2016年10月01日

明治維新は何であったのか? (廃藩置県で藩と侍をなくすことが最後の目的になった)


明治維新は何であったのか?


(廃藩置県で藩と侍をなくすことが最後の目的になった)


明治維新はわかりにくい、様々な説がある。
明治維新の画期的なことは廃藩置県である。
藩ごとに国が分割されていて藩同士は敵対していた。
戦国時代に城が築かれて城下町ができたけど敵に攻められないように作られていた
隣の藩で敵である。だから飢饉があっても隣の藩でも協力しないのである。
相馬藩では天明の飢饉でも伊達藩は協力しないが相馬藩内では協力した。
飯館村が山中郷が飢饉のときは相馬藩内で援助している。

明治維新は何か国家理念などもない、藩同士の利権争い、権力闘争だった。
薩摩と長州は背後にイギリスとかと結びそれぞれに幕府を倒そうとしていたのだ。
つまり薩摩の西郷はあとでわかるように西南戦争を起こしたように薩摩藩を維持するために死んだのである。
だから明治維新の目的がなんだったのか?西郷にすれば薩摩藩や侍は消えてはならないものだったのである。

会津は会津で会津藩を維持しようとして蝦夷地をプロイセンに売り幕府と会津藩を維持しようとしていたのである。外国勢力と結びつかないと戦いないからそうなった。
つまり江戸時代は藩から脱してものを考える思想をもちにくかった。
だから藩単位でみんな動いていた。藩が優先していたのである。
だからこそ薩摩長州が同盟することは大きなことでありありえないことであり歴史を動かしたのである。東北列藩同盟もうまくいかてかったのもそのためである。
藩は敵同士だから当然そうなった。

なぜ坂本龍馬が英雄になったのか?それはグラバー邸の武器商人としてであっても薩摩と長州を結びつけたとされるからである。江戸時代だと敵対する藩同士を結びつけることは最高にむずかしいことだったのである。
それぞれの藩内の道すらその藩主の許可がないと通行できないのである。
そういう藩中心の世界であるとき薩摩長州が同盟することになり日本を変えたのである。
まず西欧列強に日本が対抗するときとても藩があってはできない、日本が一丸となって西欧に列強に立ち向かうことはできないのである。
廃藩置県を実行して天皇中心の中央集権体制ができたとき西欧列強に立ち向かうことができた。
だから西南戦争では会津藩の侍が参戦して国民軍として西郷軍と戦っているのである。
西南戦争で侍はなくなったのである。その時国民になり国民皆兵になったのである。

明治維新は今になといろいろな見方が生まれている、でも幕府が継続していたらどうなったのか?廃藩置県は実行できたのか?
明治維新を成し遂げた方でも西郷のような人物が出てくるとしたら藩をなくすことは最大の障壁となったろう。それが幕府でできたのかという疑問である。

幕臣であった人たちは薩摩長州による政権に不満だった。それもわかる。テロリスト集団が政権を握ったというのもわかる。実質の政権など運営できないというのもわかる。
ではどうして幕府が藩をなくし侍をなくして強力な中央集権国家を作りあげることができたのか?

幕臣には相当に優秀な人がいた、その人たちは明治以降重要な役職にも抜擢されている。榎本 武揚などがそうである。内村鑑三などもそうである。優秀な人材は幕臣から輩出している。だから別に幕府で廃藩置県できるならそれでも良かった。
だから大きな疑問は幕府が廃藩置県をして侍階級をなくすことができたのかが議論にもなる
その前の薩摩長州や幕府を倒した維新の志士はテロリストだとしても幕府が藩を廃止して侍をなくすことが自らできたのか?
会津だったらあれだけ藩に忠誠を誓い白虎隊のように城が燃えたから自刀としてゆくような強烈な藩への主君への忠誠心があるものを廃止できるか?
西南の戦争自体がそれを如実に語っているのである。

明治維新を議論するときここが肝心な所ではないか?
いろいろあっても明治維新は最初は藩同士の権力闘争であり国家理念などない、だからこそ西南戦争が起きた。幕府を倒してもやはり藩を維持するのが侍であった。
幕府が継続してもそれは同じであり廃藩置県はできなかったのではないか?
西郷であれ会津であれ藩と侍の維持には命をかけてくるからである。

明治維新は最初は西郷に象徴するようにただ倒幕の藩による政権交代の戦いだった。
吉田松陰とかに何か国家理念などもちえようがないのである。
高杉晋作にしてもそうである。幕府を倒すということが先決でありそのあとの政権構想国家構想などありえないのである。何か思想というものに基づいての行動ではない。
まずその時藩を廃止するとか侍がなくなるなど想像もできなかったろう。
とても未来の国家のイメージなどもちえなかったのである。
高杉晋作の奇兵隊に参加した庶民もただ幕府を倒して自分たちが権力をにぎり支配者になれるということで参加したのである。
そして伊藤博文が初代の首相になったのである。

そういう人は今でも野党系統にいる、創価でもそういう野心家が入ってきている。
政権をとれば地位でも金も入るとなり活動する。政治活動がすべてになっていることでもわかる。それは宗教とはあまりにも反したものなのである。
カルト宗教団体になるとそこに入っている人の思惑はあまりにも多様であり複雑すぎるのである。それはどこの団体でも同じなのである。
だから何か人間が革命などというときそこには様々な思惑が入り乱れるのである。
まず純粋に思想的に殉じるなどという人はまれだろう。何か利権とか栄達とかを考える
それは中国の共産政権ともにないる、ただ共産主義の理念があっても結局権力闘争でありあとは共産党幹部の王朝となって腐敗したのとにている。
理念などあっても人間の欲が勝るから実行できないのである。

ただ廃藩置県とかでもすべてはいいとはならなかった。武士の伝統的な精神文化も失われた。地域地域の文化も失われた。地方地方に培う文化がありそれで人も育つ、それが国家一色になってしまったのである。
でも廃藩置県がなかったらとても西欧列強には太刀打ちできないから植民地化されたりしたことはまちがいない、西南戦争が内戦であったようにさらに大きな内戦の混乱で日本は疲弊したからである。

