとの空に帰る日の歌を
河は夕映えを写す
河は星を写す
歴史をいろどる

真壁仁詩集

この詩のように本来その土地にもっていた価値を見直すことから復興がはじまる
何か価値あるものだったかを見直すことからはじまる。
それをこの辺では痛いほど感じさせられたからである。
土に水に空気にさえ感謝せねばならなくった。なぜなら空気も放射能に汚染されたからである。

でも以前としてそうした本来の価値はおとひめられている,金にならないものは価値ないものとされる。
いづれにしろ一匹の魚に一粒の米に感謝しないものは危険になっていたことである。
金にならない、金にならないというばかりで原発は金になるとなってそれで漁業のことなど考えない、東電にすぐに漁業権をうりわたして原発御殿を建てたのである。
そしてそれが津波で流された、まるでそれは一匹の魚を軽んじたために起きた天罰のようにも思える
それはここだげの話ではない、文明社会自体が一匹の魚を一粒の米を軽んじる社会になっているからだ。そこに危険性があった。

確かに鉄道が開通したとき感謝した。でも一方で一匹の魚に一粒の米に水に感謝しないことは危険なことだったのである。そこに神が見ていて罰を与えるとういことがある。
感謝しないということは神が与えたものを大事にしないということでもある。
電気というのは悪いものではない、でも基本的生活に不可欠なものこそ大事であり感謝すべきものだった。
だからもともとあったそうした基本的なものの価値を見直すことが復興のはじまりにもなる。

ふるさとの土を守れと
わかものは合唱する
黒い虹のかわりに
白い翼の鳩がふるさとの空に帰る日の歌を

まさにこれなのだ。土を守るというのは土に感謝することなのである。恵みを与える土に森に山に自然に感謝することなのである。
それは千年とか祭りとして継続されたことだがそれが見失われたのである。
いづれにしろ感謝しないこと本来の価値を見失うことは本当は相当に危険なことだったのである。
でも人間は当たり前にあるもの普通にあるものは大事にしないし感謝もしないのである。だから復興というとき何が復興なのか?
そうした本来あったもの価値を見直すことでもある。
だからこの辺が放射能で汚染されてもう食料も生産できないというとき様々な技術を導入してそれで復興を計るのはいいことなのか、技術は悪いものではない、でも原発事故で起きたように本来あったものの価値を見直さないとまた同じことが起きる
一匹の魚に一粒の米に感謝しないことは危険なことだったのである。
ここで起きたことは人類への文明の警告であり教訓だったのである。
だからここだけの問題ではない世界的文明の問題だったのである。


権利ばかり主張して感謝しない社会





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2017年01月06日

故郷に帰れないと嘆くのも因果応報、カルマだった (原発事故の結果楽を求めて苦を受けた?)


故郷に帰れないと嘆くのも因果応報、カルマだった

(原発事故の結果楽を求めて苦を受けた?)


この辺では本当に原発で働く人が多かった、原発がある双葉とか大熊とかそこから近ければ近いほど原発で働く人が多かった。だから浪江は相当に多かった。
南相馬市では小高は多かった。原町でもそれなりにいたが数はわからない
原町には工場もあり働く場所があったからだ。
相馬市となるとやはり原発は遠いから働く人はほとんどいなかったのかとなる
大内村は原発が見える位置にあり近かった、三分の一が原発で働いていた。
すると結構豊かな暮らしをしていたとなる、もし原発がなかったら限界集落のようになり過疎地域になっていた。原発があったから村が成り立っていたともなる
だから原発で働いていた人はみんな東電を悪く言えないんだよなと言っている
実際に東電で働くことにより生活が成り立っていたからである。
家を建てたとかなるとそうなる。東電が原発があって恩恵があったのである。

それが事故で一転した、その変わり方はあまりにも激しかったのである。
そこで問われたのは原発が悪いものとなり被害を受けたことである。
原発で働いたことが悪いとまでなってしまった。
そうなるとそうして生きたことの価値まで否定された
それは子供にも俺は東電で働いて家建てたんだよとうことも自慢できない
人生そのものを否定される

現実に息子や娘が子供が故郷を捨てて流出するとき、それが具体的に示されたのである。なぜ親を捨てて出て行くのかというとき

「お父さんは原発で働いていたけど原発なんかいらなかったんだ、そんなところで働くこともなかったんだ、こんな放射能汚染地帯に住めないよ、お父さんたちがそうしたんだよ、出て行くのは当然だよ」

こんなふうになってしまったのである。それは自業自得のカルマだったのかとなる

そしておばあちゃんとかが故郷に帰りたいと泣いているという、金をもらってもありがたくない、故郷に帰りたいと泣いているという。
だからこれも何を意味しているのか考えさせられる

というのは何度も書くが小高の人がもう80歳くらいになる人が親に

「農業だけは継ぐな、やるな」と殴られたというからだ。

このことは何を意味しているのか?ここに重大な過ちがあり原発事故へ結びつく原因があったともなる

もしこういうことがあっても

「農業は苦しい、金にならない、でも懸命にやればここで生きていける、この土地と共に生きていける、息子よ、苦しいけどこの土地を大切にして農業をやるのも生きがいだよ
金だけが人生ではない、苦しいけど今ならそれなりにがんばれば暮らしてはいける」

こんなことを息子に言っていたらどうなるのか?
これは漁業にも言えた、漁業だけでは暮らしが成り立たないと東電に漁業権を売り渡して贅沢をしていたのである。それは事故後もそうである。
漁業というのもどこでも跡継ぎがないとか生活できないとか農業と同じだったからである
双葉とか大熊とかは原町から離れていて働く場もなく出稼ぎに出ていて現金を稼いでいた場所である。
それで原発が政治家によって誘致されたのである。
お前には現実の苦しみなどわからないのだといえばそれまでである。

ただ人間はつくづく因果応報がある、自分もここ十年の介護でその因果応報、カルマを受けた、これは本当に苦しかった。なぜ病気なのに介護してさらに自分にかかわった人たちに責められるのか、本当に過酷だったのである。
同情は一切なかったからだ。それより弱みにつけこまれるだけだったのである。
そういうことも自分が結局楽しすぎたカルマだったと今では思う

そういうことは原発事故でも言える、原発は働く場となり楽をさせた、でもその楽が裏目に出たのである。原発は給料が高いし交付金も高く経済的に楽をさせたのである。
その楽が今度は苦になったともなる
そして息子や娘に言われる

「こうしたのはお父さんやおじいちゃんなんだよ、こんなところに住んでいられねえよ、俺はここを出て行って外で暮らすよ、子供いるし放射能を嫁が恐れているからな

これが因果応報なのか、故郷に帰りたくても帰れないとおばしちゃんが泣くときその息子でも子供でも故郷を壊したのはお父さんやおじいちゃんなんだとなってしまう。
それでも別に知っている人は名取に家を建てて親を暮らせるように部屋まで作っているから薄情なわけでもないのである。
ただ故郷に住めなくなったとうことなのである。
その原因はたどればそういうことを作り出したものが親や祖父にあったとなる

つまりカルマというとき因果応報というとき自分だけ一代で作り出すものではない、祖父母であれ先祖が作り出しているものを次の代のものがその因果をカルマを受けるのであるそれは悪いカルマだけではない、いいカルマも受ける、原発だってではそれで稼いだ金で大学とかに行った人もいるだろう、子供も恩恵を受けていたからだ。
そしして子供は別に故郷を出て外で暮らしてもそれほど苦痛でもいなということがある
やはり一番苦しみを受けたのは親である。帰りたくても帰れないとおばあちゃんが泣いているときそうである。どうしてもなじんだところに年寄りは住みたいからである。
若い人はそういうことをあまり感じないからである。

そうはいっても今は原発事故がなくても全国に散らばり住むというとき故郷にいつまでも住めるとは限らない、実際に近くでも病気になり娘の所に都会に引き取られたとか普通にあるし増えているからだ。だからこれは原発事故があったからだけだともいえない、こうした社会状況も影響している。
ただ人間には必ずなんらかの因果応報が必ずある、カルマを受ける、それは個々人でもそうだしその地域でもそうである。
そういうことがあからさまに具体的に現れたのがこの辺だったのである。



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通販でパソコン買って故障 (ASUSのノートパソコンの保証書なくして修理できない)


通販でパソコン買って故障

(ASUSのノートパソコンの保証書なくして修理できない)


商売やってるんだが、良いお客さんは神様みたいに大事にという気持ちでやってるよ。 
良いお客さんを大事にすればお客さんの方も店を気に入ってくれて通ってくれるし、お互い様で成り立ってる。 
店が無くなると嫌だなと思って貰えるくらいにやれば、お客さんも店を大事にしてくれる。 
多少迷惑なお客さんも悪意は無い人が多いから、注意というよりやんわりお願いします、ご協力ありがとうという気持ちで接すればとても協力的になってくれる。 
そうすれば、神様みたいな良いお客さんが増えた事になる。 
逆に自分がお客さんとして他店利用する時は神様みたいに大事にしろとかじゃなく、神様みたいに穏やかで感じの良い客として振る舞うようにしてるわ。 
神様として扱われるかは自分次第。 


大陸と違い島国日本は同じ客を相手にしなくちゃいけない 
内需で成長してきた日本の企業は他の競争相手に客を取られないように 
お客さまさまになってしまった。残念ながらこれは日本が大陸と陸続きにでも 
ならない限りはお客さまさまは変わらないと思う。店員が高飛車にでたら 
客は二度と来なくなってしまう。日本は大陸のように違う客は流れてはこない



