2016年11月10日

トランプの勝利はなぜ? (グローバル経済は誰のためなのか?)


トランプの勝利はなぜ?


(グローバル経済は誰のためなのか?)


世の中のことはむずかしく考えたら限りなくむずかしくなる、単純に考えるとそれはそれなりに理が通りわかりやすくなる、それでトランプが受けたのである。
みんな学者でもないしジャーナリストでもない、投票する人は日本でもそうだが普通の庶民であり労働者なのである。
第一新聞すら読まない人も多いのがアメリカだと言われる
だからグローバル経済や多国籍企業や株をしている者だけがもうけているのか、なんら自分たちには恩恵がなく格差社会にアメリカもなっていたのである
そういう不満が根強く底辺にあったのである、中産階級が没落したというのもそうである白人の労働者が職を奪われているのもそうである。
アメリカを作りアメリカに住んでいてアメリカの恩恵も受けられないのがグローバル経済だったというのも矛盾だったのである。
恩恵を受けたのは多国籍企業でありウオール街の株をしている人たちだけでありそこで巨利を得るものがありあとは何の恩恵もない、かえって貧乏になり没落したのがアメリカだったとなる。
グローバル経済自体がアメリカ国民全般のためでもなかったのである。
一部の多国籍企業とか株をしている人たちだけのものだったということでヒラリーが負けた、ヒラリーはそうした既得権の上に成り立っていたとみられて嫌われていたのである。

物事を単純に考えるとグローバル経済というのは誰のために働いているのかわからないのである。規模が巨大だからもう金の流れも何もわからない、世界市場では株ではただ数字だけを動かして巨利を得るものもいる、そういう世界はほんのわずかの人しか利益を得ないのである。それで世界の富が数パーセントの人に吸い上げられるだけだとなる
そういう不満がアメリカにもあったということである。
グローバル経済はアメリカ国民が均等に利したものではなかったのである。
アメリカの極一部のものが利しただけだとなっていたのである。
マスコミとか知識階級とかはそうしたグローバル経済に組みして利益をあげていたから30社がトランプを批判していた。3社しかトランプをとりあげなかったとかなる。
アメリカのマスコミもそうしてグローバル経済は多国籍企業から宣伝費をもらい成り立つからそうなる。それは原発でも東電から宣伝費として金をもらっていたので日本のマスコミが「安全神話」を作るのに加担していたのと同じ構図だったのである。
アメリカのマスコミも同じだったのかとネットで批判されている
つまり世の中金で動かされているというのも常に現実でありヒラリー派にはそうした多国籍企業であれウオール街であれ莫大な献金が流れていたと指摘され嫌う人たちが多かったということである。

トランプの言うことは過激でも何か一理あった、日本はアメリカが何かあったとき助けない、でもアメリカは日本が何かあった場合、戦争でもなったら一方的に助けなければならない、アメリカ人の血を日本のために流さねばならない、これも一方的でありアメリカ側からみれば不満になるのも確かなのである。同盟関係だったら対等だからである。
日本もこの際アメリカに頼るだけではなく独立して防衛するべきだという論議がでてきたのもまた今までもアメリカに頼るだけでは守れないということがあるからだ。
今までは敗戦国であり冷戦とかあり従属していたが今度は独立をかえってアメリカから求められるようになったということである。

ともかく物事はむずかしく考えたら限りなくむずかしくなるのである。
つくづく自分の経験では「「遠くの親戚より近くの他人」である。
隣の市まで8キロくらいにしても通うとなると車でも10分できたとしても往復20分になるから時間がかかる、すると助けるにしても手間になる。
もし隣だったらすぐに来れるから助けやすいのである。
アメリカでも日本に何かあった場合、かけつけるとなると遠いから簡単にできない
そういう距離的なものは常に一番影響しているのである。
今は広域社会になり全国に散らばる、すると親子でも助け合うこともできないとなる。
なぜなら東京だったら遠いしとても介護とかなるとできないとなるからだ。
それでは助けるのは誰かとなると地元の人たちなのである。
広域社会とグローバル経済もにているのである。
なんかユニットバスを注文したのが仙台の会社だったのが失敗したのかもしれない、
後何かあった場合、みてもらえないと言われたから地元の業者を知っている人がそう言ったからそうなのかと思った。
ただ地元の人に頼むと50万くらい高くなる、それだけ安くできるとなるとやはり何か問題が起きるのかとも思った。

グローバル経済の矛盾は単純に考えれば誰のために働いているのか見えない、金の流れも世界市場となると見えない、そしてその見えない金がどこに行っているかとなると極一部の者、株式を操作する者に流れているだけだとなる
金の流れが見えないことは闇になる、それで陰謀論が生れるのである。巨額の金が闇の中に操作されているのである。
それはアメリカに流れていると思っていたがアメリカでも大多数の労働者には関係ないことだったのである。
移民をアメリカではあんなに受け入れているということ、それは多国籍企業にとっては安い労働力となりいいが肝心の元からいる白人にとってはその職を奪われるとまでなっていた。移民で得するのはその国の国民ではない,多国籍企業とかでありアメリカの中産階級はそのために没落したのである。
その不満が大きかったがアメリカのマスコミはそうした既得権者が支配しているから表面化しにくかったのだが露骨にトランプがそれを言ったので共感したのである。
ただ共和党というと民主党とは違いどっちかというと富裕層側に立つと思っていた。
トランプ自体が大富豪だからである。ただ単純にそういうふうに分けることもできなくなっていたのである。

ただグローバル経済というとき今度はアメリカだけではだめだとなるとき日本はどうなるのかとなるとむずかしい問題である。
なぜなら日本は中国とはうまくやっていけないのである。
中国は共産主義国家でありアメリカとは全然違った国である。日本はまがりなりにもアメリカの民主主義とかを受け入れて同調して西側の一員になったからである。
同じ価値観を共有するものとして一応してきたのである。
でも中国とはそうした同じ価値観をもつことができないのである。
かえって江戸時代だったらできた。なぜなら江戸時代は儒学の時代だから共通の価値観を中国ともつことができたと思えるからである。
グローバル経済というとき経済だけではない、何か共通の価値観が必要になる。
それでEUはキリスト教共同体として歴史が長いから連合した
ただそこにイスラムとうまくいかないから問題を起こした。
そうした共通の価値観は経済だけではない、単にもうければいいだけでは人間の共同体は作れないのである。そこにそもそもグローバル経済の限界があったのである。
見えざる手に導かれとか世界にはそれは適用できなかったのである。

だから日本がこれからどうするかというとき、中国とは価値観とかで共同しにくいとかなるとアメリカにも頼れないとなるとまた第二次世界大戦のように孤立化する危険がある。中国というのはやはり今度アメリカの時代が終わったといっても中国に同調する国が価値観を共有できるのかというのが問題になる。
人間は経済的なものだけで成り立たない、文化の相違もありその価値観の共有がないと結局グローバル経済だけではうまくいかないのである。
そこがグローバル経済の失敗の要因だったのである。
アメリカ自体が多国籍企業でありグローバル経済の市場を最も推進した国だと思っていたが実際は極一部の多国籍企業の幹部とか株をしている人だけが巨利を得たとなる。
アメリカだと社長が何百億を得るとか考えられない巨利を得ているからである。
そういう矛盾がアメリカ自体にあってトランプがそのことをついたから当選したとなる


アメリカの格差は凄まじいーグラフで見る
posted by 老鶯 at 10:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

近辺を回り秋も深まる (専門家時代でも郷土学とはトータルな学問)


