2016年12月14日

複雑にもつれた原発事故の被害地域 (補償金では外部でいじめに内部でももめつづけている)


複雑にもつれた原発事故の被害地域

(補償金では外部でいじめに内部でももめつづけている)


●双方の言い分をマスコミで報道しない

この辺はともかく複雑にもつれた地域になっている。
例えばNHKで飯館村の人が相馬市のトマト農家に仕事をしたいと行ったら断られたということを放送した。それを見ている人は飯館村の人が困っているのになぜ断ったのだとその農家を批判する、でもその農家の人は相馬市でも津波の被害にあった人がいてその人たちは補償金ももらえないので困っているからそっちを優先したのである。
ではなぜこういうことが起きるのか?
それは常にテレビとかマスコミは一方的に自分たちの意向を通すために編集して報道するからである。
だから必ずかたよったものとなりそれが世論を形成する、NHKだと影響力があるすぎるからである。
するとそうなれば取材される方も自分たちの有利なように放送してくれとなる
すると自分たちの方が正しいのであり自分たちの言い分に逆らうのは許せないとなる
だから自分でも小高の人たちを批判するとなんだあいつは情もないのかとか批判される

でももし一方的でなければそんなことはならない
「飯館村の人が来たけど津波の被害者の方が今は困っているんですよ、そこをわかってもらいたいです」
「そういうこともありますか、しかたないですね」
なんかこんなふうに双方の言い分をのせれば別に一方的にならないのである。
それはいわきでも津波被害者がいて補償金ももらえないから避難してきた人たちに不満になる
でもなぜ仲間に入れてくれないのと原発避難者が言うときその発言をNHKでは一方的にとりあげるからいわきの人たちは何なのだと冷たいなとか見るのである。
公平な立場で報道していない、たいがいマスコミは公平には報道しない、NHKでも民間でありましてやマスコミでも民間の一営利団体にすぎないのである。
別に公平に報道する義務もないとなる、ただNHKは公共的なものがあるから批判される

何かこの辺の事情は本当に複雑である。南相馬市なども補償金で三つに分断されたように複雑である、それもそれぞれ言い分はある。
でも小高の人に言うとものすごく不満になり怒る、その一つがNHKであれマスコミであれ回りが例えばボランティアでも常にかわいそうな人たちとして援助してきたからである。そうなると自分たちは被害者であり援助されて当然である。
それなのに鹿島だとか避難した先の人はなんで俺たちのことをとやかく言うのだとなり
それが怒りになっているのである。
このボランティアも問題があった。別に応援してくれるのだからいいがボランティアは一時的なものであり気楽なのである。そして援助してくれた人たちとして地元の人から歓迎されてあとは関係しない、それでもボランティアも地元の避難者が毎日パチンコなどで遊んでいたとき働いていたから怒っていたのである
ボランティアでも女川町に移住した若者は違っていた。そこに住んで復興しようとしていたからである。
そういう人は一時的なボランティアとは違う、真剣な人だから感心したのである。

●補償金でもめつづけている

そもそも原発は今になると双葉とか大熊とか富岡とかの一地域の問題ではなかった。
広範囲に影響及ぼす問題だったのである。
被害も中通りまで及んだからである。
そして今になりまたそれが自覚される、南相馬市の復興住宅に相当な人が移ってくる
浪江の人は一番多い、飯館の人も移り住む、どうしても相馬藩内は縁故があったり
土地に慣れ親しんでいるからである。
会津だったら寒くて嫌だとなるし雪かきするのも大変である。
だから気候的にも浜通りは住みやすいから移りたいとなる
それで県営復興住宅が原町には五階建てとかのが並び立っている
一大復興団地ができたのである。
あれをみるとつくづく原発は福島県全体の問題であり南相馬市でも深くかかわらざるをえない問題だったのである
でも事故前はそうみんな思っていなかったのである。
だからこそ小高と浪江の間に東北電力で原発が建てるところだった、工事もはじまるところだったのである。
それは合併する前のことであり知らない人が多かったのである。自分も知らなかったからである。なにか原発はそのように狭い地域で決められていたのである。