いづれにしろ明治維新は今になるとタブーとされるものが解放されていろいろ議論になるフログではなかなか議論ができない、一方的発言で終わる
でも議論すれば相手であれ自分であれ弱点が攻めれて論点が明確になることは確かであるそれがフログの問題点ではある。

posted by 老鶯 at 10:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

逆転の発想 (小高など避難区域の価値と利用方法ー暗いから月の光も映える)


逆転の発想


(小高など避難区域の価値と利用方法ー暗いから月の光も映える)


小高だと夜は暗くて嫌だというのもわかる、女性は特にそうなるのかもしれない、小高は街でも郊外も人がほとんど住んでいないとすると一層暗くなっている
その闇は大正時代から江戸時代の闇の世界に帰ったのかもしれない、もともと田舎は夜は暗いし静かである、それが一段とさらに暗くなった
大正時代はランプである、でも今になるとランプに何かロマンチックなものを感じる
江戸時代は蝋燭である。会津の絵蝋燭などは知られていた

それだけ暗いということはその暗さと静けさも現代にはないものとして魅了する人があるかもしれない、これも不謹慎だとかなるが夜には小高など避難区域には行っていない
だから今度夜に行ってみようと思う、街のなかでもぽつりぽつりとしか灯がともっていない、回りはそれ以上に暗いから気持ち悪いともなる
でも大正時代であれ戦前であれ戦後十年でも家には裸電球一つしかない時代である。
今よりは相当に暗かったのである。
そこで蛍が飛んでいて蛍狩りなどしていた、蛍がいたということもすでに忘れられている蛍は暗ければ暗いほど光が幻想的に見える、そういう自然を失って来たのが日本だったのである。

何か過去に郷愁を覚えるというときそこには貧乏であっても過酷な生活であっても今にないものがあったということにある。蛍などは今では見れないからである。
ただ夜でも車のライトや電気の光でも満ちているからである。
本当の闇の世界は日本からは消えているのである。
ただ田舎には闇もあり静寂もありそこは都会とは違っていた

第一田舎がいいというとき都会にないものがあるのかというのも変なのである。
それは都会ではマイナスと考えるものが田舎の良さとしてあったのである。
闇の世界、静寂の世界、それが都会にはない、そこでは絶えず喧騒があり電気の光が消えることなく点滅している、そして神経もをいらだち心も病んでくる世界である。
都会では田舎にあるマイナスと思える闇の世界、静寂の世界がないのである
森もないし山もないから癒しとなる自然がないのである。

そもそも夜も眠らない街というがそんな所で人間の精神は安らがない、沖縄の青年が沖縄に30万月給をトヨタの派遣でもらっても沖縄に帰りたいというときそこに沖縄にしかない安らぎがあるからだろう、沖縄でも那覇は都会だけど海がいつも見えるから違っている
海はやはり静寂の世界であり海に囲まれているのは森とか山に囲まれているのとにているのである。ビルに囲まれて住んでいるのとは違うのである。

もちろんそんな避難区域に闇と静寂で人も住み人は少ない場で電気でも使えばそのインフラに金がかかるとかなるから馬鹿げているということも言える
それは詩人の馬鹿げた幻想であり現実はそんなことは通じないというのもそうである
何か自分はもともと大学四年間を東京で過ごして都会を嫌悪するようになったのである。30年間田舎で隠者のような生活をしてきたのも不思議だとなる。
ある意味で異常にも思える自分の性格でもそうなったともなる
山とか樹とか石を詩のテーマにすればそれは田舎の沈黙があってこそである。

ともかく江戸時代でも何か回想するときロマンチックにイメージするのが自分なのである最近は紙漉きをこの辺でもしていたということで紙漉きというものをイメージするときロマンチックなものとしてイメージする、実際はあまりにも過酷な労働だったとことにショックだった。
ただ山から清い水が流れてその水を利用して回りの樹を利用して紙を作るということが何か詩的なものとしてみる、工場で作るのとはあまりにも違うからである。
そういうことは過去になるとロマンチックに見えるのである。
過去というのは歴史をさかのぼることはできないから実際は絶対に経験できないのである空間だったら今でも地球の裏側にでもすぐに行けるが過去には旅できないからである。

でも一時ここが江戸時代に帰ったような状態になったのである。
原発事故で人がいなくなったり車が通らなくなったときそのことを一番感じたのである。車が通らないと本当に昔にもどる、これだけはまちがいない、車がひっきりなしに通っていることが現代の象徴であり車が通らないと昔に江戸時代のこともイメージできる
こんなにさらに静かだったのだなととか歩く他ないとかなる

ともかく人間というのは社会でもなんでもそうだけど必ずいい面と悪い面が生れる、科学技術だってすべてが良くは人間を幸せにしたわけではない、それが原発事故であり故郷にも住めなくなったのだから最悪だったのである。
それで家族一緒なら蝋燭で暮らしてもいいと大熊辺りの人が言っていたのである。
原発の恩恵も大きかったけどそれも最悪になったのである。

逆転の発想として小高では野馬追い武者を迎える火の祭りとかあったりとか何か暗い所でかえって映える、真っ暗な所で明かりが幻想的に映えるということもある
それも逆転の発想かもしれないのである。
人間の社会はすべてに何でも良くは働かないが悪くも働かないのである。
人間の幸福もわからないのである。いいと思えることがあとで悪いことだったり「人間万事塞翁が馬」である。これは辺境の国境ではありうることだった

この辺でもそういうことがいろいろあった、原発事故で得した人もいたのである。
多額の補償金を得てそう思っている人はいる、いろいろな人がいるからいちがいには言えないが悪いことばかりではなかったのである。
俺たちは被害者だとなり外からは常に同情されてきたからである。
普通は自分もそうだが苦しくても同情もされない、ボランティアの人が自分が苦しんでいる介護や病気で苦しんでいる自分を助けてもらいたいがそんなことは全くないからであるただ仮設とかにボランティアがいつも来ていたからである。

湯原王(ゆはらのおほきみ)の歌一首

月読(つくよみ)の光に来(き)ませあしひきの山経隔(きへな)りて遠(とほ)からなくに

小高辺りとかは郊外は一段と暗いからまさに・・月読(つくよみ)の光に来(き)ませ・・・となっているだろう、そんなの嫌だというけど月の光すら現代で電気の光に消されるだからそこで自然の神秘を感じるのである。