今回の買物の失敗はASUSの3万のノートパソコンを買ったが一カ月くらい使って使えなくなった。
充電ができない、充電しても点燈しないから確実に充電できなくなっている。
何かASUSは充電に関して問題があるらしい,ネットでそうしたことがあったと書いてあった。
そもそもこのASUSというのがどこのメーカーなのかわからなかった。そもそも3万で買えたのでアマゾンで買った。失敗してもしょうがないと思い買った。
パソコンが使えないということが今までなかったからである。

バッテリを接続した状態で電源コンセントにつないで使用していると過充電となり、さらに熱によって劣化が早まることがあります。
また、長期間使用していなかった場合はバッテリが過放電となり、充電ができないなど故障の原因になります。

これを充電したままにしていたので過充電になったのが故障の原因かもしれない
でも普通は充電したままでも電気が自動できれるようになるとかも書いてある。

そして失敗だったのは保証書もなくしていた。それで今度はヨドバシカメラに電話して修理できないかと聞いたらできるという、でも保証書がないとだめだという、修理はできるが金がどれくらいかかるかわからないという、これも失敗だった
量販店では保証書がなくても修理は頼めていた、それができないのでどうにもならなかった。
ここで保証書の大事さを思い知らされた。
商売では保証書が大事である。でも量販店で買っていたら保証書は別に必要ないのである修理は頼めるのである。

今回のことはアマゾンで通販することがもう習慣になっていることから起こったことである。量販店は何かいつも高いとか品数が少ないとかいいものが置いていないとか自分の場合、車がないので配達すると3000円くらいとられて損だとかなり量販店からはあまり買っていなかったのである。
この前レンジを3万で買ったけどそれはいろいろな機能があっても全く普通のレンジと同じであった。ただ機能がいろいろできるとなっていただけである。
それは売る方に問題があったのではなくメーカーに問題があった。
そんなにいろいろな機能がありできるようにしていたことである。
それももしアマゾンならレビューをみるから買わないということがあった。
量販店は使った人の意見を聞くことができないことが問題なのである。
使った人が一番良く知っているからである。

でも通販にも弱点があった。それそも人を介して買わないという通販はどこで信用を補償するかが最大の問題だったのである。それで通販では高いものは買えなかった。
保証がないからである。今回も3万だったらと買った、そんなに簡単に不良品とか故障しないと思ったからだ。
そして量販店では最新のいいものを置いていない場合がある。ノートパソコンなどASUSなどもそうなのかとも思った。
一方で掃除機は2014年ものを買った、別に十年前とか買ったものだから自分にとっては最新式になるからだ。そういうとき量販店には古いものはなく最新式になっていて高いのである。

そして意外だったのはデスクトップのパソコンなら今は中古品にいいものがでている。
win7をソフトの関係で欲しいと思い3万か2万で買ったがいいものだった。
問題はペイントショップがCPUの関係で遅くなり操作しにくい、ペイントショップを使うには相当に高性能でないとできないことがわかった。もう一台の新品のではできたからである。
量販店の問題は品数が少ないことと高いことになる、ただ保証だけはしっかりしているのである。ヨドバシカメラでは震災後買物していない、バスで簡単に行けないからである。電車が仙台まで前のように通るようになってまた行けると思い電話したのである。
ワ-プロでもフロッピイデスクを読み出せないので調べたらワープロの中古品店があり何でもあるのに驚いた。
ネットだとそうした店がある、その規模が大きいのである、他にも壊れたパソコンをなんても5000円で直せるとかもあった。
ネットだとそういう店があることがわかる、田舎だとまずお手上げになるからだ。

ともかく今回の失敗は

保証書をなくした、もう何もできない

これは領収書をなくしてどうにもならないとかと同じだろう。通販とかなると対面販売でもないから保証しようがないのである。その時保証書と領収書が大事になる。
領収書はアマゾンでも出せるが保証書は出せない、アマゾンで売ったものを保証しないのである。そこに大きなリスクがある,そのことがわかっていて高いものは買わなかった。でも日本のメーカー品はカメラなど買っていた。
いづれにしろ通販が習慣化してしまったことが今回の失敗の原因だったのである。
まずアマゾンをみて買うとういのが習慣になっていたのである。

良いお客さんを大事にすればお客さんの方も店を気に入ってくれて通ってくれるし、お互い様で成り立ってる。 
店が無くなると嫌だなと思って貰えるくらいにやれば、お客さんも店を大事にしてくれる。

こういうことが今までの商売であり売る方と買う方の関係であり人間的だった。
つまり店屋の時代はお得意さんというのがあっていつも買ってくれた人を大事にしたのである。
今は量販店でもないし、なんかコンビニでもない、なぜなら店員が一つのコンビニで働いていない
広い範囲で働いていて交代しているからである。だから何か自分の店でないから愛着がないということもある
自分の家族で経営している所は愛着が生れる、でも今はチェーン店も多いしそうした愛着がないただ雇われているだけだとなるからだ。
通販だと売る方で買う方でも相手が見えない、そこには人間関係が生れないのである。
対面で買ったり売ったりしない、遠いこともあり保証もないということが問題だった。
つまり商売でも仲介する販売店は品物を保証する役割があったのである。
商売には保証するということが大事なのである。
作った人がいて売る人がいて買う人がいる
作ったものをまず販売店で買う、でもその時販売店ではその作ったものを吟味していいか悪いか決めて客に保証するのである。
ともかくメーカー品がいいというとき故障しにくいとかあるがASUSとかなると外資系であり保証できないということがある。
でも別に量販店も買えば保証はある

いづれにしろ通販社会になっていたことから自分の問題は起きた。今や通販なしでは生活が成り立たなくなっているのである。
量販店がなくなってもなんとかしのげるが通販がなくなったらどうにもなちらなくなる
そういう時代になってしまっていたのである。
自分は田舎町に住んでいるからかえって通販なしでは買物できなくなっていたのである。エビアンとの水まで注文して送ってもらっていたからである
これを買うと重いからかえって送ってもらった方がいいとなる

通販時代でも量販店とか店はまだ生き残るのだろう。何かそういう機能があるからだ。
自転車屋などは通販では買えない、必ず修理があるからだ。それでわざわざ通販で安いものでも一軒ある自転車屋から買っている、その自転車屋もなくなるというときここでは困ったことになるのだ。隣の街まで行くのが大変になるからだ。
だからなくてならないものはありそういうものはつぶれないしなくならないとなる
本屋などはなくなってもしょうがいなものだったろう。
その数が一万倍なのか百万倍なのか違いすぎるからである。
だから本当に本がこれだけ読めるということは田舎でも知識では都会と同じであり差はないのである。だから田舎でも知識的には遅れをとることは今はないのである。

ともかく商売というとき意外と仲介するものが大事だった、なぜ有田焼が伊万里焼きとして外国に売られていたのか、作ったのは有田である。でも伊万里の港から外国に輸出したから伊万里焼になっているのである。
仲介する方が外国に知られていてそうなった、それは商売というとき売る方がその場が外国に知られてそうなった。それは仲介する店ともにているのである。
だから店とか仲介するものとか何かそれにも大事な役割がありいくら通販時代になっても消えないということがある。
ただ自分の場合は通販が習慣となって混乱したともなる




2017年01月07日

万葉集の意味が新たに問い直される (新年の大和の歌ー詩)


万葉集の意味が新たに問い直される

(新年の大和の歌ー詩)


新年の大和の歌

敷島の大和の国を我が歩み
代々の大君の陵居並び残りぬ
大君のここに眠るや
三輪山の神とし祈りて
手水場の水に手を清めつ
拍子打つ音の朝にひびけり
ここに大和の国は興りぬ
その地を我が踏みしめ歩みぬ
百伝ふ磐余の池や・・・・
皇子の悲嘆の歌はなほひびきけり
二上山秋の夕日の没りにつつ
その影濃くも映えにけるかも
あわれかな平城宮の跡は枯野かな
月のい出につ昔偲びぬ
ここより真野の草原はるかけきや
笠女郎の歌は残されけるかな
我はみちのくより来たりて想ふ
大和の国のここに成りしを
そのいしずえのここに築かれしを
蝦夷の恨みの深きを鎮める
大きなる鎮護の大仏錆びて静まる
敷島の大和の国はここに成りぬも
その前に藤原宮や飛鳥宮あれ
大和はなお成らじもあわれ
刈田の原に我はたたずむ
大和はここに興り栄えぬ
万葉の歌もこの地に興りぬ
千歳の磐の代々の天皇の国歌
朗々と大和の大地に空にひびきけり
その栄も天皇と共にありし日本
栄えある日本よ、その国人よ
万古なる大和の大地に根づき
新たな栄をさらに築かむ



六年甲戌きのえいぬ、海犬養宿禰岡麻呂の詔に応こたふる歌一首

御民みたみわれ生ける験(しるし)あり天地の栄ゆる時に遭へらく思へば(万6-996)


@
これから起ころうとする物事の前ぶれ。きざし。前兆。徴候。 「成功の−が見える」 「大雪は豊年の−」
A
霊験。御利益ごりやく。 「真実微妙の仏の不思議、−を見せしめ給へやと/浄瑠璃・用明天皇」
B
ききめ。効能。効果。 「薬の−を待ち居りぬ/浴泉記 喜美子」 「なべてならぬ法ども行はるれど、更にその−なし/方丈記」
C
甲斐かいのあること。 「 −無き物を思はずは一坏ひとつきの濁れる酒を飲むべくあるらし/万葉集 338」