補償金の問題にしてもこれも本当に複雑だった。
小高の人が「私たちは買物したりして鹿島の人を助けているのよね」とか言っていてその人は全く鹿島の人たちの気持ちを知らなかったのである。
別に普通だったら消費者は神様だとなっていたかもしれない、でもおかしいのは鹿島の人たちも補償金をもらって消費したいということがある。
なぜあなたたちがそんなになんでも補償されているのにこっちはされていない、まず家に帰るのにいちいち補償金が何万とかもらえるのである。いたりつくせりなのである。
介護でも優先だったし病院も無料だったしとあらゆるものが優先されたのである。
でも自分もそうだがその土地に住んで困っている苦しんでいる人は常にいるのである。
だからそういう人たちを見てどうみるかということである。

ある人が生活に苦しい人が同級生とかの仮設に住んでいる人に行った、その人は妻が息子の所とかに行っていてないから淋しくてそうなったのだろう
金があるからそうなった。会社勤めで年金をもらいさらに補償金をもらいとか月に五〇万以上もらっていたかもしれない、それでフィリピン人の女がよってきたともなる
なんかあとは遊んでいる人もいたのである。
鹿島の知り合いの生活が苦しい人は何か手伝って生活のたしにしようとしたがその後は小高の人がきてうまくいかなくなり関係していない、そして小高の人に不満を言っている
小高の人にもいろいろいるから一概には言えない、でも何か補償金がみんないいものとは限らなかった。
金あるものが偉いんだという社会だがここではそうならなかった。
その原因が原発は広域的な問題であり最初からそうして広域的に責任を負う問題だったからである。今になるとそう思っていなかったが現実に負わされていることでもわかる。
大熊であれ富岡であれ双葉であれ俺たちの町に金が入ればいいんだという問題ではなかったのである。その最初から原発の扱い方が間違っていたのである。

●フクシマの自主避難者の子供にいじめ

これも最近二カ所横浜と新潟とか東京でも起きている、自主避難者だとなっている

東京都千代田区の区立中で、原発事故のため福島県から自主避難している生徒が、同学年の3人から「おごって」などと言われ、コンビニなどで計約1万円分をおごらされていたことが、13日わかった

横浜も新潟も自主避難者なのである。自主避難者とは避難区域に指定されていない人たちであり比較的線量は低い、福島市とか郡山市とかの人たちも自主避難した。
そして自主避難した人たちは地元の人たちからも地元から逃げたということで非難なれていたのである。

だからこれがどういう事情なのかよくわからない、なぜみんな自主避難者なのだろうか?
第一自主避難者は避難区域に指定された所から来た人と違いせいぜい家賃くらいしか援助されていないのである。だからなんら夫婦で別々に暮らすとかなった人たちにもなる
母親が子供を連れて自主避難したからである
ここでどうして自主避難者だけがいじめになっているのか?
この辺の詳しい事情がわからない。

放射能の恐怖に震える自主避難者と、家を持てない人や、家を持ち続けることが困難な低所得者を分断してしまった。そうした状況で「自主避難者は特別なのだから、住宅支援を」と叫んでも、理解が得られるとは思わない。 

 つまり、自主避難者の困難の責任は行政にあるのではなく、論理的なロジックを構築する努力を欠き、自主避難者の存在を反原発運動のために利用し続けてる、支援者の側にあるのである。

こういうこともあるのか、左によって原発も利用されていることもある。
そしてなぜ家賃が無料なのか?貧乏の底辺層にすると納得がいかないとなっているのか?
それは小高の人が鹿島の仮設に住んだ時も起きていたのである。
貧乏な底辺層はうらやましがっていた。なぜあんなに補償金であれ何でもあれ優遇されるのかとなっていたのである。それは底辺層だけではここではなかった。
要するにいじめの原因は今は貧乏な人たちが多いからそういう人たちのやっかみなのかとなる、それは現実にここでも起きていたからである。
そして自主避難者はなぜ放射線量が低いのに避難して無料の家賃で住んでいるのかと底辺層が不満になった。金持ちだったらそんなに恨まないのである。
つまり東京であれ貧乏な人たちが増えているからそうなっているのかとなる 

いづれにしろ福島県はお前たちが原発を建てたんじゃないか、積極的に誘致していい思いしたんじゃないか、それなのにまたそんなに補償金もらってうわうわだわなとか言う人がかなりいる、ただ公には言えないので子供のいじめとなっている
では内部でも以前としてもめつづけているのである、浪江でも帰れない地域とそうでない地域は相当に補償金に差があるからもめている、それもそもそも浪江町であれ飯館村だって大地はつながっているからそうなる、放射能に汚染された泥が飯館村から流れてくるからである。
だから放射能の被害はそうして細かく区切ることが争いの元になったのである。

posted by 老鶯 at 14:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連