【大川小津波訴訟】
(オランダの徹底した平等主義があればどうなったのか?)
本当に必死に行動したのかな?
「山へ逃げれば助かるべー」 って必死に訴えたのは生徒のほうだし
「大津波警報が出てます」 って必死に教師に伝えたのは生徒の親だし
それを小馬鹿にするように否定したんでしょ
なんだか正しい助言してくれてる人をことごとく排除した結果な気が
生徒や家族なんかよりも教師の判断が正しいんだ と言わんばかりじゃないの
鵜住居小学校・釜石東中学校は500メートルほどしか離れてないのに全員助かってるところを見ると
やはり教師の力量や教育の質の違いだね
日本は集団行動を強いるからな。
自分だけ高台に逃げようとすると
「何でお前だけ逃げようとするんだ!」ってよってたかっていじめられ
足の引っ張り合いがおこなわれるからな。
緊急時の対応はむずかしい、時間がなさすぎる、津波警報が来てからここでは40分後とかでも地震でものが落ちてきたりしてそれでわたわたしたらすぐに時間がすぎる
津波警報を聞いてもすぐに逃げる人はいない、津波はここでもそうだけど川を最初上ってきた。すぐ近くが川だけど見に行っていない、川に水が押し寄せていると誰かが言ったけどそれも見に行かなかった。川はすぐ近くだった。
500メートルくらい下の土手を津波が越えていたのである。
第一津波がこんなに遠くまで来るということを予想していた人は一人もいないのである。津波に対する知識がない、経験もないからそうなる
だからこれに対応するのはむずかしい、先生も10人も死んだのである。
それで責めるのは酷だとなる。
ただこれは学校とか先生の下で子供がいて起きたことである。そこに問題が生じた。
子供だったら先生の指示に従うように日頃から教育されているからだ。
その中でも山に逃げた方がいいと子供が言っていたという。それで逃げたこ子供と先生が助かった。
一方では先生の指示に従い助かった学校もいる。上の人の判断で助かったのである。
だからこれも誰が悪いのか?判断するのはむずかしい。
ただオランダのことで聞いてわかったことはオランダでは先生と教える子供すら平等である。子供が先生を嫌ったら先生まで首にさせられるという。
徹底した平等社会なのである。そういう国だとすぐに上の人だからと指示に従うということはないかもしれない、日本では上下関係の中で物事が決められてゆく、あまり議論もしない。
マスコミの権威にも弱い、上の指示に従いやすい、自主性がないのである。
だから最近マスコミを盛んに批判しているのはいいことなのである。
例えば極端な貧乏人のことをとりあげたがそれは嘘だったとかあるからだ。
「それ本当なの?」という疑問をもつだけで自主性が養われるのである。
その反面誰にも従わないということは危険なことにもなる、学校でも生徒が校長とか教頭に従い助かったということもあるからだ。
でもまた必ずしもそうした上の人の判断が正しいとは限らないのが問題なのである。
現代は大衆社会であり自由社会のように見えても大衆はマスコミとか上の命令に従う自主性のない人たちである。そこにナチス化する危険性が常にある。
カルト教団などは全く思考しないロボットの集団化しているから怖いのである。
オウムであれ創価であれ幸福の科学であれなんであれカルト教団は上のものに絶対服従である。何か逆らえば信心がないとなり罰あたるとか恐怖を与えて従わせる
そういう団体に属して教育されている人たちも何か緊急時には上の人の命令に従うだけだから怖いとなる。
平等主義というときオランダのように徹底して平等を追求していない、原発事故でも東電の社員と地元の人たちが平等ではないからそもそも話し合うこともできないから危険なもとものとなる、自分たちの安全を守れないということである。
その原因に東電の社員と地元の人たちでも政府でも平等になりえないからである。
科学者はお前らに原子のことがわかるかとなり相手にもされないからである。
民主主義はそうした平等性を追求しているがそれが日常生活では成されていないのである
オランダの子供たちだったら先生の言うことをきかないで山の方に逃げたかもしれない、それだけの自主性が子供でも養われていたかもしれない、「先生の言うことなど聞いていられないよ」となって山に逃げたかもしれない、ただこの自主性でも自由でも危険はあるやはり子供だから判断の間違いがあるからだ。でも今回は大人でも判断できない状態だったのである。
未経験なことはどう判断していいかわからないのである。
いづれにしろ原発にしても誰が決めるのか決めたのかとなる。その判断を誰がして原発が作られたのかとなるとはっきりしない。自民党が推進して民主党が受け継いだとなる
国民の間でも十分に議論もされてかったのである。
議論するにも判断するにもその前にオランダのように徹底した平等があればできるがそれがなければできない、科学者は科学を知らないものを軽蔑しているしそんな人たちと議論しないからである。自分たちが上だとなっているからそもそも見下しているからしない。それは医者でもそうである。何か患者が聞いたりすると嫌がある。医者に従っていればいいのだとなる。その根底にはそもそも患者とか看護師とかの間で平等がないのである。
患者は弱者であるから従うほかないとなるのである。
津波に関してはこれは先生の責任だといっても先生も十人死んでいるのだから先生も自分たちが助かることを考えればどうなのかとなる。
先生たちも判断しようがなかったし対処できなかった。こういうとき知ったかぶりするも危険である。先生ももしかしたら子供の言うことも正しいかもしれないと思ってもよかったのかもしれない、でも子供の判断に従うのも良しとしないことがあったかもしれない、か俺たちは先生であり俺たちが判断して生徒を導くべきだと思っていたのかもしれない
この辺のことはわかりにくい、つまりここでは津波に関しては無知であり誰の判断も正しいとはならなかった。
こういう判断は本当にむずかしい、生死を分けるからである。
日本人で砂漠を旅行した人たちが迷って水がなくなり困った、その時導く人が経験している人がいて水のあるところに導いてくれて助かった。
それはその指導する人が経験があったからだとなる
でも間違って導いたら水にありつかず死ぬということもあった。
そういう判断は運にもなる、人間は経験がないことに対処できなからである。
大川小学校の責任でも誰に責任があるのかとなるとむずかしい。先生も十人も死んだとなると責任が問いようがないということもある。
人間は何か重大な判断をするとき戦争するかしないとかでもどうして判断するのか大きな問題になる。原発に関してはほとんど国民的な議論にもならず50基以上も建てられたのである。
では今回のように事故になったとき誰が責任をとるのかというのが大問題になったのである。
オランダのように日常の生活で隔てなく平等があるとき議論もできるが平等がそもそもないのだからできない、その判断するのは上の人であり庶民は黙っていろとなる。
でも一旦事故になったら庶民が故郷にすら住めなくなるという被害を受けたのだからその前に地元の人たちとも平等に議論する態度が必要だったのである。
「あいつらには金をばらまけばいいんだ、原発のことなどわかりっこないんだから」東電とか政府ではそう思っていた。
つまりオランダのように平等意識がないからそうなっていたのでありそれが大事故になったとき大被害をもたらしたのである。
タグ:大川小学校