2016年12月01日

abstract picture (rivver)


abstract picture (rivver)

streammmmm123489.jpg

nightrrrriverrrr222.jpg
night river

colourwavesss1.jpg


cityseaaaa11122.jpg

city of sea



海の都市というときオランダとかイメージする、何か抽象画でも具象画を具体的に存在するのをイメージしている。
要するにどんなにしても人間は現実に存在する、具象画から離れられない、いくら抽象画でもそうなのである。  


Even the Netherlands or some abstract picture to image what exist in a representational painting concretely at time called the city of the sea.
In brief, a human being is so in the abstract picture which is how much that it is not separated from an existing representational painting practically how.
タグ:abstract river

森の古木、老木(aged trees)


森の古木、老木(aged trees) 


treeeeeeendeadend.jpg
クリック拡大 enlrage

ainumonnyou111.jpg
アイヌの紋様


 

何回も変化させたら古木らしくなった。これも全く意外なものから変化したのである。
樹とはまるで違ったものだった。
これは樹だなと思い老木らしく変えたのである。

紋様はアイヌの着るものとにていた。木の皮をはいで着物にしていた。

厚岸の語源は、アイヌ語のアッケウシイ(アツ=オヒョウニレの樹皮、ケ=はがし、ウシ=いつもする、イ=所)であるという

aged tree of the forest
the crest of the Ainu race:

There is Ainu in minority race Indians living in Japanese Hokkaido
I wear the thing which I made with the peel of a tree of such pattern cutting clothes

Akkeshi in Hokkaido in Japan

The place that tore off the bark

I made clothes with the bark
タグ:抽象画(樹)

2016年12月02日

投資信託はもうからない もうかるのは証券会社と銀行だけ


投資信託はもうからない

もうかるのは証券会社と銀行だけ


bankkkzu111.jpg

投資信託というとき月々の分配金が定期的に入ってくると思いやる人が多いだろう。
何か安全だという感覚になる、貯金に利子がつくような感覚になる
それが特に外国になると全く違っている、為替の差が大きく作用するしその他にまぶ手数料が高いし為替取引でも外国になると税金がかかるとか何かと差し引かれる金が多いのである。
そしてリスクが株と同じくある。

投資信託はもうかっても損する方が多い

ますごのことは確率的にもまちがいない、もうかったとしても損しなくらいである。
株の方が損失も大きいがもうかる場合がある、分配金といってもこれもいつのまにか元金からひかれていたのである。その報告もなかった、その額も大きかったのである。
売ったり買ったりするのもいちいち即座にできない、手続きがありめんどうになる
そのままにしていたら担当の銀行員が放っておいて大損していた。
カナダの国債はそうだった、USリートはもうかっていたのでそれで穴埋めになった
結局損失を出していた。

投資信託はどうしたってもうからない仕組みになっている、分配金は一カ月いくらであり一年間でも安定しない、常に変動にさらされている
次々にリスクがありかえって株のように一度大儲けしたらやめてまたやるのならいいが
分配金は一カ月に一回でありそれがたまるまで一年とか軽くかかる、その間に必ず変動がある、リスクがあるからどうしてももうからない仕組みになっていることがわかった。

ただアメリカがトランプ大統領になって景気が良くなるとかでアメリカに投資するのは今は時期だというのは本当だろう、みんな言っているからだ。
ただそのあとははわからない、八月までくらいであとはリスクが大きくなる
だから自分はその頃にやめてあとは一切投資にはかかわらない
株とか投資信託でもうかるのは証券会社と銀行だけである。
これはまちがいない、そもそもそういう仕組みになっているからだ。
むしろ株の方がリスクが大きくてももうける人はもうける
投資信託は分配金では一カ月決められた額であり多くはない、それも一年間くらいすると変動してくるからもうからない、だから結局リスクをとることの度合いが大きくなるだけである。

ただ不思議なのはもし自分が投資信託に投資しても損もしなかったとなると実はその分が銀行であれ証券会社であれ金が回っている、金は増えているのである。
それでももし自分が損してその金が回っているなら金自体は増えていないのである。
だから投資は金が増えたということでとにかく金が証券会社であれ銀行であれ回ってゆけばそこに金がたまる、それは悪いことではない、金は減っていないからである。
一方で貯金はそもそも今は全く増えないのである。減りもしないが増えないのである。
実際は利子がつかないと金は実質では目減りしている、物価が上がれば目減りしているのである。
グローバル経済というとき金が世界中を回るということである。
それは血液と同じであり金が回らなければ金も活きてこない
ただもうかるのは一般の素人は確実にもうからない、もうかるのは証券会社であり銀行だけである。

特にグローバル経済ではゴールドマンサックスとかが年収が七〇〇〇万とかなりリーマンショックでもその蓄えた金で影響がなかったといわれる。
つまり巨大なグローバルな証券会社は損することはないのである。それは銀行でも言える投資信託では手数料が大きいから稼ぎが大きいのである。
5000兆の金が世界をめくっている、まわっているというから驚きである。
そういう中に素人が一般人が参加しても小遣い程度もうけたとしてももうからない仕組みになっている
ただ投資信託でも貯金しているより金は増えたり回っているのである。
別に地方銀行でももうければ回り回って地方の経済に貢献するということもありうる
銀行員の月給も高くなるかもしれない、まず地方銀行員は月給も安いのである。

33才独身、地方銀行勤務。年収450万位です。 
総合職だから一般職よりは給料高いけど、飲み会、転勤も多くて、家賃代も出ない(実家が職場の同一勤務内にある)ので、全然貯まらない。 
散々親に金を使わせて、就職も適当に好き勝手やってきた妹が公務員と結婚する。 
真面目にやってきた人間ほど損すると気づいた時には遅すぎた。

田舎では地方銀行がエリートとか公務員と同じだとされていたが今は違うのだろう
高度成長時代とは違うからである。まず利子がつかないとかマイナス金利とか銀行も相当に苦しくなっているからである。

ただ地方銀行が投資信託などに手を出すのは信用を失うリスクがある。
それで信用組合などはしなんというのもわかる、一時は郵便局で投資信託をして損したと騒がれたからである。
そもそも投資信託はこのようにもうからない仕組みになっているのだ。
それを経験してわかったのである。人間何事痛い目にあい経験しないと本当に実感として理解できない、それが社会という生き物なのである。
どんなことしても投資信託ではいくら多額だったとしても素人ではもうからない
それはそういう仕組みになっているからである。
一時期もうけたとしても次は損することになっているのである。

タグ:投資信託
posted by 老鶯 at 12:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2016年12月03日

団塊の世代が介護難民化する深刻 (誰も負担しきれない介護の重圧)



団塊の世代が介護難民化する深刻


(誰も負担しきれない介護の重圧)


近くの自分の家で店をしていたとき良く来ていた女性が95歳で死んだ。
その人は90歳までまっすぐ立っていた。自分の母は90度に腰が曲がっていた。
腰が曲がるとき苦しんで死にたいと言っていた、相当に腰が曲がる時痛いし苦しむのである。でもその後も20年くらいか腰が曲がったまま普通に生活していたのである。

今回死んだ老人は腰が曲がることがなかった。それで89歳でこの辺が原発事故で避難したとき一緒に避難したという、その時は丈夫だった。
しかし90歳からか91歳なのか介護状態になり95歳で死んだ。

そして驚いたのはその同級の息子が脳梗塞がひどくなりやっと歩く状態だったのである。筋肉が柔らかくなり弱くなって歩けないという、それでも車をなんとか運転している
運転しないと一人暗しだから買物もできないという、今は買物できないともう生きていけない、買物できる内は弁当でも食べてなんとか生きることはできるからだ。

その人の状態を見たらこの前コンビニまで車できて這って歩いて買物していた人を思い出した。その人はヘンスに車をぶつけて事故を起こした。
その家は蔦がはい二階は住めないような状態だった。
その人も一人暮らしだった。

ともかくあんな状態で母親も介護していたのは驚いた。ただ救われたのは弟がいて隣の街から来ていた、今も来ている、自分の場合は誰も助けるものがいなかった。
ただ弱みにつけこまれて責められただけだったのである。
その弟にしろ一週間に一回しかきていないという,あの状態で自分で買物から料理までできるのかというように見た。歩くのやっとだし起き上がるのも辛いのである。
もう実際は介護状態なのである。でも誰も支えるもものがいない一人暮らしなのである。いづれは誰かが介護せざるをえない、おそらく簡単に福祉で世話する訳にはいかないから弟がめんどうみさせられるかもしれない、農協で見に来ているがもう介護状態なのであるでも介護する人がいない、何かそういう人が増えてくる

問題は団塊の世代がすでに病気とか介護状態の人が増えてくることで75歳以上になると深刻になることが憂慮されている、たいがい60以上になると何かしら病気がでてくるのである。自分も病気になったし同級でもすでに死んだり脳出血になった人もいる。
だから75歳になると急速にそういう人が増えてくる,そしてもう介護する余裕が国にも家族にもどこでもなくなっているのだ。
金でなんとかしろというけど施設に入ると20万以上かかる
隣の人は買物を頼んでいたができなくなりいわきの施設に入った。
それはそれだけの金を息子とかが出したからである。
それだけの年金とか金をもっている人は今はわずかなのである。

自分がその人を心配していたのはその人の親と自分の親が店をしていたとき良くきていたしいい人だったからである。もう一人も前に書いたが姉が認知症になったとき世話になったこの人もいい人だった。
だから死んだ三人のことを思い出すのである。
それは親の代からのつながりでありそうなった。
人間のつながりはなかなか簡単にはできない、やはり親の代からのようにつながりが今になると大事だったなと思う

地域のつながりもそいうことがあるからユニットバスでも仙台の業者には本当は頼むべきではなかった。今回はいろいろ事情がありできなかった
なぜなら畳屋がいてその人も病気になりすでに十年介護しているとかなるとその人のことを思うからである。
自分の家の畳を作ってくれた人として今になってもつながりを感じていたのである。
それは自分の家で店をしていたときのことを今思い出しているのと同じである。
そういう地域のつながりがありそれが何かこういうふうに苦しい介護とかなると隣近所で助け合うともなる

ただ実際問題として介護はこれは助けるにしても重度になったら無理である。買物手伝うにしても手間になる、だから隣の人は施設に入ったのである。
では施設に入らない人はどうなるのか?特養などとても入れないとなるとどうなるのか
結局コンビニに車で買物に来て這って歩いていた人のようになり事故を起こした人のようになる
そのあとはどうなったかしらないがもう一人では生活できないのである。
そういう恐怖が一人暮らしにはある、自分も経験しているからわかるのだ。

これはここだけの問題ではない、全国的に起きてくるしすでに起きている問題である。
介護は平均的には五年はかかる十年だってざらにいる
その重圧は大きいのである。

それを誰が負担するのか?

本当は家族でも地域でも国でも協力しないとできない問題である。でももう団塊の世代はそうなると数も多いから放置される、野垂れ死にしろとなる、そういう兆候がすでに出ているのである。
なぜこの辺で原発事故で避難区域になったところが復興できないかというと公務員でも人手たりない、公務員が激務になってやめたいともなっているしもうつづけられないとなっているからだ。若い人も流出して老人だけが取り残されているのである。
そんなところで復興はできないとなる

いづれにしろこの介護の問題は自分だけではない、みんなにふりかかってくる問題だったのである。自分は病気も直ったし元気であるがいづれどうなるかわからないから自分のことでもある。一人暮らしは本当に現代のような時代が生き地獄になる。
ただ金しか求めなない時代である。金がないなら野垂れ死にしろともなる時代である。
また金があっても介護する人が金目あてでくれば盗られてしまう、そのことが自分も経験している

ともかく団塊の世代が七五歳以上になると本当にあちらこちらで放置されて死んでゆく老人が目立って増えるかもしれない,助けようがないとなる。
車で買物に這ってゆきついには買物もできなくなり食べることもできなくなり野垂れ死にのうよになる。それがどこでも起きる、介護難民というよりもう介護できない、それだけの負担を負えない状態になっているのだ。
だからこの世代は病気になることが最大の不安になるのである。
一人暮らしは特に病気になったらどうにもならなくる恐怖かある。
それを自分は経験しているから恐怖なのである。

タグ:団塊の介護
posted by 老鶯 at 12:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 福祉医療-老人問題

栃窪から真野ダムへ(冬景色俳句)

栃窪から真野ダムへ(冬景色俳句)


matuuippom1.jpg

kuraaaaaa2345.jpg

damkoooooo12345.jpg

栃窪に松一本や冬菜かな

前畑に冬菜や蔵の二つかな

栃窪の奥や墓あり残る菊

栃窪の奥に晩菊蔵ある家

川上や巌に枯木水の音

冬の雲ダム湖に写り山の影


川上や木の葉吹き散り枯木かな巌の固くここにとどまる


栃窪で変わったことは高速道路ができてその下を通って行くことである。
この高速道路は結構この辺で影響しているのかもしれない。
まだできたばかりであり車がないからわからないが何か影響している
仙台の会社でユニットバスを作ったのは高速で近くなったからである。
東京方面などからも来やすいということはあるかもしれない。

松一本があり冬菜畑がある。網で囲っているのはイノシシとかキジに荒らされるからだろう。何か田んぼがほりおこされているのはイノシシなのだろう。
イノシシがこの辺では増えたかからである。

ひさしぶりで真野ダムへ行った、紅葉は散って枯木になっていた。
最近木枯らしが三回くらい吹いてその時散ったのだろう。
冬が早くきたというか季節感が狂った、師走だから冬ではある。
でも今日はまたあたたかった。今年は温暖の差がはげしいのである。

栃窪というとき上栃窪となると奥になり感覚的に違ってくる
田舎はいろいろな村があることで変化がある。
そういう村が限界集落とかなって消えてゆくと淋しい
ただ村でも街とつながったり隣の大きな街とつながったりしていると
限界集落にはなりにくい、車があるから買い物でもできるからである。
飯館村となると孤立して遠い感覚になるからまた違っている

真野川でも写真とっていた人がいた。前もあのダム湖で写真をとる人がいた。
あの辺は絵になる所なのである。
霊山まで行こうとしたが時間がなかった。自転車だと簡単には行けない
でもロードで若い人がすいすいと上ってゆくのはうらやましかった。
歩かないと上れないからである。
ヤハマのロードの電動自転車は馬力がなくて坂は上れなかった。
だからあまり厄にたたないということもあった。

