2016年12月21日

紛争地、事件現場とかに侵入する記者の危険 (事実は語れてもどっちかに味方することは危険)


紛争地、事件現場とかに侵入する記者の危険


(事実は語れてもどっちかに味方することは危険)


シリアとか取材に行って人質になって残酷に殺された人がいるけどその時、盛んに自己責任だ日本政府では金を払う必要がないと世論でもなった。
そんな危険な所に行くべきではないしそのために日本国民の税金を払うべきではないとなった。
確かにその現状を知らせる人が必要ではある。でもそういう場に入っても何がなんだかわからなくななるだろう。
それは別にそうした大事件ではない、世界的なものでなくてもみんな個人的に経験しているだろう。もめごとが争いがあるときその当事者になると何が起きたのか訳わからなくなる、そういうことを自分も経験している
急激に交通事故で死んだけどそこには様々な事情がありそれが理解できなかったのであるそれがまた離婚したばかりだとか運送会社で働いていたとかそれも複雑であり何か起きていたのかわからなかったのである。
そういう時判断することができない、結局得したのは弁護士が仲介に頼んだが何もしていない、百万で頼んだが実際に交渉したのは保険会社の人だった。
弁護士は裁判もなにもしない、ただ百万を受け取っただげだった。

もう一つは親戚でも最初は母親と娘がいて母親がひどい人だと思っていた。実際は娘が母親を虐待していたのである。全く逆だったのである。その娘は自分の家にきてとんでもない人間であったことがわかった。それは信じられない人間になっていたのである。
これは長い間交際をしていないからそうなった、どういう事情になっていたのかわからなくなっていたのである。時間がたつと事情が変わってしまうのである。
だから何かもめごとがあると争いがあったら両方の言い分を聞くことが鉄則である。
裁判で双方の言い分を言わせることでもわかる。
喧嘩両成敗なのである。喧嘩になるには何か双方に原因がある。一方的に聞いていると必ず判断を間違い,仲裁に入ってもその人が危険になり傷つく

だから取材というのもNHKでもここでは原発避難者を一方的に味方する放送だったと思うここでは津波の被害者もいるし両方の被害を受けた人もいる。複雑であるからこそどっちかの味方につくことは危険である。
そもそもシリアのような所ではもう踏み入れたらそこは何がなんだかわからない世界である。その現場に行ってももう何かを理解することはできない、ただ事実は報道できる
誰かが殺された、何人死んだとか、家が壊されたとか、そこに起きた事実は冷静に見て報道できる。でも誰が悪いかの何の原因なのかとそうしたことは簡単に報告することは無理である。それはもはやあきらめるほかない。

だから何か事件の現場でも紛争地でも第三者が入ることは危険になる。
何か伝えねばならないんだといってもその土地のことは簡単にわからないし紛争にまきこまれることになる、それが日本政府にも影響してくる。身代金を要求されるからである。何か伝えねばならないということはある、でもそれが日本国民にどうしても必要な情報なのかとなるとそうでもない、むしろ日本国民を危険に陥れる方になる
それはこの辺の原発事故周辺で起きていた。
何かそういう意図は放送では明確ではないから注意もしない人も多かった。
それはもしかしたら自分だけかもしれないとなる

相馬市のトマト農家に飯館村の人が働かせてくれと頼んだが断られた、相馬市でも津波の被害が大きいから津波の被害者が優先だとしてそうなった。
飯館村は同情すべきでも補償金をもらっているしその額も大きいのである。
相馬市の津波の被害者は補償金はゼロだから不満が大きいのである。
そういうことを考慮すれば別にその相馬市のトマト農家を批判すべきものでない
むしろ適切な判断をしたのである。
そして働きたかったら原発避難者こそボランティアでやるべきだと自分は言った。
補償金をもらい余裕があり病気でもない普通の体ならできるからだ。
それなのにギャンブルに興じているだけだったら原発避難者の方が批判されるべきなのである。
これには放送するNHKの意図があるのが見えにくいでも何か上の人の命令でしているというときその意図があり原発避難者側について放送していたのである。
そういう意図が上の人で決まっていて取材して編集して放送したのである。
トマト農家の言い分は放送していないからである。他の人の言い分も聞いていないし言わせないからである。

他でも浪江の工場経営の社長が前に仕事をしていた仲間が仕事をくれないいうときもそうである。
工場経営とかなると億の金をもらったかもしれない、そういう人が仕事をくれというとき仕事をくれないとテレビで訴えていかにも仕事をくれない前の仲間が冷たいとか悪いというふうに放送していたことになる。
双方に言い分がある、だから一方的に味方した放送は裁判官になっていたのである。
双方の言い分を言わせないからである。マスコミにばそういうことが多いのである。
マスコミが取捨選択して編集して自分たちの意図を通した発言をさせているのである。
ネットだと問題があるにしろ誰でも発言権はある、でもマスコミにはマスコミの意図にそったものしか発言できない、そこにかえって不満になり対立が深まるとなる。
NHKでそうしたことを全国報道することは影響が大きいのである。
全国の人に回りの人はなぜ原発避難者に冷たいのだとすりこまれるのである。

でも現場の事情は複雑なのである。だからマスコミのNHKの意図したことを報道するのではなく事実を報道することが報道の基本にある。
つまりこの辺の事実はどうなのかである。原発避難者に補償金で不満な人がいるとかは事実である。そういう事実を隠すことはできない、原発避難者にとってはそう放送されれば自分たちの不満を言わせてもらって良かった、見ろ、NHKでもそう思って全国に放送しているのだとなる、でもそれが本当に良かったのかとなると原発避難者に不満な人たちも現実に一緒に住んでいるのだからそうはならない、それでNHKがそう発言させてくれて全国にも放送したのだから回りのものを従うべきだ、原発避難者に文句を言うなとなる。
でもそれで解決するかとなるとならない、不満が鬱積してくるだけだとなる
そしてそのことで原発避難者は思いあがり原発避難者を批判すると誰もお前のような奴はいない,みんなが全国民も原発避難者に同情しているとかなる

そして極端になればギャンブルしようが何しようが補償金はもらって当然だとなる。
被害者なんだからどれだけ被害かあったのかわかるかとなりそれを言い続けることになる被害者特権化する。何でも容認されるとまでなる。俺たち避難者様に何も言うなとなる。そういうことを助長することにもなったのが今回のNHKの放送である。
津波の被害者は別にして原発避難者に対してボランティアでも一見いいようでもそれを助長していた。避難者は助けられるべきものでありそれが当然であると思いこむようになった。もちろん原発避難者の被害は大きいし深刻なことは書いた。
それとこれはまた違った問題になっていたのである。
ただNHKではそれだけではない、復興のために努力している人のことを放送している。
他にも復興のために寄与する放送はいろいろとしているのである。

鹿島出身の議員が小高の人を応援していた。それで選挙になればその人にいれる、同じ南相馬市民だからそれは自由である。
その時、その女性は鹿島の人がみんなやはり原発避難者を応援していると思っていたのである。それで私たちは鹿島では消費しているから鹿島の人も助かっていると言っていたのである。そういうことはあっても何か納得いかないだろう。
自分はその時介護や自分の病気で四苦八苦していたから余計に不満になったのである。
自分も苦しんでいるのに誰も助けるものがいなかったから腹ただしくなっていたのである

ただ自分は三回くらいそうして原発避難者と対立した事態がありその時必ず原発避難者側にたって放送していたのである。
いわき市とかで復興団地に入って地元の人が仲間に入れてくれないというときではそういう放送をして原発避難者側についた放送をしてその地元の人が納得するかというとしないだろう。NHKがそうしたのだから従うほかないとならないだろう。
ますます反発するということもある。
だから自分が原発避難者の方がボランティアやれと言ったのである
何か被害者だ、被害者だと特権のみをいい俺たちは同情されるべきであり援助されるべきでありしかない、ギャンブルして遊んでいようがそうである。
俺たちに文句言う奴は許せない、NHKでもそう放送している、全国民がそう思っているからそんな奴は許せない、糾弾すべきだとなる

