2016年11月17日

原発避難の生徒がいじめで不登校「賠償金もらってるだろう」  横浜市


原発避難の生徒がいじめで不登校「賠償金もらってるだろう」 

横浜市


しかもその150万は、いじめを受けていた彼の両親が、生活費として自宅に保管していたものだそうで、賠償金ではなかったという。明確な金額は明かされていないが、震災による「賠償金」として受け取っていた額は、この家族が「自主避難」だったということもあり、低額だったそう。何とも不憫な話だ…


この事件の背景も複雑だと思った。まず誤解されやすいのが「自主避難」だったとなるとこれは賠償金は家賃くらいしか支払われていない
150万は親戚から借りたものだったという。
「自主避難」は個々に分かれて住んでいる、避難区域になった人たち東電の社宅とか集団で住んでいる、「自主避難」と避難区域の避難者の差は大きいのである。
避難区域の避難者は賠償金を相当にもらっているし待遇がいいが「自主避難」はないのである。
その区別もなくいじめられた、そこには誤解があった。

そもそも「自主避難」は地元でも問題があった。福島市とかでも避難した人たちがいて地元に残った人たちに批判されていたのである。
なぜ逃げる必要があるのかと避難されていたのである。
だからこの問題も複雑なのである。
「自主避難」は地元の人からも非難されていた、そして避難した先でも非難された。
これとは何なのだろうとなる
ただこのいじめは原発避難者全体の問題でありここではあまりにひどいから告発したのである


例えいじめでも福島県民相手なら仕方ないなぁって思ってしまう。 
復興税に凄く腹が立ってる。

「自主避難」だから親も放射脳なんだよ。 
東電からはほとんどお金も貰えないのに避難した人たち。 
親が放射能気にしすぎの性格だから、 
子供にも何らかの影響があったんだろ。

みんなで支えあって生きて行かなければいけない時に自分達だけ逃げます 
って人間を信用出来ますか? 
まともに付き合っていこうと思いますか? 
そんな人間とはまともに付き合えないのは差別になるのですか?  

たかり恐喝をしたクソガキは論外で、子供を放射能まみれの福島から逃がすべきなのは当然としても 
危険な原発を誘致して東日本一体を汚染させた連中に金をやりすぎではある 
福島に留まっている連中にはもう金をやる必要はない

当時は福島ナンバーってだけで石を投げられたんだぞ 
なんか世界じゃ美談みたいになってるけど



ともかく人間は金のことになると本当にうるさい、まず第一一番補償金でもめたのは原発事故周辺であり福島県だったのである。そのこを自分もずっと書いてきた
だから外部でこんなに熾烈ないじめがあったことに驚きである。
この辺でも30キロ圏内と外で補償金が違っていて子供までまきこまれ争いがあったと母親が泣いて訴えていた。
南相馬市では小高と原町と鹿島で分裂状態になったのである。
内部での争いの方がひどかったのである。
鹿島の人は小高の人と口を聞かないとかまでなっていた。

自分も小高の人を批判したことでも「お前は傷口に塩をなめて楽しいか」とかプログに言う奴がいた。自分は建設的に原発問題に関しては取り組み発言していたのである。
小高のことは南相馬市だから自分の身にも及ぶことであった。
ただ避難者でも浪江の人とか大熊でもその人たちのための復興住宅が南相馬市に建っている、それは県で建てたものであり福島県内に建っている、その規模も大きいのである。
だから原発事故で自覚されたのは原発は大熊と双葉とか原発が建っている所だけの問題ではない、福島県内の問題ですらない、東日本や全国をまきこんだものとなっていたのである。

まず原発避難者にも仮設に住んでいる人にも問題があった、この辺では仮設に入っている女性が鹿島区の議員が回っていて応援していた。
そして常に外部の人がボランティアなどが来て応援していたのである。
だから自分たちはかわいそうな人であり応援されるのが当然であり補償金でももらうのが当然だという意識になっていた。
自分はせめて福祉だけでも公平にすべきだと言ったが補償金のことを言っただけでその人は怒っていた。
お前はかわいそうな人間にも同情しない人間なのかと怒っていたのである。
避難者にはいろいろな人がいるにしてもなにか傲慢な人も多かったのである。
だから回りの人たちの評判も良くないということがあった。
原発避難者はなにか特権階級化したのである。
ギャンブルでパチンコなどで毎日遊んでいた人もいたし東京辺りまで風俗とかで遊んでいた人も現実にいたのである。それは一部であってもそういう人がいたことは本当である。だからいわきでは二万人も避難したとなるともめたことは当然なのである。
そして問題はマスコミの報道の仕方にもあった
必ず避難民側について報道していたからである。
避難民をちょっとでも非難することはそいつは同情心もない薄情な人間だとされてしまったのである。

でもこの辺は相馬市となると隣でも原発避難者のように何ももらっていない、補償金をもらったのは30キロ圏内でありその外で南相馬市内ならもらったが30キロ圏内をはずれると一人70万しかもらっていない、それでも相馬市になると全くもらっていないのだからその差は大きいからいつも不満を言っていた、働いてくれとかスーパーで高いものを買っているとか女性だから細かい所を見ている、その人は生活も苦しいとなると余計にそうなるのである。

この補償金は本当にこの辺でかえって災いとなったとまでなっている
そのしこりが大きく修復もできないし協力もできなくなったともまでなっているのだ。
それは避難した側にも反省を強いるものがあったがそれを誰も公には言えない、言うと「お前は傷口をなめて楽しいか」とかなる
外部だったら一回でもボランティアに来てされば関係ないとなる、でもここに住む者にとっては南相馬市民だったら否が応でもかかわらざるをえないのである。
だからこうして内部でもめることは復興の足かせとなったのである。
それで桜井市長も相馬藩の飢饉の時のことを言って自主的に復興してくれと小高の人たちに言うようになったのである。

原発避難民は補償金で遊んでいるだけだ

なにかそういうことが否定できない、それが心証を全国的に悪くしたのである。
これは実際事実だかどうにもならないことである。

そして怖いのは国民がなんであんなに何兆もの金を賠償金につぎこんでいるのか?
それは俺たちの税金なんだと不満になっていることなのである。
だから本当のことはわからないにしても福島県外に出て泊まったりすると嫌だなと感じたただ福島県内でも原発事故周辺でも補償金でもめたし今ももめている。
浪江町でも避難して住めない区域になった所とかありそこでも補償金でもめていたのである。人間金のことになると執拗になりめんどうになる。

この問題の複雑は国民の世論がなんであかんなに原発事故は地元の人たちにも金が欲しくて誘致したから責任があるのに手厚い補償がされている
そういう国民の不満が底流にあり世論となっている。
それは政府にとっても東電にとっても好都合になる。もう政府でも東電も補償金を払いたくないからである。そうしてもめることや国民が批判することはいいことだとなってしまう。

補償金はもう打ち切れ

それが国民の世論になっ ていることが怖いのである。この問題の背景にはそういうことがありこのいじめ問題もあった、避難民は現実に一部では余りにも優遇されてそれに甘えたたということはあった。
でもそれを公に言えないからこうしていじめとか陰湿なものとしてネットでかでもその不満が噴出しているのである。
マスコミでは必ず避難民はかわいそうだから援助すべきだとしか言わないからである。
だから金がすべて良い方面に働くとは限らない、悪い方にも働くのである。
でも金の世の中になるとやはり金が第一であり金さえあれば勝ち組だとなるのが現代の社会である。

