2016年11月01日

京都の秋-石塀小路 (abstract picture-the path of the stoned wall in Kyoto)


京都の秋-石塀小路 

(abstract picture-the path of the stoned wall in Kyoto)



autumn in KYOTO

wellcome kyoto

oidiyasu in japanese


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0ne haiku

菊の花石塀小路に日の暮れぬ

the path of the stoned wall in Kyoto

where chrysanthemums bloomed,

the day closed



the path of the stoned wall in Kyoto



タグ:石塀小路

介護の重圧は正常心が保てなくなる (介護で国力も衰退するので捨てるという決断も迫られる)



介護の重圧は正常心が保てなくなる


(介護で国力も衰退するので捨てるという決断も迫られる)


介護十年もしていると自分の精神状態が異常化していことを終わって気づいた。
30年間は自分はあまりにも恵まれていたからということもあった。
何不自由のない生活を30年間してきたからである。
だからこのことを相当に恵まれていたのである。

介護は何か常に重い石を背負わされていると同じである。それが不思議に介護する人がいなくなっても以前としてその重い石を背負わされているという感じになっていた。
でもその重い石がとりはらわれて何か自由だな楽だなと感じるようになった。
それは別に今までは30年間はそうだったのだけどそういうことが普通のだが介護していたらその普通の状態から離れて異常化した状態になっていたのである。

それは障害者とにているかもしれない、どこかに障害があり足が悪ければひきづって歩いている、それが障害者としての生活だからではもしあなたの足はもう良くなったから歩きなさいと言っても歩けなくなるとういうことがある。
そんな状態が介護の重圧が作りだしていたのである。

介護は介護一や二でも実際は食事でもそうだし何もできないから絶えず見ているということ、目が離せないのである。それより眼を話しても心配になるから四六時中頭から離れられないという重圧なのである。
何か常に重たい石をかかえていると同じなのである。
その介護の時間も最低で五年と十年なども普通にある、長いことがさらに重圧を感じる
一二年では終わらないことが重圧になる

だから妻とか親をある会社に勤めている働き盛りの人が介護して仕事していたけど仕事に集中することはむずかしい、自分は別に仕事しなくても何か重しのようにいつものしかかっているから正常な思考からも離れてしまっていた。
それは何か景色を今までのんびり見ていることもできなかったことに終わってみて気づいたのである。
それほど介護は自分は介護度一二くらいでも感じた、三食用意することも手間なのであるトイレは自分で行っていたしオムツをすることもなかった、それでも重圧だったのであるそれれくらいだから自分のようなずぼらな者でもなんとかやれたとなる。

介護は肉体的なものだけではない、精神的消耗が大きいものだと思った。
だから会社の技術職の人など仕事に集中できなくなる、すると日本の経済にとって損失だともなる、つまり介護は今や金の問題にしても国力を衰退するほどになっているのだ。
その数も増えてくれば当然そうなる

自分はやりたいことをやらせてもらったあとだからできた。それが50代とかなると働き盛りの人もいる、自分の場合は旅が仕事ともなっていたが海外旅行したのは50以降だからもう海外旅行もできないとなっていた。すると何かプログのようなものでも書くにしても変なことを言うことになり笑われていたとなる。
実際それまではそうだったのである。海外旅行の経験がなかったからである。
それから十年くらい海外旅行してきたからそれなりの識見をもてるようになったのである旅するにしてもそれだけの時間が必要になるのである。

だから介護は仕事として若い力を消失させるのはもったいない、というより国力の衰退につながる。それでナチスが障害者を抹殺するという暴挙になった。
障害者の問題は深刻なのである。知っている人でも軽い障害者でも今は40になっても60歳になってもめんどうをみることを親が強いられるのである。それも介護とにているのだ。そしてそういう障害者をめんどうみても誰もそのことでほめる人もいない、親だから当然だとなるだけである。介護してもほめてくれる人などいないし社会的評価してくれる人もいないのである。

だから自分は30歳の頃、叔父にあたる人が癌になり手術するとき輸血を頼まれたが断ったその人は60歳で死んだ。でも自分はその時登山をして体力がないから死ぬほど疲れていたのである。登山はものすごく体力を消耗する、自転車より消耗する
それで輸血を断った、その人は自分を恨んで死んだかもしれない、でもそれより自分はその時登山して良かったなと思う、なぜなら登山は体力あるときでないとできなかったからである。
そんなとき身内の介護でもしたくない、自分の人生が犠牲になる、では何が犠牲になるのか?お前にそんな犠牲になるものがあったのかともなる

でもあったのである。詩を作る、芸術を創造するというとき登山であれ旅であれそういうことは必須なのである。学問でもそうである。現実にこの地球を体感することがまず先にある。そのためには体力ある若い内に登山であれ厳しいことをしていた方がいいのであるなぜなら年取ったらもうできなくなるからである。
それで退職した人が一人旅しているのには最近良くあう、今日も函館から新幹線で来た老人にあったのである。

いづれにしろ介護報酬の問題などあるが介護の問題はどうするかとなるとむずかしい。
それがなぜかというと国力を衰退させるとまでなっているからである。
数が膨大になってゆく高齢化社会だからである。
たいがい介護した人は長いからもう介護にかかわりたくないとなる、自分もそうである。介護の重圧は借金ともにていて借金を返さない限り晴れた気分にならなかったというのとも同じである。
借金している人も確実に正常心を失っているのである。だから頭の中が借金のことしかない、その人が自分が介護しているとき病気になっている時来たのだから最悪だったのである。
第一他人の苦しみなど介護であれなんであれ無関心なのが人間である。
自分が苦しくなれば別だが何もなければ何にも感じないのである。

これから介護をどうするかは国民的課題である。金の面でもそうだし個々人に家族に課せられることでもそうであり世代間の問題でもある。
でもこれを解決することは簡単にはできない、親を捨てていいのかとかいろいろな問題があるからである。
た国でも市町村でももう財政的にも労力でももたないんということが現実に現れている
つまりもう老人は捨てるほかないという決断すら迫られる、特に介護ではそうである。
それは情がないとか愛がないとかの問題ではない、それだけの重圧にもう個々人でも社会でも耐えられないとなるからである。













タグ:介護の重圧
posted by 老鶯 at 22:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 福祉医療-老人問題

2016年11月02日

鹿島駅でいわきの人と語る (市町村合併でかえって地域の特色が消えた)


秋の暮(鹿島駅でいわきの人と語る)


(市町村合併でかえって地域の特色が消えた)


1966年(昭和41年)10月1日 - 新産業都市建設促進法第23条に則って、上記14市町村(5市4町5村)が新設合併し、いわき市が成立[5]。当時としては面積が日本一広い市となった。
1973年(昭和48年)3月20日 - 現在の市役所本庁舎開庁。市の花ツツジ制定。
1976年(昭和51年) 常磐炭鉱完全閉山。
1979年(昭和54年)4月23日 - 「いわきナンバー」の交付開始。自動車のナンバープレートとしては初のひらがなナンバーとなる。

鹿島駅に今日いたのは酔っぱらいだった、何か寝ていて警察に連れてこられたとか、除染している人で喧嘩してやめて帰ると言っていた。いわきの会社で働いていて今は水戸に住んでいるという、水戸は電気代とか高いと言っていた。
60近い人だからそれなりの人生を経験している、会社は二回倒産した。でもかなりの給料をもらっていた。鹿島駅は水戸からきたJRの社員が何か直していた。
新地までは水戸管轄であるというのも知らなかった。仙台だと思っていたのである。

その人はいわきナンバーが発行されたとき取得した。それは1979本であり30年前とかなるいわきナンバーは浪江、双葉、大熊もいわきナンバーである。
いわきナンバーというとき外から嫌われることがあるだろう。第一福島ナンバーでも傷つけられたとか聞いたからである。
いわきナンバーになったのは30年前とかなるとずいぶん古いとなる
いわき市が成立したのが50年もすぎているのか?そんなに長いのか?