そういうふうに思いあがらせたということがNHKの放送でもあったのである。
ただそれが気づきにくいことがあったからそれに何も言わない人が普通だろう
そして奇妙なのは小高の人たちがどうなっているのか?若い人は流出して帰ってこない
小高の復興が誰がするのか?外部の人でありボランティアなのかとなってしまう。
小高の人は被害者として補償金だけは要求する、それも当然だと思っている
それで原町であれ小高であれ新地であれ家を建てている
小高はというと老人が帰り一割も帰らない、その復興は誰がするのですか?
それは外部の人でありボランティアでしろとまで極端になればなってしまう。
だからボランティアにきてそういうことを知り怒っていた人がいたのも当然である。
お前らの街なんだからお前らで復興しろというのも当然なのである。
ボランティアはあくまでもその手助けをするだけである。
その主役がボランティアになったら変なのである。そのまま小高に住んでくれるならいいがみんな帰ってゆくからである。

だから紛争地では一方の言い分をだけを聞いているのは危険になるのである。
もしシリアとか戦争状態にあるような所で一方の言い分だけを聞いて放送していたら身も危険になる。ここではそういうことはないにしてもそうした一方的報道に不満が内向してゆく、それはNHKへの不満にもなりシリアような所になると攻撃さえされるようになる。
紛争地では裁判でも必ず殺人犯ですらその言い分を言わせているのである。
だからマスコミがNHKでも裁判官になって判決しているのはおかしいのである。
別に報道は自由だとなりNHKでもマスコミも一会社だから何を報道していいともなる
でもNHKでもマスコミでも地方新聞でさえ一つの権力機関である。
インターネットとなどとは違う、だから福島民報でも民友でも公共の放送機関のように見えてしまうのである。でも一私的営利機関であり自分たちが損するようなことはしない
別に新聞をとらなくてもいいからだ。でもNHKだと強制的に受信料を徴収している。
これもだからNHKがどういう機関なのか問題になる。一私的営利機関の報道会社なら別に問題がない、ではなぜ強制的に徴収しているのかとなる
別にNHKが勝手な私的営利追求しているだけではない、国民に役立つ放送はしているのである。ただそこには他でも不満を言う人がいるように逸脱した放送がある。


当時の政府はお金持ちから受信料を取って情報インフラの整備を図ったのです。
なので放送法にある「NHKが映るテレビがあったら受信料支払いの契約をしなさい」と言う法律は決しておかしくはなかったのです。

NHKはテレビを普及するために最初に必要だったからそうなった。今はテレビだけの時代ではない、インターネットもスマホも普及したからなぜ強制的に受信料をとられるのかが問題になる。
もし私的営利企業だったらその会社の方針で放送することにも文句は言えないかもしれない。NHKが何か国営放送のように錯覚している人もいるのである。
NHKの言うことなら確かだ、NHKの言うことは国民の声なのだと思っている人がいる
それは別に地方新聞などでもそうである。それだけまだマスコミは力をもっている
フログなどだと一私人のたわいもない発言にすぎないとされることがある。
テレビとか新聞を通じて発言されると何か重要度が違って見えるのである。
NHKが特にそうだから問題にされる、ただ今回の自分の発言には反発する人もいる。
だから自分がすべて正しいとはならない、ただ地元だから自分の事情も関係していたし発言したのである。
タグ:記者の危険
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abstract pictures ( many streams)


abstract pictures ( many streams)


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big waterfall

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violent flow

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river in the begining

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Flow to join in spring


川の詩(a poem of river)    


川には天の姿が見える

太陽も月も星も雲も青空も、川の流の中に現れる

天の極まるところへ、川は流れてゆく

川は地を流れては天を経て霧となり雲となり雨となりまた地を流れる


A figure of the heaven is seen in the river

The sun and the month and the star and the cloud and the blue sky appear in the flow of the river

The river flows in the heaven

River  drift to the ground, it becomes, and it is fog with a cloud via the sky, and we have rain in the river and drift to the ground again


古本屋で見つけた詩集の一つである。これだけが良かった、あとはいいものはなかった
その人は知られていない、すでに死んだ人である、詩は一つくらいはいいものを書いている、ただそれを知ることはなかなかできない、たまたま仙台の古本屋で発見した。
名前を記さねばならないがわからなくなった。
四〇〇〇円では高いから買わなかった。詩集は何か高いのである。
ただ今蒐集しているがこれは高いし内容がほとんどなかったから買わなかった。
ただこの詩だけは良かったのである。
それで川の抽象画を出しつづけているのでここに出した。


It is one of the books of verse which I found in a secondhand bookstore. There was not the thing good afterward which only this had good
Yes, around one poetry that is the already dead person whom the person is not known to writes one of a potato; it is not readily possible to only know it; discovered it by chance in a secondhand bookstore of Sendai.
You must write down the name, but lost it.
Because it was high for 4,000 yen, I did not buy it. Something is high in the book of verse.
I made collection, but did not buy it now because this was high, and there were few contents.
Only this poetry was only good.
So I started it here because I continued taking out the abstract picture of the river.


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2016年12月22日

シリア難民と原発避難民はやはりにている面はある


シリア難民と原発避難民はやはりにている面はある


シリア難民と原発避難民は根本的に違うというのもある。でもにているところもある
シリア難民に関してはネットでは

なぜ自分たちの国なのに自分たちで守らないで他国に避難するのか?

命懸けで自分の国を守るために戦いという人もいる、でも命懸けで避難して実際に海で死んでいる人もいるのだからそれほどにして国を脱出するということは事態があまりにも深刻だからとなる

原発避難者に関してもなぜ自分たちの町なのに故郷なのに守らないのか?

なぜみんな脱出してしまうのか?そして補償金だげは要求する
その補償金で何をするのかというとき他に脱出して故郷を捨てて家を建ててそこで新しくはじめるのである。
補償金をもらって自分たちの故郷に住み復興するならわかるがその補償金は町に住んで復興することではない、他に脱出してそこで新しくはじめるための資金なのである。
だから何が復興なのかわからなくなる

そもそも故郷は何なのかとか国は何なのかということは普通はわからない、当たり前にあるものだからである。そんなこと普通は問わない
つまり故郷とか国となると故郷を失うとか国を失うとかそうしたぎりぎりの状態にならないと意識しないしわからないのである。

誰も普通は故郷を失うとか国を失うとか経験できないからである。
でもシリアなどでは実際に起きていることである。
そこで避難民とドイツの住民とが争っているのは対立が生れたのはこの辺の状況とはにている。なんだあいつらよその国からきたのに問題を起こしている
なんであいつらの援助をしなければとならないんだとなる
現実にテロも起きて人も死んでいる、そうしたらその対立は深刻になる

ここではそういう深刻さはないけどなんで自分たちの故郷を自分たちで守らないのだとはなる、小高の場合は原町や鹿島や他に移っても南相馬市民だからまた移り安いということがあった。小高の事情と他の避難した町の事情は違っている

シリア難民とは比べることはできないとしてもにている面はあるのだ。
そもそも故郷でも国でもそこに住んでいる人が守らないとしたら誰が守るのか?
国でも日本を守るのは最後は日本人しかない、アメリカ人が守ってくれるわけではない、最後は日本人が命懸けで守るほかなくなる、そうしなければ国は滅びる
するとシリア難民のようになってしまうのである。

補償金をもらったからそれを資金にして他に移り住む、もう小高とは関係ないとなっているのが変なのである。
復興復興というけど個々人にとってはそれが復興になっているのだ。
だからとにかく補償金だけはもらえるだけもらうとなっている
それは別に小高に住んで復興するためでもない
現実に名取辺りに若い人が家を建て住んだ、その家に親を住まわせる部屋まで作ったから一緒に住んでくれと言われているという、でもその老人は小高の復興住宅に住んでいるのである。老人は慣れ親しんだ町に住んでいたいからそうなっている
でも結局はやがて介護状態になったりしたら子供がひきとるようになるだろう。

