2016年10月26日

公園で出会ったオランダの大使館に勤めていた人の話 (外国は住んでみないとわからないことが多い)


公園で出会ったオランダの大使館に勤めていた人の話


(外国は住んでみないとわからないことが多い)


公園で何かしらの事故が発生した場合、ヨーロッパでは当事者責任になるが、日本では公園の管理者責任になるから、思い切ったことが出来ない。そもそもヨーロッパでは公園が「コミュニティーのコミュニケーションの場」という位置づけであるのに対し、日本では「避難所」という位置づけなんですって。考える根本が違います。


 ヨーロッパの公園は美しい。花や木、芝生、噴水などが調和を持って構成され、周囲の建物とともに一つの都市美を作り上げている。しかし、さらにそのうえに公園の美しさを引き立たせるものは、そこにたむろする人間である。ベンチにすわって何をするともなく周囲を見渡すもの、読書や編み物をするもの、世間話に耽るもの、そうした人間のくつろいだ姿、活動する姿を抜きにして公園や都市の本当の美しさを考えることはできない。その意味でヨーロッパの公園にしろ、都市にしろ本当の美しさを持っていると言えるだろうhttp://www.cwk.zaq.ne.jp/fkfzb100/j-talking/s45-park.htm

近くの公園のブランコに年寄りがいた。最近どんな人だろうかといろいろな人に話しかけて聞いている
その人の驚いたことはオランダの大使館に3年間勤めていたから外国事情に詳しかった。
この辺にもそんな人がいたのかと驚いたのである。

「外国の公園はいいですよ、日本の公園は規制が多いんですよ、芝生に入るなとかなんとかみんな気楽に憩う場所じゃないんですよ、外国ではみんなの生活の場なんですよ、車をとめる所もあるし日本の公園は全然違っているんですよ」
「日本の公園は子供の遊びみたいだけど子供少ないからそんなに遊んでいない」
「それより日本の公園は生活の場ではないんです」
「確かに避難所という役目があり生活の中に日常的にあるわけではないのかな」

そいんなことを話したが公園一つとってもヨーロッパと日本は違っている、同じ公園でも利用の仕方とかどういう目的で作ったのとか違っている。
外国は旅行しただけではほとんどわからない、その人は外国で生活したから外国の文化を肌で知ったのである。

「ヨーロッパで偉いというと牧師と医者しかいなんですよ」
「医者は日本でも一番偉いですから同じだな」
「医者は国で金を払っている、牧師でもです」
「日本では牧師は偉くないです、牧師はヨーロッパでは歴史が長いからそうなっているのか」
「オランダではヨーロッパでは偉いというのは日本で言う偉いとは違う、日本では教育長とか議員とか地位ある人や社長とかなると偉いとなるんですがヨーロッパでは平等意識が強いんですよ、タクシーの運転手でも教師した人などがしていて日本とは違う、例えば日本だと土木とか建築関係の現場の労働者は何か3Kで汚いとか嫌がられる、ヨーロッパではそういうことがないんです、平等意識が徹底しているんですよ」
「ヨーロッパというと貴族がいてその下に庶民がいて貴族と庶民の言葉が違うとか言われるけど」
「貴族がいたとしても少数であり今は平等社会だから平等意識が強い、私の知り合った人にモールという名前の人がいたんです、その意味がモグラだったんです」
「ええ、モグラですか、なぜそんな名前を」
「そのことについて問いただすと差別とかなるんです、何か貴族がいて庶民だんからモールとなづけたのかわかりませんがその名前はじていないんですよ」
「まあ、日本でも江戸時代は日本でも百姓には姓がなく名前だけでしたが・・・」

これも不思議な感じがするけど日本の方が平等のようでもそうではない、無効では学歴というよりどこどこの大学を出たから東大出たからと偉いというけではない、何かそうしたかたがきでその人を評価していない、その人は碁とか将棋が得意でありそれを教えたら評価されて何か必ずもらったという。
外国ではプロフェショナルというとき職業のことであり職業が何かということで判断するのは日本でも一般的に世界でもそうだが何かにプロであることが評価の基準なのである。どこの大学を出たとかは関係ないと言っていた。

それから日々の生活でもいろいろ日本とは違っているがそれはそこに住んで見なければわからないのである。

「隣に住んでいる人にあいさつしないで怒られたんです」
「あいさつは今日本ではしないですが」
「向こうでは必ず挨拶するんですよ」
「なぜしないは怒られるかというと教育上良くないからです、子供に影響するからです」「旅行しているとそういうことはないですが」
「旅行しているのと住んでみるのとでは全然違うんですよ」
「学校でも先生が気に入らないと生徒が学校に行かなくなって先生がやめさせられたことがあるんです」
「先生がですか・・・これも先生と教えられるものとの平等意識からそうなった」