とにかく何か最近遠くに行けないのである。何かと用がある、家を一人で切り盛りすることが以前として結構な仕事となっているのである。
仙台に行ったのも今年は一回しかなかったし旅行もしていないのである。
ほとんど近辺ですごしているのである。

タグ:冬菜

2016年12月04日

一枚の木の葉(詩) (都会と田舎の相違ー土地と密着した記憶の場が田舎)


一枚の木の葉(詩)

(都会と田舎の相違ー土地と密着した記憶の場が田舎)

555matuuu11.jpg

一枚の木の葉

この道にゆくりなく
夕べ散りにし
木の葉一枚あわれ
なれ親しみ細き道かな
五本松の二本枯れてなし
その二本の松なお我が心にあれ
その道を我が去りゆくも
我が心に一枚の木の葉残りぬ


五本松のあるところから迂回した道はいつも自転車で行っている。
六号線に五本松があるが六号線は車が多くて情緒がない、今は国道とか高速は早いのだが記憶に残る道ではない、それはただ通過してゆくだけの道である。

何度も言うが現代とは何かいろいろなことが人生でも記憶されないことが多いのである。旅でもそのことを書いた。便利すぎて記憶されなのである。
でも人生をふりかえると記憶がいかに大事になるかである。
記憶そのものが人生になる。何がきおくされたかが人生なのである。

最近一人の近くの老人が95才で死んだ。その人は自分の家で店をしてたときもまたそのあともきていた。90才のときも自分の家に来ていたのである。
そして思いだすのはやはり近くの人で世話になった老人だった。
その女性のことは前も書いた。
自分の母親とその二人の女性はいつも自分の家に来ていたのである。
その三人とも死んだ。でも何かその三人がここにいるような気がする
記憶としてその三人が一緒にいたことが残っている

それは相馬市の道の駅にある五本松ともにている、いつも五本松はあった。
しかし二本は枯れて切られた、でも以前として記憶の中に二本の松はある。
人間も何かこの五本松とにているのだ。
あるところに長くいるとそれが奥深い心の中で記憶となり定着するのである。

一方で都会などではただ騒々しく記憶に遺りにくいのである。
だから原発事故で避難した人たちはそういう故郷で住んだ記憶が奪われたことが意外と深刻なのである。新しい場所でまた記憶を作ることはむずかしいからである。
こういう精神的損害が大きかったことは意外と外から見てわからないのである。
それは補償金でも補いえない損失だったのである。
あれだけ補償金もらったんだからかえって得だったという人も外からは見える
でもそれは金で補えないものだった。
だからといって補償金問題はまた別な問題としてある。

とにかく故郷とか田舎は人生を記憶される場所だったのである。

仕事,職;役目;地位,身分;((one's 〜))立場
get a place in a law firm
法律事務所に就職する

fall into placeとは

正しい場所に収まる、うまく収まる、つじつまが合う、ぴったりする

in placeとは

決まった場所に、適当で、適切で

当然あるべき所に(←→out of place)
I found everything in place.

すべての物があるべきところにあった

the placed memory

the pressed memory

the impressed memory

となる




placeはまたpressと通じている、刻印するとかとなり記憶するともなる
場所があり記憶される所が故郷であり田舎なのである。
それは自然の事物でもそうであり人間もそうである。
三人の老女が死んでその三人が石のようにもなる
そういう記憶された場所が故郷であり田舎なのである。
それは都会では得られないことなのである。
それよりそうして作られた記憶はもう一度作り得ようがないのである。
だから老人は記憶に生きているのである。

遂に認知症になと千回も昔のことを語りつづける、今は記憶されないで過去の記憶にまさに生きている、生きたとはその記憶のことだからである。
戦争で苦しんだことを延々と語りつづけて死んだのはそのことが人生でもあったとなる
それは別に田舎のことではないシンガポールとか戦地のことだったがそれがいつまでも記憶として残って忘れられなかったのである。
だから人生とは何が記憶して残されるるかが大事になる
若いときの不品行も記憶として残されるし消えないから怖いのである。
例え別に警察につかまるとかつかまらないとかではない、その心に刻印されるから怖いのである。

タグ:木の葉の詩

2016年12月05日

デンデラ野の現代的意味 (そこが不幸だったのかどうかわからない)


デンデラ野の現代的意味


(そこが不幸だったのかどうかわからない)


「六十を超えたる老人はすべてこの蓮台野に追い遣るの習ありき」。つまり、口減らしのため高齢者を追放した場所だった。「いたずらに死んで了うこともならぬ故に、日中は里へ下り農作して口を糊したり」。お年寄りたちは身を寄せ合い、わずかな耕地で自給自足しながら死期を待ったのだ。

デンデラ野といいうときなぜかうば捨て山のイメージになる。
ただこれも昔のことになると常に誤解が生じる、現代からイメージするからそうなる。
飽食の時代に昔のことがイメージできなくなる、食料も満足に得られない時代に、口減らしは別に間引きとか生れる子供にも行われていた。
食料が限られていればそうならざるをえない。だからそれが残酷だとはならない
そうする方でもぎりぎりでそうなっているからである。

ここでの老人はそういう生活が厳しいためにそうなったのでありそれが子供が残酷だとはならない、それをわきまえてそういう風習が自然と生れたのである。
ではこのことが全く不幸であり残酷だったのかというと現代からイメージするからそうなる
現代の延命治療の方が残酷だともみる、生き地獄を経験させられているからだ。
豊かさの中でかえって人は地獄を経験する、そういうことも人間社会にはある
だから常に人の幸不幸は計れないのである。

お年寄りたちは身を寄せ合い、わずかな耕地で自給自足しながら死期を待ったのだ

こういうことができたのはそういう共同体の中で暮らしていたからである。
日々暮らしをともにしたから自然と最後も仲間と一緒に暮らしたのである。
そうした人のつながりは簡単にはできない
農家が三代で農家と認められるというときそれだけの時間がかかって仲間としで受け入れられるということである。
自分の家のことでも二代目にしろ店をやっていたとき良くきていた人が大正生れの人が自分の母親をふくめ三人死んだ。その親の代からの人のつながりが生れる
ただこれもみんながうまくいくとはならない、人にもいろいろいるからだ。
ただ人のつながりは一代くらいではなかなかできないということもある
街内は農家と違って代々住んでいる人は少ないから余計にそうなる

このことで示唆しているのは老人自体が何を思ったかというと
子供たちに迷惑をかけてはいけないということがあった。
それは生活が厳しいからそうなった。食い扶持を確保できないから自ら自給自足しようとしていた。子供たちに頼らないようにして最後を迎えようとしていたのである。
これを現代と比べるといかに今は老人があらゆる面で医療であり介護であり若い世代に負担させているので老人は早く死ねと若い人たちに言われるのである。
それはまた現代が豊かになっここともあるがそれでも若い世代の負担に老人がなっている

でんでら野では医療も介護サービスもなにもない、食料さえ援助がない、自分たちでまかない仲間とともにあって死期を迎えたとなる
ただそれが不幸かとなるとまたわからない、そこには仲間がいたということが慰めになるそういうことができたのはその村での暮らしの継続がありできたのである。
だから都会から老人を田舎に移すということを批判する人がいるものわかる。
全然知らない老人が田舎に押し寄せてもとまどうし第一それだけの世話する人材もいないのである。
田舎に都会の老人をまかせる、捨てるともなるのかとなる。でもその人たちはもともと田舎に暮らしをともにした人たちではないのである。
だからこれも何か不自然でありやっかいものを田舎にまかせて捨てるという感覚になる
これはいくら都会の人たちが金があってもやってくれるわけではないのである。

何か原発事故でも補償金でもめたけどなぜ船主などが漁業権などを東電に売り渡して多額の補償金を事故前も事故後もさらに手厚くもら立派な家を建てていることに回りのものが不満になる、避難区域の人たちもいわきではいやがらせまでになった。
それは世の中なんでもすべて金になっても金では解決できないからそうなっている
まず人間のつながりは時間がかかり一代だけではできないとかなる
デンデラ野でともに老人が身を寄せないとか助け合い暮らしたのはそういう暮らしの継続としてあったからできた

ともかく何か老人問題というとき人間は結婚して子供をもち家族をもつ、ところが子育ても終わり夫婦だけになるとか夫婦でも夫が妻が死ぬと一人になる
自分も親が死んで一人になりまた切実に一人暮らしで求めているのは実はまた新しい共同なのである。
家族がいないということはそれに代わるものを求めることになる
それが村とかの共同体にはあったが現代ではないからそこに孤独死とかの問題が起きる
デンデラ野では医療も介護もないが仲間がいて看取るということがあった。
孤独死はなかったともなる、だから時代によって幸不幸はわからないのである。
そしてなぜ葛尾村とかではあんな不便な所なのに帰るという人が多いという。
そこはやはり飯館村と同じように人とのつながりが濃いからかもしれない、小高は別に放射線量など高くないのに帰る人が少ないというのはなぜなのか?
人とのつながりがそれほどなかったからなのか?何かこれも考えさせられる

意外と老人とか一人暮らしでもそうだが金も大事だが人とのつながりが大事になる。
なんか夫婦でいて妻が死んで何か事件を起こした老人がいた。
ゴミ屋敷とか猫屋敷とかなるのも一人暮らしもそうである。
何か一人暮らしには問題が起きやすいのである。
一人暮らしというのは親が死んでわかったが何か新たな共同性を求めるのである。
それは家族でもない、夫婦でもない、つまりデンデラ野のように老人だけが集まりそこでともに暮らすというのは今は老人ホームになっているがそれとにている
そこが家族ではないにしろそういう機能をもっているし期待されている
デンデラ野というとき何か今からするとマイナスイメージになるが現代にも通じるものがある。
ただ老人ホームとかのその形態が変わったのである。何でも今あったことは昔もあった。ただ形態とかが変わっただけなのである。
老人ホームで若い人の世話になることは何か本当は後ろめたいこことなのかもしれない
デンデラ野では生活条件の厳しさからそうさせられたがそれが現代でも何か老人問題で示唆するものがある。
だから何でも現代的な問題でも歴史的に考察する必要がある
人間そのものは変わらないということがあるからだ。

タグ:デンデラ野
posted by 老鶯 at 11:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 福祉医療-老人問題

2016年12月06日

森は一つの命(one rolling life)(詩) (自然から離れた文明が文化を喪失させ非人間化した)


森は一つの命(one rolling life)(詩)

(自然から離れた文明が文化を喪失させ非人間化した)

mokuzaiii111.jpg

muramuraaa1.jpg

 村々にもその土地に根付いて個性がある。


雨の日も
風の日も
雪の日も
寒き日も
暑き日も
森の樹々は
深い沈黙に
物言わず立っていた
静かに日のさして
森は神殿となり
静かに日のさして
ゴシックの大聖堂となる
大地に根付いてその長き日
命をともにした樹々
一本の樹々は老いて
遂に森に倒れふしぬ
その時もの言わずとも
そこに長くあった樹々は
その樹を見守っていた
その樹はしばらくは
森に倒れ木としてあった
命はまだ朽ちないように
やがてその樹は再び
森の栄養分となり
その土に還る
その時すでに新しい芽が
その森に芽生えている
森は一つの命
めぐる命
めぐみはめぐる
雨の日も
風の日も
雪の日も
寒き日も
森に静かに共に絶えて立つ

the silenced trees
stately trees
solomn trees

one by one

deep rooted ones
in the earth


treeeeeeendeadend.jpg

文化というときそもそも国が民族が文化共同体なのである。歴史のある国はみなそうである。ただアメリカのような国は文化共同体が形成されない、歴史が浅いからである。
そのアイディンティティが形成されていない、だから国自体が意外と脆弱であり分裂の危機もありうる。英語すら今も通じないという社会になっているからである。
どこの国でもその国の言葉をもっているというときまさにそれが文化共同体の基盤なのである。
文化共同体とまた政治共同体経済共同体は別な面がある。
グローバル経済というときこれは文化とは関係なく世界を結ぶということで問題が起きたモノ、ヒトを自由に流通させるということだがそれはそれぞれの育んだ文化を無視するものだったのである。

グローバル経済がどこから生れたかというとマルクス主義も資本主義も同根だというとき文化を無視するからそうなる、中国の文化革命が文化革命ではなく過去の歴史的遺産を破壊したのはなぜか?共産主義もグローバル経済なのである。
なぜなら理念国家であり過去の文化を無視する、世界のプロレタリア-トを団結せよというときそこに民族というのはないからである。
だから共産主義もそれぞれの文化を破壊するのである。
そこで人間を規定するものは民族とかが育んだ文化ではないからだ。

グローバル経済は技術の進歩で空間の障壁が克服されたからである。航空機で世界中を行けるということもそうである。
でもその空間にしてもそこに実際は文化という問題が生れる
なぜ文化とか歴史が簡単に空間を越えて旅してもりかいしにくいのか?
それは文化がその土地と一体となって時間の中で形成されたからである。
ヨーロッパでもローマ帝国時代から二千年とか歴史があり文化が形成されてきた。
それをちょっと旅したくらいではわかりえようがないのである。

では全く文化というのが理解できないのかというとそうでもない、文化とはその土地から自然から生れものでありその自然ということで共通性がある。
もちろん宗教となると一神教は自然と関係ないとかいうがこれも砂漠という自然を通じて会得した宗教となると関係している
つまり自然は都会から生れない、神道でも仏教でもイスラム教でもキリスト教でも自然をベースにして生れたものなのである。
だから現代は何か宗教というと都会化して政治化して経済化して科学化さえしている
そういう宗教もある。自然から離れたものでありそれがすべてカルト化しているのであるそれは政治化した経済的価値のみを追求する本来の宗教とはにてもにつかないものなのである。その文明化した都会の宗教だからそうなったのである。

だから山岳宗教などが何か迷信的だとか非科学的だとかされるが自然と通じて力を得るというときやはり宗教の伝統を受け継いでいる、今の宗教は自然から離れた宗教である。
政治と経済のことしかないのである。創価はその極端化したものだがあらゆる宗教が本来の宗教ではない、政治化した経済化した大衆宗教である。
だから平安仏教も貴族の仏教だとか批判されるが文化を創造したし鎌倉仏教も文化を創造した。現代の自然から離れたカルト仏教からは文化は創造されないのである。