近辺を回り秋も深まる


(専門家時代でも郷土学とはトータルな学問)

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秋の陽が昇る
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八沢浦の長岩

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前畑に鶏頭映えて女のあり

晩菊や仮設に五年過ぎにけり

散り残る花びらあわれ秋薔薇

街の路次今日も秋薔薇菓子屋かな


五年すぐ津波の後や長岩に秋の日さしてここに残りぬ

我が買いてためにし本を晩年に読みつつ書斎に秋深まりぬ

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仮設でも五年もいるとそれなりに年月の重みがあるかもしれない、その心境はわからないがやはり五年もいれば時間の重みがでてくる。
ただその間にパチンコとか遊び費やされたというとき何も残らないかもしれない
ただ時間が過ぎただけでは人生でも何も残らないのである。

前畑というとき家の前にある畑である。それは前田と同じである。
人間の生活の拠点となったのが前田であり前畑である。
だからこそ地名化した、常に家の前が仕事場となっている
仕事と家が密着して一体になっているのが田舎だった
会社に通うとかもない生活だったのである。
それが本来の生活だったのである。

秋薔薇というとき最近路地裏の道をゆく、路地裏の道は何か通りとは違っているのだ。
そこに秋の薔薇が咲いていたが花びらなお散り残っていた。
菓子屋が一軒ある、まず街中で今や営みがあるのはわずかである。
どこに勤めているのか、何で暮らしているのか小さな田舎町ですらわからないというのが不思議である。会社に勤めている人が多いのだろう。

八沢浦の長岩は良く津波にも残ったなと思う、あれだけの津波だから岩すら破壊される力だったからである。
やはりそれなりに大きかったから残ったとなる
だから津波のあとにこの岩は残ったなと見る、これも八沢浦の一つの象徴だからである。八沢浦は広い土地が荒地になっているがあと二三年で田んぼにするという
塩害はあまり米作りは関係なかったらしい、かえってミネラルで栄養になるとか言っていた。右田では津波の後に今年は広く実りがあった

自分は20代から書斎が与えられていた。それでいつも仙台にゆくのは本を買うためだった今ふりかえるとそれでも地方は田舎は本を買うこと、本を読むことで相当なハンディがあった。知識というとき本の時代だったからである。
その本が手に入らないし、目立ったものしか手に入らない、見れないという時代だったのである。だから必要なもの読んでいないとなる
何か知りたいというとき今のように古本でも何でもネットで注文するわけにいかないからである。こういう点では今は田舎でも困らない、あることを知りたいというときネットもあるしもっと深く知りたいというときネットで即座に注文すれば配達してくれるからである。
だから情報的には都会と田舎の差はなくなった。それで都会に住むメリットがそんなにない時代なのである。
ただ田舎は人に関してはいろいろな人はいない、農民とか漁民とかいても何かその他はいない、だから知的刺激に欠けるとるな
銀行員が意外と証券マンみたくなり国際的なものになっていて今日も銀行の部長が来て国際のことトランプのことで話した。
銀行とか特に証券関係は相当にグローバルな知識が必要な仕事だったのである。
自分は世界旅行をかなりしたからそれで話を合わせられるのである。

ただ人間は何かみんなかたよっている、農業の話と証券の話とか国際の話をできる人は少ないだろう。意外とまた田舎が農業が仕事としてあっても農業をしていな人は知らないのである。
自分は畑を趣味でしている人を知ったから農業の苦労を知ったのである。
趣味程度でも毎日草むしりとか農業は苦労が多いのである。
いづれにしろ人間は今は総合的に生きるとか見れる人はわずかである。
自分のように故郷とか自然全体をみている人はまれである。
第一詩的に見る、石とか樹とか山とかそれらを見る人はまれである。
農業している人は別に詩を書かない絵を描かないにしても自然に密着するから自然と切り離されずある。他の人は今は自然と切り離されて仕事しているのである。
銀行マンは何なのか?いま証券会社なのかとなる
郷土史とか郷土学が何か狭い範囲のことの追求に見えるが実は総合的な広い範囲でみるものなのである。だからとても一人ではできないのである。

現実にそこで暮らしている人は農業している人だけではない、田舎でも多様な人がいるからである。それをプログであった人のことを書いたのである。
ただ都会のように何か特殊な人かいてそういう人とは出会いないしわからないのである。一方で都会では農業している人の苦労などわからないのである。
それでも毎日食べねば生きていけないのだから農業と田舎と無関係とはいかないのであるいづれにしろ人間は今複雑に仕事も分化してトータルに知り生きることができないのである。逢う人はみんな専門家でありその専門家はトータルに生きていないしトータルな知識も経験もないのである。
だからトータルに総合的に生きるというときアウトサイダーになるのである。
なぜならアウトサイダーは一つの職に属することがないから広い視野で見るということにもなるからである。
だから一つの世界観をもつというとき今は専門家社会だからできないのである。
どんな人でもただ部分の仕事であり部分を見ているだけなのである。


タグ:秋深む

2016年11月11日

鹿島区のローソンで車がヘンスにつっこむ事故 (高齢者の一人暮らしの危険)


鹿島区のローソンで車がヘンスにつっこむ事故

(高齢者の一人暮らしの危険)

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この事故を起こした人はみんな知っていた。ローソンにきて這って動けないとき助けて車にのせたことがあるからだ。
その人はいつもそうしてローソンに買いものに来ていた。
それでみん知っていたのである。まず動けないで這ってやっと車に乗っていたのである。這ったまま動けなくても車に乗れば運転できると言っていた。
でもなんか店の人もそういう状態でもなにもしていない、でもみんなその人がそうしていつも買物にしていたのである。
そして今日ローソンに行ったらヘンスにつっこむ事故になり警察が来ていた。

その人のことはどこに住んでいるかもわかっていた。
やはり一人暮らしでやっと買物をしていた人だった。
あんなふうにしてまで買物するということは誰も助ける人もいないからそうしている
隣の女性は買物ができなくなり頼んで買物してもらっていた。
でもついに一人で暮らせなくなりいわきの方に息子が連れていって施設に入れた。
結構高いけどそれだけの金があったから入れたともなる

最近良く高齢者の交通事故が話題になる、事故が起きるのが増えている、その人はとてもすでに運転できる状態ではなかった。
でも一人で助ける人がいないから這って買物していたのである。
これは福祉関係の人が見回りしてなんとかするべきものだったのだろう
なんかこういう人が高齢化社会でこれからも増えてくる
そういうことが自分にもあてはまるしだから一人暮らしは恐怖なのである。

この人はそもそも運転できないのに運転せざるをえなかった

高齢者でも簡単に車をやめるわけにはいかない、一人暮らしだから這って店に入りでてゆく、車がないと買物ができないとしたら死ぬほかない、買物は意外と重要なのである。
買うことができれば別に今は料理することもない、弁当だけでも食べて生きていけるのである。
だから隣の女性は買物ができなくなり施設に入るほかなくなったのである。
警察が来るというよりこれは福祉関係の人が来る必要もあった。
もう一人では生活できないからである。

