2016年10月20日

報道とは何かー報道に土着したものの眼が必要 津波や原発事故で思い知らされた


報道とは何かー報道に土着したものの眼が必要


津波や原発事故で思い知らされた



報道というときこれも何かとなると定義もできないし報道は今は多様すぎるから世界まで広がっているからニュース追うだけで一日すら終わってしまうだろう。
でも報道の基本は土着的なもの、一番身近に現実に生活する場からはじまる
それが今までの報道に欠けていたしできなかった。
日本全体になるとその報道も多様であり実際はもう報道されないことも多い
その中に重要なことがあってももう報道されない、その報道されないことに重要なことがある。
報道が多様だという全国版ではマスコミでは同じ話題を流す、それは視聴率最優先だからである。視聴率がなければ宣伝費も入らないからである。
すると視聴率をとるにはどうしても大衆向きになり低俗化するのである。
ただ数は力というとき政治でもそうだが報道でもそうである。
みんなが見れば読むとなるとそれだけ影響力がある、テレビでも百万とかの人間が見ているとなるとその影響が大きいのである。
だからこれまではマスコミの力が大きくなっていてマスコミが第三の権力とか言われていた。

そもそも報道は何かというとき報道でもいろいろあるからである。新聞でも様々なものが報道される、スポーツ欄もあるから多様である。自分はスポーツには興味がないから無駄だと思っていても多数が読むとなれば興味をひくためにのせる
スポーツは人間にとって必要でも別に報道することもない、そんなことに紙面をさくということが無駄に思えるのだ。だから今は新聞は一紙もとっていない
それで別に困ることがないのはテレビもあるからである。
テレビではやはり地域の報道をするから見ないとまずいということがある。
ともかくこの辺では津波原発事故後は外部からでも内部からでも報道される
必ず県単位のテレビでもこの辺のことを報道されない日はないのである。

この辺が看護師が不足しているというのもやはり病気になり入院したから気になる
そして200人も中通りの方で看護師が増えているというときこの辺から看護師が流出したからだというときなぜなのかとなり書いた。
それからソーラーパネルの植物工場は失敗して終わった。かえって電気代がかかってやっていけなくなったとかもこの辺独特のニュースである。
ただニュースというのはきりがなくなくある。
交通事故のことを自分がプログで報告したがその人は死んだというのも大きなニュースである。

では死亡欄には年齢くらい住所など書いてあるがそれでその人のことがわかるだろうかなにもわからないのである。そのことがまた大きな不満なのである。
自分は自分の母親のことを百歳で死んだからプログにその死顔をのせた。
安らかな死だったからである。それは相当に全国で見ている、要するに死顔をみるということは写真でもほとんどなかったろう。それがインターネットだとできるからである。
そんなことするな死者の冒涜だとか言う人もいる、ただどういう人が死んだのか?
ただ一行誰々が死んだだけではその人のことがわからない
死顔だけでも見ればこういう人が死んだのかとなる、こういうふうな死顔もあるのかと見るのである。
つまり情報は本当に一人一人がもっていて無限なのである。
ニュースはあらゆるものがニュースになるから無限である。
毎日人が地域でも死んでいるのだからそんなもの関心がないということもある。
でも地域で一人死ぬというとき何かそこに地域であれどういうことなのか、どういうふうに生きたのかとか知ることがやはり一つの郷土史であり郷土学だとなる

自分がプログで探求してきたことはそうした郷土を知る知らせる報道だった。
これまで報道していないのだから報道のことはわからなかった。
ただ俳句とか短歌を作っていても報道にはならない、報道の範囲は広範囲なのである。
最近地震で風呂のタイルとか壊れたがそのままにしていた。
風呂は福祉の湯を利用していた。ただ冬になると寒くなり湯冷めするのでユニットバスを設置することにした。
それを頼んだのはたまたま来た仙台のリホームもしている会社である
何かこの辺では瓦を直したときもいわきの会社であり地元では頼めないと思っていた。
忙しくて人手不足がつづいていると思っていたし何かみんな外部の人がやっているように見えた。それでちょうど全部セットでしてくれるのでいいと思い実印まで押して契約してしまったのである。
今日知っている人に聞いたら地元でもやれる、知っている人にも頼めると聞いた。
でも実印を押して契約したということは相当な責任である。
考えておきましょうとかにしておけばこうはならなかった。

それで石原慎太郎が東京都知事としてハンコを押したことは責任があると問題になったことを思い出した。
ハンコを押すことは契約することは責任を負うことになる
東京都となると大きいからその工事も巨額の費用を払うことになる
家のことならたいした金でないにしてもリホームは金の額は大きいとなるといろいろ普通は考えるのある。アウターサービスがどうなるのかとかいろいろあとで考えて簡単に契約したのが失敗だったとも思った。地元だとアフターサービスはいいからである。
こういうことも経験しないとわからないし自分には社会経験が欠けていたのである。
石原慎太郎も作家でありそういう社会経験に欠けた所があったかもしれない、そもそも一週間に一回とか役所に行っていなかった。
それでただハンコだけ押して後で責任はとらされるとなると怖いことである。
家単位だったらそういうことはなかったのである。
でも家をマネジメントすることもやはり社会生活の基本にあったのである。

いづれにしろ報道とは何なのか?これは本当に範囲が広すぎるのである。
この辺ではまずプログに書いてきたように様々なことが知ることが強いられたのである。放射線量がどうのこうのとこれだけでも理解することが最もむずかしい
科学に弱い自分はとてもそれに答えることはできなかった。
ただ地元ということでいくら科学よ弱くても東風(こち)が吹く時期を知っていたり地元ならではの土着しているものの強みがあった。
これは外部のものにはもてないのである。土地勘はもてないのである。
何か事件があってもやはり土地勘がないと理解できないことがある。
そういうことは土着して生活していなとわからないのである。

土着というとき今は何かその言葉自体が過去のもののようになっている、農民が八割の時代はみんな土着する生活だった。
土着というとき土に着くとなる、その土地と一体化した生活である。
その土地の自然と一体化した生活がありそれが土着である。
報道がそれと関係ないよう見える、全国版とかなると土着的なものからはかけ離れたものとなる、でもそもそも人間の認識する土台はその実際に生きているそれぞれの土地にあることは変わりないのである。
だから報道というときその土地に日々生活して精通したものが報道に向いている
その土地の景観でもどこが美しいとか自然の特徴でもその土地の人が知っている
それからその土地の歴史でもそこに生活している人が地理でも詳しいから歴史から報道する、それも今回は津波とか原発事故で強いられたのである。
400年前にも700人が溺死したと相馬藩で記録していた。それも知らなかったのである。
そういう過去も重要なものとしてクローズアップされたから歴史にも通じていないと報道はできない、報道とは広範囲な知識と見識が必要になる、それは一人個人ではできない、手にあまるものとなる

ただ報道というとき福島県でも広すぎた、その広すぎることが理解するにも必ず誤解生れる、国(くに)というとき実際は相当に狭い範囲のことでありそこから国を治めるスメラミコトが生れた、スメとは狭い範囲の王のことだった。
福島県はハマ、ナカ、アイヅに分かれ気候も違っている、地理的に一体感をもてないのである。
報道というとき福島県の報道となると様々なことが報道されても深く報道されないししりえないのである。
そして欠けていたのは例えば相馬藩内の報道がなかったことである。
それは福島県のさらに相双地域版とかとして報道していた。
でも相馬藩内の相双版としての報道が必要だった。そのことを痛感したのは津波と原発事故だったのである。
これは生命にもかかわるものとしてつきつけられた問題だったからである。
原発のことをこれほどの被害になったように地元で報道して地元の人が関心をもつべきものだった。

小高でも東北電力ですでに原発の工事がはじまる予定だったのである。でも小高に原発を建てられることも知らなかった、そんな重大なことが知らない人が小高を離れると普通にいたのである。それは原発に関心を与える報道がなかったからだとなる
また権力でおさえられていたということもある。
ここに報道がいかに重要かということを思い知らされたのである。
福島県の報道でも雑誌が二つあり新聞社が二つありテレビ局が五つありとかあっても報道されない、ということは関心ももちえないということにもなる
まだ報道するにも新聞とかになると金がかかりすぎるから一個人などできない
そこにも大きな問題があった。インターネットが普及して一個人でも報道できるようになった。ただテレビとか新聞からするとまだ弱小メデアである。
ただ相馬藩内であれ福島県版ではないもっと狭い範囲での報道が必要だったことは間違えない、福島県全体になると広すぎるからその土地に精通することはむずかしいからである

人間は知らないことが致命的になる

津波で原発事故でもそうだったのである。
タグ:報道とは

復興住宅を作った人たち(詩) (それはほとんど外部の人たちだったー作る現場を見ていると価値がわかる)


復興住宅を作った人たち(詩)