自分もヨーロッパは旅行したけど表面的なものでありその国の事情とか文化とかはわかりにくい。文化は外国になると日常の仔細な所にある。そこから文化を考える。
つまり文化とは日常の生活にある、それが旅行者には経験できないのである。
先生と生徒も平等である、でも先生が気にいらないと生徒にやめさせられるというのは意外である。それほど社会全般に平等意識がある証拠でもある。

「これもしかられたのですが、車から女房をおろすとき、自分がドアをあけなかったんです、そしたらしかられたんです」
「レディファーストが厳しいから」
「それもあります、でもヨーロッパでは夫婦同伴になっているのは夫しか男性が財布をもっていて金は男性がもっているから女性は夫なしで外出できないんですよ、女性は自由に金を使いないんですよ」
「ええ、そうかな、ヨーロッパの女性は男女同権の国だからそんなことあるのか」
「女性に対する見方でも対処の仕方でも違っているんですよ」
「日本だと妻が財布をにぎっていて小遣いをわたされるている、日本だと妻の方が力が強いとなりますが」

なかなかこうしたことでもそこに住んでみないとわからないことが多いのである。
住んで体験しないとわからないことが世界には多いのである。それは本で読んでもなかなかわからないのである。
体験した人がそういうことがわかるのはそこで生活するから生活の中で外国の中にとけこまなければならないからそうなる。「郷に入っては郷に従い」となる。
だから外国で生活することは身をもって外国を生活の中で知ることになる。
おそらくレディファ-ストというのは女性を第一にするというより女性を守るということを第一にしている。
金が男性がもっているというとき金をもってなければ女性一人では外出もできない、一見女性優位のようにみえて女性を男性が守るという前提でレディファーストがある。金さえもっていないということは男性が経済的にも女性を守るということになる
女性はかえっていつも男性に守られている守らねばならないとなり受け身の存在だともなる。
日本人はかえって女性が妻が財布を握っているということは女性の自主性を認めているという結果になる
こういうことも何か外国はわかりにくいのである。実際そこで生活してみないとわからないのである。

その人がまたしきりに言っていたことは働き方である。

「私が残業していたとき最初はわからなかったのですが残業代もらっていたんです
でもあとから陰口があったんです、そもそもヨーロッパでは残業しないですよ
残業する人は能力がないとみなされているんです」
「ええ、どうして」
「ヨーロッパでは時間内に仕事をこなすことが普通なんです、それができないで残業する人は能力がないとみなされるんです」
「今日本人の働きすぎとか過労死とか批判されています、日本人は働き方が能率的でない、それで休みも少ない、つまりもっと能率的に働いて休みを多くとればいいんですよ」
「ヨーロッパでは一カ月の有給休暇がとれる、そのために金が支払われんですよ、でもそのために何で使った、何で遊んだかなど領収書などを示して払われんですよ」
「ちゃんと遊びをしたことを示さないといけないわけですか」

何か日本人の働き方は外国からすると違っているから理解するのがむずかしいのである。

「日本の労働時間は長いと言うけれど、喫煙休憩やトイレ休憩、隠れた私用電話の時間やお昼休憩などを除いた実質の労働時間は5−6時間なんじゃないの?要領が悪いよね。」(Daniel Sullivanさん)

「日本人は自分から進んで残業しているのだと思う。本当に早く帰りたいと思うなら、だらだらとエクセルしたり、意味のない会議に出席しなければいいんだよ。それでも忙しくて帰れないっていうんだったら同情の余地があるけど、実際は違うよね。」(Saxon Saluteさん)

それからカジノのことを言っていた。

「ヨーロッパのカジノは別に金持ちでなくても入れるんですよ、クラスがあって金がない人は少額の金をかけて遊んでいる、それが次の段階がありまたもっと金がある人は次の段階がありと分かれているですよ」
「金のあるなしでクラス分けする、それで金がない人でも遊べる」
「カジノはギャンブルするところだけじゃない、食事もできるし社交場にもなる、金持ちだけのものじゃないんです」

何かいろいろとカジノでも大金持ちがしているようでも貧乏人も少額の金をかけている、そういう場が用意されている、カジノは金持ちだけの場にはしていない。
ギャンブルでもヨーロッパではパチンコのように長くはしていない、ちょっとやっては帰ってゆくという。

