2016年11月27日

近辺の冬の写真と写生俳句


近辺の冬の写真と写生俳句



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石囲む庭や中にそ冬椿

石ありて散り重なれる紅葉かな

鳥一羽枯木にとまり餌ねらう


写生は俳句という時本当にそうである。
この三枚の写真を見ればわかる。
写真がすでに写生でありそれに俳句を付け加えただけだとなる
写真俳句が生まれたのは必然だったのである。

冬椿が咲いていたのは石の展覧会のように庭を飾っている家である。
あの家はこの辺では誰でも知っているだろう
いかにも金持ちの家という感じだからである。
あの石は見物である。あの意志だけで相当に高額かもしれないからだ。
ただ他人の庭でも見るのは無料なのである。

近くでも何か毎日見ているそこに変化がある。季節の変化がある
紅葉が散る、あそこの庭は外から見ても何か日本的でいい感じである。
だから他人の庭でも鑑賞している。

今日は枯木に一羽鳥がとまっていた。いかにも冬らしいとなる。
本当は今は晩秋なのだが冬になっている、綿虫なども飛んだ
季節感がおかしくなる。
この鳥は鳶だったのか?鳶というとき冬の季語なのである。
この鳥はただとまっているのかと思ったら餌をねらっていたのである。
川から魚をとったからである。その場面はとれなかった。
まずそんな場面はよほどでないととれない。

ただ近くでも季節の変化があり何か写真になるものがあることは不思議である。
こんな狭い田舎でそんなにないと思うけど結構ある。
ここ十年は旅に出たことがほとんどないのに結構写真をとっているからである。





タグ:冬の俳句

真壁仁の詩が津波や原発事故を予見してた (農民詩人の語るもの)


真壁仁の詩が津波や原発事故を予見してた

(農民詩人の語るもの)

おきき
河がささやいている
その肌を汚す乙女
流れを血で染めるな と
河がうたっている
家畜をはなす若者
ふるさとの土を守れと
わかものは合唱する
黒い虹のかわりに
白い翼の鳩がふるさとの空に帰る日の歌を
河は夕映えを写す
河は星を写す
歴史をいろどる

真壁仁詩集

これは最上川の短歌でとりあげたけど何かこの辺の状況を詩にしている感じになる
河が汚れたというとき故郷が放射能で汚染されたということである。
「家畜をはなす若者」とは牛を飼っている人になる
ふるさとの土を守れとは田畑が放射能で放置され荒地になっていることに通じる
黒い虹とは津波や原発事故のことである。

白い翼の鳩がふるさとの空に帰る日の歌を

これはふるさとが元の放射能のないふるさとにもどり平和がもどることである。
若者が帰ってくることである。

河が夕映え星を写すというとき故郷の景色の中で再び暮らすということである
この詩のテーマはやはり農民は常に苦しんできて貧乏だった
特に小作が多く地主を恨んでいたのである。
その重圧が大きかったのである。
この時は農業中心だからふるさとの土をまもれとなる
今になると農業は常に否定されてきた、金にならないと否定されてきた
農業だけはやるなと親になぐられた子供さえいた、その子供は成長して原発や建築現場で働いたのである。
他にも農業はやりたくないとほとんどが会社勤めになったのである。

ただ真壁仁とか生きた時代はまだ農業中心の時代である。だから農業に固執して生きる他なかったのである。苦しくても農業の他に仕事がないからである。
現代では農業に固執しない、だから補償金もらったら若者は外に出て行って帰らないとなった。土を守るという意識がないのである。

ただ故郷に帰りたいということはあるだろう、故郷の景色を再び心に写したいということはある。老人の場合はかえってそれが強い、でも若者はむしろ故郷にこだわらない、なぜなら農業中心の社会でなくなったからである。
だからかえって補償金をもらい、姑とも離れて暮らせるからいいともなってしまった。

若い人が老人が息子が娘が帰ってきてほしいと思ってもそうはならない
それが現代的問題としてあった。
ただこの詩が何かこの辺の状況にぴったりなのである。
詩は何かを暗示するし比喩となるから状況は変わっても同じようなことが起きて
時代を越えて活きてくる
この時の状況は今とは違っていても同じような状態がここに起きてその詩が活きてくる

違うのは農民が八割とかいた時代と今はあまりにも違いすぎることである。
故郷でもその土地でも執着しない、農民だったら土を守るというのを体で知っている
でも今は田舎でも農民は一割にみたないとかになるとそういう感覚はなくなる
それで放射能汚染とかは土とか水とか森とかでも生活の基本になるものが汚染されたことが致命的だったのである。

ただ放射能汚染で不思議だと思ったのは 河は夕映えを写す 河は星を写すというときなんら自然は見たかぎり前と同じようにきれいなのである。
空がよごれているわけでもない、水が汚れているわけでもない、だから前となんら変わりないとみる、美はそこなわれていない不思議なのである。
でも空気とか水とか土は実際は汚染されているのである。
ただ見た限り以前として同じような状態に見えることなのである。
それが放射能の一番不思議なことだったのである。

最上川紀行短歌二〇首

タグ:真壁仁の詩
posted by 天華 at 11:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連