(それはほとんど外部の人たちだったー

作る現場を見ていると価値がわかる)


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毎日私はその人たちを見ていた
夏の盛り汗を流し家作る人たちを
入道雲が湧きあがり蝉が盛んに鳴いた
九州から北海道から全国から
ここに働く人たちを集まった
地元の人もここで働いた
地を均し土台を築き家を建てた
私は毎日その人たちを見ていた
ボランティアも津波の被害の家の泥をかきだしていた
その後もいろいろ働いていた
しかしこの時多くの地元の人は何をしていたか
パチンコ屋通いでありギャンブルに興じていた
それは年寄りばかりではないだろう
若い人もいたことは確かである。
まだ働ける人たちはいた
その矛盾は何だったのだろう
人生の時は常に過ぎてゆく
たちまち過ぎて時間は消失する
その時は還ってこない
若き人よ、力ある時力をふるへ
その力はいつまでもない
汝らをたちまちに老いが襲う
そしてふりかえり人は後悔する
この復興住宅を建てたのは誰ですか
全国の人たちです
私の父や母や祖父母は何していたのですか
ギャンブルしていた人が多いな
今住んでいる復興住宅はほとんどは全国の人たちが作った
津波のかたづけも除染もみんな外部の人たちやった
この復興住宅は他でも金があれば買える
でもここにはこうして人間の汗があって作られている
暑い最中を汗流して働いている人たちがいた
それを忘れてはいけない
あらゆるものにはこうして人の労働があって産み出される
機械があっても人間の労働は消えることがないだろう
人生のときはたちまちすぎる
なぜその時人は労を惜しむのか
人か苦しみそして困っているときに
何か価値あることを成せ
価値あることを成す時間は限られている
そしてたちまち時は過ぎてゆく
そして後の世の人に問われるだろう。
孫とかにも問われるだろう。
あの困難のときただギャンブルに興じていたのか?
復興に尽力したのは全国の人たちであり地元の人ではない
そのことを知ったとき何を思うだろうか?


毎日復興住宅を作るのを見ていた、異常に暑いときがありその時働けるような状態ではなかった。でも働いていた。
自分は毎日そこで働く人たちを見ていただけであった。
でもその働く人たちを見ていたが故にその働く人たちの価値を知り復興住宅の価値を知ったのである。
現代はともかくこうして物があふれていてもその物ができる現場を見ていない
第一外国になると見ようもなにもないのである。
バナナとるもに苦労があると経験した人は言う。
何でも物があふれていても金を出せば買うことができるじゃないか、買うということには何の苦労もないのである。
そして金がある人は消費者は王様となり買っている人が偉いのだとなっている
金をもって金を出す人が偉いとなる

それで小高の人が鹿島の人は助かったのよね、私たちが買ってやったのだからと言っていた。それもあるけどそういうことが原発避難者が傲慢に見えたのである
放射能被害は広い範囲であったからである。もちろん故郷に住めなくなったからその被害は大きいののだから被害者は当然だとなりそれを言うと怒る
でもこの辺で起きたことは金があるからと威張っていいのかということがあった。
それで反発されたことがあった。
そして復興に尽力したのは外部の人、全国の人たちだったのである。
そのことは心にとめるべきことだろう。
それはあとでそのことが言われようになる、人間のしていることはその時代や時々でわからないのである。
それは人生でもそうである。あとになると明らかになりその時していたことがわかる
そしてみんななぜ時間を無駄にしたのかと後悔しているのである。

いづれにしろその時々何をなすか、何に時間を費やすか、それが何の意味があるかはその時わからない、後でわかることが多いのである。
その時自分の家に苦しいとき来た人はパチンコ屋で働いていたのである。
そのことが憤りになっているがその人は何も感じていない、借金で追い詰められていたか何が有意義かどうかもそんなことはもう眼中にもなかったからである。

「価値をあること成せ」と言っても何が価値あることかわからない、ただその時々のことに無意味に時間が費やされることが多い、そしてたちまち時間が過ぎてしまうのが人生だとなる、価値あることを成す時間、有意義なことを成す時間が極めて人間には限られているのである。
また何が価値があることかわからないことも多いからそうなる
つまりこの世で一番浪費されているのが時間なのである。
例え億万長者でもやはり時間は消失する、いくら金があってもその人が価値あることを成したかどうかわからないのである。
金は多くもつことができても時間はみんな平等にしかもつことができない、長生きすればもてるがそれでも限られているのである。

この辺はともかくいろんなことが問われた場所なのである。
だからこの辺のことを知れば何かいろいろこれからも参考になることがある
それで自分のプログなども全国の人にも参考になる
それはここだけの問題ではなかったからである。

人を苦しめたものは苦しめられる
人を悲しませたものは悲しまさせられる
人を助けたものは助けられる
その時々に成すことが還ってくる
価値あることを成せばその価値は消えない
それは金で報くえられるとは限らない
天に神の帳簿に記される
神の貸借表に記される
それはカルマの帳簿ともなる
天に宝を積めとはそのことだろう
地で計られない価値が天に記される
上にたつ者よ、金持ちよ、心せよ
汝らは知らず人を悲しませ苦しめることあり
そのことが汝らにカルマとなり返ってゆく

つまり必ずこの世には人生でもカルマの原理が働いている、それがその時々にはわからないがあとで判明する、あまり復興住宅を建てるような人でも底辺で働く人は注目されないでもそこには金だけでは計れない価値もある。
金融とかで稼ぐとはまた違った価値である。
ただ人間の価値はあまりにも多様なのである。では旅ばかりしていてそこに何が価値があるのか意味があるのかともなるがそこにもある。それは書いてきた。
遊びにも価値がある、ただギャンブルは別である。
何が価値があるかというときその時や時代でも違うし場でも違うしその時々の状況でも違うし価値を産み出すのは様々な条件によって違うのである。

何気ないことでもちょっとした一言でも人を助けることもある。
人間の行動はどういうふうに作用するかわからないのである。
自分が復興住宅を作る人を見て価値を見いだした。
でも作った後、完成品を見て住む人はこういうことは感じない、働いている所を見ていないからである。歴史的建造物でもそれが作られた苦労はもう実感できないのである。
だから歴史的なものに価値を見いだすことはむずかしいのである。
昔だったら機械がないから人力が主だったとすると何作るにしろ膨大な労力がかかっていた。ピラミッドなどでもそうである。その作る現場にいたら驚きだったろう。
でも一旦完成品を見ているとそうした人間の労力を感じないのである。


posted by 老鶯 at 21:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年10月22日

秋の短歌(相馬市から家の近辺)


秋の短歌(相馬市から家の近辺)


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玄関に舞いて去りにき秋の蝶

十数個石を並べて秋の風

秋薔薇鹿島駅舎の古しかな

誰か見る路地裏行けば秋薔薇

秋の風ロードに走り鳥の影


城跡に秋の日ざし静なり二人よりにつ歩みけるかな

城跡に石垣残り秋の日のさして偲べる昔なるかな

相馬市に古本一冊買いにけり秋の日のはや没りて暮れにき

宇多川の水清らかに鮭上る実りの季や城跡たずぬ

相馬市の路地裏歩み病院に勤める人の家秋の日暮れめ

今日もまた一羽舞い去る秋の蝶街の通りの静かなるかな

我が庭にジョウビタキ来るかな季節の移り今日感じぬ

青々と野菜の葉広く畑かな秋の日さしてここに育ちぬ

留守にせし部屋に満ちにし百合の香や我が帰れるを花は待ちにき

木の下にあれば木の葉のゆくりなく一枚散りぬ誰か受けとむ

今日もまたこの道行きて一枚のこの葉散りてあわれ深まる


真澄みの空に
鳩の群れ飛び回る
朝日さしまばゆく
地に黄金の実り
そを刈りとる季かな

相馬市は城下町で碁盤の目のような道になる。細い路地が多い。
そこで相馬総合病院でみてもらった医者の人の家が偶然にあった。
それはまちがいないだろう。
別に病院があるのだから医者の家もある。その人たちも住んでいる
でも医者というと病院ではお医者様でありその土地で普通接していない、
開業医は別だけど病院勤めだとその土地に住んでいてもまた別である。
ただ医者でも病院にいるときだけしか見ないからここに家があったのだとなと
不思議に思ったのである。
医者でも相馬市内で生活しているのだから当然だけど何か現代は病院とか学校とか役所でもその人たちが土地の人というよりそういう施設や組織の人間とみる
それからたいだい会社の人間として見ている

江戸時代とかなると農業している人がほとんどでありそれは土地に根ざしている、里の人であり村の人なのである。
まさに土着している人たちである。だからどこの村に住んでいるかでその人を判断していたのである。病院に勤めている、学校に勤めている、会社に勤めている、役所に勤めているとか何かそういうことはなかった。
そんなこと当り前だとかいうけど意外とそれが江戸時代から明治に変わってきて起きたことなのである。