何か高齢化社会ではこうしたことが頻繁に起きてくる
高齢者の車の事故が増えたのはそのためなのである。
車をやめさせるといってももしこの人のように買物もできなくなったら死ぬことにもな
だからやめることもできな人もいる。誰か助ける人がいればいいがいなかったらそうなるそういう人も増えてくるのである。
這って歩いていても無関心だという時代でもある。福祉関係に連絡するとか必要だったのだろう。
自分は一回だけ助けたが他の人も店の人もそのことを知っていたけど無関心だったのである。コンビニとかなると店の人は客に無関心ということもある
今の社会は何かそうして無関心なのである。そういう社会になっている
だから一人暮らしとか身寄りがないとうなる本当に恐怖である。
誰も助けてくれないという時代である。
ただその人の名前を知っていたということはどこに住んでいるかもわかっていた人もいたのである。

とにかく高齢者の交通事故は社会問題になっている、この人もヘンスにたまたまつっこんだだけですんだけど大きな交通事故を起すこともあったから危険である。
でも免許をとりあげたらどうなるのか、買物もできないとなる。
そういう一人暮らしなどの高齢者は増えているのである。
一人暮らしでもいろいろあっても別に近くに息子や娘もいる人も多い
でも誰も助ける人もいない高齢者も増えてくる、その人は車で這ってまで買物して事故を起こした、回りの人は無関心だったとなる
最後は買物できなくなり力尽きて死ぬとまでなる
これが高齢化社会の現実だともなる、ただ回りで見ていたのだから知っていたのだから何か福祉とか何か対策をとる必要があった。
その人は近くに住んでいる人だと思わなかったのである。

言葉には深い意味がある (英語で詩作してその言葉の意味を探る)


言葉には深い意味がある


(英語で詩作してその言葉の意味を探る)

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神殿の柱

the peaceful lined trees

the harmless ones
the strgethend ones
the stationary and established
obedience on the earth
in domestic stability

one by one
step by step
day by day

stedy,strict,firm

deeply rooted ones
in the homeland in order



近くの並木からイメージしてそれを英語で表現しようと試みる、なぜ英語というとき外国語が身近なものにならないのか?
それが英語でも単語の一語一語持っている感覚が違うのである。その感覚は結局その背景にその言葉が生まれた歴史とか文化がありそれを実感として理解できないことにある。
確かに今や機械翻訳が発達しているからそこから英文を表現できる。

でも深いところで一語一語の意味を知るのは容易ではない、それは日本語だってそうであり他の言葉でもそうである。
日本語のあわれを理解するのは容易ではない、かわいいとかもったいなと日本語の言葉が世界語化したものがあかるが深いところで言葉を理解することはむずかしい。
それはなぜなのか?

言葉の背景にはそれが作られた背景がありそれが長い間で作られたのである。
英語だとゲルマン語がドイツ語が基礎にありそこから生まれた、だから英語の一語一語を理解しようとするときドイツ語の理解が必要になるかもしれない、言葉の中には一見事物があっしてそれを同じようにととらえてるようでも違っている。
つまり感覚的にも精神性でも違ったものとしてとらえているのである。
それはなかなか説明することもむずかしいものである。
詩が説明できないというとき言葉も説明できないのである。
詩が翻訳できないというときもそうである。
言葉はもともと詩語であり詩を理解してないと言葉の深い意味がわからないかもしれないただ外国語でも普通にどんな人でもしゃっべっている、ではそのネティブでもかえって母国語の深い意味を知らないのである。
それは日本人でもそうでありみんなそうである。
言葉には必ずどの言葉でも深い意味があり精神性がある。

ここに出したのは一つの例である。自分は自分の詩を英語にできないがその試みとしてした。

steady

(足場・基礎など)しっかり(固定)した、ぐらつかない、安定した、震えない、きょろきょろしない、不変の、一様の、むらのない、間断のない、定まった

この一語に関してもこれだけの意味があるというとき日本語では表現しにくいからそうなる。むらのない、間断のないとか実際は様々な意味があるがそれを翻訳はできないからこうなっている。

だから並木の樹々をイメージするとこの言葉も理解しやすいようになる。
外国の神殿というときギリシャだと列柱がありそれが丁度並木ににているし
またゴシックの聖堂の石の柱ににている。
英語系には建築的なもきがあり言葉としてもその建築的なものが表現し構築されている。日本語だと情緒的だというときしまりがない言葉なのである。

ここで表現されいるのは意外と変わった言葉ではない、日常的に使われている言葉でありむしろ基礎となる言葉である。
だから普通に英語をしゃべる人は使うがその言葉を深く理解するのは外国人だというのもまた言葉の不思議がある。
その言葉訳してみて同じのように見えても違っているのである。

orderなどはin order toとか普通に使うものである。でもorderというとき秩序を重んじるものとしてその言葉がありヨーロッパ文明の源に秩序を重んじるものがあり自然でも宇宙でもその秩序を理論化するものがあった。
だから数学とはそうした秩序を現すものであり発達した。幾何学とかと建築は一体ということでもそうである。
詩となると何かそうした理系的なものとは関係ないもののように見えても自然の中に秩序を発見するということは理系なのである。
風土学になると日本の自然は乱雑であり混沌としているから何かそうした秩序が数式のように現せない、並木というときそれは秩序的に並べられた木であり神殿の柱なのである。
自然を模したものとしてし建築があるとき明らかに樹は柱でありその土台は大地に定着するものとしてある。

だから毎日近くの桜並木道を歩むとそういう自然が一つの秩序を示して大地に根付いているという感覚になる。
違うのは樹は生き物であり日々に成長して根も大地に張ってゆく、養分も大地からとっている。
そして樹に感嘆するというときそれが樹と樹は争わないし傷つけ合わないということである。ハームレスだということが感嘆する。
そんなふうに第一一般的には樹を見ない、でも人間をみればわかる、どれだけ傷つけあっているか?男女でも三分の一は離婚しているし絶えず女性も男性も争っている
それと比べたらいかに樹々が平和なのだろうと反対に思うのであり感嘆するのである。

植物は争わない、そこに平和がある。だから植物的生は平和を志向するのである。
それは農業でもありまたそこから派生するものとしての文化になるのである。
江戸時代は植物的生の時代であり明治維新語は外に拡張する狩猟的遊牧民的移動する社会だった。だから世界的に大きな戦争となった。
戦後もやはり高度成長グローバル社会であり世界的に拡張する時代だった。それは世界的弱肉強食のグローバル資本主義経済だった。
そのゆりもどしがドメステックなものへの回帰現象が起きてきたのは当然である。
それは植物的生への平和への回帰である。
それはアーリア人的でない゛アジア的な価値観への回帰なのである。
それは日本だけではないアメリカでも起きるし現にグローバル社会への異議を唱えたトランプが勝利したことでもわかる

それよりも世界的にみればインドでも中国でもアジア文明の回帰が起きるのかもしれないその回帰はすでに西欧文明と融合したものでありまた別なものとなって勃興するのである日本でももう経済的発展より文化的な国風文化の再生、ルネサンスの時代となるのであるそれもこれほど西欧文明をとりいれたのだからその上に国風文化が再生するからまた違ったものとなる。

人間は文化といっても大地と一体であり都会のビルの谷間で文化が生まれるかとなるとない、自然を模型として大地を耕すものが文化だかちである。
そこに自分の郷土史とか郷土学も一旦として追求してきたのである。
ゲルマンの森と大地からゴシック建築が生まれたようにその土地と自然と切り離して文化は興隆しないのである。
政治的に右だ左だというより日本の精神性の深さを追求することがあるべきなのである。不思議にアメリカでも歴史が浅いとしても200年くらいの歴史がありホイットマンの時代は実業主義であり農民や職人がたたえられていた。何かそれは江戸時代と通じるものがあるのでまた歴史には世界でも共通なものが常にある、それは外国人も人間だからだとなるホイットマン時代は質実な堅実なものが志向されたのである。だから株でもうけるとかはなかったからそうなっていたのである。
そこでどうしても株のようなものは虚業となり嫌うということはホイットマン時代の復古たともなるのである。 

