2016年10月27日

【大川小津波訴訟】 (オランダの徹底した平等主義があればどうなったのか?)


【大川小津波訴訟】


(オランダの徹底した平等主義があればどうなったのか?)


本当に必死に行動したのかな? 
「山へ逃げれば助かるべー」 って必死に訴えたのは生徒のほうだし 
「大津波警報が出てます」 って必死に教師に伝えたのは生徒の親だし 
それを小馬鹿にするように否定したんでしょ 

なんだか正しい助言してくれてる人をことごとく排除した結果な気が 
生徒や家族なんかよりも教師の判断が正しいんだ と言わんばかりじゃないの


鵜住居小学校・釜石東中学校は500メートルほどしか離れてないのに全員助かってるところを見ると 
やはり教師の力量や教育の質の違いだね 

日本は集団行動を強いるからな。 
自分だけ高台に逃げようとすると 
「何でお前だけ逃げようとするんだ!」ってよってたかっていじめられ 
足の引っ張り合いがおこなわれるからな。 




緊急時の対応はむずかしい、時間がなさすぎる、津波警報が来てからここでは40分後とかでも地震でものが落ちてきたりしてそれでわたわたしたらすぐに時間がすぎる
津波警報を聞いてもすぐに逃げる人はいない、津波はここでもそうだけど川を最初上ってきた。すぐ近くが川だけど見に行っていない、川に水が押し寄せていると誰かが言ったけどそれも見に行かなかった。川はすぐ近くだった。
500メートルくらい下の土手を津波が越えていたのである。
第一津波がこんなに遠くまで来るということを予想していた人は一人もいないのである。津波に対する知識がない、経験もないからそうなる
だからこれに対応するのはむずかしい、先生も10人も死んだのである。
それで責めるのは酷だとなる。

ただこれは学校とか先生の下で子供がいて起きたことである。そこに問題が生じた。
子供だったら先生の指示に従うように日頃から教育されているからだ。
その中でも山に逃げた方がいいと子供が言っていたという。それで逃げたこ子供と先生が助かった。
一方では先生の指示に従い助かった学校もいる。上の人の判断で助かったのである。

だからこれも誰が悪いのか?判断するのはむずかしい。
ただオランダのことで聞いてわかったことはオランダでは先生と教える子供すら平等である。子供が先生を嫌ったら先生まで首にさせられるという。
徹底した平等社会なのである。そういう国だとすぐに上の人だからと指示に従うということはないかもしれない、日本では上下関係の中で物事が決められてゆく、あまり議論もしない。
マスコミの権威にも弱い、上の指示に従いやすい、自主性がないのである。
だから最近マスコミを盛んに批判しているのはいいことなのである。
例えば極端な貧乏人のことをとりあげたがそれは嘘だったとかあるからだ。

「それ本当なの?」という疑問をもつだけで自主性が養われるのである。

その反面誰にも従わないということは危険なことにもなる、学校でも生徒が校長とか教頭に従い助かったということもあるからだ。
でもまた必ずしもそうした上の人の判断が正しいとは限らないのが問題なのである。

現代は大衆社会であり自由社会のように見えても大衆はマスコミとか上の命令に従う自主性のない人たちである。そこにナチス化する危険性が常にある。
カルト教団などは全く思考しないロボットの集団化しているから怖いのである。
オウムであれ創価であれ幸福の科学であれなんであれカルト教団は上のものに絶対服従である。何か逆らえば信心がないとなり罰あたるとか恐怖を与えて従わせる
そういう団体に属して教育されている人たちも何か緊急時には上の人の命令に従うだけだから怖いとなる。

平等主義というときオランダのように徹底して平等を追求していない、原発事故でも東電の社員と地元の人たちが平等ではないからそもそも話し合うこともできないから危険なもとものとなる、自分たちの安全を守れないということである。
その原因に東電の社員と地元の人たちでも政府でも平等になりえないからである。
科学者はお前らに原子のことがわかるかとなり相手にもされないからである。
民主主義はそうした平等性を追求しているがそれが日常生活では成されていないのである

オランダの子供たちだったら先生の言うことをきかないで山の方に逃げたかもしれない、それだけの自主性が子供でも養われていたかもしれない、「先生の言うことなど聞いていられないよ」となって山に逃げたかもしれない、ただこの自主性でも自由でも危険はあるやはり子供だから判断の間違いがあるからだ。でも今回は大人でも判断できない状態だったのである。
未経験なことはどう判断していいかわからないのである。

いづれにしろ原発にしても誰が決めるのか決めたのかとなる。その判断を誰がして原発が作られたのかとなるとはっきりしない。自民党が推進して民主党が受け継いだとなる
国民の間でも十分に議論もされてかったのである。
議論するにも判断するにもその前にオランダのように徹底した平等があればできるがそれがなければできない、科学者は科学を知らないものを軽蔑しているしそんな人たちと議論しないからである。自分たちが上だとなっているからそもそも見下しているからしない。それは医者でもそうである。何か患者が聞いたりすると嫌がある。医者に従っていればいいのだとなる。その根底にはそもそも患者とか看護師とかの間で平等がないのである。
患者は弱者であるから従うほかないとなるのである。

