投資信託でも証券会社、銀行でもでもリスクをとらない
(原発もリスクを説明しないから詐欺だった)
投資信託などわからないでやったのが失敗だった、得したのは手数料でもうけたのは銀行と証券会社だった。
人間は知らないことはやるべきではないということは本当だった
ずぶの素人が株とか投資信託ではもうけられない仕組みになっている
第一銀行のいいかげんさに気づいたのは全くリスクをとらないからすすめる方は安全なのである。
投資信託で銀行も証券会社も絶対に損しない
これは何かおかしいなと今になって損して思った。銀行がかかわろうが銀行は何のリスクもとならいのである。
だから気づいたことは今度はその銀行の投資信託をすすめた人に個人的にもうけたら半分はやるからある程度の金を頼むとまかせる、その代わり損したらリスクを半分でもとってくれとなればまかせてもいいと思った、結局銀行を経由してやることもなかったのであるその人は訓練を積んでいるし実際に株の取引にもかかわっているとなるとそうなる
人間社会では何かリスクがどこでもあるものだとつくづく津波とか原発事故で思った。
こんなにリスクがあるのか?
原発をがこれほど恐ろしいものだとみん思っていなかったのである。そううい知識もなかったのである。
株とか投資信託もそうである。投資信託は株と同じである。外国の国債でも日本の国債と思い安全と思い買ったがこれが非常に危険なもので大損していたのである。
それも知識がないからそうなった。為替差益で円高になって大きな損失になっていたのである。
資本主義社会は社会主義と違ってリスクがありそのリスクでもうけが大きく左右される
事業でも起こすことができるがそのリスクが大きいのである。それは半端じゃない、ギャンブルともにている
実際に自分の母方の祖父は警察署長していても機織りの工場をその時のブームでして失敗して一家離散になった。父方ではやはり工場が倒産してその土地は今は更地となっているそして最近自分の見にふりかかったのがやはり遠縁であってもかかわりがありそれで苦しめられたことを書いてきた。
へたすると相手は借金なので殺されるのかとすら恐怖を感じた。そういう推理ドラマが常にあるからだ。借金のためにはどんなことでもするようになるのが人間なのである。
自分が病気であり介護のときに責められたから地獄の恐怖だかったのである。
いづれにし事業で成功するのは20人一人とか本当にまれなのである。事業で失敗したなどごろごろどこにでもいることなのだ。そこから事件が起きてくることが推理ドラマのテーマになっていることでもわかる。
資本主義社会はリスクをとり成功すれば社会で特殊な地位を築ける、トランプのようにな大金持ちにもなる、ところが一旦失敗したら悲惨なのである。
それで自殺する人も多いということはそれだけ事業で成功することは並大抵のことではないのである。
もともと船で航海して貿易するとおおもうけできた、その時金をだした株主は船が沈まないならら大儲けしたがもし船が沈んだら大損になっていたのである。
そういう資本金を出すにしても賭けであり賭けに勝てば大金持ちにもなるのが資本主義なのである。
勤勉の資本主義もあるがリスクをとってもうける資本主義もある。
そして現代ではそうしたリスクも結局マネーゲームでもうけるのはギャンブルだったら胴元だけななっているのかもしれない、その仕組みに精通できないからである。
人間はなんらか人生では株でなくてもリスクがある。どんな人間でも別に特殊な人間でなくてもそういうリスクをもたざるをえない、要するに人間は先を見ることができないのである。
母が東京で結婚して一年にもならないのに夫が事故で死んだとかなにか常に意外なことが怒りその人生航路が狂ってしまうのである。
まずいくらリスクをとらなくてもリスクをとらされるのである。
母はもともと何にも冒険するようなことをしない大人しい女性だった
ところがこの辺で水害になったとき炬燵の穴に入って怪我をしたのである。
つまり人間はいくら安全を計って家の中にいても危険がある
危険がもうさけられないとなっている、津波でもそうだった。あんなものが来るとは誰も予想できない、これほど生きていることが危険なものか思い知らされたのである。
そして人間はまたリスクをとりそれを乗り越えないと一人前にもなれない
イチカバチカの勝負に出て一人前になる、英雄にもなる。もしそのリスクをとらなければ英雄にはなれない、またそういうリスクがなかったら人生もつまらないともなる
別に自分で望まなくてもこの世では否が応でもリスクをとらされるのである。
たから証券会社でも銀行でもリスクをとらずに自分は安全圏にいてもうけるのはおかしいと気づいたのである。
そんな商売は詐欺にもにていると思った。