日本語の詩にするときの弱点は韻をふまないとか冗漫になるとかある、しまりがないのである。英語とかは韻を踏むし整然と言葉が数式のように配置することがあるからしまりがある、日本語にも日本語のいい点はあるが冗漫になるということが欠点である。
ひらがなでもなにか水が流れるようであり英語とかなると石のように固さを感じるのである。それが文化だといえばそうである。
別に詩でなくても英語をしゃべり書くとなると何か日本人は苦手なのは要するにここに書いたような文化とか歴史の相違がありそれが根本的に克服できないのである。
漢字はその点日本の文化と同化したのである。漢字がないとしたらとても深い意味を表現できなかったからである。
ある意味で詩は特にそうだが文化は言葉の格闘になる、言葉の一語一語には深い意味がこめられているからそうなっていたのである。

秋の日の木々(詩)




2016年11月12日

昨日のローソンのヘンスに車で突っ込んだ老人(2) (その家は廃屋化していて住めなくなっていた)


昨日のローソンのヘンスに車で突っ込んだ老人(2)

(その家は廃屋化していて住めなくなっていた)


昨日ローソンのヘンスに突っ込んだ車の老人は近くに住んでいた。
今日見たら蔦が絡まり廃屋化していた。
その人は車の中で寝起きしていたという、つまりもう家が廃屋化して住めなくなり
車に寝ていたとなる、車になにかいろいろ積んであったのはそのためか?

これは何を示しているのか?
ゴミ屋敷ではないが家に住んでいても家に住めなくなった
その原因がその人がもう這って歩くのがやっとでありそれで自分で食事とるのに
ローソンにきていた。
這って歩くとなるとまず料理も掃除でもできない、するとどうなるのか?
家に住むこともできなくなり廃屋化する

これも高齢化で取り残された老人である。
全国で空家が800万軒とか増えるとき何かそういう象徴的である。
街中でも空家が何軒かあるのを知った。
そこは500万で売り出していた、でも今は新しい家は街中より外に新住宅街に建てている
だから街中は住まないで放置されるかもしれない、ただ借りて住む人もいる

その人の家は二階建てでありそれなりの家である。
でも家を維持することが意外とめんどうであり金もかかるのである。
そして体が弱りついに自分の家にすら住めなくなった悲劇である。
回りの人は無関心であり車で寝起きしていたが事故を起こした
家があっても家に住めないというのも悲惨である。
家はかえって年取ると重荷になる場合があるのだ。
一人暮らしでゴミ屋敷になるのは家を維持することができない
その力すらなくなってきてそうなる場合もある

その人は這って歩くことしかできないのだからそうなった。
一人暮らしで体が弱ると悲惨な結果になる
それは自分も経験してきたからである。
今の時代回りで近所でも助けない、かえって人が弱ると楽しんでいるとかそれよりその弱みにつけこまれて犯罪にもあう、そういうことを自分は経験していたからである。
だから老人は一人暮らしの人などはどうしても施設に入るとなるがここも安住の地ではないが一応助ける体制はあるあ、あんなふうに這って歩くまで放ってはおかない
今の社会では放っておかれるのである。
だからテレビでも放送していたがぎりぎりになり救急車で運ばれたとき助ける
それまでは放置されていると放送していた。

あの人もぎりぎりになり事故を起こして警察が来てなんかまた他に市役所の福祉関係がかかわるかもしれない、ともかくあれは高齢化社会の象徴的なものかもしれない。
自分の家があっても自分の家にすら住めなくなりついに車に寝起きして辛うじて食料をコンビニに買い這ってゆき、また車にのったが事故になった。
高齢化社会はそういう人が増えてくる、一人暮らしが増えてくるし増えている
近くに息子や娘がいない場合も多い、すると放置されたままになるのである。
福祉といってもそれが簡単にかかわるということもないのである。
福祉にたすけてもらへと言ってもではすぐに特養に入れるかとなるとこの辺は原発事故とかで以前として人手不足とかで入れない
それであのように這って歩き車に寝泊まりして家に住めなくなるまで放置される

結局家は必要でも家は人を助けてくれない、かえって重荷になることがある。
人を助けるのは人である。ただその人が今は無関心なのである。
だから金がないとかになると施設にも入れないで放置される
近くの人は買物ができなくなり息子がいわきの施設に入れた
それだけの金があったからできたともなる、施設に普通に入れたら20万は月かかるらしいそのくらいの金がある人がどれくらいいるのか?
その負担も大きいのである。するともうこの人のようにぎりぎりになるまで放置されてしまう。

あの人のことはみんな知っていたのである。でも誰も助けないのである。
福祉の人も回っていなかったのだろう。
とにかく高齢化社会ではこういう人が膨大に増えてくる、それが高齢化社会の現実なのである。野垂れ死にのようになって死ぬ人が増えるかもしれない。
近所だって助けないし助ける余力もないとか無関心であり放置される
最後は金がある人は金に頼むしかないという冷たい社会になっているのである。
つまり老人は死んだ方がいいとか若い人もいつも言っているのだからそうなる
障害者の大量殺人の次はこうして増える老人の大量殺人とはならないまでも見殺し放置になる、そういう覚悟も必要なのが高齢化社会だともなる

タグ:廃屋と老人

2016年11月13日

トランプ大統領になったのはなぜなのか?(2) アメリカと共に沈みゆく世界(カレル・ブァン・ウォル・フレン)を読む


トランプ大統領になったのはなぜなのか?(2)


アメリカと共に沈みゆく世界(カレル・ブァン・ウォル・フレン)を読む


トランプがなぜ大統領になりえたのか?それは世界でも日本でも予測外だったしアメリカ自体も予測していないものだった。
ただその背景に何があったのかとなるとそれを解くのはアメリカで何か起きていたのか?
アメリカ社会とは何なのかということを知る必要がある。
ではどうししてアメリカを知り得るのだろうか?
それは様々な人が言う意見がありテレビの意見がありネットの意見がある。
実際に行ってみて知るというのも一番有益だがそれが限られている人しかできない、一番知っている人はそこに住んだ人である。

メデアというときテレビは常にセンセーショナルメデアでありその影響が大衆にはあまりにも効果的だから危険なのである。
第一大衆は考える能力がない、テレビは考えなくても見ることだけだから楽なのである。ただその危険は一方的になり洗脳されることなのである。
この本はアメリカのことを指摘しているが日本のことでもあり世界のことでもある。
世界はグローバル社会になったときやはりなにやかにやあっても世界的共通認識と価値観が生まれた、経済的にはそうである。みんな豊かになりたい、文明の道具を使い電気でも車でも使い便利な生活をしたいということは反対するものがあったとしても極少数であるパンが贅沢などと山尾三省のような極貧の生活を誰も望まないのである。

宗教というとき他にも価値観の相違はあるがイスラムだってその文明を否定しているのかというとしていない、ただそうした豊かな生活をできないということで不満でありテロにもなっているのである。
この本で価値観が違うから共同できないというときその価値観は何なのかということを言っているので自分もそのことを書いたので考えさせられた。
つまりこうして本とか熟考して書いているから考えさせられるのでなしる。
テレビとかでは何かこういうことがない、絶えずセンセーショナルな断片的な意見の表出で終わる、テレビは考えさせないメデアである。
洗脳されやすいメデアである。映像時代はさらにそうである。イラク戦争で油まみれの海鳥を写したとき世界ではなんでイラクではひどいことするんだと感情的になったのである映像は人間を感情的にするのでてある。