自分たちが被害者だ被害者だとだからなんでも許される、被害者だから補償金も当然もらえる、小高ではなく他に住んでももらえるのは当然である。放射能で住めなくなった被害者なのだから当然だとなる
でもその放射能にしても線量は小高の場合,この辺と変わりなく低いのである。山の方では高いところがあっても全般的に低いからそこは住めない地域ではない
要するに小高に住もうが住まないでも同じ被害者として訴えるだけなのである。
小高に住む人ならある程度は理解できるが被害者だから他に移りそこで補償金を要求しているというのも理解できないのである。

シリア難民ならそこに故郷に国に住むことが命懸けになる、だからこそ命懸けで避難している,小高だったら放射能もこの辺とさほど変わらない,命の危険があるわけでもないでも帰らないのである。
それでも自分たちの国だから自分たちで守れという人がいる

だから原発避難民と地元で摩擦が起きたのはシリア難民ともにている
ただ小高以外は線量が高いからまた事情が違っている
そして難民はシリアだけではないアフガニスタンからパキスタンからいろいろな貧乏な国からきているのである。
そういう人たちが不満でテロを起す、それもお前らはお前らの国ににいて豊かになる方法を見いだせ、平和になる方法を見いだせともなる
他の国に来て不満だからとテロをしていいいのかとなる
そんな人を受け入れられるのかともなる

ただこの辺では原発避難者様になっている、そしてNHKでもなんで原発避難者を受け入れた人たちが文句を言うのだとなる。
それはいわき市で二万人も避難したから極端になり嫌がらせにもなるのも当然なのであるそれで逆に右翼のテロにもなる。それもシリア難民とにているのである。
ただシリア難民は命がけで脱出してきたのは違っている
そのシリア難民を擁護することはNHKが原発避難者を擁護する放送したのとにている

なんで原発避難者を批判するのだ、受け入れないのだとなる

避難民を受け入れたドイツであれ非難される、ただ違うのはシリア難民が生きる死ぬかの選択でありここでは安易だから違っているとなる
ただこうした摩擦が起きているのはやはり何かにているのである。
あんな過酷な状態でもお前たちの国はお前たちで守れと言う人がいる
そしたら小高などは放射線量も低いのだからそう言われたらみんなもどるだろう。
でももどらないというのが納得がいかないと外から見るのである。
そして他に移り住んだ人も被害者だ被害者だとして援助してくれとなっているのもおかしいのである。


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移民の歴史をふりかえる (移民は戦争にもなり世界史そのものだった)


移民の歴史をふりかえる

(移民は戦争にもなり世界史そのものだった)


日本は遠い異国ではなく、日本の軍事勢力圏にある満洲や東南アジアに移民を、さらに移民を護るための軍隊を送り始めた
この事を指して、アジアに対する「日本の侵略」と豊かな国の左翼は言うけれど、俺は満洲事変、大東亜戦争は貧しい国がさらに貧しい地の富を収奪する哀しい戦争であり、過去の日本は「悪」だったと決めつけても、その本質は理解できないだろうと思う。

移民は世界史でもある。大量の移民は戦争になる。なぜ移民になるのか?
その原因は貧しい国が豊かな国を襲う、貧しい国が飢饉になれば流民化して他国へ流れ込んでくることもある、そうした流民が中国では内戦と発展してきた歴史がある。
それは中国国内で起きたことだが他国の間でも起きる
なぜモンゴルが中国を襲ったかとなるとモンゴルは遊牧民であり食料が不足するときがある、農業国の中国は豊かな生活をしている、そこでモンゴルでは定期的に豊かな農業国を襲ってくる、それで万里長城を築いたのである。

貧乏な国から豊かな国へ侵略が起きる

それは世界的格差が今問題になっているがそういう問題は古いのである。
格差のために戦争になっていたのである。富めるものから奪うことである
それは国と国の間なら正当化されるのである。
格差が大きくなると国内でも富めるものから貧乏人は奪っていいともなる
金持ちは襲われる危険が増大してくる。
格差が大きいと貧乏な人たちはそれを悪だとも思わない、当然だとなる
それより金持ちが貧乏人から富を奪っている、格差を広げているとなる
現実に今はそういうふうに格差をとらえているから金持ちは危険になる

満州への日本人の移民が実は大東亜戦争の原因になっていた。満州の利権をめぐって各国が争っていた。アメリカとも争っていてそれがアメリカとの戦争の原因にもなっていた。日本は貧乏であり農民が働く場所もない、その時農業中心だから働くとなると土地が必要となる。すると満州のような広大な土地は絶好の場所だとなる
でも移民するにしても満州は適地ではなかった。北海道より寒いからである。
そんなところでも移民しようとしたのは働く場所がないからである。
人間は常に働く場を求めている、今も地方で東京に出るのかとなると地方では働く場がないからだとなる
明治維新のとき大量の侍が失業して北海道の開拓移民となった。
時代が変わるとき難民を移民を生みやすいのである。

今起きていることもやはり歴史のくりかえしである。アメリカに大量のメキシコ人が入ってくる、その影響がアメリカの国自体をゆるがすようになっているのだ。
ヒスパニックとは言葉さえ通じない、そうなると一国のアイディンティティを共有することがむずかしくなり国の一体感が保てなくなる危機である、だからカリフォルニアが独立国になったほうがいいとかトランプが大統領になることでそうなった。

移民が起きるのは貧乏な国から豊かな国を目指すからである。自国で豊かな国を目指せばいいとなるがそれができないからこそ移民となる
すでに豊かになった国に移民する方がてっとりばやいとなる、なぜなら自国が豊かになるには時間がかかるからである。
そして遊牧民のモンゴルとかなると羊を飼うことのほか何か産業が作れないとういことがあった。豊かになる方法がなかったのである。

移民というのは移民する側と移民を受け入れる側との問題がある。
政治的理由とか経済的理由とか宗教的理由で移民になる。
ジャガイモ飢饉でアイルランド人がアメリカに移民した。それはアイランドの土壌が肥沃ではないからである。アイリョシュというのはアイルランド系である。

人口の少なくとも20%が餓死および病死、10%から20%が国外へ脱出した。また、これにより婚姻や出産が激減し、最終的にはアイルランド島の総人口が最盛期の半分にまで落ち込んだ
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これほどの危機的状態だったのである。

ただアメリカがその時豊かな国ではない、ただ広大な土地があったということが農民にとっては魅力だったのである。土地が自由に手に入ることは魅力だったのである。
ただアメリカには原住民のインディアンがいたが虐殺されたのである。
移民の圧力は飢饉とか職が得られないとかで基本的には起きてくる。
ただそうしたときアメリカとか北海道ではフロンティアとなってそうした人々を吸収したのである。

今起きている移民問題も別に新しい問題ではない、歴史の繰り返しである。移民というときモーゼの出エジプトも大量の移民問題だった。神の国を目指しての大量の移民を達成させたことなのである。それは神の業としている、だから人類史でも移民は常に起きていたしヨーロッパの歴史も移民の歴史である、ゲルマン人の移動は有名だが他にもゴート族だとかいろいろな民族が移動している、移民している、それが戦争になっているのである。
だから移民というのはとめることができない、人類的にそもそも移民が不可欠だからそうなっているともなる。移民があっても世界の発展があったともなるからである。
移民がなければヨーロッパでもアメリカであれオーストラリアでも国としてありえなかった、移民によって世界が劇的に変化して発展したともなるからだ。
移民がなかったら世界は停滞したままだとなる、江戸時代の鎖国のように世界がなる。
鎖国もその功罪があるが世界的にみると停滞したままに海に囲まれた環境から成り立った希有の例だとなる。だからそこで日本文明が作られたともなる。