でも金だけではこの辺はかえってうまくいかなくなった。
相馬市の人もなぜあの人たちは働かないで補償金で楽に暮らしているのか?
自分たちはあくせ働いているのにとなった。
その数が多いということも否応なく意識されたのである。
避難した先で仮設で暮らしていても毎日その土地で遊んで贅沢な暮らしていたら顰蹙をかう、でも小高の人が言っていたのは
「私たちは買い物して助けてやっているから歓迎されているのよ」と本当にそう思っていたのである。
それは消費者が王様だという現代の経済を反映していたことでもある。
でもそうして働かせられている人はどうなるのかとなる、複雑な気持も避難民は理解していないのである。
そして何かちょっとでも回りの人が言うと「おめえは傷口に塩ぬって楽しいか」とかなるそういう人が一部かとなるとかなり避難民の意識がそういう人が多かったことも確かなのである。特権階級化したのある。

それでギャンブルで遊んで金がなくなったと福祉に相談に来た人がいたというからこれもあまりにもひどいとなる。
あとは生活保護だとか言う人も多い、それも当然だとなる、それから国民年金しかもらっていない人が多いからそれでは生活できないからもっと補償しろ、死ぬまで補償しろと補償金を要求している。これもまた原発避難民が特権化してその要求に限りないとなっているのも現実なのである。それは南相馬市内でも問題になる、その負担は南相馬市で負うし政府でも負うし国民も負うことになるからである。
だから俺も原発避難民になりたいなとか言う人まで冗談にしろいるのである。
誰もシリア難民などになりたくないが原発避難民にはなりたいという時、何か原発事故の被害は目に見えないからそうなっている。
一人も死んでないなじゃないかというのもそうだし放射能も目に見えないから大きな被害に見えないのである。
つくづく人間は同情されることが意外と大事である。だから手がないとか片足がないとか何か目に見えると同情しやすいのである。
そうでないと目に見えないとあの人のどこが苦しいのかと同情されないから援助もされないのである。 

ただ人間仕事が奪われなにもすることがないとうことも辛いことは確かなのである。
生きがいもなにもなくなるとなる、でも何か避難民の仮設暮らしとかそのツケは避難解除になり補償金がもらえなくなると払わざるを得ない、お前たち十分に遊んだ得したんだからしかたがないとか回りからみられるのが怖いとなるのである。

このいじめの問題も実際は複雑な背景がある。あらゆる問題は事件はその背景を考えると複雑なのである。その事情を知るのは当事者なのである。
そこには複雑な利害関係があるからそうなる。外部の人はボランティアでも利害関係がないし一時的に来て去るだけでありそこにずっと住む人とは違うのである。
要するにそこに住むということは一緒に住み続けるとなるからしこりとしていつまでも残る、放射能だっていくら危険でも住み続けなければならない、出で行けばいいじゃないかと言ったってそうはいかない、それで村八分ということが日本では最大のいじめであり制裁になっていたのである。それで日本では陰湿ないじめがなくならないのである。

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晩菊(原町へ行く旧街道の川子の枯れた松)


晩菊(原町へ行く旧街道の川子の枯れた松)


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陽のあたり小菊一杯飾る道

晩菊や旧街道の枯れし松

晩菊のとりどりここに今日も暮る

晩菊やここになおあり枯れし松

石の庭ここに落ち着き紅葉燃ゆ

明らかに夕星(ゆうづつ)一つ冬に入る

石二つ庭に眠るや月明かり

枯れし松なおここにありその生を留めんとして冬に入るかな

この道の落葉の雨にぬれにつつ我が踏みつつ今日も暮れにき

木枯らしや老いてあわれも散り散りに木の葉散らさる事故の後かな



今は秋から冬になるけど今年はまだ晩秋になるだろう。晩菊とか紅葉も今にあっている。季節の感覚が変わったのである。
原町への旧街道の松は枯れたままなお残っている、まるで幽鬼のようにまだここに根付いてある。実際はこの松は死んでいるのである。
でもなんか自分の母親は百歳まで生きたけどまさにこの松のようだったのである。

これは死んでいるのか生きているのかやはり倒れないから生きているのか?枯松という地名も残っているようにこういう松は各地にあった。なんかここに自分が死んでも跡を残すような執念すら感じてしまうだろう。人間は思うにそれだけ生の執念は強いものである。
一旦生を受けたら本能的に簡単に消えたくない、いや消えるということに耐えられないのである。
動物には死を気にしないというが嘘だった。隣の犬は死ぬ時三日前くらいから悲しそうに吠えつづけていた。それは死にたくない死にたくないと吠えつづけていたのである。

これは別に寝たきりの人とは違う、最後までその土地に大地に根付き枯れて死んでゆく、ここが旧街道でありその土地にもあっている。その場所にあっている
松は人間ならもっとここにいたいということが伝わってくる
人間は長年住んでいるとそういうふうになる、だから老人は長年住んだ所に生きて死にたいとなるのである。
ただあそこにリサイクルの煙突があったりなにか景観は変わってしまった。
相馬の方に行く五本松は良かったがあそこも二本の松が枯れたのは残念である。
この松に祠もあり供え物もしている、何かここにまだ残ってほしいということで近くの人がそうしたのか?
この根元に橙色の晩菊が咲いている、それは何か自分が百歳の母親を介護しているという感じなのである。自分自身も年であり晩菊になったということである。

石の庭に紅葉が燃えているのもいい、移動して動く時燃えるとなるが実はじっとしていて燃えるということもある、心が定着して燃えるということもある。
それは一つの場所に定着して仕事するということでもあるのだ。
あまりにも動いていると集中できないということもあるのだ。
何か仕事をするにはどこかに定着しないとできないのである。
この辺の状態は変化しすぎて何かそうして定着して落ち着いて仕事しにくいということがある。
あの家だって建ててからまだ一年なのか二年なのかそんなものなのである。
ただ落ち着いたという気分になる。仮設では落ち着いたとはならないのである。

石二つは庭に眠っている、争わない、自分の家では60年も争っていたが今は争いもないというとき不思議だとなる、人間は死ねばみんな争うことはない、生きている内はみな何か争っているのである。男女ともそうである。
死ねば皆争うことはない、石のように争わないから不思議だともなる

それからこの辺では原発事故で避難して家族が散り散りになった。
木枯らしは最近吹いたから冬なのか?
木の葉は風に吹き散ったとき、何か散り散りになった家族のことをイメージした。
自然でも人間のことをみているのである。
散り散りに吹き散らされた木の葉は何かこの辺の状態を象徴している風景なのである。




タグ:晩菊 枯松

2016年11月18日

原発利用「過去分」に反発-福島事故賠償の国民負担案 国民も被害者も共同で原発廃止に戦いないことが問題


原発利用「過去分」に反発-福島事故賠償の国民負担案


国民も被害者も共同で原発廃止に戦いないことが問題

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2016/11/16 20:26

 経済産業省は16日、有識者による「電力システム改革貫徹のための政策小委員会」の作業部会を開いた。東京電力福島第1原発事故の損害賠償費用を工面するため、原発による電気の利用者が事故に備えた保険料として積み立てるはずだった「過去分」と称し、最大50年さかのぼって国民から広く徴収する案を検討した。ただ原発を持たない新電力の反発が強く、議論は曲折もありそうだ。

 現在は、大手電力が一般負担金として電気料金から賠償費用の一部を回収。2015年度は総額1630億円で、原子力損害賠償・廃炉等支援機構が、東電が担う特別負担金や交付国債と合わせて費用を拠出する。