それはヨーロッパでもそうである。ゴシック建築の石の大聖堂はゲルマンのドイツの森を型どったものであり荘厳なものである。それは森というのがその時ドイツの大地をおおっていたからできたのである。ドイツの自然から形成されたものなのである。
ドイツの大地から形成された文化というとき音楽もそうである。
ドイツの森が何かそうした精神性を与えたのである。

現代文明はあらゆるものが自然から乖離した。その時起こったことは人間の非人間化である。人間も生物の一種であるとき自然と離れてはその生命もないのである。
でも東京などを見ればわかるようにそこに自然はない、人工的機械的空間となっている
自分が詩にしたような森などもない、高層ビルを見上げてただ人間が蟻のように這いずり回っているだけである。
そういう文明人間はデンデラ野のことで指摘したように人間が最後チューブに人間とされ延命治療で地獄を作り出している、それも文明という非人間化だったのである。
それならデンデラ野の方が何か人間的だとみる、それは自然村として人間の自然な在り方があったということにもなる

そして森が一つの命というときそこには生命の循環がある。人工的都会の空間にはそういうものはない、一つの機械の部品のように生は終えるのである。
人間の生の充実はそもそも自然を離れてはありえない、国でも自然国家として生れた。
なぜならヤマトというとき山の戸口の意味でありそこは神聖な場所であり山を御神体とする宗教が日本にあったからである。つまり自然信仰が最初にあり国が形成されたともなるのである。

いづれにしろグローバル経済は空間の障壁が技術的進歩で克服できたが以前として文化の障壁は簡単に克服できない、それは時間軸で成り立っているからである。
そういう時間軸で形成された文化が消失するとき非人間化されるのである。
空間でもその空間を文化として体現するのは容易ではない、確かに電車であれ車であれ空間を猛スピードでつきぬけてゆくことはできる
でもその中で生の充実は得られない、今の旅はただ空間を移動しているだけである。
とても芭蕉のうような俳句が生れえようがないのである。新幹線で二時間でちょっとで平泉についたというときその間の時間軸で形成された文化ははぶかれているのである。


周防(すは)なる磐国山(いはくにやま)を越えむ日は手向(たむけ)よくせよ荒(あら)しその道

右の一首は、小典山口忌寸若麿(せうてんやまぐちのいみきわかまろ)

畏怖すべき境界である。旅人の通過を妨げる荒ぶる神の説話は風土記に多くみられる。そして、そのような場所そのものが「たむけ」と言われ、後に「たふげ(峠)」に転じたと考えられている(『代匠記』

空間でもこうして何か文化的なものとしてとらえていたのである。つまり技術の進歩はそういう文化的なものを常に無視するのである。
森が循環する一つの命だというときそれも無視される、放射性物質は毒となりプルトニウムだと二万年消えないとか循環しない物質なのである。
文明とは技(わざ)が災い(わざわい)となってきたのはプロメテウスが神から火を盗んだときからはじまっていたのである。
だから何かソーラパネルでも風力発電でも結局自然破壊することはトータルで同じだという、シリコンとか何かソーラーパネルの材料は廃棄すると毒になる
森のように一つの命として循環しないのである。
人間の共同性とかでも自然から作られる共同性が今はない、そこで不自然となり非人間化してゆく、だからこれからの問題は政治経済ではなくその国々の地域地域の自然を見直して共生して文化の再創造を志向することである。
地域地域というとき地域の中にも地域がある、村がその最小単位だった。
村々にもその地域に根ざして個性があったのである。
そういうもの自然共同体から生れた村々を都会からは限界集落として効率が悪いから消失しろとなる、それもインフラなどに膨大な金が今はかかるからそれが税負担となるからそういわれるのである

いづれにしろ矛盾なのは田舎には東京で原発を作らせまた東京の老人を介護のために田舎に移住させるとか何かそういうのも非人間的になるのは文明のためなのである。
もちろん田舎でも文明の恩恵は受けている、ただいろいろ原発事故であれ限界集落であれ老人問題であれグローバル経済でもそうしたものの矛盾が限界に達している
それで世界でもグローバル経済に反対するとかで変わりつつある。
それは人間の非自然化が非人間化になってるからである。


タグ:森の詩

2016年12月07日

アメリカの国の成り立ち (トランプがメキシコに壁を作るは万里長城とにている)


アメリカの国の成り立ち

(トランプがメキシコに壁を作るは万里長城とにている)


牧場経営というのは 
治外法権の行使なんだよ 

移動保安官がいつ来るか分からないから 
俺たちが法律だ!みたいな意識が醸成される 

理性よりも恐怖が支配的なのが北部13州 


アメリカというとき国の成り立ちが他の国とはまるで違う、なぜ未だに銃にこだわり個々人が銃をもっているのか?
それがその国の成り立ちでそうなっている。
それは西部劇にあるようにアリリカは「荒野のガンマン」だったのである。
荒寥とした西部の広大な土地に牧場をもつとしてもそこには守る人がいない
それで良く西部劇で保安官がいてもそれだけでは守り得ないから住民が一体となって敵と戦うのである。そこには守る警察組織もなかったのである。
それで広大な牧場をもっていても自営するほかない
そしてそこに入ってくるのは見知らぬ人であり常に警戒していなければならない、常に銃を携帯して油断できない、これがアメリカ人のアイディンティティを作っている
日本だったら相当に古い時代から村があり何かそこで守られているものがあり治外法権の場がほとんどなかったろう。
侍は確かに刀をもっていたとしてもそれは一部であり全員ではなかった。
アメリカでは全員が銃をもっていないと暮らしていけない社会だった。
こういう社会に生きることは絶えず恐怖の中に生きていることになる
そして移民社会であり見知らぬ人が絶えず移民として流入してくればその人たちも信用できない敵と化しやすいのである。

そしてなぜメキシコ国境に移民が入らないようにするため壁を築くというトランプの主張がでてきたのか?
それはメキシコから流入する労働者が増大してアメリカの白人のアイディンティティとかが破壊される、オハイオの女性はメキシコ人と接してすスペイン語をしゃべるのに苦慮しているという。英語も通じない人たちが膨大に流入してきている
何か人間の共同の核として言葉がある。その言葉が通じないとなると意志疎通が困難になる。そこに誤解が生まれ争いになりやすい。
国はやはり日本でもどこでもそうだが建国した指導的階層が最初はいる。
それは別に階級制として支配したとかならない、そういうエリートがいないから国も作れないしありえないからだ。
だからアメリカの最初の建国者は英国系であり英語を話す人たちだったとなる。
そういうもともとの開拓者として入ってきた白人が今やメキシコから入ってくるヒスパニックの人たちに浸食されてゆく

だからトランプがメキシコに壁を作るというときそういう危機感が生まれたからである。中国でも古い時代から万里長城を築いたように絶えず異民族の侵入になやまされてきたからこそである。
それは地理的に陸続きだということが大きな影響をもたらした。
それがアメリカで今起きているのである。
最大の課題は陸続きのメキシコとか南米諸国との関係でありそこにアメリカのエネルギーはこれからそそがれてゆくからそういう時代だからトランプが生まれた必然性がある

メキシコ人の帰化率はすべての移民集団のなかで最も低い、ハンティトンは国家は「記憶された共同体」だと延べている、メキシコ系アメリカ人はアメリカの人口の12・5パーセントをしめその大部分が南西部のメキシコに隣接する地域に集中している
彼らはアメリカ史上はじめて国民の歴史的記憶を修正しつつある。
「地政学の逆襲ーロバート、D・カブラン)

個々人でも人間が最後は記憶になる。記憶されたことが人生なのである。それは国とか民族になっても同じである。過去の記憶を共有することが共同体でありそれが国家であり民族である。日本人だったら二千年の歴史があり記憶を共有している共同体だとなる。
それは最近近くで死んだ三人の大正生まれの女性のことをうを語った。
自分の母親もいて三人はいつも自分の店にきたりしていたのである。
それで最近同級の息子が残されて供養に行った。そこに記憶を共有するものとしての連帯を感じたのである。
つまり村というものも一代ではなりたたない、何代も積み重ねてきた歴史がある
そういう共同性が失われたとき、原発事故のようにその土地に住めなくなったときどうなるのか?それはアイディンティティの喪失になり精神的に意外と深刻なのである。

例えばシリアとかでも難民化して他国に移住するときそこでアイディンティティをもつことは時間がかかる、第一もうそういうアイディンティティをもつことを拒否してイスラム社会のアイディンティティにこだわりその国の歴史を無視する
それは今アメリカのメキシコ人がそうなっているからアメリカでは万里長城を築くとトランプが言っているのだ

地政学的な見方としてはアメリカは有利だった、陸続きではない、島国のようになっていて陸続きの中国とか他の国とは違い対立をまねがれていたのである。
現実にロシアがあるとしてヨーロッパは陸続きなるが故に古来から異民族の侵入になやまされてきたのである。その継続としてロシアがある。
そういう地政学的なものからは人間は逃れられない宿命になっているのだ。
人間はものを考えるときでも自分の住んでいる場所がそこが田舎であっても中心として考えるのである。
福島県でも会津と中通りと浜通りとあるとき会津は会津一国として昔からあっり考える
歴史を理解するのには地理の理解が欠かせないのである。
だからあらゆる学問の基礎に地理がある。それで地歴となったのである。

自分が日本はくまなく旅したが外国はしたのはしたがとても外国となると地球となると広すぎるからできなかった。地球を知るとなるとこれは時間がかかる、とても百年くらい生きてもわんかりえようがないのである。
川を知らないと外国は理解できないと書いたがまさにそれが地理だからである。
アメリカは地理的に有利な立場に今まではあった。
陸続きで他国からの侵入がないということである。それが今メキシコからの移民で苦しんでいる、それは陸続きの大国が歴史的に経験してきたことである。
それが万里長城を作ったからである。その歴史の再来がトランプの壁を作るということであり歴史はくりかえすということにもなる
posted by 老鶯 at 09:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2016年12月08日

年の瀬、短歌十首(死者を偲ぶ街)


年の瀬、短歌十首(死者を偲ぶ街)

yokouuuuu111.jpg


leaveeeessss123_FotoSketcher.jpg

tubakiiiiiiiitt1.jpg




母死して一年すぎむ冬の陽の没りて余光や田舎の暮れぬ

その一生忙しく終ゆ師走にそ死ぬはふさわし母なりしかな

我が姉と母とのここに安らかにあれと祈りつ年の終えなむ

我が庭にねじこむ石に広き葉の散りて重なる今日も来る女

この家の庭に石置き冬となり椿の映えて我が日々通る

年の瀬に老人一人また死にぬこの街に生きし女やしのびけるかな

街中に死者は眠りぬこの道を今日も行きにつ年も暮れなむ

駅により誰かよりなむ淋しきや冬の薔薇咲く田舎町かな

駅前の自転車やかな営みのここにつづきて冬に入るかな

美しきわたりの鴨や来たりけり冬の鴎も飛び来る街

夜の霧深くもおおい街の灯や芒のしげりともしきかな


何か母が死んで一周忌が12日だけど不思議な感じになる、姉と母とは60年間も一緒にいただから二人が死んだということが自分にとってどういうことなのかまだわからない
死者が何なのかということはこうして親しい人が死んでみないと実感としてわからない
最近やはり近くで自分の親のような親しかった女性が死んだ、するとそれも何か身近に感じた。
死者とは全く骨となり灰となり何もなくなるのか?
現実は物理的物質的には科学的にみればそうである。唯物論的にはそうなる。

でも死者はやはり存在し続けるという感覚をもつのも人間は単なる物質的な存在ではないからである。そうでなければ死者をいつまでも偲んだり墓参りしたりしないからである。その体は消えてもなにか霊魂なのかなにかわからないが残っていると感じる
その死者を過剰に思いよせたことにより日本の仏教があった。
死者の供養のための仏教と化したのである。仏教はシャカの教えは死者にそんなに重きを置かないからである。
死者を通じての共同性として檀家が生まれたのである。
それはそれなりの村の共同性だった。
ただ戒名であれそれは仏教とは何の関係もない、別にそんなことで救われることも成仏することもない、それは日本的習性となっただけである。

ただ死者を偲ぶということはやはり死者とのつながりを持続させることであるから悪いことではない、国家が「記憶の共同体」だというときまさにそれは故郷というときそういうものがありもともとは村とかから国になった。おくにはどこですかというとき国はもともと小さな村のようなものだったからである。
そこに記憶の共同体としてあったのである。
それを感じたのは自分の家族が死んだことと近くの人が死んだことで感じたのである。

そして墓はすぐ近くにあり毎日墓の前う通っているから自分の場合は死者と親しいともなる、田舎というとき死者が眠るにふさわしい、都会だと騒々しいし死者も安らかに眠れないともなる、人間の感覚はやはり小さい狭い範囲だと理屈なしで一体化する
一万くらいの街だと何もないが何かそこは人間的な場所になる

自分は介護になってから10年間この近辺を行ったり来たりしているだけになったのであるそれでも見るべきものがある、田舎には季節の変化がある、都会では季節の変化が感じにくいのである。
社会を知るというとき小さな世界、田舎のようなところで考えるとわかりやすくなる
東京のような所ではもう混沌として何も考えこともできなくなる、人間はそこで主体性を喪失する、巨大な大都会の歯車と化してしまうのである。
そこでは死者を偲ぶということもしにくい、常に騒々しい今しかない、死者はそこで忘れられるのである。
だから死者を偲ぶのには田舎いいなと思った。
でも死者を偲ぶにしてもその街で生きていたということがなければ死者となっても偲ばれないともなる
それで東京から介護のために移住させるのは何か不自然であり田舎の人も抵抗がある
それは金では解決しない、何でもすべて金では解決しないのである。

原発事故で避難させられた人たちがそうした自分のアイディンティティの場所から切り離されたことが意外と大きな痛手だったことが外から見てわかりにくい
なぜなら墓も先祖も精神的に以前として結ばれていた場所だったのである。
そういう場所を新たに作ることは老人ならできないからである。
そこで小高の老婆は小さな家を新しく建てて住むというのもわかるのである。

