移民の歴史をふりかえる
(移民は戦争にもなり世界史そのものだった)
日本は遠い異国ではなく、日本の軍事勢力圏にある満洲や東南アジアに移民を、さらに移民を護るための軍隊を送り始めた
この事を指して、アジアに対する「日本の侵略」と豊かな国の左翼は言うけれど、俺は満洲事変、大東亜戦争は貧しい国がさらに貧しい地の富を収奪する哀しい戦争であり、過去の日本は「悪」だったと決めつけても、その本質は理解できないだろうと思う。
移民は世界史でもある。大量の移民は戦争になる。なぜ移民になるのか?
その原因は貧しい国が豊かな国を襲う、貧しい国が飢饉になれば流民化して他国へ流れ込んでくることもある、そうした流民が中国では内戦と発展してきた歴史がある。
それは中国国内で起きたことだが他国の間でも起きる
なぜモンゴルが中国を襲ったかとなるとモンゴルは遊牧民であり食料が不足するときがある、農業国の中国は豊かな生活をしている、そこでモンゴルでは定期的に豊かな農業国を襲ってくる、それで万里長城を築いたのである。
貧乏な国から豊かな国へ侵略が起きる
それは世界的格差が今問題になっているがそういう問題は古いのである。
格差のために戦争になっていたのである。富めるものから奪うことである
それは国と国の間なら正当化されるのである。
格差が大きくなると国内でも富めるものから貧乏人は奪っていいともなる
金持ちは襲われる危険が増大してくる。
格差が大きいと貧乏な人たちはそれを悪だとも思わない、当然だとなる
それより金持ちが貧乏人から富を奪っている、格差を広げているとなる
現実に今はそういうふうに格差をとらえているから金持ちは危険になる
満州への日本人の移民が実は大東亜戦争の原因になっていた。満州の利権をめぐって各国が争っていた。アメリカとも争っていてそれがアメリカとの戦争の原因にもなっていた。日本は貧乏であり農民が働く場所もない、その時農業中心だから働くとなると土地が必要となる。すると満州のような広大な土地は絶好の場所だとなる
でも移民するにしても満州は適地ではなかった。北海道より寒いからである。
そんなところでも移民しようとしたのは働く場所がないからである。
人間は常に働く場を求めている、今も地方で東京に出るのかとなると地方では働く場がないからだとなる
明治維新のとき大量の侍が失業して北海道の開拓移民となった。
時代が変わるとき難民を移民を生みやすいのである。
今起きていることもやはり歴史のくりかえしである。アメリカに大量のメキシコ人が入ってくる、その影響がアメリカの国自体をゆるがすようになっているのだ。
ヒスパニックとは言葉さえ通じない、そうなると一国のアイディンティティを共有することがむずかしくなり国の一体感が保てなくなる危機である、だからカリフォルニアが独立国になったほうがいいとかトランプが大統領になることでそうなった。
移民が起きるのは貧乏な国から豊かな国を目指すからである。自国で豊かな国を目指せばいいとなるがそれができないからこそ移民となる
すでに豊かになった国に移民する方がてっとりばやいとなる、なぜなら自国が豊かになるには時間がかかるからである。
そして遊牧民のモンゴルとかなると羊を飼うことのほか何か産業が作れないとういことがあった。豊かになる方法がなかったのである。
移民というのは移民する側と移民を受け入れる側との問題がある。
政治的理由とか経済的理由とか宗教的理由で移民になる。
ジャガイモ飢饉でアイルランド人がアメリカに移民した。それはアイランドの土壌が肥沃ではないからである。アイリョシュというのはアイルランド系である。
人口の少なくとも20%が餓死および病死、10%から20%が国外へ脱出した。また、これにより婚姻や出産が激減し、最終的にはアイルランド島の総人口が最盛期の半分にまで落ち込んだ
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これほどの危機的状態だったのである。
ただアメリカがその時豊かな国ではない、ただ広大な土地があったということが農民にとっては魅力だったのである。土地が自由に手に入ることは魅力だったのである。
ただアメリカには原住民のインディアンがいたが虐殺されたのである。
移民の圧力は飢饉とか職が得られないとかで基本的には起きてくる。
ただそうしたときアメリカとか北海道ではフロンティアとなってそうした人々を吸収したのである。
今起きている移民問題も別に新しい問題ではない、歴史の繰り返しである。移民というときモーゼの出エジプトも大量の移民問題だった。神の国を目指しての大量の移民を達成させたことなのである。それは神の業としている、だから人類史でも移民は常に起きていたしヨーロッパの歴史も移民の歴史である、ゲルマン人の移動は有名だが他にもゴート族だとかいろいろな民族が移動している、移民している、それが戦争になっているのである。
だから移民というのはとめることができない、人類的にそもそも移民が不可欠だからそうなっているともなる。移民があっても世界の発展があったともなるからである。
移民がなければヨーロッパでもアメリカであれオーストラリアでも国としてありえなかった、移民によって世界が劇的に変化して発展したともなるからだ。
移民がなかったら世界は停滞したままだとなる、江戸時代の鎖国のように世界がなる。
鎖国もその功罪があるが世界的にみると停滞したままに海に囲まれた環境から成り立った希有の例だとなる。だからそこで日本文明が作られたともなる。
天才問題を生物学的に考えると永い間同系内で交配された民族は種族は非常に有能な民であっても天才を生むことは驚くほど少ない、スパルタなどがそうである。
これらの種族が開港都市等を占領したり貿易などで貿易の目的でそれらの中には入り込んでくると適合する同じく才能ある他種族と強く混交すると何百年のちに全く突然の天才の排出が起きる。古代ギリシャやルネサンス期のフィレンツがそうである。