今回のトランプが大統領になったというときもむずかしいことをいうより感情を刺激することで成功した。過激な発言に感情的に共鳴する人たちがいたのである。
アメリカではグローバル化してその恩恵をこうむったのは極一部でありIT関係とか金融関係とかが巨万の富を得たが他は中産階級は没落したのである。
移民を受け入れてもうかるのは多国籍企業であり元から住んでいた白人の職も奪われたとなる、移民を入れることで低賃金化してもうけは多国籍企業に入るのである。
そういう不満層が思った以上多かったということである。
だからトランプの過激な発言に感情的にも反応したのである。
ナチスがユダヤ人を敵視したときもユダヤ人が自国で金儲けしているということでそれをあおったのである。

政治のフロパガンダで有効なのはこうしして一部の人が巨利を得ているとかその的をしぼって攻撃することである。
それは世界でもイラクを敵としてアメリカが攻撃した手法ともにている
要するに大衆にとっては感情的にすること敵をしぼり攻撃対象わかりやすくすることである。
常にそういうことは大衆を味方にするときカルト宗教団体でも行われる、こういう団体は考えない集団だから余計にそうなるのである。
現代では世界共通としてメデアがその役をになっているのである。
アメリカでもそうなら日本でもそうである。メデアがどうししてそうなるのか?
それは企業から金をもらっているからそうなる。
アメリカでも日本でも同じ構図なのである。ただ自分たちの利益になるようにしか行動しない、政治家も官僚もメデアもそうである。それで原発事故でもそうだったことは書いてきた。

アメリカとか中国とかロシアでもそうだが巨大な国では矛盾したことが巨悪が露骨になるアメリカの富裕層は数はパーセントでもその富を独占する。中国でも共産党が平等ではなく幹部が巨利を得て富裕層になっている。それはかつての王様と同じなのである。
大国はそうなりやすいのが歴史的にでもそうである。日本ではそうした差は露骨なものとしては生まれにくいのである。
奇妙なのは

だかなににもまして悲惨なのはアメリカの刑務所の民営化だろう
国家の刑罰を儲け主義の民間企業にゆだねれば商業上の理由からさらに多くの人間を罰せねばならなくなる

刑務所にいるアメリカ人の数は50万人ほどでところが今は500万人ほどが獄中にいて700百万人が矯正施設にいる

これもアメリカならではで驚きである。銃をもっているから犯罪にもなりやすい。
前にも書いたがその刑務所で服役している人が安い賃金で労働させられている、
それによってまた企業が大きな利益を得ているのである。

だから犯罪者を多く作り出すことで大きな利益が出るとしたら

もっと犯罪者を作り出せ

こうなるから怖いとなる、それは軍需産業でも同じである。

もっと戦争を起こして武器を売れ

現実にそういうことがこの資本主義社会にはまかりとおっている。

薬剤関係なら

もっと病人を作り出して薬を買わせるようにしろ

会社がもうけるためならなんでもいいというのが今の社会にもなる、それは世界的なことである。政治ももうそうした多国籍企業の下僕になっているのが現状であると指摘している。

「彼らの最大関心事は自分が出世するためには、どうふるまうことが一番有利かという点であるからだ。彼らの行動をみればその背後の政治やビジネス、学界、あるいはメデア、そして軍部の中にアメリカの戦争によって利益を得る大勢の人間がひかえていることになる。かつての政治エリートに取ってかわり新たにその地位をしめるにいたった。
そして彼らの権力、威信、収入は戦争が今後も続行されることにかかわっている。」

まさにこのことは原発事故のことで自分が書いてきたことである。ただ利益になるということで政治家から官僚からマスメデアから科学者でもそうだった。
もちろん住民もそうだったからあらゆる人がただりを求めることだけになりこれだけの被害を受けたのである。
利が権力を生みただ利によってすべてが行われるときそれが危険になる。
利というのはこれだけは誰でもが求めるものだからである。その歯止めとなるものがもはやないというとき原発事故も起こるし戦争も起きる


人間は利から離れられない、そこから過ちを犯す,義とか何か科学的な真理でもいい、そういうもので動かないのである。
科学者すら利で動いていた。それが原発事故になった原因にもなった。
御用学者とか御用マスコミとか御用官僚とか政治とかなる。
卑近な例でも自分も失敗した。
それは自分もなんらか親戚のつきあいでかたよった見方をしていたためである。
母親と娘がいたが母親がひどいと思っていたが実際は娘が本当にひどい娘だったの
である。だから「ひどい娘だ」と言って死んでいったのである。
双方のことを良く聞けばわかったことだがそういう関係になかったからである。
こういうことは常に起きている、事件の当事者とか利害関係があると判断を誤る
でも実際の世の中ではなんらかみんな利害関係で結ばれているから公平な判断ができないのである。
本当に公平な裁きができるのは神しかないとなる
神はは偏り見ないからでてある。
なぜなら人間は公平に見れないからである。それは利から離れられないからである。
ジャーナリストでもそうだしマスメデアでもそうである。
巨額の宣伝費などをだしているのは企業だとなると企業の意向に従わざるを得ない
それは政治でも起きているから大統領にどれほどのことができる権力があるのかとこの本では問うているのである。

いづれにしろトランプがなぜ大統領になったのか、その背景にはアメリカ社会のひいては世界のグローバル化による格差社会化した歪みがあった。
ではトランプが大統領になってそうしたグローバル社会の歪みが是正できるのか?
それはもはや大統領だけでばできるものではない、トランプもまたオバマのようにそうしたグローバル社会を牛耳る極一部のものに操作される
第一大統領でも何でもできるわけではない、この書ではオバマがそうなったとこを指摘している。ただ飾り物のようになっていたのである。
実際の権力を動かすものはその背後にあってオドマばなにもできなかったと批判しているからである。だからトランプがあれだけ過激なことを言ってもやはりそれだけの権力が今はアメリカ大統領でもないとしたらオバマと同じようになってしまうということもありうる。今やアメリカ大統領てもそれほどの権限をもちえないということになったからである


タグ:トランプ
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2016年11月14日

仙台の優 創建でユニットバスの工事開始 (一式セットで100万は安いー家はあとは直したくない)


仙台の優 創建でユニットバスの工事開始


(一式セットで100万は安いー家はあとは直したくない)

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今日まずタイルとか4人がかりて壊した。聞くとこの壊すのがガス屋で大変だと言っていた。自分も全体を壊すのが大変だと見ていた。
実際にドリルで壊してゆくけど相当な力仕事になる。
これだけで相当な金がかかると見る、でもだいたい一日でほぼ壊した。
だから意外と早くできるなと思って良かった。
実際に金曜日で完成して土曜日には入れるというから早い
中に一日くらい休みがある。
すでに給湯器はとりつけてガスの配管もした。
電気関係の人も来て線の工事をした。
みんな仙台の人である。

ユニットバスだけでこの辺で100万すると聞いたからなぜ安いのかと聞いたら仙台は競争が激しいからです、福島県は高くなっていますと言っていた。
福島県は高いのか?福島県と宮城県では値段が相当に違っているという。
知っている人でその人は一人でやっているが頼んだら高くなるし時間もかかるだろう
壊すのでも一人でしていたら時間がかかる、そしてこれだけのものをセットで買わないでばらばらに買っていたらまた金がかかる
だから最初なにもわからなかったが100万は安いと思って即決した。
というのはこの辺では人手不足で電気関係に頼んだらできないとか最初断られたからである。

