2016年11月28日

地方銀行の役割は何なのか? (証券などに手を出すのは信頼を失いかねない)


地方銀行の役割は何なのか?

(証券などに手を出すのは信頼を失いかねない)


「地方銀行は、守るべきところ――つまり地域そのものであり、地域にある企業や住んでいる人ですが――が、はっきりしている。これが地銀の大きな特徴であり、アイデンティティだと言えるでしょう。だから、地銀は地元を決して裏切れないし、地元に信頼されるべき存在なんです」

銀行が、モラルハザードを起こしやすいということである。そのため、課題としては、モラルハザードを起こさないで、信用される銀行になることである。銀行が不祥事を起こし、顧客離れが起きたしまうことは非常に危険である。そのために、まず、不祥事を起こさない内部の取り組み・仕組みづくりから行わなければならない。その銀行の特色として、信用がある銀行と顧客から言われることが銀行にとって一番大事なことである。


利益をあげるためにも、投資と証券が必要になってくる。これから投資と証券のエキスパートが、地方銀行の鍵を握ってくるだろう。

今後の地方銀行


地銀というくらいだから地にその土地土地に根ざす銀行となる。地銀とメガバンクなどは役割がそもそも違うものとして生れた。
つまりこれは郷土学とも関係あるものだった。
郷土に根ざした銀行が地銀である。メガバンクは大企業に融資するが地銀は地元に融資するからその規模も小さいのである。
地元の零細な会社でも自営業の支えとなるのが地銀である。
でも今や利子がつかないとか地域経済の衰退で地元で成長する成功する産業も減少した
そのためにグローバル経済化したなかで証券などに手を出すことになった。
これは預金者が利子がつかないということで全国的に起きていることである。
その時危険なのは地銀の本来の役割が見失われることと地域の信頼の上に成り立っていたものが失われる危険である。

そのことを自分は身をもって経験した。なぜ銀行員なのにその若い人は証券場で働いていたという、そのことをしきりいってすすめてきた。
証券に詳しい人と話を聞けば思う、でもそもそもその人個人が優秀でも銀行は証券会社ではない、つまり証券に関する知識でも情報でも経験でも積み重ねがないのである。
なぜならそれは別分野の仕事であり会社自体が地銀自体が最近利子がつけられずどうして預金を集めるかもうけるかとなり証券とかに手を出すことになった。
実際は銀行自体が証券を扱うのではなく大きな証券会社の下請けになっているにすぎないのである。
だからそもそも地銀の仕事と証券の仕事はにているようで違ったものなのである。

その一人が証券場で働いていても地銀自体は証券のことは知識の蓄積もなにもないので知らないのである。だから部長がきたとしてもその人は確かに世界情勢とか知識はもっていた。でも別に証券とか株の知識があるわけではなかったのである。
部長レベルですら地銀だったら素人と変わりないと思った。
だからカナダの国債が安全だとしてすすめられてまた売ったときも大損をしていた。
売るときも円高のときだった。今になると円安になっている
そして管理がずさんだったのである。仕組みが複雑すぎてどのくらいあづけた金額が減ったのかも報告されなかったのである。
早い時期に売るべきものだったが報告されないからわからなかった。
それは自分があづけっぱなしにしていたのが悪いんだというのもそうである。
何でも他人にあづけぱなしまかせてしまうと文句は言えないのである。
だから知らないことはやるなというのは確かなのである。

第一そもそも知らないというとき地銀は証券とかの知識はないのである。
その一人の若い人は証券場で働いた経験があるとしてもとても一人でグローバル経済にたちうちできるものではないからである。
それより地銀はグローバル経済にたちうちできない、素人となんら変わりないのである。
そして銀行とか郵便局でも投資信託をはじめて損した人が怒って訴えたことがあった。
それも郵便局が地域で信頼していたからである。
郵便局が窓口となっていたことで信頼して投資信託を買ったのである。
そういうものではないにしろリスクがあるにしろそう今までの習慣で思ったのである。
知らない人は地銀でも銀行の人がくるのから信頼できのかともなる

そして結果的に自分の場合は銀行も信頼できない、証券に関しては知らないんだということを大損して知った。
そもそもが地銀がグローバル経済の中に組み入れられて証券でもうけるとなると本来の役割からはずれたものとなる
グローバル経済は今は格差を生んで批判されている、それで世界の潮流としてグローバル経済は否定されつつある。
でも地銀でももうけ先がないから手数料が入るから証券に手を出したのである。

いづれにしろ証券などをしていると地銀の役割が見失われ信頼が失われる
この信頼が失われることは怖いことになる
あそこには金さえあづけられないとかなるかもしれない、あれほどもうたると言ったのに大損したとか地銀に対して信頼できないとなるかもしれない、
もちろんもうけさせればそうせならないが証券は株でも素人はもうけられないようになっているからだ。となると手数料だけ地銀はとっているだけとなり信頼を失いかねないことが怖いのである。
証券とが株はそういうものだといえばそれまでだが何かそれだけではないものが残ってしまう。銀行も証券をはじめたがうまいこと言うだけで損するだけだとなって地域の信頼を失う、それは証券をはじめた人が悪いのであり銀行は悪いのではないとういことも確かである。
でも何かそれだけでは割り切れないものが残るのである。