「ヨーロッパで車を買うと高い、一千万もしますよ」
「自分は安いの使っていましたが苦労しました」
「そんなに高いんですか、トヨタは世界で売れている、でもそんな高いとなると買えないのでは」
「ヨーロッパでは平均的な暮らしは15万くらいですよ、ヨーロッパでは無駄なものは買わない暮らしです」

一千万というのは誇張だろう,それはずっと前の話かもしれない、でもヨーロッパはそれほど豊かな社会ではなくなっている、日本人の方が贅沢している面が今ではある。
そういう暮らしはちょっと旅行しただけではわからないのである。
いづれにしろこんな田舎にオランダの大使館に勤めた人がいるとは思わなかった。
今は田舎ですら国際化しているともいえる。広域社会でありグローバル社会なのである。それが否が応にもそうなっているのである。ただそういう人は本当にめずらしい。
これも郷土史の人として取り上げると興味深いとなる。
郷土史となるとどちからかというと田舎では一次産業の人が郷土史にふさわしいとなる。だからその中心は農民になるが現代はこのように農民のしめる割合は一割とは極めて少ないのである。では他の人は何をしている人なのか?
こういう人もいたということが驚きだったのである。

オランダというときオランダから割り勘が生れたように商業の国でありもともと階級とかの縛りがない自由の国だった。商人の国という国柄もあった。だから合理的なものがありそれがオランダの文化となった。
ヨーロッパなどではパーティが開かれるけどそこに呼ばれたり相当に親しいものとみられる、家族のように親しいものとみられるという。
だから簡単にはパーティには招かれないという、何かヨーロッパでは親しくなるときは兄弟のように親しくなる、家に来て勝手に冷蔵庫を開けたりするという。
家族の一員のようになるというのも日本とは違った慣習なのか、親しくなるということはそれだけ仲間意識を強くもつということにもなる、それは日本でも同じだがヨーロッパだと友達というとき家族のようになっている親しい関係なのである。
ともかく外国を理解することはこのように住んでなみないと実感としてわからないということがある、ただ人間は何でも体験がものをいう。
それ60以後の体験談は興味深い、つまり人生でなにかしら自分とは違った体験しているから興味深いとなるのだ。
ただこの辺でオランダの大使館に勤めていたとなるとなかなかいないだろう。
都会だったらグローバル社会だからいるがこのような田舎ではめずらしいのである。
いろいな人に話しを聞くということも郷土史の一ページとしてある。
いろいろの多様な人がいることで人間も面白いとなる。田舎だとどうしてもそうした国際性ある人は少ないのである。




深野の豪倉(郷倉)は昭和十年時代のものだった (緊急時とか飢饉の備えとして昭和に国からの意向で設置)


深野の豪倉(郷倉)は昭和十年時代のものだった


(緊急時とか飢饉の備えとして昭和に国からの意向で設置)


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  昔から瀬名は「瀬名千石米どころ」といわれ、田と畑だけの緑豊かな農村でした。
    江戸時代、領主に納める年貢米を保管したり、凶作に備えての貯穀、災害飢饉への備蓄米の非常救済や
    貸し付け米を保存するため大変重要な倉として建てられたのが「郷 倉」(郷は村・里をあらわす)です。
    また、「御蔵」「御倉」(ごぐら)とも呼ばれていました。
    隣にある付属番屋は、盗難や風水害から郷倉を守る常駐の蔵番(番人)をおいていました。
    時には村の会議所でもありました。
    
昭和9年に東北地方を襲った大凶作の際、心を痛めた天皇が下賜した救援資金に、国費と義捐金を合わせて建設されたとのこと。幸生の村民は、天皇の御恩と国民の同情に報いると同時に、自ら凶作に備えるため、共同で「報恩備荒田」を開発したとも記されています。http://www.jafore.org/blog/archives/2008/01/okura.html



今なぜこの郷倉に注目したのかというとこの辺の津浪や原発事故でこの辺が様々な苦難を強いられたためである。それはここだけではない、津浪の被害は東北の海岸線に大被害をもたらした。一時は外から物資が入らず困窮した。停電して水道も断たれた所も多々あった。その時、裏山の水を利用して薪を利用して煮炊きをして難を逃れた人たちがいた。
水も老人が歩いて運んでいたのである。車もガソリンがないと動かなくなるからだ。

南相馬市では市長がyutubeで外から物資が入らないと訴えて世界中で有名になったのは知られている。原発事故で放射能を一時恐れられて車で入って来なくなったのだ。
車社会でも災害時は役に立たなくなることが証明された。ガソリン不足はその後も一カ月くらいつづいたからだ。その時貯えてあるもので生活する他なかった。