なんか以前としていわきより平というのがなじみがある、その人も平のことを言っていたから人間の感覚は地名でもなじむのには相当な時間がかかるのである。
いわきというひらがながなじめない、磐城の方が何か重みがあるというときもともと磐城国が古代からあったためだろう。磐城太田という駅名もそうである。相馬でも磐城国になっていたからである。
市町村合併は明治でも大々的に行われ複雑化した。
昭和の市町村合併でも南相馬市が鹿島と原町と小高が合併して成ったがこれも何か未だになじみがない、地名はもともと古い、千年前とか古代からのが多いからそうなる
地名になじむの百年とかかかるかもしれない。

そして前にも書いたけど廃藩置県になったときその地域の特色が喪失した。
福島県は広すぎるのである。気候でも会津と中通りと浜通りも違っている。
会津は冬は雪に埋もれるけど浜通りは雪はほとんどふらない、あたたかい海洋性気候なのである。
要するに今だって福島県というより会津は会津で地域性があり全国でも通っている
つまり廃藩置県はかえって地域の地理とか歴史とか風土を無視して人工的に境界を無理やり作ったからそうなった。
そもそも地域の特色を出すのに県単位だと広いし無理があったのである。
福島県でも広すぎてアイディンティティを作ることがむずかしいのである。
会津は福島県では別の世界であり古代から一つの国だったのである。
そういう地理とか歴史性を無視したのが廃藩置県だったのである。

いわきの花がつつじなのか?つつじというと双葉駅がつつじが咲いていた。それは有名だった。でも今は見ることができない、双葉とか大熊とか原発のあったところは鉄道が開通するのはいつになるのか?
仙台までは12月に開通するからそれで交通面では復興したとなる、いわき方面はもともと二両の電車でありこの辺ではいわきより仙台との交流が深かったのである。
福島市は鉄道がないし阿武隈高原にさえぎられて不便だったからである。
仙台まで通じればさらに全国に鉄道が通じるから復興になる。

ともかくいわきというひらがなもなにか古代からの歴史を無視している。何か重みがないわかりやすくしたとしてもひらがなになると重みが感じられない、磐城というのは何か重みがあった。
いわきは広くなりすぎたのである。それで地域地域の歴史や風土が外からかえってわかりにくくなったのである。そういうこと市町村合併でどこでも起きたことである。

いわきは相馬から近いのだけど何か遠いという感じにもなる、いつわきはむしろ何か東京に近いともなる,なぜなら普通車両で上野まで行く電車があるからだ。
いわきに行くと何か東京も近いと感じる、その電車は上野までの通勤列車だからである
その通勤電車にのって上野まで行ったことがあるからだ。

何か鹿島駅は無人駅だけど外からの人がよる場所である。そこで全国の人と話すると面白いとかなるがみんなが話できるとは限らない、いろいろな人がいるからだ。
でも自分は全国を旅しているから話を合わせることができる、いわきだと福島県だから当然だが函館の人となると自分が住んでいる場所のように地理もわかるから話できる。
でもその人とは深い話はできなかった。

その人は原町の無線塔のことを知っていた、60近くだと知っている、あれも壊されてすでに30年40年も過ぎているだろう。あれは原町のシンボルだったのである。
ともかく60歳くらいにな知れば昔を語り人生を生きたともなる。
あの人の人生がどういうものだったのか二つの会社に勤めたことが人生だったとなるのか?会社人間だったとなる。それが今の人の普通の人生である。

駅舎にて昔を語る人なれやいわきの人と秋のくれかな
posted by 老鶯 at 20:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2016年11月03日

古殿からいわきへの旅(秋の俳句十句) (塩の道をインターネットでふりかえる)


古殿からいわきへの旅(秋の俳句十句)

(塩の道をインターネットでふりかえる)

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古殿に市たつ昔秋の暮

鶏頭や御斎所街道下り来ぬ

水清し落鮎あわれここに死す

旅路来て鮫川に出会い水澄みぬ

磐城なる遠野をすぐや刈田かな

いわきなる稲刈り終えし遠野かな

はるばると山よ海へ秋の空

なでしこやいわきに目覚め朝の海

秋の海常陸に通ずいわきかな

みちのくの勿来の関や秋の暮


古殿に荷市場ありて市たつと杉の木古りぬ秋のくれかな

貝泊(かいどまり)その名残して塩の道牛も休ませ秋の日暮れむ


塩の生産地だった磐城の浜と、平潟九面両港に荷上げされた瀬戸内の移入塩は、荷駄に積まれ海産物と共に中通りに、会津方面に運ばれていた。

貝泊の地名は貝(峡)山と山との間の狭いところ、そして泊は止るを意味するものという。
 又、現在も「牛屋」と呼ばれる家もある。荷駄を積んだ牛の休憩所即ち立場であろう。 県道黒田−浅川線を西に進む。しばらくして右に折れる道は戸草を経て才鉢に通じる道である。

鎌倉岳山裾の荷市場の地名は「市神碑」(1319年建立)が語源であり、塩の道の重要な点でもある。

柳の若葉が眼にしみる頃肩荷で棒手振で御斉所街道を運んで来た初鰹の売り声が聞える・・・柳の根元に繋がれて餌を食べながら尻屋 で蝿を追払う馬車馬・・・繋石の脇で口を動かしながら休んでいる木炭を運んで来た赤牛・・
udono.fukushima.jp/kanko-dentou-bunka/see/shiseki/sionomichi/nisijyou1/159


ここのサイトに塩の道のことが書かれていた。

古殿に荷市場とありそこに古い杉の木があり古跡となっている。
ここには阿武隈高原に沿って自転車で行ったことがある。その記憶が明確ではない、鮫川とか石川郡とかなじみがない、ただ山の中に万屋(よろずや)があり味噌汁とご飯とかご馳走になったのを覚えている、今どきそんなことする所はない、まず万屋というのは昔あったが今はない、山の中だから残っていたのである。
記憶をたどる旅はインターネットが役にたつ、土地のことを書いているサイトが必ずあるからだ。

御斉所街道をはかなりの距離だった。ここを一気に下った、結構急な坂だった。
途中に貝泊とかあり塩の道で泊まる場所が記憶として残されているのもわかる。
相馬市の松川浦から塩を飯館村を通って二本松まで運んだ塩の道は有名である。
ただここは馬で運んだ、いわきの塩の道は牛で運んだ。
一番有名な長野県の信州の塩の道は日本海から松本まで運んだ、その道のりは長い、山中の細い道であり急な所もありそこで牛が転んだというのは実感できた。
牛つなぎ石とかもあり牛を休ませた牛小屋は今でも残っている、いわきにもこれと同じであったが小規模である。
塩はいわきでは作られず瀬戸内海の方から運ばれたから相馬藩とは違っていた。

この御斉所街道を下ったところに鮫川が広く流れていて落鮎をとる簗場があり臨時の食堂もあった。清らかな水に鮎が死んでいた。
そこから遠野に出た、上遠野があり下遠野がある、上は奥である。遠野というとき磐城の市街から遠いということで遠野なのか?そういう位置にあったことはわかる。