天才問題を生物学的に考えると永い間同系内で交配された民族は種族は非常に有能な民であっても天才を生むことは驚くほど少ない、スパルタなどがそうである。
これらの種族が開港都市等を占領したり貿易などで貿易の目的でそれらの中には入り込んでくると適合する同じく才能ある他種族と強く混交すると何百年のちに全く突然の天才の排出が起きる。古代ギリシャやルネサンス期のフィレンツがそうである。
フイレンツに天才が排出した主な理由はゲルマン民族中の武人貴族が侵入して土着の芸術的才能のある市民と強く結びついたためである。(天才の心理学-E・クレッチュマー)

これは生物学的にもそうだとするとそこには神の計らいがあるともなる、人類史に神が関与してそうなったともなる。
ヨーロッパがなぜ一大文明を築いたかというとこのように一番天才を排出しているからである。それは様々な民族とか文化が交わるためにそうなった。
それはアメリカとのようにインディアンしかないない種族の交わりでない、すでに強固な文化をもった同士のものの交わりが天才を生んだ、天才といってもその個人だけの力ではなれない、その背景になるものがあって輩出してくる
ヨーロッパだと天才というとき一人ではない、ある場所に群れとして発生しているのが違ってるのである。
ヨーロッパは何か大帝国は違うのである。エジプトとかペルシャとか中国とかは大帝国である。だから政治的圧力が強い国である,中国はまさに戦乱の歴史であることでもわかるヨーロッパも戦乱の歴史でも多様な国の争いのである。その争いの中でも異種交配があり文化の融合が生れたのである。

移民は世界史的に常に起きているのである。移民が世界史を作ったとまでなる。アーリア人の侵入とかもそうである。それはさけられない問題である。そこには神の計らいがあるというときもし移民がなかったら人類は停滞したままで発展進歩しないとまでなる。
だから移民問題を世界史的に考えるとむずかしいものになる。
ただ移民でもヨーロッパの移民は単純に貧乏な国から豊かな国へ移民するのとも違う。
すでにゲルマン人は文化をもっていた。言葉ももっていたからである。強固な社会組織ももっていたからである。
ただメキシコからメキシコ人の移民がアメリカのアイディンティティまで変えてしまうというとき何かそれとにたものが起きているのかもしれない、文化まで影響してしまう問題である。
日本にしても邪馬台国ができるまえに何か韓半島から移住してきた人たちが日本で混在していた。その人たちも移民であり天皇も韓半島来たともいわれる
そして日本の歴史の古地層に韓国由来の伽耶とかの由来の地名が残っているのもそのためである。日本も最初はアメリカのように移民の国だったのである。
その時は様々な人種の混交が起きていたのである。

いづれにしろ移民とは世界史的な問題であり簡単には否定できない、なぜなら移民する側と意味を受け入れる側の両方から起きてくるからである。
日本でも移民がないともう人手不足で成り立たないとかなっている。
少子高齢化でもう日本は日本維持できないとまでなっているからだ。
すると移民を入れざるをえなくなる、それはやはり日本国が衰退するからゲルマン人の移動のように神の業のように歴史的必然とてし起きてくるのかもしれない、だからそれを否定できなくなる。
もし日本人がまだ強固な民族であればそれに抵抗できる。でも弱体化していたら抵抗できないとなる。なぜなら弱体化していたら異民族が侵入しなくても自壊するからである。
ローマ帝国はすでに贅沢になり貴族が弱体化していたからゲルマン人が侵入してきたのである。その結果として強固な新たな文明が創造されたともなる。
ゴシック教会などがその例である。
ただ移民でなくても何か文化の創造は一国では無理である。一個人でも無理である。
多様な刺激がないと創造にならないのである。
その一つが自分がインターネットでしている変化の抽象画の芸術だったのである。
それもたいしたことがないといえばそうかもしれないがそれはやはり世界がインターネットでつながって起きたことなのである。

日本は中国文化との融合は奈良時代に起きた、その後も中国文化の融合はつづいていた。鎌倉時代でも江戸時代でもそうである。
明治維新後はヨーロッパとの文化の融合時代となった。それはまだ成されていないのである。これからヨーロッパ文化と日本文化が融合した文化が華開く時代となる。
ただそれは東京のような大都会からは起きないのである。
そこには自然とのアイディンティティが作れないし自然もないから文化が起こらない
ヨーロッパでもそうだが地方都市が充実していてそこに文化がルネサンスが起きたのである。フィレンツでも今からすれば小都市である。

町の拡大と人口増加は、自然な増加現象で起こったわけではなく、周辺地域からの民族流入によってもたらされたものであり、結果として、フロティアの経済発展へと繋がっていきました。これらの移民たちは、周辺の田舎の中流クラスの者たちで、経済発展の土台として形成づいてきます。また、彼らの故郷となる周辺領地との交信をしていた町の地区に定住していきます。こうしたことから、人口数が集中し、急速に伸びていったオルトラルノ側に、1128年と1237年に三つ目のの橋がアルノ川に掛けられました。この橋は、石造りで、川の上流側に掛けられ、グラツィエ橋(Ponte alle Grazie)と名づけられました。近郊都市との交易に役立たされ、周辺地域の拡張をもたらしました。


橋が発展の象徴だった。 橋によって交易が容易になったからである。高速道路とかできて仙台のリホーム会社が進出してきたのとにている。仙台はやはり技術的にもこの辺では最先端をゆくからである。

周辺の田舎の中流クラスの者たちで、経済発展の土台として形成づいてきます

とありこれは今の貧民の移民とは違う、それなりに文化的共通性あるものの移住だったのである。移民にもいろいろあるから一様にはできないのである。
文化を形成する移民とただ貧民の移住とは違っている。
ただ一都市でも興隆するには近辺からの移住が必要だったとなる。
つまり文化の形成には異種なものとの混血が必要なのである。
今の移民問題は文化とは関係ない、ただ経済の格差問題でありグローバル化でその差が顕著になり移民になる、だからまた違った移民としてある
何か常に同じような問題でも時代が違うと同じなものも違っているのである。
ただ移民とは常に世界史的問題として起きていることを知るべきなのである。
タグ:移民の歴史

2016年12月23日

年の暮短歌三十首 (仙台から相馬市-鹿島-原町-小高へと)


年の暮短歌三十首

(仙台から相馬市-鹿島-原町-小高へと)

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(仙台まで)


仙台に通いし電車そのひびき高鳴りつつ年も終えなむ

五年ぶり電車通りて仙台に古本買いぬ年のくれかな

仙台の長町におりて新しき通りに落葉電車通じぬ

高架橋電車は走りぬ冬の海広々と見えて船行くを見ゆ

復興の電車通りて海よりそ満月昇りて光りけるかな

日立木駅下りる人あれ冬の月寒々として光りけるかな

鹿島駅こうこうとして冬の月光りて我が一人おりにけるかな

(仮設)

仮設の食堂に通いて二年やなじみにけるや年のくれかな

仮設住む人もともしき冬の灯ややがて消えなむ名残りおしみぬ

(飯館)

飯館は雪になるらし寒しかなかしこ住む人ここに思いぬ 

飯館の佐須は遠しも乳神の碑のありあわれ年のくれかな

飯館の比曽は遠しも一度のみ行きしを覚ゆ年は暮れなむ

(相馬市)

相馬市の街の灯あわれ心にしみカップを買いて冬の夜帰りぬ

五本松また通りにつ冬の夜や我が帰りゆく二本は枯れぬ


(原町)

原町のモスバーガーにそまたよりぬ外は北風汁粉の味かな

原町の街中通り農家かな畑に菜を育てて冬のくれかな

蔵ありて井形紋ありこの家の昔は農家は冬の日暮れぬ

この家の焼けしことありその形見馬頭観世音冬の日暮れぬ

紙漉きの家にしあれと石神や昔思いて冬の夜ふけぬ



(小高)