自民、東電、官僚、 

最強トリオだから自然な流れw 
たてつけば社会から抹殺されるw 
スーツを着た化け物の集団w 

NHKの構図を原発でもしようとしてる自民党・公明党・維新・こころ 

日本人ならこの4党にいれないこと 自分の首を絞めてるバカになるぞ 

債務を負う必要のある香具師 
1.法人としての東電 
2.東電の歴代の「経営者」:取締役相当以上 
3..株主(但し株式が無価値になるだけだけど) 
4.東電に対する一般債権者(銀行他。不法行為請求権者は含まない) 
5.当該原発を建設した建築会社 
以上私法上の取り扱い。さらに 
6.所轄官署:経産省の原子力担当の歴代の役付以上の構成員 
7.保安院の構成員 
8.設立の認可に関与した歴代の議員 
以上行政争訟法上の責任者 
辺りか。これらは矛盾しない。 

東京電力HD、2016年3月期の最終損益は1507億円の黒字 

監督責任のあった歴代の 
経営陣、現場責任者、株主、原子力規制庁、文科経産大臣、文科省経産省幹部、総理大臣、 
これらの方々がまず負担するのが筋じゃないですか 

原発には物凄く特別な制度が多い。 
原発だけに認められるってのが。 

税制優遇 
会計優遇 
費用徴収上の優遇 
訴求法 
究極の非科学のごり押し(火山噴火予知して燃料運び出すとか) 
世論無視 
軍事的な脆弱性の無視 
処理場がないのに、稼動を続ける  

こんなこと言い出すから福島の子供が虐められんだよ。 
家の中で「福島の人間の為に税金使われんのかよ」とか絶対に愚痴る親は出るよ。 
それ聞けば福島の子供は金が自由になって、それは税金から出てんだ、だから、カツアゲしようとか思うガキも出るさ。 



原発事故ではいろいろ追求してきたけど一番理不尽なのは原発事故を起こしたのは天災ではなく人災という面があった。
それが津波のせいにされたり誰も責任を問われない、第一事故を起こした時の東電の会長とか社長も何の責任もとっていない、海外の子会社に移っているだけである。
そして事故の責任は政府にもあった。その政府も保安院もなんの監督もしなかった。
なんの働きもしなかった。ただ飾りとしてあっただけである。
この問題で国民が頭にくるくのもわかる、結局みんな事故のつけが責任が国民に回り国民負担になった。
そして肝心の責任者は責任をとらず全部責任は国民に回ってきたのである。

その国民の怒りがどこにゆくのか?

原発事故の補償金は俺たちの税金だ、なぜあんなに補償金を国は出すんだ もう出すのはやめろ

こうなっている。

そして補償金の問題は事故で実際の被害に遭った地元でも多くもうら人ともらわない人と全くもらえない人がいてその間で分断された。そのことはずっと書いてきた。
地元の人にも確かに問題があった。ただ自分が金を多くもらえばいいしか考えなかったのである。そういうことは自分にもあった。もっと補償金をもらいたいということは誰でもある。

ただそれで見逃されたのが原発事故が何であったのか、何に誰に怒りを向けるべきだったのかがあいまいにされた

今回の50年もさかのぼって国民から原発事故の補償金をとるというのは暴挙ではないか?
これは何か補償金をもらう側にしてもなんでこんなに国民からあくことなく原発のために金をとるんだ、いいかげんにしてくれとなる

これは補償金をもら事だけしか考えない地元の人も考えるべきである。
なぜか、原発そのものがなぜこんなに理不尽なものであり害があるものなのにありつづけるのか?
そしてなぜ誰も責任をとらないというときそれが原発に対して無責任だとなる、事故が起きようが誰も責任をとらないのだから無責任体制であり事故があったらすべての責任は国民の負担になる。
そして国民が原発がそんなに必要だとして求めたわけでもないのである。
戦争のときは国民が熱中したということがあるが原発は地元の人は金になるということで誘致しても他はない、電力がたりないからだというのも嘘でありまにあうようにできた。
だからこんなに負担ばかりかかる原発を作るのは維持するのは何なのだろとうなる
国民の民意に逆らうもをなぜ造り維持つづけねばならないのか?
それはアメリカの命令でそうなっているのか?
何かもっと大きな力が原発には働いていて国民の民意すら無視されている

そして最大の問題は地元でもただただ賠償金のみに労力が費やされたことである。
そして事の本質がみえなくなって内輪もめになったことである。

つまり原発に関しては国民がいて地元の被害者がいるがそれが対立するものであってはいけない、共同して戦うべきものでもあった。
原発は一小地域の問題ではなかったからこそそうすることを志向するべきだった。
そのためには地元でも賠償金だけに目が向き誰と戦い何と戦うべきが見えなくなったのである。

ただ外からはあいつら俺たちの税金をむしりとるだけの奴らだ

そうみられたとき真の共同の敵が何か誰なのか見失われたのである。
そして国民がそうして賠償金をもらった人に不満があり責めるときその真の責任者の責任は問われないのである。
だから国民一体となってそうした真の責任者を問いその人たちにこそ賠償すべきである。でも東電でも政府でも何もしていないのでありかただ国民に負担を強いている

国民と賠償金をもらう被害者も共同に戦う道を探る

賠償金で分断されている地元も一致して原発の責任者を責める

この方向にもってゆくことを考える、共同で一致して国民が戦わなければならない敵は誰なのか何なのか明確にならないからこうして分断されて原発では戦いないのである。
国民が税負担で不満をつのらせると避難者がいじめられたりするのもそのためである。
それは賠償金をもらう方にも問題があることを認識すべきだがそれと同時に国民が一体となり原発に対して態度をはっきりしていない

要するに原発に関して国民の態度が一致しない

右翼は原発と核武装をセットに考えて廃止とはならない、左翼はまた政治的意図のみで原発に反対する、これも分断されている
原発そのものを廃止するにしてもそういう右だ左だと政治的闘争になる
そもそも左翼が原発が危険だと言ったとき右翼は左翼の言うことは容認できないとなり科学的なことより原発そのものをどうするのかというより政治闘争になっていたからおかしくなった。

それで国民投票で決めるべきだというが日本ではそうしてここの案件では国民投票で決められない、法律もないのである。
右だろうが左だろうが別に関係なく原発そのものをなくすべきだという人は国民投票になればそうなる、でもできないからこそ不満がつのる。
共同で国民が戦うことができない、それでまた国民に理不尽な税金が課せられてそれが今度はまた原発で賠償金をもらっている被害者への不満となりいじめにもなる。
そういう悪循環になっているのが問題なのである。

ただ共同で国民が一致して原発廃止の戦いとなると相当にむずかしい、どうしてまとめるのかとなると困難を極めることは確かである。
ただそれが故にまた政府とか東電とか官僚でも責任者は責任は問われないから利してゆくだけだとなる。
国民でも被害者でも共同の敵を明確にして戦う姿勢がないとこのことはまだ延々とつづくのである。
それは被害者でも賠償金のみを考えていると国民と共同できないのである。
それは内部でもそうである。お前はどうなんだというとき別に自分はすでに一人70万もらっているから賠償金は関係なくなっている
ともかく原発問題は被害があった一小地域の問題でもなかったし広範囲な日本という国の問題であり世界の問題でさえあったのである。
それか立地する土地の所有者と県の許可で建てられたということが信じられないと今ではなったのである。
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2016年11月19日

百万のユニットバス完成 ( イワタニで一坪タイプで二〇〇万だと言った)


百万のユニットバス完成


( イワタニで一坪タイプで二〇〇万だと言った)

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入り口は開閉式であり中は密閉されるから風が入らないからいい