他の仕事でも建築関係でも医療関係でもリスクがある。技術的に安全を確保するための努力を払っているのである。
原発は最もリスクがあるものだったのである。それを知らせないのは証券会社とか銀行と同じだった。
投資信託などすすめて失敗してもリスクをとらないのからである。
原発は間違えばこれだけの被害になりますよ、リスクがありますよと知らせないで教えないで事故になったからである。これが詐欺だったのである。
これだけ原発で被害があったら他の国では台湾でもベトナムでもトルコでも日本から原発を輸出できなくなるのは当然である。
そのリスクを考えたら大損なことがわかるからである。
その負担は立地した市町村や県や国民全体でとらされる
税金が延々ととられるからだ。それに頭にくるのもわかる。原発にはそれだけのリスクがあったのである。国民にそれだけの負担を強いるリスクがあってもそれを良く説明していなかったのである。
ただリスクという時別に株でなくても貯金していても安全かというとそうでもない、預金封鎖とかインフレとかで金の価値もなくなる、自分の母は戦争中前の夫が事故で死んで大金をもらったがその時買ったわずかの土地だけが残りあとは紙幣は戦後紙きれになったのである。
だから預金も安全ではない、要するにこの世に完全な安全などないのである。
どんなに安全を計ってもない、病気にならないようにどんなにしようとなる人はなる。
それも保証できない、人間の肉体自体がリスクをかかえているのである。
どんな丈夫な人でも病気になるとたちまち総崩れになる、一転してこれほど人間は弱いのかと驚くのである。
優秀な人でも認知症になったら頭もだめになるからもう信じられないとそのことを書いてきた。
そうしたことは晩年に最後に起きやすいのである。
いづれにしろ何でもリスクがあるのにリスクをとらないのはずるいと思った。
原発だってこれだけのリスクがあったが会社の社長でも幹部でもそのリスクをとっていないのである。他の事業を起こした人はリスクをとらされる、それで自殺する人も多いからである。
そういうリスクがあるとしたら株でもそうだが知っていればそんなもの作らないだろう。作ったからにはそのリスクをとることが責任をとらされる
でも政府でも官僚でも東電でも誰もそのリスクの責任はとっていないのである。
それは証券会社とか銀行と同じだったのである。
それは国家的な詐欺でありまんまんと国民もだまされたとなる
ただ国民にしても銀行のすすめで投資信託でもうけようとしたのでありその本人も責任はあり責任は損失でとらされる、でも証券会社は銀行はとらないのである。
そんな人たちに原発をまかせられるのか?
つまりもしそれだけのリスクをとらされるとしたらどうなるのか?
必死で銀行でももうけようとするしアドバイスもする
別にリスクをとらないから本気にはならない
失敗したら切腹させられるとかなれば本気になる。でも原発ではそういうことであまり真剣に安全のことは考慮していなかったのである。
そもそも原発は人間が完全に安全に運転できるものではなかった。
その割にはものすごいリスクがあった
確かに交通事故もリスクである。未だに年に6000千人は死んでいるからである。
これもそのリスクを承知で車を運転している
ただ原発は強固な「安全神話」を作って成されていたことが問題だったのである。
証券会社でも銀行でも一応元金割れのリスクは言っているからである。
原発にはそういうリスクがありますよということが「安全神話」となり言われなかったのである。
でも大損失になりリスクを否が応にも地元ではとらされたのである。
確かにこの世に生きる限りリスクはまねがれない、どんなに安全だといっても今回の津波のように予想外のことが起きてくる。
ただ人間はリスクをとらなっかたら大航海時代も何も人間は進歩しないというのもそうだった。様々なリスクがあってもそれを乗り越えてきて進歩したとなる
人間の生きる醍醐味はリスクを乗り越えてそれで生き延びるとか成功することにあるからだ。
ただ闇雲に勝算もないのにリスクをとるということも問題である。
原発は科学が主要なものとして運営される、科学技術の粋が集まり運営される
科学というのはリスクをとってはいけないものである。一歩間違えば犠牲が出るからである。建築だってそうであり原発はその最たるものだったのである。
航空機でもこれも安全が第一でありそれは計られている、もし一回の事故でも犠牲者が多くなるからだ。だから万全を期しているのである。それはほぼ達成されている
原発はさらに厳重に安全に万全を期していなければならなかった。
しかし現実はそうではなかったのである。
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