津波に関してはこれは先生の責任だといっても先生も十人死んでいるのだから先生も自分たちが助かることを考えればどうなのかとなる。
先生たちも判断しようがなかったし対処できなかった。こういうとき知ったかぶりするも危険である。先生ももしかしたら子供の言うことも正しいかもしれないと思ってもよかったのかもしれない、でも子供の判断に従うのも良しとしないことがあったかもしれない、か俺たちは先生であり俺たちが判断して生徒を導くべきだと思っていたのかもしれない
この辺のことはわかりにくい、つまりここでは津波に関しては無知であり誰の判断も正しいとはならなかった。
こういう判断は本当にむずかしい、生死を分けるからである。

日本人で砂漠を旅行した人たちが迷って水がなくなり困った、その時導く人が経験している人がいて水のあるところに導いてくれて助かった。
それはその指導する人が経験があったからだとなる
でも間違って導いたら水にありつかず死ぬということもあった。
そういう判断は運にもなる、人間は経験がないことに対処できなからである。

大川小学校の責任でも誰に責任があるのかとなるとむずかしい。先生も十人も死んだとなると責任が問いようがないということもある。
人間は何か重大な判断をするとき戦争するかしないとかでもどうして判断するのか大きな問題になる。原発に関してはほとんど国民的な議論にもならず50基以上も建てられたのである。
では今回のように事故になったとき誰が責任をとるのかというのが大問題になったのである。
オランダのように日常の生活で隔てなく平等があるとき議論もできるが平等がそもそもないのだからできない、その判断するのは上の人であり庶民は黙っていろとなる。
でも一旦事故になったら庶民が故郷にすら住めなくなるという被害を受けたのだからその前に地元の人たちとも平等に議論する態度が必要だったのである。
「あいつらには金をばらまけばいいんだ、原発のことなどわかりっこないんだから」東電とか政府ではそう思っていた。
つまりオランダのように平等意識がないからそうなっていたのでありそれが大事故になったとき大被害をもたらしたのである。

タグ:大川小学校
posted by 天華 at 15:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 津波、災難の対処

原発事故の被害は隠蔽されやすい (作業員が800人死んだとかも証明されない謎)


原発事故の被害は隠蔽されやすい


(作業員が800人死んだとかも証明されない謎)


東北大学医学部附属病院が、 
 福島第1原発について「極秘情報」が 
外部に洩れないように緘口令を敷いている。 

それは、福島第1原発の大事故現場に送り 
込まれた作業員(約3000人)のうち、 
すでに800人が放射能により死亡しているのに、 
 東北大学医学部附属病院が緘口令を敷いて、 
 外部に洩れないようにしているということだ。 

 患者たちは、一旦、東北大学医学部附属病院で診察を受けた後、 
 新潟県内にある分院に移送されて、 
 静かに死期を迎えるまで過ごす。 
 放射線治療を受けても、手の施しようがないからである。 


   
この情報は新聞に出ていた。9人くらいは死んだのは名前もわかっている。
でも800人も死んだとなると誰も信じないだろう。
それでも原発で作業していればどれだけの放射線をあびるのか?
双葉とか大熊を通るとバスでも7マイクロシ-ベルトと出る
原発内部で仕事していたらどうなるのか?
その数も多い、何千人という単位で仕事しているしもともと原発は数が多くないとできない、なぜなら一分しか仕事できない、一分して交代して仕事する
それだけ放射線量が原発内部では高くなるからだ。
だから作業能率が悪い、働く人員の数が必要になる
3000人くらいがかなりの被爆したことはまちがいないだろう。
そのうち800人死んだのかとなると実際は確かめようがないだろう

原発で働いていた人に聞いたことを書いたが

「仲間がみんな死んだ」

その意味がはっきりしない、一緒に働いた人が死んだのか?それを確認したのか?
ただ憶測で言ったのか?

人の話も全部は信用できない、オランダの大使館に勤めていた人は車が高い「一千万」するというときそれはいつのことだったのか?
これもどういうことなのかわからない、別に高級車だと一千万の車は今でもあるけど普通車ではありえない、でも直接聞く人の話には必ずしも嘘とは言えない何かがある。
その人がまた直接人から聞いたりしているからだ。

福島医大で放射能汚染で死んだ作業員がホルマリン漬けにして保存されて研究材料にされているというのは本当かもしれない、福島医大とか東北大学とかは国の機関だからそういうことができる、原発はもともと隠蔽されてきたからでてある。

住所がわからないということはそういう人たちなのか、ホームレスとかそういう人たちを集めたからなのか?そういうことは確実だから800人死んでも身寄りがないのだからそのままにされたのか?