小高にそ電車はつきぬ小屋木へと行く人あれや秋の日暮れぬ

鹿島にて話す老人今は住む小高にあれや冬の灯ともりぬ 

小高駅おりたちあわれ冬の灯ともりわずかや誰か住みなむ


(浪江ー双葉)

浪江には電車通らじ淋しかなその闇深く冬の夜ふけぬ

双葉町遠くなりにき我が父の酒屋に働く場なりしかな


(鹿島)


庭の石見つつ小高の老人と話すことあり年のくれかな

我が家族争いつつも家族なりその日の長くも今はなしかも

ふるさとは何にしあれや街に人村に景色思いよすところ

広き家に老いても住めぬ女の来て我が家にあわれ年もくれなむ

寺内にホトケッポありはふり場や冬の月光り墓の埋もれぬ

しんしんとして冷える夜こそ一人住む同じ町の人思うものなれ

冬の夜や我が家に一人暖をとり昔偲びつ老いを楽しむ



鉄道の旅は長いから何か線路は心をつないでる感じになる、バスにはそういう感じはしないのである。それで北海道の稚内へゆく線路の詩を書いた。
本当に今回仙台まで電車が通じて仙台まで心が通じたと感じたのである。
これも不思議な経験だった。鉄道は自分にとって特別なものだった。鉄道の旅が長いからである。そこに愛着が生れたのである。

愛着というときそもそも故郷は何かとかこの辺は原発事故で避難したりして問われたのである。
故郷もなにかその土地に愛着を抱く場所である。それは親の代から先祖からもつづく愛着をいだく場所なのである。
だから故郷を離れたとき啄木はあれほど望郷となり短歌を残した。
何か自分も今になり啄木調の短歌が次々にできるのである。
詩も我ながらいいものが作れたなと感じることが多い、それも不思議な経験なのである。
人間は本当は死ぬまで不思議な経験をすることなのである。死の瞬間までそうである。
その経験は老人なるとさらに深まる、まずあらゆることに理解が深まるのである。
芸術の分野では年取るとかえってその芸は熟達するし理解が深まるのである。
今までは何か自分はいろいろなことを理解していなかったし俳句短歌でもいいものが作れなかった、詩でもそうである。

でも今は泉の水がこんこんと湧くように無理しなくても作れるのである。これも不思議な経験なのである。だから自分は老後は暇にならない、常にこんこんと泉湧くように創作できるし理解が深まるから評論なども書ける
本などもすぐに理解できる、どれがいい詩なのかもすぐわかるのである。
今まではなかなか理解することがむずかしかったのである。

ふるさとというとき小高の人などいろいろ言ってきたがそれはやはり同じ南相馬市民とかなり家族のようになるからである。
自分の家族は争いつづけてきて遂に死んだけどやはり家族だったと同じである。
ただその範囲としては双葉までであり大熊となるとなじみがなくなる
双葉では自分の父親が酒屋で働いていたからである。

飯館村はやはり相馬藩内であり何度も行っているし高い峠があるが一つに結ばれて地形的アイディンティティをもつ場である。歴史的には塩の道でつながっていた。
佐須となると飯館の中心地の草野からまたばずれている。
飯館村というと広いから草野から離れるとなにかさらに辺鄙な人も行かないような所に感じるのである。

相馬藩内でもいろいろ特徴がある。こういうことは旅しただけではわかりにくい、人はその場所に住んでみないと根本的にはわからないとういことがある。
そして故郷とはその人であれ街であれ村であれ景色であれ歴史であれ先祖であれ死者であれ愛着をもつ場所である。

人とはあまり接していないがやはり多少接した人のことも愛着がでてくるということである。場所と人はまた結びつくのである。
小高でも小屋木に住んでいるとなると何かその地名がひなびていて印象に残ったのであるただ仮設も来年の三月とかでなくなる、でも六年近くあったのだからこれも名残惜しいとも今ではなる
仮設の食堂にも二年間ぐらい通ったのである。これも結構長いなと思った。それで女性の店主と親しくなったとかある

いづれにしろこの十年間は自分にとって激変の時だった。その間に姉も母も家族はみんな死んで自分一人だけが残されたのである。その変化もあまりにも激しかったのである。
しかしなんとか耐えてやってきたとつくづく思う

人はいろいろいるが他人のことはなかなか理解しにくい、その女性はもう65すぎても狭い市営住宅すまいである。すると一生広い家に住んだことがないとなる
広い家に住んでいる人はそれがわからないのである。
仮設の狭い所に住んだ人はそれを経験したことになる、すると狭い所に住む人の気持ちもわかるということにもなったのである。

ともかくこの十年の歳月は本当に激変であり苦しかった。でもなんとか耐えた。
そして今年ももう終わる、仙台まで電車が開通したことは本当に復興だった。





常磐線(仙台ー原ノ町間-強風のために運休)



常磐線(仙台ー原ノ町間-強風のために運休)


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この電子掲示板が見やすいしわかりやすい、無人駅でもこれがあるとわかりやすい

赤い字は運休である。


鹿島駅にまたよったら飯館の方を回ってきた青年がいて仙台から東京に帰れないと困っていた。地元の人も困っていた。その若者は原町まで歩いて行った。
いろいろ教えてやったがありがとうとその青年は言わなかった。
年配の人はいろいろ教えるとありがとうと言う人がいる
そんなこといちいちこだわるわけではないが前にそういうことがあったので若者は違うのかと思った。

第一自分にしても道聞いたりしてありがとうなどあまり言わない、店でも言わない
有名な学者がタクシーに乗ってもありがとうという、それは金を払っているからありがとうと言われてもこちらからありがとうとは言わない、
でも今回は善意でしていたボランティアだった。
だから確かに普通だったらありがとうと言うのかもしれない
年配の人と若者は違っている

なんか最近は毎日鹿島駅に行っている、気晴らしということもある。
今は無人駅であり案内人がいない、それでボランティアの案内人みたいなことをしているそれを最初は意識していなかったがだんだんそうしているうち意識するようになった。
まだこの辺は外部からくる人がいるからそういう人と話して案内する

今日は強風で運休というとき新地から浜吉田とか津波の被害にあったところが高架橋になり風の影響を受けたのかと思った。
ただ新潟の糸魚川で大火事があったように強風の影響だった。
糸魚川で記憶しているのは松本から長い塩の道の終点の街だった。
街道の宿場町ということで古い家が多くあれだけの被害になった。

ともかく今日は強風の一日だった。気温も冬とは思えないあたたかさであった。


2016年12月24日

ありがとうと言う人と言わない人 (今の社会でいちいち感謝する人はいないのではないか?)


ありがとうと言う人と言わない人

(今の社会でいちいち感謝する人はいないのではないか?)


学者の武田邦彦氏はプログの放送で金とは関係なくタクシー運転手でもありがとうと言っているという、金の問題ではない、それが日本文化だという。
アメリカだとすべて金になり金を払えばいいとなると言っている
武田氏は経験豊富だからいろいろ参考になる
指導している立場にいるから具体的にそうした上のことを知っているのである。
自分は上の人のことは知らない、だから参考になる

なぜそのことを自分が考えるようになったのか?それはいつも駅に来て外から来た人の案内をしたことにあった。別にボランティアでするつもりではなく、最近介護も終わり余裕ができたことで気晴らしに駅に行って他から来た人と話すということでそうなった。
でも年配の人、二三人は案内するとありがとうと言っていたのである
それも何回も言っていた。そんなにありがとうと言うものかとも思った。
自分はありがとうと直接言われたことがあまりないからである。

