五年六カ月ぶりに仙台まで電車で行く
(バスで行くのとは全く違った感覚だった)
クリック拡大 端に船が見える
新しい駅、都会風である
亘理の城が見える
長町でおりる
定禅寺通りの喫茶店
なぜか三本の木の絵が
新地駅沖に船見え冬の海
沖を行く船の遅しも冬の海
海見えて駅新しき師走かな
松一本電車に見ゆや枯野かな
長町の通り新しはや落葉
復興の電車に帰る冬満月
船一艘沖に見えつつ冬の海復興の電車高架橋行く
三本の欅の枯木見えにつつ定禅寺通りの喫茶店かな
仙台の通りを行きて骨董店しげじけと見て冬のくれかな
仙台の通りを行きて街灯や雪の舞いきて夕暮るるかも
仙台の通り歩み人ごみにまじりて帰る師走なるかな
五年ぶり電車にのりて年月のいつしかすぎて師走なりしも
なお生きて電車にのりて仙台に行く老人や年のくれかな
我を待つ人とてなしも冬の灯を我が家に帰りともしけるかな
なんか今日仙台まで電車で行ったことが不思議だった。バスよりずっと楽だし仙台を身近に感じた。
行くとき自分よりふけた老人がやはり乗ってみたいと仙台まで乗った。
何か自分は津波とか原発だけではない、一〇年間介護して近くにもゆっくりでかけられない、旅もできなかった。だから本当にも旅ができないのかと思った。
仙台に行くのもこれで終わりなのかとさえ思うこともあった。
なぜなら本当はまだ長い時間がかかったかもしれないからだ。
80才くらいになったら本当に乗れないと思う人もいた、それだけ五年六ケ月となると長いのである。
人間は本当にこれが最後だなとなんでもつくづく思うようになる。
そのことが老人と若い人との大きな差なのである。
何にしろこれが最後なのかと感じてしまうのである。
車窓からの景色はまるっきり変わった、海が広く見えていた。一艘の船も見えた。
高架橋だから振動が少ないとか踏み切りがないとか今までは違っている
多少早くもなっているのかもしれない、時間は一時間二十分だからたいして変わりないみたいだ。
でもバスと較べると本当に楽だし気持ち的にも楽である。仙台がずっと近くなった感じである。それは結局五年六カ月も電車に乗っていないからである。
何か電車のありがたみを感じた一日だった。
北海道辺りだとこん津波が来たら復興はできない、乗る人が少ないから復興はできない。ここは少なくなってもまだまだ乗る人が多い、山下とか坂本でも仙台の通勤圏内になからだ。今日は結構乗っていたみたいだ。
今日は長町でおりた、ここも変わっていた、大きな家具店ができて高いマンションができて新しい広い通りができていた。これも何か不思議だった。すでに落葉の道となっていたそこから地下鉄で勾当台公園に出て定禅寺通りの喫茶店に入った。
あそこから三本の欅の枯木が見えて落ち着く、壁にその三本の樹の抽象画が飾ってあったのも不思議である。あの場所にふさわしいとなる
仙台では定禅寺通りの欅の木を喫茶店から見ていた。あそこは落ち着く場所である。
それも何か不思議である。ええ、まだ自分はここにまだいるのかというふうに感じたのである。
そういう感覚をもったのは介護十年とか津波原発とか大変化にさらされたからである。
家族二人を失ったことも自分にとって本当に辛い大きなことだった。
人間はこういう大変化になると感覚的に変わってしまう。
戦争など経験した人もそうだろう。まだ生きているんだなとかなってしまう。
例えば津波で流されて助かったような人もまだ生きていたなとか不思議な感覚になるだろう。そういう経験をした人がこの辺には多いのである。
骨董店などをのぞいたがいいものがあった、買いたいなと思ったが今回はやめた、それから古本屋に行き古い詩集などを買った。仙台にはずいぶん通った。それは二〇年前とかは本を買うためだった。まず専門的な本は仙台で買う他ない、でも仙台でも実際は本は相当にたりなかった。それで知識的には田舎は相当にハンディがあったのである。
本がなければ勉強しようがないからだ。インターネットもないのだから田舎はそれでハンディが大きかったのである。ネットで買えるようになったときなぜこんなに本があるのかと本当に驚いたのである。それでまた本の蒐集をはじめたのである。
何か専門的に知るには量を集めないとできないことがわかったからだ。
詩集を今では集めているのである。詩集はなかなか集められない、どこにあるのか良く未だにわからないからである。
仙台にはそうしたなかなかないものがまだあったりする
それから骨董品を二軒ばかり見て歩いた、好みのものがあったが今回は買わなかった。
やはりじかに見れるのかがいい、さわれるのがいい、ネットでは茶碗でも買ったが触ったり大きさなどがわからないのである。
確かに今までバスでも来ていたが今回はまるで違った感じを受けた。
来るにも帰るにも余裕があった。この感覚は本当に失っていたのである。
なぜならバスになると余裕がないし疲れるのである。
別に電車に乗れないということがなければこんな感覚にはならなかった。
五年六カ月も電車に乗れないことがそういう感覚にしたのである。
これは故郷を離れて仮設に五年住んだとかこの辺では変則的な生活になってこういう当り前のことが実は恵まれたことだと意識したのである。
帰りは地平線に大きな月がでていた。冬の満月だった。何か復興の電車が通るにはふさわしかった。
ただ帰っても待っている人もいないので淋しいとなる。なんか一人暮らしというのはこれもまたはじめての経験なのである。
これも経験しない人はにはそうならない人にはわからないということがある。
どうせ家に帰っても家族が待ってもないなとしたら自分の帰ってゆくべきところはどこなのか?
家があっても家族がいなかったら家なのかということになるのである。
まさに根なし草のようになってしまうのである。
ともかくここ十年は一身上でも次々に変化に見舞われたのである。
そのうちにまた年とったのである、確かにポーの大渦にのみこまれて急激に老いたともなる。人生にはこういうことがあるのだと思う
何か荒波にもまれて漂流している感じである。実際に津波では本当に波にさらわれて急死に一生を得た人もいたからである。
ともかく復興の大きな節目となったのが今回の仙台までの開通である。
バスは電車では全く感覚的に違うのである。電車がなくなることはそれだけ痛手が大きいことを実感したのである。
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