2016年11月07日

原町区のキクチスーパーの隣の復興団地 (浪江の人が多く、取り残される老人の独居者)


原町区のキクチスーパーの隣の復興団地


(浪江の人が多く、取り残される老人の独居者)


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264所帯入れる、これは多い、人口にしても500人以上になるのか
それから雲雀が原の復興団地は5階建てでありあれは都会の団地である。
南相馬市はこうして外から入ってくる人がいて人口は減っても減らない
ただ住民票は移さないから人口に数えられないのである。
除染とか工事関係者まだ数が多いから実際の人口は一万人くらい増えているのかもしれない、
減った分を外からの人が補っているのである。



原町区の六号線のキクチスーパーの隣の復興団地に入ったのは浪江の人が多いという。
イワキナンバーが確かに多かった。
そして県の人がコミニュティなんとか言ってたからあそこは県で建てて管理する

あそこはまだ人が入ったばかりである。その前に公園に老人がいたのでベンチに座り話した。
その人は浪江の人で娘の子供は小高工業に入っていたが原発事故で東京の多摩に移り多摩工業高校に入りそこで学んで東京に就職したという、娘について妻も移りその老人は一人新しくできた復興団地に入った。
いわきにも娘がいて時々来るという、ここに入る書類などは娘に書いてもらったという。

「小高に帰った老人も言っていたけど出て行った子供は帰らないよな」
「帰えんねえよ」
「小高は帰ったのはほとんど老人だよ」
「小高はまだいいよ,人が帰ったから」
「そうだな、人がいない街はさみしすぎる」
「この団地は浪江の人が多いよ」
「いわきナンバー多かったな」
「俺はしょっちゅう浪江に通って畑みているよ
桑折にいたがあそこは遠い」
「農家の人?」
「いや、土地を一町はもっているんだ、田んぼはない」
「浪江は電車で30分くらいかかったよ」
「近道行くと15分くらいで行くよ」
「そんなに早く」

そのあと補償金の話になった。

「大堀辺りはいいところだったけどな」
「あそこにある陶器を一杯飾っていた施設何か利用するみたい」
「あの辺は放射線量高いな」
「あそこは住めない地域だよ、だから補償金が高い、倍はもらっている」
「この辺でも補償金でもめたからな、浪江もそうだったのか」

そして暇で困った何もすることがないとぼやいていた。

「ここのスーパーは車が出ていたあとにまたすぐ入ってくるんだよ」
「鹿島のキクチスーパーとは違うよ、規模も違うし品物も多いし安いんだよ
鹿島は品物も少なく高いんだよ、だから時々買物にくる」

一人で住んでいたら確かに暇である。それも避難した人たちの大きな問題だった。
それでパチンコやギャンブルにしているということで非難された。
この原発事故ではヒトツノ大きな問題として家族が離散して取り残されたということがある
どうしても放射能を怖がって若い人は出て行き帰ってこないのである。
それで南相馬市の病院では看護師がいないので入院を半分におさえているとか大町病院でも看護師不足で確保するのに苦労したとかある。
看護師は中通りの方に流出したのが多くそこでは看護師が増えていたからである。

ともかく小高の老人も名取に子供が家を建てた、それで親の部屋まで作ったという。
でもその老人は小高の復興住宅に住んでいる、そして子供は帰ってくるといつも言っていた。
東京の多摩に子供が移った老人は妻までその娘の所に行った,なんか病気持ちでそうなった。だからその老人は一人なのである。
こういうことが原発非難者には多いのである。老人が取り残されてしまった。
そこで復興といっても老人が多いからどうして復興できるのかとなる。

原発事故の悲劇は家族が離散したことや故郷に住めなくなったことや仕事を失ったことやいろいろある。その中で深刻なのが老人が取り残されたという問題があるのは少子高齢化のためである。
限界集落でもそういうことが起きていたからここでは極端な現象として現れたのである。
確かに老人がこうした激変になるととまどうし順応するのは苦しくなる。
あの公園で見知らぬ人と自分のような者と話するのもできないと言う人もいるだろう。
一人は無口でありそうだった。自分と話した人は話できる人だった。
老人は慣れ親しんだ所に住むのがいい、そうでないと精神的に病むとかある。
東京に移ったばあんさんもどうなっているか?やはりとまどうことがあるだろう。
ただこの辺でも何か老人がいても世話する人がいないとなると子供が住んでいる場所に引き取られることが多いのも時代である。
親と子供が別々に離れて住む人も多いからである。
限界集落のようなものがこの辺では極端なものとして現実化したのである。
ただ原町だったらあそこだったら便利である。隣がスーパーなのだから買物でも便利である。

そういう点はいいにしてもなんか老人だけが取り残されて一人住んでいるというのは嫌だなとなる。
それで県のコミニュティ担当の人が回っていたのか?
あそこは県営の復興住宅なのでありそれで浪江とか南相馬市以外の避難者が多いのである浪江の臨時の役所も原町にはあるからだ。
建物としては前に広い公園があり団地でも屋根つきで休める場所とか何カ所も作っているそこにすでに女の人がいて話していた。そういうふうにコミニュティとして団地を形成するのに作ったのだろう。
いづれにしろキクチスーパーに行くとあそこには老人がいつも休んでいるのを見ることになるだろう。暇だからそうなるのである。



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posted by 老鶯 at 19:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連