2016年12月04日

一枚の木の葉(詩) (都会と田舎の相違ー土地と密着した記憶の場が田舎)


一枚の木の葉(詩)

(都会と田舎の相違ー土地と密着した記憶の場が田舎)

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一枚の木の葉

この道にゆくりなく
夕べ散りにし
木の葉一枚あわれ
なれ親しみ細き道かな
五本松の二本枯れてなし
その二本の松なお我が心にあれ
その道を我が去りゆくも
我が心に一枚の木の葉残りぬ


五本松のあるところから迂回した道はいつも自転車で行っている。
六号線に五本松があるが六号線は車が多くて情緒がない、今は国道とか高速は早いのだが記憶に残る道ではない、それはただ通過してゆくだけの道である。

何度も言うが現代とは何かいろいろなことが人生でも記憶されないことが多いのである。旅でもそのことを書いた。便利すぎて記憶されなのである。
でも人生をふりかえると記憶がいかに大事になるかである。
記憶そのものが人生になる。何がきおくされたかが人生なのである。

最近一人の近くの老人が95才で死んだ。その人は自分の家で店をしてたときもまたそのあともきていた。90才のときも自分の家に来ていたのである。
そして思いだすのはやはり近くの人で世話になった老人だった。
その女性のことは前も書いた。
自分の母親とその二人の女性はいつも自分の家に来ていたのである。
その三人とも死んだ。でも何かその三人がここにいるような気がする
記憶としてその三人が一緒にいたことが残っている

それは相馬市の道の駅にある五本松ともにている、いつも五本松はあった。
しかし二本は枯れて切られた、でも以前として記憶の中に二本の松はある。
人間も何かこの五本松とにているのだ。
あるところに長くいるとそれが奥深い心の中で記憶となり定着するのである。

一方で都会などではただ騒々しく記憶に遺りにくいのである。
だから原発事故で避難した人たちはそういう故郷で住んだ記憶が奪われたことが意外と深刻なのである。新しい場所でまた記憶を作ることはむずかしいからである。
こういう精神的損害が大きかったことは意外と外から見てわからないのである。
それは補償金でも補いえない損失だったのである。
あれだけ補償金もらったんだからかえって得だったという人も外からは見える
でもそれは金で補えないものだった。
だからといって補償金問題はまた別な問題としてある。

とにかく故郷とか田舎は人生を記憶される場所だったのである。

仕事,職;役目;地位,身分;((one's 〜))立場
get a place in a law firm
法律事務所に就職する

fall into placeとは

正しい場所に収まる、うまく収まる、つじつまが合う、ぴったりする

in placeとは

決まった場所に、適当で、適切で

当然あるべき所に(←→out of place)
I found everything in place.

すべての物があるべきところにあった

the placed memory

the pressed memory

the impressed memory

となる




placeはまたpressと通じている、刻印するとかとなり記憶するともなる
場所があり記憶される所が故郷であり田舎なのである。
それは自然の事物でもそうであり人間もそうである。
三人の老女が死んでその三人が石のようにもなる
そういう記憶された場所が故郷であり田舎なのである。
それは都会では得られないことなのである。
それよりそうして作られた記憶はもう一度作り得ようがないのである。
だから老人は記憶に生きているのである。

遂に認知症になと千回も昔のことを語りつづける、今は記憶されないで過去の記憶にまさに生きている、生きたとはその記憶のことだからである。
戦争で苦しんだことを延々と語りつづけて死んだのはそのことが人生でもあったとなる
それは別に田舎のことではないシンガポールとか戦地のことだったがそれがいつまでも記憶として残って忘れられなかったのである。
だから人生とは何が記憶して残されるるかが大事になる
若いときの不品行も記憶として残されるし消えないから怖いのである。
例え別に警察につかまるとかつかまらないとかではない、その心に刻印されるから怖いのである。

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