2016年11月05日

郷土史に関心がもてないのはなぜ? (自給自足生活からグローバル経済の変化のため)


郷土史に関心がもてないのはなぜ?


(自給自足生活からグローバル経済の変化のため)


郷土史というとき関心が薄れいる、それは現実の生活が郷土と結びついていないからである。戦後十年までは自給自足の生活だった。
エネルギーも炭だから故郷の木を利用していたし家でも外材はないから回りの森の木を利用していた。屋根は茅葺きだとするとその萱も近くの山であれ萱場とかあり材料は近くのものでほとんどまかなっていた。
橲原の方に右田の人が肥料となる草をとりにいっていたというときもそうである。
こうして近くのもので生活しているとき当然郷土意識が育つ、つまりほとんどが郷土によって育まれていたからそうなる。
そこに郷土愛も生まれてくる、しかしそれが高度成長時代から急速にグローバル経済になり変わったのである。

例えば原町区の深野(ふこうの)という所に豪倉(郷倉)というバス停の地名が残っていたので紹介した。その深野に住んでいる人もそのことを知らない、興味がないということがある。それはなぜなのか?
つまり現実の生活と結びつかないからである。その郷倉は国で天皇から御下賜金として与えられたものだった。それは昭和十年のことだったから新しいのである。
飢饉とかに備えて米などを貯えておく倉である。それは江戸時代から全国にあった。
それを自分でもただ地名に興味をもっているから関心をもった。
でも今回は原発事故とかで避難したとき外から食糧でも入ってこなかった。
二週間くらい入ってこなかった。ただこの時原町区は30キロ圏内であり避難命令が出たので外に出た、鹿島区は30キロ圏外であったが半分は避難した。

自分は親を介護していることもあるし避難命令は出ていないので残った。鹿島区でも半分は外に避難した。そこで一週間くらいは米があったので梅干しとかもしりノリもあってしのいだ。でも米もなくなったとき鹿島区では古米が支給されたのである。
それで助かったのである。そのあとは相馬市ではスーパ-が開いた、でもガソリンがなくて車を使えない状態がつづいた。、自分は自転車で相馬市まで買い物に行った、その時から買い物できたので楽になったのである。
こういう経験をしたので郷倉というのを具体的に身近なもの生活に必要なものとして理解した。倉はないにしろ古米が貯えられていたから配られたのである。

こういうことで郷土のことを意識する、でも現代はグローバル経済になったとき常に意識しているのは近くのことではなくなったのである。
戦後十年は子供のときは家には裸電球一つしか使っていない、電器製品はなにもない、炬燵もない、炭であり囲炉裏があった。それは町内でもそうだった。
電気が通っていたとしても電信柱があったとしても電信柱が賢治の童話で人間に見ていたようにめずらしいものだった。道はほとんど舗装されていない、もちろん車もない時代である。水道もない時代である。今からするとそういう時代の経験は不思議だなとなる

それから高度成長時代となり急速に変わったのである。エネルギーは石油の時代になった石油は中東などから運ばれる、するとそこですでにグローバル経済にいやおうなくまきこまれる、石油の値段が一大関心事になり中東の戦争で石油が入らなくなるとか石油ショックとかあったそれでトイレットヘーパーをかいためたときがあったのである。
もう炭などは使わないから地元のことよりはるか遠くの中東の方が心配になる。
もうどんな田舎だろうが石油が必要であり電気は石油から作られているし石油であらゆるものが作られるというとき石油なしで生活が成り立たないからそうなる
当然そうなると地域のことより中東の情勢とかの方に関心が向くのである。
グローバル経済はとんな辺鄙な田舎でもその中に組み入れられているのである。
それは石油を例にした他でもそうなる、原発もまた電気を作るから原発が大事になっていた。実際に双葉とか大熊は東電の会社員のようになっていたのである。
多国籍企業時代というときまさに巨大企業に地域がのみこまれるのである。