フイレンツに天才が排出した主な理由はゲルマン民族中の武人貴族が侵入して土着の芸術的才能のある市民と強く結びついたためである。(天才の心理学-E・クレッチュマー)
これは生物学的にもそうだとするとそこには神の計らいがあるともなる、人類史に神が関与してそうなったともなる。
ヨーロッパがなぜ一大文明を築いたかというとこのように一番天才を排出しているからである。それは様々な民族とか文化が交わるためにそうなった。
それはアメリカとのようにインディアンしかないない種族の交わりでない、すでに強固な文化をもった同士のものの交わりが天才を生んだ、天才といってもその個人だけの力ではなれない、その背景になるものがあって輩出してくる
ヨーロッパだと天才というとき一人ではない、ある場所に群れとして発生しているのが違ってるのである。
ヨーロッパは何か大帝国は違うのである。エジプトとかペルシャとか中国とかは大帝国である。だから政治的圧力が強い国である,中国はまさに戦乱の歴史であることでもわかるヨーロッパも戦乱の歴史でも多様な国の争いのである。その争いの中でも異種交配があり文化の融合が生れたのである。
移民は世界史的に常に起きているのである。移民が世界史を作ったとまでなる。アーリア人の侵入とかもそうである。それはさけられない問題である。そこには神の計らいがあるというときもし移民がなかったら人類は停滞したままで発展進歩しないとまでなる。
だから移民問題を世界史的に考えるとむずかしいものになる。
ただ移民でもヨーロッパの移民は単純に貧乏な国から豊かな国へ移民するのとも違う。
すでにゲルマン人は文化をもっていた。言葉ももっていたからである。強固な社会組織ももっていたからである。
ただメキシコからメキシコ人の移民がアメリカのアイディンティティまで変えてしまうというとき何かそれとにたものが起きているのかもしれない、文化まで影響してしまう問題である。
日本にしても邪馬台国ができるまえに何か韓半島から移住してきた人たちが日本で混在していた。その人たちも移民であり天皇も韓半島来たともいわれる
そして日本の歴史の古地層に韓国由来の伽耶とかの由来の地名が残っているのもそのためである。日本も最初はアメリカのように移民の国だったのである。
その時は様々な人種の混交が起きていたのである。
いづれにしろ移民とは世界史的な問題であり簡単には否定できない、なぜなら移民する側と意味を受け入れる側の両方から起きてくるからである。
日本でも移民がないともう人手不足で成り立たないとかなっている。
少子高齢化でもう日本は日本維持できないとまでなっているからだ。
すると移民を入れざるをえなくなる、それはやはり日本国が衰退するからゲルマン人の移動のように神の業のように歴史的必然とてし起きてくるのかもしれない、だからそれを否定できなくなる。
もし日本人がまだ強固な民族であればそれに抵抗できる。でも弱体化していたら抵抗できないとなる。なぜなら弱体化していたら異民族が侵入しなくても自壊するからである。
ローマ帝国はすでに贅沢になり貴族が弱体化していたからゲルマン人が侵入してきたのである。その結果として強固な新たな文明が創造されたともなる。
ゴシック教会などがその例である。
ただ移民でなくても何か文化の創造は一国では無理である。一個人でも無理である。
多様な刺激がないと創造にならないのである。
その一つが自分がインターネットでしている変化の抽象画の芸術だったのである。
それもたいしたことがないといえばそうかもしれないがそれはやはり世界がインターネットでつながって起きたことなのである。
日本は中国文化との融合は奈良時代に起きた、その後も中国文化の融合はつづいていた。鎌倉時代でも江戸時代でもそうである。
明治維新後はヨーロッパとの文化の融合時代となった。それはまだ成されていないのである。これからヨーロッパ文化と日本文化が融合した文化が華開く時代となる。
ただそれは東京のような大都会からは起きないのである。
そこには自然とのアイディンティティが作れないし自然もないから文化が起こらない
ヨーロッパでもそうだが地方都市が充実していてそこに文化がルネサンスが起きたのである。フィレンツでも今からすれば小都市である。
町の拡大と人口増加は、自然な増加現象で起こったわけではなく、周辺地域からの民族流入によってもたらされたものであり、結果として、フロティアの経済発展へと繋がっていきました。これらの移民たちは、周辺の田舎の中流クラスの者たちで、経済発展の土台として形成づいてきます。また、彼らの故郷となる周辺領地との交信をしていた町の地区に定住していきます。こうしたことから、人口数が集中し、急速に伸びていったオルトラルノ側に、1128年と1237年に三つ目のの橋がアルノ川に掛けられました。この橋は、石造りで、川の上流側に掛けられ、グラツィエ橋(Ponte alle Grazie)と名づけられました。近郊都市との交易に役立たされ、周辺地域の拡張をもたらしました。
橋が発展の象徴だった。 橋によって交易が容易になったからである。高速道路とかできて仙台のリホーム会社が進出してきたのとにている。仙台はやはり技術的にもこの辺では最先端をゆくからである。
周辺の田舎の中流クラスの者たちで、経済発展の土台として形成づいてきます
とありこれは今の貧民の移民とは違う、それなりに文化的共通性あるものの移住だったのである。移民にもいろいろあるから一様にはできないのである。
文化を形成する移民とただ貧民の移住とは違っている。
ただ一都市でも興隆するには近辺からの移住が必要だったとなる。
つまり文化の形成には異種なものとの混血が必要なのである。
今の移民問題は文化とは関係ない、ただ経済の格差問題でありグローバル化でその差が顕著になり移民になる、だからまた違った移民としてある
何か常に同じような問題でも時代が違うと同じなものも違っているのである。
ただ移民とは常に世界史的問題として起きていることを知るべきなのである。
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