つまりこの仕事はガス屋とか大工とか電気関係とかユニットバスとか配管とかもかかわるめんどうなものである。だから一人でやるとしたら手間になるし金もかかるとなる
だから他でも頼む人がいるのかもしれない、担当の人が近くで他も回って仕事していた。た
壊す工事をしていた人は作並の人でその山の方に住んでいて雪がふったという、あの辺は山寺に近く山形に近いから早くも雪がふった。
スマホで雪が積もった画像を見せて説明してくれた。5センチくらい積もったらしい。
あの辺は面白山トンネルをぬけると山形県であり春でも山に雪がある。
それで印象的な場である。あそこから来るとしたら遠くなる。

ともかく最初の日に50万金を払うということで不安だった。でも相手も遠くから来ているから金を最初にとるということになった。
契約書に申込金として50万と書いてあったのである。それを良くみていなかったのである結局遠くなると人間は相手をなかなか信用できない、それは双方でそうなる、だから商売は遠方とか国が違ってするとき互いに信用することがむずかしい、だから契約が大事になる、そして意外と細かい所を見ていないからあとで失敗することがある。
契約しましたよということが商売では大きな意味をもつ、それは地元だったら信用を失うと地元で仕事ができないからそういうことはない。

でも今回わかったことは今の社会は広域社会であり広域的に仕事しないとやっていけなくなっている、地元だけでは仕事の量が限られているからだ。
今回の津波や原発事故ではほとんどの人が外から来た人、九州から北海道と全国から来た人たちが仕事した。地元だけではもう何もできないという状態だったのである。
地元の人はパチンコで遊んでいただけだともなった。
家を建てるのもほとんど建て売り住宅であり外部の人である。仙台から来た人も近いから多い仙台は高速道路もできて近くなったこともある
こういうふうに外から来る人が来ると食事とかでは金は落とす、それでこの辺のレストランとかは繁盛したしその他コンビニも増えたりした。
一番増えたのは宿泊所である、プレハブが多いが新しいホテルもできたし増設したりまず宿泊関係は増えた、外から今でも5000人とか来たとか数が多かった。

ただ福島県全体の特需とかは震災から5年すぎて縮小しつつあり終わりに近づいている
福島県では倒産率が全国でも一番少ないとか特需になっていたのである。
補償金が打ち切られるとこれから倒産が増えてくる、ぎりぎりでやっていた小規模の会社が補償金が打ち切られて倒産が増えてくるという。
何かもともとそういう会社は農業でもそうだったが経営してゆくのが限界でもあった。
たまたま原発事故で補償金が入って継続できたともなっていたのである。

いづれにしろ仙台からこうしてリホームとかの会社が来ると地元の人の仕事が奪われる
ただ広域社会とはそういうものだということを物を売るにしても普通になっていた
競争範囲が全国になったりグローバルになったりしていたのである。
だから建築関係の人が全国に展開して事業に失敗した。一個人とかで全国展開すること自体無理だったのである。

ただもう自分はリホームとか家はこれで直すのは終わりにしたい。これまでも何回も家を直している。もう年だし大きな家が負担になっているのだ。
平屋の小さい家がいい、それなら壊すのにも楽だし今の家は大きすぎるのである。
ただこの家には思い出がある。
気丈夫な姉が作ったとも言える家だが母も店をやっているときはもうけたのである。
それで姉が自転車で野菜を近くの農家から買っていたのである。
その野菜が箱に入れたときかなりの重さになった。
でも姉は太っていて力がありそれを持ち上げて自転車でもってくることができたのであるこういうことを語るとき何かこの家はそうして親が作ってくれたものだということを感じる
家に家族にはそれぞれの物語がある。そうして苦労して作った家に自分が跡を継いで住んでいるということを自覚するのである。

でももし何か株でもうけて家を建てたとかなにか苦労話がないとしたらあんまりありがたみもなくなるかもしれない、親でも何かそうした苦労話があるとき家でも他でもありがたいとなるのである。それは自分だけではない他の人もそういうことを語っているのである自分はこの家を建てるためには何の努力もしていない
ただ最後に介護したとき尽くしたというだけだからである。
今日姉を知っていたという人にあった。その人は姉の友達の息子でありそのことを聞いていた。その母親も死んでいた。68才だったから若かった。
その前に行き来していないからわからなくなっていた。
同じ役場に勤めていたので仲良くなっていたのである。

何かまだ姉を知っている人がいたのかとなる、姉は交際が広かったが役場をやめてからも長いし忘れられていたのである。
人間はとにかく会社でも役所でも退職したりするとすぐに忘れられる、もう5年でも十年でもたつと役場に知っている人もいないと言っていたからである。
これも人間の無常なのであるる。
親しくしている人も死に会社でも役所でもやめるとたちまち忘れられるのである。
生きながら社会から消えているような存在になっているのも多いのである。
だから社会で80くらいでも活躍している人はまれなのである。

ともかくこの家も50年くらいすぎた、だからいたんでいる、でも直したくはもうない。
老人になればだから先のことが考えれられないのだ。
庭に樹を植えてもそれが花咲くまでに十年とかかかるとなるとしたらもう植える気がなくなる
それがこの辺では高齢化で問題になっているのである。
なぜなら復興には時間がかかる、若い人なち十年先でも花が咲くとなれば肥料をやり育てることもできなる、しかし老人はその時間がないからできない、すると復交には向いていないとなるのでてある。

2016年11月15日

見える仕事と見えない仕事 (人間の仕事が機械に代わるとき、人間の価値は何か問われる)


見える仕事と見えない仕事


(人間の仕事が機械に代わるとき、人間の価値は何か問われる)


人間は見える仕事だと理解しやすい、江戸時代とかまではみんな見える仕事だったのである。戦前でも見える仕事が多かった。
近くでも籠屋とか籠を竹で編んで作っていたし石屋というとき石を槌で削っていたのを子供の時見ている
田植えにするにしても手で一つ一つ苗を植えていた。
社会自体が見える社会であり社会がどう動いていて人がどういう役割をしていたか見える、理解できる社会だった。
仕事しているのがほとんど人力だったからである。
そういう社会はアメリカでも外国でも同じだった。
ホッイトマンが讃えた詩にしたのはそうした見えて働く人間の姿だった。

何か働く人を見ているとき一番見えて働いているのは建築関係である。特に力仕事しているときあの人は汗を流して働いているなと理屈抜きで実感するのである。
特に猛暑の時力仕事していたのを見たときは感じた。
自分は体力がないからとてもこの暑さでは木陰で休んでいるほかないとなっていたからである。
一般的に医者とか看護師とかも働いている姿が明確に見えるからいろいろあっても働いているなと見る、でも現代の労働の不思議は一旦そこに機械が道具が介入すると違ってくる例えばクレーンとか操作したりする人は本当は人力の何十倍というか百倍もの労働をしている、機械の労働と人間の労働を比べればその差はあまりにも大きいのである。