シャワーの裏に給湯器がついている、

この位置がガスでは値段に相当な差がでてくるから注意



仙台の優 創建のユニッハバスが完成した。イワタニガスではこれは一坪タイプで200万するという。
完成品を見て驚いていた。この辺ではこれだけのものを作ると200万するというのは本当である。
要するに人手も集められないし個々に頼んだりすると金がかかる
一式いくらと最初から請け負い値段を決めてかかっているから高くならない
自分もまず壊すだけで大変だと思ったからである。
そしてユニッハバスのことを全然知らなかったのでバスだけをとりつけるのかと思っていた。
でも実際はユニットであり室内にバスがついている一体のものだった。
それがきれいにできたのでまるでホテルの風呂のようになったのである。


まずこの辺ではこれだけのものを一〇〇万で作れない、でもその差が大きいとなると知られれば注文が増えるかもしれない、そうなると福島県とか地元でも競争になり苦しくなるなぜ安くなるかというとやはり安くするシステムを構築してはじめたからだろう
人手確保するだけでもむずかしいことがあるからだ。
それと高速ができたので仙台でも早く来れるというのも大きかったかもしれない

現代というのはこうして交通が便利になるのはいいがそれと同時に広域的な競争を強いられる
それはグローバル経済になると世界の競争とまで普通になっていた。
ところが建築関係でも高速などができるとその仕事の範囲が広がってくるのである。
すると地元でもやはりその競争が強いられるし値段だった安くしないといけない
それは別に今まで起きていたことである。
でも建築関係となると距離があるとむずかしい面があったのだ
あとでめんどうみれないとかもあり不安だったのである。

ガス代も一日ずいぶん安い値段だった、何十円とかかからないとかそれはわからないが相当に安いことを言っていた。
それはホースが長いとガスは高くつくという、風呂のすぐ裏に給湯器を設置したのでそれでガス代がかからないという、この長さが相当に影響すると言っていた。
バスとの距離はほとんどないからである。

ともかく早くできたし安かったし完成品はいいものだったし得なことばかりだった
これを知ったら注文を福島県でもとれるかもしれない
地元でも福島県の業者でもこういう建築業者がリホーム業者がいることを知っていた方がいい
つまり仙台はそれだけ先進的なことをしやすいということである。
すると距離が短くなるとそういう先進的な業者が入ってきて地元の仕事が奪われるということになる
これは建築関係ではあまりないと思ったがここでも広域化経済の影響がでてくる
広域化とかはグローバル化でなくてもこの影響はまねがれないのである。
仙台となるとやはり高速でも近くなりその影響がすでに出てきている
この辺は仙台中心に経済でも先進的なものが拡張してくることがしやすいからである。
前からもそうだったが高速の影響がでてきてリホームにも影響がでる

リホームとかなると何か地元の大工が細々とするというふうに見た、何かそれが人手を集めて短期間で工事が終わった。地元ではあんなに手際よくできない
こういう業者が地元に入ってくることはかなり影響があるようになるかもしれない
百万というのは安いしできあがりもいいからである。


仙台の優 創建でユニットバスの工事開始



2016年11月20日

浜通りは東京の影響が大きかった (戦後の歴史をふりかえる原町-津島から葛尾村まで)


浜通りは東京の影響が大きかった


(戦後の歴史をふりかえる原町-津島から葛尾村まで)

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津島なる岩に作れる墓一つ重みあるかな秋の日暮れぬ


集団就職で東京に労働力を地方が提供して出稼ぎ者でもそうである。
そして津波や原発事故で人口が流出してゆく、出稼ぎでもそれで子供を大学に出したとかあり全部が悪いものとはなっていない、
ただふりかえると地方は東京によって影響されていた、地方は戦後は森林鉄道があり森林の木材とか資源を供給していた。常磐炭鉱では石炭を供給していた。
エネルギーが石油に変わったとき急速に地方は変貌した。
東京中心に人手不足となり労働力を地方で提供した。出稼ぎ者もそうである。
東京というのがやはり経済的に地方を動かしていた。
東京に電力を供給するのも労働力を提供するのとにていたのである。
福島県は東京に近く東京の経済圏になりやすかったのである。
そこに繁栄もあり原発事故につながったのである。

結局戦後七〇年は何だったのかとなる。どうしてこの辺がこんな状態になったのか?
それを歴史的にふりかえると地方が東京に翻弄された時代だともいえる

戦後の地方の歴史をふりかえる (戦争の引揚者が山村に開墾に入るー赤生木なども同じだった)

この間、全国で21万1千戸が開拓地に入植し、105万6千戸の既存農家が開拓地に農地を取得した。開墾施行面積は、44万9千haであった。しかし、開拓地の営農は困難を極め、開拓を諦め離村した者も多く、21万1千戸の入植者のうち開拓行政終了時点で入植を継続している戸数は9万3千戸と、半分以下に減っていた

戦後の開墾も厳しいものだった。小池などにも戦後開墾に入った人がいた、街から近い、いたりる所に開墾に入った、仕事がそのときなかったからである
津島から葛尾まで(残暑)

2006年とかのフログを読み返してみると不思議である。自分で書いたものも忘れる。それでまた読み返して付け加える。それが簡単にできるのがインターネットである。
福島県は東京と近いから東京の影響が思った以上大きかった。
戦前でもこれは全国でもそうだが森林資源とか石炭とか石とか資源は外国ではなく国内に求めていたからである。
それで常磐炭鉱などもそうであり石炭がエネルギーだった時代に鉄道も発達した。
鉄道ははじめは貨物輸送のために作られた。北海道なども小樽なども石炭を運ぶために鉄道が作られたのである。
資源を国内に求めたからそうなっていた。全国に森林鉄道が網の目のように作られたのもそのためである。原町が明治以降発展したのはそうした資源を運ぶ鉄道のためだった。
原町機関区であり駅前通りににぎわいが生まれた。それは全国的なものである。
そして原町紡績は原紡には鉄道の引き込み線があり生糸が鉄道で運ばれていたのだ。
原紡には自分の母親が十年間か糸取りで働いていたのである。

東京は一見遠いようでも福島県となると近いからその影響は戦前もあったし戦後も継続してあった。東京は巨大な消費地であり生産地でもあったからである。

東京に木材が運ばれる
石材が運ばれる
常磐炭鉱から石炭が運ばれる
原町機関区に何本もの線路
駅前は活気を帯びていた
もうもうと煙を吐いて蒸気機関車が行く
国鉄というごとく鉄道は国を支えていた
その燃料は石炭だった

明治維新から汽笛一声新橋からとか鉄道が新しい文明を知らしめたのである。
なぜなら関所もなくなり切符一つで全国土子にでも行けるとういことは日本全体が一つになることで意識するようになったからである。
その変化はいろいろあっても大きなものだった。
その時から実は福島県とか浜通りは東京の影響を受けてきたのである。
自分の母親が東京に女中で働いたり姉は看護師の資格をとるために東京に一時住んだとかある。
東京はその時代は田舎と東京との差は大きかったから東京に行くことは憧れとなっていたそれは戦後もそうであり自分の大学も東京に選んだのはそのためである。
ただ一方で集団就職とか出稼ぎとか東京に働き出ることはつづいていた。

そしてなぜ原発が双葉とか大熊とかにできたのか?
そこは相馬市とか原町市とかと比べると僻地になっていた。浜通りのチベットなどと言われていた地域である。その地域振興策として出稼ぎでなくても地元で働けるものとして原発が誘致されたのである。
そして東京の目論見としては安全を確保するために福島に原発を作ったのである。
コスト的には送電線などが必要だったけど東京に事故を起きること許されないとなり福島に作ったのである。
経済的にはやはり巨大な東京の影響が特に浜通りでは大きかったのである。
それが結局徒(あだ)となったのである。