ただ病院というところは本当は相当に怖い所なのである。


大口病院では、今年7月から9月の間に約50名の患者が亡くなっているにも関わらず、中毒死事件発覚後に亡くなった患者はゼロという奇妙な現象が起きており(27日時点)



これも病院で起きた不可解な事件である。50人も死んでもしも殺されたとしたら大問題なはずだがそうはなっていない、遺族も騒いでいないのである。
外国でも医者とか看護師が50人とか100人とか300人とか殺したという例がある。
病院は大量に人を殺せる場所でありそれが外部にもれにくいのである。
病院は今では死体処理場でもある、毎日人が死んでいるのだからめずらしくもない場所である。一人また死にました、早くかたづけてくださいと後は病院関係者は関心がないのである。あの人看護したけど死んだけどどうなのとかない場所である。なぜなら次々に死ぬ場所だからである。大学になると研究材料にしか考えない場合がある。
そういう体質があるから放射能汚染で死んだとしてもそういうことがしやすい場である。だから単なるデマとするにも納得できないということはある。
なにしろ多数の人が働いた場所だからである。

福島医大で放射能汚染のことを調査したりしている、甲状腺でも被爆でも調査している。それは国に委託されてしている、でもそこから真実がわかるのか?
ここでも隠蔽されているかもしれない、福島医大と国が直接かかわっているからである。国にとって悪い情報は出さない、だからその調査結果も信用できないともなる
ただその調査することだけで膨大な金がかかりそこも利権になっている。
なんでこんなに調査の分厚い小冊子が何回も送られてくるのか?
自分は面倒だから一度も出していない
その調査の費用は福島県全部でしているとしたらそれだけで莫大になる
除染でもそうだがそれがどれだけ効果あるのか、これも莫大な無駄だとという人もいる
それも兆単位の無駄だというとき見逃せない、それはみんな国民の税金から出されているからである。

原発の被害はこれからも隠蔽ささればわからない、事故との因果関係は証明しにくい。
10年後であれ、20年後であれガンになってもその因果関係は極端なものとして現れない限り証明しにくい、今でも被害が訴えにくいのは原発事故で死んだりしていない、一人も死んでいなと外から言われるからである。
放射線でバタバタ百人単位くらいで死ねばその被害がはっきりしているから訴えやすい、でもそれがないからたいしたことがないとか見られるのである。
なんだあいつら避難民は補償金で毎日遊んでいるだけではないか?
現実そうなっているから被害を外に訴えられないことがあったのである、今もそうである
posted by 天華 at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年10月28日

【大川小津波訴訟】(2) (子供の方が先生より感が良かった、かえって感が働くの子供と若い人)


【大川小津波訴訟】(2)


(子供の方が先生より感が良かった、かえって感が働くの子供と若い人)


人間は経験しないことは大人でも子供でもその対処方法に差がない、大人が必ずしも的確な判断するとは限らない、その時子供の感ではすぐ裏山に逃げればいいじゃないかとなるのは単純だけど正解だった
その時大人の先生はそうした単純な方法をとらなっかた
危険な川の方に向かって行ったのだからどういうことなのだろうとなる
そしてそうした大人の先生に従わざるをえなかった生徒が死んだ
要するに何か大人とか先生とかいつも指導している人は固い思考に陥る傾向がある。
先生とか公務員とか何か専門にこりかたまっている人も柔軟な思考ができなくなる
先生は社会経験もないから視野がかえって狭いと言われる
つまり卒業したらすぐに先生と呼ばれる職業だからである。
やはり人間は経験が一番ものを言う、経験を積まないと実際の所はわからないのである。

だからこの近くにオランダの大使館に3年間も勤めていた人はそういう経験を積んだから違っていた。別に大使館でなくても今は外国で若い人がいろいろと経験を積んでいるから昔とは違っている。仕事でも外国でしている人が多いからである。
ただ津波となると原発事故でも経験がないから上の人だった指導しようがなかった。
それでスピーディを用意していたのだから放射性物質は風でどこに流れるか東電の社員は知っていたのである。
それで浪江の人と一緒に津島に逃げた人がこっちはかえって危ない、街に引き返した方がいいと浪江の人もその東電の社員に従ったのである。それが正解だったのである。
スピーディを用意していても全く活用されなかったのである。
なぜなら東電でも政府でも安全神話の上に原発を建てて運営していたからである。
常に言っているのは事故は起きませんということだった
事故も起きますよとかいうと地元でも住民からにらまれる、危険人物にすらされる
東電に勤めている人も多いし政府でも県でもマスコミでもどこでも監視状態にあって「安全神話」は作られていたからである。

それでも津波だと生徒に津波が来たらてんでばらばらに早く逃げろとか先生が教育していた生徒はそのように逃げた助かったのである。
それは津波が来るということをそこでは経験していたからである。
緊急時には対処方法がわからないことが多い
津波のように咄嗟に判断を強いられることになるよと余計にそうである。
「津波は来ない」「津波が来たことがない」と老人が言い張り死んだ
老人だって津波を経験したことがないからそうなった。

かえって若い人とか子供は感がいい、柔軟性がある、臨機応変さがある。
それは海外旅行では若い人は言葉ができなくても外国に適応しやすい
それは感がいいから外国でも適応できる
自分は50歳で外国旅行したから適応できなくて失敗が多かった。
それは言葉ではない、感が働かないのである。
だから意外と子供は何もわからないから大人の指導に従うべきだというが津波という経験しないことについて大人も子供もなかった。
かえって子供の方が単純に感を働かせてすぐ裏山に逃げればいいというのが正解だったのである。大人はかえってめんどうなことを考えて津波が来る川の方に向かったのである。これは海外旅行すればわかる、何か変な所にゆきやすいのである。