験(しるし)にはこんな意味がある。前触れとかきざしとか前兆があるということは自然の中に古代の人は見ていた。大雪の豊年のしるしとなれば雪がふると豊年になるということである。
自然と一体化して生活していたから自ずと自然の中にその栄もあった。
つまり科学技術社会になるとすべてが科学技術でもって栄がもたらされると思うようになった。それが原発事故にもなった。
天地と共にあるとき人の栄もあるが科学技術とともにすべての栄はありえないのである。
万葉集の歌は日本の国の起こった土地と密接に結びついていた。国のまほろばとして奈良があった。そのアイディンティティはその土地と密接に結びついて形成されたのである。国家とは何かというとき一つは歴史国家と理念国家がある。
理念国家はその国の土地と切り離されて形成される、博愛、自由、平等のフランス革命は理念国家を目指したのである。それは国土から切り離された理念に基づく国家の形成である。それは国家を越える理想である。
一見それは人類の理想にも見えたが混乱をもたらして失敗した。それはグローバル経済にに発展した。世界が市場化した経済原理だけのグローバル化はそもそも無理であり失敗した。人間は経済だけに生きるものではないからである。
国がないユダヤ人が資本主義を作ったという説もうなづける、国土がないということが国土を無視したグローバル金融資本主義を作ったともなる

国土がないということはどうなるのか?何がアイディンティティになのか?
文化がそもそもculture-cultivate(耕す)の意味のとき土地と国土と密接に結びついていた。国家というとき最初の国家は国土をアイディンティティとして興った。
理念国家というとき社会主義もグローバルに展開していたから同じだったのである。
それは経済原理主義であり文化を否定するグローバル化だったのである。
またその国々の歴史も無視するグローバル化だった。そこに破綻するものが内在されていたのである。

国家というとき歴史がなければ国家もありえない、国家は千年とか二千年とか長い間に形成されたものである。日本の場合は皇国史観になるのは天皇を中心に国造りした歴史があるからである。
国を統一すくまとめることは容易ではない、それで天皇(すめろぎ)とは統(す)べるからきた言葉なのである。
この皇国史観はグローバル化になると外国と対立するものを生んだ、ナショナリズムの嵐が吹き荒れて第二次世界大戦になったのである。
文化的側面から考えればナショナリズムは国風文化の再興なのである。

万葉集がただ恋愛歌だとするときそれはいくらいい歌でも歴史的に意味をもたないのである。日本の大和が興った時に歌われた叙事詩的なものがあった。
それは日本の大地と山と深くアイディンティティ化した歌であったことに意味があった。それで万葉集が一つの原点となり受け継がれているのである。

ただ国家形成のとき必ず犠牲がある。蝦夷というのが大和王権に逆らった、その勢力はもともと日本の原住民もいて強大なものだったのである。
だから大和王権が確立するとき蝦夷が追いやられて犠牲にされた。その恨みが深いので奈良の大仏が鎮護として作られたのである。
つまり奈良の大仏をみるとき犠牲となり殺された蝦夷を思わねばならないのである。
そういうことは外国人だとわからないし意味がないとなる
ただ何でも価値とか意味は変わり新たに見いだされたり作られたりするのである。
でも基本的な日本の大地から生まれた価値は万葉集のように不壊なのである。

いづれにしろ自然があって自然と共に天地とともに民の栄もある。それを痛切に思い知らされたのがこの辺の原発事故だったのである。
確かにこの辺では原発によって恩恵をこうむっていた。それは天地とともに栄える恩恵ではなかったのである。だから故郷にすら住めなくなった悲劇になった。
そのアイディンティティ化した故郷に住めないということこそ最大の原発事故の悲劇だったのである。
だから避難したばあちゃんが故郷に帰りたい泣いているということがそれを物語っている金はいらないから故郷に帰りたいと言っているのである。

こういうことは日本がもし中国とかアメリカとかロシアの狭間で分断されたり本当にシリアのように国を追われたら起きてくる、そんなことありえないというがそれもわからない現実にはここでは故郷に住めなくなったからである。
だからこれから何が起きるかわからないのである。
だから日本は国力を充実させるべきである。でもその国力と軍事力なのか科学技術力なのかとなる、それはあったとしてもそれだけで国力の充実があるのか?
国をまとめる力、統べる力があるのかとなる、なぜならこの辺は原発事故でちりぢりばらばらになってしまったからである。
それは天地と共にある栄えを求めなかったからである。

国家もそうだが故郷というときも一つの国家なのである。故郷はやはり密接にその土地と自然と結びついてあるからだ。
でも東京とか大都市になると自然がないからそういうものは感じない、自然とのアイディンティティを形成できない、名古屋だったら今やトヨタの城下町であり自動車会社が国になってしまっている。この辺でも東電の会社員となっていたので同じだったのである。
事故前は気づかなかったが今になると市町村が東電の配下になり社員化されていたのである。それほど大きな会社だったのである。
グローバル化社会が多国籍企業化しているといき国土をアイディンティティ化した国家とは違う、国境のないグローバル経済社会になった。その時文化は消失した。
そもそも土地とか私的に所有できない、売買できないものとしてあった。それが資本主義ではあらゆるものが売買の対象となり自然破壊が世界的に多国籍企業で起きたのである。多国籍企業にとってその国の文化とか自然を無視するからであ。
ただ自社の製品を売れればいいとなってしまうからである。
多国籍企業の恐ろしさは軍需産業だったから戦争を起こしてまで武器を売ろうとしていることなのである。

いづれにしろ万葉集は国の基となる歌としてあった。ただこれを恋愛歌としてみれば価値がない、それは近代的な利己的なものとしてしか意味がなくなる
日本の国土と深くアイディンティティ化したものだから価値がある。
それは奈良だけではない、それぞれの土地でアイディンティティ化するものがある。
最上川となれば川がアイディンティティ化してそういう詩が生まれる
外国で大河があるからラインがドイツの父なる河というときと同じである。
自然とはどこでも聖なる宮居であり神殿なのである。
現代はアメリカのビジネスセンターとかウオール街とか株式市場が神殿になってしまったのである。それは異常な世界であり限界にきているから今世界が混乱しているのである。それは自然の理、天地の理に反しているから破綻する、そういう混乱と破綻が2017年以降に起きてくる、つまりグローバル市場経済が機能しなくなるのである。
そのあとに何か起きるのか、その兆候はイギリスのEU離脱とかアメリカのトランプ勝利とかで兆候が現れている、世界が激変化して再構築される時代である。
原発事故もその一つとして起こった。だからこれから混乱の時代であり痛みを受ける時代である。
ただ自分が書いてきたように原発事故で本当に価値あるもの大事なものが何か?
一匹の魚を軽んじるもの一粒の米を軽んじるものがいかに危険だったかということを具体的に知らしめられたのである。だから原発事故は世界への警告だったのである。

しきしまの 大和の国は 言霊の さきはふ国ぞ まさきくありこそ

ももづたふ磐余池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ

うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)とわが見む






タグ:敷島の大和
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2017年01月08日

大和魂とは何なのか? (日本の国土と一体化した独特のものの発露)


大和魂とは何なのか?

(日本の国土と一体化した独特のものの発露)



一方、大和魂は
「武士の想い」で、良い世の中を創るために、
志に生きることだと思います。

 ここでは、『毎日』が一歩リードした。三勇士の報道では、その内容、詳細さ、迅速さ
において『朝日』が先んじた。『朝日』が「肉弾三勇士」として報じれば、『毎日』は「爆弾三勇士」とそれぞれの名称で、報道、イベント合戦をくり広げた。

関東軍の重砲兵として入隊した当時、「百発百中の砲一門は、百発一中の砲百門に当たる」と教えられた。
疑問を挟むと、「貴様は敢闘精神が足らん。砲の不足は大和魂で補え」と怒鳴られた。”
by 中内功 (私の履歴書 2000年1月31日)

この点にかけても、わが大和民族は選民といっていいほどに、他のいかなる民族よ
りも優れたる特質を具備している。
それは皇室と国民との関係に現れ、軍隊の指揮者と部下との間に現れ、国初以来の
光輝ある国史は、一にこれを動力として進展して来たのである。肉弾三勇士の壮烈な
る行動も、実にこの神ながらの民族精神の発露によるはいうまでもない」
『大阪毎日』では26日第一面の「日々だより」のコラムで徳富蘇峰が「廟行鎮攻撃の
三勇士」として絶讃した。


「誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。誰も聞いた事はあるが、誰も遇(あ)った者がない。大和魂はそれ天狗(てんぐ)の類(たぐい)か」

夏目漱石の『我が輩は猫である』


 敷島の大和心を人とはば朝日ににほふ山桜花  本居宣長

 かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂  吉田松陰

宣長の歌は平和そのものである。そこに何か戦うとかは微塵もない、ただ山桜が朝日の中に咲き誇る、これと全く違うのが大和魂なのである。
これはものすごく戦闘的なものになっている、それは明治維新で対外的になり攘夷論になりふきだしたものである。
だから当然戦争になったとき大和魂は戦争するために不可欠の精神論になったのである。大和心には戦争などイメージするものは微塵もないからである。
それは江戸時代の300年の平和な世界から生れたものである。

大和魂とは何なのか?