東京というとき浜通りはいわきは明らかに仙台より近く感じる、なぜなら東京までの通勤電車が出ているからである。
常磐線でも原町からいわきに行くの二両の電車であり不便である。
でも仙台には八両の電車であり一時間おきとかに出る、今度は高速ができたのでユニットバスをリホームする会社が仙台から入ってきて200百万かかるのを100万で作った。
今度は鉄道から高速の影響がでてきた。ここはもともと仙台の影響が大きかった

そして津島では中国人の嫁がこんな山の中に住むのが嫌だとナタで夫を襲った事件があったのだ。確かにあんな山の中だと日本に憧れたのは都会に住みたいからだったろう。
でも別に浪江とか町の中に住めばそういうことはなかったろう。
原町も近いし結構都会だからである。
赤生木から津島に行ってそこから葛尾村に行ったのは10年前にもなった。
あそこで印象に残ったのは岩の墓があかったことである。
なにかそこに墓の重みを感じた。墓は最後に人間の姓の継続を語るものである。
つまり家がなくなっても墓は残っていることが多いからである。
この辺でも事業で倒産した家があったがその人は住んでいないが墓は残っていたのである何かそしてあの岩の墓は貫祿があり重みがあると感じた
地元でとれた岩で作った墓である。ただ岩にしたのは加工していないから金はかからないとなっていたのかもしかれない。

ともかく赤生木とか津島とかは一番放射線量が高かったからもう住めないとなる。
だからあの墓もなくなるのか?どうしても人が移りいなくなると墓も移動するからだ。
津島は戦後開拓に入った人たちが多かったみたいだ。それで結束が強いと報道された。
あそこは浪江町の中心部からすれば相当に遠いのである。
どっちかというと三春に近いのである。
あそこに人が住まなくなるとどうなるのか?墓だけ残っていても墓参りする人もいなくなる、そして遂には荒れ果ててしまうのだろうか?
もしかしたらナタで襲った中国人の嫁は喜んで都会に出たのかとなる。
そういう辺鄙な地域なのである。
でもそうきいう場所に津島から葛尾村へゆく森の道にまさに待宵草(月見草)が自分を待って咲いていたと詩的にはなるのである。だからまた行きたいとなる。

posted by 老鶯 at 11:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

投資信託でも証券会社、銀行でもでもリスクをとらない (原発もリスクを説明しないから詐欺だった)


投資信託でも証券会社、銀行でもでもリスクをとらない

(原発もリスクを説明しないから詐欺だった)


投資信託などわからないでやったのが失敗だった、得したのは手数料でもうけたのは銀行と証券会社だった。
人間は知らないことはやるべきではないということは本当だった
ずぶの素人が株とか投資信託ではもうけられない仕組みになっている
第一銀行のいいかげんさに気づいたのは全くリスクをとらないからすすめる方は安全なのである。

投資信託で銀行も証券会社も絶対に損しない

これは何かおかしいなと今になって損して思った。銀行がかかわろうが銀行は何のリスクもとならいのである。

だから気づいたことは今度はその銀行の投資信託をすすめた人に個人的にもうけたら半分はやるからある程度の金を頼むとまかせる、その代わり損したらリスクを半分でもとってくれとなればまかせてもいいと思った、結局銀行を経由してやることもなかったのであるその人は訓練を積んでいるし実際に株の取引にもかかわっているとなるとそうなる

人間社会では何かリスクがどこでもあるものだとつくづく津波とか原発事故で思った。

こんなにリスクがあるのか?

原発をがこれほど恐ろしいものだとみん思っていなかったのである。そううい知識もなかったのである。
株とか投資信託もそうである。投資信託は株と同じである。外国の国債でも日本の国債と思い安全と思い買ったがこれが非常に危険なもので大損していたのである。
それも知識がないからそうなった。為替差益で円高になって大きな損失になっていたのである。
資本主義社会は社会主義と違ってリスクがありそのリスクでもうけが大きく左右される
事業でも起こすことができるがそのリスクが大きいのである。それは半端じゃない、ギャンブルともにている
実際に自分の母方の祖父は警察署長していても機織りの工場をその時のブームでして失敗して一家離散になった。父方ではやはり工場が倒産してその土地は今は更地となっているそして最近自分の見にふりかかったのがやはり遠縁であってもかかわりがありそれで苦しめられたことを書いてきた。
へたすると相手は借金なので殺されるのかとすら恐怖を感じた。そういう推理ドラマが常にあるからだ。借金のためにはどんなことでもするようになるのが人間なのである。
自分が病気であり介護のときに責められたから地獄の恐怖だかったのである。

いづれにし事業で成功するのは20人一人とか本当にまれなのである。事業で失敗したなどごろごろどこにでもいることなのだ。そこから事件が起きてくることが推理ドラマのテーマになっていることでもわかる。
資本主義社会はリスクをとり成功すれば社会で特殊な地位を築ける、トランプのようにな大金持ちにもなる、ところが一旦失敗したら悲惨なのである。
それで自殺する人も多いということはそれだけ事業で成功することは並大抵のことではないのである。

もともと船で航海して貿易するとおおもうけできた、その時金をだした株主は船が沈まないならら大儲けしたがもし船が沈んだら大損になっていたのである。
そういう資本金を出すにしても賭けであり賭けに勝てば大金持ちにもなるのが資本主義なのである。
勤勉の資本主義もあるがリスクをとってもうける資本主義もある。
そして現代ではそうしたリスクも結局マネーゲームでもうけるのはギャンブルだったら胴元だけななっているのかもしれない、その仕組みに精通できないからである。

人間はなんらか人生では株でなくてもリスクがある。どんな人間でも別に特殊な人間でなくてもそういうリスクをもたざるをえない、要するに人間は先を見ることができないのである。
母が東京で結婚して一年にもならないのに夫が事故で死んだとかなにか常に意外なことが怒りその人生航路が狂ってしまうのである。
まずいくらリスクをとらなくてもリスクをとらされるのである。
母はもともと何にも冒険するようなことをしない大人しい女性だった
ところがこの辺で水害になったとき炬燵の穴に入って怪我をしたのである。
つまり人間はいくら安全を計って家の中にいても危険がある
危険がもうさけられないとなっている、津波でもそうだった。あんなものが来るとは誰も予想できない、これほど生きていることが危険なものか思い知らされたのである。

そして人間はまたリスクをとりそれを乗り越えないと一人前にもなれない
イチカバチカの勝負に出て一人前になる、英雄にもなる。もしそのリスクをとらなければ英雄にはなれない、またそういうリスクがなかったら人生もつまらないともなる
別に自分で望まなくてもこの世では否が応でもリスクをとらされるのである。
たから証券会社でも銀行でもリスクをとらずに自分は安全圏にいてもうけるのはおかしいと気づいたのである。
そんな商売は詐欺にもにていると思った。

他の仕事でも建築関係でも医療関係でもリスクがある。技術的に安全を確保するための努力を払っているのである。
原発は最もリスクがあるものだったのである。それを知らせないのは証券会社とか銀行と同じだった。
投資信託などすすめて失敗してもリスクをとらないのからである。
原発は間違えばこれだけの被害になりますよ、リスクがありますよと知らせないで教えないで事故になったからである。これが詐欺だったのである。
これだけ原発で被害があったら他の国では台湾でもベトナムでもトルコでも日本から原発を輸出できなくなるのは当然である。
そのリスクを考えたら大損なことがわかるからである。
その負担は立地した市町村や県や国民全体でとらされる
税金が延々ととられるからだ。それに頭にくるのもわかる。原発にはそれだけのリスクがあったのである。国民にそれだけの負担を強いるリスクがあってもそれを良く説明していなかったのである。