感がいいというとき動物なども何か異変を咄嗟に感じやすいだろう。それは本能的なものであり津波でも地震でも事前に知ることはありえる、それは何か異変を感じやすいからである。そうでないと生き残れないから本能的にそうなっている
人間ももともと機械とか情報でも様々なも便利なものに囲まれていても必ずしもそれが緊急時に役に立つとは限らない、テレビで10メートルの津波が来るというときはすでに来ていたからまにあわなかったのである。
海の水や川の水が極端に退いたことはどこでも観察されていた。
だからそれをみて咄嗟に判断して逃げた人は利口だったとなる
テレビだけでは追いつけない、時間がないからである。
最初6メートルと言っていた、それだって聞いたことかなかった、次にすぐ10メートルが来るといったときはすでに津波が来ていたからである。

だから先生がまず子供は先生の指導に従うべきであるという日常生活が習慣となっているからその時子供が裏山に逃げるのがいいと言っても子供の言い分を聞いていられるかともなった、オランダのように先生も子供も平等意識があればそうはならなかったかもしれない。
「先生、裏山に逃げよう」「生徒の言うことを先生が聞くのか」
何かそういう習慣があり抵抗があり先生はなぜか危険な津波の来る川の方に向かい生徒を引率した。一旦山に逃げた生徒も先生の指導に従わせたのである。

今は何かみん機械とか情報でもテレビとかその他インターネットでもそうだがそういうものに頼っているが人間の第六感とかは衰えている
人間の感なんかあてになるかとかなるのが現代である。
数値で示して科学的なものは信じるが人間の感などは迷信だとかなってしまう社会であるでもなんか感というのがあたることも多い、なんか悪いことが起きるじゃないかなとか思うと本当に起きる、感が鋭いのは子供であり女性であり若い人である。
老人は経験はあるが感は鈍くなる、経験したことから判断するから経験しない津波とるなと判断できなくなっていたのである。

今の世の中は複雑であり経験しないことなどいくらでもある。だから経験からも計れないのが現実である。人間が一生で経験することは極わずかなのである。
職業もこれだけ複雑で多いからどんな仕事をしているのか理解しにくいのである。
ただその経験した人から直接聞くのが一番参考になる。
それでいろいろな人に聞いたことをプログで書いてきたのである。
ただその聞くにしてもまた限られている、オランダの大使館に勤めた人など田舎ではまれだからである。都会だったらそうしていろいろな外国でも経験した人がいるから違っている、そこが都会と田舎の差だとは言える
一方で都会の人は農業のことなどは無知だとなる。都会はまた人工的空間だから自然を直感することがない、そこで自然災害に都会は弱い、あまりにも人工的空間化していることは自然災害に弱いのである。
三陸のように裏山で清水を飲み薪で米を炊くようなこともできないからである。

大川小学校の悲劇はやはり緊急時にどう対応するかで教訓になっている
まず津波の備えが先生にもないから生徒にもなかった、ただ子供の方が感がいいから裏山がすぐなんだから逃げればいいと単純に判断したのが正解だった。
大人の方は先生はかえってむずかしく考えたのである。
ただ一人の先生は裏山に逃げて助かったし子供でも裏山に逃げた生徒は助かったのである先生でも意見が分かれ多数決で判断して誤ったとなる、それが生死を分けたのである。
だから多数決が緊急時にはいいとはならない、かえって危険となり命落とすことにもなる民主主義は何でも多数決で決められるからそこにも落とし穴があった。
多数決が絶対だということはないてのである。かえってそれが危険なものとなり全員が命を落とすことになるという教訓でもあった。

ただ緊急時にどういう判断をするかは個々人でも全体でもむずかしい。
自分だったらどうなったのかと考えるとわたわたしてすぐ時間がたったらたちまち津波にのまれていた可能性が強い、すぐに逃げにくいのは家にいろいろなものがあるからであるなにもかも一瞬に捨てて逃げることは簡単にできないのである。
津波に対処しにくいのは緊急時に判断が誤るのは時間がないから考える暇もない、即座に判断して行動しないと死ぬからである。
動物だったら別に何も執着するものがないから即座に逃げる、だから動物の方が緊急時には強いともなる、それで犬に引っ張られて津波から逃れ助かった人もいたのである。

人間で意外と大事なのは柔軟性である。年取ると柔軟性がなくなる、体ってそうであり柔軟性がなくなる、ただ老人の強みは経験していることである。
でも何か新しいことに柔軟に対処できないのである。新しいことを学ぶことがしにくくなる。、海外旅行というと異次元の世界に入るからそこに柔軟に対処できないのである。
柔軟というとき学ぶことでもそうである。学び方がよければ学問も好きになることがあるともかく柔軟な思考は一つの見方に固定した見方にとらわれないことである。
何でも様々な見方があり一つの見方にこだわると緊急時でも対処できなくなる
現代は複雑だから柔軟に対処することがどこでも強いられているがそれがむずかしいのである。


posted by 天華 at 13:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 津波、災難の対処