結局その経験があって昨日駅で強風のために足止めされた若者をそこは無人駅になったのでいろいろ案内した。その若者は歩いて原町まで行った。
でも一言もありがとうと言わなかった。それが今までだったら気にしない、それが普通だと思っていた。
それが変だな感じたのは年配の人が何度もありがとうと言われたことにあったのだ。
ずいぶんその人は丁寧にありがとうと言うものだと思っていたからである。
それと比べたとき若者は何も言わず当たり前のように去って行った
今までならそれが普通でありおかしいと気づかなかった。
第一次自分は旅行で世話になってもありがとうなど言っていない
金払えばいいじゃないかしかない、何か社会常識に欠けていることは認めざるを得ない
でも今の社会はそういう社会なのである。金払えばいい、ありがとうより金を得ればいい、払えばいいという社会なのである。
だから店に行こうがどこに行ってもありがとうとか感謝している人はいない
そんなことしていたら疲れてしまうだろう。

ただありがとうと仕事して言われたいなら医者と看護師になることである。
ここではありがとうということを過剰に言われる、言わなければならない、医者になったらそういうふうに言われるから仕事がハードでも最高の仕事である。
あとはそんなにありがとうなどといわれる仕事は今はないのである。
みんな金を払えばいいとしている社会である。
感謝といっても人間はそもそも感謝することが一番むずかしいのである。
何かに心から感謝することが本当にむずかしい、昔の人は江戸時代あたりだと自然に感謝することがあり実りがあれば祭りをしていた。
今は農民でもそんな祭りもない、ただ減反政策だとか農産物が安くてもうからないしかないのである。
普通何かに心から感謝することはないだろう。
第一人間はどんな恩を受けてもそれも忘れるのである。
だからそもそも感謝することが一番むずかしいのである。

ありがとういとき有り難いとであり何か特別のことを難いことをしにくいことをしてくれたからこそありがとうになる、だから医者とか看護師はそれにあてはまるからそうなる
介護士なども直接人に接して援助するからありがとうと言われる
ただ介護士はそういわれても給料が安いからやる人が少ないのである。
いくら感謝されても金にならなければ仕事をしないのが現代なのである。
そういう社会になっているのだからどうにもならない

現実にホテルでも旅館でもそのもてなしは一万のホテルや旅館と三万とかのホテルでは全く違ったもてなしになる、レストランでもまずいいものを食べるには千円では無理である金によってもてなしが違ってくるのである。
いくら客に感謝されるにしても金の多寡によってサービスの質が決まるのである。
そういう社会になっているとありがとうと言うことにこだわるのかともなる
ただ人間の関係は絶対に金に換算されるないようにできている
そこにこの問題のむずかしさがある
金を払えばいいじゃないかではすまない、金では絶対に割り切れない問題がある

そのことを感じたのはしょっちゅう言っている、仮設の食堂である。
そこで気づいたことはその食堂は一人で女性がしている、それも年配である。
だからあれだけの料理を一人で用意するのは大変だと思う、皿洗うだけでも大変である。相当な労働なのである。すると千円にもならないのでは安いのかと思う
一カ月でどのくらいの収入になっているのも気になる
とてももうかる仕事ではない、それなのにかなりの重労働に見えるのである。
自分も家事をしているから家事は何か細かい作業がり疲れるのである。
だから自分は不精でありほとんど料理はしていないのである。

そういうふうに見ているのと旅しているときなどゆきづりであり相手のことはわからないだからいちいち相手をのことを気を使うなどない、食堂だって一回限りなのだからそうなる。でも常時サービスしてくれるとなると違ったものとなる。
だから地元で生活することはそうして行きづりで旅で世話になるのとは相当違っているのである。そういう気がまわせないのである。
人間の関係だって旅したくらいでは関係が築けないだろう。
グローバル化した経済の問題はそうした人間関係もないしただ物がけが入ってくることにある。何か物が入ってきてもまさに金さえ払えばいいとなる。
いちいちその物を作った人や育てた人のことを考えることはない、だからありがとうも何もないのである。そういう社会に今はみんな生きている
でもそれが人間社会として異常だということに気づかなくなっているのかもしれない
金を払えばいいしか普通はない、だから原発避難者でも私たちは金を払って消費して地元の人を助けているのよとなる、それが今の社会なのである。

それより今は近隣でも金の関係しかないのである。
自分が苦しいとき来た人はそうである。極端になると
「おばちゃんは金があるんだから金でめんどうみてもらへ」と行って遠い親戚の人は去っていったし、もう一人の遠い親戚も借金だから要求するのは苦しいときでも金しかなかった。
もう一人は本当にこいつからは金さえとればいい、本当に家捜しされて大金を失った。
一人は福島県内でも遠いがその人は近くにいるのである。
近隣でもそういう関係になっているのが今の社会なのである。
だから「金の切れ目が縁の切れ目」になる、近隣でもそうである。
でも納得がいかないのは今でもその人に会うし地域で生きている
それでも消費者が王様だというよう原発避難者でも「私たちは地元の人を消費して金を使って助けているのよね」と言っているようにそういう社会なのである。
ただ自分の場合はそれが極端なものとして現れたのである。
それは自分の事情もありすべてにあてはまらないにしても極端化するとこうなるのである。

ただ江戸時代辺りだったたらこういうことはありえなかったと思う、人間と人間が密接にかかわる社会ではありえないことだったろう。
そういう人間と人間の関係がすべて金に換算された社会は人間とて異常な社会だということに江戸時代にいたら気づいた。
だからありがとうにこだわるというときそういう社会こそ正常だったとなる
それが日本の文化だというときその方がいい社会だったともなる
ただそういう美徳は年配の人には残されていた,というより社会生活でそういう生活をしてきたからそうなっていたともなるのだろう。
それはやはり人によることもある、一般的に若者はそんなありがとうとか道を教えたくらいでは言わないだろう。
それでも外人なにかいちいちサンキューという、そういう習慣がある。
外から来た人に対してもそうである。そういう遊牧民的な社会だと客が大事になりもてなすという文化がかえってある。だからいちいちサンキューというとも言われる
日本では外から来た人には冷たいからである。それもまた日本文化なのである。

いづれにしろ駅でボランティアのように案内して年配の人は丁寧にありがとうと言った、それで今回の若者は教えても何も言わず去って行った、そこに違和感が生れた。
やはり人間は何か比較すると気づくのである。今までだったら気づかないのである。
対処がまるで違っていたので気づきやすかったとなる
だから現代を知るには江戸時代と比べるとわかりやすいのである。
それで江戸時代のことを自分で書いてきたのである。
ただ自分など社会経験に欠けているからありがとうと言わないし言いたくないのである。だから人のことはとやかく言えないともなる
でも今の社会がすべて金に換算されるということがおかしい、異常だとはみんな思っているのである。だからこそありがとうでもそういうことが見直されるのである。




  タクシーについて(武田邦彦)

これは江戸時代のことなのである。江戸時代には日本文化があった。
だから江戸時代と比べると今の時代は異常な社会だとなる
でもそれを具体的に知ることはむずかしいから江戸時代と比べてそれを知るのであり気づくのである

今回も年配の人は丁寧にありがとうといって若者は何もいわない、さっさと去って行ってしまったということで何だろうと気づいたのである。
つまり日本文化といっても時代によって変わるから何が日本文化かもわからなくなるのである。今はそんな日本文化にこだわる人もいないのが普通だからである。



posted by 老鶯 at 10:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

鹿島の復興住宅に入る浪江の人と話する



鹿島の復興住宅に入る浪江の人と話する

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原町の雲雀が原の復興団地
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鹿島の復興住宅



シシドスーパーの隣の一軒家風の復興住宅に入る人がいたので聞いてみた。
二本松市から移る浪江の人だった。浪江の室原だとういう。
室原ではすぐ近くが閉鎖された地域だというから相当に放射線量が高い
その人も原発で働いていたのである。
浪江は三分の一は原発で働いていたしその関連で働く人も多かった。

「ここは一人では入れないと思った、何人か家族が入ると思っていましたが」
「自分の母親は死んだんです、今は自分一人です」
「すると母親が生きている時ここを申し込んだ」
「ここは抽選なんですよ、それでも空きが出るみたいです」
「空きが出るということはやはり家を建てた人がいるとか」
「そうです、県では計画を建てて復興住宅を建てたんですが事情がそれぞれ変わってんですよ」
「空きがでるということはもったいないな」
「こっちはあったかいからいい、二本松は寒い」
「ここは気候はいいですからみんな帰りたいですよ、浪江の人とは良く会うな」