漱石がわけわからんものだというときそうなる、大和魂は外国を排斥するものとして日本の独立を保つために自ずと歴史的伝統から尊皇思想となり生れた
「やむにやまれぬ」ものとして生れたのである。だから日頃は江戸時代には意識しない、宣長は例外であり学者であるから意識したのであり侍でも意識していない
でも古来から大和心はあり大和とはそもそも何かとなると奈良時代に日本が建国したとき統一したときが大和となったのである。
その統一の象徴として奈良の大仏があった。蝦夷が強大な敵でありそれを征服した
大和が建国されたのである。だからその時大和魂が生れたとなる
大和魂が形成されたときちょうど万葉集が生れた、だから日本人の心は万葉集にある
万葉集の短歌から俳句も生れているから日本の文化の発祥は万葉集とともにある
政治的にも文化的にも日本となったのは奈良時代である。

大和魂は日本建国したことで生れた、日本統一したとき生れた。それが尊皇思想となったのである。日本が分裂して蝦夷と二分して戦っていたが統一されたのが奈良時代だったのである。それは東と西の戦いでもあった。その前には蝦夷魂とかあったともなる
その蝦夷魂は大和魂に敗れたとなる、そこには神道派と仏教派の争いもあって日本は奈良時代に統一国家になったのである。
大和魂とはすでに平安時代にあった、ただ大和心という意味で平和なものだった。
大和魂が意識されたのは明治維新のときだったのである。
大和魂は一個人の想いではない、国という大きなものの中に利己を自我を捨てることにある
人間はどうしても利己的であり自我にエゴに普通は生きている、でも国家が危難にさらされればそうした利己心の集まりでは対抗できないのである。
大きな国のために犠牲になることが要請されるのである。

日本人の強みは優秀だというとき大和魂が理屈ではなく備わっている、それは日本が海に囲まれて一つの独立国として存在しつづけたことにあった。
つまりいつも言うように地理がやはり日本を作ったのである。外国はそうした強固な民族の統一性を作れない維持もできない、絶えず異民族が侵入してくる、それで万里の長城を作らざるを得なくなってくる、その労力が膨大なものとなる
アメリカがメキシコ国境に壁を築くというのも歴史の繰り返しなのである。
大和魂とは強固な日本の国土と人民の民心の統一一体感を日本という地理的特殊性から自ずと生れたものである。だからこそ「やむにやまれぬ」ものとして対外的に危難のときに発露してくるのである。

でも大和魂は日本国土の統一のやまにやまれぬ感情であり国土の一体感から生れたものである。自分はそうした国土の日本の自然とのアイディンティティを追求してきた。
そのアイディンティティが万葉集となったのである。
それは他国を侵略する戦闘的な大和魂となったのは大和魂ではないのである。
なぜなら外国は日本の国土としてのアイディンティティがもていなからである。
大和魂とは日本の国土と自然と一体化した日本独特の感情なのである。
人間は自然を体躯としてもつ、国土はその体躯なのである。人間とその国土は一体なのである。
日本はそういうことが理屈ではなく地理的にも歴史的にも自ずと形成された国なのである中国とかアメリカとかヨーロッパとも国の成り立ちが特殊なのである。
大和魂は日本の国土に根ざした国民の一体感であり対外的に侵略する精神ではないのである。ただ日本の国土を侵略するものがあれば日本人の大和魂はやまにやまれず発揮されるそこに大和の大義のために日本人は利己心を捨てて大和の大義に殉じるのである。
そこに日本の強さがあり日本が簡単に征服できない、ヨーロッパにも植民地にできないものがあった。
インドであれ、中国であれ、南米であれ、なぜあんなに簡単に征服されて植民地化されたのかをみればわかる。日本は強固な統一された別個の文明を築いたいたからだとなる
その原因は日本の地理的条件とそこで作られた歴史にあった。

天の時は地の利に如かず地の利は人の和に如かず

日本には古来から人の和が強固に作られていたのである。それが大和魂なのである。
そして今日本の問題は何かとなると戦前はその過剰な強固な国意識により侵略戦争となった、大和魂は外国を侵略するものとしてはなかったからである。
日本の独立するためには植民地化しないためにはあったが侵略するためにはなかったのである。侵略しなければ日本も守れないという意識はあっても自ら他国へ侵略して殺りくするというのが大和魂ではなかったのである。
なぜなら外国の国土とは一体化できない、アイディンティティ化できないからである。

つまり日本とはnatinal identified body、one identified bodyなのである。
国体=大和魂=大和の義になる、国体という言葉がそれを物語っている
それが大和魂なのである。像をもって考えろというときまさにその像とは日本のBODYなのである。それはライン川をドイツの父なる川とするように外国でも通じるものがある
ドイツには特にそういうものがあるからドイツと日本はにている面はある。
中国とかアメリカとなると大きすぎるからそうした国土との一体感が生れにくいのであるだから中国は統一するのがむずかしく三国志になっている、国が大きくても人の和が保てないのである。それで一見強いのだが弱いのである。
つくづく地の利があっても人の和が形成されないと国でも人でも弱い、でも日本は地理的条件、地の利に恵まれて和が作られたとなる、日本でもこの和の強固さが崩れるときもろくも国自体が分裂して滅びてゆくともかぎらない、これだけグローバル化しているとき国が分裂して蹂躙されないとも限らないのである。

栄えある大和の大義に殉ぜよというとき日本は理屈ではなく国土的にも歴史的にも作られてきたのである。それを外国まで適用したのが間違いだったのである。
そうした日本の義は日本にとどまるものであり外国となると別になるからである。
そうした義は世界的には通じないのである。





タグ:大和魂

2017年01月09日

悠久の大義とは何だったのか? (悠久とは自然であり天皇のことでとはなかった)

悠久の大義とは何だったのか?

悠久とは自然であり天皇のことでとはなかった


悠久(ゆうきゅう)とははてしなく長く(例えば皇紀2600年)続いているさま、大義とは、国家・天皇への忠義を意味する。

進め悠久大義の道 敵米英学徒を圧倒せよ=学徒出陣壮行会での東条英機首相の訓示(1943【昭和18】年10月21日)

…申すまでもなく、諸君のその燃え上がる魂、その若き肉体、その清新(せいしん=新しく、生き生きとしていること)なる血潮(ちしお=身体をめぐる血。激しい情熱や感情のたとえ)総(すべ)てこれ、御国(みくに=国を敬っていう語)の大御宝(おおみたから=天皇の民。国民)なのである。この一切を大君(おおきみ=天皇を敬っていう語「おおぎみ」とも)の御為(おんため)に捧(ささ)げ奉(たてまつ)る(献上する)は皇国(こうこく=天皇が統治する国。「すめらみくに」)に生を享(う)けたる諸君の進むべきただひとつの途である。諸君が悠久の大義に生きる唯一の道なのである。諸君の門出の尊厳(そんげん=とうとくおごそかなこと。気高くおかしがたいこと)なる所以(ゆえん=わけ。理由)は、実にここに存するのである…。

悠久というときなにが悠久なのか?自然が悠久なのである。日本の自然が悠久なのである天皇が代々つづいたから悠久ともならない、それはせいぜい2000年にもならないのでる。自然はそれよりはるかに悠久なのである。
だから大和の悠久の大義とはただこうして戦争のためにのみ使役されたことが悲劇につながっていた。
現実に敵を殺すということは戦争はいかなる大義がるとしてもやはり犯罪になる。
それを戦場では理屈ではなく日本兵は体験したのである。
志願兵も中国人を殺すことを命令されてしたらしい、ただそのことは言っていない、それを大ぴっらに言えないのである。そこに良心の痛みが人間だからあったからだ。
それが悠久の大義のために天皇のために許されるとしたらどうなるのか?
そもそもそれが日本の世界の大義となるのかとなる
日本の国土が攻められたらそうなるが外国に侵略して殺すといことが大義なのかとなるとなりえない。

悠久の大義は確かにある、自然が悠久であるごとくそこに日本の自然と共に大義がある。でもその悠久な自然とはなになのか?その国の山川草木が悠久でありでもそれが敵を殺していいと支持するのか?それは平和そのものであり敵を害するものではない
だから右翼でも何かそういう自然とは関係なくただ天皇もちあげ戦闘的になる
右翼の中には暴力団などがいて実際にかえって日本国民を苦しめているのを知っている
自分の店で働かせて給料を払わなかったりと何か不正をしていたりとか普通にある
そういうふうにむしろ国家至上主義者は大きな不正を愛国者気取りで隠している
そういう人たちが愛国心を語るのは偽善なのである。
それは左翼にも言えるのである。左翼の問題は日本の歴史をすべて否定的にとらえる、だから中国の文化革命でそうした歴史的遺産を破壊したのである。

だから悠久の大義というとき別に日本にだけあるのではない、外国にだって山川草木があるのだからそこに悠久の大義があるとなる
戦争のためにのみ悠久の大義があったことがまちがいなのである。
そもそも悠久の大義が自然にあるとするときなぜ右翼は原発を支持して核武装になるのか悠久の清らかな自然を汚した原発を支持しているのか?それは日本を核武装するために必要だからともなる
国賊とは何かとなるとそうした原発で「安全神話」を作った人たちなのである。
それは政治家であり官僚でありマスコミであり科学者であり学者であったのだ。
日本の悠久の大義を汚したものが日本の支配者層だったとなる
この人たちこそ糾弾されるべきなのである。

だから愛国心というときなになのか?愛国者が何なのかとなるとこれまた偽善的愛国者が多いのである。暴力団が愛国者になりうるのか、庶民を苦しめている人たちがなりうるのかということがある。
ただ愛国心は必要である、人間は戦後はただ利己心の私益の極端な追求しかなくなった。民主主義はただ個々人の利己心を全面的に認め物質的豊かさのみを求めたのである。
そこには国の大義に殉じるなどなくなっていた。カルト宗教団体なども労働団体でもなんでもそうである。ただ個々人の利己心の私益を求めて運動しているから同じだった。
それが宗教という名のもとに社会主義というマルキシズムの思想のもとに団体組織化しただけである。その中味はただ個々人の利己心の私益の追求で同じなのである。