一つの抽象画から変化する(リンゴから山へ) I change from one abstract picture (from an apple to the mountain)


一つの抽象画から変化する(リンゴから山へ)


I change from one abstract picture (from an apple to the mountain)

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抽象画は一つできるとそこから必ずいくつか変化して作れる
このリンゴは意外だった
自分はリンゴが好きであり毎日一個は食べている
果物が何でも好きである。

グローバル経済は悪く言っていたが世界の果物がた食べれることは幸せである。
かが果物でも日本で作れるものが多くなった。
リンゴにば種類があり地元でとれたリンゴで本当にうまいのがあった。
ただそれは後は食べていない、また食べたいがどこで売っているかわからないのである。
リンゴは青森産だけだと思っているが今はいろんな所で作っているのである。長野県辺りまで作っている、そこにもうまいリンゴがある
だからこのリンゴの抽象画は自分ながら気に入ったのである。
様々な養分が入っている、赤が中心でも他の養分が入っている感じになる。



When there was one abstract picture, some these apples to change, and to be able to make were unexpected by all means from there
Oneself likes apples, and one likes fruit eating in anything every day.

The global economy spoke ill, but it is happy that world fruit can eat.
The things which could make even かが fruit in Japan increased.
There was really delicious one with the apple which there was apple にば kind, and was produced in a hometown.
Do not only eat it afterward; want to eat it again, but sell, or do not know it anywhere.

The apple thinks that it is only Aomori product, but makes it now in various places. With the apple which is delicious there making to the Nagano area therefore liked the abstract picture of this apple in spite of being oneself.
Red containing various nourishment feels like other nourishment enters at the center.

2016年10月29日

菊(北風が吹いて寒くなった)


菊(北風が吹いて寒くなった)

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いつも行く垣根に菊や路次曲がる

知る人の今日も畑に菊映えぬ

前畑に蔵ある家や柿なりぬ

蔵の壁秋の日さして畑あり

北風の鳴りて蔵ある農家かな

日も暮れむ色様々や秋薔薇

ひまわりや道幅広くなりにけり

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モスバーガー



毎日同じ道を行っている、介護してから毎日同じ近辺を行っている、でもそこにもは味わい深いものがある、人間日々見ていても何かを発見する
何気なく日々見ているものに美がありそれに気づかないのである。

畑で知っている人がいつもいる、ただその人から聞くの畑仕事をする苦労だけである。
それだって別にそれで生活しているわけでもない、趣味なのである。
むしろ金を出してしている、その金を出させられたのが自分である。
トマト五六個もらったがあとは何ももらえないし家で仕事するというのも5,6分なのである。それで金をそれなりに払っている、だから割に合わないとなる

なんか自分は割りに合わないようになった。これまでは三食用意するものがいたが介護になってから食事は自分で作っているし家事も全部自分でしている
誰も自分のためにしてくれる人はいない、結局割りの合わない役が回ってきたのである。人間はつくづくいい役ばかりではない、役というときrollという英語になる、rollingするのが人間なのである。
自分は割りが良かったが介護になってからは本当に割りの悪い役が回ってきたということである。

蔵があり畑があり農家がある、こういう景色が落ち着く、なんかこの辺ではそういう当たり前の景色が失われていたからである。今も全部が回復したとは言えない、
今日は北風が吹いて寒かった。北風が蔵に吹きつけても何かびくともしない重みがある。ただここの蔵は古いというのではない、ただ蔵があるということは何か重みが備わる
でも今はあまり蔵は活用していない、それでも蔵あるのが農家だとなる

新田川の橋の方に行く狭い道路は広くなった。そこにひまわりが咲いていた、広い道路を行くのは気持ちがいい、あそこは狭すぎたのである。
広い道路にはひまわりがにあっていた。ひまわりがあそこには結構咲いていた。
秋から冬にはにあわないがひまわりの写真をとった。
他の人も見にきていた。大きいひまわりが見物だった。
他に農家で薔薇を栽培していた、やはり今は写真の時代である。
俳句にしてもなかなか言葉だけだとイメージできないからだ。

人間はおそらく狭い範囲で生活しているとそこにはあるものに愛着を感じてくる。
日々そこを通り見ているからそうなる、旅だと一過性で終わり記憶から消えやすいのである。記憶に残る、それが生活なのである。

モスバーガーには土曜日なのにがら空きだったのはなぜか?あそこは息抜きにいい、喫茶店で仕事する人もいる
あそこは気楽に入れる、何か店は雰囲気によって気分も変わる、、テーブルや椅子の並べ方でも気分が変わる
あそこは天井が高い、内部がくつろげるようになっている
マグドナルドとかは何か食べるだけというだけで嫌なのである。
今の時代は何か雰囲気が大事になる、食べるだけではない、そういう時代である。







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2016年10月30日

秋の日(穏やかな気分の詩-秋の日の木々)


秋の日(穏やかな気分の詩-秋の日の木々)

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秋の日の木々

(the peacrful lined trees)