その人は二本松で母親と一緒に暮らしていたが最近死んで一人になった。境遇が自分とにている。兄弟もいないらしい。あそこは一人で住めないと思ったがそういう事情があったその人も病気をもっているらしく医者のことを心配していた。
何でも避難のどさくさで死んだ人もいるらしい、病気になった人もいるらしい。関連死が結構あったことは確かである。
どうも六〇代なのかその辺りはみんな何か病気になる世代なのである。重い病気になる人もいる。だからあの人はもう浪江に帰らないと言っていた。
小高でもそうだがそういう人が多いのである。浪江にも復興住宅を建てたが帰る人は少ないのは小高と同じである。
ただ町の計画としては廃炉事業として長くつづくから宿泊所を街に作る、五〇〇〇人規模の街を作るというのを聞いた。
室原だったらもう住めない、イノシシに荒らされているというのはどこでも同じである。
浪江では二本松にはコンクリートの役所を建てたという。二本松市に浪江の町を作るという計画もあったがうまくいかないらしい。やはりそれは無理だったのだろう。
浪江も小高のように復興は容易ではない、町自体が崩壊の危機にさらされている
それで街の役人がもう勤務が忙しくて辛いやめたいという人もでてきている、外からの応援も減ったからである。
何かこうなると町を維持するための瀬戸際の戦いを強いられているとなる
でも若い人は新しく外に家を建てた人は帰らないとか小高と同じである。
だから復興することは本当にむずかしいと思う

ただ浪江と小高の事情はまた違っている、小高は復興するというとき南相馬市民であるから違っている、その点原町でも鹿島でも移り住むのは容易なのである。
そして小高に厳しく自分があたるのは南相馬市民として復興してもらわないと困るからそうなる。南相馬市の負担になってくるから市長も今は小高の人で復興してくれと言っている。
個々にかわいそうな人はいてもやはりいつまでもかわいそうだ被害者だとしたら復興などできない、それよりすでに小高から出て家を建てたり仕事を持ったりした人は小高とはもう関係ないのである。だからその人たちをかわいそうだから援助しなければならないと今も言っているのは納得いかないと自分はなったし市長もそう言っている。
そんならお前も南相馬市民だからお前が住めともなると言われるかもしれない。
それも一つの方法かも知れない、市営住宅に住んでいる人が小高に住めばいいかもしれない、空家があれだけあるから広い家に住めるからである。
ただ市営住宅に住む人は貧乏だからむずかしいことがある。固定資産税だって払えないとなるからだ。それなら税金を免除しても住んでもらうとかの手はあるかもしれない。

その人は来年一月までは移り住むという。あの人は浪江には帰れない、第一病気だから医者が近くにいないと困るからである。
六〇代以上になるとそういう人が増えてくる、だから小高でも浪江でも帰る人がそうした老人が多いとしたらなかなか復興はむずかしいとなる
ともかく原町では相当な数である。鹿島の復興住宅も五〇棟ある。
でもあれだけの復興団地ができても結構空きがでてくる、それは当初の予定では入る人がいたが帰らないとかで他に家を建てて別に暮らしがはじまっているからである。
そういう人が帰らない、そういう人たちは若い人が多いから若い人は帰ってこないから老人が取り残されてしまうのである。
でもあそこに移って来た人も年金をもらえるのか、補償金は再来年で打ち切られる、その後どうするんだろうとなる、そこも大きな問題となってくる
それは小高でも起きたことなのである。ギャンブルして金なくなったから貸してくれと福祉に相談に来た人もいたという。そういう人もいて自分は批判してきた。
ただ鹿島では小高の人を批判してきたが浪江の人はどうなるのか、やはりなにかしら摩擦が起きてくるかもしれない、これはまた別な事情があり変わってくる
こうして原発事故は福島県全体をまきこみそして全国をまで大きな影響を及ぼしたのである。
posted by 老鶯 at 16:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年12月25日

真野の草原(かやはら)は原町の萱浜(かやはま)説 萱浜はカイ浜でありカイは北海道のアイヌのことだった


真野の草原(かやはら)は原町の萱浜(かやはま)説


萱浜はカイ浜でありカイは北海道のアイヌのことだった


滋賀県 犬上郡 多賀町 萱原(かいはら)
徳島県 小松島市 櫛渕町萱原(かいばら)

アイヌ民族が自分たちの国をカイと呼び、同胞相互にカイノー、またはアイ ノーと呼びあってきたからというところにあった。北 加伊道が北海道に変えられたとき、そこにこめられた大事な意味も消された。その名づけを産んだ流れは、武四郎一人の力や思いではどうにもな らない滔々たる濁流となって、この近代百年を押し通してきているものであった。武四郎は、明治に入るとすぐその流れの外に身をおいてしまう(花崎 1988:9-10)

花崎の紹介によると、道庁が解説する「夷人」(夷狄 =イテキ、つまり潜在的な敵である異邦人)とは、和人(シャモ、日本人)が言うアイヌのことに他ならないということになる。アイヌであることが明々白々で あるのに、わざと「夷人」という歴史的用語をそのまま使って、何も註釈を与えようとしないのは、道庁版は、アイヌに対する不当なネグレクトである可能性が ある

萱原はかやはらというだけでなくかいはらともいう、かいばらともなる。
真野の草原(かやはら)はカヤで伽耶の国と関係していると自分は考察してきた。
でもこの辺には草原も萱原という地名もないのである。
あるのは石巻でありそこにも真野という木簡が発見されたから真野と関係している。
ではそこなのかとなるとまだわからない。

それでこの辺で行方郡衙(泉廃寺跡)と連続したところに萱浜(かやはま)がある。
ここのかやは実際はカイと読んでいたのである。

泉長者は元慶元年(877)行方郡に来たといわれる。
約300年後源義経が家来の弁慶に命じて焼き払った。
その屋敷は灰塵に帰して別荘にいた娘もそれをきいて水に投じて死んだ。
娘の別荘があった地を名付けて子供(小浜)といい、樋をもて酒を娘の居所に流す時に
娘が甲斐湾をもってひそかにくみとって飲んだ地を甲斐浜(今の萱浜)また樋より酒のもれた地を雫(しどけ)と名付けた

この伝説も不思議である。なぜ甲斐碗として甲斐がでてくるのか?
おそらくもともと萱浜はカイ浜という地名だった。それが後に萱浜(かやはま)になった。地名伝説には地名が先にありそれにこじつけた伝説が多いからだ。
ここは泉かんが跡があるところだから古い地でありその時からあった地名かもしれない、地名は相当に古いからである。この辺の地名としては

蝦夷関係の地名

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エとつく地名

ツノガノアラシトや伽耶関係の地名

末続、角部、津(つのみや、つのみつ)神社のツノ系統、唐神(からかみ)なども

古代にはこの二つの地名があ、蝦夷関係の地名は最も古く縄文時代につながるものである前に考察したエの地名は蝦夷に由来するものである。
蝦夷はエビスでありエビ(海老)になる。南相馬市の鹿島区の海老はエヒと言われていた
それは蝦夷やエミシに通じる、つまり蝦夷が住んでいた地域だとなる
それからエという一連の地名が浜通りの海岸沿いにある。
エとつく地名は日本全国に本当に多いのである。それが日本全国に蝦夷がいた名残だとなる。蝦夷とは日本の先住民でありインディアンともにていたのである。
だから縄文語があってエがつくのはそのためである。その縄文人とまたアイヌとの関係はどうかとなるとむずかしくなる、縄文人が一万年いたとなるとアイヌはその後に入ってきた新しい民族だともされているからだ。
たから日本の地名をすべてアイヌ語で解きあかすのは無理なのである。
ただ北海道に密集してエのつく地名が多いのか?それはアイヌ語由来であり蝦夷との連続性がアイヌにあるのかとなる