近くの畑に青々と野菜の葉が秋のひざしをうけて育つ、これもまたここに日差しをうけて育つということで売っている野菜とは違う、現代はこういう単純なことが実感できないのである。都会だったら田畑がないのだからまず野菜を育つ場を知らないのである。
田舎だとこの野菜を食べて自分も育まれ生きているんだなとなる
それは復興住宅を作る人たちを見ても感じたのである。
それを作っている現場を知らない、ただ物がどこからでも入ってくる時代である。
そういうことから何か今の社会は様々な問題が生まれる
原発だって東電の人がその土地に生活していた、その時田舎で暮らすことがどういうことか実感する、もし事故が起きてこの土地が放射能で汚されたらどうなるだろうなどと考えたかもしれない、それが東京で暮らしているとわからないのである。

季節は常に変わってゆく、なんか今年は暑くなったり寒くなったり体調を壊す
鮭も上りジョウビタキも来た、これは渡り鳥である。まだこの辺では白鳥は来ていない
猪苗代湖にはすでに来ている
稲穂が黄金色に実る、鳩が群れ飛んでいる、これも気持がいい平和な気分にひたされる
今年は実りがこの辺ではかなりあった。ただ飼料米になるというのもすっきりしないだろう。せっかく作ったものが飼料米ではその米自体が価値がないとみられるのでそうなる
それでも実りがないよりはいいとなる
前は松原があり松原に実りが映えていたのである。それが松は全部なくなってしまった。これもあまりにも大きな変化だったのである。風景そのものがなくなるなど想像もできなかったのである。もちろん村も消失したこともである。

ロードで走ると気分がいい、実りの平野を走る、すると鳥が一瞬飛びよぎる影を見る
まさにこの時自転車と鳥が一体となる、鳥のように走るとはならないが自転車は車と違うから自然と一体化するのである。

日々ゆく道には木の葉が散る、昨日も一枚散り今日も散った。その一枚一枚を感じるというときその木の葉は一人一人の人間のことともなる
なぜなら毎日人が相馬地方でも死んでいるからである。
するとその死んだ一人一人どうだったのだろう、どんな人生を送ったのだろうとか思うのである

鹿島駅舎は明治以来のもので古いという、立て替えられなかったのだろう
ただあのような駅舎は良くみかける、普通あれは駅舎であり変わったものとは思えないし古いものとも思わなかった。でも当時から建てられたまま変わらなかったものだとなる
そこに秋薔薇がにあうとなる、鉄道というとき駅舎にも愛着を感じる
鉄道というのはバスとかとは全然違う、何かそれか生活を作ってきたという感じになる
だから引き込み線があり縄屋とか近くにあり梱包するために使っていた。
自転車屋は駅前にあるのは汽車で電車で運ばれてきていたからである。
前には国鉄の官舎もあったからである。その時代も昔になったのである。
タグ:実り

取手から来た歩く旅人 (秋の日に鹿島駅前で話する)


取手から来た歩く旅人


(秋の日に鹿島駅前で話する)


1871年(明治4年)- 廃藩置県により、常陸国に属した現・久賀地区が新治県、下総国の属した小貝川以南が印旛県に属する。
1873年(明治6年)- 小貝川以南が千葉県に属する。
1875年(明治8年)- 小貝川以南が茨城県に編入される。新治県は廃止され、久賀地区も茨城県となる。
1885年(明治18年)- 地積編成により、取手村と大鹿村が合併して取手村になる。
1889年(明治22年)- 市制町村制の施行により、取手村と台宿村が合併して北相馬郡取手町になる。

取手という地名の由来としては、戦国時代に大鹿太郎左衛門の砦(大鹿城:現在の取手競輪場付近)があったことから名づけられたと言う説が有力ですが、平安時代末の11世紀には、伊勢神宮の 相馬御厨として、取手市周辺がすでに史料に記されており、さらに13世紀になると、稲村、戸頭、高井、大鹿などといった地名も、相馬氏の領地として史料に出てきます。

このあたりが、取手という地名の発祥とも言われています。


鹿島駅前で案内板を見ている人がいた。

「最新必ず退職して旅する人に会います、昨日もここから相馬市まで歩いて行った人がいました、驚いたのは鹿児島から青森まで目指しして歩いた人です、その人も退職した人でした」
「私も九州とか東海道とか中山道とか全国歩きましたよ」
「そうですか、今の60代は元気ですよ、歩くことは疲れると思いますが結構歩いています」
「まだこの辺の浜街道は歩いていないので今回歩いているんですよ、双葉とか大熊辺りは歩けないので残念です」
「ここは相馬市に城跡がありますよ、六号線に道の駅がありそこから分かれた細い道が昔の街道です、そこに松並木が残っています、今はなかなか松並木がないですがあの松並木はいい松ですよ、あそこを歩いてみてください」

その人は何か相当に歩いている、歩いて旅することが老後の仕事にもなっているのか?
とにかくどこにでも退職した人たちが自由な旅人になっていることがわかる。
なにしろ暇あるし金もあるからだ。この前は50日間自転車で旅をしている人だった。
その人はテントを積んでいない、ホテルを泊まりながらの旅である。
札幌から自転車で来た人はテントを積んでいた。そして道の駅にテントで泊まった
67才でそういうことはしにくいがしていた。
ただ思うとフェリーできて八戸で下船して大洗までゆくのだからそれほどの行程ではなかった。数日の行程だったのである。
ただテントに泊まることはあの年では楽ではないと思った。
今日の人は相馬市にホテルを予約していた。なかなかこの辺でホテルに泊まれないからである。その辺は用意周到だった。ホテルに泊まればそれなりに金がかかる。
でも退職した人は金ももっているからできるのである。
ただ退職した人でも問題は体力とか一人旅する気力とかコミニケーション能力がためされる、だから結構楽ではないはずである。

「鹿島の右田浜の一本松見てきました」「あれは高いけど低い太い松が多かった、やはりそれなりに百年とかでも過ぎていたから太かった、松川浦の松はみんな細かったからです」
「津波でも原発事故でもこの辺は大変だったでしょう」
「どこから来たんですか」
「取手です」
「取手というと千葉県でしたか」
「いや茨城県ですよ、それには事情がありました、利根川の関係で改修があって分かれたんですよ」

取手という名前は覚えていた、常磐線で良く電車でその駅を通るからである。
ただそこで盲点だったのはすぐ近くに利根川が流れていた、その利根川のことは電車にのっていてもわからなかったのである。電車の旅は意外と肝心なことを見逃している

「歩く旅は記憶に残るからいいですよ、電車とか車だと記憶に残らない、あとでふりかえっても忘れている、歩いた旅は体で覚えるからいいんです」
「福島県を阿武隈高原を横切り歩きましたよ」
「そうですか、福島県は広い、だから六号線を旅する若者に自転車でも福島県を横断してみろというのですが六号線を走るだけの人が多いです」

福島県を知るにはハマ、ナカ、アイヅとあるとき横断しないとわからない、地理感覚として福島県がわからないのである。その人はそういうことまでしていることは相当に旅している、やはり退職していからけ全国を歩いていているから違っていた。
旅はやはり基本的には歩くことである。歩いて体で知るのがいい、でも車社会だから車にのみこまれる。六号線などはそうである。それで自分は歩く旅はしていないのである。
歩くとなると相当に疲れるだろう。途中でホテルがないと泊まることもできなくなる。
ただその人は電車でもバスでも便利なものを利用している、その中で歩くところは歩いているみたいだ。

ともかく人間は自分のようにこれだけ旅したとしても実際は電車とかなるとまず取手のことは皆目知らなかった。地図で見ると利根川がすぐ近くを流れている、ところが利根川にしてもこれは長い大きな川である。この川のことがなぜ見逃されているのか?
それは今や川は交通路でもない、ただ水が流れているというだけになっているからである利根川は水運があった。ただそういう歴史を知ることは利根川を知るというとき利根川を横切ったとしても橋を渡ったとしてもそれは長い大きな川の一部でしかないのである。
川を知るということはその長さを知るということである。それが日本では外国の川のように水運になっていない、外国の川はみんな水運があり運河のようになっていた。
そして街と街は川で結ばれていた。そこからハンザ同盟とかの商業自由都市が生まれたのである。この川のことを日本人は理解できないのである。
日本にないそうした長い運河のような川とか砂漠とか平原とか草原とかは日本にないのだから理解できないのである。
江戸時代は水運が物を運ぶのに大きな役割を果たしていた。ただ外国のようにもう一つその歴史が見えない、今になると日本の川は急流になったり浅瀬になったりして物を運ぶ船のことがイメージできないのである。外国なら今でもイメージできるからである。
最上川は深いしこれなら船も通れるというのでイメージしやすい、利根川はどうなのだろとうなるとこの川についてはただ電車で横切っただけだから皆目わからないのである。