ただリスクという時別に株でなくても貯金していても安全かというとそうでもない、預金封鎖とかインフレとかで金の価値もなくなる、自分の母は戦争中前の夫が事故で死んで大金をもらったがその時買ったわずかの土地だけが残りあとは紙幣は戦後紙きれになったのである。
だから預金も安全ではない、要するにこの世に完全な安全などないのである。
どんなに安全を計ってもない、病気にならないようにどんなにしようとなる人はなる。
それも保証できない、人間の肉体自体がリスクをかかえているのである。
どんな丈夫な人でも病気になるとたちまち総崩れになる、一転してこれほど人間は弱いのかと驚くのである。
優秀な人でも認知症になったら頭もだめになるからもう信じられないとそのことを書いてきた。
そうしたことは晩年に最後に起きやすいのである。

いづれにしろ何でもリスクがあるのにリスクをとらないのはずるいと思った。
原発だってこれだけのリスクがあったが会社の社長でも幹部でもそのリスクをとっていないのである。他の事業を起こした人はリスクをとらされる、それで自殺する人も多いからである。
そういうリスクがあるとしたら株でもそうだが知っていればそんなもの作らないだろう。作ったからにはそのリスクをとることが責任をとらされる
でも政府でも官僚でも東電でも誰もそのリスクの責任はとっていないのである。
それは証券会社とか銀行と同じだったのである。
それは国家的な詐欺でありまんまんと国民もだまされたとなる
ただ国民にしても銀行のすすめで投資信託でもうけようとしたのでありその本人も責任はあり責任は損失でとらされる、でも証券会社は銀行はとらないのである。
そんな人たちに原発をまかせられるのか?

つまりもしそれだけのリスクをとらされるとしたらどうなるのか?
必死で銀行でももうけようとするしアドバイスもする
別にリスクをとらないから本気にはならない
失敗したら切腹させられるとかなれば本気になる。でも原発ではそういうことであまり真剣に安全のことは考慮していなかったのである。
そもそも原発は人間が完全に安全に運転できるものではなかった。
その割にはものすごいリスクがあった
確かに交通事故もリスクである。未だに年に6000千人は死んでいるからである。
これもそのリスクを承知で車を運転している
ただ原発は強固な「安全神話」を作って成されていたことが問題だったのである。
証券会社でも銀行でも一応元金割れのリスクは言っているからである。
原発にはそういうリスクがありますよということが「安全神話」となり言われなかったのである。
でも大損失になりリスクを否が応にも地元ではとらされたのである。

確かにこの世に生きる限りリスクはまねがれない、どんなに安全だといっても今回の津波のように予想外のことが起きてくる。
ただ人間はリスクをとらなっかたら大航海時代も何も人間は進歩しないというのもそうだった。様々なリスクがあってもそれを乗り越えてきて進歩したとなる
人間の生きる醍醐味はリスクを乗り越えてそれで生き延びるとか成功することにあるからだ。
ただ闇雲に勝算もないのにリスクをとるということも問題である。
原発は科学が主要なものとして運営される、科学技術の粋が集まり運営される
科学というのはリスクをとってはいけないものである。一歩間違えば犠牲が出るからである。建築だってそうであり原発はその最たるものだったのである。
航空機でもこれも安全が第一でありそれは計られている、もし一回の事故でも犠牲者が多くなるからだ。だから万全を期しているのである。それはほぼ達成されている
原発はさらに厳重に安全に万全を期していなければならなかった。
しかし現実はそうではなかったのである。


posted by 老鶯 at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2016年11月21日

冬の蝶(俳句は写生ー空家にもみんな違った表情がある)


冬の蝶(俳句は写生ー空家にもみんな違った表情がある)

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残る菊空家にあわれ今日も見る

良く見れば空家に一羽冬の蝶

冬の蝶あわれ一羽の消えゆきぬ

晩菊や小さき町の駅舎かな

この庭の石に囲みぬ冬椿

岩風呂や奥山の月我がながむ

磐司岩流れうづまき紅葉散る


この道を今日も行くかな石の庭紅葉の燃えてともに住む街



毎日同じ道を行ったり来たりしていた。それも介護で十年間だったから長かった。
街の真ん中に二三軒空家がある。そこは荒れている
そこは一軒家で500万で売り出していた、でも買ってもリホームしないと住めないかもしれない、そうなると価値が低いというより500万では安い
そこに残る菊が咲いているのを見て通る

空家というのにもいろいろ表情がある。近くの空家は不思議だが荒れていない、そこにはいつも白い薔薇が咲いている、でも住んでいないのである。
そこは時々人が来て掃除などしているから荒れていないのである。

空家でも必ずしも荒れているとは限らない、ただ留守にしているという感じのものもある空家の表情は一軒違うのである。家にもそれぞれの表情があり個性があったためかもしれない。
すさまじい空家は森と竹藪にうばれた空家である。それは街から離れた所にあった。
ともかく全国で空家が800軒というからすごい、空家の時代なのである。
この辺で空家でも他から移って借りた人などもいるから空家の需要があるのかもしれないただみんな新住宅外に建った、でも一部は街の中にも建っている
あそこは二三軒空家が並んでいるからなぜだろうともなる

俳句となると写生だと前から書いてきた。この空家はすぐ近くにありそこにこの蝶がとまっていたのである。アカタテハである。
あまり街ではみかけない蝶である。
要するにただ空家にこの蝶がとまっているということが写生であり不思議だとなる
写生がすべてを語っているのである。ただ今の時代だと写真が不可欠になる。
なぜなら冬の蝶がとまっいているといってもどういう蝶かは写真でしかわからないからである。

よく見れば薺花咲く垣根かな 芭蕉

よく見ればというときこれは写生なのである。そもそも人間はなんでも良く見ていないのである。回りでも平凡でも何か見るべきものがあるが見ていない
旅ではいろいろ見るものがあるのだがゆっくり見れない見ていないとなり忘れたとなるのである。

俳句は写生に徹すれば意外と深いものができる。この句も何か平凡のように見えても鑑賞できる人は深いものを感じるだろう、空家に冬の蝶がにあっているともなるからだ。
庭の石と紅葉が映える新しい家の道を毎日通る、やはり仮設と違い家はそこに定着するとなるから違っている
ともに住んでいるのだとみる、ここに暮らすのだとみる。仮設ではそうは見えなかったからである。


なんか旅から介護で十年間遠ざかった。母が死んでからは本当に一人でありそれがなんとも不思議な感覚になってしまった。
何か特に昼間がらんとした家にいるのが嫌で良く原町のモスバーガーにでかける。
そこでも一人だけど家の中で一人でいるのがいやなのである。
老人の一人暮らしの人がスーハーとか人ごみに出ているというのがわかる
一人で家の中にいることが淋しいからである。夜がそれほど感じないが昼間に感じるのである。

秋保温泉にはなんかずいぶん前に行った、大東岳にも仙山線から上った。あそこも登山になるから結構楽ではなかった。
登山もずっと十五年くらいしていないだろう。
何か外にでる、旅するのが億劫になった。旅でも登山でもそれなりにエネルギーが必要だった。そして家に誰もいない留守する人がいないということも何か嫌なのである。
自分が自由に旅できたのは家を守る人がいたからである。