人間は確かにこうした利己心私益から脱することが何か大きなものに殉じることが不可欠なのである。そういう大義があるとき日々のささいなことから脱することができる
戦争はその大義が誤って利用されたのである。もちろんすべてを否定できないものはあるヨーロッパの植民地にされない戦争だったということも一理ある。
でもそこに日本の大義が通用するかとなると疑問になる
それぞれの国はまた義があるからである。

日本人の心は日本の自然と共に一体化して歴史として作られてきた。それが戦争に結びつくものではない、ただ奈良時代に大和国家が形成されたとき日本は統一されて日本となった。
その時天皇が各地に特に大和王権に敗れた蝦夷の魂を鎮めるために奈良の大仏を作ったのである。そういう祭りが天皇に継続されていた。
各地にはその土地と一体となった魂があったからだ。今でも会津魂とか相馬魂とか何かそうなりうるものがある。会津だととくに明治維新の戦いで会津魂が発揮されたとなる
封建時代は藩ごとにそうしたその土地に根付いた文化があり魂があったともなる
その土地と共にはぐくまれるのが文化だからである。

悠久の大義というときそれは別に日本だけではない、自然とともにあった心だからそれは世界に通じる普遍的なものである。だから神道にはそういうことがありモラルもあり世界に通じないことはないのである。ただ天皇を神として世界には通じないだけである。
清らかな自然の中に真直なる心とか直し心とか大和言葉に伝えられている言葉の中にそうした日本人の精神が受け継がれているのである。
そういう心は別に世界的に共通なのである。清い心の人は神を見るだろうというのもそうである。それが他国への侵略とか戦争に結びつかないのである。
それはキリスト教でもイスラム教でも人を殺すことが是認されるわけではないから同じだとなる。だから義の戦争、義戦というのがあったとしても滅多にはないだろう。
それぞれの国々は義があるからどっちの義が正しいともならないからである。

何か日本の大義というときどうしても今は戦争に結びつく、そんなこと主張したらお前は戦争を支持するのかとなる、それはあの太平洋戦争がそうさせたのである。
そこには確かに日本の義もあったが他国の義は無視されたのである。
ただ戦後はあまりにも利己心私益の追求であり会社中心主義になった、そこに日本の大義は失われたのである。
「日本の大義」それすら死語になったともなる、でもその復古が必要になっている
復古というとき古いものをそのまま受け継ぐ回復させることではないのである。
新しい意味をもって復古するのである。本居宣長が大和言葉を新たに発見する作業をしたのもそうである。日本人の心は大和言葉の中にあり受け継がれているからである。
それが万葉集に残されているからである。

豊国の企救(きく)の浜辺の真砂土(まなごつち)真直にしあらば何か嘆かむ

真直(まなお)という言葉は死語になったけどやはりこれと大和言葉の独特な精神を現している、自然の中に真直なる心をもつことが日本人の精神だったのである。




タグ:悠久の大義

2017年01月10日

新春短歌十首(海より望む大和島)


新春短歌十首(海より望む大和島)


天離(あまざか)る夷(ひな)の長通(ながぢ)ゆ恋ひ来(く)れば明石の門(と)より大和島(やまとしま)見ゆ

浦廻漕ぐ熊野船着きめづらしくかけて偲はぬ月も日もなし(12-3172)

御食つ国志摩の海人ならしま熊野の小船に乗りて沖辺漕ぐ見ゆ」(6-1033)

島隠り我が漕ぎ来ればともしかも大和へ上るま熊野の船


(韓国)

韓国に東海望むかなたにそ大和島あり年は明けにき

島一つここに成りしも漢拏山反りつつ高く四方の海望む

韓国の済州島の漢拏山春風吹きて四方の海望む

韓国のゆ船に帰りて伽耶山の春の夕日に染まり暮るるも

春の陽の海より昇り輝きぬ新たな年を大和島見ゆ

明石城夕日に染まり行き来する船の絶えじも淡路島見ゆ

淡路島城もありにし春の月大阪近く一夜泊まりぬ

瀬戸内の島々船に行き来する小湊一つ春の夕暮

島々に潮流早し春の日や汽笛鳴らして大船の行く

島一つ望みてあわれ春の日や誰か住みなむ瀬戸の海暮る

春の日の海より昇りて船よりそ四国を望み難波に入りぬ

赤々と夕日輝きつ大坂城花散りやまじ人絶えぬかも

大坂城栄の跡やゆくりなく夕日に散りぬ花にそ想へ

旅路して花また花の宴の跡西の栄えの跡を行くかな


日本列島を見るときどうしても韓国が視界に具体的に入ってくる。
それはただ地理的なものだけではない、歴史的にもそうである。
それが今日までその綱引きがつづいている。
大和の義というときその国土にあるというとき韓国の一部が入ってきているのである。
もちろん韓国側からすればその義は韓国にあるとなる
韓国から日本海を見れば東海になる、日本海というのが韓国では嫌だとなるものそうである。
つまり日本の海だとなるからだ。それはただ方角的なものとして見ればどこの国の海ともならなんとはなる
でも明らかに韓国の一部は伽耶などがあった任那などは日本だったのである。
だから地理的に歴史的に日本の一部なのである。
韓国は中国と日本にはさまれてその国土のアイディンティティを義を維持するのがむずかしい国だった。だから良くこれまで国を維持できたとも感心する国なのである。

地理とか風土とかでもそこに歴史がかかわってくる、歴史とはその自然とアイディンティティ化した一体化したものである。だからインカとかマヤとかの山を見たときカナダの山とは違っていてそっちが魅力があったというときそれはそこに長い歴史のなかでアイディンティティ化した山だったから違っていたのである。
それは海でも同じなのである。瀬戸内海と西側の海は東北などの海とはまるで違った海である。船が絶えず古代から行き来してアイディンティティ化した海である。
瀬戸内海というのはだから地中海ともにているのである。
海人族が活躍した所だからである。平家などはそうした海の民を味方にして勢力を伸ばしたというのもそのためである。南船北馬ともなる国である。
東北の太平洋は荒寥として船も通わない海ともなっていたからである。
海が荒いし島が少ない、瀬戸内海は航海するには内海ともなっていい海だったのである。でも潮流が早し結構危険な海だったのである。

大和王権が船で日本を制圧したというときあの辺の民だったら船の技術が発達していたからできたとイメージできる、でも太平洋は荒いから丸木舟の大きくしたくらいで行けたのかとなる、船のロマンはバスコダガマとかコロンブスとかある
船の魅力は何か海を通じて一挙に新たな陸地に到達することなのである。
だからそれを鹿児島から四国の沖をまわって大阪へ難波へ来たとき感じたのである。
朝に春の日が太平洋から昇り四国の島影を望み進んだからである。
大阪というときまさに難波でありそれは古来から日本の大和島の入り口だったのである。
そして大坂城の桜は見物だった、特に春の夕日がかがやいて花が散っていた景色は忘れがたい、それは秀吉の大坂城にふさわしかったとなる
そこに日本の栄華があったということでありそれは難波の港ということから古代からそうであったのだ。そういう地理的環境から栄華が生れたのである。
だから桜というとき西側に大阪を中心にした所に一段と映えて散るのである。
それは東北の桜とは感覚的に違ったものである。それは歴史がそうさせているのである。

それにしてもあの辺を旅していたのはずいぶん前になった。それも不思議になる。
自分ほど旅した人間はいない、旅に時間が費やされていたのである。
そういう環境が用意されていていたというのも不思議だとなる、とても勤めていたらできないからである。旅に必要なものは時間であって金ではない、泊まるのに金がかかるにしてもそれより時間がないと旅はできなかったと今では想う
なぜなら年とれば時間が尽きてしまうからである。
結局自分は最初は鉄道の旅であり船の旅であり次に自転車の旅であり最後が外国の旅で終わったとなる。、ふやはり船の旅は時間がないとなかなかできないと今ではふりかえる
それだけ船の旅は時間がかかるからである。
世界一周の船旅でも3カ月かかるとかなる、それだけ旅したら満足だとなるだろう。
それでも船旅は楽だから年取ってからもできるだろう。年配の人が主になっているからわかる。80くらいでもそうした船旅はできるだろう。
ただ早めに旅はしていたほうがいいとなる、何か困難な旅は外国の旅でも早めにしていないとあとはしにくいのである。
ただ時間は容赦なくすぎてゆく、そして時間は二度と帰ってこないのである。
今はそして回想する旅となっているのである。それもやはり旅の延長であり旅だったのである。





タグ:大和島見ゆ

2017年01月11日

新春短歌-近辺 (南相馬市のパークゴルフ場は景色がいい)


新春短歌-近辺

(南相馬市のパークゴルフ場は景色がいい)

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正月や森に大きな昼の月

冬の日やゲートボール場に昼の月


去年(こぞ)散りし楓一枚玄関に雨しととふりぬれにけるかな

玄関に新春の光まぶしかな幸あれにしと我が家を守る

新春や松風鳴りぬ錚々と新たな息吹ここに感じぬ

竹青くますぐに伸びて新春や真日輝きつ鳥の羽ばたく

新春やパークゴルフ場開くかな人々集いなごむもよしも

新春やまた活動のひびきかな六号線を我も行くかな

あきらけくきらめきにけり星一つ徴とあれや新年迎ふ


昨日はあたたかいから新春の光を感じた、春の感じの光である。
今日は寒い、玄関は家にとって大事だという、玄関を掃除して整えておけということを言う人がいる。確かに玄関は人が出入りするから福を呼ぶというので大事になる
ただ家事をしているとかたづけることが大変なのである。
未だに片づいていない、空家をかたづけるに十年かかったとか言うのもわかる
今はいろいろなものがありすぎるのである。