川べりの土手の桜の樹々に
穏やかな秋の日がさしている
十数本並んだ樹
その根はその土地に根を張る
その樹に私はよりかかる
穏やかな日がその樹にさしている
樹はここにさらに深く根を張る
人はどこかに根を張る
いつまでも旅しているわけにはいかない
幸福をどこに求めるのか?
そが足元に求めずしてない
人はどこかに根を張らねばならない
川の面に鴨が波紋を静かに広げる
争うことなくここに群れている
今私は心から平和を感じた
様々な苦難と労苦に疲弊した
平和いづこにあるのか
そが足元にある
静かに根を張る樹々よ
平和ここにありて根付く
春には花が一杯にまた咲くだろう
日を浴びて青々と野菜はこの土地に育つ
秋から冬へと移る時期
樹はここに静かに並び立つ
変わることなくいつまでもここに・・・・




人間の気分も常に変わっている、気候でも季節でも人間関係でもなんでも影響して変わってくる
まず介護十年とか津波だ原発事故だとか災難の連続だった
自分の家も瓦礫の山となった津波の光景と同じだったのである。
火事場泥棒とか狂気が病気でも吹き荒れたし借金を求められて汲々としていた。
自分も病気になり弱り目に祟り目だった。
弱者化したときチャンスだと責めてきたのである。
つくづくこれが人間の正体かと思った。
ただ責めてきた人間も金で追い詰められていたのである。

自分の気分は30年くらいはなんかこんな気分であり波風もさほどたたなかった。
ただ家族関係ではいつももめていたがそれでもこんな平和な生活がつづいていたのであるそれが一挙に親の病気やら自分の病気やら介護など様々なことでそういう穏やかな平和な気分は失われた。それはこの辺全体もそうだったのである。
震災から5年過ぎてやっと全体的にも回復基調になった。
それでも避難区域だったところは小高でも浪江でもこうなってはいない
そこにも桜並木がありここと同じような場があった。
そういう場が失われたのである。
桜並木は残っていてもそこには人がいないとなる

結局平和とは何かというとき平凡なものなのである。そういう平凡なもののが意味あると気づかないのである。
さんざん苦しんだ結果としてただこうして並びたつ木々に平和を感じたのである。
避難した人たちも故郷の桜並木によりそこで再び平和を見いだしたい感じたいなるだろう要するにそんなことは当たり前だったがそれができなくなったのである。
いづれにしろ介護は相当に疲弊させる、家の中がそういうふうになるともう平和はなくなる、かえってそれにつけこまれたりする、それが人間の悪質さだったのである。
でもまたそういう人も苦しむようになるのが人間なのである。

今年は夏が長くつづいた。それでどうも今頃になると確かに北風が吹いたし寒くなった。でも秋深しと感じない、秋が短いからそうなったのかもしれない。季節感が狂ったともなる。熱帯化した日本になったからである。
秋が短くなったのである。そして冬が早く来たという感じになる。

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桐の花患いなしに昼の月

桐の花が乱れずに咲いて患いがなかったのである。その時自分は仕事もしていないし三食も用意されていた、ただぶらぶらしていたのである。
そういうふうに時間を過ごしてきたことが今になると不思議だとなる
今はそういう人が若い人でも増えている、やはりそれだけの余裕があるからそうなる
でも団塊の世代ではみんな企業戦士になっていたから自分のように自由に過ごしていた人はまれである。
今になるとこうした平和はつづかない、30年間平和だったということが相当に恵まれた時代だったともなる。時代的にも何か必ず不穏なことが起きてくるからだ。
それは個人でも同じであり一生恵まれて平和に過ごせる人などいないのである。
何か苦しいことが必ずあるしそういうことを前もって経験していればかえっていいとなる苦しんでいないとあとで必ず苦しむようになるからである。




タグ:平和な樹々

2016年10月31日

高齢化社会に合わない車社会 (認知症の事故もこれから増える)


高齢化社会に合わない車社会

(認知症の事故もこれから増える)

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しかし認知症高齢者の自動車運転による事故は後を絶たず、認知症と診断されながら車の運転を続けている人は、予想以上に多いとみられている。とくにそれは、ほかに交通手段のない地方で顕著であるということだ。

車社会というのが高齢化社会に向かないものになった。それでも田舎でも車なしでは生活できない、街から離れて暮らす人が多いし田舎では一人一台車をもっている
だから80歳以上でも車を運転している人が多い、農業するにも軽トラックが必要になる
田舎の方がエネルギーを消費する量が多く省エネではないというのもわかる
つまり車のエネルギー消費は膨大なのである。

車はまた人間の精神にも相当に影響した、車を歩くことと自転車とか電車と比べてもその影響するものが大きかった。
キレルというとき老人が切れやすいとか言われるようになったがそもそもそれは老人だけではない、車社会が切れやすい人間を大量生産したのである。
自転車は車にとって目障りである、突然横切ったりするからである。
だから何回もどなられた、「馬鹿野郎」とかどなり走りさってゆく
それは自転車にも非があるのだが車優先社会だからそうなっている
車は人間が中にいるということも外から認識しにくいのである。
ただ車という物体が高速で突っ走る、その中に人間がいるということも認識しにくい
切れやすい人間を作るというとき車という道具がそうしたのである。