秋保温泉から二口渓谷に行って紅葉でも見ようかとなるが仙台からバスだしこれも億劫なのである。
思い出すとあの時は二口渓谷を下った所に岩風呂があり入ったことを覚えている
その時も秋で月が出ていたのである。月は山にあう、太陽はやはり太平洋から昇るのがにあうとみなれているとそうなる。


タグ:冬の蝶

2016年11月22日

津波は起きた時間(朝、昼、晩、夜)で被害が変わる (浜通りに一早く津波警報がでる)


津波は起きた時間(朝、昼、晩、夜)で被害が変わる

(浜通りに一早く津波警報がでる)


今日は六時ころ地震が起きた、相当に大きい地震だった。でも物は落ちない、あの時はバタバタと物が落ちて立っていれないほどの地震だった。
本がバタバタ落ちたので足の踏み場もなくなった。
わたわたしていてすぐに時間が過ぎた。

今日の地震は最初3メートルはくると言ったがが海の方に行くなと言われた自転車で見に行った、津波の被害にあった家の人が車で避難していて海の方に行くなと言われた。
それで一旦引き返したがまた海老の方に行った。あそこは高いからである。

考えたことは早朝の起き抜けに地震が起きた、それからすぐ津波警報があり3メートルの津波が来るとありすでに津波がきていた。
ただ3・11の津波では最初3メートルであり次にすぐ6ーメトルであり次に10メートルとテレビで放送した。まず6メートルは非常に危険になる
もうすぐ逃げないと助からないレベルである。
でも3メートルとなるとそれほどの危機感を感じない
地震でも5弱と7では相当に差がある。

ただあの津波を経験した人は3キロ先でも避難した。
前から怖がっていたからである。
人間は一回でもあれだけのことを経験したら恐怖になる
何が起きるかわからないということもある
でも津波はやかて経験した人も死ぬとその恐怖も忘れられる傾向が強いのである。
経験した人がいたら絶対に逃げろと叫ぶし日頃も子供にもその体験を常に言うことになるからだ。だから経験しない子供でも逃げるとなる

今回の津波の時間帯が朝6時であり起きるときだから頭がまだはっきりしないしぼーとしている人も多い、それで機敏に行動できないことがでてくる
つまり津波だとぼーとしていられない、即座に行動しなければならない
それがしにくい時間帯だった
だからもしこの時間帯に3・11のような大津波が来たらもっと被害が出たかもしれない
つまりあの地震は3時ころであり朝のように起き抜けでもないし頭もすっきりして活動している時間帯だった、それでもあれだけの被害が出たのである。

地震でも津波でも特に津波の被害は起きる時間帯が関係してくる
真夜中とか早朝とか昼間とか晩とかで被害が違ってくる
3・11では不幸中の幸いとして3時ころ起きた、でもあれだけの被害があった。
とすると真夜中とか早朝とか暗くなってからとかに起きたらどうなったのか?
それを考えると恐ろしいと思った。

津波は何か見に行くなといっても見に行く人がいる。
今回は自分は津波を見たいと思った。
今回の地震はそれだけの余裕がまだあったとういことである
3・11の地震と津波ではそんな余裕もなかったからである。
あの時もこんな調子で見に行って死んだ人がいる
でも3メートルとなると防潮堤もできたから越えないと思った。
ただ経験している人は一早く避難したのである。

これくらいの地震だと余震がつづく、今も揺れた、なんか不気味である。
つくづく何か原発でも福島県の浜通りが呪われているような感じになる
その原因が神の怒りが原発に向けられてるように感じる
原発は何か人間の傲慢であり神の怒りが向けられている
それは科学的ではないにしろこの辺に住んでいるとそういうものを3・11以来感じてしまうのである。


posted by 老鶯 at 13:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

秋から冬-山寺から磐司岩ー二口渓谷ー秋保大滝 (紀行文ー記憶は面と線と点でする)


秋から冬(短歌十首)-山寺から磐司岩ー二口渓谷ー秋保大滝

(紀行文ー記憶は面と線と点でする)

大師が山寺に住んでいた磐司(ばんじ)という狩人と遇って色々と土地の状況を問われたという所がある。そこを対面石といって山寺一の名石とされている。

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(二口渓谷)

岩風呂や奥山の月我がながむ


トンネルをぬけて山形に春なお白く雪の山見ゆ

山寺に冬や籠もりぬ杉木立岩に御堂や千歳経ぬらむ

山寺に北畠神社の社かな落葉しあわれ掃き清む人

大輪の菊の映えにき磐を打ちひびく流れや朝日さすかな

雪残る対面石や清らかに流れのひびき朝の清しき

山寺に大岩古りて御堂かな杉木立暗く冬に入るかな

山寺に雪そふるなり仰ぎ見るそそりし磐に御堂隠りぬ

雪うもる馬形部落たずねけり雪に踏み入り蔵ある家かな

磐司岩そそり迫りぬ紅葉映え流れうずまき隠さる道かな

道あれや落葉を踏みて月の出る山間深く下り来ぬかも

倒れ木を踏みて下りぬ道あれや山陰に隠る月誰か見む

ひびき落つ大滝にあれその下の水澄み流れ木の葉沈みぬ



記憶は人間にとって重要なものである。認知症になるとそれがわかる。今が記憶できなくなって過去に記憶したことが生きることになっていたのである。
そもそも人間が記憶を失われたらどうなるのか?
これが相当に重いテーマであり人間そのものを問うことにもなる
歴史はいろいろあっても基本的には記憶されたものである。
だからエジフトでもヒエログリフで執拗に記録したのである。エジプトがもしヒエログリフで記録されなかったらただ謎に終わっていたろう。

その記憶というとき一人の人間でも記録されたこと記憶されたことが人生になる。
そして記憶がどうして記憶されるのか?
旅をしても今では電車であれ車であれ通りすぎるのが多い、すると何か記憶されないのである。
そのことは前にもいろいろ書いてきた。旅がいかに記憶されるのかが重要なのである。

そして記憶は面と線と点で記憶することが残ることなのである。
地理を知ることはまず地図を見てもできない、実地にそこを歩まない限りできない
特に電車とか車だと高低差がわからなくなる、これも便利なるが故に記憶からぬけおちるのである。地理は立体だからである。
坂でも峠でも苦労して上れば体で覚えていることがある。車だとバイクすら簡単に上れるから覚えていないとなる。

地理をいかにして知るか、それは近くでもなかなかできない、福島県でも広いから地理を知ることは容易ではない、自転車で会津の方に行ってもわけわからなくなった。
会津は山が多いからわかりにくいしその地理を知ることが容易ではない
宮城県になると仙台は相馬からは身近である。だから地理の連続性としてとらえやすい、仙山線があり面白山をぬけると山形県なのである。
それで春になっても宮城県側は雪が消えても山形県の山々は面白山のトンネルをぬけても雪の山なのである。面白山のトンネルが国境になる。
トンネルをぬけると雪国だったというのは日本的な新しい境を越えることになった。

グーグルの地図で大東岳とか雪になっていた。これはいつ更新したかわからないが最近のことだろう。自分のユニットバスを作った人の一人が作並でありそれも山の方だというとき土地が安いから仙台の方からそんな山奥に土地を買ったのである。
仙台は高いからである。そして愛子とかあの辺は仙台から都市が膨張している、家が密集してきているからだ
今回ユニットバスを仙台の人に作ってもらったように高速もできて仙台から福島県に拡張してくる、仙台の影響が仕事の面でも大きくなってくるのか、買い物などでは福島市から今度は新幹線で影響があった。
交通が便利になると広域的になる、青森まで新幹線で行った時も近いなと思った。