ところが機械を操作している人の労働は何か人間が労働しているように見えないのであるこれも何か現代を象徴している。
あの人が働いているの?ただ機械を操作しているだけじゃないか、もしかしたらロボットがコンピュターの遠隔操作で仕事しているんじゃないかとなる
そういうシステムがすでにできていて人間がコンピュターの支持で仕事していることが紹介されている
その時人間は人力の労働の百倍もしていても機械がしているのであり人間が労働しているように見えないのである。
それは田植機でも稲刈り機でも機械が労働すると人間が労働しているように見えなくなるのである。
だから労働歌などがあった、それは民謡となったりしていたがそれが今の機械化した労働になるとなくなった。
炭鉱労働でもそこで地下に入って真っ黒になって人間が働いていたので労働歌が残った。
人間は現代では機械の背後に見えなくなった、車でもそこに人間がいることが見えない、顔も良くわからないのである。
ただ突然自転車で横切ったりするとどなりつけられるから人間がいたのかとなる
それで面白いのは自転車に乗る人が危険なので車に乗った人の顔を見て確認して安全を確かめているという、それはネットの話でありそういう日常的なことがかえってネットの情報は参考になる。
車という機械道具がありそれに人間は隠されている、人間と人間は眼を合わせて安全を確認すれば確実だとなる、なぜなら信号で無視する人がいるからである。
これも人間が機械とか道具とかに頼り見えなくなっているからである。

今回ユニットバスで浴室をリホームしたが少し手伝ってみて配管というとき今は鉄の管を使っていない、伸縮自在のゴムのようなものを使っていたのである。
あれらち鉄と違って扱い安くなっている、鉄だとめんどうだからである。
配管などは水が流れなくなるとき、管が錆びたり何かに詰まったりするときである。
何かそれはわかりやすいのである。だからこれは見ていてもこれなら自分でもできるように見えたのである。管をつなぐことでありそこに水を流すということだからである。
そして修理するときもただその伸縮自在の管をとって洗浄したりつないだりすればいいと見たのである。
そもそもそういうことは原理的に簡単だから理解できるのである。
今の技術は何かと素人にはむずかしすぎるから見えないから理解できない
このように見えればそういうことかとなり技術的にも理解できて自分でも直せるのかなと思うのである。それは原理的に見えてわかるからそうなる

ところが現代の社会はあまりにも複雑であり見えない社会なのである。
その最たるものが原発だったのである。放射能も全く見ることはできない、原発の内部もどうなっているかなど内部の所長すらわからなっかたという驚きである。
吉田所長が復水器のことを知らなかったというのだから最も肝心なことすら原発のことで知らなかった。としたら素人などまるっきりわからないということになる
それより誰ももう原発のことなどわからないのである。
だから何かあったら今回のような事故になったら操作できない何もできないとなってしまう、あまりにも複雑であり誰も全体を知るものはいない、としたらどうして修理できるのかとなる、配管でも網の目のようにめぐらされているのである。
その配管自体が老朽化すると放射能だってもれてくるのである。

人間は今この複雑な文明社会を見えない理解できない、すると何が起きるのか?
原発事故のようなものが起きるということである。
そしてもう誰も修理もになもできない、お手上げとなりこの辺のような状態になってしまう。
ともかく人間は労働することで人間の尊厳があった。
それでどうしても見える理解できる労働だと人間は尊重される
株とかでもうけてもその人はどんな労働しているのかとなると見えない、理解できない
だから株にたずさわる人を尊敬するというふうにはなりにくい。
他にも実際はITで働くような人も普通の人にはその仕事が見えないから理解できない
でもなにかたいしたことを誰にもできないことをしているなと見ていても理解できない
その他はいろいろな仕事があってもそうである。
そこにすでに機械がかかわりやがて人間の代わりにコンピュターがなるというとき人間の尊厳はなくなる、人間はかえってコンピュターより能力がないから仕事も奪われるとかなり未来を予測する
知能までそうなれば人間の存在と尊厳とか価値まで問われるのである。
一部のものはすでに人間より優秀なのである。機関翻訳などは進歩しているから機械から学ぶとまでなっている

いづれにしろ働くことで見えないということは原発のように社会にとっても危険なものになる、見えないということは社会にとって危険なのである。
株なども証券でもグローバル化してその流れを誰も見ることができないのである。
そのことから何が起きてくるのか?世界恐慌とか社会の破綻が突然にくる
見えないからもう操作できない、突然今回のように水素爆発が起きて惨事となる
皮肉なのは原子炉なのか密閉されないでガスがもれて大爆発にならずにすんだとかなったそれは実際は人間の技術のてぬきだったのだがその手抜きがかえって助けたとなった
だからとても人間というのはいくら機械を進歩させてもそれを操作しきれないのである。どこかにミスが生れそれが致命的になるのである。
それは結局人間が神でもないし完全ではないからである。
だから原発のようなものをそもそもそんな所長すら知り得ないものを作るべきではなかったとなる





タグ:人間と機械
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2016年11月16日

トランプが勝ちマスコミが負けた? 世の中先入観を破ることが一番むずかしい


トランプが勝ちマスコミが負けた?


世の中先入観を破ることが一番むずかしい


トランプというのは名前もはじめて聞くし日本ではほとんど知らなかった。アメリカでさえ泡沫候補だった。それがなぜ大統領までになったのか?
そのことが本当に不思議だとなる。
ヒラリーは知られていた、日本でもあれだけ知られていてトランプなどはじめて聞く名だから当選するとは思えなかったのである。
余程のアメリカ通でないかぎり予測は全くできない
そしてただ自分は傍観していただけだとなる
アメリカがイラクを攻撃したときは自分は「時事問題の深層」で人権的な立場から平和の立場から反対した。今になるとそれは正しかったとなる。
それはほとんど別に読まれていないし影響力などなかった。
ただ自分ながらあのときの判断は正しかったとなる
アメリカは確かに3・11のテロで大被害だったけどそれ以上にアメリカは世界に被害を与えていたからしょうがいないと見る人たちも結構いたのである。
世界でもそうである。たからまた力にまかせて他国を侵略するのかとなったのである。

しかし今回のトランプだけは事前の情報もないし皆目わからないことだったのである。
ただ暴言だけが取り上げられてマスコミで攻撃されて印象悪くされていた。
だからこんな人が大統領までになったということが驚きなのである。
それはなぜなのか?マスコミを大衆が信用しなくなっていたことである。
あれほどトランプが攻撃されても通じなかったことが驚きだった。
マスコミは完全にヒラリー側に規制勢力、既得権をもっている側についていたのである。知識階級はヒラリー側だったのである。

日本でも原発事故でわかったように情報でも権力をもつものに左右されるのである。
原発の「安全神話」を作られたのは政府も官僚も科学者もマスコミも全員で作られていたのである。そこに創価などカルト宗教団体もそうだった。
なぜなら聖教新聞の広告費用を二番目くらい東電からもらっていたからである。
こうなると政府であれ東電であれ原発に反対することはトランプのようになる。
だから左翼系にはなるが原発を東京に作れとか原発は危険だということを本まで出していたが隅の方に追いやられてほとんど注目されなかったのである。
自分も東京に原発を作るというときSFのように見えたのである。
それほど「安全神話」はあらゆる手段で権力で強固に作られていたのである。

これは地元でも利益になるから反対すると住めなくなるような状態にもなっていた。
地元の新聞でも雑誌でもみんな安全神話に加担していたのである。
「財界ふくしま」が一時原発の危険性を指摘したがあとでやめたというとき東電から金が入ったためだとか言われる、それもそうである。あういう地方の雑誌とか新聞でもそれてりに金がかかるのになぜ経営できるのかとなると東電の宣伝費は他の会社の百倍もの金が入るとなれば批判はできないのである。
だいたいどうして地方の新聞社が経営が成り立つかとなると福島民報は聖教新聞を刷っているし大手の毎日新聞もそうである。経済的にもこうして巨大なカルトでも権力をもつものにおさえられているからもう公平な報道はできないのである。
こういうふうに情報でも報道でも常に権力によって操作されているのである。
戦争のときも日本が大敗しているときでも勝っているとか大本営発表に終始したことでもわかる。大本営発表がいかに危険なものかわかる、その情報はもう日本がもう負けて戦いない状態でも勝っているとしていたのである。
原発事故のときもメルトダウンが明確になっていても御用学者がメルトダウンしていないとマスコミで主張していたのと同じである。

