2016年11月17日

晩菊(原町へ行く旧街道の川子の枯れた松)


晩菊(原町へ行く旧街道の川子の枯れた松)


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陽のあたり小菊一杯飾る道

晩菊や旧街道の枯れし松

晩菊のとりどりここに今日も暮る

晩菊やここになおあり枯れし松

石の庭ここに落ち着き紅葉燃ゆ

明らかに夕星(ゆうづつ)一つ冬に入る

石二つ庭に眠るや月明かり

枯れし松なおここにありその生を留めんとして冬に入るかな

この道の落葉の雨にぬれにつつ我が踏みつつ今日も暮れにき

木枯らしや老いてあわれも散り散りに木の葉散らさる事故の後かな



今は秋から冬になるけど今年はまだ晩秋になるだろう。晩菊とか紅葉も今にあっている。季節の感覚が変わったのである。
原町への旧街道の松は枯れたままなお残っている、まるで幽鬼のようにまだここに根付いてある。実際はこの松は死んでいるのである。
でもなんか自分の母親は百歳まで生きたけどまさにこの松のようだったのである。

これは死んでいるのか生きているのかやはり倒れないから生きているのか?枯松という地名も残っているようにこういう松は各地にあった。なんかここに自分が死んでも跡を残すような執念すら感じてしまうだろう。人間は思うにそれだけ生の執念は強いものである。
一旦生を受けたら本能的に簡単に消えたくない、いや消えるということに耐えられないのである。
動物には死を気にしないというが嘘だった。隣の犬は死ぬ時三日前くらいから悲しそうに吠えつづけていた。それは死にたくない死にたくないと吠えつづけていたのである。

これは別に寝たきりの人とは違う、最後までその土地に大地に根付き枯れて死んでゆく、ここが旧街道でありその土地にもあっている。その場所にあっている
松は人間ならもっとここにいたいということが伝わってくる
人間は長年住んでいるとそういうふうになる、だから老人は長年住んだ所に生きて死にたいとなるのである。
ただあそこにリサイクルの煙突があったりなにか景観は変わってしまった。
相馬の方に行く五本松は良かったがあそこも二本の松が枯れたのは残念である。
この松に祠もあり供え物もしている、何かここにまだ残ってほしいということで近くの人がそうしたのか?
この根元に橙色の晩菊が咲いている、それは何か自分が百歳の母親を介護しているという感じなのである。自分自身も年であり晩菊になったということである。

石の庭に紅葉が燃えているのもいい、移動して動く時燃えるとなるが実はじっとしていて燃えるということもある、心が定着して燃えるということもある。
それは一つの場所に定着して仕事するということでもあるのだ。
あまりにも動いていると集中できないということもあるのだ。
何か仕事をするにはどこかに定着しないとできないのである。
この辺の状態は変化しすぎて何かそうして定着して落ち着いて仕事しにくいということがある。
あの家だって建ててからまだ一年なのか二年なのかそんなものなのである。
ただ落ち着いたという気分になる。仮設では落ち着いたとはならないのである。

石二つは庭に眠っている、争わない、自分の家では60年も争っていたが今は争いもないというとき不思議だとなる、人間は死ねばみんな争うことはない、生きている内はみな何か争っているのである。男女ともそうである。
死ねば皆争うことはない、石のように争わないから不思議だともなる

それからこの辺では原発事故で避難して家族が散り散りになった。
木枯らしは最近吹いたから冬なのか?
木の葉は風に吹き散ったとき、何か散り散りになった家族のことをイメージした。
自然でも人間のことをみているのである。
散り散りに吹き散らされた木の葉は何かこの辺の状態を象徴している風景なのである。




タグ:晩菊 枯松

原発避難の生徒がいじめで不登校「賠償金もらってるだろう」  横浜市


原発避難の生徒がいじめで不登校「賠償金もらってるだろう」 

横浜市


しかもその150万は、いじめを受けていた彼の両親が、生活費として自宅に保管していたものだそうで、賠償金ではなかったという。明確な金額は明かされていないが、震災による「賠償金」として受け取っていた額は、この家族が「自主避難」だったということもあり、低額だったそう。何とも不憫な話だ…


この事件の背景も複雑だと思った。まず誤解されやすいのが「自主避難」だったとなるとこれは賠償金は家賃くらいしか支払われていない
150万は親戚から借りたものだったという。
「自主避難」は個々に分かれて住んでいる、避難区域になった人たち東電の社宅とか集団で住んでいる、「自主避難」と避難区域の避難者の差は大きいのである。
避難区域の避難者は賠償金を相当にもらっているし待遇がいいが「自主避難」はないのである。
その区別もなくいじめられた、そこには誤解があった。