今年の新春は何かこれまでとは違った、十年か介護に追われたし余裕がなかった
それで一昨年も母が死んで次の一年も何かそのことで心の整理ができなかった
人間が自分のことでも家族でも介護とか死にかかわることが大変なのである。
何か異常に疲れることなのである。家族でも焼いたり灰にしたり葬式したりそのあとでも墓参りしたりとか何かそれが精神的に疲れるのである。
だから人間が一人でも死ぬということは容易なことではない
それをなんとか乗り切ったという安堵感がある
それで今年は今までと違った新年になったのである。

南相馬市の前の東北電力の廃棄場に大きなパークゴルフ場ができた、あそこは見晴らしがいいのである。だから別にゴルフをしなくても寄ると気持ちがいい、休む場もある。
あの辺に喫茶店みたいながあったら休むのにはいい、喫茶店はやはり場所がいいところにあるといいのである。
あそこは老人が集まるにはいい場所である。隣に小さいが森もある。
なごめる場所になっている。
そこは自分がいつも通る場所にある、川子の坂を上ったところであり鹿島区内にある。
あれは鹿島町だったら財政的に作れなかったかもしれない、とにかく広いからである。
ただ東北電子の土地を無料で提供されたなどはあった。

老人にとっては鹿島区で新しい施設もできたしスーパーも一つ増えたし人口も減らないから津波や原発事故があってもそれほど打撃を受けていない
小高と比べるとその差があまりにも大きかったと今ではなる
小高の人が帰りたくないというとき小高の場合は南相馬市民であり別に南相馬市内なら移り住んでもみな相馬市民であり変わらないのである。
そして小高でも原町の市街が近いから車があれば買物はできる
そういうことがかえって小高に住まないということにもなっているかもしれない。

デイサービスで厚寿園などを利用した。でも母は行くのを嫌がっていた。特に風呂に入るのを嫌がっていたしそれほど利用していいものではなかった。
何が自分もそれで楽したということもそんなになかった。
それより在宅なのだから在宅で家事など少しでも応援してもらえばよかった。
何か介護はそういうことが多いのである。ある人は介護する人に金をやればいいというのもそうである。その人が介護で苦しんでいることを緩和することが施設ばかり作ってできているとはならないのである。
むしろ介護などは人手であり施設ではないとういこともあるからだ。
自分は全くそうした援助は皆無だった、全部一人でせざるをえなかった
そして来た人は自分を借金がどうだとかなんだとか責めるだけだったのである。
強盗も来たり借金の強要があったり弱者と化したらその弱いことにつけこまれるだけだったのである。相手も金で追い詰められていたからそうなった。
人を助けるにはまず余裕がない人はできないのである。

ともかく今年の新年はこれまでとは違って余裕あるものだった。
だから何か昼の月が大きく出ていたのでふさわしかった
自分は30年間ものんびりしたものだったのである。それがまさにあまりにも恵まれた例外的なことだったのである。そんなことがいつまでもつづくとは思えなかったからである。そのカルマがこの十年間の苦しみだったのである。
それが一段落したということである。

今年は世界情勢でも何か不安とか混乱を予想している、でも自分一身上では正月に出た昼の月に象徴されるようにそういうものはない感じがする
そんなに悪いことばかり苦しいことばかりつづいたら身がもたない、生きるのも嫌になってしまうだろう。ただ介護は十年とかそれ以上している人も結構いることが負担なのである。



タグ:昼の月

海の回廊 ( corridor into the sea)



 海の回廊  ( corridor into the sea)


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 抽象画にできるソフトでもその中の二三の操作が抽象画になりやすい、この回廊というのはそうである。
 みんなが抽象画にならない、二三の操作は確実になっている
 そのコツを覚えると抽象画は大量生産できる

 というのは原画がインターネットにいくらでもあるからである、それを変化させればいいから大量に作れるとなる、ただそれが著作権違反になることはありうる
 それで自分でもなかなか自分の創作といいがたいのである。

 インターネットは何か文章すら合作みたいになりやすいからこの抽象画もそれとにていたのである。インターネットから生れた芸術なのである。
 だから今までにはありえない芸術だとなっているのだ。
 第一自分は全く絵などは描けない、本当に絵の才能は全くのないのに創作しているというのも不思議になるからだ。



 This corridor that two and three operation of the inside is easy to become the abstract picture by the software made to an abstract picture is so.
When two and three operation that an abstract picture does not have all learns the art becoming certain, I can produce the abstract pictures in large quantities

Because, as for mere its that it is becoming the copyright violation, it is hard to be said that I can make it in large quantities because the original picture should change it which is because it is how much into the Internet with readily myself one's creation in it which is possible.

Because the Internet was easy to become even some sentence like a collaboration, there was this abstract picture in it. It is the art that came out of the Internet.
Therefore it becomes when it is impossible art so far.
Oneself first is because it becomes mysterious that the talent of the picture really creates though there is not really it that I cannot draw the pictures at all.

2017年01月12日

トランプはなぜマスコミを嫌うのか (マスコミを相手にすると偏向報道がされるから)


トランプはなぜマスコミを嫌うのか

(マスコミを相手にすると偏向報道がされるから)


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そもそも民主主義が発生したのはギリシャであり小さな都市国家である。そこでは直接民主主義だった。市民が直接投票して市を運営する人を選んだ、そういうふうに小さい都市国家だからその人がどういう人物かもわかる、その主張もわかる。
民主主義がもともとデモクラシーというときデモとは地域のことだったというときもそうである。小さな地域で行われていたのである。またそうでなければ成り立たないものだったのである。
それが今の国家規模になると民主主義が成り立ちにくい、そこでマスコミが第三の権力になったのである。
つまり直接民主主義が成り立たずマスコミ民主主義になったのである。
マスメデアというときまずメデアは

メディアとは、媒体、媒質、伝達手段、中間などの意味を持つ英単語。“medium”の複数形。

それはただ何かを情報を伝える媒体であり単なる機械だとなる、でもそれが現代で重要になったのは一億人に伝えるとなるともうそうしたメデアがなければ伝えることもできないのである。だから最初は新聞であり次にラジオが大きな力をもち次にテレビが大きな力をもつようになったのである。
国民の声を伝えるにもそうしたメデアをマスコミを通じなければできないのである。
そしてマスメデアをマスコミを通じてある人物でも事件でも何でも取り上げられれば一億人の国民に伝えられる、でも取り上げられなければ何も伝えられないとまでなったのが
今の民主主義なのである。
マスメデアがマスコミがなぜこれほど大きな力をもち社会に影響したことが民主主義を歪めたのである。

今日見たフジテレビのトクダネでは盛んにトランプを批判していた、なぜマスコミを拒否しているのかとかトランプはなぜツイッターでしか発言しないのかとか盛んに批判していた。ますあからさまに批判ありきなのである。あからさまにテレビ局の意向を出しているそこに客観的に見るメデアとして中間となどなっていないのである。
トランプが第一になぜツィッターでしか発言しないのか?、そんなことが許されるのかということで日本のマスコミもアメリカと同じようにそのことが一番の不満なのである。
それはマスコミ不用論にまでつながるからである。

インターネットが一般化してこれもできたことである。何千万のフォロアーが読んでいるということも驚きである。ただそれは一方的になるということでマスコミが批判した。ツイッターなどは自分もしていないのだからそういうことができるものなのか理解しにくいということはある。
それはでも直接的に国民に訴えることができるようになったからそうしている。
これまでは政治家でも直接訴えること伝えることがしにくいからそうなった。
マスコミに出るだけで有名になり当選した議員もかなりいた。第一東京都知事すらそうだった。石原慎太郎でもなぜあれだけ力をもったのか不思議だとなる、それはマスコミの力だったのである。マスコミでは批判できなくなっていたからである。
でも石原慎太郎を批判していた人は本も出しているしいたのである。
それは無視されていたのである。そういうことは常にマスコミ、マスメデアは民主主義では起きていたのである。

トランプがなぜアメリカのマスコミすら泡沫候補としてしか報道されなかった。
それがなぜ大統領までになったのか?それが外国になれば余計にそうなる
アメリカのマスコミがみんなヒラリー側につきそれに呼応して日本のマスコミもそのまま伝えているからそうなった。トランプってなんなのだとマスコミだけの情報から見ればそうなってしまう。
そういうことはマスコミ民主主義では常にあった。
原発の安全神話もまずマスコミに多額の宣伝費を払い批判をおさえる、それで地元の福島県の民報でも民友でも原発推進であり安全神話に組みしたのである。
福島県でもほとんど原発の危険を伝える報道がなかった。
ただプルサーマルとかで前の佐藤栄作知事が危険を問題にしていたことはあった。
でもそれは原発全体が危険だということではなかった、原発自体の危険性を伝えるものはほとんどなかったのである。
そういう批判は片隅に追いやられ冗談かとまでなる、それほど強固に安全神話は作られていたのである。

だからトランプがアメリカのマスコミに批判されるばかりだったからマスコミ不信になりインターネットのツイッターでしか発言しなくなった、マスコミに発言すればそれを取り上げてマスコミの偏向報道につながるからである。
マスコミはまずトランプはけしからんということからトランプは大統領になるべきではなかったいいう明確な主張がありそれで問いつめるからマスコミを通すと歪曲されたものとして国民に伝えられるからである。
つまりマスコミは単なるメデアではない、伝える媒体ではない、明確に主張をもって白黒を決めていて報道するのである。
ただそれがわかりにくい場合がある、それはNHKでも同じなのである。どうしても左翼的な報道をしているのがNHKである。
原発避難者のことでもとりあげたが最初から原発避難者側についた報道をしていた。
この辺の事情は複雑であるから変だなと思った、それは地元でないとわかりにくい面があった。
取材するにしても発言させるにしてもそういうふうにNHKでは原発避難者側について取材していた。だから津波被害者のことを考慮していなかったのである。
両方の言い分を言わせればいいが一方的に原発避難者のみの言い分を言わせていたのである。
マスコミは単なるメデアではない、その会社の主張をもったメデアなのである。
だから