いづれにしろこの辺は何か他でも経済でも科学方面でも逆転の発想でいい方向に向かうこともありうる、ただ何か自分としてはソーラーパネルとかも自然破壊なので嫌だし
自然を喪失する田舎は田舎なのかとなるし詩的にイメージするとこの辺の状況は何かいいものではないのである




posted by 老鶯 at 19:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年10月02日

南相馬市原町区の長野の大甕の姓の墓の謎 (姓と地名は混同しやすい)


南相馬市原町区の長野の大甕の姓の墓の謎


(姓と地名は混同しやすい)

oomikaaa1.jpg


oooomicaasei11122233.jpg
これは岡田氏の系統から書いている、大甕という姓はその前の古代からのものである

oooomicaasei111222.jpg

長野の原田という集落化して原田という姓の人と大甕という姓の人が結婚した

oooomicaasei111.jpg

naganoooo1111.JPG


長野という中に原田という集落が生れた


大甕神社


社伝によれば、景行天皇40年、日本武尊東征の際、当地に祭壇を設けて大甕に酒を盛り、高皇産霊神と天照大御神を鎮祭したのに始まるとされます。

当地の地名はこの大甕に因むとも。

延暦20年に坂上田村麻呂東征の際にも、当社に戦勝を祈願。

大甕という姓は福島県に百人くらいしかいない、


甕星香香背男ともいう。東国に多い星の宮に祀られている。

神武天皇以前からの神である。
日本書紀のみに記される。
経津主神・武甕槌命は不順(まつろ)わぬ鬼神等をことごとく平定し、草木や石までも平らげたが、星の神の香香背男だけは服従しなかったので、倭文神(しとりがみ)・建葉槌命(たけはづちのみこと)を遣わし懐柔したとしている。

茨城県日立市の大甕神社は、天津甕星を服従させた建葉槌命を祭神としている。

天津甕星(あまつみかぼし)と聞いて、また浮かぶのが、阿遅須枳高日子の祖父神 赤衾伊努意保須美彦佐倭気(あかぶすまいぬおおすみひこさわけ)の妻神の天甕津日女(あめのみかつひめ)です。

常陸国久慈郡大甕山の東端に居住していて、太平洋に面する北日本一帯の制海権を握っていたという伝承が「久慈郡大甕山の倭文神社」にあります。・・・香々背男は眼光は爛々として星の如く輝き、体格は毅然として雲突くばかりに高く、足は剛健にして猛獣の如く強く、手は長大にして禽鳥(きんちょう)の如く早く、その上幾百幾十万の同族を指呼し、自ら諸所の神岩の上を漁りて好んで魚介類を頬ばり、夜は巧みに姿をくらまして大甕山上の雷断石の間隙に隠れ、進退自在、千変萬化、独特の技で敵を侮り、民を悩まし、国の尊厳の何たるかを知らぬ者だったと言います



姓と地名の関係は混同しやすい、姓の元は必ずある土地の名、地名に由来している、姓をたどれば必ずある村の地名から発している
混同しやすいのは姓が地名化するように錯覚することである。
ある姓のものがここで相馬氏が千葉県の方から移住してきて相馬市となったようにそういう姓が移動して土地の名となることはない、ここでも相馬市はもともと中村であり相馬という名はなかったのである。

この大甕という姓ももともとは大甕町が日立市にありそこに由来している、大甕町の由来は神社がありそこに大甕神社が祀られている、倭文神(しとりがみ)・建葉槌命(たけはづちのみこと)を遣わし懐柔したとしているから大和朝廷による蝦夷征服の神の移動である。
つまり倭文神(しとりがみ)とは機織りを伝えたものであり技術の伝播である。

大甕の地名はおそらく大甕神社が祀られて地名化した。高倉神社もそうであり有名なのは鹿島神社であり鹿島が町の名となった。これも大和朝廷系の蝦夷征服の一貫として全国にある。地名は古く古代に由来するのが多いのである。

ともかく姓と地名は混同しやすいのである。深野(ふこうの)に深野という家がある。
地名と性が一致しているのもある。相馬藩内でも栃窪という地名があり栃久保とかいう姓が移動している、長野に大甕の姓の墓があるとき大甕というのは日立市から移住したのかそれとも大甕という姓を南相馬市の大甕に移り姓としたのかわかりにくい、元は日立市の大甕町にある。
他にも栃窪の上萱に山田という姓がありそれをたどると押釜辺りに山田という地名があるするとそこから移ったのかとなる、ただ山田という姓は多いからこれもわかりにくい、
なぜここで大甕と原田という姓の墓があるのか?
これも両性の墓があることは江戸時代でもある、原田というのは長野にある。
そこが姓の発祥地なのか?つまり長野の原田という地名があり原田という姓の家があり大甕という姓の人がここで結婚したとなる
姓というのはその土地の名をとるが姓が移動してその土地の名になることはほとんどないのである。

ともかく大甕という姓の由来は蝦夷征服に由来して残された、大和朝廷に抵抗した土地のものでありそれに大和朝廷がてこづったので伝説として残された。
その系統の地名とかは東北には多いのである。海老はエヒであり蝦夷系統のものだというときあそこから弥生時代に住んだ住居跡が発見されたことでもわかる。
蝦夷征服にかかわる地名は多いがわかりにくくなっている。
茨城という名自体が蝦夷征服に関する地名だからである、

「穴に住み人をおびやかす土賊の佐伯を滅ぼすために、イバラを穴に仕掛け、追い込んでイバラに身をかけさせた」

茨城県にはその類の地名が多いのである。地名としては原町は原っぱであり長野は長い野であり深野(ふこうの)は深い野であり大原は大きな原だとなる、ただこの原と野の相違は何なのか。野の方が広い範囲を山なども野となる、原は村の意味ともあり限定的な広さのある所なのか?原町というとき原となっている区画である、そこは雲雀が原のように野馬追いの馬が放し飼いにされていた土手に囲まれた区画である。
ただ大原となると広い原であり深野とか長野とどう区別されるのだろうか?
長野の中に南原田とあるとき原は村の意味があるというとき長野という地に原田という村落ができたためかもしれない,田原もそこは村落ができてその名がついた。
長野という広い野の中に原田と田原という村落が生れた。そこに墓地が作られたともなる原田とか新田原とつく地名の場所に家が密集していることでもわかる
野はやはり広い範囲であり原は狭い区画の村落化した地域だとなる
それは下の論文を読めば納得する