そもそも「自主避難」は地元でも問題があった。福島市とかでも避難した人たちがいて地元に残った人たちに批判されていたのである。
なぜ逃げる必要があるのかと避難されていたのである。
だからこの問題も複雑なのである。
「自主避難」は地元の人からも非難されていた、そして避難した先でも非難された。
これとは何なのだろうとなる
ただこのいじめは原発避難者全体の問題でありここではあまりにひどいから告発したのである


例えいじめでも福島県民相手なら仕方ないなぁって思ってしまう。 
復興税に凄く腹が立ってる。

「自主避難」だから親も放射脳なんだよ。 
東電からはほとんどお金も貰えないのに避難した人たち。 
親が放射能気にしすぎの性格だから、 
子供にも何らかの影響があったんだろ。

みんなで支えあって生きて行かなければいけない時に自分達だけ逃げます 
って人間を信用出来ますか? 
まともに付き合っていこうと思いますか? 
そんな人間とはまともに付き合えないのは差別になるのですか?  

たかり恐喝をしたクソガキは論外で、子供を放射能まみれの福島から逃がすべきなのは当然としても 
危険な原発を誘致して東日本一体を汚染させた連中に金をやりすぎではある 
福島に留まっている連中にはもう金をやる必要はない

当時は福島ナンバーってだけで石を投げられたんだぞ 
なんか世界じゃ美談みたいになってるけど



ともかく人間は金のことになると本当にうるさい、まず第一一番補償金でもめたのは原発事故周辺であり福島県だったのである。そのこを自分もずっと書いてきた
だから外部でこんなに熾烈ないじめがあったことに驚きである。
この辺でも30キロ圏内と外で補償金が違っていて子供までまきこまれ争いがあったと母親が泣いて訴えていた。
南相馬市では小高と原町と鹿島で分裂状態になったのである。
内部での争いの方がひどかったのである。
鹿島の人は小高の人と口を聞かないとかまでなっていた。

自分も小高の人を批判したことでも「お前は傷口に塩をなめて楽しいか」とかプログに言う奴がいた。自分は建設的に原発問題に関しては取り組み発言していたのである。
小高のことは南相馬市だから自分の身にも及ぶことであった。
ただ避難者でも浪江の人とか大熊でもその人たちのための復興住宅が南相馬市に建っている、それは県で建てたものであり福島県内に建っている、その規模も大きいのである。
だから原発事故で自覚されたのは原発は大熊と双葉とか原発が建っている所だけの問題ではない、福島県内の問題ですらない、東日本や全国をまきこんだものとなっていたのである。

まず原発避難者にも仮設に住んでいる人にも問題があった、この辺では仮設に入っている女性が鹿島区の議員が回っていて応援していた。
そして常に外部の人がボランティアなどが来て応援していたのである。
だから自分たちはかわいそうな人であり応援されるのが当然であり補償金でももらうのが当然だという意識になっていた。
自分はせめて福祉だけでも公平にすべきだと言ったが補償金のことを言っただけでその人は怒っていた。
お前はかわいそうな人間にも同情しない人間なのかと怒っていたのである。
避難者にはいろいろな人がいるにしてもなにか傲慢な人も多かったのである。
だから回りの人たちの評判も良くないということがあった。
原発避難者はなにか特権階級化したのである。
ギャンブルでパチンコなどで毎日遊んでいた人もいたし東京辺りまで風俗とかで遊んでいた人も現実にいたのである。それは一部であってもそういう人がいたことは本当である。だからいわきでは二万人も避難したとなるともめたことは当然なのである。
そして問題はマスコミの報道の仕方にもあった
必ず避難民側について報道していたからである。
避難民をちょっとでも非難することはそいつは同情心もない薄情な人間だとされてしまったのである。

でもこの辺は相馬市となると隣でも原発避難者のように何ももらっていない、補償金をもらったのは30キロ圏内でありその外で南相馬市内ならもらったが30キロ圏内をはずれると一人70万しかもらっていない、それでも相馬市になると全くもらっていないのだからその差は大きいからいつも不満を言っていた、働いてくれとかスーパーで高いものを買っているとか女性だから細かい所を見ている、その人は生活も苦しいとなると余計にそうなるのである。

この補償金は本当にこの辺でかえって災いとなったとまでなっている
そのしこりが大きく修復もできないし協力もできなくなったともまでなっているのだ。
それは避難した側にも反省を強いるものがあったがそれを誰も公には言えない、言うと「お前は傷口をなめて楽しいか」とかなる
外部だったら一回でもボランティアに来てされば関係ないとなる、でもここに住む者にとっては南相馬市民だったら否が応でもかかわらざるをえないのである。
だからこうして内部でもめることは復興の足かせとなったのである。
それで桜井市長も相馬藩の飢饉の時のことを言って自主的に復興してくれと小高の人たちに言うようになったのである。