マスコミは信用するな、まず疑へ、批判的に見ろ

それを可能にしているのがインターネットだともなる、ただインターネットにもいろいろ問題があるが対抗メデアとして出てきたことは変化であり民主主義にとってはいいとなるのである。
トヨタをトランプが批判したときもそれはトヨタでもメキシコに工場を作るより日本に工場を作り日本の利益を優先させるべきでありアメリカも外国に工場を作ってもアメリカの利益になっていないからそうなったという主張がある。
そういうことは別にグローバル化した経済の反省からでてきている。
だからフジテレビでなんでトヨタを批判するのだとか感情的になる
テレビは良く冷静に見られるメデアではない、感情的になり一方的に洗脳されるメデアなのである。
何かテレビ局に文句も言えないからである。それは新聞社でも同じである。
それを言ったとしてもまず批判的なことはマスコミでは取り上げないからである。
だから今はマスコミ自体が批判の対象になった。インターネットである程度できるからそうなったまでなのである。これまでのマスコミ支配が崩れることは民主主義にとっていいことなのである。




津波の跡の烏(からす)浜にまだ新年はなかった (五年半過ぎても津波の傷痕は消えない)


津波の跡の烏(からす)浜にまだ新年はなかった

(五年半過ぎても津波の傷痕は消えない)

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樅の木の間より望みぬ冬の海

海暮れて樅の木一本冬の月

烏浜津波の跡や冬の暮   

冬の灯や我が家に帰り石一つ   


烏崎津波の跡に残る墓地なおたずねつつ冬のくれかな

烏浜波うちひびき人をのむ津波の跡や冬の雲垂る

烏浜無情にひびく波の音ただ墓残り冬のくれかな

樅の木の墓地に一本立ちにつつ変わらずあれど家はなしかも

烏崎津波の跡や冬の浪うちひびきつつ暮れにけるかな


烏(からす)浜は烏崎になったけどやはり崎だけではない浜になっていたし人も住んでいたから崎という地名だけでは現せないものがあった。
烏浜は前は東北電力の火力発電がなかったのである。
その時原町と鹿島は砂浜でつながれていた。その時も良く行っていたのである。
火力発電所ができてそういう風景も消えた、あれは景色的にいいものではないと思っていたが今から考えると原発よりは良かったのである。あの中で2000人とか働いているというのは本当なのか?、相当なこの辺での雇用の場所になっているのだ。
東北電力の社宅の団地も鹿島区にあるしまた最近できた広いパークゴルフ場は東北電力の廃棄物処理場の跡にできたのである。

この火力電力が建ったときも烏浜には補償金をもらっていたのである。それで近くの呉服屋が着物を売ってもうけたということは家の人から聞いている。
その時も相当にもらっていたのである。その後は船主など船子は漁業組合に入っていた人は原発で事故前も事故後も補償金をもらっていたのである。
そういうことで墓を見ると立派なものが多いとなるのか?

でも不思議なのは海老でもそうだが墓地が残って家は津波で流されたのである。
だからなんか奇妙な感じになる、墓地だけが墓だけが残って部落が消失するというのはどういうことなのかと思う
海老では本当に墓地だけが高台に残ったから目立つ、ここは隠れるように墓地があったから目立たない、でも墓地だけが残り部落が消失している風景は何なのかとなる
墓地が流されて部落が残っているならいいがそれがないのだ

あの墓地から見晴らしが良くなったのは家がなくなったからだろう。
あそこに立っていると未だに新年を祝う気分になれなかったし現実にそうである。
津波はあまりにも悲惨だったのである。
根こそぎ部落がなくなることが悲惨だったのである。
あそこに野生の咆哮のように冬の浪が打ちつけひびいていた。
まさに自然は無情なのである。ここに死んだ人たちのことなど考慮していないのである。無情もまた自然なのである。自然を呪った海を呪ったというのもわかる
自然には情がないのかとなってしまうのである。

なんか今になるとその波の音が恐ろしいとなる、海はやさしいものではない、自然でもそうである。海はもともと何か恐ろしいものを感じていた。
だからあのように海に面して家々があることが不安にならないかとも思っていた。
海鳴りがいつもひびいているからである。
津波の跡に新年が来るのはいつになるのか?
復興というとき津波の跡でも家が建って人が住めば復興したとなるがここにはない、他でもなくなった。
だから復興したと感じるのはいつになるのか?
それは何十年も先になるのか?ただ墓だけがここにも残っているのである。

2017年01月13日

新年の赤い月を写真に撮る (駅の日常風景がもどった)


新年の赤い月を写真に撮る

(駅の日常風景がもどった)

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夕日さし新年の月赤しかな

新年や外部の人と睦みあう


帰り来る娘を待ちぬ母のあり電車通りて新しき年

何か自然は兆候があるのかもしれない、写真に撮った赤い月もめずらしい
夕日さして赤くなった。月には見えないのである。
今年は月が良く見える、それは何なのか?


睦月(むつき)とは睦み合うということから来た言葉である。正月には人が睦み合う時なのである。正月にはもともとそういう気分があった。人が集まり睦み合う時なのである。
駅で話したのは青森の人だった。青森には仕事がないから来たという、警備の仕事なのか車の整理をしているみたいだ。
大間のマグロを食べてきたと言っていた。何かあまり話しにくい人がいる
その人もそうだったが話が通じないわけではなかった。
まずこの前は長崎の人が来たりと何かこの辺は全国的になる
大間のマグロを食べたというとき一番贅沢だったとは言った

電車が通り日常の風景がもどった。娘が帰ってくるのを母親が待っていた。
仙台から来たらしい、駅は迎えたり見送りしたりする場である。
それが人間的なのである。駅には何か人間的な温かさがある場所なのである。

駅にはこの辺では今いろいろな人が来ている、全国から来ている、それが前とは違っている、前は地元の人しかほとんどいない、地元でもこの前相農で花の栽培などを習う科に入る受験の中学生がいた。そんな科があるのかと興味をもった。自分は花に興味をもっているからだ。

最近はみんなスマホをしているから話しにくい、みんなうつむいてスマホを見ている光景を何か異常にもみえる。受験の中学生もタブレットの漫画を見ていたのである。
スマホは暇つぶしは一番いい、でもその時回りのことが無視される,そこで話することなどなくなる、地元の人と少しでも話すると何か得るものがある場合がある
それがなくなる、ただ旅ではスマホは便利だろう。交通のことがわからないからである。人に聞いても道すら良くわからない場合がある、スマホの方がわかるとなるし案内になる
でもそこでそこにいる生の人間と接しないことは何か大きなものが欠けてくることもある旅でもスマホばかりみていたら辺りのことが記憶に残らないだろう。
風景でも集中しないと記憶に残らないのである。それであとで失敗したとなる
デジタルカメラに撮ることに夢中で風景がかえって心に残らないことすら起きる
なぜなら人間が記憶することと機械が記憶することが違っているからだ。
機械に記憶できるものとできないものがあるからだ。
その場所の雰囲気はカメラで全部記憶できないのである。

ただ今回の月はなかなか見れないし写真にもとれないものだったことは確かである。
カメラは今は近くでも持ち歩かないといいものがとれない
近くでも日々変化しているからである。

2017年01月14日

小高区と鹿島区のうまくいかなかったことの反省 (急激に起きたことで原発避難者はまとまることができなかった)



小高区と鹿島区のうまくいかなかったことの反省


(急激に起きたことで原発避難者はまとまることができなかった)


近くの小高区の仮設の人がまもなく出るということでモチをついて回りに配ったとか聞いた、そこは回りともうまくいっていた。
別に小高の人にもいろいろいるからみんなが悪いとはならないし自分も話したりした。
基本的には補償金でもめた、でもそうだからといってみんなが悪いとはならない
でもどうしても補償金の問題は大きかった、なぜ小高ばかりが待遇されるのかと補償金をもらえない人たちは不満になった、それは相馬市でもそうだしどこでもそうである。
鹿島はまだ多少はもらっているからいい方だとなる。

そして毎日パチンコとかギャンブルで遊んでいたことも反発された、それも考えると急激に避難者になったことが原因していた。何もすることがなくなり金は入ってくる、やることがないとなりそうなった。
でもその時回りではなんだあいつら毎日ギャンブルで遊んでいるだけだと見られた
避難先では働く人たちがいたからである。そして避難者は常に外部からボランティアなどがきて援助していた、かわいそうな人たちとして援助していた、すると俺たちは同情されるべきであり援助されるのが当然となったのである。
だからそういう人に何か文句を言うとなんだと同情もしない奴なのかと怒る
それにお墨付きをつけたのがマスコミだった、テレビでは避難者のことなど悪く言わない、常に同情する立場にたっていた。
NHKでも原発避難者と津波被害者がいたとき原発避難者の側に味方して放送していた。
なぜ仲間に入れないのかとか放送していた。ただその後は双方が和解することなどを放送していた。