自分の家では二週間分くらいの米が偶然にあったので電気も通っていたので煮炊きできた。ガスもあったから料理もできた。ただノリがあったのでオカズはそれくらいだった。
でも米さえあれば二週間くらいはしのげるものだと思った。
それでも電気とか水道が断たれればどうしていいかわからなくなったろう。
その後米はなくなったがその時鹿島区では古米が配られたのである。
その時助かったなと思った。米も切れていたし買うこともできなくなっていたからだ。
その後相馬市の方はスーバーもはじまり自転車で買いに行き楽になった。
その時はまだ車はガソリン不足で苦労していた。


現代のような便利な社会はかえって災害には弱い、電気や水道がたたればお手上げになる。でも災害時にはそうなるのが見えている。だから燃料の備蓄用として電気やガソリンや石油は使えないから危険なのである。むしろ薪とか炭とかを用意していなければならないかもしれない、そのことから一体農業とかでも減反政策とかでやる気がなくなり衰退産業になった。でも農林漁業のもっている意味はそれだけでなかった。
現代社会でもそれは郷倉の意味があったのである。
緊急時に災害に備えるものとしての意味があった。
国全体でも緊急時のために戦争でもあれば食料は入ってこないから備える必要がある。
そういうものとして農業などを保護してきたのである。
つまり現代では農林漁業などのもっている意味は価値は別なものとなっていたのである。

その時金より郷倉に貯えてある古米でも命をつなぐことができた。金を貯えていても何の役にもたたない状態だったのである。それは東京辺りでもそうなる。金がいくらあっても緊急時には役たたない、現物の方が価値がでてくる。だからそういうときは米があれば金がある人は金をいくらだしても買うとかなる。でなければ飢え死にしてしまうからである
郷倉と現代社会 (緊急時の備蓄機能として維持されるべき農林漁業の見直し)


深野にある、豪倉というバス停の地名が気になっていた。それと郷倉という知識はあっただから江戸時代からあったものかと思っていた。だいたい地名は古代にさかのぼり古いのが多いからである。
でも深野とかこの辺の郷倉は昭和以降のものであり昭和にまであったから新しいのであるだから意外だった。

郷倉は「恩賜豪倉」をさし救荒備蓄米を貯える村落の公共施設である。
昭和十年(1935)村議会でこのことが議案になった。
「昭和9年東北凶作に対して畏くも御下賜金の恩命を拝して・・」とある。

石神村の馬場と大原と押釜に設置された。深野は別にまた一棟作られた。
これはその地区のものだけではなく共同でも使用された。
深野だけは一地区で利用された。(原町市史)

深野の豪倉という地名は昭和になって地名化したのである。昭和になってから地名化するのはめずらしい。地名は江戸時代より古いのが多いからである。
ここで恩賜豪倉となっていて天皇から賜ったものとしてあるのもそういうことがあったのかと違和感があった。今なら政府の援助であり天皇から賜るということがないからだ。
そこに戦前と戦後の相違がある。戦争もやはり天皇が現人神(アラヒトカミ)とされていたからである。それは精神的なものだけでなく現実に天皇から賜るということでより身近なものとして意識されたのである。

今は豪倉とあってもそこに郷倉はない、でも地名化しているから必ず意識するのである。地名からだけ意識することが何か地理でも歴史でも多い、現実の建物などはなくなりやすいけど地名は残るからである。取手というとき砦(とりで)であったし地名からその地をイメージするのである。
鉄道の旅だとなぜか地名だけを記憶しているのが多い、辺りの景色は記憶されていないのである。

ともかく豪倉は郷倉であり昭和でもその役目があり作られた、それは政府の意向で政策でも作られていたのである。今なら備蓄することでありそれはどこでもしている。
ただ今回の津波と震災の経験では二週間くらい食糧も物資も入ってこなかったのである。一週間くらい米があったので食べていたがきれた。その時古米が配給されて助かったのである。それはまさに郷倉と同じことが成されたということである。
その時いくら金があっても何にもならない、なぜなら金があっても物は買えないからである。その時はいくら金があっても貯えても何の用にもならなかったのである。

ただ昔と現代の相違は一二週間でも蓄えがあり耐えられれば物資は外から入ってくる
その二週間くらいが問題なのである。水も食糧もないとなると耐えられなくなる
長期的なものではなくその短い期間をいかに耐え忍ぶかにある。
現代の盲点は交通が断たれると致命的になるのである。
だからガソリンが入らなくて車が延々とガソリンを得るために並んでいたのである。
車も役にたたなかったのである。そして自分は二週間過ぎてくらいから相馬市に自転車で買い物できたので助かったのである。
タグ:郷倉
posted by 老鶯 at 09:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)