遠野から市街に出て磐城の浜に出てテントを張り目覚めたら撫子が咲いていた。それは覚えているのだかあとはどうなったのか覚えていない、旅でもなんか忘れることが多いのである。
自転車の旅でも忘れるのである。ただ懸命に御斉所街道を自転車で下って行ったことは覚えている
旅は計画して実行してあとでふりかえる、このふりかえることが意外と大事だった、なぜなら記憶していなければ行ったことにもならなくなくからだ。
記憶していればあとで地図でもインターネットでも見てそ記憶を蘇らせることができるからだ。

いわきは浜通りで近くても広いからわかりにくい、地理的にも歴史でもわかりにくい、特に石川郡とかなるとなじみがない、古殿でもなじみがない。
勿来の関でも白河の関所とは違いなじみがないし行ったこともない、福島県は本当に広すぎるのである。
いわきというと古代の常陸に近い、棚倉でも水戸街道へ通じる、水戸が近くなる、それが地理的特色である。そこで勿来の関と白河の関所があったとなりみちのくに入る場所なのである。
ただいわきには城がないから城跡すら平にあったとしても何か石垣すら残っていないとか歴史が偲べない、三春藩だと城跡が残っている、やはり歴史を偲ぶとき城がないと偲びにくいのである。

塩の道で貝泊というのがあったというのはあれだけの長い道だし坂だから当然だとなる。相馬市から飯館村への塩の道でも途中山中に助之観音堂(たすけのかんのんどう)がありここで泊まったとある。
とても松川浦から一日では飯館村までは行けない、途中沢沿いに細い危険な道がありそこは通れなくなっている、一歩ふみはずと沢に落ちる、だから牛転がしとか各地に地名化した。

旅というのもこうして歴史をたどらないと印象に残らなくなる、ただ旅も空間的移動だけになってしまう。現代の旅は交通が便利だから空間的旅はどこまでも地球でもできる。
ただそこに時間軸としての歴史を偲ぶ旅ができないのである。
空間の移動はできても歴史となると想像力と知識も必要なのである。
それを今回はインターネットとかでたどりした。こういう作業を今はしている。

2016年11月04日

二宮尊徳の思想が見直される時代 (グローバル資本主義経済は限界に来ているから)


二宮尊徳の思想が見直される時代


(グローバル資本主義経済は限界に来ている)



大地の実り

大地は誰とも争わない
人間は境界を作り争う
大地は誰とも争わない
大地は深く沈黙して
様々な実りをもたらす
大地は誰とも争わない
大地はひたすら忍耐して
人に実りを与える
その土地土地に何がしか
神は与えるものがあり養う
その分を与えて養う
そこに人の生きる土台がある
その分を越えて求めるとき
人に災いが起きる
人は天より神より罰せられる


分度と推譲

 「報徳」の実践で、特に重要な概念が「分度」「推譲」だ。
 「分度」とは、あらかじめ定めた収入の範囲内に支出を収めることを言う。尊徳は、過去に遡る調査で見定めた土地の生産力に基づき、農民と領主双方の取り分を設定した。
 その上で農民達には勤労を求めた。努力すれば、分度を超える収入が生まれることになるが、この分度以上の収入は、子孫や他者に譲ることとされた。これを「推譲」と言う。子孫への推譲は将来世代に残す貯金であり、他者への推譲は地域への寄付と言い換えられる。

経済倫理の根幹といえる。金銀財宝そのものは決して貴いものでなく、足るを知る心こそ何にもまして、貴い宝である、


相馬藩では二宮尊徳のことは常に語られている、二宮尊徳の弟子となった人がいて二宮仕法を実践したからである、二宮尊徳が直接来て指導したわけではない。
二宮尊徳の思想と実践は江戸時代の封建制という制約の中で実践された。
江戸時代というのは役とか分度とかが常に言われた時代でありその分を越えないというのが日々の生活の中で習慣化していたのである。
士農工商とは身分制のことではなくその分を役を与えられて生きることでありそれぞれに与えられた分度を越えてはならないというのが生活の中で徹底されていた社会である。

その江戸時代と対比するとき明治から現代の変化は余りにも大きかったのである
特に高度成長時代というのは江戸時代からつづいた経済感覚を全く変えてしまったのである。分度もなにもない、グローバル経済にとりこまれ欲望のグローバル化だった。
食糧でも世界から入るあらゆるものを食べるようになった。
江戸時代は物が少ない時代だから当然質素倹約になる。それは明治から戦後十年は日本は貧乏だから質素倹約が自ずと思想になる
だいたい人間は歴史をみれば庶民であれば質素倹約であり贅沢していたのは王侯貴族とかほんの一部だったのである。それが高度成長時代のグローバル経済で過去の王侯貴族並みの生活になったし庶民もそれを当然のように求めるようになったのである。

その時経済の変化として生産より消費が重んじられるようになった。消費が美徳となったお客様は神様ですとまでなった。金を払い消費する人が偉いとなったのである
普通だったらこれまでは苦労して生産している人が偉いのである。
この辺では原発事故の避難者が仮設に入っている、そ人たちは金が入った、その仮設の人たちは何もしないで遊んでいる人たちが多かった。ギャンブルしている人も多かった。
ある女性の人はここで金使ってやっているんだから地元の人は助かっているんだよと言っていた。
このことにも現代人が消費者が王様だともなっていたことがわかる。
原発事故の影響は広範囲で補償金をもらったのは避難した人たちでありあとは何ももらっていないのである。
その避難した人たちは病院であれ介護であれ何でも優先になったのである。
あらゆる保証があり優先されたのである。
そこで地元の人たちが不満なのは当然なのだがそういうことも感じない人もいたのである金使ってやっているんだから地元の人も助かっているんだという考えはまさに現代の消費が美徳、消費者が王様だということでありその金が原発の補償金でないとしたらそんなに言われないだろう。
これもまた現代の矛盾でありそれが露骨に原発事故で現れたのである。
あいつらは毎日補償金で遊んでいる、地元の人たちはその人たちのために働いている
そうなればやはり地元の人たちだって不満になる
これは特殊な例にしてもやはり現代を象徴したものとして起きたのである。

グローバル資本主義経済の問題はもともとあった人間の経済から発した道徳を破壊したことにもある、二宮尊徳の思想が生まれたのは現代のようなグローバル資本主義ではない、江戸時代という分度を守らねば生きていけない時代だったのである。
そういう制約の下に必然的に生まれた思想である。
資本主義でも税所は修道院から始まったというとき資本蓄積が勤勉という質素倹約のモラルから始まった。それは二宮尊徳の思想と同じだったのである。
それが今は全く違ったものとなっている、強欲グローバル資本主義であり金融資本主義であり一攫千金を求めたりあくことなく世界的に欲が限りなく拡大した社会である。
そこには分度などというものはない、だから極端なのは中国の共産主義国家でも巨万の富を得る人が出てきて王様並の富を得ている矛盾がある。
そういう巨万の富を得ることがグローバル資本主義の成功者であり庶民でもそういう人たちが憧れの人となる、そうしたら質素倹約というモラルはない、金融で株で一攫千金をねらうとかになりやすいのである。
もともと分度を越えるのが資本主義の思想としてあったのである。
封建時代の農業中心から生まれた思想とは余りにも違っているのがグローバル資本主義社会なのである。