例えば人間は牛馬を使っていきときは牛馬は生き物であり牛馬のリズムがありそれに人間が従う、時間も牛馬のリズムになり急がせることができない、そして牛馬は生き物だから人間の情が通じ合う、それで馬と娘が結婚したとういう民話が生れる、曲屋で家族のように暮らしていれば当然そうなる。
つまり車社会とは全然違ったものとして構成された社会だったのである。
その時動物と交わるから動物も生き物だから人間も情が豊かになる、今はこれほどペットブームになるのはそうした情が育まれるものがなくなったからである。
車を相手にしては便利でも情が育まれないからである。

旅をするにしても歩く旅と車の旅とか電車の旅とか船の旅でも相当に感覚的に違っている一番記憶に残るのは歩くたびである。でも現代はそれができない、車社会にのみこまれてしうまからである。
外から見ていても歩いて旅している人がいればあの人は旅人なのだなと見る。
するとそこで旅人があるいてゆくということで俳句になったりする
つまり歩くことは今や何か特殊な絵になる光景にもなっているのだ。
なぜなら道路に見るのは接するのは車だけだからである
江戸時代の浮世絵を見ればみんな歩いている姿でありそれが絵になっている
歩く旅が一番人間にとって自然な姿なのである。

これまでは自然のリズムと人間のリズムがかけはなれたものではないものだった。
乗り物でも船になると海でも川でもゆっくりすすむ、早くすすめないのである。
船でも帆船だったら風の影響があり風に左右されることは自然の影響を受けることになる何か自分が旅をしてきたが船旅が好きになったのはゆっくりしているからである。
たた船旅は時間がかかるからよほど暇な人でないとできないのである。
電車の旅でもずいぶんしたけど早すぎるのである。それで車窓から見た景色は記憶に残りにくい、それでなぜか駅名だけが記憶に残ったりしているのである。
電車の旅では意外と記憶に残るのが駅で待つ時間なのである。
昔の駅舎はなにか郷愁がある。そこは出会いと別れの場であり人間臭い場所だったのである。

ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく 啄木

上野駅すらこういう場所だったのである。これが新幹線の時代になると出会いと別れといっても何か待つ時間がないからそういう人間的なものがなくなる。効率を追求すると人間的なものがなくなるのである。経済的効率、時間の効率を極限まで計ってきたのが人間である。結果として人間がそこで奪われたものが多い、切れやすいというとき出会い分かれる人間的場も失われたのである。
街道に分去(わかれさり)という地名が残るときそこで人と人は分かれもう永遠に合わないということがあるから印象的な場となっていたのである。
そういう場は今はなくなった。ただ車は人間を無視して突っ走ってゆくだけである。
人間関係はキレルのである。

楽だ楽だと言ってエスカレターを利用していると子供もそれに右ならへしていると最後に石油がなくなってすでに脚が弱っていて使えず石油がないから電気も不足する事態が予想されるーエコロジー幻想(武田邦彦)

この本では著者が座っているとカルシムが消失してゆくとか便利なものに頼ることがかえって人間の力は消失してゆくと言っている
そういう文明の矛盾は科学者でも思想家でも常に指摘されてきたことである。
文明はともかく莫大なエネルギーの消費でありまた原発事故でもわかったようにそうして便利なエネルギーを追求することは自然破壊になった。
ソーラーパネルでもその光を電気にするためにはシリコンなど有害物質を作り出すことによって二酸化炭素を増やしているという。

原発事故では人間の生活そのものもを見直すことが強いられたのである。つまり原発も効率的にエネルギーを得るのにいいものとされていた。それもまた非常に危険なものだったからそうはならなかった。
肝心の土も水も汚染されたら住めなくなったからである。
いづれにしろ高齢化社会に車社会は合っていないのである。もう80過ぎたら運転は危険になる。でも車を手放すことができない、現代で車をもたないとか運転できないということはその能力さえないものとさされる
結婚するにしても車の運転もできないのそんな人とはねとかなる
車をもたないものは変わりものなのである。現実車をもたない人は能力的劣っている人も確かに多いから何か変な奴だともなっているのである。

自分が自転車にのっているのは何か自分は実際に車でもバイクでも運転すると危険だからである。いつも考えことしているからである。
自転車だと走りながら考えることができる、でも車だと何か外の景色を見て鑑賞することもできない、常に運転することに集中しなければならないからである。
何か考えことするようだと即事故になってしまうからである。
高齢化社会というとき負の面だけが強調されるがいい面として高齢者にあった生活は人間的なのである。スロー社会とかいろんな所で高齢者向きのものになるとそれは若者にとっても住みいいものになる、人間的な情でも人間関係でもそうである。
そうなると鬱病なども減るということになる。
車社会を全面的に否定はできないが何か減らすことが必要なことは確かなのである。
現代は物でもなんでも増やすことではない減らすこが望まれているのである。
効率的でなくても減らすことでもかえって人間的になり豊かになるという逆説の社会になっている、それで経済成長しないから困る、消費が増えないから困るというのは今までの企業優先の社会であり売る方の論理でありそれを変えねばならないのである。