自分の家の庭の石はねじこむ石となる、一人の年配の女性が何かとねじこんで入りこんだとなる、その女性は毎日来ている、仕事は5分くらいでありただ毎日来ているというだけである。それでも誰も来ないよりはいいとなる
何か一人になるとこれもまた新たな経験であり心境になる、なんか一人暮らしというのは今まで経験しないことだった。
介護でも母がいたのだから一人ではなかった。だから淋しいということもなかった。
家にはやはり以前として家族がいるという感じだったのである。
それで妻を亡くした人がしきりに介護する人でも家にいればいいと言うのもある程度はわかった。
がらんとした大きな家にいるのが何か不自然であり淋しいとなるからだ。


補足

俳句と短歌ではやはり短歌は生き延びるが俳句はむすかしいかもしれない、俳句はあまりにも短すぎるのである。
でも俳句でつちかった季語は日本の文化から消えることはない、
今回も本当は冬椿とか冬薔薇というとき短歌にすると冬の椿になり冬の薔薇になる。
俳句の方が簡潔に表現できる。でも何か表現しきれないものが俳句にでてきているから俳句はだんだん消失するかもしれない

石の庭ここ日々通り冬椿

この家の庭に石置き冬となり椿の映えて我が日々通る

これは同じものでも俳句になると簡潔になるのである。
つまり季語が冬椿がひきしめる役割を果す、冬椿からイメージするものがすでにできあがっているからである。

the setting stone

in the garden

red camellia japonica

そこはa stone ではなく新しい家でもthe stoneになっている、要するに家とに我があると定着するという感じになる、アパートとか復興住宅でも庭がないと定着するという感じを受けない、復興団地でもそうである。
おそらく家と庭があると大地に根付いたという感覚になるからかもしれない。




2016年12月09日

飯館村考(高倉から長泥、比曽への道) 江戸時代から原発事故までの考察)


飯館村考(高倉から長泥、比曽への道)


江戸時代から原発事故までの考察)

hisomap1111.jpg

kusanomappp111.jpg

●江戸時代の飯館村

飯館村というとき歴史がそれなりに古い、大きな杉木立の居久根があり氏神を祭る社があり中に古い鉦が下がっていて延享2の年号と先祖の菅野伝左衛門の銘がありました。

1747延享 
1750寛延 
        1751宝暦 
1764明和 
1772安永 
1781天明 

1747延享 から歴史が始まるから古い、比曽はヒソであり焼き畑に入った場所である。佐須もそうである。なぜなら草野が中心部でありそこからまた離れている山中にあるからだ。佐須もそうである。地名というのは何か人間の営みと自然と関係して命名され残されている。
ただこれは何か地図を見てもわからないのだ。飯館村自体が本当に広いから地理をわかるのは容易ではない、それは狭い地域でもそうなのである。

飯館村は中心部の草野と飯樋(いいとい)とその周辺部から構成される
草野は臼石とか二枚橋とかも含まれる、館東とか地名があるのももともと大館と飯樋が明治以降合併して飯館村になった。
草野は最初は伊達氏に半分くらい属していた。飯館で何か伊達と争いがあった。
戦山(いくさやま)とかあるのはそのこととかんけいしているかもしれない

大倉は鎌倉から来た南相馬市の鹿島区の岩松氏が大倉を所領としていた。館とつく地名は中世の江戸時代の前の館でありそこが城の役目を果たしていた。
だから館、楯とつく地名がある所は古いのである。
南相馬市だと今の市街を形成した原町の市街は雲雀が原の野馬土手があったところで原っぱだったのである。あそこが中心部ではない、その周辺の深野とかその他が古い場所である。
郷土史というとき村の新旧とか時代を知ることがまず第一なのである。その市町村でどこが一番古い場所かである。
飯館村の場合は草野になる、なぜならそこは上田が多かった、いい田が多かった。
飯館村というと山が多いから山だけのように見えるが広い平地もありそこに田が作られ米がとれた。一番とれたのは草野地域でありそれでそこに人が一番多く住み中心地になった

次ぎに飯樋が飯館村の二番目に人口が多く集中したところである。江戸時代には塩の道の番所があり60人もの役人が勤めていた。そしてそこで伊達藩と相馬藩が森林資源をめぐって争いがあった。玉野では伊達藩と米沢藩と相馬藩が三つ巴で森林資源を争ったことは有名である。飯館村は伊達藩と争う境界であり境目付とか横目付とかが多いのである。
江戸時代でも村と村は自給自足体制で合同しないから境畑とか境がつけば何か村と村の境だった。
飯館村はそうした境の土地だから比曽でも川俣の山木屋に近くそうした争いが生まれる土地だった。山木屋となると三春藩の領域とも接する、山木屋から三春へ自転車で行ったことがあり三春に通じているのである。
ただ飯館村は広いからふりかえってもその地理がわからなくなっている
大倉から佐須から霊山の道はわかりやすいが比曽はわかりにくいし頭の中で位置が混乱している。
高の倉ダムから道なき道というか森の中をゆく道がある。高の倉の奥に行ったら長泥であり通行止めになっていた。長泥は放射線量が高く住めない地域になっていた。
すると高の倉も放射線量は高かったとなる、国見山で7マイクロシーベルとあったからだ

●明治以降の比曽からも原町に通じていたトロッコ(森林鉄道)

明治以降の飯館村の歴史は今に通じる、やはり木材資源や石材や資源がある村としてあった。もともとは自給自足体制経済である。だから交通として馬を利用していたがその飼料となるのは草でも山から供給できた。今なら車でもガソリンが必要になる
馬が足となっていた時代は長い、だから馬頭観音の碑が今でもいたるところにある。
それは明治以降のものであり大正時代以降も多いのである。江戸時代はかえってまれなのである。馬車屋があったように運搬はもっはら馬だったのである。
つまり馬は野馬追いのように軍馬ではなく運搬用とか耕作用として使われていたのである
それが変わったのはトロッコが森林鉄道ができたときからである。この森林鉄道は網の目のように全国にめぐらされていたのだ。例えば浪江の高瀬川そいの岩をくりぬいて葛尾村の落合まで通じていた。それだけ木材の需要とか石材の需要があったためである。
それは原ノ町機関区から蒸気機関車で東京に運ばれたのである。
常磐炭鉱だと石炭がエネルギーとして運ばれた、それから森林でおおわほれているから飯館村は炭焼きをした人は金持ちになり羨まれたとかある。
街でも炭で煮炊きしたり暖をとっていた、自分の家でも囲炉裏があったのである。
すると炭の需要が大きいから山村でも生活できていたのである。
それで大倉の老婆が「わたしは相馬の女学校に行っていたんです、鹿島の親戚の家から鉄道で通っていたんです」と言っていた。
相馬の女学校というとき入れる人は相当な金持ちでありほんのわずかしかいなかった。
たいがい尋常小学校くらいである。自分の姉は頭が良かったから女学校に入りたかったができずに看護婦の免許を東京でとった。看護婦もその頃簡単になれない、東京まで行って試験を受けねばならなかったのである。
まず相馬の女学校出たというだけでこの辺では大学を出たという感じになるお嬢様になるその大倉の老婆はそんな感じは全くなくなっていた。
ただ当時山だと金持ちがいた、山持ちは金持ちになっていたのは木材が利用されていたからである。

いづれにしろこのトロッコはいたるところにあり目だっていたのである。
それで何か自分の姉が葛尾村の親戚に行くとき歩いて行ったことを何度も話していた。
そこでもしきりにトロッコのことを語っていたのである。
そのトロッコで面白いのは高の倉に鉱山があり石炭を掘っていた、比曽の人が働きにそこに行った、
芥川の小説にも「トロッコ」という題の小説を書いている、トロッコはどこにでもありなじみがあった。石炭を掘り出してもトロッコで積み出していたからである。

塵労じんろうに疲れた彼の前には今でもやはりその時のように、薄暗い藪や坂のある路が、細細と一すじ断続している。…………

まさにそのトロッコの道は細々と残されている、その森林鉄道をたどって探すマニアがいる。この時トロッコは坂は馬でひっぱった。原町までは坂道が多いから下るのは楽だったそして街にでて買ったのは米だったという、だから米には不自由しなかったという。
それは闇米で帰りは藁に隠して運んだ、馬にひっぱらせて上って行った。
まだ馬はかなり使われていたのである。森林鉄道というときトロッコであり人力だったのである。
ここで興味深いのは飯館村が米がとれていても比曽とか長泥となるととれるのはわずかでありその米は原町から運んだものだのであった。
要するにあのような山中の村でもなぜ生活がなりたつかというと外との交流があったからである。一見孤立して自給自足に見えても確かに水とか炭とか木材とかで自給していたが塩の道があったように外部との交流なしでは山村でも暮らせないのであるる。
自給自足の村だったというとき基本的なものはそうだが全部はそうではなかった。
その辺が誤解しやすいのである。

うちの母は腸捻転で亡くなったけど亡くなるとき「おなかが痛い痛い」と言ってトロ(トロッコ)にのせて原町に下って各医者を回ったけど手遅れでトロに乗って帰ってきた。その時は死んでいた。
(もどれない故郷ー長泥)

こういう話は全国にあったろう。辺鄙なところでは病気は死につなかる。、北海道の雄冬という地域でもおんぶして子供を連れてゆくうちに死んでいたとか不便な場所はそうなりやすい。救急車もない時代だったのである。
電話一本で救急車が来るということかいかに便利であり助かることか今になるとそのありがたみを感じないのである。人間はそうした過去の苦しみを忘れるのである。
ここでは原紡で働いていたことも書いてある。その時原町紡織は軍需工場になっていた。自分の母親が働いていたときは糸取りであり絹織物を作っていた。
パラシュートとか帆布とか軍服を作っていた。
原紡というときこの辺の中心的役割を果たした工場だった。

今になると飯館村が原発事故で住めなくなったというときやはり原発で働いていた人もいたし山中でも山菜だけをとって暮らしていたわけではないのである。
大内村でも原発から近いから三分の一が原発で働いていたから成り立っていたのである。そこが何か誤解しやすい、今は木材でも国内のものを使わないから何か山村と街とか都会とのつながりを感じなくなっているのである。
そうなると山村はなんであるんだ、都会の人が税金をはらい馬鹿高いインフラを維持しなくてはならないとなり不満になる。
別に炭をエネルギーとしていれば山の清水で水道も使わないし最低限の生活は維持できるそれが今のように何でも電気になれば車でも一人一台もつとなればガソリンも必要になる飯館村だってとても金がないと生活できないのである。
まず飯館村だったら自分は住めない、車がないから住めないのである。買い物すら車がなかったらできないからである。

最近自分はユニットバスを作ってもらったけどこれも水の使う量が増えたりガスも使う量が増えたりやはりエネルギーを多く消費するようになる、でも風呂であたたまってあとは眠れるからいいし運動したあともあたためるといいとなり一旦こういう便利なものを使うとやめられなくなる、車でもそうである。

●飯館村の贅沢は一軒一軒の家が森につつまれていた

ただ自分の場合、別に飯館村に行ったとしても原発事故前はその生活のことを考えなかった。自分が飯館村と一番親しい場所は大倉から入った人も住んでいない森となっていた地域である。そこには森に隠され清流が流れていたのである。
あそこは人の手が入らない神秘的な場所だったのである。そこには大石があり春にはキクザキイチゲが残る雪のように咲いていたのである。
そこが自分にとって一番印象的な場所だったのである。
それから高の倉ダムから長泥や比曽に出る場所も長い森の道で暗い、夏でもそこは影なして涼しいとなる。そういう場所があることが何か心に安らぎを与える
それをイメージするとき心の中にやはりその奥深い森の影が反映されるのである。

飯館村の一番の特徴は何かというとき、何か目だったものがないのだが深い森の村だったとなる。そして一軒一軒が森の中につつまれるようにあった。
それが贅沢だなといつも見ていたのである。都会のようにこの辺の街でも街になると家々が接して狭いからである。
一軒一軒の家が広い庭と森につまれてあったのである。だからそのことがかえって贅沢なのである。
東京辺りだと電車にのるのも満員電車でぎゅうぎゅうづめになる、田舎だったらこの辺だったらがら空きとかなる、それが贅沢なことなのである。
ただ反面経済的活力はなく「死者の眠る街」と書いたが生者も眠る街になってしまうのが問題なのである。田舎の方がエネルギー効率が悪いというのもそうである。
人が集まりすめばまとめて住めばそれだけエネルギーは効率的に使える
飯館村のようにあんなに広いところにぽつんぽつんと家があり住んでいればエネルギー効率は悪くなる,でもそういう場所に住むということは都会から見れば贅沢なのである。

田舎の良さは本当はそうした自然と一体となり生活を充実させることにあった。それは別にそういうまでもなくそういう暮らしをするほかないのが田舎だった。
最近だからここに一本の樅の木がある、その陰に隠されるように家がある、街から離れているから農家だとなるが今は必ずしもそうではない、でもこの一本の樅の木が真っ直ぐにたっているとその陰に家があるとき村や町でも支えているのは農家であったとか意識する飯館村などはそうした道々でも木がいくらでもある。
そうした自然と一体化するアイディンティティ化するのが田舎なのである。

一本の樅のすぐに立つ冬の陽の没りて陰にそ家のありしも

樅の木は田舎ではどこにでもみかけるのである。飯館村では奥の誰も入らないような所に重厚な樅の木があった。それは古い神殿の石の柱のように見えたのである。
飯館村のような所になると一軒一軒の家に重みがでてくる。存在感がある。
都会にはとてもそうした存在感を豪邸に住んでももていないのである。
家はなにか家だけでは成り立たない、見晴らしのいい場所とか自然が反映する場所に建っていれば価値は百倍にもなる、それが都会には得られないのである。
飯館村には古い家が残っているというときそれは森林があり木材が豊富だから作れた。
自分の家も木材は橲原からとられたもので柱もいいものだという、飯館村などになると大黒柱になりさらに重みがあるものとなる
だからそういう家から離れるのは捨てるのは嫌だともなる。