一国にとどまらない、国を越えて富を求めてヨーロッパの貿易による世界侵略ともなったのである。資本主義に冒険とかイノベーションとか技術開発とか何か質素倹約とか勤勉とかの徳とは違う思想がある。むしろ質素倹約の思想は共産主義にあった
その共産主義自体が資本主義化したから資本主義の思想が世界のスタンダードになったのである。
でもそれも見直す時代になった。様々な矛盾とかモラルの荒廃が生まれたからである。
この辺の原発事故でもそういう時代の矛盾の結果として現れたともなる
なぜなら庶民一人一人でもいかに強欲になっているか、限りない欲を求めているか、
それは借金してまで贅沢するというのが普通である。
そして金がないからと借金を求め自分は節約もしない、金は借りればいいとなり以前として贅沢しようとしている、こんな人間とつきあえのか?
いくら金があってもたりない、そんな無謀な人間が現代の社会が作り出したのである。
結果的には金の切れ目が縁の切れ目となる、それは昔からあったにしろそれはが極端な普通の現象になったのである。
現代はモラルを説くこと自体無駄だとすらなっている。金が暴威をふるい誰もそんなこと聞かないとまでなっているからだ。

だから江戸時代を見直すというとき実は歴史とは過去にあった今に見失われたものを見いだすという作業でもある。現代がなぜこんなふうになったのだというとき過去がどうだったと歴史をふりかえるとそこにモラル的には人間として極当り前の世界があったとなり見直し参考になるということである。
二宮尊徳の思想は特別なことではない、人間として当り前のことである。分度をわきまえるとか余剰を貯えて公共のために他人のために役立てるとかは別に普通のことである。。その当り前のことを実践したからこそたたえられたのである。

民主主義というのもその解釈はいろいろある、でも何でも平等というのはかえって不平等になる。女性も平等を主張したとき男と同じになることでなかった。第一男と同じにはなれない、女性の分を尽くすことが女性として生まれた喜ぶにもなる。
確かに一部の女性は優れていて男と変わらないように仕事できる人もいたがほとんどはそうではない、女性は女性の分を尽くすのが女性にとっても幸福なのである。
その他に人間は何でも平等を追求する、お前と俺は同じなんだ、何でも同じでなければらないとなったらかえって不平等になる。それぞれの個性があり分を発揮するとき社会は多彩になり富むことにもなるからだ。
民主主義の思想は何か?その思想も深く追求されず何でも平等のみが追求されたことで社会を歪めたのである。
だから一見封建時代の分度の思想が古いから現代に合わないということではない。
かえって新たな視点で見直されることがあるのが人間社会なのである。

貿易とかはたりないものを他者から他国から補うということが基本にある、それは助け合いということでもある。ただそれが限度をこしている、江戸時代とか戦後十年くらいの自給自足社会とはあまりにも違った世界なのである。
分度をわきまえない、世界的に限りなく欲望をふくらませてゆく社会である。
それは自然の理にも反する、天の理にも反する、だから突然リーマンショックとか資本主義が恐慌になり破綻するリスクをかかえている。
そういう自分もまた甚大な被害を受けるから喜べることではない矛盾をかかえている、でも素人はもうからな仕組みになっている。
何か手数料などがひかれるしリスクになると大損するからである。
ただもうこうしてグローバル資本主義の限りない欲望の追求は限界にきた。
もう株は上がらないとか石油の値段も上がらないということは生産力も消費も限界にきている。
すると江戸時代の二宮尊徳の思想が見直されたりするのである、それは自然や世界が正常心をとりもどすということにもなる。
現代はそういう転換期にきている、原発事故もそんな危険なものを作ったのも人間の限りない欲望の結果だったということもあったからだ。
それに神からの罰が与えられたともなる、グローバル資本主義は何か人間的モラルに反するから破綻する、金融で暴利をむさぼるというのもそうである。
世界の数パーセントの人が富を独占しているということが異常化しているから破綻してしまう。人間普通の生活をしていれば二宮尊徳の思想のようになる。
それは江戸時代はそういう自然との共生とか自然の制約とか社会の制約で生活せざるをえないから当然そういう思想にもなったのである。
ただ資本主義でもすべてが悪ではなくフロンティアを開くということでは意味があった。それも侵略だったということも言われるがやはり世界がそれに刺激を受けて発展するということはあった。ただそれも今ではマイナスのものとして意識され否定されるようになったのである。

天の理、地の理、自然の理、神の理に反するとき社会に乱れが生じる、ノワの洪水もみな心が悪しくなっとので起きた。

   父母根元在天地令命  (父母の根元は天地の令命に在あり)
 身體根源在父母生育  (身体の根元は父母の生育に在り)
 子孫相續在夫婦丹精  (子孫の相続は夫婦の丹精に在り)
 父母富貴在祖先勤功  (父母の富貴ふうきは祖先の勤功に在り)
 吾身富貴在父母積善  (吾身の富貴は父母の積善に在り)
 子孫富貴在自己勤労  (子孫の富貴は自己の勤労に在り)
 身命長養在衣食住三  (身命の長養衣食住の三つに在り)
 衣食住三在田畠山林  (衣食住の三つは田畑山林に在り)
 田畠山林在人民勤耕  (田畑山林は人民の勤耕に在り)
 今年衣食住昨年産業  (今年の衣食は昨年の産業に在り)
 来年衣食在今年艱難  (来年の衣食は今年の艱難に在り)
 年年歳歳不可忘報徳  (年年歳歳報徳を忘るべからず)

五行思想面からの説明では、万物には木火土金水の徳があり、王朝もこの中のどれかの徳を持っているとされた、大同の思想もこれとにていた。分は仕事のことだった。

こういう思想は農業を通じて生まれたのである。農業は天地と自然と深くかかわるから必然的にそうなった。工業となるとこういう思想は生まれにくいからである。

命長養在衣食住三  (身命の長養衣食住の三つに在り)
衣食住三在田畠山林  (衣食住の三つは田畑山林に在り)

田畑山林が生活の基でありそれは自給自足が基本の生活だったのである。
今はそんなことを考える人はいない、生活の基は電気でありその電気を作る電力会社であるともなる。電気の源は何か?それは石油であるとかなる。
炭で生活していたらエネルギーはすべて身近なものでまかなっていた。山林がありまかなっていた。その差が大きすぎるのである。
勤勉の思想にしても機械が導入すれは働くの機械であり人の労働は軽くみられるから勤勉の思想も成り立たなくる。
ただ以前として人間は天地から離れてありえないのである。
人間の科学でも技術でも限界があるだ。それが原発事故で示されたのである。

分をわきまえることが常に強調されたとき、その分とは役とは国単位でもそうである。
日本にと日本の役と分がある。それは地理的環境でもそうなる。
一国はそうして自然の分として神から天から与えられたのである。だからグローバル資本主義経済はそうした分を生活の基本にしないで無視する。
食生活でも日本だと海の幸が豊富であり山の幸があり縄文時代からそういう生活をしてきたのである。人間は風土を無視してありえないのである。人間の体そのものがその土地土地に適合して長い時間で作られてきたのである。
それで日本人は腸が長いというとき穀物が主食だから牛のように咀嚼して消化するためにそうなった。欧米人は肉食だから肉を消化しやすい酵素が出るということでもそうである日本人には牛肉とか豚肉でも肉食は合わないようにできている、その代わりに貝と魚でも海産分が適していてそれが長寿の国にもなった原因である。
新地の鹿狼山や他にも手長明神の伝説、長い手を伸ばして貝を食べていたというのは日本が海の産物で生活していたためである。

ともかくグローバル資本主義は天地とも遊離しているし国々でも個々でも分をわきまえることがない社会である。ただ金が突出して猛威をふるう社会である。
その富が世界の数パーセントに集中する世界である。それは自然の理にも天の理にも反するから崩壊する危機にさらされる。
資本主義は農業から生まれたものではない、自然と遊離した商業とか工業を基本にして生まれた、人間の思想も自然から離れてありえない、大地でも忍耐しているというとき大地や山でも石でも樹でもそうみる。争わない忍耐して実りがある
でも今はそういう石にも三年とかないのである。手っとり早く金になることしか考えない農業中心だと自然とかかわるから時間の感覚が長い、すぐに実りはえられないからである工業の時間感覚とは違うのである。それは車を利用する時間でもない、牛馬を利用する時間だとなる、動物の時間は人間の時間と適合するのである。
機械に合わせた時間は自然の時間とは違うのである。
そしてあらゆる人が世界の人がその分をわきまえずグローバルに欲望を限りなく追求するそれが天にも神にも許されるのかとなる。そこから今回のような災いが生まれてくるのである。


posted by 老鶯 at 14:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2016年11月05日

郷土史に関心がもてないのはなぜ? (自給自足生活からグローバル経済の変化のため)


郷土史に関心がもてないのはなぜ?