取手市の歴史にあるように北相馬となり流山市も近いから相馬氏がここで栄えて移動してきた。だから取手でも相馬氏の先祖だから身近だとなる
旅をするというときまず地理を知らないと基本的なことが理解できないのである。
福島県を知ろうとしたらどうしてもハマ、ナカ、アイヅと横断する必要があるのだ。
それはかなりの苦労かある。時間もかかるし歩いたりしたら疲れるから自分は自転車で横断してもしていない。
なぜ自分がこうして旅してきた人とか仕事に来た人でも話をある程度あわせられるのはそれだけその場を踏んでいるからである。それでも日本は広い、だから取手は意外身近なんだけど知らないのである。
そもそも知るということはどういうことなのかというとそのスボットでも知るのにも利根川があるとしたらその利根川の全体の中で取手もあるから知るということは限りなくあるそれで例えその場に行ってもわからないということが多いのである。
今は車でも電車でも一部分を通りすぎるという旅が多いからそうなる。全体からイメージできないのである。

 日既に暮かゝるほどに、利根川のほとり、ふさといふ所につく。此川にて、鮭の網代と云ものをたくみて、武江の市にひさぐもの有り。よひのほど、其の漁家に入てやすらふ。よるのやど、なまぐさし。月くまなくはれけるまゝに、夜舟さし下して、鹿島にいたる。
 (芭蕉、鹿島紀行)

月明かり船の下るや鹿島へと

月見えず闇の深まり帰るかな

夜を船で下り明けて昼は曇り鹿島に詣でて夜は月が見えなかった。その当時は闇は深いのである。鹿島神宮には森があり暗いとなる。その暗さがあって月明かりで船で下ったことが印象的にもなる。月明かりは暗さがなっかたら映えないのである。
今はもう電気の光でそうした月明かりが消されている、東京近辺は特にそうなのである。だから昔を偲ぶことがむずかいしのである。

川上とこの川下や月の友

 今宵は名月。私はこうして小名木川の五本松で川面に揺れる月を眺めているが、この同じ川上には私の心の友もこれと同じ月を眺めているであろう。

 川上で眺めている「月の友」が誰であるかはもちろん分からないが、古来山口素堂であろうといわれている。

芭蕉庵は小名木川が隅田川に流れ込む河口にあり、小名木川沿いには芭蕉の門人たちの家がありました。芭蕉はたびたび船に乗って門人たちの家を訪ね、句会を催しました。

小名木川とう小さな川でも支流であり利根川とつながり舟運があった。江戸でも川船が行き来していた。時代劇の風景は水運が盛んだったことを示している。
写真にもでていたが広々として利根川が満々と水を湛えている、芭蕉が読んだこの句は小名木川とか短い川のことである。月の友といってもすぐ近くだともなる。  利根川は長いとしてもそれより上となると支流で結ばれているから実感がない。外国だったら遠くまで川で結ばれる友となる。それは実感であり違和感がないのである。ただ夜の川を下ることができたのか、月明かりで下ったとなる、月が明るかったからである。
でもなぜそんなに急いでいたのか?夜はやはり何か危険ではないか?
でも月明かりで船で下るとしたら詩的な絵画的な風景がイメージされる

旅の人鹿島の駅や秋薔薇

我が町によれる旅人取手より来るとしばし秋の日暮れぬ

プログはこうしてその時々書くといいのである。引用もしやすい、問題をある場所をどこまでイメージできるかである。この地理感覚がもてない、東京近辺るなると家がたて込んでいたりして昔の風情がなくなっているからである。そうなると昔を偲ぶということがむずかしくなるからである。



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小名木川と芭蕉

東京にもこれだけの歴史があったとしても川も狭いしビルの谷間になっているし昔を偲べないのである。
隅田川は広いからなんとか昔を偲べるが小名木川は狭すぎるのである。

小名木川(小奈木川)は、江戸の時代には「塩の道」と呼ばれ、徳川家康が下総国行徳(現在の千葉の浦安から行徳あたりにあった行徳塩田)から江戸に塩を運ぶために作らせた運河です。描かれている舟は行徳帰りの舟ということです。ちなみに、家康からこの川を作るよう命じられたのが小名木四朗兵衛という者だったことから、この川が小名木川となったようです。


五本松ここに名月や船いずる

江戸時代は江戸でもそこは自然豊なのである。自然と人工的なものが調和していた。だからベニスのように美しい風景になり浮世絵に残されていたのである。今はそうした自然と人工的なものが調和したものが見られない、ビルの谷間で小名木川も死んでいるし松もない。
だから江戸時代の江戸を旅したらそこは今の東京とはまるで違った美しい場所だったとなる。
それはもうイメージしないか限りない、現実にはもうないのである失われたのである。
その場に立ってもそういう風景がないのだから偲べないのである。

小名木川月の写りて五本松芭蕉の友は川の上かな





タグ:取手

2016年10月24日

宇都宮の焼死事件はなぜ? 60以降、一人暮らしでは問題が多くなる


宇都宮の焼死事件はなぜ?


60以降、一人暮らしでは問題が多くなる


宇都宮市本丸町の宇都宮城址公園付近で爆発があり、宇都宮中央署によると、同市針ケ谷町の元自衛官・栗原敏勝容疑者(72)が焼死体で見つかった。

5年ほど前から妻子らと別居、1人暮らしをするようになったという。別居前には、夜中に栗原容疑者の怒鳴り声が聞こえていたといい、


完全にカルトが爺さんから金引き出す為に妻側に弁護士付けてやって訴訟起こしたんだな。 
カルト犯罪が司法を欺いて、孤独な老人を爆弾魔に仕立て上げてしまったんだな 


この事件の背景は複雑である。別に老人の一人暮らしが原因とも思えない、離婚だとか裁判で金をとられたとか、嫁がカルトで金がとられたとかなんとかその背景が複雑でありいろいろなものが重なって事件になる。
何か事件とか犯罪は複数の原因があり単一では起こらない、要するに悪いことには悪いことが重なるのである。
そして60以降はこれまでのカルマが総決算のように起きてくる。そのことを自分も書いてきた。

ただここで問題にしたいのは高齢化の一人暮らしは問題が起きやすいことは言える。
その人は近所の人ととけあわない、変わった人だとか言っていた。
それは家族がいるときはそうでもなかったかもしさない、一人暮らしが5年くらいつづいていた。そしてテレビで言っていたが火事のことを気にしていた。
それが自ら火事を起こして死んだのも皮肉である。
火事というとき自分も家を留守にして火事になるところだった。
電気をつけたままで留守にしていた、その時仙台に行っていて後で気づいた。
それで電気鍋が熱くなり火事になところだった。
それから水道がもれて大量の水がでていた。隣の人が水道をとめてくれて助かった。
一人のために大金を盗られたこともあるし様々な困難を強いられた。
一人暮らしは様々な困難を強いられる、だからなんらか問題が起きやすい
一方でこの人は別に結婚しているから一人暮らしではなかった。
子供もいたのである。
ただその子供が問題児で苦労していた。嫁でもカルト宗教にはまっていたとありそのために離婚とかなったと議論されている。
家族があっても家族自体に問題が起きるからこれまた家族がいるから安心だともならない嫁と子供によって家族崩壊したからだ。

一人暮らしが問題になるというとき最近本当に一人暮らし独居の人が増えている、組で12所帯くらいしかいないのに4人は一人暮らしであり大きな家に一人住んでいる。
女性も多いのである。これは明らかに自分だけではない社会問題になる。
妻をなくした人はしきりに淋しさを言う、その人も広い庭と大きな家に住んでいる
だから何かその大きな家ががらんとして嫌なのである。
その人は二階には行かない、二階を嫌っているというのもわかる。
二階になると下が気にかかったり何か嫌になる、自分の場合はトイレが下にあるので嫌なのである。寝るときどうしても下に行かなければならないからだ。
今では平屋で物を少なく死んだら簡単に取り壊されるのがいいと思う
一人暮らしは淋しいから都会でも人の出入りのあるスーパーなどに集まるという、それもわかる。昼間でもがらんとして一人でいるのが嫌になる。
自分は自転車が好きだから走っていると気晴らしになる。一日がらんとしこた大きな家にいることが淋しさを感じるのである。

いづれにしろ一人暮らしは老人の独居が多くなるから問題がこれからも起きてくる。
そしてそうでなくても60以降はカルマの総決算が起きやすいのである。
経済的にもそうだし様々なことで問題が起きやすいのである。
伴侶が亡くなるとうことは相当な痛手である。また離婚したりするのも痛手である。
もともと一人の人でも両親とかがいなくなると痛手になる。
経済的問題もある。ただこの人は他の人より問題をかかえすぎていたのである。