●万葉集の歌から飯館村をイメージする

あをによし奈良の山なる黒木もち造れる室(やど)は座(ま)せども飽かぬかも

右は、聞かく「左大臣長屋王(ながやのおほきみ)の佐保の宅(いへ)に御在(いでま)せる肆宴(とよのあかり)の御製(おほみうた)なり」といへり。

板葺の黒木の屋根は山近し明日の日取りて持ちて参ゐ来む

黒木取り草(かや)も刈(か)りつつ仕(つか)へめど勤(いそ)しき奴(わけ)と誉(ほ)めむともあらず

これらの万葉集の歌は飯館村をイメージすればイメージしやすいとなる
現実にそういう古い家が残っていたしその材料は身近にありとることができた。明日にでももってこようというのはそのためである。
そういう自給自足の中での生活の充実があった、でも反面すでに自給自足でもそれが豊だと意識しないということもある。
その土地の黒木でも草(かや)でもとって働き仕えてもほめてくれないというのはそのことだろう。何か別なことならほめるとなる、現代なら米などありあまっているとか米を作る人などほめない、余って困っているんだとかなるだけなのと同じである。
減反政策などもそれと通じている、つまり都となればそれだけすでにそうした黒木であれ草(かや)をとっても価値ある労働とはならない、別なものが価値あるものとなる。
それは今なら車とか電気製品とかいろひいろありすぎるから米は価値がなくなる、木材でも外材になり価値がなくなる、それで本来の価値が自然と一体化した生活の価値が低下させられる、それが高じて原発を作り事故になり飯館村のような所が最大の被害地になったのである。

●までいなとは(真手とは)

飯館村ではまでいな村作りを盛んに言っている、でもこのまでいなとは何か?
ていねいにおそろかにしないということである。
片手だと何か軽くなるが両手だと真心をこめて対処するとなる
ただこれはどういうことなのか良くわからない面もある。

「左右手」を「まで」と読ませています。この謎を解いて下さい。


(答え)「ま」=「真」で「完全なもの」。「左右手(両手)」で「真手」となるわけです。普段から両手で何かすることを「真手(まで)」と言っていたのでしょう。それを「〜するまで」という助詞の用法に当てはめたのです。

「諸手」「二手」で「まで」と読ませています。

◎左右の臣。羽の臣。鏡臣と剣臣。

『あまのこやねと ものぬしと まてにはへりて みちものへ』ホ27
『おしくもと くしみかたまと まてにあり たねこはみこの おおんもり』ホ27

「まつ(和つ)」の名詞形。
ここでは「A: 合う/合わす・匹敵する・対になる」などの意。
また「まつ(和つ)」+「て(方・手)」の合成。

原文: 大海尓 荒莫吹 四長鳥 居名之湖尓 舟泊左右手

作者: 不明

よみ: 大海(おほうみ)に、あらしな吹(ふ)きそ、しなが鳥(どり)、猪名(ゐな)の港(みなと)に、舟(ふね)泊(は)つるまで

・・・・まで(真手)は待つことにも通じている、しながとりとは何か悠長に待つものの例えかもしれない、嵐よ、吹いてくれるな、猪名(ゐな)の港(みなと)に、泊つるまでは吹いてくれるな、何かそうした祈りみたいなものがこの歌にはある。
歌は祝詞でもあったからそういう言霊の祈りとしての歌が感じられる
両手を合わせて祈る姿なのか、真手というとき真直 (まなお )とかもあり大和言葉の原始性があるのかもしれない

これを現代的心境にこの辺をイメージすると津波だ原発事故で避難したり翻弄されたが嵐にあったが港に船は泊まりそこで休みたいともなる
ただその港に住んでいた村や町に帰れないということにも通じている
ともかく万葉集には一つ一つの歌に深い意味があり日本の自然と一体化したもので同じものが作れないことにある。

飯館に我が帰りたしも帰れじに時はすぎゆく今年も終えむ

こんな心境にもなる、いづれにしろ飯館村がどうなるのか?草野辺りにコンパクトシティ化タウン化して生き残るのか?
二千人くらいの規模蜷というがそれまた村を維持することは容易ではない、老人は帰りたいと言ってもそれを支える若い人が流出したことが致命的なのである。
それは限界集落とにているのである。飯館村だけの問題ではない、全国的な地方の衰退が極端なものとしてこの辺で津波と原発事故で起きたのである。

タグ:飯館村
posted by 老鶯 at 13:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2016年12月10日

津波原発避難者に通じる万葉集の歌 (日本人の心は万葉集にあった)


津波原発避難者に通じる万葉集の歌


(日本人の心は万葉集にあった)


大海(おほうみ)に、あらしな吹きそ、しなが鳥、猪名(ゐな)の港に、舟泊(は)つるまで

・・・・まで(真手)は待つことにも通じている、しなが鳥とはカイツブリで鴨のことである。嵐よ、吹いてくれるな、猪名(ゐな)の港に、泊つるまでは吹いてくれるな、何かそうした祈りみたいなものがこの歌にはある。
歌は祝詞でもあったからそういう言霊の祈りとしての歌が感じられる
両手を合わせて祈る姿なのか、真手というとき真直 (まなお )とかもあり大和言葉の原始性があるのかもしれない
鴨はいつも群れて同じ場所にいる、この辺では川にいて冬の景色となる
仲間といつもいるからなじんだ仲間と一緒にいたともなる

これを現代的心境にこの辺をイメージすると津波だ原発事故で避難したり翻弄されたが嵐にあったが港に船は泊まりそこで休みたいともなる
ただその港に住んでいた村や町に帰れないということにも通じている
鴨は故郷に一緒に過ごしたなじんだ仲間とかイメージするのである。

この歌は深く読めば確かに空間を距離を歌ったものだが時間にすれば人生としてみれば人間は誰でも嵐の日があく、苦しい日がある。いくら嵐が吹くなといっても吹く、それが津波とか原発事故で避難者になったことである。
確かに老人になって80くらいになってみればこういう漂流者のようになることは苦しいとなる。

ともかく万葉集には一つ一つの歌に深い意味があり日本の自然と一体化したもので同じものが作れないことにある。
この歌もそうだが不思議は何かこれには大海があり広大なものを感じる。でもこの歌に歌われた舟は当時どんなものだったのか?
非常に貧弱な舟だった。今だとイメージできないような舟であり大海に出れば今の十倍とかも危険なことだった。だから祈りは切実になる。
過去をふりかえるとき常に便利な現代からみるから誤解するのである。

魂合わば 相寝むものを 小山田の 鹿猪田守るごと 母し守らすも

これも万葉集独特の表現である。魂合わばというのがそうである。魂合うというとき原始的人間の感情である。何か狭いところだと常にこういう現象が置きやすい、本当にその人を思うときその人が現れるのである。
それは常に身近に住んでいるからであり今はみんな離れて住んでいるからそういう経験が少なくなった。
でも離れていても思う人があればそれは距離と関係なく魂合わばという現象が生まれるのが人間である。思いというのは距離と関係ないからである。

これを原発避難者とかと関係あるのかとなるとある、

小山田の 鹿猪田守るごと 母し守らすも

原発避難者は避難区域になったところは猿やイノシシや鼠に荒され放題になったからである。いたるところイノシシがほりかえした跡がある。猿に占領されたところもある。
つまり万葉時代になるとまだまだ野生の自然におおわれていたからそうなるのである。
その鹿や猪から田畑守るように母を守るというときまさにその子供が母を守るということなのである。

でもこの辺の現実は息子や娘は若い人は流出して帰らないのである。親を捨てたのであるただ母親が小高に残りたい20坪くらいの家を新しく建てた人もいた。それはまだ息子がいるからである。
納得いかないのはなぜ息子娘が若い人は簡単に故郷を親を捨てて出て行ったのかということである。放射能の影響があってもさそれだけでないと書いてきた。
それが一つの方便いいわけにすらなっていると、姑と別れて暮らした方がいいとか他にもあった。母を守るという気持もなくなっている時代ということもある。
親子の情も薄れたということもある。だから疑問はなぜこんなに簡単に故郷とか親を捨てられるのか?それはどうしても放射能の影響だけではない、なぜなら小高など別に放射線量など避難区域とは違い低いしほとんど影響ないのである。
だから小高が帰らないというときなぜ帰れるのに帰らないのかと要求が厳しくなるのである。
それはもう補償金もらって暮らせばいいということになったからだとも批判される
ただそのことを言うとお前は傷口に塩ぬって楽しいかとか小高の人はなる
そういうことは原発避難者全般にある。
被害はひがいとしてあるが補償金の問題は別問題になっているのである。
ギャンブルして遊んでいればあの人たちは何なのだと見るのは普通だからである。

要するになぜ避難者小高などでも帰れるのに帰らないのか
魂合わば・・・が魂が合わなくなったからである。
共同することがなくなったからである。心がもう分離してばらばらになり一致して復興できないのである。
それは避難区域だけではない南相馬市だったら市全体でもそうなったのである。
ともかく補償金では浪江町だろうがどこでももめているのである。
そのことにより魂合わなくなり分断されたのである。

家ろには 葦火焚けども 住み好けを 筑紫に到りて 恋しけ思はも  物部真根

この歌も原発避難者と何の関係があるのか?
これは相当に関係ある。なぜなら飯館村の比曽とかなると辺鄙な所だからである。長泥でもそうだろう。そこを通った記憶があるにしても自転車だとずいぶん遠い感じだった。
あの辺は飯館村でもはずれたところである。
でもそこに帰りたいというときそんな不便な所より今は補償金で金が入って福島市に家を買った人もいる、それで便利でいいじゃないかとか得したよなとか見る人もいる
でもそんな不便なところでもそこに住み暮らした人はまた別なのである。
つまり筑紫とは便利な福島市とか郡山市とかに住んだことなのである。
そういう便利な所に楽に住んでも 家ろには 葦火焚けど・・・と不便でも葦火をたいてもそこがなつかしいとなる。
万葉集となるとかけ離れた時代ともみる、今からすればどれだけ不便だったかしれない、第一葦火とはどんなものだったのかもイメージできない、ただ葦は繁っていたから利用したとなる。

いづれにしろこの辺は避難民などは特殊な立場に置かれた、漂流者のようになった。
第一故郷などは常にあるものであり家だってそうであり家族でもそうである。
そういうものは普通にあるものであり意識しないのである。
空気のようなもきになっている、でも一旦失うとそれを絶えず意識するようになるのである。
自分も家族をみんな死んで失ったときそうなった。
泊(は)つる港がなくなった。するとどういう心境になるのか?
大海を漂流している感覚になる、例え家があってもそうである。家はただ建物という物でありそこに家族がいなければそうなる、もし家がなくても家族がいればホームになる。ハウスとホームは違っているのである。家とは妻のことだというのもそうである。
おそらくホームとは故郷もホームランドであり家とかではないのである。
魂合わばという世界だった、それは生きている人だけではない、死者とも魂合わばということがあった。

現代は都会だとみんな漂流者、デラシネシアになっている。それは田舎でもそうであり人と人のつながりとか土地とのつながりとかうすれていた。
だからこそ一旦離散状態になったからもろくも解体したのかとなる
それは万葉集の時代とかとはあまりにも環境でも違ったものであるからそうなる
でもそうした心境はすでに万葉集時代にもあったから共通なものとして今に生きるとなるその時代から変わったものでも変わらないものが底流に流れまんようしゅうは価値ら
posted by 老鶯 at 12:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

スマトラ津波と原発事故も他山の石として見なかった (日本の戦争の敗北も原発事故も奢りの結果?)


スマトラ津波と原発事故も他山の石として見なかった

(日本の戦争の敗北も原発事故も奢りの結果?)

これだけ経済でも情報でもグローバル化したときなぜか本当はしていなかった。
チェノブエリの原発事故はどうだったのか?
スマトラであれだけの津波があったときもそうだった。

どう日本人は見ていたのか?自分はどうだったのか?

「ロシアは技術が遅れているからな」
「スマトラは津波のことは知らない、日本だったらみんな逃げていたよ、すぐに警報でるからな」

何かこんなふうに見ていた、というよりそういうふうに上の人、科学者でも何でも日本はあんなことにはならないと見ていた。
そして右翼のように日本人は優秀なんだよと自画自賛していたのである

これだけグローバル化したのに日本人は国際的視野をもてなかったのかともなる

その責任はどこにあるのか? やはり指導層にあったのだろうか?

つまり政治家とか官僚とか科学者とかマスコミ報道関係とかにあったのか?
そこになにか警告するもの啓蒙するものがゼロだったのである。

日本はあんなことにはならない、日本は津波だって何度も経験しているし原発だってロシアのように事故にはならない、日本は技術が優秀だからなとなっていた
日本の技術が優秀だというとき電気製品を作るとか素材を作るとか優秀な分野はあったがみんなか科学技術分野で優秀ではなかった。
現実に原子力の最先端の技術をもっているのはアメリカだったのである。今でもそうである。

そういうふうにうぬぼれさせたのは誰なのか?
そこに日本を指導する上の人たちの責任があった
上に立つ指導する人はそういう地位にあり日本国民を導くものとしてある
そもそも原発に関しては民衆は知らないからである。知らされても理解できないからである。そうなると責任は原発を運営する指導者たちにあるとなる
科学者の責任も大きい、今では反省しているというがやはり責任を感じている科学者がいた。

何かやはり人間は指導者の責任が今になると大きいと感じる
民主主義があとしてもではすべて民衆が関与できるかとなるとできない
原発になると特にそうである。わからないから上の人たちの言うままになりやすいのである。
だからなぜ新潟県の巻町では町民の合議で原発をやめたというのは驚くしなぜだろうともなる。原発と危険だとしてやめたのだからそこでは民主主義が機能していたのである。

先の戦争でも賛否両論があるがやはりこれも上の人たちの責任が重い、でも何か国民が戦争に熱狂していたんだというからとめられなかったということも言われる
それにのって朝日新聞などが戦争を積極的に称揚して戦争をあおったとなる
するとこれも国民の責任なのかとなる、民主主義ではすべての責任は国民か負うとなるからでてある。

でも天皇がいたとしてその天皇が最高責任者だったというとき「朕は戦争はしない」と言えばみんな従ったのかとなる、もしその一言で戦争しなかったら国民の300万人は死ぬことがなかったとなる、なぜなら戦争をやめたのは原爆のあとの天皇の玉音放送で決めてそうなったからである。

原発事故が二度目の敗戦だったというのはそうかもしれない、共通したものがあったからである。
日本は神国だという「不敗神話の形成」原発事故も「安全神話の形成」があり共通していた。
そこには日本人がこんなにグローバル化しても実際は同じような轍を踏んでいるのである
日本は優秀だとか日本だったらあんなことにならないよなとか外国のことを他山の石として見ていなかったのである。