石油が大事だというとき石油をどうして買いるのか?それは日本が高度成長時代は電化製品をテレビでも何でも売ることによって得られた、石油はドルでしか買うことができないようになっていつたからアメリカに売ることによって高い石油を買うことができたのである。
そうなると炭をエネルギーとした時代とは余りにも違っている、石油を買うには電化製品を車を売る、日本の技術の発展が望まれる、そうなるとそうした技術が重要になり農業などの第一次産業は低いものと見られるようになった。
田舎でも一割にも満たない生産しか農業にはない、漁業も同じだった。
別に株をやらなくても誰でもグローバル経済の中に組み入れられていて多国籍企業化した中で生活しているのである。
その一番わかりやすいのが石油なのである。

だから何か郷土というとき郷土史でもマイナーな好事家がしているようなものになる。
それは現実の生活と結びつかないからそうなる、関心がもてないのである。
でも津波のことでも郷土史というのが実は現実と結びついていたことに驚いたのである。400年前にここにも津波がきて700人溺死と記録されていたからである。
ただそれは二行くらいでありほとんどの人は知らなかった、今回の津波で知っただけなのである。そういう重要なことが見逃されていたということはなぜなのか?
人間の関心がグローバル化して外に外に向かうようになったからである。
それで肝心の地元のことが忘れられていたともなる。
テレビでも話題にするのは東京とか世界のことであり関心は常に外に向かうようになっているのが現代である。
インターネットで地域とかマイナーな話題を取り上げるようになったのは変わったことではあった。
でも常に関心はグローバル化しているから地域のことは現実と結びつかないから関心がないとなる。

みんな会社人間だったら当然会社から給料をもらい生活しているのだから会社が一番大事になる。会社が成長している、もうければ給料も良くなると働くからである。
グローバル化とは多国籍企業が支配する社会であり国が支配する社会とも違うのである。多国籍企業はグローバルに事業を展開してそれに国が政府が追随しているという関係にもなっている。それはアメリカでも日本でも世界的にそうなっている。
そこでは地域とか郷土とかは情報的にも意識されない、常に意識されるのは世界のことである。
大統領選挙が今の世界的話題になったのもそうである。それがどこでも世界的に密接に関係しているからである。
だから深野の豪倉のことを取り上げてもそこに住んでいる人すら関心がないとなる。

こういうことも何か人間の生活として歪みをもたらす、精神的にも人間の生活はその住んでいる場所からアイディンティティを形成してゆくのが順序である。
ヨーロッパのゴシック建築がドイツの森も模ししているときもそうである。文化はその土地と密接に結びついて生まれている。
グローバル経済はその土地から切り離されたものとして働く、そして金が唯一の価値となる。金で買えないものはないつとか世界でなるのがグローバル経済である。
グローバル文化というのはありえないのである。
インターネットで抽象画を外国のものを参照にしているときそういうものは一部にあっても一つのルネサンスのような文化は興らないのである。

なぜこの辺が原発事故で住めなくなるような状態なったのか?
それは炭をエネルギーとした時代から急速に電気の時代に移ったためである。
石油の時代となり原子力の時代になったためである。
みんな郷土の一員より会社の多国籍企業一員となったとき、郷土愛より会社愛になる。
常に思っているのは会社のことであり郷土のことではないからだ。
ヤクルトが地域密着型として一軒一軒回っているとしても今度テレビ放送するから見てくださいとか会社の宣伝になる。深野に住んでいたとしても地元のことには関心がないとなる、それは今はみんな会社員だから会社のことを第一に考えるから当然だとなる。
でも古米が配られて助かったというとき故郷意識をもった。
しかしこういうことは今はまれである。
復興にしても三陸でも復興したというとき漁業で生活する他ないから明治の津波でも一万人も死んだというときも便利な海沿いで生活をはじめたのである。
魚や海産物をとって生活す他ないからそうなった。今はそういうところでも会社が中心になればそうならない、それて外に人が流出して復興できなくなる
そういうグローバル経済とかの矛盾がここに津波や原発事故で顕著に現れたのである。


深野の豪倉(郷倉)は昭和十年時代のものだった

(緊急時とか飢饉の備えとして昭和に国からの意向で設置)


posted by 老鶯 at 11:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)