原と野の地名について
/20131/KJ00005100423.pdf#search='%E5%9C%B0%E5%90%8D+%
E5%8E%9F%E3%81%A8%E9%87%8E%E3%81%AE%E7%9B%B8%E9%81%95'


タグ:大甕姓
posted by 老鶯 at 15:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2016年10月03日

原発避難民は避難した先の回りのことを無視した (政府やマスコミやその他の外部が助長した影響)


原発避難民は避難した先の回りのことを無視した


(政府やマスコミやその他の外部が助長した影響)


不動産の方に「避難民よりもこっちが狭い思いしてるよね、結婚したいけど住む所がないから結婚出来ない人や結婚したけど住む所がなくて別居してる人もたくさん来るんだけど、1年経っても未だに紹介出来ないんだよね」

福島中通りです。避難民でも地震津波での被災者には同情しますが原発事故での被災者には同情しません。理由はみなさんの意見と同じです。ただ、一番問題なのは原発避難民を過剰なまでに擁護している政府や福島県知事県議会市町村長やテレビ局新聞社の体質なんですね。擁護する理由は〜原発避難民はお金を生むからです。

頂いた補償金一人一人出して皆で一から町や村つくればいいのに。自分の金は使いたくない。村や町は国が用意して…。いつまで待っても元になど戻ることなどできないと思います。

私達避難民には着の身着のまま避難し大切なもの全てを置いて来ました取りに行けても線量が高くて持っていられないかもしれない。
お金でなんとかなる物じゃないですよ。

なかには震災前に自己破産しているにも関わらず高級車を現金一括で購入し!なかには他県に家を建て暮らしていますが住民票は変えてません、住民票を変えると補償がもらえなくなりますからね!




原発避難民の問題は故郷を喪失した思い出も失ったとか被害が大きいことはわかるしそのことを自分も書いてきた、それはそれとして問題は避難した結果、その回りに様々な軋轢が生じたことである。
それでもすべてが避難民は優遇されたし外部からも同情されて補償金ももらえた
小高の人で遊び人のような人やニートは喜んでいた。
そういう人は原発事故は恩恵をもたらしたのである。
今でもぶらぶらしてパチンコ屋に堂々といりびたっている、それは悪いことでもない、その遊び人が言っているようにみんなバチンコ屋だからどうにもならないと・・・
みんな遊び人のレベルになったのである。

原発避難民の問題は故郷を失ったとか被害はわかるしそれは取り戻せないとかもわかるしそのことを自分もわかるから書いてきた。
ただそれと現実問題として避難した先で生じたことは別に考えざるを得ないのである。
「俺たちがどれだけひどい目にあっているのか、お前は人としての情がないのか」
とか「お前は人の傷に塩ぬって楽しいか」とかそのことでその避難先の土地の人を責めてくる、なぜここまで傲慢になったのだろうか?
「俺たちは金もっているんだ、お前らは金はねえだろう」とか今までもてない金をもった人が避難先で言っている人さえある、それでつきあわなくなったとか言っていた。
それは全部ではないにしろいろいろな人がいるにしろそういう人もいたら確実に嫌われる

自分もそういう経験をしたから腹ただしくなったのである。それは原発避難民だけの問題ではなかったが関係していたのである。
自分は自分自身が病気で苦しんでいるとき原発事故が起こりその時事業に失敗した親戚が来てその人はパチンコ屋で働いていた
それは事故からすぐであり何もすることがない人たちがパチンコ屋におしかけたのであるそういう特別の事情があったにしろこれは何なのだと思い腹ただしくなった
なぜパチンコ屋でそんなに働き自分の苦しいことを見ないのである。
何かその時異常事態であり混乱したことは確かである。
別にパチンコ屋に行って遊んでいてもいいじゃないかということも主張はできる
でも問題は回りの人たちに迷惑をかけているということをその時原発避難民は思わなかったのである。
自分たちが特別苦しいのであり同情されるべきだとなり外部の人も同情した。
すると原発避難民も俺たちを同情しない奴は何なのだとなる
「傷に塩塗って楽しいか」という原発避難民の自分のプログの批判のように誰も公然と批判できなくなったのである。

「今日も俺たちはパチンコ屋ダ、ギャンブルだ」
「ボランティアよ、働けよ、外から来た人たちよ、しっかり除染しろよ、お前らが後始末しろよ、俺たちは被害者だから遊んでいてもいいんだよ」

こんなことになったときボランティアの地元の人が喧嘩になったというのもわかる。
実際今の時代は広域社会だから新築の家が次々に建ったけど復興住宅でも全国の人が来て建てていたのである。内部の人はほとんどなにもしない、それでも成り立つ社会にもなっていたのである。
瓦を直したのはいわきの会社であり風呂を直すのは仙台の会社である。
これは近い方だが全国から九州から北海道から来ているのに驚くのである。
地元でしていることはわずかである。

一番問題なのは原発避難民を過剰なまでに擁護している政府や福島県知事県議会市町村長やテレビ局新聞社の体質なんですね。擁護する理由は〜原発避難民はお金を生むからです

マスコミ特にテレビ局は特にそうだった、NHKは権威があるから全国でも原発避難民に同情しない人たちは何なのだとなる、取材でも原発避難民に同情するように仕向けられていたのである。
この辺の事情は津波の被害者もいて複雑なのである。
何でも原発避難民は優遇されるのか?
現実に自分も病気であり介護であり苦しんでいたがすべて福祉関係でも原発避難民が優先されていたのである。そういうことはいわきでも起きた
何しろ二万人も一挙に移住したらパニックにもなる。でも常に原発避難民は政府からもマスコミからも優遇されていたのである。

政府や福島県知事県議会市町村長やテレビ局新聞社の体質なんですね

南相馬市では小高区の人たちが鹿島区に避難した。そしたら鹿島区の市議会議員が仮設の小高区の人を援助していた。これも別に南相馬市になったのだからあっても不思議ではない、でもなぜ鹿島区の選出の人が小高の人を援助するかというとやはり原発避難民は議にとってもいいことがあるのかもしれない、金になるということはそういうことなのか?
原発が作られたときから南相馬市ではわからないが議員でも町長であり金が回った。
それで富岡町長の津波で流された金庫に5億円が入っていたという噂が流れたのである。
その噂というのは意外と田舎では真実がふくまれているのである。
刑罰がなくても何か噂は広まり残るのである。
そして小高区の人が鹿島区の人の不満を知らなかったのである。
だからこそ自分がその事情を言ったら怒っていたのである。
みんな同情しているのに援助しているのになぜしないのか?
それが当然だと思っていたのである。でも鹿島区の人たちは不満があった、でもそれを全く知らなかったのである。