(自給自足生活からグローバル経済の変化のため)


郷土史というとき関心が薄れいる、それは現実の生活が郷土と結びついていないからである。戦後十年までは自給自足の生活だった。
エネルギーも炭だから故郷の木を利用していたし家でも外材はないから回りの森の木を利用していた。屋根は茅葺きだとするとその萱も近くの山であれ萱場とかあり材料は近くのものでほとんどまかなっていた。
橲原の方に右田の人が肥料となる草をとりにいっていたというときもそうである。
こうして近くのもので生活しているとき当然郷土意識が育つ、つまりほとんどが郷土によって育まれていたからそうなる。
そこに郷土愛も生まれてくる、しかしそれが高度成長時代から急速にグローバル経済になり変わったのである。

例えば原町区の深野(ふこうの)という所に豪倉(郷倉)というバス停の地名が残っていたので紹介した。その深野に住んでいる人もそのことを知らない、興味がないということがある。それはなぜなのか?
つまり現実の生活と結びつかないからである。その郷倉は国で天皇から御下賜金として与えられたものだった。それは昭和十年のことだったから新しいのである。
飢饉とかに備えて米などを貯えておく倉である。それは江戸時代から全国にあった。
それを自分でもただ地名に興味をもっているから関心をもった。
でも今回は原発事故とかで避難したとき外から食糧でも入ってこなかった。
二週間くらい入ってこなかった。ただこの時原町区は30キロ圏内であり避難命令が出たので外に出た、鹿島区は30キロ圏外であったが半分は避難した。

自分は親を介護していることもあるし避難命令は出ていないので残った。鹿島区でも半分は外に避難した。そこで一週間くらいは米があったので梅干しとかもしりノリもあってしのいだ。でも米もなくなったとき鹿島区では古米が支給されたのである。
それで助かったのである。そのあとは相馬市ではスーパ-が開いた、でもガソリンがなくて車を使えない状態がつづいた。、自分は自転車で相馬市まで買い物に行った、その時から買い物できたので楽になったのである。
こういう経験をしたので郷倉というのを具体的に身近なもの生活に必要なものとして理解した。倉はないにしろ古米が貯えられていたから配られたのである。

こういうことで郷土のことを意識する、でも現代はグローバル経済になったとき常に意識しているのは近くのことではなくなったのである。
戦後十年は子供のときは家には裸電球一つしか使っていない、電器製品はなにもない、炬燵もない、炭であり囲炉裏があった。それは町内でもそうだった。
電気が通っていたとしても電信柱があったとしても電信柱が賢治の童話で人間に見ていたようにめずらしいものだった。道はほとんど舗装されていない、もちろん車もない時代である。水道もない時代である。今からするとそういう時代の経験は不思議だなとなる

それから高度成長時代となり急速に変わったのである。エネルギーは石油の時代になった石油は中東などから運ばれる、するとそこですでにグローバル経済にいやおうなくまきこまれる、石油の値段が一大関心事になり中東の戦争で石油が入らなくなるとか石油ショックとかあったそれでトイレットヘーパーをかいためたときがあったのである。
もう炭などは使わないから地元のことよりはるか遠くの中東の方が心配になる。
もうどんな田舎だろうが石油が必要であり電気は石油から作られているし石油であらゆるものが作られるというとき石油なしで生活が成り立たないからそうなる
当然そうなると地域のことより中東の情勢とかの方に関心が向くのである。
グローバル経済はとんな辺鄙な田舎でもその中に組み入れられているのである。
それは石油を例にした他でもそうなる、原発もまた電気を作るから原発が大事になっていた。実際に双葉とか大熊は東電の会社員のようになっていたのである。
多国籍企業時代というときまさに巨大企業に地域がのみこまれるのである。

石油が大事だというとき石油をどうして買いるのか?それは日本が高度成長時代は電化製品をテレビでも何でも売ることによって得られた、石油はドルでしか買うことができないようになっていつたからアメリカに売ることによって高い石油を買うことができたのである。
そうなると炭をエネルギーとした時代とは余りにも違っている、石油を買うには電化製品を車を売る、日本の技術の発展が望まれる、そうなるとそうした技術が重要になり農業などの第一次産業は低いものと見られるようになった。
田舎でも一割にも満たない生産しか農業にはない、漁業も同じだった。
別に株をやらなくても誰でもグローバル経済の中に組み入れられていて多国籍企業化した中で生活しているのである。
その一番わかりやすいのが石油なのである。

だから何か郷土というとき郷土史でもマイナーな好事家がしているようなものになる。
それは現実の生活と結びつかないからそうなる、関心がもてないのである。
でも津波のことでも郷土史というのが実は現実と結びついていたことに驚いたのである。400年前にここにも津波がきて700人溺死と記録されていたからである。
ただそれは二行くらいでありほとんどの人は知らなかった、今回の津波で知っただけなのである。そういう重要なことが見逃されていたということはなぜなのか?
人間の関心がグローバル化して外に外に向かうようになったからである。
それで肝心の地元のことが忘れられていたともなる。
テレビでも話題にするのは東京とか世界のことであり関心は常に外に向かうようになっているのが現代である。
インターネットで地域とかマイナーな話題を取り上げるようになったのは変わったことではあった。
でも常に関心はグローバル化しているから地域のことは現実と結びつかないから関心がないとなる。

みんな会社人間だったら当然会社から給料をもらい生活しているのだから会社が一番大事になる。会社が成長している、もうければ給料も良くなると働くからである。
グローバル化とは多国籍企業が支配する社会であり国が支配する社会とも違うのである。多国籍企業はグローバルに事業を展開してそれに国が政府が追随しているという関係にもなっている。それはアメリカでも日本でも世界的にそうなっている。
そこでは地域とか郷土とかは情報的にも意識されない、常に意識されるのは世界のことである。
大統領選挙が今の世界的話題になったのもそうである。それがどこでも世界的に密接に関係しているからである。
だから深野の豪倉のことを取り上げてもそこに住んでいる人すら関心がないとなる。

こういうことも何か人間の生活として歪みをもたらす、精神的にも人間の生活はその住んでいる場所からアイディンティティを形成してゆくのが順序である。
ヨーロッパのゴシック建築がドイツの森も模ししているときもそうである。文化はその土地と密接に結びついて生まれている。
グローバル経済はその土地から切り離されたものとして働く、そして金が唯一の価値となる。金で買えないものはないつとか世界でなるのがグローバル経済である。
グローバル文化というのはありえないのである。
インターネットで抽象画を外国のものを参照にしているときそういうものは一部にあっても一つのルネサンスのような文化は興らないのである。

