2016年12月16日

俺たちが一番苦しいんだ (原発避難者も自分のかかわった人もみなそうだった)


俺たちが一番苦しいんだ


(原発避難者も自分のかかわった人もみなそうだった)


今ふりかえると「俺たちが一番苦しいんだ」というのは津波の被害者には言えるだろう。家族も失い家も失ったのだからわかる
では原発避難者には全部は言えない、確かに住み慣れた家を追われたり狭い仮設に住まわせられたりとその苦しみはあったしなかなか外から計り得ないものがある
でも別に回りでも苦しい人はいたのである。
その人は65にもなるまで市営住宅にしか住んでいない、するとその女性はしきりに狭い所に住んでみればわかるんだよと言うのである。
つまり狭いところに住んでいた人は回りでもいたのである。
だからそれが「俺たちが一番苦しいんだ」とはならないのである。
それより回りの人は補償金を一杯もらって遊んで暮らしているからいいなとうらやましがっていたのである。

でも原発避難者は「俺たちが一番苦しいんだ」と思っていた。
それを助長したのは外部から常にボランティアであれマスコミであれかわいそうな人たちとして応援してきたからである。
すると「俺たちは援助されるべきである」というお墨付きをもらったことになる
だから回りで不満があっても何も言えなくなった。
そして何か言うと「お前は傷口に塩ぬって楽しいか」とか怒り責めてくるのである。
この人の言葉は本当に原発避難者の気持ち代表していたのである。
みんなそう思っていた、小高と鹿島の人が対立したときもそうである

「なぜ鹿島の人たちは同情しないのだ、不満なのだ、俺たちが補償金をもらうのは当然だ、家に住めなくなったんだぞ、一番の被害者なんだ、俺たちが一番苦しんでいるんだ」

そういう気持ちになっていたのである。

普通は人が苦しんでいるときそんなによその人が援助したりしない,同情もしない、別に原発避難者だけが苦しんでいたわけではない、自分も一身上で十年間介護で苦しんでいたのである。
そして自分の所に来た人も原発避難者同じだったのである。

「私の方が一番苦しんでいるのよ、どうして助けるの、こっちが助けてもらいたいのよ」
みんなそうだった。ある者は金に苦しんでいるから実際に泥棒になり大金を失ったとか自分は経験している。あなたは金があるから恵まれているのよ,あんたは楽なんだよとなるでもその時自分は病気で苦しんでいたのである。実際に入院もした。そして介護もしていたのである。自分一人しかいないから苦しんでいたのである。

もう一人の親戚も人も助けるところではなかった。

「私は夫が事業で失敗して毎日パチンコ屋で働いたり窮々しているのよ、私は一番苦しんでいるのよ」

そんな人が自分が苦しんでいるとしても相手の苦しみなどわかりえようがない、ただ金が欲しいしかなかったのである。
なぜなら私の方が助けてもらいたいのになぜあんたを助けるのとなっていたからである普通だったらみんなそうして同情もしないし助けないのである。

それは別に原発避難者だけではない、普通でも障害者をもった女性は延々と不満を言っている、私は一番苦しいのよということを訴える、確かにその女性は他にも金でも苦しんでいるからそうなることは言える
でもみなんわたしが一番苦しいのよと訴える人が多いのである。
それが今回のように集団化すると圧力団体化するからもう何か言うと「傷口に塩塗って楽しいか、お前は人間の情もないのか」となるのである。
それにお墨付きを与えたのがマスコミでありボランティアでもそうである。
過剰な補償金を与えたこともそうである。

自主避難者がいじめにあったけどそれも考えてみると今は貧乏な人が多くなったこともあるのかもしれない。

相対的貧困率が最も高かったのはメキシコ(約18.5%)、次いで2番目がトルコ(約17.5%)、3番目が米国(約17%)で、4番目に日本(約15%)が続いた。

今日本も貧困化している、するとなぜ自主避難者の子供がいじめにあったのか?
自主避難者は別に家賃くらいしか援助されていない
でももしこれだけ子供すら貧困化しているとするとどうなるのか?
まず東京辺りだと家賃自体が最低でも六万から七万とか高い、そういう貧困化した家庭ではその家賃を払うことが相当な重荷になる、それで自主避難者でも家賃が無料だとうらちやましいとなったのかもしれない、そんなにうらやまれる人たちとも思えないからである。億とか補償金をもらっている原発避難者とは違っているからである。
何かこの背景には日本の貧困化が関係したそうなったのかともなる

「私たちの方が苦しいのよ、自主避難者は家賃が無料なのがうらやましい」

そういう背景があったのかもしれない、ともかくみんなそうだった

「私たちが俺たちが一番苦しいんだ、同情されるべきなんだ」

これが原発避難者の場合、集団化して訴えるから今度はちょっとでも不満を言うと集団でマスコミもそれに同調するから誰も何もいえなくなる
国民でも原発事故では途方もない賠償金とか廃炉資金を税金でまかなうことになるから不満なのである。
それが公に言えないからいじめのようなことが起きてくる

そして復興などできない、小高でも帰らないというとき俺たちは一番苦しいんだ、だから南相馬市民でも福島県でも国でも同情されるべきだ、援助されるべきだ、それは延々とそうなる、いつまでたっても被害者なのである。
でもおかしなのは小高の人でも原発避難者は故郷には帰らない、若い人は帰らないのである。復興すべき中心となる若い人がそこで苦労したくないから故郷を捨てたのである。
そして残った人たちは老人であり俺たちは一番苦しいんだ被害者なんだと言い続けているだけである。みんながそうでないにしろ全体的にはそうである。
ボランティアなら一時的でいい人として迎えられ帰ってゆきあとはかかわらないからいいのである。でもそこに住む人は南相馬市だと小高の人たちよなんとかしてくれとなる
なぜなら税金でも何でも負担になるからである。
それで桜井市長も小高の人に苦言を言うようになったのである。
でも小高の人はそう思わない、俺たちは被害者なのだから同情されて援助されつづけるのが当然だとなるからである。

復興できないとするとき俺たちは被害者なんだ、みんなが援助しないから復興できないんだ

こうまでなっているのである。たから被害者特権のようになってしまっている。
そうしたのはやはり回りの影響もある、別にボランティアが悪いとかではない、
ただ助長したことはいえる。
自分もボランティアに援助してもらいたかったが普通誰も個々人のことに同情はしない、みんなそんな余裕はない

「俺たちが私たちが一番苦しいんだ」

みんなこう思っているからである。人間はそういうものなのだろう。
だからそれをとりだてていうこともないがこの辺では集団化して主張するからやっかいになっているのである。

援助の問題として後進国では援助すると援助が当たり前になり自助努力をしなくなることが問題になっている
援助に頼ってしまう体質ができてしまうことで自助努力をしなくなるのである。
援助されて当たり前になり自分たちが努力しなくなる、自分たちで努力することもなくなることが問題になっている
それはここでも起きたことである。
ただそれを言えばお前は情もなにもていのか、苦しむ人間を見て楽しんでいるのか

俺たちが一番苦しんでいるだぞ

こうして集団的に責めてくるしマスコミがお墨付きを与えているから何も言えなくなりその鬱積した不満がいじめになっているかもしれない。
ここの内部の対立だけでなくそれは国民全体でもそうなっているのである。



タグ:原発避難者
posted by 老鶯 at 09:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連