おそらく政府としては原発事故の被害者を粗末にすると反発されるから恐れたのかもしれない、多額の補償金で手なづける、そうすれば原発事故の被害でも最小限にとどめることができると見込んでそうしたのかもしれない、でも全部には補償できないから避難民に手厚くしたのである。
原発避難民が金を生むというとき被害者特権になり補償金をいくらでも要求できるということかもしれない、それは沖縄や韓国の慰安婦問題とにている
それが事実かどうかなど関係ないのである。被害者として永遠に損害賠償を請求できるからである。それとこの辺の被害者はにている
「もっと補償しろ、俺たちの被害は計り知れない、補償は百年のちもだ」とかなる
そして被害者は外部頼りになった。外部でもも回りでも市でも県でも国でも援助してくれるのが当然だとなった。
内部の人はただ被害を訴えればいいともなったのである。高齢化でもあり自助努力はなくなったこともあった。
それで南相馬市長の桜井市長も最近、小高の人にも文句を言うようになった。自助努力して復興してくれとなった。

現実に国民年金しかもらっていない人が多いのだから補償されるべきだと小高の人がテレビを通じて訴えていた、では南相馬市民だって被害者であり他の人たちもそうである。テレビというのは一方的なのである。誰かそれに文句言うこともできなからその影響が大きくなる。
相馬市の人は全く補償金をもらっていないのである。
放射線量は相馬市の松ヶ房ダムと真野ダムでほとんど変わらないことでもわかる
だから放射線量で区切ること自体が軋轢を生んだのである。
相馬市にも避難民がいるが常にあいつら働かないで贅沢していると不満を言っていたのである。
請戸から避難した船主は病院の特等室に入り家を建てると豪語していたのも回りの人はどう思うのか?何か避難民すべてではないにしろそういう傲慢な人はいたのである。
それを容認したのがマスコミとか何か政府の方針とかがあったともなる

だから前々から自分が言っているように原発事故の被害は広域的だから広域的に対処すべきだった、それは原発自体がとても一地域で建てられるものではなかったのである。広範囲なコンセンサスが必要なものであった。でも一部の人に原発避難民のみにあまりにも手厚くされたことが反発になったのである。それは避難民でも不幸になった。回りの思いというものが意外とひびくのである。歓迎されていないということは何かとひびくのである。
回りがそうだととげとげしくなるから住みにくいとなる。

結局は金というのはいい方にも悪い方にも働く、何であれ金には人間の欲がつきまとうからそこでもめる。遺産相続と同じである。金は自分も経験しているが本当に怖い
金となると目の色を変えるし殺されることもある。
金がすべていいものとして働かないのも現実なのである。
かえって金のためにこの辺は協力できなくなったのである。

タグ:原発避難民
posted by 老鶯 at 12:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

抽象画(山の千姿万態) mountains present an endless variety.

抽象画(山の千姿万態)  


mountains present an endless variety.

golggggg123.jpg

icemmmmmmttttt111.jpg

rokyyyyymmmm1234.jpg

mmmmrrrrddd111.jpg

hinoyamaaa111.jpg

山は山に登っても山の姿を見ているだろうか?
山に登っても疲れて山を良く見れなかった
山の姿は実際は無限である。
これはとても表現しきれない、何か抽象画でイメージ化すると川でも流れでもそうだったが無限である。
ただ現実の川では見ていてもそうは見ていない、何か同じなように見ているのである。
かえって芸術化したとき見ているという不思議があった。
ただそれはハソコンのソフトで発見したものであり絵を描いて見てわかったのではないし見てわかったわけでもなかった。

人間は自然でもその多様なものを見ていないのである。
まず山となったら無数である、ヒマラヤ辺りに登ってみればわかる
信じられない山を見ることができるからだ。
山の問題は上ることに体力が必要でありもう年取ると登れないのである。
でも登ったからといって山のこの多様なものを知ることはできないし表現することはできない、山のほんの一部しか知ることができないのである。 
ただ本当に山に感応するとしたら山に登るほかないのである。
それが難儀であり山の姿をとらえられないのである。

Even if the mountain climbs the mountain, will you watch the figure of the mountain?
Actually, the figure of the mountain which I am tired even if I climb the mountain, and was not able to watch mountains well is infinite.
When this makes it an image in some abstract picture which I can hardly express, flowing out was so, but even a river is infinite.
I only watch so it even if I look in the real river to be what which I do not watch, or to be the same.
There was rather the wonder that I looked at when I became art.
I discovered it by software of ハソコン and pictured a picture and watched it and did not know it and watched it and did not only know it.

The human being does not watch a variety of things in nature either.
At first this is because it can watch the mountain where it is unbelievable to know if I climb the innumerable Himalayas areas if it becomes the mountain.
When physical strength is necessary for getting nervous and already gets old, I cannot climb the problem of the mountain.
But it is the one which can know only just one copy of the mountain which I cannot know these a variety of things of the mountain because I climbed it and cannot express. 
I only cannot help climbing the mountain if I really respond to the mountain.
It is hardship, and the figure of the mountain is not caught.
タグ:山の抽象画

2016年10月05日

なぜ原発はやめることができないのか? アメリカに逆らうことができない、日本は独立国ではないから


なぜ原発はやめることができないのか?