なぜこの辺が原発事故で住めなくなるような状態なったのか?
それは炭をエネルギーとした時代から急速に電気の時代に移ったためである。
石油の時代となり原子力の時代になったためである。
みんな郷土の一員より会社の多国籍企業一員となったとき、郷土愛より会社愛になる。
常に思っているのは会社のことであり郷土のことではないからだ。
ヤクルトが地域密着型として一軒一軒回っているとしても今度テレビ放送するから見てくださいとか会社の宣伝になる。深野に住んでいたとしても地元のことには関心がないとなる、それは今はみんな会社員だから会社のことを第一に考えるから当然だとなる。
でも古米が配られて助かったというとき故郷意識をもった。
しかしこういうことは今はまれである。
復興にしても三陸でも復興したというとき漁業で生活する他ないから明治の津波でも一万人も死んだというときも便利な海沿いで生活をはじめたのである。
魚や海産物をとって生活す他ないからそうなった。今はそういうところでも会社が中心になればそうならない、それて外に人が流出して復興できなくなる
そういうグローバル経済とかの矛盾がここに津波や原発事故で顕著に現れたのである。


深野の豪倉(郷倉)は昭和十年時代のものだった

(緊急時とか飢饉の備えとして昭和に国からの意向で設置)


posted by 老鶯 at 11:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2016年11月06日

Hindo temples(ヒンズー寺院)


Hindo temples(ヒンズー寺院)

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イギリスのEU離脱、トランプのアメリカ一国主義 (グローバル経済への変換の世界的兆候)


イギリスのEU離脱、トランプのアメリカ一国主義


(グローバル経済への変換の世界的兆候)


イギリスのEU離脱とトランプのアメリカ一国主義、移民などの排斥、自国優先主義はにている。20世紀はグローバル経済に世界が席巻された時代である。
それがいい悪いではない、世界の人がすべてグローバル経済にまきこまれた時代なのである。そのグローバル経済の中心にアメリカがありアメリカの多国籍企業があった。
アメリカというときアメリカを動かしているのは多国籍企業である。
その中心にゴールドマンサックスなどがありウオール街の金融を支配する
その多国籍企業を後押しするのがクリントンだいうときその対立構図がイギリスのEU離脱とにている。
EU経済圏に入ることはそれもヨーロッパの広域経済圏に入ることである。それは地域的グローバリズムなのである。
でもヨーロッパは宗教とか文化とか歴史的共通性があり世界的グローバリズムとは違うのである。それでも英国は独自の道を選んだのである。

ただトランプの過激な移民排斥の政策とは共通点がある。移民が大量に入りすぎたのである。イギリスの空港では黒人が空港の売店で物をチョコレートなどを盗んでいたのをみた貧乏な人が大量に移民として入ってくると治安も悪くなる。
移民との軋轢が増大したのである。なぜこれほどの移民が生まれ大量に流入したのか?
それは移民というのは多国籍企業の安い労働力として入れる、企業の事情にあった。
多国籍間の企業の競争に勝つには品物を安くする必要がある
でも人間は部品のように扱うことはできない、第一フランスがフランス革命で博愛、自由、平等をスローガンに革命を起こしたとき移民も自国民と同等に扱うのが理想だった。
それがゆきづまったのはいくら多国籍企業が安い労働力を求めても相手が人間であり一人の人間はその国の歴史と文化を背負った存在なのである。ロボットではないしロボットとして扱うことができない、まさにフランス革命の理想を実行してもできなかったのである
アメリカも移民の国だとしてもそのアメリカさえ移民に悲鳴をあげるようになった。
なぜなら移民の数が国をゆるがすほどになっているからだ。
第一英語が通じないヒスハニックが膨大な数になった。英語がしゃべれない人が多いとなると意志疎通もできなくなる。文化の基本は言葉だとするときその同じ国民でも通じないのである。そのことで苦慮していることを語っていた。
そしてアムトラックで真夜中に一人おりた駅名がなぜかプリンスだったのである。
アメリカの地名はインディアンに由来するものとあとは英語である。

そもそもアメリカのアイディンティティがどこにあるのか?
世界中から移民が流入して作った国である。歴史も浅い、アメリカ人といっても様々な人種の混合体でありそこでアイディンティティを作ることは歴史の浅い国ではむずかしい。さらにヒスパニック系が増大したとき余計にそうなったのである。
アメリカが移民を排斥するというときアメリカにも歴史がありアメリカの復古主義だともなる。アメリカを作った中核の白人でありエスタブリュシュを取り戻すことになる。
アメリカで中産階級が没落したというときまさにそうしたもともとアメリカの中核を成してきた人たちが没落したからアメリカの復古主義が起きてくる。
グローバリズムは多国籍企業が支配するというとき移民でも安い労働力として使えればいいからである。そこに人種とかで分けないことである。
単一の価値観がいいのである。宗教でも文化でも世界中に単一の価値観がいいのである。そしてその単一の価値観の中で物が売れればいいとなる。
ハンパーガーとかコカコーラとか世界中に普及すればいいとなる。そういう食生活でももともと世界では多様なものがあり適合しないものがある。

そういう障壁をとりはらうことがグローバリズムなのである。それかアメリカの多国籍企業が成したことである。
それでエジプトであれアフリカの果てであれ子供がワンドーラくれとなる。ドルが世界の金になっり金が支配するというときドルが支配することでありそれはアメリカの多国籍企業が世界を支配することである。別にアメリカという国が支配するとは限らない
なぜならトランプはそのグローバル社会に敵対してアメリカを優先させるとしているからだ。アメリカ復古主義でありイギリス復古主義であり共通したものが起きていたのである
世界が今そうした自国の復古主義に右傾化に傾斜している。アメリカすらそうなのだから当然世界もそうなってゆく、自国優先主義である。それで日本に対しても日本は日本で守れとなる。政治的にそうなると同時に文化的にも復古主義の時代となる。
いい点は日本人の復古主義は日本精神の復古につながる。それは日本文化の再生なのである。そうなるとまた世界が国々で対立するという第二次世界大戦のようになると警告する人もいるのもわかる。日本は中国とかロシアとどう向き合うか真剣に問われるのである。それは第二次世界大戦に歴史がまた違った形でもどるということにもなる。
ただその時と違うのは巨大化した中国が相手になるということである。

いづれにしろグローバル経済は転換期に来ているのである。その試みは20世紀の大きな実験だったがゆきづまったのである。
そこには無理がありその無理が限界に達したのである。グローバル経済というのはヒュ-マンな規模から桁外れになっている。そこでは物が流通しても物は日本では単なる物ではない、ものと心は一体なのである。日本語だけがものと心は一つの意味だというときそれは日本文化なのである。ヨーロッパ文明は物と心は分離して考えるからである。
つまりグローバル経済は極端に物と心を分離させるのである。そうしなければ世界的に物を売ることができないからである。多国籍企業になれば別に日本だって大企業は多国籍企業になっているからアメリカだけではないのである。
世界に物を売るということでは同じなのである。

やはり人間は経済をそうして国を越えたり文化や歴史を越えて優先させることができない存在だった。人間はそういうものであり世界を単一の価値観で支配するということは人間を不幸にする、人間の基本としてのアイディンティティを破壊してその存在の根も破壊するのである。それは相馬郷土史研究で書いてきたことである。
ただもう広域経済を否定することはできない、世界で貿易を否定することはできない、
ただ多国籍企業の強引なやり方に歯止めがかけられる、それが人間の存在の根本まで破壊することに世界できづきはじめたからである。
だからトランプがなぜあれほど人気がでてきたのか、あの人は一体なになのだというときそういうグローバル経済への露骨な反逆がありそれがアメリカでも受けたとういことである。
クリントンは生粋の多国籍企業とかウオール街をバッグにしているから嫌われているというときアメリカ人自体がグローバル経済に異議を唱えている。