原発避難民は補償金で遊んでいるだけだ

なにかそういうことが否定できない、それが心証を全国的に悪くしたのである。
これは実際事実だかどうにもならないことである。

そして怖いのは国民がなんであんなに何兆もの金を賠償金につぎこんでいるのか?
それは俺たちの税金なんだと不満になっていることなのである。
だから本当のことはわからないにしても福島県外に出て泊まったりすると嫌だなと感じたただ福島県内でも原発事故周辺でも補償金でもめたし今ももめている。
浪江町でも避難して住めない区域になった所とかありそこでも補償金でもめていたのである。人間金のことになると執拗になりめんどうになる。

この問題の複雑は国民の世論がなんであかんなに原発事故は地元の人たちにも金が欲しくて誘致したから責任があるのに手厚い補償がされている
そういう国民の不満が底流にあり世論となっている。
それは政府にとっても東電にとっても好都合になる。もう政府でも東電も補償金を払いたくないからである。そうしてもめることや国民が批判することはいいことだとなってしまう。

補償金はもう打ち切れ

それが国民の世論になっ ていることが怖いのである。この問題の背景にはそういうことがありこのいじめ問題もあった、避難民は現実に一部では余りにも優遇されてそれに甘えたたということはあった。
でもそれを公に言えないからこうしていじめとか陰湿なものとしてネットでかでもその不満が噴出しているのである。
マスコミでは必ず避難民はかわいそうだから援助すべきだとしか言わないからである。
だから金がすべて良い方面に働くとは限らない、悪い方にも働くのである。
でも金の世の中になるとやはり金が第一であり金さえあれば勝ち組だとなるのが現代の社会である。

でも金だけではこの辺はかえってうまくいかなくなった。
相馬市の人もなぜあの人たちは働かないで補償金で楽に暮らしているのか?
自分たちはあくせ働いているのにとなった。
その数が多いということも否応なく意識されたのである。
避難した先で仮設で暮らしていても毎日その土地で遊んで贅沢な暮らしていたら顰蹙をかう、でも小高の人が言っていたのは
「私たちは買い物して助けてやっているから歓迎されているのよ」と本当にそう思っていたのである。
それは消費者が王様だという現代の経済を反映していたことでもある。
でもそうして働かせられている人はどうなるのかとなる、複雑な気持も避難民は理解していないのである。
そして何かちょっとでも回りの人が言うと「おめえは傷口に塩ぬって楽しいか」とかなるそういう人が一部かとなるとかなり避難民の意識がそういう人が多かったことも確かなのである。特権階級化したのある。

それでギャンブルで遊んで金がなくなったと福祉に相談に来た人がいたというからこれもあまりにもひどいとなる。
あとは生活保護だとか言う人も多い、それも当然だとなる、それから国民年金しかもらっていない人が多いからそれでは生活できないからもっと補償しろ、死ぬまで補償しろと補償金を要求している。これもまた原発避難民が特権化してその要求に限りないとなっているのも現実なのである。それは南相馬市内でも問題になる、その負担は南相馬市で負うし政府でも負うし国民も負うことになるからである。
だから俺も原発避難民になりたいなとか言う人まで冗談にしろいるのである。
誰もシリア難民などになりたくないが原発避難民にはなりたいという時、何か原発事故の被害は目に見えないからそうなっている。
一人も死んでないなじゃないかというのもそうだし放射能も目に見えないから大きな被害に見えないのである。
つくづく人間は同情されることが意外と大事である。だから手がないとか片足がないとか何か目に見えると同情しやすいのである。
そうでないと目に見えないとあの人のどこが苦しいのかと同情されないから援助もされないのである。 

ただ人間仕事が奪われなにもすることがないとうことも辛いことは確かなのである。
生きがいもなにもなくなるとなる、でも何か避難民の仮設暮らしとかそのツケは避難解除になり補償金がもらえなくなると払わざるを得ない、お前たち十分に遊んだ得したんだからしかたがないとか回りからみられるのが怖いとなるのである。

このいじめの問題も実際は複雑な背景がある。あらゆる問題は事件はその背景を考えると複雑なのである。その事情を知るのは当事者なのである。
そこには複雑な利害関係があるからそうなる。外部の人はボランティアでも利害関係がないし一時的に来て去るだけでありそこにずっと住む人とは違うのである。
要するにそこに住むということは一緒に住み続けるとなるからしこりとしていつまでも残る、放射能だっていくら危険でも住み続けなければならない、出で行けばいいじゃないかと言ったってそうはいかない、それで村八分ということが日本では最大のいじめであり制裁になっていたのである。それで日本では陰湿ないじめがなくならないのである。

posted by 老鶯 at 09:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連