例えはギャンブルなら賭博場ならそういう場では大儲けする人もいるし損する人もいる
そこはそういう場所としてあり損したからといってそういうものだとしてそのガジノがあることを批判することはない
でも銀行は何か堅い職業としてあった、だから何か証券場になるのはそぐわない、賭博とは違っていても何かそういう感覚になる
証券はリスクが大きいからである。
地域に生きるとなると信頼が第一になる、二本では狭い村社会が基本にして生活してきたから信頼を失うともうそこでは何もできなくなる、それで世界で日本は一番相互信頼が強い国だとなり犯罪も少ない社会だとなっていた。
それがグローバル経済などで破壊された。それは地銀にも及んでいたのである。

世界がイギリスのEU離脱でもアメリカのトランプの勝利でもそうだがアメリカファーストいうときまさにそうである。ナショナリズムへの回帰となっている
日本でも地銀でもそうだがメガバンクと地銀の役割はそもそも違っていた。
グローバル経済になると巨利を得たの世界的メガバンクである。
ゴールドマンサックスなどはリーマンショックでも年収が七〇〇〇万もありその蓄積があったから影響がなかったとかある
こういうグローバル金融資本主義が世界的な格差を生みアメリカでさえ貧民の国になっていたのである。その怒りがトランプの勝利になったのである。

ともかく自分にも非があったが地銀に対する信頼はその人でもその銀行に対しても疑問をもつようになった。もともと証券の知識などないのだから地銀を通じて金を操作させてはいけないものでもあった。
そして管理の仕方もずさんだった。逐一報告して売り買いしないかぎりもうからないしリスクになる。それができないのだから地銀などには頼むべきではなかったとなる
つまりリスクというとき証券など知らないとういこともあるが地銀に頼んだことにもあった。その管理もずさんだったからである。
そして証券とかグローバル市場でもうけようとしたら意外とその担当する人による
今回も実際に売ったり買ったりしたのはカナダの国債を選んだ若い人が担当者だったからである。売る時期とかも大事になる、タイミング大事になる、それが裏目に出たのである投資家というときこれも実際は優秀な人がいるし医者でも藪もいれば優秀な医者がいる
だからその当たりはずれも大きいのである。
ただ自分で売り買いしたりできるなら自分の責任になるしそれができるならいいが地方ではしにくい、カナダ国債が安全だとなればそうなのかなと日本の国債をイメージして思ったからである。

それで本当に怖いのは為替差益であれたちまち差益が大きくなり大損になるのが外国向けの投資信託なのである。確かにもうけることもあるがその損するときの額も大きくなるのである。グローバル経済はあるほんの一部のものがもうける仕組みになっているから素人はもうけられない。もうけてもまた損するのである。
こういう悪魔に操作されているようなグローバル金融資本主義はなんらかでリーマンショックの再来とかなんか恐慌とかで崩壊してゆく、その前にナショナリズムに復帰してそれぞさの国の文化を大事にするものへと世界は変わってゆく、そういう兆候が世界的にすでに政治の面でも現実化しているからである。

人間にとって大事なのは信頼なのである。その信頼がないと何事なりたたない、日本では狭い範囲で生活してきたから信頼を失うと繁栄しない、地銀でもそうである
こうした信頼関係が成り立つのはグローバル経済になるとむずかしい。
そこではもう相手の顔も見えないのだから世界から集められたかねはゴールドマンサックスとかに吸い上げられるのである。それで七〇〇〇万の年収を得ていたとなる
そういう暴利を得ているのは異常である、何か物を売るならいいが金融でそんな巨利を得るのはもう悪魔的だとなる、だからそういうシステムを否定する力が世界でわきあがる
それがアメリカですら起きていることなのである。

職業には何でも知識が必要である。


本屋だって本の知識とか本の内容を理解する知識が必要

料理屋は料理についての材料でもなんでも知識が必要

農民だったこれは様々な体験的知識が必要

大工は木材とか深い体験的知識が必要

医者ももちろん知識がなければできない

店屋も売るものの知識が必要


本屋などは本についての知識がないからつぶれてゆくということもある
ただ本をならべているだけだからである。
電子本の影響もあるがそもそも売る本を理解して知識があって売っている店はまれだったのである。
株とか証券も知識が必要、でも銀行では地銀ではその知識がない
株は上がるときもあれば下がる時もある
為替も上がったり下がったりする
世界には常にリスクがある、それは誰もわからないんです
大損しても私たちにはどうにもなりません、責任はとりません

ただし手数料だけは確実にいただきます

損しても文句は言わないでください、それが投資信託であり株なんですから

要するに投資信託でも株でもその知識はある人はある、でもそういう人とはめったに出会いない、だから素人にはもうけられないのである。
他の職業は知識がなければ勤まらない、簡単に注射だってできないだろう。
家を建てのだって危険になる、証券とか株は頼んだ人は大損しても何の保証もないのである。
その時情勢によりますからどうにもならないですで責任などとる必要がないのである
となるとこれほどでたらめな職業はないともなる
無責任きわまりない職業ともなる

『当たるも八卦、当たらぬも八卦』

それは運しだいです、負けても文句は言わないでね

いくら知識を言ってもそれがどうなっているのかわからないからである。
だからペテン師なのかとなる、ギャンブルと同じだとなる
そのギャンブルも素人は負けるようになっているからやらない方がいいとなる

posted by 老鶯 at 17:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題