なぜ原発避難者がいろいろ問題になったかというと急激に避難者となったことで村でも町でも混乱したのである。自治体で一つの方向をもって共同して対処できなかった。
そしてどうなったかというと個々人が補償金をどれだけもらうかが問題になり自治体がまとまるとかはなかった。そして結果的には自治体のまとまりがなくばらばらになった。
小高の場合は小高町としてまともまることができなくなっていた。
なぜなら南相馬市として合併していたからである。それはいい面と悪い面に働いた。
ただ他と比べて小高自体のまとまりはなくなっていたかもしれない。

人間はそもそも急激に起こることに弱いのである。自分も一身上で介護だ、自分の病気だということに十年間苦しんできた。そこで事件にもまきこまれた。
本当に急激に起こることに人間は弱い、どう対処していいかわからなくなり混乱してしまう。そういうことでやはり自治体がばらばらになったということもある
第一放射能というのにどう対処していいかわからないからだ。
それが混乱の一番の原因だった。津波くらいだったら苦しくてもなんとか対処できたのである。

こういう危難の時は何か指導者が必要となるのかもしれない、みんなそれぞれに勝手に行動したらまとまりがなくなりそれが回りとの軋轢をうむ、いわき市などでは2万人も移住してその中で家が建てた人が多いというとき市が混乱状態になる
するとその2万人が非難の対象になる、つまり自治体としてまとまり行動しないと回りの顰蹙をかうことになる、その中でばらばらに行動していると何人かでも勝手に金あるんだからギャンブルしようが何しようがかまわないとなっていた
それが回りの顰蹙をかったのである。

そもそもこうして自治体がばらばらになったことが問題なのである。それは原発を建てる時から自治体は広くまとまり原発の周辺だけではなくいわき市でも南相馬市でもさらに広くまとまって原発に対処する必要があったのである。
その土地の所有者と県の許可で原発が建てられたということが異常だったのである。
なんら議論すらなく原発は利益になるというだけで建てられたのである。
そこからして現在の混乱を生む原因になっていたのである。

だから十津川村で土砂崩れとか洪水で大被害を受けて北海道に村が移住したときは村が一つになっていたのである。時代もあるがそういう危難の際にはまとまること団結することが優先されたのである。それを見るとギャンブルどころではない、徹底した節制を全員一致でしていたのである。政府からも援助金をもらったから無駄をしてならないとか全員で徹底して団結して危難に立ち向かったのである。
それだけのまとまり団結ができたのはなぜかとなると時代背景があり今とは比べられないともなるが参考にはなる
そういうふうに団結しなければも自治体は維持できなかったのである。

だから原発避難者でもそうしたまとまりが必要だったが第一原発避難者でも全国に散らばったり福島県でも広いから散らばった。そこからしてばらばらになってしまった。
どこかに一カ所に住めばまだまとまりやすいことがあるが最初からばらばらになった。
その後は何か町の再建するというよりもう町から出た方がいいとなった。
補償金もらってそれで家を建てた人も多いし若い人に多かったのである。
それで老人は故郷に帰りたいといっても町や村を維持できなくなった。
飯館村さえ補償金もらって外に出て牧場経営した方がいいともなったのである。

補償金をらうことにより個々人でその将来を考えるようなった

そうなると町や村を維持しよう、守ろうとか将来を考えることもできなくなったのであるそれは急激なことであり時代背景もある、現代は金があればどこにでも暮らしていいという時代である。
そして豊かな時代だから誰も放射能汚染した所に住みたくないとなった、人間は誰も豊かな時代に不便な貧しい生活など望まないのである。
十津川村の場合は貧しい時代であり北海道に開拓に入る人が普通にいた時代だからそこでの苦労をいとわなかったのである。戦後まもなく津島などに開墾に入った人たちもそうである。働く場所がないのだからそんな場所にでも入って働いたのである。
そういう苦労したから津島では団結していた人のつながりが強いと放送していた。

いづれにしろこの津波とか原発事故は自治体の在り方とか対処の仕方とか自治体とは何かとか問われたのである。普通だったらそんなこと問われない、でも例えばこの辺でとなくても夕張などでは自治体が破産するとかなり問われた、自治体が維持できなくなる
税金も入らなくなり住民もへってゆくから福祉関係で何でもサービスを受けられるなくなるのである。限界集落になっているところもそうである。

危難の時は国でもそうだが一個人のことを言っていられない、日本でも戦争の是非があっても一個人の自由はなくなる、国の存亡がかかっているからである。
それは自治体でもそうだったのだが今の時代は移動が簡単だし時代背景もありそうして十津川村のように団結できなかったのである。
それが原発避難者が各地に散らばり地元の人と軋轢を生んだりした原因だったのである。本当は原発避難者は一つにまとまり団結して対処すべきだったのである
それが急激に起こったことで対処できなかった、結果的に自治体がばらばらになってしまったとなる
だから十津川村と比べるとその差はあまりにも大きかったのである。

移住住民は、故郷を去り、親や兄弟と別れ、絶海の地に移住してきて、移住者同士しか頼れるものはいないのだから、これまでにも増して一致団結し、お互いに助け合い、猜疑や軋轢を生むことなく、新村の隆盛と勤王の由緒相続を目指そう。


これを読めばひしひしとその時の危機感が伝わってくる。その困難に際して人々がいかに一致団結したかわかる。その覚悟と決意の強さが復興の原動力だったのである。
人間はこういう危機のときでも困難のときでもこうした覚悟と決意があれば力を発揮するものだと思った。
だから避難民はここはかなり参考になると思う。
これを読むと相当なまず覚悟があったということである。原発避難者にはそんな覚悟もなにもない、補償金をもらえばいい、それしか頭になくなっていたのである。
それがまた当然であり回りでもそれは認められるべきでありボランティアでもマスコミでもそうさせたからである。それはしかたないにしても何か過剰な援助でもあった。
そうなると自分たちでなんとか復興しようとする気すらなく個々バラバラになり補償金をもらうことにだけ奔走する、それが回りとの軋轢を生んだ
だから人間は恵まれたからといって豊かだからと言っては限らない、金持ちが協力しあわないで貧乏な時代はかえってわずかのものを与えたりもらったり隣近所と協力していたのと同じである。今の時代はただ求めるのは金だけなってしまったのだからそういう時代背景があってまとまれなかったということもある。
ただ危難の際には普通の場合とは違った対処が必要だったのである。
それができなかったのが復興できなくさせた大きな要因だったともなる

十津川村の教訓ー移住する意志と覚悟と決意があった
(原発事故周辺は補償金だけをもらうことしかないので復興はできない)
タグ:原発避難者
posted by 老鶯 at 10:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

鹿島駅の重いドアは原ノ町機関区の人が来て直す (今日はホームを雪かきしていたので話できた)


鹿島駅の重いドアは原ノ町機関区の人が来て直す

(今日はホームを雪かきしていたので話できた)

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雪で今日は18分遅れた

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ここで宣伝ができる


鹿島駅の重い扉を直してくれるようだ、原ノ町機関区の人がホームの雪かきにきていて聞いてみたら滑車がなんとか言っていたから重い扉も軽くなるだろう。

これは市役所にも言ったし市の方にもいった。でも実際は原ノ町機関区で管理しているから原ノ町機関区で直すのである。水戸が管理していてもその人に言っても無駄だった。
やはり近くでないとできないことがある

そのJRの人に電車が通ってありがたいものだとみんな感謝していると言った。
今までそんなことを感じなかった、電車賃が高いとか何か文句を言うことが多かった。
でも一番今回復興を感じたのは自分の町では電車が仙台まで通ったことだった。

自分はもともと鉄道が好きで旅したこともあり思い入れがあったこともある
でも鉄道を運営している人々に感謝したことなどない、それは当たり前だと思っていた。でも鉄道がなくなったときバスで難儀した、それから電車に乗って仙台まで行ったとき本当に楽だった。それは五年間も乗らなかったから余計に感じたのである。

人間は何でも家族でも妻でも失ったときそのありがたみがわかる、この辺では津波や原発事故でそういうことが多かったのである。
当たり前にあるものは感謝しない、かえって文句を言うことが多いのである。

電車が走らないのと走るのでは相当に違ったものになる、この辺では見慣れているからだけど何か電車が通らないと僻地のような感覚になる、飯館村などがそうであり電車が通らないから僻地の感覚になる、バスが通ったとしてもバスと電車は全然違ったものなのである。

鉄道でも雪がふれば滑らないように雪かきしたり鉄道を守る、運行する仕事がある。
その仕事をしているのはJRなのである、ただ何か現代はそういう人間が働いて機械が動いているという感覚がなくなっている、鉄道でも自動運転なのかと錯覚するのである。
すると人間に感謝したりしないのである。
でも人間がいなければ機械だけでは運営できない、なにかしら人の手が必要なのである。だから今回の電車を運転しているとか車掌とか鉄道の保守をしている人とかがいて運行していることを自覚した。だから感謝したのである。

まず鉄道が通らないと廃線になるとさびれたものとなる、北海道は半分以上廃線になったしこれからもなる、北海道は採算がとれない、常磐線はまだ採算をとれる線だろう。
仙台との交流もあり学生も通うし坂本山下辺りになると通勤圏にもなっていたからだ
それでも二両の電車が何本か走っている、仙台まで二両でまにあうのかという疑問がある普通は4両が一番多い、八両も走っている、前は八両が多かったのである。
だから二両で仙台まで行くのかと疑問になる、仙台近辺になると乗る人が増えるからである。途中までなのかよくわからない。

いづれにしろ電車が仙台まで通ることがやはり活気がでる、夜でも八両とかの電車が行くと明るい感じになる、前はそれはいつも見ていた光景なのである。
でも今回復興して見ているとき前見ていた感じとは違う。
これが仙台まで通じているということが違っている、相馬市までしか通じないとのとは大きな差だったのである。