メリカに逆らうことができない、日本は独立国ではないから


原発事故の問題を考えるとき今は地元では補償金がもらえる人たちともらえない人たちでももめているけどその淵源をたどってゆくとその問題の根は今ではないすでにその種をまいた人にあった、それは読売新聞社の正力松太郎が自社の発展のために私的利益のために原発を安全なものとして宣伝して導入した。
正力松太郎はアメリカのCIAのスパイでありコード番号で呼ばれていた
つまり何か問題の根が今にあるのではなくそれをたどってゆくと百年前にも二百年前とかにもなるし千年前にも二千年前にもさらには人類がはじまってからの問題にもなる
例えば明治維新が見直されているけど明らかに太平洋戦争と明治維新は一連のものとして歴史の継続として起きたのである。
太平洋戦争の起きることは明治維新ですでに予言されていたし富国強兵で戦争に向かっていたとなる。

原発事故でも何か今が原因でなっているようでもその根は戦後まもなくすでに原発を導入することがアメリカにより決められていたのである。
民主主義はよく国民の合意で決められるというけどコンセンサスで決められるというけど本当なのか?
そうならば誰もみんな合意で決められたことだからみんなに責任があり責めることはできない。
原発はコンセンサスがあって双葉とか大熊に誘致されたのか?
それも疑問なのである。その原発を建てる土地の所有者と県の許可で決めれたとかなるとそこにコンセンサスがあったのか?
もし原発を作るならまず国民的コンセンサスが合意が必要だった。そのためには原発のことを国民が良く知らねばならなかった。
しかし政府ではそういうことはしていない、したのは権力あるものが結託して政治家、官僚、東電、マスコミなどが一体化して「安全神話」を作っただけである。

民主主義というとき言論の自由だとか自由が強調されるが自由がすべてにあるわけではない、報道は権力あるものに寄り誘導され決められる、それはあらそるところで起きている石原慎太郎の不思議なのはなぜあれほどの横暴が許されてマスコミでも何の批判もなかったのか?そうしてあれほど増長させたのかということである。
ただここでも批判していた人はいたし本も出ていた、でも何かこの世のことは大きな声になったものが決めるということである。
小さな声は全く無視されて話題にすらされない、例え本を出していてもそうである。
原発でも別に左翼系統で東京に原発を作るべきだとか批判する人はいたのである。
でもそれは決して大きな声にはならない、何か片隅に追いやられてしまい目立たないのである。また関心も呼ばないのである。

民主主義では小さな声もとりあげ大事にすることである。でも実際はそんなことはない。民主主義にはつくづく限界がある。国民の合意というときそもそもそれが絶対かというとそうではない、国民の合意は権力あるものによって決められるのである。
何が問題なのか?そうしたことも報道がないとわからないし原発となるとむずかしいから国民には理解できない、そのことが権力者には都合いいものとなる
原発は第一日本国民が。必要なものとして検討もされていなかったのである。
権力あるものによって強引におしつけられていたものである。
学者も御用学者にされていたしマスコミでも東電から宣伝費として莫大な金が回っていたのである。創価の聖教新聞社などにも回っていた。だから原発の安全を巧みに宣伝していたのである。共産党でも実は原発には反対ではなかった。ただ安全を追求していたことは確かである。
国民の合意といってもその合意を作られたのは上からの意志だったのである。

ではその最大の意志は力は誰が持っていたのか?それはアメリカだとなる。
なぜ原発が導入されてこれほどの事故があってもやめられないのか?
それは原発は電気だけの問題ではない、軍事上の核武装のためにアメリカの政策として日本に押しつけられた。そのために日本の権力があるものもそれに同調して「安全神話」を作ってきたのである。
国民の合意といっても民主主義といっても結局そうした巨大な権力には対抗できない、大きな声はそうした巨大な権力によって作られる
そこに民主主義の限界があるとなる、ただ核武装というとき別に右翼となると日本人でも望むからアメリカの一方的要望というわけでもない、ただ大きな声になるのはそうした権力によるものであり国民の合意ではないのである。

そもそもなぜ双葉とか大熊とかの狭い範囲で原発を造ることを決められたのか?
事故になってわかったように広範囲でコンセンサスを得て決めるものが原発だった
だからもし広範囲で30キロ範囲内ならそこで合意のもとに決めていたらその範囲内の人は責任があるとなり別に避難した人たちに文句など言わないだろう。
なぜなら30キロ内で合意して決めたことだからである。
それも実際は30キロ外でも広範囲に被害にあった。それだけの広い範囲で浜通りから中通りの範囲で決めるべきものだったのである。
もしそこで合意したなら避難者を責めたりしないのである、みんな合意で決めたのだから共同責任になるからである。
確かに新潟県の巻町では町民の合意で原発を建てさせなかった。そうういこともできたのである。ただフクシマ原発の場合は違う、アメリカの政策として日本に強制されたものである、だから反対することもむずかしいとなる。

いづれにしろ原発は単なる電気の不足のためとかではないことは確かである。
その背後には国防上の大きな問題がありやめることができない、アメリカの命令でもあり敗戦国になっていた日本では従わねばならないとかの事情があった。
つまり国際関係の政治的問題がクローズアップされたことがわかってきたのである。
原発ではフクシマは補償金をもらってずるいとか事故前も事故後もいい思いしているではないかと批判された。
でもそもそも原発というものをどうするのか?国民としてどうするのか?
そういうコンセンサスがないままに50以上も作られてきたのである。
国民一人一人に民主主義では責任があるとなる
フクシマを批判する前に国民として原発をどうするのか?そういうコンセンサス作りをしていないのである。
だから国民投票が必要だとかもなる、それだけ大きな問題だからである。
でも現実はアメリカの政策に従わざるを得ない、そこに国民のコンセンサスは成されないともなるから民主主義といっても限界がある。
日本がまだアメリカから敗戦で70年過ぎても支配されて独立がないというとき真に独立国になるなら国民の合意で意志で原発も廃止できる、また逆もありうる、ただそれがアメリカの意志で決められるとしたら日本は独立国ではないのである。
戦後70年でそういうことが問われてもいるのである。

posted by 老鶯 at 09:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

秋の蝶(近辺の秋の短歌十首)