それは移民によってアメリカ人の中産階級が職を奪われるとかアメリカ人でも白人でも格差社会になりその恩恵がない人が増えたからである。
そしてグローバル資本主義経済げは世界の数パーセントの人に金が集まりその不満が世界でおさえられなくなったのである。
グローバル経済は無理であり成り立たない、広域経済は否定できない、でもその国の中での広域経済ならいいとか東北とか北海道などのブロック経済とかまたさらに狭い範囲の地理的に交流できる人間と人間が交流できる範囲の経済がいいとなる。
そこでは物だけの価値ではない、人間的交流も生まれるとなるからだ。
そして価値観が一つではない、様々な価値観があり地域的にもそうでありそれが文化を育むのである。それはカール・ポランニーの人間の経済学になる。
人間の価値は多様なのである。とても金だけでは計れないものが無数にある。金で貨幣ですべての価値を計ることは土台無理なのである。それはかえってグローバル経済が非人間的にしたのである。

ただ現実問題となるとこの辺で市が開かれるがリンゴでもうまいものがあったがそれは高くても良かった。てもスーパーで買うと同じものでありそういうものでも三倍の値段で売っていた。他でもバスユニットを仙台のリホーム会社で請け負ったのと今は地元でも大工が暇になったとかで仕事が欲しいというとき、仙台から来た人よりもしかしたら50万くらい高くなるかもしれない、仲介する人がまた金取りになるからそうなる。
狭い範囲の経済流通だと今は高くなる、それも一つの問題として認識した。
ただグローバル経済というのは規模が桁違いであり仙台とかいわき辺りとの経済とはまるで違ったものなのである。
例えばアマゾンで古本などを注文するとき岩手県の店で出品していると近いなとなる
東北圏内とかのブロック経済なら歴史的文化的にも共通のものがありそのくらいの規模の経済だったらこれだけ交通が発達すると否定できないとなる。
グローバル経済はそういう傾向になってゆくのかもしれない、EUだって広すぎたのであるアメリカだったら別に自国内で何でもあるからグローバル経済にする必要もなかったのである。石油だって今や自国内でまかなえるようになっている。
日本は石油とか鉄とか資源がないからグローバル経済のすべてを否定できないことはある移民を安く入れて企業で働かせるということは世界的試みで失敗したのである。

タグ:トランプ
posted by 老鶯 at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2016年11月07日

原町区のキクチスーパーの隣の復興団地 (浪江の人が多く、取り残される老人の独居者)


原町区のキクチスーパーの隣の復興団地


(浪江の人が多く、取り残される老人の独居者)


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264所帯入れる、これは多い、人口にしても500人以上になるのか
それから雲雀が原の復興団地は5階建てでありあれは都会の団地である。
南相馬市はこうして外から入ってくる人がいて人口は減っても減らない
ただ住民票は移さないから人口に数えられないのである。
除染とか工事関係者まだ数が多いから実際の人口は一万人くらい増えているのかもしれない、
減った分を外からの人が補っているのである。



原町区の六号線のキクチスーパーの隣の復興団地に入ったのは浪江の人が多いという。
イワキナンバーが確かに多かった。
そして県の人がコミニュティなんとか言ってたからあそこは県で建てて管理する

あそこはまだ人が入ったばかりである。その前に公園に老人がいたのでベンチに座り話した。
その人は浪江の人で娘の子供は小高工業に入っていたが原発事故で東京の多摩に移り多摩工業高校に入りそこで学んで東京に就職したという、娘について妻も移りその老人は一人新しくできた復興団地に入った。
いわきにも娘がいて時々来るという、ここに入る書類などは娘に書いてもらったという。

「小高に帰った老人も言っていたけど出て行った子供は帰らないよな」
「帰えんねえよ」
「小高は帰ったのはほとんど老人だよ」
「小高はまだいいよ,人が帰ったから」
「そうだな、人がいない街はさみしすぎる」
「この団地は浪江の人が多いよ」
「いわきナンバー多かったな」
「俺はしょっちゅう浪江に通って畑みているよ
桑折にいたがあそこは遠い」
「農家の人?」
「いや、土地を一町はもっているんだ、田んぼはない」
「浪江は電車で30分くらいかかったよ」
「近道行くと15分くらいで行くよ」
「そんなに早く」

そのあと補償金の話になった。

「大堀辺りはいいところだったけどな」
「あそこにある陶器を一杯飾っていた施設何か利用するみたい」
「あの辺は放射線量高いな」
「あそこは住めない地域だよ、だから補償金が高い、倍はもらっている」
「この辺でも補償金でもめたからな、浪江もそうだったのか」

そして暇で困った何もすることがないとぼやいていた。

「ここのスーパーは車が出ていたあとにまたすぐ入ってくるんだよ」
「鹿島のキクチスーパーとは違うよ、規模も違うし品物も多いし安いんだよ
鹿島は品物も少なく高いんだよ、だから時々買物にくる」

一人で住んでいたら確かに暇である。それも避難した人たちの大きな問題だった。
それでパチンコやギャンブルにしているということで非難された。
この原発事故ではヒトツノ大きな問題として家族が離散して取り残されたということがある
どうしても放射能を怖がって若い人は出て行き帰ってこないのである。
それで南相馬市の病院では看護師がいないので入院を半分におさえているとか大町病院でも看護師不足で確保するのに苦労したとかある。
看護師は中通りの方に流出したのが多くそこでは看護師が増えていたからである。

ともかく小高の老人も名取に子供が家を建てた、それで親の部屋まで作ったという。
でもその老人は小高の復興住宅に住んでいる、そして子供は帰ってくるといつも言っていた。
東京の多摩に子供が移った老人は妻までその娘の所に行った,なんか病気持ちでそうなった。だからその老人は一人なのである。
こういうことが原発非難者には多いのである。老人が取り残されてしまった。
そこで復興といっても老人が多いからどうして復興できるのかとなる。

原発事故の悲劇は家族が離散したことや故郷に住めなくなったことや仕事を失ったことやいろいろある。その中で深刻なのが老人が取り残されたという問題があるのは少子高齢化のためである。
限界集落でもそういうことが起きていたからここでは極端な現象として現れたのである。
確かに老人がこうした激変になるととまどうし順応するのは苦しくなる。
あの公園で見知らぬ人と自分のような者と話するのもできないと言う人もいるだろう。
一人は無口でありそうだった。自分と話した人は話できる人だった。
老人は慣れ親しんだ所に住むのがいい、そうでないと精神的に病むとかある。
東京に移ったばあんさんもどうなっているか?やはりとまどうことがあるだろう。
ただこの辺でも何か老人がいても世話する人がいないとなると子供が住んでいる場所に引き取られることが多いのも時代である。
親と子供が別々に離れて住む人も多いからである。
限界集落のようなものがこの辺では極端なものとして現実化したのである。
ただ原町だったらあそこだったら便利である。隣がスーパーなのだから買物でも便利である。

そういう点はいいにしてもなんか老人だけが取り残されて一人住んでいるというのは嫌だなとなる。
それで県のコミニュティ担当の人が回っていたのか?
あそこは県営の復興住宅なのでありそれで浪江とか南相馬市以外の避難者が多いのである浪江の臨時の役所も原町にはあるからだ。
建物としては前に広い公園があり団地でも屋根つきで休める場所とか何カ所も作っているそこにすでに女の人がいて話していた。そういうふうにコミニュティとして団地を形成するのに作ったのだろう。
いづれにしろキクチスーパーに行くとあそこには老人がいつも休んでいるのを見ることになるだろう。暇だからそうなるのである。



