古殿からいわきへの旅(秋の俳句十句)
(塩の道をインターネットでふりかえる)
古殿に市たつ昔秋の暮
鶏頭や御斎所街道下り来ぬ
水清し落鮎あわれここに死す
旅路来て鮫川に出会い水澄みぬ
磐城なる遠野をすぐや刈田かな
いわきなる稲刈り終えし遠野かな
はるばると山よ海へ秋の空
なでしこやいわきに目覚め朝の海
秋の海常陸に通ずいわきかな
みちのくの勿来の関や秋の暮
古殿に荷市場ありて市たつと杉の木古りぬ秋のくれかな
貝泊(かいどまり)その名残して塩の道牛も休ませ秋の日暮れむ
塩の生産地だった磐城の浜と、平潟九面両港に荷上げされた瀬戸内の移入塩は、荷駄に積まれ海産物と共に中通りに、会津方面に運ばれていた。
貝泊の地名は貝(峡)山と山との間の狭いところ、そして泊は止るを意味するものという。
又、現在も「牛屋」と呼ばれる家もある。荷駄を積んだ牛の休憩所即ち立場であろう。 県道黒田−浅川線を西に進む。しばらくして右に折れる道は戸草を経て才鉢に通じる道である。
鎌倉岳山裾の荷市場の地名は「市神碑」(1319年建立)が語源であり、塩の道の重要な点でもある。
柳の若葉が眼にしみる頃肩荷で棒手振で御斉所街道を運んで来た初鰹の売り声が聞える・・・柳の根元に繋がれて餌を食べながら尻屋 で蝿を追払う馬車馬・・・繋石の脇で口を動かしながら休んでいる木炭を運んで来た赤牛・・
udono.fukushima.jp/kanko-dentou-bunka/see/shiseki/sionomichi/nisijyou1/159
ここのサイトに塩の道のことが書かれていた。
古殿に荷市場とありそこに古い杉の木があり古跡となっている。
ここには阿武隈高原に沿って自転車で行ったことがある。その記憶が明確ではない、鮫川とか石川郡とかなじみがない、ただ山の中に万屋(よろずや)があり味噌汁とご飯とかご馳走になったのを覚えている、今どきそんなことする所はない、まず万屋というのは昔あったが今はない、山の中だから残っていたのである。
記憶をたどる旅はインターネットが役にたつ、土地のことを書いているサイトが必ずあるからだ。
御斉所街道をはかなりの距離だった。ここを一気に下った、結構急な坂だった。
途中に貝泊とかあり塩の道で泊まる場所が記憶として残されているのもわかる。
相馬市の松川浦から塩を飯館村を通って二本松まで運んだ塩の道は有名である。
ただここは馬で運んだ、いわきの塩の道は牛で運んだ。
一番有名な長野県の信州の塩の道は日本海から松本まで運んだ、その道のりは長い、山中の細い道であり急な所もありそこで牛が転んだというのは実感できた。
牛つなぎ石とかもあり牛を休ませた牛小屋は今でも残っている、いわきにもこれと同じであったが小規模である。
塩はいわきでは作られず瀬戸内海の方から運ばれたから相馬藩とは違っていた。
この御斉所街道を下ったところに鮫川が広く流れていて落鮎をとる簗場があり臨時の食堂もあった。清らかな水に鮎が死んでいた。
そこから遠野に出た、上遠野があり下遠野がある、上は奥である。遠野というとき磐城の市街から遠いということで遠野なのか?そういう位置にあったことはわかる。
遠野から市街に出て磐城の浜に出てテントを張り目覚めたら撫子が咲いていた。それは覚えているのだかあとはどうなったのか覚えていない、旅でもなんか忘れることが多いのである。
自転車の旅でも忘れるのである。ただ懸命に御斉所街道を自転車で下って行ったことは覚えている
旅は計画して実行してあとでふりかえる、このふりかえることが意外と大事だった、なぜなら記憶していなければ行ったことにもならなくなくからだ。
記憶していればあとで地図でもインターネットでも見てそ記憶を蘇らせることができるからだ。
いわきは浜通りで近くても広いからわかりにくい、地理的にも歴史でもわかりにくい、特に石川郡とかなるとなじみがない、古殿でもなじみがない。
勿来の関でも白河の関所とは違いなじみがないし行ったこともない、福島県は本当に広すぎるのである。
いわきというと古代の常陸に近い、棚倉でも水戸街道へ通じる、水戸が近くなる、それが地理的特色である。そこで勿来の関と白河の関所があったとなりみちのくに入る場所なのである。
ただいわきには城がないから城跡すら平にあったとしても何か石垣すら残っていないとか歴史が偲べない、三春藩だと城跡が残っている、やはり歴史を偲ぶとき城がないと偲びにくいのである。
塩の道で貝泊というのがあったというのはあれだけの長い道だし坂だから当然だとなる。相馬市から飯館村への塩の道でも途中山中に助之観音堂(たすけのかんのんどう)がありここで泊まったとある。
とても松川浦から一日では飯館村までは行けない、途中沢沿いに細い危険な道がありそこは通れなくなっている、一歩ふみはずと沢に落ちる、だから牛転がしとか各地に地名化した。
旅というのもこうして歴史をたどらないと印象に残らなくなる、ただ旅も空間的移動だけになってしまう。現代の旅は交通が便利だから空間的旅はどこまでも地球でもできる。
ただそこに時間軸としての歴史を偲ぶ旅ができないのである。
空間の移動はできても歴史となると想像力と知識も必要なのである。
それを今回はインターネットとかでたどりした。こういう作業を今はしている。
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