秋の蝶(近辺の秋の短歌十首)

kikuuuuuusss1.jpg



秋の蝶通りに一羽あわれかな


白と黄の菊さす壺に赤き花さして一段と映えにけるかな

真野川の岸辺に今日もちらほらと秋の蝶舞い暮れにけるかな

いつしかに母となりにしその女の落ち着き見ゆも秋の蝶舞ふ

雨しとと秋の蝶舞ふ女一人ここを歩みて去りにけるかな

街の中空家のありぬ誰住むと気にかかるかな秋の夕暮

たまさかに空家にもどる人みかく秋の白薔薇咲くを見ゆるも

我が家の墓そありなめここにしも眠る父姉母や今日も暮る

今なれば災いなきを石二つ庭に静まり秋となるかな

鹿島駅駅舎の古しと駅前の自転車屋語り秋となるかな

我が家も古りにけるかな我が一人もの書く夕べ秋の灯のともる

我が家に一人し住みて猫一匹我を待つかな秋の暮れにき


毎日ほとんど近く行ったり来たりしているだけである。それはすでに介護がはじまって十年はつづいている。
でも介護が終わり死んで楽になったなと思う、だいたい60年も一緒にいた家族がいなくなるということはどういうことなのかわからない、ただ介護は苦しかったから楽になった
毎日一人来る人はいる、何か淋しいということもそれほど感じない
妻を亡くしたよほど一人でいるのが淋しい゛答えるらしい、だから介護する人でもいた方がいいと言っていた。がらんとした大きな家にいるのが淋しいとなる
自分も一時は感じたがそれほど感じない、自分はもともと孤独でありそれほど一人でも淋しさを感じないのかもしれない。
それ以上に介護というのは楽じゃないとふりかえる

同じ場所を毎日通っていてもそれなりに季節が変わる感じるものがある。
今は秋の蝶がちらほらと飛んでいる、通りはほとんど人が通らない、だからその蝶も心に残るのである。都会ではこういうふうに感じることはないのである。
女性でも春の蝶から夏の蝶から秋の蝶、そして冬の蝶とまで変わってゆく
母となった女性は何か違う、落ち着いているので好感をもったりする
短歌は何か女性的な感覚、女性から見た感覚にいい歌がある。
それは何か男性的な感じ方ではないからである。
だから文学面では女性が活躍したのである。

空家が結構多い、街中の空家は売りに出しているものである。
あとは別に空家でも売りに出してはいない、最近は娘の所に移り住んだ人が死んで残された空家で葬式をしたがその家は別に売りに出していない
白い薔薇が咲いている空家はたまに人が来て掃除などしている
だからこういう家は持ち主がいないわけではないから荒れてはいないのである。
たまにきていて掃除などしていれば草茫々にはならないのである。
でもなんか空家に咲いている花というのも不思議だとなる

ともかく自分の家も50年近くたつ、今はこの大きな家にゆったりと住んでいる
自分はこれまで6畳の部屋にいたからこの家でも意外と狭い所に住んでいたなとふりかえる、やはり部屋は広い所がないと圧迫されるのである。

駅前の自転車屋が言っていたけど鹿島駅の駅舎は古い、最初建てられたときから変わっていないという、となると明治から変わっていない、あういう駅舎は今でも多い
とするとそれらは建て替えられない古いものだとなる
自転車屋が駅前にあったのは必ず貨物のため引き込み線が駅にあり荷物として自転車を受け取るに便利だったからである。
その当時車はまだそんなに利用されていなかったからである。車自体がないとういことがあった。それで長々と貨物列車が走っていたのである。

今日は昨日とは違い、涼しい、秋を感じたので短歌も作れた、やはり季節感がないと日本では狂ってくる、感覚的にもおかしくなるのである。

タグ:秋の蝶

2016年10月06日

原発事故の被害は外部のものでも被害者自体が自覚されないなものだった (故郷を失い住めなくなることは想像すらできなものだった)


原発事故の被害は外部のものでも被害者自体が自覚されないなものだった


(故郷を失い住めなくなることは想像すらできなものだった)


原発事故の被害というときその被害というものがどういうものか外部からはわかりにくいたいがい人の苦しみはわかりにくいのである。
介護もしないで妻をなくした人は介護する人でもいた方がいいという、それは自分で介護もなにもしないからそうなる
障害者の子供をもった人でもその苦労は本人しかわからない
原発事故の被害にしても外部から見るとどういうことが苦しいのか、何が被害なのかわかりにくい、そして結果的に原発事故の被害者は補償金をがっぽりもらってほくほくだよなとなっている
つまり何が被害なのか外部からみてわからないからである。
津波だと人があれだけ死んでいるし家もめちょめちょに壊されたりは一目瞭然だった。
ところが原発事故の被害はなんだのか?ただ故郷に住めなくなったことなのか?
外から見るとじゃ軽く億の金ももらったんだから外に移り住めばいいじゅないかと言う人が多い
そして今回の原発事故の複雑さは被害にあった人自体が何を失ったのか被害だったのか自覚できないこともあったのである。

なぜそうなったのかというとそもそも農業漁業林業とか地方でも全体からみれば一割にもみたない生産しかないのである。
常に言われてきたことは農業は金にならないからやりたくない、苦労だけが多すぎるということで跡継ぎもいない、それで子供に農業だけはやるなと親に言われて原発とか土木建築関係で働いた人がいた。
親がそういえば当然子供は農業などやらないのである。それは漁業にもあてはまっていたそこでも跡継ぎは少なくなっていたのである。ただ漁業関係者は原発の補償金で事故前も事故後も潤っていた。だから別に生活に困ることはない特権階級だったのである。
農業はそういうことはなかった。
だから南相馬市の原町区の大原では親が5町くらいの田んぼを作っていたが子供は市役所に勤めて街中に家がありその家には帰らないし猫と一人で住んでいたのである。
そして死んで空家のままだった。
その時原発事故が起きたので田んぼなど米など作らなくても補償金をもらったからかえって良かったとまでなる、収入は市役所で得ているからである。

結局原発事故の被害とは何であったのか?その被害にあった人たちが何を失ったのか?
そのこと自体自覚されていないのである。かえって補償金もらって良かったとかまでなる俺たちは金に替えられないものを失ったとか被害を言うけど何が金に替えられないものなのか?それをでは今まで自覚していたか?ただ農業は金にならない、苦しいだけだとしか言っていないのである。現実農業は割りにあわないのである。苦労だけが多くて金にならないのである。

農業やったこと無い人間はさ、農業はのんびり気楽でいいですなぁ、 
とか平気に口にするけどさ、実態は、そんなもんじゃねーぞ。 
今の時期なんか、草なんか、なんぼでも伸びて、刈っても刈っても追い付かんわ。 
米だって一町歩(3000坪)で100万にもならん、それでいて機械は更新して 
いかないといけない、1円にもならんどころか、赤字でやってんだよ。 
俺がサラリーマンで稼いだ金を農業に注ぎ込む、ほんと、何やってんだよ 
って思うけどな。