ともかく個人的にでも人間がうぬぼれる、傲慢になるとき危険になる
何かその時神からき罰を与えられるのである。
今回の津波でも想定外だったかなるのはそうである。神の力は人間では計り得ない、想定外なのである。でも人間はうぬぼれるからそこで神から罰が与えられる
何か人間は事業でもなんでも奢るとき失敗に通じているのである。
若いとき成功して地位を得たりしたら最悪だろう。
それは奢りになり謙虚さを失い傲慢な人間になってしまうからである。
だから頭がいいとか優秀な人間も危険なのである。身内のことだからあまりいいたくないけど最後まで優秀だと言っていたが認知症になったときほと驚いたことはない
その悔しさなのか最後まで自分は優秀だったといって死んだのである。

上に立つ人は政治家でも科学者でも官僚でも東大出とかで下を見下す、マスコミ関係者も俺たちが世論を作るんだとかインターネットの前は情報を独占していたのである。
だからマスコミによって世論が作られ誘導されていたのである。

人間でも国家でもおごることが滅びに通じている、「奢る平家の久しからず」である。
日本の二度の敗戦もやはり奢りからだともいえる
日本人は技術的に優秀なんだ、津波だってスマトラのようにはならないとかうぬぼれて他山の石として見なかったのである。

結局こうして権威は失墜した

政治家のおごりは権威は失墜した
官僚の権威も失墜した
科学者の奢りは失墜した
マスコミの権威も失墜した
・・・・・・・・・

やはり高きものは低くされるという聖書の言葉がここで生きてくる、そういうことは常に個人的にも国家的にも世界的に起きてくるのである。
強いと思うもの高いと思うものが必ず低いものとなる、繁栄もいつまでもつづく国はないのである。
日本でも経済がこんなに衰退するのか?カジノと観光客でもうけるほかないのか?
そんなに落ちぶれてしまったのかと驚くのである。
バブルから日本の経済は長期停滞したままなのである。
そして観光客とカジノに頼る三流国になったのかとなる

日本は戦後は高度成長時代となり調子がよすぎたのである。そのためにうぬぼれになった傲慢になった。それが原発事故になった原因でもある
原発の技術はアメリカが日本よりずっと優れていたのである。
でも原発は日本では事故にならないとか安全神話は作られていたのである。
その奢りも津波や原発事故でもろくも崩れ去ったのである。
タグ:他山の石
posted by 老鶯 at 20:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年12月11日

師走俳句十句(鹿島から相馬市へ、復興の電車走る)


師走俳句十句(鹿島から相馬市へ、復興の電車走る)  

newtrainnnn111222.jpg
newttttttt12345.jpg
この車両は前に団体とあり特別のものだった
開通のために走らせたものらしい

newtrainnn1111.jpg


冬陽没る六万石の城下町

冬の灯や六万石の城下町

冬の月六万石の城下町

灯のともり田町のあわれ冬柳

晩菊や待つ人あれや無人駅

無人駅おりたちあわれ冬薔薇

復興の電車走るや師走かな

復興の電車や百輪の冬椿

枯芒二両の電車や昼の月

石一つここに落ち着き冬椿


ローソンにカフィラティを飲み外見れば枯野広がり昼の月見ゆ 



一昨日は夜に自転車で相馬市に行った。今までは介護だから夜には行けなかった、介護となると問題はつききりではなれられなくなることなのだ。
認知症の場合は特にそうなる、不安になり一人でいられないからだ。
それで十年間ゆっくり外にでることもできなかった。それは相馬市とか近くでもそうだったのである。

相馬市は六万石の城下町であるが外からきた人は何かそうは感じないだろう。城跡があり石垣がわずかに残っているがそこが城があったとも感じないからである。
ただ入母屋作りとか相馬市では建物を昔風に統一した街作りをしている。
新しい市役所でもそうであり公共的な建物はみんな統一している。
それで落ち着いた感じにはなっている。ただそれに不満な人もいるだろう。
建物だけが立派で他に金が回らないとか思う人もいる

相馬藩が六万石というときそれでも土地としては海あり川あり山ありで広いと思う。やはり海があることが福島県でも違っている、そのために津波の被害や原発でも海があって建てられたがそれが裏目に出たのである。
なぜ六万石で野馬追いのようなことができるのか?それだけの侍がいたのかとか疑問になる、そしてなぜ伊達氏のような大藩を相手に戦い独立を保ったのか?
それはやはり海があり海を利用して運輸がありそれで力をもっていたともなる
海は漁業の海ではなく運輸の交通の海としてあったことが見逃されているのである。

鹿島駅は無人駅になった。小高の方に職員が移った。昨日は電車が仙台まで通じた復興の日だった。これはやはり復興として大きい、今日は原町に12両の電車がとまったという、日曜日で特別乗った人がいたのだろう。
でも以前として二両とか4両とか6両で車両としては少ないから乗る人がまだ少ないとなる前は8両が普通だったみたいだからだ。

二両の電車も不思議だった。相馬市と原町の間を行き来していた
なんかのんびりしていた。それで昼の月があっていたともなる
この辺は自分でもそうだが介護で十年でありその間に翻弄されてきた。
そのことはプログに書いてきた。その後は津波であり原発事故でありここは常に変化の中にあった。なんか落ち着かないのである。
自分の母親も死んで明日が一周忌であるが何もしない、花を一杯さして飾り終わりである何か一人だといろいろなことに手が回らないのである。
フログだって書くの半日かかることもある、家事もしているし自分は介護はなくても常に以前として追われた生活なのである。
だから今年仙台に行ったのは一回だけだった。
今年中にもう一回仙台まで乗って終わりである。

この辺の変わりようははげしかった。新しい家が数百軒もたち復興住宅もたちどうも大熊とかの方の人も建てたらしい、今度は浪江の人が復興住宅に集まり住むとか今度は仮設住宅から南相馬市とか相馬市とかにも移ってくる。そこでまた変化がある、
この辺は常に変化なのである。自分の場合、介護十年だったから一身上も常に変化だった30年間変化ない平穏な生活とはまるで違ったものとなっていたのである。

今も自分はほとんど遠くに行かない、毎日近くを行ったり来たりであり十年間そうであるローソンでカフィラティというのがうまい、ミルク味がいいのである。
あそこで外で休みそれを飲むのが一腹であり楽しみである。
外に昼の月がてて枯野が広がる、それが田舎らしいのんびりさがあるとなる
でもこの辺は何か変化が常にあるからずっとのんびりはしていられなかったのである。




南相馬市鹿島駅で出会った人、外部の人の出入りが多い (グローバルなものとローカルなものの理解を深めるにはいい)


南相馬市鹿島駅で出会った人、外部の人の出入りが多い


(グローバルなものとローカルなものの理解を深めるにはいい)


この辺では外部からの人が来ている、今日は日曜日でありあんないばん見ていた人は浪江の人だった。

「どこに行くんですか」
「西町です」
「それならここを真っ直ぐ行って橋に出て川を上った所です」
「遠いんですか」
「10分ほどで行きます,近いです」
「どこの人ですか」
「浪江です」
「復興住宅に移るんですか」
「そうです」

最近シシドスーパーの隣に復興住宅ができた、ほぼ完成した、それで移り住んでいる人がすでにいる、その人もそうだった。
あそこは浪江町とか飯館村の人たちが住む、小高の人は住まない、県営住宅であり南相馬市の人は住まない、かなりの数の人が今度は復興住宅ができて南相馬市に住むようになる原町のキクチスケーパーの隣の団地でも浪江町の人が住んでいた、その数も多いのであるそれより雲雀が原の五階建てのビルには驚く、この辺では五階建てのビルは病院くらいだからである。
あれを見たら都会だなと本当に思う、それだけ威圧するように高いビルが並ぶ
だからそんな所に住む人がいるということは相当数の人が南相馬市に移り住むということだろう、今までは分散していたのが仮設から復興住宅に移り住むようになる
その数が多いから南相馬市でもなんらかの影響があるし回りにも影響がある。
だから今になるとつくづく原発というのは大熊とか双葉だけの問題ではない、広範囲な地域をまきこむものだったのである。補償金でもめたのもそのためである。

もう一人の人は話していたら大分の人だった。大分も熊本地震の影響があった
ところが熊本ばかり注目されて大分は注目されなかったのである。
その人がなぜここに来たのか?
「地震で仕事がなくて来たんです」
そういう事情の人もいたから熊本地震もこの辺と関係していたのかとなる
大分というとなじみがない、阿蘇は熊本と大分の境にあった。
いくら全国を旅行したからといってすべてには通じ得ない、九州は遠いからわかりにくかった。
そして報道では熊本も被害は盛んに言われたが大分もそれなりに被害があったらしい。
大分というとき韓国から船で福岡に来て宮崎県だったかどこか船で東京まで帰った
その時伊豆の七島の島影を見た。そこは鎌倉の領域でもあったとかなる。

またこの前会った人は最初札幌から来たと言っていたので札幌の会社に転勤した、その人は年であり一旦退職してからも働いているらしい。
その人はドイツに8年間いたという、それはソビエト連邦の時代だったのである。
カザフスタンまでも行っていたらしい、これも驚きである。
その人は何か技術関係の仕事をしていて放射能関係の検査で会社から派遣されている
だからここで住むところも会社から与えられている
こういう人も田舎では会うのはまれだけどこんな事情でそういう人も来ている
こういう人は世界を日本でも会社の命令で渡り歩く、派遣される、だからこういう人は故郷に農業して外に出ない農民とかとはまるで違った人である。
グローバルに仕事をする人だとなる
こういう人はまず故郷とか関係ない、だからこういう人は何にアイディンティティをもつのだろうともなる

外国旅行で出会った人もそうだった。その人はフランスに一年いたとしても会社で派遣されこたのではない、自ら行った同年代の人である。
ただあの時代では外国はそれほどなじみがない、気軽に行けるものではない、それであとでスペインから船でアルジェリアにわたった、労働者を手配するためである。
アルジェリアはフランスの植民地だった、そこに石油がとれるからである。
そこで日本の日揮という石油関係とかのインフラを整備する会社の人がテロにあい十人くらい殺されたことも驚きであった。
そんな仕事をしている人がいるというのも驚きである。

ただ今の社会は日本国内でも広域化しているからめずらしくはない、この辺は原発事故以後は日本中の人が来ているから別に九州でもめずらしくない、ただ熊本地震の影響があって仕事がないから除染関係の仕事を求めて来たというのは特殊だと思った。
この辺は人の出入りがはげしい、それで鹿島駅で時々話かけているのである。
今日は特に仙台まで電車が通るようになったので二回くらい行った。
やはり駅は外との窓口となる。あそこに何か喫茶店のようなものを作るとか商工会で計画しているとか言っていたがそれはただ案だけなのだろう。
無人駅になったからそう話が出たのかもしれない

自分は外国もかなり旅行したからドイツに8年いたというときどこですかと聞いた。
ケルンですと聞いたときあそこはあの塔にも上ったし親しい感覚になる
ライン川が流れていてその場がイメージできる、日本だとたいがいはイメージできるが外国となるとそうはいかないがケルンは塔がありライン川があるからイメージしやすいのである。
だからたいがいの人と話を合わせられる、それは地理的なものであり理系の人は仕事のことなどわからないから話せない、ただ地理的なことを知っていることが外部の知らない人と話すときは大事である。地理が基礎になるということである。

アメリカの雑誌「タイム」は21日、毎年恒例の「世界で最も影響力のある100人」を発表し、日本からは、東日本大震災後の住民の窮状をで訴えた福島・南相馬市の桜井勝延市長ら、被災地の2人が選ばれた

こんなことは今までならありえない、それより外国に行ってフクシマというときすぐあの原発事故があったところかとなり世界的有名になったのである。
悪い意味で世界に通じる場所になってしまったのでしる。チェルノブエリと同じである。だから原発事故で奇妙だがこの辺は国際化したということにもなる。
世界の研究者も科学者もおしかけたからそうなった。

自分も遅かったが十年くらい世界旅行したからそれなりに国際化したし外国のことに興味を具体的にもつようになった。
今の時代グローバル社会になるとどうしても実地に世界を回らないと知識的な仕事はできない、グローバル社会ではそれを否定しても世界の中で生きざるを得なくなっているからだ。
ただ自分の課題として原発事故でもこれはフクシマという田舎で起きたことでありそれはグローバルなものとローカルなものとの問題でもあったのだ。
ローカルな地域的なもの自然を破壊したということで極めてローカルなものとして相馬郷土史を追求してきた。
そういう視点はそもそも地元でも欠落していたのである。
津波だって400年前に700人溺死ししていたという記録が相馬藩にあった人はほとんどいなかったのである。
つまりグローバル社会になってもいかにそこに住む地域的なものの知識が欠かせないとうことも思い知らされたのである。

意外と今の時代この地域的ローカルなものがないがしろにされているのである。
ともかく日本より地域より外国に詳しい人がいる、ところが肝心な自分の国のことや住んでいる地域のことを知らない人が多いのである。
そして地域のことを自分の住んでいる場を知らないとうことは致命的になるのである。
今回の津波とか原発事故がそれを思い知らされたのである。

地域とかローカルなものというときそこには自然がありその自然に基づいた暮らしがあるとき外国も同じなのである。自然をアイディンティティとして文明文化は作られてきたからである。樅の木があるとする、それは日本にもある、そればどこにでもある。
そうなれば樅の木のことを日本にいても理解できるとなる、ただ樅の木がドイツの古い時代のように森のようになっていることはない、でも樅の木がないとしたらそもそも理解できないのである。
でも日本に住んでいてもそういう自然の理解が今は欠けている、東京になどいたら樅の木であれ自然がない人口空間なのである。すると日本の文化も理解できない、まししてや外国の文化も理解できないのである。

つまり外国を理解しようとするとき日本を日本でも自然とともに生きてきた田舎を理解できないと外国も理解できないとなるのだ。
日本というとき別に奈良とか京都とは限らないのである。かえって樅の木というのはドイツの象徴になっているがではそれを京都とかに行っても理解はできないのである。
ローカルなものとグローバルなものが別になっているようでも実は自然から見れば共通のものアイディンティティがそこに見いだされるのである。
まず現代はこれだけグローバル化してもかえってローカルなものの視点が欠如しているからグローバルなものも理解できないという逆説がある。
だから世界を渡り歩いても必ずしも世界を理解するというものでもないのである。

abstract picture( blue sea)


abstract picture( blue sea)


seacrosss123.jpg

seaaaaabbbb111222333.jpg

seacrosss123445666.jpg

blue forest

flowwwwwwww12323445.jpg

streamcccccccc123444.jpg

undergggggggg123456777.jpg


begining of the earth


enlarge


タグ:blue sea

2016年12月12日

鹿島駅の入り口の戸が重く開閉しにくい (南相馬市市役所に相談したが・・・)