どうしても一人なると一軒の大きな家を維持することそこに住むことが何か適しないとなりやすい、一人暮らしは何か野菜買っても古くなって食べられないとか家が大きいと修理することで金がかかったりかえって金がかかったりする。
まず家を維持すること自体が大変になるのである。家事するのだって家が大きいと手間になる。掃除するだけでも大変になる。
だからかえって共同生活がいいとなる面はある。でもこれもいろいろな人がいてうまくやることもむずかしい。必ず人間関係でもめるからである。
ただいたるところで一人暮らしの老人が増えてくる、するとゴミ屋敷とかも増えてくる。何かかたづけられなくなる。自分も様々なものをかたづけることができない
かたづけるのに何年もかかるのである。その間にまた物がたったりする。
なんか本半分してたとしてもまた買ったりしして投げにくいのが本でもある、それで捨てようとした本をもう一度読んだりしている。

現代は離婚も増えている、三分の一とかになり熟年離婚でも増えている、そうなると一人暮らしも増えている、近くの10匹も猫を飼っている、 猫ばあさんとか一人暮らしの女性もカルトにはまったりとか問題になる。カルト宗教団体に入っているのは何か問題があるから入っている
宗教とは別に関係ないのである。相談するところがないのでそんな場所にゆく、そこもまた危険な場所なのである。地獄に落ちるとかなんとかそういうことも背負うことになる
宗教は触るぬ神にたたりなしなのである。カルト宗教団体に入ることはすでに祟りを受けるだけなのである。
高齢化社会はいい面があっても実際はマイナス面が大きい、それでいろいろなことがこれからも問題になる事件も起きる。経済的にも医療費が莫大なものになっているのも問題である。老害になる方が多い社会である。
ただ今回の事件は何か個人的な事情があり高齢化社会の社会的原因ではない、個人的な事情のためだった。
でも一人暮らしで火事のことを気にしていたのは自分とも共通点があった。
大きな家になると配線などでも何か不安になるのである。
この人はまた話を聞いてくれる人もいなかった。だいだい困っても話を聞いてくれる人がいない、それで嫁も子供にこまり今度はさらにやっかいななカルト宗教にはまる。
結局妻の出来不出来が相当に夫に影響する、家族というのもなんらか問題をかかえてきるのである。

タグ:独居老人
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abstract picture(many chaging mountains) (ソフトの中の中の一つの操作を覚えると抽象画は作りやすい)


abstract picture(many chaging mountains) 


(ソフトの中の中の一つの操作を覚えると抽象画は作りやすい)



It is easy to make the abstract picture when I learn one operation of the inside in the software


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朝日の昇る山
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山の変化はソフトの中でいろいろあるが一つの操作を覚えれると山の抽象画がいくらでもできやすい゛それは技術的なものであり創作とは違う。

ただ変化させて何かこれがいいというときそれは自分の鑑賞眼として決めているのである自分がこうあればと創作しているのではない、だから自分のソフトで変化させる抽象画が創作になっているのかどうかわからない面がある。

それはただ新しいパソコンから生まれた芸術なのである。


It is easy to make the abstract picture when I learn one operation of the inside in the software

(it improving to manage software)


There is the change of the mountain in software in various ways, but ゛ it which it is easy to be possible for plenty is technical, and the abstract picture of the mountain is different from the creation when I can learn one operation.

I change it, and There is only an aspect not to know whether I untie it, and an abstract picture to change by therefore one's software which does not create it when there is oneself deciding it as one's appreciation eyes in this way is created as for it that some this has good.

It is the art that was merely born from a new PC.

2016年10月25日

「森と里の思想」前田俊彦(プルルトニウム研究者)高木仁三郎を読む (原発が作られるときすでに農村文化は消失していた)


「森と里の思想」前田俊彦(プルルトニウム研究者)高木仁三郎を読む


(原発が作られるときすでに農村文化は消失していた)

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億に近い金をもらってさっさと出ていった方がいいわけだ
なぜあそこに執着するかということは、作っている田に労力が貯えられていると同時に、周囲の風景にも消し去ることのできない思いが貯えられている


百姓が嫁さんにいくには衣食住についての百姓の文化と技術として身につけて行った
農村にゆけば貧しければ貧しいなりに百姓の文化があった。
ところが今は金銭的に豊に見えても農村に百姓の文化がない、あっても都市的な文化だから同じとして都市的文化なら都市のサラリーマンに行った方がいいとなる。



ここで語られていることは30年前の話である。それ以上に今になると農村はもう農村ではなくなっていた。グローバル経済の影響も大きい。日常的に外国産の食べ物を食べている農村の文化がないというときそれは何なのか?

近くの農家の出の女性は家で納豆を作っていたという、納豆まで作っていたのかという驚きがある。農家の人は戦後も食糧がないときでも鶏など飼っていたし肉でも卵でも食べていたのである。そういう農家は食糧がなくなっても自給できていたから戦後まもなくは農家の方が豊だったのである。それで都会民が高価な着物を農家に売って食糧に替えてもらったという話を聞く、そのことで農家を嫌う都会民がいた。

そもそも人間は農村に文化があったというときそれは日本では千年以上米作りしてきた歴史があるからそれが文化なのである。天皇がかかわる祭りとして大嘗祭があるのもそのためである。それが日本文化なのである。農村文化とは日本文化のことなのである。
農村文化がなくなったというとき日本文化も喪失したのである。

現代は全く違ったグローバル経済であり農村のしめる割合は一割とか生産高でもそうである。米すら外国産のものを食べるというとき根本的に日本文化は消失する。
農村の地位は低下する、遂には農村など日本にはいらない、あいつら補助金で暮らしているだけなんだよとか都会民に言われる、なぜなら昔の農民は自給自足だから都会民にとやかく言われることはなかったのである。
今だってもし炭焼きであり燃料を自給して貧乏でも生活していれば都会民に何もいわれないのである。
今はエネルギーでも石油が必要でありするとその石油を買うために車であれ電器製品であれ日本の会社が世界に売ることで石油を買うことになる、すると俺たちが苦労して働いて石油を買っている、それで農村に電気を供給しているとなり都会民の工業や商業に従事するものの地位が価値が高くなるのである。

外国でもグローバル経済になると果物でもなんでもアメリカでとれる、日本の電化製品であれ車であれ買う、だからアメリカの果物であれ牛肉であれ米さえ買ってくれとなるのである。最近赤い葡萄がうまい、なんかホリフェノールがあるとかで食べたから確かにうまい、それはカリフォルニア産だった、あそこは暑いから果物もとれる、ではそうした外国産の果物を食べられるのは日本で工業製品を売るからであり工業のしめるもの経団連とかの力が強くなるのである。日本の製品が車が売れなくなったりしたら外国産のものは馬鹿高くなり買えなくなるとかなる。
子供の頃バナナはこの辺で売っていない、バナナの叩き売りとかは秋市とか特別な日にしか売っていない、だから子供の頃バナナを食べた記憶がないのである。
自分の父親がバナナを食べたがそれは仙台に行って買ってきたものだったのである。
ミカンとか柿は食べていたが果物は日本産のものだけであった。

この本は30年前に出版されたものでありその頃にすでにこうした情況は作られていた。
それで80才になる人が農家の出だったが農業だけはやるなと殴られたという。
その人は原発で働き建築現場で働いたのである。そもそも原発の作られた地域は30年前ではない40年前とか出稼ぎでありそれで地元に仕事があって定着して生活したいということで原発を政治家がそれに答えて誘致したのである。
だから農民自体が出稼ぎを嫌っていたから原発があれば出稼ぎしなくてもいいとか積極的に誘致したということがある。農村は40年前頃からそういう状態にすでになっていた。

農村の文化というときそれはとても簡単には語れない、それは日本の歴史でもあるからだだから農村文化が消失するとき日本文化も消失するとなる、それは農村だけの問題ではないのである。グローバル経済というのは地域の文化も消失させる、TPPなどでもそうである。日本はただ車だけでも作っていろとかなる、果物でも米でもアメリカがいくらでも売ってやるからとかなる、そういう世界的分業化される、その時全体としての自然と共生してきた日本の文化自体歴史も失われるとなる。

ここで対談している人はフルトニウムの研究者だった、ただここで語られたのは三里塚の飛行場建設に農民が反対したことについてである。
原発についてはあまり語られていない、それほどまだ原発は問題になっていなかった。
なぜならフルトニウムを研究しているのだから原発の危険性を知っているがそれついて語っていないからである。そういう危機感はまだなかったのかとなる。