でも旅をするとなるとその間は途中はとばされて記憶されない、点すら記憶されない、電車の旅は点の記憶であり残ったのは駅名だったとかなる
線とは道ではあるがその道が電車でも車でも早いから記憶に残らないのである。

今回はなぜ記憶に残っていたかというと面と線と点として記憶された旅をしていたからである。でも実際はこれも30年前とかなるとあいまいな記憶になる。
道をたどっても途中でとぎれたりしている、記憶はそうなりやすいが思い出すと面と線と点で結ばれていた。途中はあいまいでもなんとか一つの記憶として構成できたのである。それは宮城県は相馬からだと地理的一体感が会津よりあるからなのだ。

ともかく現代は山寺でもそうだがあまりにも観光化しすぎるようになった。
山寺などでも修行の場であり観光する場ではなかった、それは京都でもどこでもそうである。本来修行の場として選ばれたところが観光になってしまったのである。
松島だってあそこが一遍聖人などの念仏宗の修行の場でありあのような美しい場所を死に場所に選んで各地から集まったという。
何か山寺でも松島でもそういう神聖な自然の場所だったのである。
それが観光化したことがその本来のもの自然と融合した宗教が失われたのである。
あの辺でもどうしても仙台の市街が近いように思うからである。
鎌倉でもそうである。密集して家並みが山に登ると埋めつくされて迫ってきているのである。東京から鎌倉まで家で埋めつくされる、それで神聖な修行の場とかがそこなわれてゆくのである。あのユニットバスを作った一人も作並のさらに山の方の土地を買ったと言っていたから仙台はそうした所まで拡張しているのである。そこではすでに雪がふっていたからである

そして秋保温泉でも何かそこはもう観光であり俗的な世界であり深山幽谷があっても何かその近くまでそうした俗世間が迫っている感じになる。
自分はその時大東岳や磐司岩を歩いたから記憶に残っている、ただどうしても時間がすぎると記憶がとぎれとぎさになりあいまいになるのである。
ただふりかえり思い出して短歌にしたりすると何かかえって深いものとなる。
旅しているときは集中できないがふりえると深化できるのである。
ここはまだ地理的連続性があり記憶をつなぐことができたとなる

山寺の北畠神社は新しいものだった。南朝に由来するとしても明治以降に建てられたものだからそれほど価値あるものとはならない、霊山とは違っていた。
ただ明治以降も南朝と北朝のことをひきづっていたのである。
それだけその争いは根が深いものだったのである。
南朝とか北朝も山寺と関係あったらしい、あそこの歴史は相当に古いからである。



タグ:二口渓谷

2016年11月23日

七ヶ宿街道を行く(秋の短歌十首) (一本の線につなぐ記憶の不思議)


七ヶ宿街道を行く(秋の短歌十首)


(一本の線につなぐ記憶の不思議)

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秋の灯や四万石の上山

数匹の虫の音聞き入る七ヶ宿


七ヶ宿虫の音ともしあわれかな我が聞き入りて去りにけるかな

七ヶ宿何かあらむや広々とダム湖に写る秋の雲かな

街道に畑を耕す人ありて旅人一人秋深まりぬ

鏡清水写せし姫の面影やしばし我がよる秋の夕暮

上山街道来たり秋の夜ともしびあわれ一夜泊まりぬ

七が宿本陣宿秋のくれもてなす村人貧しき思ふ

上山江戸には遠し何伝ゆ街道行くや秋深まりぬ

街道は芒の原や上山なお遠しかも夕暮れ迫る

七ヶ宿街道淋し上戸沢下戸沢と来て木の葉散るかな

坂道の急なるかな難儀して一すじ見ゆる山の街道

ようやくに坂をし下りいでにける桑折やさらに江戸は遠しも


記憶のことを書いてきたけど本当にこれがわかるのは老人になってからである。
記憶したものが人生ともなることは何度も書いた。
だから何が記憶されるのか?それが問題だとなる
旅をしても何を記憶されているのか?記録と記憶はまた違っている、記録というのは無数にある、ところが記憶はその人の内面化したものであり単なる記録とは違う。
そこが記録が何か無味乾燥になるが記憶は人間の存在そのものにさえなる

歴史でも記録は無限大でありとても知り得ようがないのである。
でもその歴史でもある人の経験とかかから語ると何か血の通ったものとなる
今回の記憶はなぜか七ヶ宿町で虫の音に聞き入っていたことである。
そこで自転車で疲れて長く休んでいたのである。
その時虫の声を聞いていた、あそこは淋しい所である。家もまばらである。
その虫も数匹であった。

寂けさや岩にしみいる蝉の声  芭蕉

何かこの句と通じるものがあった。そこでじっと耳を凝らして聞いていたのである。
その時はただ疲れて休んでいただけだが今になりそのことが記憶として蘇ることが不思議なのである。
それはなぜか?そこに長くいたことと辺りが静寂につつまれていたためである。
それが記憶として蘇った要因である。
都会だと人ごみの中にまぎれいったりすまとそういう場所は記憶されない、家だってごちゃごちゃして人ごみの中だと記憶されないのである。

つまり現代は何か深く感じない、記憶されないことが多すぎるのである。
それは静寂がないとか人が多すぎるとか交通が便利だとか機械や道具に頼り記録したとしても記憶にはならない、記憶とは必ずしもメモしたりデジカメでとったりしても残らないことがある。それはあくまでも記録なのである。
記憶とは心の内面に感じたものなのである。それは人間のみができることなのである。
芭蕉の奥の細道は心の内面で深く感じた旅だからこそ生れた。
それは江戸時代という環境から生れた芸術だから今になると作れないとなる。

でもにたものとして虫の声を聞いたのが通じるものがあったなと今ではふりかえる
旅するときはこうして国道とか行くとそこは車だけが行く騒音の道と化している
だから旅しても心に残りにくいのである。
七ヶ宿街道などは何か淋しいのである。忘れられた道である。白河街道でもそうである。でも昔はここが江戸に通じる本道だったのである。

この旅も白石の方から来たのだから歴史をたどる道ではない、そして羽州街道として桑折から小坂を上ったときはその坂の急なことに難儀した。山の中をおりてくる道も急だったこんな急な道を来たのかと驚いた。
自転車で歩いて上るほかない急峻な峠道だったのである。
これもまた下る道だったら別だろう。
何かここを一つの昔の街道として行ったのではなく白石の方から入り桑折から上った
二回に分けて七ヶ宿街道を旅したとなる。
現代は何か部分的に歴史をたどる道でも行くことになる
本当は街道だったら一つづきとして旅するのがいいがそうしにくいのが現代なのである。そうすると昔をたどる、歴史をたどる旅になるのである。
ただこれも本当は一番いいのは歩く旅であるがそうなると時間が何倍も車だったら十倍とかもかかるからできなくなる、今一番ぜいたくな旅は歩く旅になったことは皮肉である。歩くことは人間を回復することになったのである。

上山藩は四万石だった、相馬藩六万石である。野馬追いがあるからもっと大きい藩のように見えてもそうではない、上山はそれよりも小さかった。あの城はそんな感じである。
でも城があるから昔を偲べるということにはなる。
やはり城は街の中心にあり要なのである。城がないと何か見るべきものがないとなる
常に人間は何か中心がないと景観でもひきしまらないのである。



山形県の旅の回想の短歌 (秋から冬-七ヶ宿街道など)
タグ:七ヶ宿街道