タグ:復興団地
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2016年11月08日

人生はタイミング、チャンスは二度と来ない,時間ももどらない


人生はタイミング、チャンスは二度と来ない,時間ももどらない



1 天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。 
2 生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、 
3 殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、 
7 裂くに時があり、縫うに時があり、黙るに時があり、語るに時があり、 
8 愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある。 

伝道の書(口語訳)は新共同訳聖書では「コヘレトの言葉」



人間は何でもタイミングである。植えるに時がるというときその時期を逃すと実りがなくなる。死ぬるに時があるというとき今では死期を医療で無理やり伸ばして苦しんでいる。その人にはそれぞれ死期がある。死ぬにも時期がある、もし死ぬ時期を逃すとただ無益であり苦しむだけだともなる。ただその時期は人によって違うからわからない。

何か植える時というとき、少年とか思春期とか青春時代は植える時であり最も大事なときだった。この時代を良く過ごした人はのちにも思い出となり残る。
自分は学校に適応できないからこの時代はいいものではなかった。
この若いときは必ず老年まで尾をくのである。この時はどうししても若気の至りになる
それがその時だけのことであり消えてしまうと思っているが消えないのである。
それがあとで大きな誤算だったことになる。

仕事でも新卒として大企業が採用するのはその会社になじむ、その会社に適合して仕事を覚えるのはその時期だからである。そこで仕事を覚えれば会社に適合させるから会社では新卒を採用する、それで一生が決められてしまうというときそれも若いとき一生が決められてしまうということである。
それはいいにしろ悪いにしろそうである。そんなことで一生を決められてたまるかと反発する人もいるのは当然である。
ただ30くらいまでに一生の方向が決まってしまう
そこから別な方向を目指すことはむずかしくなる、若いときはそんなことがあるか、時間などいくらでもある、暇で暇でしょうがないんだよな、時間がなくなることなど思う人は一人もいないのである。
実際は「光陰矢の如し」あっとういまに人生が終わったと最後はなる。

だから人間にとってタイミングが一番大事なのである。タイミングを逃すとそのチャンスは二度とこない゛チャンスなんかいくらでもある、一回失敗しても誤ってもまたやるチャンスはあるとか思う、それもあったとしてもタイミングと時間は人間にそんなに与えられていないのである。
学ぶにしても学ぶ時がありその時学ばないとあとでもう学べない、本などでもいくらでも読めるとか思ってもできない、ええ、これしか読めなかったのかと驚くのである。
みんな人生これで終わりかこれっぽちの人生かとなってしまうのである。

 焼き捨てて日記の灰のこれだけか 山頭火

こんなものになる、一生が若いときはとてつもなく長く感じられるが老人になるとあっというまに終わるとなる。その違いが大きいのである。
植えるときとは若いときだがその時を逃せばあとは学ぼうとしても学べないともなる
もちろん学ぶことはできても本でも厚い本などは読めなくなる、そしてくだらない本を読んでいたなと後悔するのである。こうして老人で悔いてない人はいないのである。
今になるともっと何かを学び何かをしていればいいと思ってもできない、これからいくらでも時間があるからできると思っていてもたちまち「光陰矢の如し」であり少年学成りがたしなのである。

どんな人生でも数回重要な決断がある、それもタイミングなのである。
自分のような平凡な人間でもそうだった、親元を離れ東京の大学に入ったこととかそうである。それは親元から離れるということで意味があった決断だった。
創価とかカルト宗教団体もやめたのも決断だった。師を否定して去ったのも決断だった。その時そうしていなければずるずるひきづられてしまうのである。
何しても無益なことはないこともいえる、なぜなら人間の経験する時間があまりにも短いからである。経験したことはやはり血となり肉となるからである。何か青春時代は一番事が起こりやすいのである。多くの人に出会うのもそうである。
あとは意外と人とも出会いがないのである。それもタイミングを逃しているのである。

タイミングというときあらゆることがタイミングなのである。株でも投資信託でもこれもまさにタイミングだった。買ったときの値段でもうけが決まる、わかりやすいのは為替の値段の差益である。110円の時買ったが100円に円安になり損になり回復するのに時間がかかる。もし100円の時買えば今なら105円とかから売れば即もうかるということなのである。それは株とか全模範に言えることなのである。

求道でも青春時代にしないとできない、宗教は老人になってからかえって傾倒する人が多いかがそれはまた違ったものである。
「若いとき、造り主を覚えよ」というときその時を逃したらできないのである。
そしてその時はチャンスは永遠にないし将来もないのである。
だから貴重な時間と数回のタイミングでチャンスをものにするかどうかで人生は決まる
チャンスも何回も来ないのである。人が困ったときたその時大きなチャンスなのである。その時ともかく動機が不純でも助ければ恩に着せておこうとでも思って助ければやはりチャンスをいかしたことになりその人に恩を着せてもそれは返してもらうことがありうるのだ。そういう動機ですら人間は活かしていないのである。
困っている人がいても何もしないしかえって自分のように苦しめられただけだともなる
津波でもそうだが火事場泥棒とかは常にそういうとき出てくる、自分もそういう目にあったからである。

要するに人間はいかに時間を無駄にしてチャンスを逃しているかということである。
誰にでもそういうチャンスは巡ってくるがそれを活かせないのである。
悪を成すチャンスもありその悪を成すことの方が多いともなる、善を成すチャンスが悪を成すチャンスになる。若いときは悪を成すことが多いのもそのためである。
いづれにしろあらゆることに国政とか経営とかそうした世俗の活動でもタイミングとチャンスをいかにものにするかなのである。
タイミングがあやまるとすべてが狂ってしまうのである。奇襲が大きな成功をおさめるのはやはりタイミングを活かすからである。でも逆にそのタイミングを誤るとその結果は惨たんたるものになる。でもそのタイミングにチャンスに賭けない限り勝利はないのである歴史でもそういうふうにいかにタイミングを活かすかチャンスを活かすかで勝敗が分かれるのである。

タイミングを活かしたものが歴史に名を残すともなる、義経であり信長であれ秀吉でもそうである。吉田松陰も明確ではないがやはりタイミングを明治維新の動乱に活かしたとなる。そうでなければただ作られたテロリストにはすぎないともならないだろう。
一方でいくら英雄になろうとしても時代が英雄を作るからなれない、三島由紀夫がそうだった。時代にぞぐわないタイミングが良くなかったから歴史には残らない、いくら無理しても英雄にはなりえない、どうしても時代をは越えられないのである。

原発事故にしたって事故の前にはもう戻らない、それでそれぞれが決断を強いられる,もう帰らないと決断した若い人もいるし人生が無理やり変えられてしまったのである。
それを嘆いてもどうにもならない、時間を元にもどすことができないからである。
戦争で300百万人死んで戦争がどうだったこうだったと今言ってもその時代はすぎたのであり時間をもどすわけにはいかない、ただ300百万人の死者の重みが後世に残されたし
原発事故だって一万年プルトニウムの毒が消えないというのもそうである。
一度起きたことは時間をもどして元にもどすことができないことが深刻なのである。
だから原発などは危険なのだからよほど慎重にして是非を考えるべきものだったのであるこれだけの甚大な被害が出てから遅いということである。
それはここの人生でも同じだったのである。