仙台の優 創建でユニットバスの工事開始
(一式セットで100万は安いー家はあとは直したくない)
今日まずタイルとか4人がかりて壊した。聞くとこの壊すのがガス屋で大変だと言っていた。自分も全体を壊すのが大変だと見ていた。
実際にドリルで壊してゆくけど相当な力仕事になる。
これだけで相当な金がかかると見る、でもだいたい一日でほぼ壊した。
だから意外と早くできるなと思って良かった。
実際に金曜日で完成して土曜日には入れるというから早い
中に一日くらい休みがある。
すでに給湯器はとりつけてガスの配管もした。
電気関係の人も来て線の工事をした。
みんな仙台の人である。
ユニットバスだけでこの辺で100万すると聞いたからなぜ安いのかと聞いたら仙台は競争が激しいからです、福島県は高くなっていますと言っていた。
福島県は高いのか?福島県と宮城県では値段が相当に違っているという。
知っている人でその人は一人でやっているが頼んだら高くなるし時間もかかるだろう
壊すのでも一人でしていたら時間がかかる、そしてこれだけのものをセットで買わないでばらばらに買っていたらまた金がかかる
だから最初なにもわからなかったが100万は安いと思って即決した。
というのはこの辺では人手不足で電気関係に頼んだらできないとか最初断られたからである。
つまりこの仕事はガス屋とか大工とか電気関係とかユニットバスとか配管とかもかかわるめんどうなものである。だから一人でやるとしたら手間になるし金もかかるとなる
だから他でも頼む人がいるのかもしれない、担当の人が近くで他も回って仕事していた。た
壊す工事をしていた人は作並の人でその山の方に住んでいて雪がふったという、あの辺は山寺に近く山形に近いから早くも雪がふった。
スマホで雪が積もった画像を見せて説明してくれた。5センチくらい積もったらしい。
あの辺は面白山トンネルをぬけると山形県であり春でも山に雪がある。
それで印象的な場である。あそこから来るとしたら遠くなる。
ともかく最初の日に50万金を払うということで不安だった。でも相手も遠くから来ているから金を最初にとるということになった。
契約書に申込金として50万と書いてあったのである。それを良くみていなかったのである結局遠くなると人間は相手をなかなか信用できない、それは双方でそうなる、だから商売は遠方とか国が違ってするとき互いに信用することがむずかしい、だから契約が大事になる、そして意外と細かい所を見ていないからあとで失敗することがある。
契約しましたよということが商売では大きな意味をもつ、それは地元だったら信用を失うと地元で仕事ができないからそういうことはない。
でも今回わかったことは今の社会は広域社会であり広域的に仕事しないとやっていけなくなっている、地元だけでは仕事の量が限られているからだ。
今回の津波や原発事故ではほとんどの人が外から来た人、九州から北海道と全国から来た人たちが仕事した。地元だけではもう何もできないという状態だったのである。
地元の人はパチンコで遊んでいただけだともなった。
家を建てるのもほとんど建て売り住宅であり外部の人である。仙台から来た人も近いから多い仙台は高速道路もできて近くなったこともある
こういうふうに外から来る人が来ると食事とかでは金は落とす、それでこの辺のレストランとかは繁盛したしその他コンビニも増えたりした。
一番増えたのは宿泊所である、プレハブが多いが新しいホテルもできたし増設したりまず宿泊関係は増えた、外から今でも5000人とか来たとか数が多かった。
ただ福島県全体の特需とかは震災から5年すぎて縮小しつつあり終わりに近づいている
福島県では倒産率が全国でも一番少ないとか特需になっていたのである。
補償金が打ち切られるとこれから倒産が増えてくる、ぎりぎりでやっていた小規模の会社が補償金が打ち切られて倒産が増えてくるという。
何かもともとそういう会社は農業でもそうだったが経営してゆくのが限界でもあった。
たまたま原発事故で補償金が入って継続できたともなっていたのである。
いづれにしろ仙台からこうしてリホームとかの会社が来ると地元の人の仕事が奪われる
ただ広域社会とはそういうものだということを物を売るにしても普通になっていた
競争範囲が全国になったりグローバルになったりしていたのである。
だから建築関係の人が全国に展開して事業に失敗した。一個人とかで全国展開すること自体無理だったのである。
ただもう自分はリホームとか家はこれで直すのは終わりにしたい。これまでも何回も家を直している。もう年だし大きな家が負担になっているのだ。
平屋の小さい家がいい、それなら壊すのにも楽だし今の家は大きすぎるのである。
ただこの家には思い出がある。
気丈夫な姉が作ったとも言える家だが母も店をやっているときはもうけたのである。
それで姉が自転車で野菜を近くの農家から買っていたのである。
その野菜が箱に入れたときかなりの重さになった。
でも姉は太っていて力がありそれを持ち上げて自転車でもってくることができたのであるこういうことを語るとき何かこの家はそうして親が作ってくれたものだということを感じる
家に家族にはそれぞれの物語がある。そうして苦労して作った家に自分が跡を継いで住んでいるということを自覚するのである。
でももし何か株でもうけて家を建てたとかなにか苦労話がないとしたらあんまりありがたみもなくなるかもしれない、親でも何かそうした苦労話があるとき家でも他でもありがたいとなるのである。それは自分だけではない他の人もそういうことを語っているのである自分はこの家を建てるためには何の努力もしていない
ただ最後に介護したとき尽くしたというだけだからである。
今日姉を知っていたという人にあった。その人は姉の友達の息子でありそのことを聞いていた。その母親も死んでいた。68才だったから若かった。
その前に行き来していないからわからなくなっていた。
同じ役場に勤めていたので仲良くなっていたのである。
何かまだ姉を知っている人がいたのかとなる、姉は交際が広かったが役場をやめてからも長いし忘れられていたのである。
人間はとにかく会社でも役所でも退職したりするとすぐに忘れられる、もう5年でも十年でもたつと役場に知っている人もいないと言っていたからである。
これも人間の無常なのであるる。
親しくしている人も死に会社でも役所でもやめるとたちまち忘れられるのである。
生きながら社会から消えているような存在になっているのも多いのである。
だから社会で80くらいでも活躍している人はまれなのである。
ともかくこの家も50年くらいすぎた、だからいたんでいる、でも直したくはもうない。
老人になればだから先のことが考えれられないのだ。
庭に樹を植えてもそれが花咲くまでに十年とかかかるとなるとしたらもう植える気がなくなる
それがこの辺では高齢化で問題になっているのである。
なぜなら復興には時間がかかる、若い人なち十年先でも花が咲くとなれば肥料をやり育てることもできなる、しかし老人はその時間がないからできない、すると復交には向いていないとなるのでてある。
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