億に近い金をもらってさっさと出ていった方がいいわけだ

農村文化が失われていたとき当然みんなそうなっているのではないか?
親には農業は継ぐなと子供がなぐられてまでいる時代である。
誰も農業はやりたくないという時代である。現実に農業は過酷な労働が強いられている
機械化しても以前として人間の力が必要である。だから誰もやりたくない、金にもならないとか現代のグローバル経済ではやりたくなくなるのである
だからこそ実際は農業はやめて原発でも金が入ればいいと地元でもなっていた。
原発に反対するということは農民でも漁民でもほとんどなかったのである。
漁業者は積極的に漁業権を東電に売り渡して補償金を事故前も事故後ももらっているから生活には困らないのである。
そういう情況は原発が作られるとき時代的に作られていたのである。

それで何回も書いているけど果たして原発事故が原因だけで故郷にも住めないようになったのだろうか?そのことが疑問であった。すでにそういう情況が作られていて離散したともとれる。家族だって大家族が飯館村とかまだ残っているところはあったにしても親と子は別々に暮らす傾向があったし昔の村と今は全然違う情況もあった。
そのために原発事故で離散しやすいということがあった、そのことは小高でも帰らないというときその土地に昔のように執着していないということがあるのかもしれない。
純粋の農民も農村も消失していたからである。
億の金の方が価値があるという情況が作られていたからこそ故郷は捨てられたということもある。ただその心情はなかなか外からわかりにくいからいちがいには言えない
でも何か離散しやすい情況が作り出されていた、それが原発事故で一挙に表面化したともとれるのである。

芸術とか詩とかでも農村文化の上に成り立つものとしてあった。
風流だって俳句だって四季の感覚は農村文化から生まれている。
そういう基盤がなくしたとき芸術というのも底が浅いものとなる
すでに言葉が死んだというとき都会の中で自然の事物と言葉が結びつかない
ビルの谷間と雑踏の中で本来の言葉は死んでいる。
自然と結びついた言葉は詩であったがそれも死んでいる
自分の追求したものは農業ではないにしろそういう農村文化の基盤の上に成り立つものだったのである。
石や樹や山とか森はそもそも農村と生活と一体化してあったからである。

タグ:森と里
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2016年10月26日

深野の豪倉(郷倉)は昭和十年時代のものだった (緊急時とか飢饉の備えとして昭和に国からの意向で設置)


深野の豪倉(郷倉)は昭和十年時代のものだった


(緊急時とか飢饉の備えとして昭和に国からの意向で設置)


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  昔から瀬名は「瀬名千石米どころ」といわれ、田と畑だけの緑豊かな農村でした。
    江戸時代、領主に納める年貢米を保管したり、凶作に備えての貯穀、災害飢饉への備蓄米の非常救済や
    貸し付け米を保存するため大変重要な倉として建てられたのが「郷 倉」(郷は村・里をあらわす)です。
    また、「御蔵」「御倉」(ごぐら)とも呼ばれていました。
    隣にある付属番屋は、盗難や風水害から郷倉を守る常駐の蔵番(番人)をおいていました。
    時には村の会議所でもありました。
    
昭和9年に東北地方を襲った大凶作の際、心を痛めた天皇が下賜した救援資金に、国費と義捐金を合わせて建設されたとのこと。幸生の村民は、天皇の御恩と国民の同情に報いると同時に、自ら凶作に備えるため、共同で「報恩備荒田」を開発したとも記されています。http://www.jafore.org/blog/archives/2008/01/okura.html



今なぜこの郷倉に注目したのかというとこの辺の津浪や原発事故でこの辺が様々な苦難を強いられたためである。それはここだけではない、津浪の被害は東北の海岸線に大被害をもたらした。一時は外から物資が入らず困窮した。停電して水道も断たれた所も多々あった。その時、裏山の水を利用して薪を利用して煮炊きをして難を逃れた人たちがいた。
水も老人が歩いて運んでいたのである。車もガソリンがないと動かなくなるからだ。

南相馬市では市長がyutubeで外から物資が入らないと訴えて世界中で有名になったのは知られている。原発事故で放射能を一時恐れられて車で入って来なくなったのだ。
車社会でも災害時は役に立たなくなることが証明された。ガソリン不足はその後も一カ月くらいつづいたからだ。その時貯えてあるもので生活する他なかった。

自分の家では二週間分くらいの米が偶然にあったので電気も通っていたので煮炊きできた。ガスもあったから料理もできた。ただノリがあったのでオカズはそれくらいだった。
でも米さえあれば二週間くらいはしのげるものだと思った。
それでも電気とか水道が断たれればどうしていいかわからなくなったろう。
その後米はなくなったがその時鹿島区では古米が配られたのである。
その時助かったなと思った。米も切れていたし買うこともできなくなっていたからだ。
その後相馬市の方はスーバーもはじまり自転車で買いに行き楽になった。
その時はまだ車はガソリン不足で苦労していた。


現代のような便利な社会はかえって災害には弱い、電気や水道がたたればお手上げになる。でも災害時にはそうなるのが見えている。だから燃料の備蓄用として電気やガソリンや石油は使えないから危険なのである。むしろ薪とか炭とかを用意していなければならないかもしれない、そのことから一体農業とかでも減反政策とかでやる気がなくなり衰退産業になった。でも農林漁業のもっている意味はそれだけでなかった。
現代社会でもそれは郷倉の意味があったのである。
緊急時に災害に備えるものとしての意味があった。
国全体でも緊急時のために戦争でもあれば食料は入ってこないから備える必要がある。
そういうものとして農業などを保護してきたのである。
つまり現代では農林漁業などのもっている意味は価値は別なものとなっていたのである。

その時金より郷倉に貯えてある古米でも命をつなぐことができた。金を貯えていても何の役にもたたない状態だったのである。それは東京辺りでもそうなる。金がいくらあっても緊急時には役たたない、現物の方が価値がでてくる。だからそういうときは米があれば金がある人は金をいくらだしても買うとかなる。でなければ飢え死にしてしまうからである
郷倉と現代社会 (緊急時の備蓄機能として維持されるべき農林漁業の見直し)


深野にある、豪倉というバス停の地名が気になっていた。それと郷倉という知識はあっただから江戸時代からあったものかと思っていた。だいたい地名は古代にさかのぼり古いのが多いからである。
でも深野とかこの辺の郷倉は昭和以降のものであり昭和にまであったから新しいのであるだから意外だった。

郷倉は「恩賜豪倉」をさし救荒備蓄米を貯える村落の公共施設である。
昭和十年(1935)村議会でこのことが議案になった。
「昭和9年東北凶作に対して畏くも御下賜金の恩命を拝して・・」とある。

石神村の馬場と大原と押釜に設置された。深野は別にまた一棟作られた。
これはその地区のものだけではなく共同でも使用された。
深野だけは一地区で利用された。(原町市史)

深野の豪倉という地名は昭和になって地名化したのである。昭和になってから地名化するのはめずらしい。地名は江戸時代より古いのが多いからである。
ここで恩賜豪倉となっていて天皇から賜ったものとしてあるのもそういうことがあったのかと違和感があった。今なら政府の援助であり天皇から賜るということがないからだ。
そこに戦前と戦後の相違がある。戦争もやはり天皇が現人神(アラヒトカミ)とされていたからである。それは精神的なものだけでなく現実に天皇から賜るということでより身近なものとして意識されたのである。

今は豪倉とあってもそこに郷倉はない、でも地名化しているから必ず意識するのである。地名からだけ意識することが何か地理でも歴史でも多い、現実の建物などはなくなりやすいけど地名は残るからである。取手というとき砦(とりで)であったし地名からその地をイメージするのである。
鉄道の旅だとなぜか地名だけを記憶しているのが多い、辺りの景色は記憶されていないのである。

ともかく豪倉は郷倉であり昭和でもその役目があり作られた、それは政府の意向で政策でも作られていたのである。今なら備蓄することでありそれはどこでもしている。
ただ今回の津波と震災の経験では二週間くらい食糧も物資も入ってこなかったのである。一週間くらい米があったので食べていたがきれた。その時古米が配給されて助かったのである。それはまさに郷倉と同じことが成されたということである。
その時いくら金があっても何にもならない、なぜなら金があっても物は買えないからである。その時はいくら金があっても貯えても何の用にもならなかったのである。

ただ昔と現代の相違は一二週間でも蓄えがあり耐えられれば物資は外から入ってくる
その二週間くらいが問題なのである。水も食糧もないとなると耐えられなくなる
長期的なものではなくその短い期間をいかに耐え忍ぶかにある。
現代の盲点は交通が断たれると致命的になるのである。
だからガソリンが入らなくて車が延々とガソリンを得るために並んでいたのである。
車も役にたたなかったのである。そして自分は二週間過ぎてくらいから相馬市に自転車で買い物できたので助かったのである。
タグ:郷倉
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公園で出会ったオランダの大使館に勤めていた人の話 (外国は住んでみないとわからないことが多い)


公園で出会ったオランダの大使館に勤めていた人の話


(外国は住んでみないとわからないことが多い)