「えけせてね」は、藤原氏が反抗する者どもを差別するためにつけた。例えば「江戸、江藤、蝦夷、恵那、江田」といった苗字は、藤原政権の追及迫害を逃れた人が隠れた(追いつめられた)土地からきたのであり、「エの民」と呼ばれたようである。

藤原政権の前に古代史では神道派と仏教派が争った。物部氏と蘇我氏である。そして最終的には仏教派が勝って国家の鎮護として奈良の大仏が作られた。
当時の仏教は総合的なものであり一つの文明として受け入れたのである。

日本の原住民として蝦夷がいてその後に弥生人が入ってきて稲作を広めた。物部氏は権力闘争に敗れて北に逃れた。そして蝦夷と連合したのである。
でも物部氏も最初は原住民の蝦夷と争っていたのである。その証拠が鹿島区にある御刀神社である。海老に蝦夷がいて物部氏が戦ったからこそそこは御刀神社となったのである。刀をつきさした所とあり刀で蝦夷を征服したのである。

だから真野の草原はかいはらと呼ばれていたのかもしれない、それがカヤになったともなる。他でもかやはらとかいはらがありどっちかとういとカイハラというのが全国的に多い、ただカイと言っても峡もカイであり古語ではカヒとなっている。
甲斐の国とは峡谷が多いからそうなっかともとれる。

だから真野の草原はカイハラだとしたら地名としてここに残っているとなるから蝦夷地名として奈良に知られていたということになる。
それは北海道が実は異民族のカイのことだったと同じである。
カイがカヤにされて不明になったともとれる。

ただ草原(かやはら)というとき前に証明したように古代の和名類聚抄に記されていて数は少ないが一連のものとしてあった。
埼玉県にも草原氏がいてそれは古い謂れがある。ここから近いことも草原(かやはら)というのが何かその辺からも伝えられたものともなる。

和名抄、武蔵国埼玉郡に草原郷あり。加也波良と註し、高山寺本には萱原に作り、加夜波良と訓ず。

二つの説でどちらが有力化となるとこれもわかりにくい、自分は伽耶説をとってきたからそれをまたカイ説にするとそれてりの説明を論拠を示していかねばならない、その作業が容易ではないとなる
ただエとつく地名とかの関係で蝦夷と関係していたとなるとわかりやすいし説得力もあるとなる、その地名が残っていることでそうなるのである。
萱浜はただ真野郷内にはせない、でも行方郡衙(泉廃寺跡)の港につづいているものだから有力だとなる。そこは港だったのだから草原はただ茫漠とした萱の原を言っていたのではないのである。人が通う場所としての港のことだったからである。

南相馬市鹿島区の海老村は蝦夷ーエミシが住んだ地域だった 
(神社の位置が歴史を語る)
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南北朝の戦いで小高城陥落に残された短歌二首 (その心境は自分と同じだった)


南北朝の戦いで小高城陥落に残された短歌二首


(その心境は自分と同じだった)


相馬光胤(そうま・みつたね) ?〜1336

相馬氏第6代当主・相馬重胤の二男。相馬親胤の弟。
建武2年(1335)11月、父・重胤が建武政権に叛いた足利尊氏に与することを決めた際に、下総国相馬郡栗野村や陸奥国行方郡耳谷村などを譲渡され、父や兄・親胤と共に鎌倉に参じた。
同年12月に尊氏が新田義貞軍を破って京都に進撃するに際しては兄の親胤が尊氏に従軍、光胤は父と共に鎌倉に残って守衛にあたったが、のちに陸奥国に帰国、建武3年(1336)2月18日には父より陸奥国行方郡小高に築城して足利氏に味方することを命じられている。
3月にはこの指示に従って一族を小高城に結集させて南朝勢力と戦い、その功績で翌4月には重胤に宛てて尊氏方の奥州総大将・斯波家長より所領を預け置かれている。
しかし南朝方の鎮守府大将軍・北畠顕家が陸奥国に下向してくることを知ると討死を覚悟し、5月20日付で消息不明となっていた親胤の子である松鶴丸(のちの相馬胤頼)を養子として栗野村・耳谷村・小高村などの所領を譲ったうえで南朝軍との戦いに臨んだが、5月24日に小高城を落とされて斬られた。

相馬の運命今日限りとして防戦したが遂に保つことができず
光りたねをはじめ一族九七人が侍939人、その他多数のものが討ち死にした。
うかう松鶴丸は当時13歳は母と共に小高の西、釘野山の麓の農家の宅にかくれ山野に辛苦をなめたものの、良くその身を全うすることができた

中秋にあたり松鶴丸が一族譜代の墓に詣でて従者に和歌二首をたむけさせた


去年の今日別れし人の墓に来てみのりを問えば涙こぼるる

我一人残るこの世の憂きづまいおもうがままに後世は問われず

去年(こぞ)今年

あわただしく古い年が去り、駆け足で新しい年がやってきた。
一夜明ければもう新年。昨日は去年なのに、今日はもう新年。

南北朝の戦いはわけわからなくなる、結局人間の戦いでも紛争でも事件や事故でも複雑なのである。なぜそうなったのか?その原因もいろいろなのである。
シリアを見ればわかる、わけわからなくなる。
それはこの辺で起きた原発避難者とかの補償金での対立もそうだった。
津波の被害者も混じったりして複雑だったのである。
相馬は北朝であり南朝が攻めてきたとき小高城を死守したが被害が大きかった。
そこでこの歌が残された。

今なぜこの短歌に注目したかというと自分もこれと同じような経験をしたからである。
これは津波の被害者とか原発避難民とかも経験したことである。
この苦難は生きる死ぬかの苦難だったからまた違っている
ただこの心境は自分の今にあてはまっている

介護十年で苦しみ続けてきた。津波とか原発は直接自分は被害は受けていないがそれでもこの辺は混乱した。
ともかく辛かったのは自分一人で対応しなけれはならなかったことであり自分の所に来た人は助けるためではない、金がほしいだけでありかえって弱者化したから攻めてきたのである。弱者は攻め安いのである。そのことは延々と書いてきた。
原発避難民を批判するときその時の経験からそうなっているのだ。
あのとき避難民でもパチンコ屋通いであり遊んでいたと思うからである。
自分は孤立無援で一人しのいだ、だから我ながら良く耐えたなと思う

去年の今日別れし人の墓に来てみのりを問えば涙こぼるる

この人も相当な苦難を経験した。別れし人とは死んだ人である。
自分も家族は全部死んだから同じ心境になる
そしてなんとかこの人は生き残ったというとき自分もつくづく耐え忍んだなと思う

実りと問えば・・・とは何なのか?

その戦乱生き抜いて何か実りがあったのか、その実りとは何かわからない、自分の場合ともかく一人耐えぬいたということだった。耐えたことが勝利だったとも言える
人間はこうした苦難を減ると精神的に成長することがある。
だからこの人の心境と自分の心境が同じなのである。
そのあとは一人でも気持ち的に楽になったということである。
自分は十年間苦しかった。原発避難民よりも苦しかったと思う
だからこそ原発避難民を責めたのである。
病気のときも全く同情されず責められて一人奮闘するほかなかったからである。
それに比べたら原発避難民は同情されたとかいろいろ恵まれたと思うからこそ批判になったのである。

ただ小高城陥落というとき小高の街が原発事故で消失する危機になっているのとはにている。
小高の人でも離散したからである。そして全国に避難民は散った、最近は南相馬市の復興住宅に今度は浪江の人たちが主に移住してくる
何か戦乱状態とこの辺はにているのである。

ともかく人間は他人の苦しみはわからない、それぞれ違った苦しみになるからだ。
原発避難民でもその人にすれば苦しかったともなるしわからない。
でも結局自分が一番苦しかったと思うのが人間なのである。
それは他人の苦しみがわからないからそうなっているのである。