鹿島駅の入り口の戸が重く開閉しにくい

(南相馬市市役所に相談したが・・・)

sssssskkkkk112222233.jpg


sssssskkkkk11.jpg

錆び付いて重い 

sssssskkkkk1122222.jpg

sssssstttttttssss12233.jpg

鉄塔が建ち八重桜は切られて残念



最近毎日鹿島駅に行って外からの人と話したりしていたので駅のことが気になった。
今日は十人くらいかJRの水戸管理局の人たちが来てみていた。
もったいないのは八重桜の木をみんな切ってしまったことである
鉄塔を建てたため切った。やはり駅はやはり街の象徴としてあった。

その入り口の戸は相当に古くなっている、さび付いていて重いのである。
冬だと寒いからいちいち開けたり閉めないといけない、改札口はあいていても入り口も開けていたら寒いからである。
それでそれが開けたり閉めたりするとき重いからやっかいになる
それは利用する人がみんな思っていることである。

今回仙台まで開通することでいろいろ新しく整備したからそのことで聞いてみた。
一応聞きはしたが別にそれで直すとか上の人に言いますとかは言わない
それで市の方に相談した。そこはJRの管理になるので市の方でもどうにもならないですとか言った。
それもおかしいと思った。なぜならみんな市民が困っていることだから市の方でもなんらか対策があってもいいと思ったからである。
これは自分一人が思っていることではないみんな不便を感じていることなのである。
それは市民の要望なのである。

ただJRの土地でありJRのものだから市ではなにもできない、市民も何もできないとなったらこの世の中どうなるのか?
JRでも公共機関であり民営でも公共のものである。そういうことは会社なら必ずある。
会社ならなんでも勝手にしていいとはならないのである。
反面そういうふうに公共的なものとなると利用する方も維持することに尽力する必要が出てくる、なぜなら民営となると利益が出ないならやれないからである。
「迷惑にはなるでしょうが予算がないんです」とかなればどうにもならなくなる
前は国鉄であり国で運営していたから違っていた今は利益を出ないことはしない。
だから北海道の鉄道は運営できないので廃止になってゆく、そういうふうに利用する方も考えることになる

明治以降はかえってこうしてみんな民営になり私有権が認められ主張するようになった。それは過剰なほどそうなった。それで補償金がもらいたくて自分の家の前の海は自分のものだ、私有権があるとまでなって主張したのである。
海は誰のものだとなればそれは本当に漁業する人たちのものだけなのか?
それで民間で勝手に魚釣りをできないと不満を言う人がいた
資源を守るためだと大義名分はそうでも原発事故でそうではなかったからである。
船主などが漁業権を東電に売り渡していたのである。
海を売ることができるのか?海は漁業権をもっているもの達のものなのか?

そういうことは原発事故ではいろいろあった。
極端な話が原発を建てた土地の所有者と県の許可で原発が建てられたことになる
その土地は俺のものだから何も言うなとまでなってししまいこんな大惨事になる
そして双葉町でも大熊町でも富岡町でもそんな狭い範囲で勝手に決められていいのかとなった。
現実に今やそういう人たちが避難して立派な家を建てることに回りの人が不満になったのである。原発はとてもそんな狭い範囲の人たちで決められるものではなかったのである。
土地とか山でも森でも大地でも海でも公共的なものでありなかなか一所有者のものとなりにくいのである。海だって大地だって山だって森だって自然は一つのものとしてつながっているからである。
飯館村で自分の土地を除染するより売りたいというときもし売ったらそこが放射性物質の処理場にされると今度は回りに影響する
現実に放射性物質を入れたフレコンバックが破れて流れだしたら南相馬市にも流れてくるのである。真野ダムでもそうである。

海にしてもあれだけ汚染されたのである。そして東電の前の海は誰も立ち入ることはできない、漁業権を組合で売ったからである。東電の私有地になったのである。
何か私有地というのは明治以降増えたのである。
猪苗代湖でも一部私有地になりバンガローなどが建っている、迷って入ったらしかられたそういうふうに自然を私有することができるものなのか?
それで山でも無数に分割して私有化された結果として土砂災害でもふせぎようがなくなる俺の山だから勝手に木は伐っていいとかなるとそこから土砂災害が起き安くなる。
森も山も全体だからである。

いづれにしろ鹿島駅でもJRの所有地だから全部勝手にしていいとはならないだろう。
街の景観としても維持する必要もあるし街全体の問題なのである。
それはあらゆるところで言えることである、私有権をあらゆることに認めると公共性が失われる、そして公共性のないものはこの世にない、一軒の家をもってもそこには自分のものだけとは言えない,それが空家化するとわかる、周辺に影響するのである。
何かそういう公共的志向がかえって明治になって民主主義化して失われたというのも逆説である。
原発でも何かそういうふうに漁業者でもただ利益しか追求しないで私有化して海を東電にうりわたした。巨大な会社に海が買われてしまったのである。
そういうことはグローバル化して世界で起きた、巨大な多国籍企業に森でも自然でも買われるのである。
第一そもそもが東電によって政府によって双葉町とか大熊町とか富岡町は町ごとが買われてしまっていたのである。それほど東電が大きな会社であり政府もかかわっていたからそうなった。

公共的なもの自分の住んでいる市町村に関心をもつのは日々の生活にかかわるからである毎日駅に行くとして戸を開閉するのに難儀するとなると嫌だとなるからだ
ただこういう身近なものは気づきやすいが大きなものにると原発とかなると立ち入ることも何もできない、その回りに住んでいても何もできない、ちょっとのぞくこともできないその回りに住んでいても一番危険地帯に住んでいても住んでる人は何もできなかったのである。



1898年(明治31年)4月3日 - 日本鉄道の駅として開業。

乗車人員推移
年度一日平均乗車人員
2000 596
2001 564
2002 530
2003 522
2004 524
2005 484
2006 461
2007 434
2008 430
2009 405
2010 378
2011
2012 293
2013 313
2014 299
2015 318

鹿島駅は開業当時からの古い駅舎らしい。だから相当に古くなっている
乗降客を見ると2000年に600人であり震災前の2010年にすでに378まで減っていた。
震災後は半分になっていた。
でも2015年には318になっているし仙台まで開通するとなると増えるかもしれない、
津波原発事故以後外から来ている人が結構いたからである。

岩手県の区界(くざかい)は一日の乗降客が一人しかいない、あそこは雪に埋もれていて岩手県の境だった

一日の乗降客が300人はまだ多い方である。でも鹿島駅でそんなに乗降客がいるようには見えない、なんか10人程度しか乗り降りしていないからだた。
ただここは300人以下にはならなんかもしれない、10人とか20人となると厳しいとなる。

今日は母の命日 (母の死顔は相当にインターネット見られている)


今日は母の命日


(母の死顔は相当にインターネット見られている)

fuyumomijiiii1.jpg

meinichiii111.jpg


忙しく母の命日師走かな

我が家に母の命日冬紅葉

故郷に枯菊あわれ今日も見る


忙しく師走に死にぬ母なりきその一生にふさわしきかな


今日は母の命日だけど何もしない、人も呼ばない、そういう余裕がまだない、花だけ買って飾った、そして墓を見たら死んだ日が二月十二日なっていた。
それは生まれた日だった。石に刻んだからといってまちがいないということもない
人間のしていることには必ずミスがある。

確かに石屋には12月12日としていたはずなのである。これもどっちがミスなのかわからない、良くみていないのが失敗だった、人間は一人だといろんなことでうまくいかなくなる家族がいれば何人か二人でもこ確かめることができるからである。
だから一人というのはつくづく危険である
なんらか共同で暮らしていればこういうことにはなりにくいのである。
特に老人は一人暮らしは良くない、時代的に最新のことがわからなくなる場合があるからだ。

何か死者とか墓とかが自分のテーマにもなった。
兄の墓の中を見たら骨壺にいれたはずなのがその骨壺もなくなっていた。
木の箱だったから230年もたつと跡形もなくなったのか、骨壺は陶器だったろう。
でもなにもなくなっていた、だからその骨を娘にもっていけといってもできなくなっていたのである。
娘はそもそも事情があってもってゆくつもりもなかったのである。
兄の墓と自分の家の墓は事情があって別になっている。
でも今や供養するのは自分一人しかいないのである。
知っている人も自分しかいないのである。

そもそもだから死者とは何なのだろうとなる。ある人は金がないのとその人がいいがげんなために墓に親の名前を刻んでいないのである。
金がないからしない、でも結構食べ物は贅沢しているらしい
これも親不孝と思うが名前を刻んでいなければそこに死者がいるのかともなる
だから死者とは何なのだろうと不思議になるのだ。

いづれは母と姉も兄も合同慰霊する、それは来年になる、一人だとともかくめんどうになる。いちいちお返ししたりするのもめんどうなのである。
だから自分は供養も断った、ただ線香あげてもらうだけだった。
自分は別に金はいらないからである。あとがめんどうになるのが嫌なのである。
ただ世話になった人には香典を多めにだした。

田舎では毎月のように香典を出している人がいる、そうなるとその金がないと困っている人がいるのである。世話になったら多めに出してそんなに多くの人に出すのは無理である金がある人は多くだして金のない人は気持でわずかでもいいのである。
何かなんでも平等だというのは良くないのである。
貧乏な人は別に香典を出さなくても気持だけでいいとかなる
何かそれが今の世の中おかしいのである。

ともかく母が師走に死んだのはふさわしかった、一生が90越えても家事をしていたし働きづめだったからである、その功罪としては何か楽しむこともない人生だった
それも淋しいとなる、花にも興味ももたない、ただ蟻のように休むことなく働いていたのである。これも一見いいようでも異常であり狂気にもなる
日曜日も休まないしただただ働くだけである。そういう人とは一緒にいたくないともなる正直自分にはそう感じていた。大正生まれとかなるとそういう人が多いのである。
遊ぶという余裕がなかったからそうなる。

母はいつも眠るように死にたいといっていた。何かそれだけはその願いはかなった
100才まで生きてそうなったからである。百歳まで生きる人は病気にならないのである。
血管も正常であった。
そして長生きの秘訣はなんですか?と問われたとき無理をしないことですと言っていた。
確かに母は細身でありそもそも体力的にも精神的にも無理ができない女性だったのである冒険などもできない女性だった。

母の死に顔をプログに出したらかなりの人が見ている、「死顔」のキーワードででてくる。実際に親の死顔など出している人はほとんどいないかもしれない、それで本物の死顔がめずらしいからかもしれない、本物の死顔はいい人はまれなのかもしれない、見られないような死相が多いかもしれない、苦悶の表情なのかもしれない、それは医者とか看護師とか葬儀屋は見ているから知っている
母の死に顔は安らかであり笑っているような感じに見えたので不思議だった。

何か知らないけど創価とか仏教系は異常に死相にこだわる、死相で成仏したかどうか判断するからだ。あれもカルトだから仏教系はともかく生者より死者を相手にする宗教なのである。供養も延々とするしその度に金が入るとなるからだ。檀家宗教は死者の宗教なのである。こういうのは仏教とかとは何の関係もないのある。
もし死相がいいならインターネットにも出すだろう、でもほとんど出ていないというのはやはり死相は気味悪くて出せないからだろう。

枯菊というとき今頃になるといつも見ている、故郷に枯れた菊というときそこに住んでいるからあわれだとなる、それは老人でもある。
それは時間の中で経過する自然な姿なのである。
でもそれは故郷に住んでいるから感じることである。老人の介護のために東京から田舎に移住させるのは何か変である、不自然なのである。

つまり人間も生物の一種だというときその土地に根付き朽ちてゆくのが自然なのである。人間の老いもまた同じなのである。それが生物の一生なのである。
でも現代はそうした自然から切り離されて暮らしているからおかしなこと不自然な生となってくるのである。

プログをふりかえり見たら冬紅葉を遺影にさしていた。母はまた冬紅葉にふさわしかった一生が恵まれないということもあった。ただ別に我が家に嫁いですべてが不幸ともならない、結局人間の幸不幸は計れない、意外と最後になると不幸になる人も多いのである。
金持ちの家に嫁いだとしても金持ちの家では息子でも娘でも金があるから施設にあづけるからである。
最後に不幸になっている人が意外と本当に多い、それは介護とかなると娘とか息子でも本心が現れるから怖いのである。
いくら親子でもそうなってしまう、そうなると最後は不幸になる
だから娘を恨んで死んだ女性もいたのである。そういう人は本当に最後は不幸だったとなる。だから人間の幸不幸もわかないとなるのだ。

ともかく一年すぎて楽にはなった、でも淋しさは感じる、介護しているときは何か夢中だった。懸命だった、だから淋しいという感じもなかった。
家にはやはり介護する人がいるから常に緊張状態にもっないたからである。
今になると何かがらんとしていて一人だとなるからでてある。
でも介護というのは尋常なものではない、異常な状態だったとふりかえるのである。
その負担が大きすぎたのである。十年とかしてみればわかる、そういうことが介護には普通にある、その長さの故にまいってしまうのである。

2016年12月13日

明治以降エリート養成に失敗した日本 (なぜ一流大学で残酷なレイプ事件が起きるのか?)