公園で何かしらの事故が発生した場合、ヨーロッパでは当事者責任になるが、日本では公園の管理者責任になるから、思い切ったことが出来ない。そもそもヨーロッパでは公園が「コミュニティーのコミュニケーションの場」という位置づけであるのに対し、日本では「避難所」という位置づけなんですって。考える根本が違います。


 ヨーロッパの公園は美しい。花や木、芝生、噴水などが調和を持って構成され、周囲の建物とともに一つの都市美を作り上げている。しかし、さらにそのうえに公園の美しさを引き立たせるものは、そこにたむろする人間である。ベンチにすわって何をするともなく周囲を見渡すもの、読書や編み物をするもの、世間話に耽るもの、そうした人間のくつろいだ姿、活動する姿を抜きにして公園や都市の本当の美しさを考えることはできない。その意味でヨーロッパの公園にしろ、都市にしろ本当の美しさを持っていると言えるだろうhttp://www.cwk.zaq.ne.jp/fkfzb100/j-talking/s45-park.htm

近くの公園のブランコに年寄りがいた。最近どんな人だろうかといろいろな人に話しかけて聞いている
その人の驚いたことはオランダの大使館に3年間勤めていたから外国事情に詳しかった。
この辺にもそんな人がいたのかと驚いたのである。

「外国の公園はいいですよ、日本の公園は規制が多いんですよ、芝生に入るなとかなんとかみんな気楽に憩う場所じゃないんですよ、外国ではみんなの生活の場なんですよ、車をとめる所もあるし日本の公園は全然違っているんですよ」
「日本の公園は子供の遊びみたいだけど子供少ないからそんなに遊んでいない」
「それより日本の公園は生活の場ではないんです」
「確かに避難所という役目があり生活の中に日常的にあるわけではないのかな」

そいんなことを話したが公園一つとってもヨーロッパと日本は違っている、同じ公園でも利用の仕方とかどういう目的で作ったのとか違っている。
外国は旅行しただけではほとんどわからない、その人は外国で生活したから外国の文化を肌で知ったのである。

「ヨーロッパで偉いというと牧師と医者しかいなんですよ」
「医者は日本でも一番偉いですから同じだな」
「医者は国で金を払っている、牧師でもです」
「日本では牧師は偉くないです、牧師はヨーロッパでは歴史が長いからそうなっているのか」
「オランダではヨーロッパでは偉いというのは日本で言う偉いとは違う、日本では教育長とか議員とか地位ある人や社長とかなると偉いとなるんですがヨーロッパでは平等意識が強いんですよ、タクシーの運転手でも教師した人などがしていて日本とは違う、例えば日本だと土木とか建築関係の現場の労働者は何か3Kで汚いとか嫌がられる、ヨーロッパではそういうことがないんです、平等意識が徹底しているんですよ」
「ヨーロッパというと貴族がいてその下に庶民がいて貴族と庶民の言葉が違うとか言われるけど」
「貴族がいたとしても少数であり今は平等社会だから平等意識が強い、私の知り合った人にモールという名前の人がいたんです、その意味がモグラだったんです」
「ええ、モグラですか、なぜそんな名前を」
「そのことについて問いただすと差別とかなるんです、何か貴族がいて庶民だんからモールとなづけたのかわかりませんがその名前はじていないんですよ」
「まあ、日本でも江戸時代は日本でも百姓には姓がなく名前だけでしたが・・・」

これも不思議な感じがするけど日本の方が平等のようでもそうではない、無効では学歴というよりどこどこの大学を出たから東大出たからと偉いというけではない、何かそうしたかたがきでその人を評価していない、その人は碁とか将棋が得意でありそれを教えたら評価されて何か必ずもらったという。
外国ではプロフェショナルというとき職業のことであり職業が何かということで判断するのは日本でも一般的に世界でもそうだが何かにプロであることが評価の基準なのである。どこの大学を出たとかは関係ないと言っていた。

それから日々の生活でもいろいろ日本とは違っているがそれはそこに住んで見なければわからないのである。

「隣に住んでいる人にあいさつしないで怒られたんです」
「あいさつは今日本ではしないですが」
「向こうでは必ず挨拶するんですよ」
「なぜしないは怒られるかというと教育上良くないからです、子供に影響するからです」「旅行しているとそういうことはないですが」
「旅行しているのと住んでみるのとでは全然違うんですよ」
「学校でも先生が気に入らないと生徒が学校に行かなくなって先生がやめさせられたことがあるんです」
「先生がですか・・・これも先生と教えられるものとの平等意識からそうなった」

自分もヨーロッパは旅行したけど表面的なものでありその国の事情とか文化とかはわかりにくい。文化は外国になると日常の仔細な所にある。そこから文化を考える。
つまり文化とは日常の生活にある、それが旅行者には経験できないのである。
先生と生徒も平等である、でも先生が気にいらないと生徒にやめさせられるというのは意外である。それほど社会全般に平等意識がある証拠でもある。

「これもしかられたのですが、車から女房をおろすとき、自分がドアをあけなかったんです、そしたらしかられたんです」
「レディファーストが厳しいから」
「それもあります、でもヨーロッパでは夫婦同伴になっているのは夫しか男性が財布をもっていて金は男性がもっているから女性は夫なしで外出できないんですよ、女性は自由に金を使いないんですよ」
「ええ、そうかな、ヨーロッパの女性は男女同権の国だからそんなことあるのか」
「女性に対する見方でも対処の仕方でも違っているんですよ」
「日本だと妻が財布をにぎっていて小遣いをわたされるている、日本だと妻の方が力が強いとなりますが」

なかなかこうしたことでもそこに住んでみないとわからないことが多いのである。
住んで体験しないとわからないことが世界には多いのである。それは本で読んでもなかなかわからないのである。
体験した人がそういうことがわかるのはそこで生活するから生活の中で外国の中にとけこまなければならないからそうなる。「郷に入っては郷に従い」となる。
だから外国で生活することは身をもって外国を生活の中で知ることになる。
おそらくレディファ-ストというのは女性を第一にするというより女性を守るということを第一にしている。
金が男性がもっているというとき金をもってなければ女性一人では外出もできない、一見女性優位のようにみえて女性を男性が守るという前提でレディファーストがある。金さえもっていないということは男性が経済的にも女性を守るということになる
女性はかえっていつも男性に守られている守らねばならないとなり受け身の存在だともなる。
日本人はかえって女性が妻が財布を握っているということは女性の自主性を認めているという結果になる
こういうことも何か外国はわかりにくいのである。実際そこで生活してみないとわからないのである。

その人がまたしきりに言っていたことは働き方である。

「私が残業していたとき最初はわからなかったのですが残業代もらっていたんです
でもあとから陰口があったんです、そもそもヨーロッパでは残業しないですよ
残業する人は能力がないとみなされているんです」
「ええ、どうして」
「ヨーロッパでは時間内に仕事をこなすことが普通なんです、それができないで残業する人は能力がないとみなされるんです」
「今日本人の働きすぎとか過労死とか批判されています、日本人は働き方が能率的でない、それで休みも少ない、つまりもっと能率的に働いて休みを多くとればいいんですよ」
「ヨーロッパでは一カ月の有給休暇がとれる、そのために金が支払われんですよ、でもそのために何で使った、何で遊んだかなど領収書などを示して払われんですよ」
「ちゃんと遊びをしたことを示さないといけないわけですか」

何か日本人の働き方は外国からすると違っているから理解するのがむずかしいのである。

「日本の労働時間は長いと言うけれど、喫煙休憩やトイレ休憩、隠れた私用電話の時間やお昼休憩などを除いた実質の労働時間は5−6時間なんじゃないの?要領が悪いよね。」(Daniel Sullivanさん)

「日本人は自分から進んで残業しているのだと思う。本当に早く帰りたいと思うなら、だらだらとエクセルしたり、意味のない会議に出席しなければいいんだよ。それでも忙しくて帰れないっていうんだったら同情の余地があるけど、実際は違うよね。」(Saxon Saluteさん)

それからカジノのことを言っていた。

「ヨーロッパのカジノは別に金持ちでなくても入れるんですよ、クラスがあって金がない人は少額の金をかけて遊んでいる、それが次の段階がありまたもっと金がある人は次の段階がありと分かれているですよ」
「金のあるなしでクラス分けする、それで金がない人でも遊べる」
「カジノはギャンブルするところだけじゃない、食事もできるし社交場にもなる、金持ちだけのものじゃないんです」

何かいろいろとカジノでも大金持ちがしているようでも貧乏人も少額の金をかけている、そういう場が用意されている、カジノは金持ちだけの場にはしていない。
ギャンブルでもヨーロッパではパチンコのように長くはしていない、ちょっとやっては帰ってゆくという。