介護は死から供養へと通じている (納得してくれる介護をしないと供養もできなくなる)


介護は死から供養へと通じている


(納得してくれる介護をしないと供養もできなくなる)


老人の介護となるときそれがふりかえると死ぬことに通じてその後の死者の供養にも通じている
死んでゆくことわかっている、だから介護と死者の供養は一体ともなっていた。
介護はみんな嫌だとなるが介護しないとまた死んでから後味悪いものとなる。
それで介護のときは嫌だとなりしたくないとなる、それもわかるが死んでみるとなぜもっと介護してやらなかったのか、親切にできなかったのかとみんな言う。
介護は人によって家族によってもみんな事情が違うから色々なのである。

自分の場合は特に良くしてもらったから必死になって介護した。
認知症になっても介護した。それで最後にわかってくれたこともあり介護して良かったなとつくづく思う。
そうしなければ相当に悔やんだことになる

なぜなら死んだらもう何もできない

この厳粛な事実を知る、死んだ人にはもう何もできない

こうしてしいれば良かったとかなんとか言ってももう死んだ人には何もできない、生きているときしかできない、そこに介護でも苦しいのだがないがしろにもできない事情があるただこう思うのは家族くらいであり家族でもそう思わない人はいる
親に苦しめられただけの人もいるからだ。
だから介護にはそうした家族の事情がありみんな違ったものになる
ただ施設の介護士などはそうした動機がもてないのである。
ただいくら金をもらってやるしかないとしたらそうなる
なぜいくらの金で安月給でこの人を介護しなければならないのかとなるからだ。

介護と死と供養は一連のものとしてつながっている、いくら良く介護したとしても死に向かっているのが介護だからである。
そして死んでみるともう何もできない、そこで供養するとなるのだがこれも実は介護と関係していたのである。
介護でも何か苦しいけど介護しないと何もしてくれなかったとか親切にしてくれなかったとか恨みを残すかもしれない、それは人によって個々の事情があり違ったものになる。
親戚の人は複雑な事情があるにしろ実の親でとないにしろずっと長く世話したのである。問題はあるにしろそうだった。後でもめたにしろそういう人を全く世話しなかった。
それで「ひどい娘だわ」と恨みを残して死んでいったのである。
その女性にも問題があり自分の家でも良く思っていなかったがその娘が自分の家にきて
「おばちゃんは金あるんだから金でめんをとみてもらへ」と血相変えて去って行った
その人は何も別に自分の家に来て何もする必要がなかったのである。
何もこちらで要求したこともない、要求できないことはわかっていたからである。
あの人はやはり苦労がたりなかったのかとも思う
今はどう思っているかわからない。

考えてみると人間が老いるということ死ぬということそれはもう若いときは二度ともどってこない、時間はもどってこない、あの時こうすれば良かったとかいくら後悔しても時間はもどらないのである。
何かそれと介護とかもにている、死んでからいくらもっと親切にすれば良かったと言っても相手は死んでいるのだから何もできないのである。
ではその後供養するとき、恨みを残したような人に供養できるのかとなる
墓参りしたとしても外からはあの人は供養していると見えても死んだ人はどう思っているのか、あなたはひどい娘だったと言って死んだ人に供養できるのかとなる

自分は苦しかったけどなんとか介護してわかってもらった、だから死んだ家族はそのことをわかってくれると思う
特別良くしたもらった自分だから当然ではあった。
死んだ家族でもそういうことを納得してくれれば供養しても死者と心が通じるとなる
だから介護の問題のむずかしさは介護から死から供養と一連のものとしてあることなのだそこに介護のむずかしさがあったのである。
意外とこのことが後で深刻なものになるかもしれない、なぜならもっと良くしてやりたかったとか親切にしてやりたかったと思ってもできないからである。
だから介護は苦しいのだけどないがしろにもできないことが死んでみてわかる

一期一会とか人間は死ぬからこそ生きている時間を大切にしなければならない、そのことが自覚できない、いつまでも生きているように思っているのである。
ともかく自分はなんとか介護したから心から手をあわせて供養できる
死者もそのことをわかってくれると思うとき心が休まる
何かこれは良心的な問題でもあった。死んでからもっと親切にすれば良かったとか思ってもできない、すると良心がいたむのである。
その良心は外面をいくら装っても偽ることができないのである。
死者はできなくてもなにもに語らなくても見ているという怖さがあるのだ。
死者には偽ることができないのである。

良い介護といってもそんなにはできない、自分はしなかったけど相手は介護してくれたなと見て死んでいったと思う。別に自分だけが介護するということでもない、問題は介護されている方がそれなりに納得してくれるることである。
介護でもきりがなくなる、別に胃ろうなどしなくてもそこで死んでも良くやってくれと思われることである。
恨みを残すようだったらあとで供養もできなくなる怖さが介護にはある。
自分は納得してもらったから死者に供養ができる、死者もわかってくれるということが偽りではなく死んでも心が通じていると思い供養できるのである。
人間は極限られた時間に生きるということを自覚できないのである。
そのことが人間の生をおろそかにする一番の原因だったのである。



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