明治以降エリート養成に失敗した日本


(なぜ一流大学で残酷なレイプ事件が起きるのか?)

chibaaaaaa1234.jpg

(週刊現代)

この事件を起こした学生は優秀である。頭だけではない、体力的にも優秀であり家柄も良かった。医学部となれば誰でも一目をおく、医学部は現代では最高のエリートなのである文系だったらどこの大学でも東大だってさほどでないとみれる
でも医学部は違っている。医学部は日本の最高の頭脳集団だと見られているのが現代である。

ではなぜそこでこんな事件が起きるのか?
根本的な問題としては別にこうしたエリートでなくても若いときは奔放なエネルギーが爆発するから若気の至りとして普通にある。だから特別なことでもないとなる
この人たちは体育系に所属していた,すでに頭脳も優秀であり体力もある若者だったのである。
だから自分などは頭脳もだめだ体力もないからうらやましいとなる。
そうなれば女性にもてるということがある。向こうからよってくる女性がいくらでもいるとなる
monooooooo111.JPG


こういうふうになり傲慢となってくる、三流大学だったりしたら女性もよってこないだろう。頭が良くて体力がありスポーツマンであり医学部であり将来医者となるとしたら最高だとなるのが現代である。
なぜこういう人がいるのか劣等生とか自分などは理解できないのである。
学力とか体力とかは生まれつきなものがあるとなる。そういう人はさほど努力しなくくても勉強できるのかもしれない、だから劣等生には理解できないのである。

でもなぜこういう若者がこんな事件を犯したのか?それは若気の至りであり特殊なことではなかったのか?
ただこうして優秀な人の問題は必ずうぬぼれる、傲慢になることなのである。
それを何度も指摘してきた。傲慢になることは一個人でもそうだが国家などでもそうである。「奢る平家久しからず」というふうにその傲慢が必ず滅びに通じいるのである。

だから若いときからそうして優秀だと非常に危険なものになってゆく、自分もふりかえると三流大学にしろ田舎ではまず一クラスから四五人しか大学には行けない、自分が行けたのは頭がいいからではなくただ経済的にめぐまれていたからにすぎない、それでも何か傲慢になる。その時代第一集団就職の時代であり金の卵としてクラスの三分の一くらいがそうなっていたのである。その差が大きかったのである。

ただ自分の場合は大学出ても就職もしない特殊なものになった。大学でてもエリートでもなんでもない、放浪したりして底辺労働者になっていたのである。
そうなるととても大学卒などというものではない、底辺労働者にすぎなかった。ホームレスのような時もあったのである。だからうぬぼれることはなくなった。
でももしその時大学出て恵まれた会社であれ公務員であれそういうものになっていたうぬぼれたものになったかもしれない。

だからこういう事件を犯す若者の危険はうぬぼれることにあったのである。
まず若いときに金がありあまっていたりうぬぼれたりする、高い地位についたりすることほど危険なことはない、若いときは望んでも苦労せよというのはそのためである。
ところがこうして優秀な若者はすでにうぬぼれたものとなっている。
人を見下すようになっている、そういう若者がやがて最も尊敬される医者になることは怖いことになる

なぜ医者とか看護師とかがすべてではいないにしろ嫌がられるのか?
今の時代は特別尊敬されるからだろう。
また病人になったとき弱者となったとき何か同情心に欠けてはいないか?
つまり傲慢だということはいくら頭が良くても謙虚さがなく同情心に欠けるからである。でも病人とか弱者を相手にするときは同情心は欠かせないのである。
そういうものがないとしたらいくら技術的知識的に優秀でも怖いとなる
だから自分は病院が怖いとなる、もう苦しいけど病院には行きたくないとかその前に死んだ方がいいとまで思うようになったのである。
それは病院だけではない社会全般に言えることである。
なぜこれほどブラック会社が多いのか?人を人としても見ていない、働くロボットとしか見ていないからかもしれない
そういう非情のシステムの中で働いているのが現代なのである。

つまり医者になる人は今や優秀でもそういう若者が多いとなるから困るのである。
若いとき何でも下積みで苦しみ下々のことをわかる人が上に立つの理想なのである。
結局日本はエリート養成に失敗したである。
それは江戸時代から明治になったとき起こったのでありそこに原因があった。
江戸時代はエリートは侍だったけどその人たちは高いモラルをもっていた人たちだった。
そして江戸時代は不思議なのは寺子屋の先生でもその人柄がいい人とかで決めていたのである。知識とかではなかったのである。医は仁術というのもそうであり医者はその腕よりモラル的なものを重視していたのである。
だから医者は人情に厚い人が多く例え技術がなくてもそれでいいとしていたのである。

今は全く逆なのである。民衆が望んでいることはそういうことではない、教育だったら先生だったら例えば英語がどれくらいできるのか、数学がどれくらいできるのか、専門知識がどれくらいあるのか、そういうことしか見ていない、人柄とかモラルは関係ないのである。
だから江戸時代というのは不思議だと思う、それはあらゆる分野でそうである。
江戸時代の方が入会権であれなんであれ私有という概念がない、共有しかないのである。明治になって私有権が異常なほどに主張するようになったのはそれが認められたからなのである。それが自然破壊とか原発問題にも起きていたことを指摘した。

江戸時代が遅れた時代とされるけど明治になって西欧文明が入ってきたとき日本にあったもの、いいものが失ったことを今考えねばならない、そして第二次世界大戦でも日本がアジアに進出したのは吉田松陰であれ西郷隆盛であり征韓論者でありアジア進出者、侵略を公言していたのである。
現代の問題の根はさかのぼれば明治維新にあったとなる
それで福沢諭吉は学問を出世の手段とした。東大出が法曹界だ支配するようになったり官僚支配の構図も明治にできたのである。その時江戸時代の侍はいなくなっていたのであるそのことが現代の腐敗の原因だったのである。侍はモラルを一番重視していた人たちである。
だから改革というとき江戸時代を見直す作業が必要になるのである。
内村鑑三は西欧文明はキリスト教文明だからキリスト教を導入しないと日本は滅びるということを予言していたのである。
江戸時代は儒教であれモラルを最優先した時代だったとしても社会がモラル的には安定していたとなる

日本は明らかに明治維新からエリート養成に失敗したのである。それが戦争の敗北とかに通じていた。それは現代もその構図は変わっていない、教育でも医学でも科学でもモラル喪失の時代を生きているのである。
もちろん支配階級がそうなのだから下々も当然モラルなどなくなっている、人情もない世界になったいる
だからこれからの問題としてエリート養成の問題がある。その改革をどうするのか?
それが大きな課題なのである。
タグ:レイプ事件
posted by 老鶯 at 10:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2016年12月14日

複雑にもつれた原発事故の被害地域 (補償金では外部でいじめに内部でももめつづけている)


複雑にもつれた原発事故の被害地域

(補償金では外部でいじめに内部でももめつづけている)


●双方の言い分をマスコミで報道しない

この辺はともかく複雑にもつれた地域になっている。
例えばNHKで飯館村の人が相馬市のトマト農家に仕事をしたいと行ったら断られたということを放送した。それを見ている人は飯館村の人が困っているのになぜ断ったのだとその農家を批判する、でもその農家の人は相馬市でも津波の被害にあった人がいてその人たちは補償金ももらえないので困っているからそっちを優先したのである。
ではなぜこういうことが起きるのか?
それは常にテレビとかマスコミは一方的に自分たちの意向を通すために編集して報道するからである。
だから必ずかたよったものとなりそれが世論を形成する、NHKだと影響力があるすぎるからである。
するとそうなれば取材される方も自分たちの有利なように放送してくれとなる
すると自分たちの方が正しいのであり自分たちの言い分に逆らうのは許せないとなる
だから自分でも小高の人たちを批判するとなんだあいつは情もないのかとか批判される

でももし一方的でなければそんなことはならない
「飯館村の人が来たけど津波の被害者の方が今は困っているんですよ、そこをわかってもらいたいです」
「そういうこともありますか、しかたないですね」
なんかこんなふうに双方の言い分をのせれば別に一方的にならないのである。
それはいわきでも津波被害者がいて補償金ももらえないから避難してきた人たちに不満になる
でもなぜ仲間に入れてくれないのと原発避難者が言うときその発言をNHKでは一方的にとりあげるからいわきの人たちは何なのだと冷たいなとか見るのである。
公平な立場で報道していない、たいがいマスコミは公平には報道しない、NHKでも民間でありましてやマスコミでも民間の一営利団体にすぎないのである。
別に公平に報道する義務もないとなる、ただNHKは公共的なものがあるから批判される

何かこの辺の事情は本当に複雑である。南相馬市なども補償金で三つに分断されたように複雑である、それもそれぞれ言い分はある。
でも小高の人に言うとものすごく不満になり怒る、その一つがNHKであれマスコミであれ回りが例えばボランティアでも常にかわいそうな人たちとして援助してきたからである。そうなると自分たちは被害者であり援助されて当然である。
それなのに鹿島だとか避難した先の人はなんで俺たちのことをとやかく言うのだとなり
それが怒りになっているのである。
このボランティアも問題があった。別に応援してくれるのだからいいがボランティアは一時的なものであり気楽なのである。そして援助してくれた人たちとして地元の人から歓迎されてあとは関係しない、それでもボランティアも地元の避難者が毎日パチンコなどで遊んでいたとき働いていたから怒っていたのである
ボランティアでも女川町に移住した若者は違っていた。そこに住んで復興しようとしていたからである。
そういう人は一時的なボランティアとは違う、真剣な人だから感心したのである。

●補償金でもめつづけている

そもそも原発は今になると双葉とか大熊とか富岡とかの一地域の問題ではなかった。
広範囲に影響及ぼす問題だったのである。
被害も中通りまで及んだからである。
そして今になりまたそれが自覚される、南相馬市の復興住宅に相当な人が移ってくる
浪江の人は一番多い、飯館の人も移り住む、どうしても相馬藩内は縁故があったり
土地に慣れ親しんでいるからである。
会津だったら寒くて嫌だとなるし雪かきするのも大変である。
だから気候的にも浜通りは住みやすいから移りたいとなる
それで県営復興住宅が原町には五階建てとかのが並び立っている
一大復興団地ができたのである。
あれをみるとつくづく原発は福島県全体の問題であり南相馬市でも深くかかわらざるをえない問題だったのである
でも事故前はそうみんな思っていなかったのである。
だからこそ小高と浪江の間に東北電力で原発が建てるところだった、工事もはじまるところだったのである。
それは合併する前のことであり知らない人が多かったのである。自分も知らなかったからである。なにか原発はそのように狭い地域で決められていたのである。

補償金の問題にしてもこれも本当に複雑だった。
小高の人が「私たちは買物したりして鹿島の人を助けているのよね」とか言っていてその人は全く鹿島の人たちの気持ちを知らなかったのである。
別に普通だったら消費者は神様だとなっていたかもしれない、でもおかしいのは鹿島の人たちも補償金をもらって消費したいということがある。
なぜあなたたちがそんなになんでも補償されているのにこっちはされていない、まず家に帰るのにいちいち補償金が何万とかもらえるのである。いたりつくせりなのである。
介護でも優先だったし病院も無料だったしとあらゆるものが優先されたのである。
でも自分もそうだがその土地に住んで困っている苦しんでいる人は常にいるのである。
だからそういう人たちを見てどうみるかということである。

ある人が生活に苦しい人が同級生とかの仮設に住んでいる人に行った、その人は妻が息子の所とかに行っていてないから淋しくてそうなったのだろう
金があるからそうなった。会社勤めで年金をもらいさらに補償金をもらいとか月に五〇万以上もらっていたかもしれない、それでフィリピン人の女がよってきたともなる
なんかあとは遊んでいる人もいたのである。
鹿島の知り合いの生活が苦しい人は何か手伝って生活のたしにしようとしたがその後は小高の人がきてうまくいかなくなり関係していない、そして小高の人に不満を言っている
小高の人にもいろいろいるから一概には言えない、でも何か補償金がみんないいものとは限らなかった。
金あるものが偉いんだという社会だがここではそうならなかった。
その原因が原発は広域的な問題であり最初からそうして広域的に責任を負う問題だったからである。今になるとそう思っていなかったが現実に負わされていることでもわかる。
大熊であれ富岡であれ双葉であれ俺たちの町に金が入ればいいんだという問題ではなかったのである。その最初から原発の扱い方が間違っていたのである。

●フクシマの自主避難者の子供にいじめ

これも最近二カ所横浜と新潟とか東京でも起きている、自主避難者だとなっている

東京都千代田区の区立中で、原発事故のため福島県から自主避難している生徒が、同学年の3人から「おごって」などと言われ、コンビニなどで計約1万円分をおごらされていたことが、13日わかった

横浜も新潟も自主避難者なのである。自主避難者とは避難区域に指定されていない人たちであり比較的線量は低い、福島市とか郡山市とかの人たちも自主避難した。
そして自主避難した人たちは地元の人たちからも地元から逃げたということで非難なれていたのである。

だからこれがどういう事情なのかよくわからない、なぜみんな自主避難者なのだろうか?
第一自主避難者は避難区域に指定された所から来た人と違いせいぜい家賃くらいしか援助されていないのである。だからなんら夫婦で別々に暮らすとかなった人たちにもなる
母親が子供を連れて自主避難したからである
ここでどうして自主避難者だけがいじめになっているのか?
この辺の詳しい事情がわからない。

放射能の恐怖に震える自主避難者と、家を持てない人や、家を持ち続けることが困難な低所得者を分断してしまった。そうした状況で「自主避難者は特別なのだから、住宅支援を」と叫んでも、理解が得られるとは思わない。 

 つまり、自主避難者の困難の責任は行政にあるのではなく、論理的なロジックを構築する努力を欠き、自主避難者の存在を反原発運動のために利用し続けてる、支援者の側にあるのである。

こういうこともあるのか、左によって原発も利用されていることもある。
そしてなぜ家賃が無料なのか?貧乏の底辺層にすると納得がいかないとなっているのか?
それは小高の人が鹿島の仮設に住んだ時も起きていたのである。
貧乏な底辺層はうらやましがっていた。なぜあんなに補償金であれ何でもあれ優遇されるのかとなっていたのである。それは底辺層だけではここではなかった。
要するにいじめの原因は今は貧乏な人たちが多いからそういう人たちのやっかみなのかとなる、それは現実にここでも起きていたからである。
そして自主避難者はなぜ放射線量が低いのに避難して無料の家賃で住んでいるのかと底辺層が不満になった。金持ちだったらそんなに恨まないのである。
つまり東京であれ貧乏な人たちが増えているからそうなっているのかとなる 

いづれにしろ福島県はお前たちが原発を建てたんじゃないか、積極的に誘致していい思いしたんじゃないか、それなのにまたそんなに補償金もらってうわうわだわなとか言う人がかなりいる、ただ公には言えないので子供のいじめとなっている
では内部でも以前としてもめつづけているのである、浪江でも帰れない地域とそうでない地域は相当に補償金に差があるからもめている、それもそもそも浪江町であれ飯館村だって大地はつながっているからそうなる、放射能に汚染された泥が飯館村から流れてくるからである。
だから放射能の被害はそうして細かく区切ることが争いの元になったのである。

posted by 老鶯 at 14:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連