「ヨーロッパで車を買うと高い、一千万もしますよ」
「自分は安いの使っていましたが苦労しました」
「そんなに高いんですか、トヨタは世界で売れている、でもそんな高いとなると買えないのでは」
「ヨーロッパでは平均的な暮らしは15万くらいですよ、ヨーロッパでは無駄なものは買わない暮らしです」

一千万というのは誇張だろう,それはずっと前の話かもしれない、でもヨーロッパはそれほど豊かな社会ではなくなっている、日本人の方が贅沢している面が今ではある。
そういう暮らしはちょっと旅行しただけではわからないのである。
いづれにしろこんな田舎にオランダの大使館に勤めた人がいるとは思わなかった。
今は田舎ですら国際化しているともいえる。広域社会でありグローバル社会なのである。それが否が応にもそうなっているのである。ただそういう人は本当にめずらしい。
これも郷土史の人として取り上げると興味深いとなる。
郷土史となるとどちからかというと田舎では一次産業の人が郷土史にふさわしいとなる。だからその中心は農民になるが現代はこのように農民のしめる割合は一割とは極めて少ないのである。では他の人は何をしている人なのか?
こういう人もいたということが驚きだったのである。

オランダというときオランダから割り勘が生れたように商業の国でありもともと階級とかの縛りがない自由の国だった。商人の国という国柄もあった。だから合理的なものがありそれがオランダの文化となった。
ヨーロッパなどではパーティが開かれるけどそこに呼ばれたり相当に親しいものとみられる、家族のように親しいものとみられるという。
だから簡単にはパーティには招かれないという、何かヨーロッパでは親しくなるときは兄弟のように親しくなる、家に来て勝手に冷蔵庫を開けたりするという。
家族の一員のようになるというのも日本とは違った慣習なのか、親しくなるということはそれだけ仲間意識を強くもつということにもなる、それは日本でも同じだがヨーロッパだと友達というとき家族のようになっている親しい関係なのである。
ともかく外国を理解することはこのように住んでなみないと実感としてわからないということがある、ただ人間は何でも体験がものをいう。
それ60以後の体験談は興味深い、つまり人生でなにかしら自分とは違った体験しているから興味深いとなるのだ。
ただこの辺でオランダの大使館に勤めていたとなるとなかなかいないだろう。
都会だったらグローバル社会だからいるがこのような田舎ではめずらしいのである。
いろいな人に話しを聞くということも郷土史の一ページとしてある。
いろいろの多様な人がいることで人間も面白いとなる。田舎だとどうしてもそうした国際性ある人は少ないのである。




2016年10月27日

オランダの徹底した平等主義は国の歴史と関係している


オランダの徹底した平等主義は国の歴史と関係している


A君は
有名工科大学の航空科を
優秀な成績で卒業し、
今は有名会社で
飛行機の開発に関わっています。


「エリート?
エリートってどういうこと??
その彼は飛行機が好きで、
飛行機の勉強をし、
飛行機の開発に関わっている。
ただそれだけのこと!
あのね、、この世に
”エリート(=優秀な選ばれた人)”
なんてものは存在しないのよ!!」

オランダの凄いところは
高学歴、高収入の
高い地位にある人たちが、
「人間の価値はみな等しい!」
「誰も偉くなんてない!」
と、熱くなるところです。

オランダの国土は
 ほぼ九州に匹敵・・4分の1は海面下
 堤防がなければ国土の65%が水で覆われる

 そこから独特の平等主義も生まれた
 『堤防の前ではみんな平等』 という思想
 堤防は全員が協力、対処しなければ守れない
 一か所でも決壊すれば国は水没する

 そこでは
 上下関係やヒエラルキー(ピラミッド型の序列)は 『 不要 』

 一般的な日本人のオランダのイメージはといえば、「風車」と「チューリップ」の国ということになるだろう。そして、読書に勤しまれた方などは、かの有名な「ドン・キホーテ」='Don Quixote' の物語を思い出されるだろう。彼の妄想は、「社会の悪」として「巨大な風車」を見立て、従者の「サンチョ・パンサ」とともに戦いを挑んでいったのであった。そもそも、「オランダ」という国は、国全体が海抜ゼロメートルとなっており、別名「ネーデルランド」='Netherland'=「低い土地」とも呼ばれている。この「オランダに行け」を英訳すると「ゴー・トゥ・ホランド」=’Go to Holland' となるわけだけれど、英語で「ゴー・ダッチ」='Go Dutch' と言うと、「割り勘」にしようという意味になるらしいのである。



  オランダの大使館に三年勤務していた人の話を書いたがヨーロッパ全体に適用されるものではないだろう。オランダは特に平等主義になった。それは国の成り立ちからそうなった。つまり全員一致して堤防を作り国を作ったことがその根底にある。
  そこには身分は関係ない、全員が平等で一致して協力しないと国が維持できなかったからである。たからこうした徹底した平等主義かヨーロッパ全体には適用されないだろう  
その人が碁や将棋が得意でありそれだけでもその人は認められる、それは飛行機のパイロットとも同格だとまでなることはヨーロッパの他の国でもないだろう。
日本では何かかえって差別が多い国である。就職だって学歴で差別しているしガテン系は3kとして嫌われている、設計している人はエリートであり現場は劣ったものとして給料も安い、でも現実を見れば建築現場で働く人は危険であり体力もないとできない、そういう職業上の差別がない社会にオランダがなっているということは特殊なのだろう。

日本では侍階級を明治維新でなくしても以前として侍は士族であり平民と戸籍に記され分かれていた。その後も日本は福沢諭吉の学問のすすめなどでかえって学閥とか作り支配階級を作ったりした。それで慶応大学がその学閥が強いのでレイプ事件とかで批判されるようになった。東大閥でもそうである。
「学問のすすめ」は学問で立身出世する手段とすることだったのだから当然だったのである。

オランダが住みやすいというときそういう平等社会は外から入って来た人でも平等だとなると住みやすいので増えすぎて問題を起こすようになった。イスラム系が増えすぎたからそうなった。学校でも人種が混交している。そういう極端な平等主義の弊害も生まれた。
ヨーロッパを理解することは様々な点でむずかしい。たた封建時代があるのはヨーロッパと日本だけでありここが共通しているので理解しやすいということはある。
城が本当に多いのである。騎士がいるということは侍とにている、歴史的に共通性があると外国でも理解しやすい。

オランダが栄えたのは海外貿易でありそれは日本の長崎の出島で交流があった。
蘭学がありヨーロッパの文化技術の窓口となったのだからその歴史は古い。
オランダは商人の国である、だから割り勘という風習が生まれた。合理的精神とか平等主義もそうした商人国家であった所以でもある。商業というとき商人になると相手の身分が高いからというより物の値段が最優先される、身分が通用しない世界である。
それで日本でも大名が商人に借金するようになって経済的に侍階級を維持できなくなったともいわれ明治維新が成功したと分析する人もいる。
芸術でもオランダは写実主義の絵画になったのも物をやりとりする貿易で栄えたからそうなる。空想的なものより写実的になるのである。

オランダがこれだけ平等主義だということは住みやすいだろう。それで移民も受け入れてふえすぎたことがわかる。オランダで安楽死が受け入れられたのも合理的に考える人が多いからだろう。ワークシェアリングとかもやはり合理的に考えそれを実践している。
その根底にはオランダ特有の歴史がありそうなったから他の国ではそれを即実行できるというものではない。

オランダといえばやはり風車である。

さらに風車のすぐれた技術は、造船にも応用され、やがて17世紀、オランダは世界の海を制して黄金時代を迎えます。キンデルダイクののどかな風車群の絶景は、ただ美しいだけにとどまらず、オランダが国土を確保・拡大し、大繁栄を遂げた歴史の象徴として、世界遺産に登録されたのです。

晩秋や風車の古りて村一つ

風車というのは古いものがある。何かそれが風格があり威厳があった。それてそれをドンキホーテが悪とみて突撃したというのもそういう面があったのか?
これは実際に見ないと実感しない、それは電車から見たものだったが風格があった。
なかなか実物を見ないと理解できないものがある。その土地に行ってみないとわからないものがある。ヨーロッパは歴史が古いからである。
ただ旅行してもなかなか歴史などわかりにくい、言葉が通じないとか理解できなかった。外国は本当はガイドが必要である。そうでないと深く理解できないのである。
また行きたいが何か旅することも疲れたとなる。旅も相当なエネルギーが必要だったのである。介護十年とかでエネルギーが消耗したのである。
外国を理解することはやはり相当な時間も必要である。物事は一挙に理解できない、徐々に理解を深めてゆくのが人間だからである。
それで最近何かいろろいなことが理解でるようになった。詩もむずかしいものだが理解できる、他でも本でも即座に理解できるのである。
その本を読んだときは理解していない、びっしり線を引いていてもそのことを理解していなかった。今はそういう本でも即座に理解して引用して自分のものにできるのである。