だからこうして既得権をもつ権力により情報が操作されるというときなぜトランプが勝ったのかというのは不思議だとなる、一つの勝因はアメリカでは民主党の次は共和党なるという暗黙のルールがあるからだということで予測していた日本のジャーナリストがいた。日本ではそうしてトランプが勝つと予測していたジャーナリストとか学者は数人しかいなかったのである。そうなると日本だって政府でも予測できないものとなっていて失敗したとなる
それがなぜなのかとなるとアメリカですらマスコミの信用が落ちたということである。
マスコミの報道を鵜呑みにしている人がアメリカですら減った、信用しなくなったことである。このことも大きな変化だったのである。
日本ならNHKとか絶大な力をもっていたが今ではNHKすら批判の対象になる。
それはネットが生まれて普及したことも原因している
NHKの一方的な報道に疑問をもつ人が増えたのである。
別に民主主義は報道の自由がある、だから報道してもいいが報道するというとき今まではマスコミしかないしNHKが一番影響力をもっていたのである。だからその報道に左右されてしまっていたのである。

だからトランプが泡沫候補として現れて大統領になったということは奇跡的だった。
マスコミの50社がヒラリーについていてトランプは3社しか報道しないとか攻撃されていて勝ったのはいかにマスコミの影響力が低下したかということである。
マスコミはネットがでてきてただの民営の一私的報道機関になるかもしれない
それよりもともと新聞社でも地方の新聞社でも何か錯覚しているのは公共的報道機関と錯覚していることであった。
だから新聞とかテレビにでるだけで知名度があり力をもつようになったのである
その中味はどうでもいいのである。それで石原慎太郎でも舛添でもみんなマスコミに持ち上げられた人が東京都知事になって今の問題を引き起こしたのである。

一見個人が大きくなるのは個人の力のようでもマスコミの力だったりするし有名になるのは背後に必ず団体の組織の後押しがある。
仏教系だったら戒名商売だなどということはマスコミでといえない、個人として仏教系の人が発言していてもそれは仏教界がなんらか圧力をかけているし個人もその仏教界を代表していっているから同じだとなる。創価は露骨だが方も同じなのである。
背後の権力団体組織の力なくして発言力はもてない仕組みになっているのである。在日団体が背後にあったりするのもそうである。
なんらか背後の権力が関係している、その背後のさらに大きな権力がアメリカだったり中国だったりする
原発を批判するのにも個人ではできなかった、左翼系の団体が背後にあってできた。
となると科学的真理とか公正とかも関係ないの手ある。反対する人は左翼のレッテルがはられ右翼からすると信用できないとなる
そういう科学の問題も政治的な問題にされたことに不公正が生まれたのである。
科学的なことは地動説と天動説のように曲げられないものでも結局カトリック教会が権力側にあったとき否定されたのである。
科学ですら政治とか権力によって曲げられるのである。そこから原発事故も起きたのである。
もともと政治的意図で作られたものでもあったからである。


そのマスコミにのせられたのが東京都民であり大衆なのである。
そういう洗脳するために権力側はマスコミを金で操作する、宣伝費を払い操作する。
創価などは池田大作が新聞は歴史だとかいって非常に重んじていた。
新聞で宣伝することは大きな力となったからである。
だからこそ新聞社で聖教新聞をすらせて批判をおさえるのである。
そうしたマスコミは原発でもそうだがトランプでも同じようにとにかく権力側につくから公正な報道などありえないのである。
つまりただ私的利益を追求する一会社なのだということを認識すべきである。
自分の会社の利益にならないことは報道しない、不利益になる人の意見をのせないのである。

そして人間はそうして先入観として大衆を洗脳する。先入観というのは固定観念化するのである。地動説から天動説になってガリレコが教会から迫害されるようになる。
科学とはこの固定観念を先入観を破ることから始まっている。そしていかに固定観念を破る事かむずかしいかである。それは深く人間に植えつけられているからである。
地理でもまず人間は固定観念に縛られる、海からしか陽が昇らないのを見ている人は山から陽が昇るのが驚きになるし日本海に陽が沈むのも驚きになる。地理的なことは世界になるとさらに驚きがあることも同じである。

自分がユニットバスを作るとき会社の人が実は色がいろいろあっても白を選んだ。
それはなぜか?ホテルなどに泊まると必ずバスは白なのである。
それでユニットバスは白が普通なのかと思ってしまった。でも別にいろいろな色があり白はかえって汚れるから他の色を選んだ方がいいと知っている人が言ってそうだったと失敗したのである。
バスは白だという固定観念、先入観があってそうなっんたのである。
別に色々な色があるのだから選べば良かったのだがその時は良く考えないで選んだ
その時時間の余裕がなかったこともある。
それで先入観で白のユニットバスを選んでしまったのである。

時間がなかった、先入観で選ぶ

これはあらゆる場面でそうなりやすい、選挙でもトランプって何なのだろうと考える暇もなく何かを言うこともできないのである。
あらゆることについて事件がいろいろ起きても考える時間がないから先入観で判断しやすいのである。もともと知っていることならその方面に詳しいなら判断しやすいがいろいろなものに通じることはできないからである。
すると先入観で物事は判断しやすいのである。
そして時代は常に変わっている、自分は水道でガスでも管は鉄だと思っていたがすでにゴムのような伸縮自在のものなっていたのである。
そういうことはみんな知っている、でも技術的なことでも知らない人は知らないのである。
特に老人はそうした技術的なことには遅れるし知らないのである。
スマホしていない人はそのことを知らない、自分はハソコンをしていてもスマホをしていないからその方面のことはわからないし車を運転しないからそこでわからなことがかなりある、ユニットバスにいても全く無知だから判断できないことがあった。

ともかくトランプが勝ったということは今でも不思議である。
それはいくらマスコミで洗脳してもアメリカ人がグローバル化で得していない、不満な層が思っていた以上多かったという現実がある。
移民を禁止しろというとき現実に移民のために職を奪われたとか低賃金化したとか実被害がありそれはいくらマスコミで洗脳しても現実がそうなのだからヒラリー側にグローバルで得している人たちには入れなかったともなる
トランプの暴言がただの暴言だったら勝てない、現実に苦しむ人たちに訴えたから勝てたのである。
ただマスコミの凋落は今回のことではっきりしたことは確かである。



posted by 老鶯 at 10:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

波紋の紋様(Pattern of the ripple)



波紋の紋様(Pattern of the ripple)


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terrible waves (tunami) 

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moonlight

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seaside land

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beattiful streams



抽象画は無限の変化である。変化を楽しむ芸術である。
その変化はハソコンだからできる新しい芸術である。
それは全く技術であり創作とも違っている
変化させて楽しむ、芸術の領域を広げたのである。

The abstract picture is an infinite change. It is art to enjoy a change.
It is new art to be possible because the change is a PC.
I opened a domain of the art to change it, and to enjoy that it was totally a technique, and was different from the creation.
タグ:波紋