農業よりサラリーマンの方が楽だし稼げるわ。 
農業はほんとにキツい、 
今の農業って機械化されてて、楽なんでしょ?とか誤解されてるけど 
手作業でやらなくちゃいけないことは山のようにある。 
そしてそれが、モノ凄い根気が必要で、普通の人には、まず無理だね。 
え?だって70歳80歳の人がやってるじゃん!って反論もあろうが、 
彼らは長年やってるから根気が違う、俺から見たらスーパーマンだ。


極貧地獄 灼熱&熱中症地獄 極寒&凍傷地獄 トゲ山地獄 
ハチ地獄 ブユ地獄 蚊地獄 アブ地獄 ヌカカ地獄 マムシ地獄 
クマ地獄 クモの巣地獄 ウルシかぶれ地獄 アナフィラキシーショック地獄 
白蝋病地獄 騒音性難聴地獄 目にゴミ視力低下地獄 塵肺地獄 
排気ガス地獄 花粉症地獄 腰ヘルニア地獄 チェンソー左足裂傷地獄 
斜面滑落地獄 松ヤニベトベト地獄 カッパサウナ地獄 木激突地獄

農業は過酷なのである。その割には金にならないから誰もやりたくないとなる

では農業なんかやりたくない、それでは何をするのか?その代わりにとなる、原発事故になりそのことも問われた。
漁業の人は補償金をもらって魚をとらない、なぜ自分はここにいるのだろうと何か哲学者のように言う人もいた。
それは米を作らない人も米を収穫したとき喜びが一杯だった。
魚をひさしぶりに海に出てとった人も喜んでいた。
だからそうして農業でも漁業でも否定してきたものが実はその仕事に喜びがあったのである。それを自覚したことは確かである。

それから長年住んだ場所のことである。それは故郷であるがそれを失ったとき住めなくなったときそれで感じたことは何なのか?
それは相当に深刻なことだったのである。それをいろいろ書いてきたけどそのことも被害者は自覚していなかった、第一故郷は普通にあるものであり故郷がなくなるとか住めなくなるなど想像もできなかったからである。
そこで失ったものは計り知れないとういことは本当である。まさに計り知れないのである計ることができないものを失ったのである。それは目に見えて家を失ったとかではない、何か目に見えないもの、そこにあった生きた記憶とかその土地を代々受け継いできた歴史などである。
こういうことは都会ではないのである。都会には故郷はない、自然もないし代々生きてきた土地もないのである。
そもそも都会ではそうしたものをもっていないのだから失うこともないのである。
そこに都会の人が何もそんなに金もらったら他に移ればいいではないかと事も無げに言うのである。つまり田舎のことがわからないのである。
そこに都会人と田舎人が理解できないものとしてあるからそうなる

でも田舎に住んでいる人でも実は何を失ったのか?それを自覚していなかったのである。
何かをもっているから失うのである。何ももっていない人は失うことはない
では何をもっていたのかということが良く自覚されていなかったのである。
そのことの象徴が農業は金にならないからやるなと子供にも言っているから当然農業の跡継ぎはいなくなる、そこに誇りも生きがいも見いだせないとなる
一方でその代わりに原発で働くのは金になるからだとなっていた、それが事故になったとき故郷にも住めなくなったとき金になっても故郷に住めなくなるなら蝋燭でもいいから家族一緒に住める方がいいとまでなったのである。

ともかく何を失ったのかを知るには何をもっていたのかということである。
そのもっていたものを自覚していなかったのである。故郷など常にあるものであり自覚しないからである。要するに計ることのできないものを失ったのである。
それは農業だったら収穫の喜びとかであり漁業でもそうである。
でもそういうものでも第一に金にならないと嫌悪されつづけていたのである。
そういう矛盾があり問われたのである。
ただ俺たちはとても金に替えられないものを失ったのだということはわかる。
でも本人が被害者がその金で替えられないものは何なのか?明確に答えられる人はいないだろう。

自分の言いたいことは誤解されるないように言えば計りしれないものを失った、だからいくら補償金を要求しようがギャンブルで遊んでいればいいということではない
それは回りの人がいて迷惑になるのだから別問題なのである。
言いたいことは外部の人でもその被害が何であったのか?実際の被害者も何が失ったのか?そのことが自覚されていないのが原発事故だったのである。
もし金だけを求めるなら別に都会とかに出てもいいだろう。そこで金になることを求めて便利な暮らしをすればいいとなる、故郷にこだわる必要ないのである。
故郷というとき田舎というとき何か都会にないものがありそれは金で替えられないものとしてある。ただそれを価値のないものとして自覚できないものとしてあった
それは江戸時代とかと比べてもそうである。江戸時代は貧乏しかないとみるが実際はその時代に生きるものにとってはそこには別な価値があり生きていたとなる
この辺は様々なことが問われた地域である。政治的にも科学的にもそして生活全般でも哲学的にも問われたのである。
だからここから日本の未来とか人類の未来まで考える場になってたのである。


posted by 老鶯 at 09:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

抽象画(山々の変化-Giant rock) (コピーと合成写真であり変形された創造)


抽象画(山々の変化-Giant rock)


(コピーと合成写真であり変形された創造) 

Abstract picture (change of the mountains)

(the creation that it was a copy and a composite picture, and was transformed) 

mmmmmsssssrr111.jpg


rockyymmmmm111.jpg

giantrock111.jpg

千歳の岩ーGiant rock

mountttt333344.jpg

mountttt3333999.jpg

nanntaiii2345677.jpg



何か自分のしていることが何なのだろうと思う、創作しているのとも違う。
こんなことしているのが芸術なのかとなる
ただ明らかに一つの作品は合成写真と同じである。変形させているから原画とはにていても同じものではない。
何か変形した方が迫力が出ているというのも不思議である。
なかなかこの原画を描いた人でもこれは著作権違反だと言えないし外から見ても言えない違ったものになっているからである。一つのコピーからの創作となる。
こんなことが創作となることはありえなかった
それはハソコンだからインターネットだからこそありえたことである
つまりまさに芸術はart(技術)だったのである。電子空間の中で生まれた芸術なのである


It is different from creating that I think that some one's thing making will be what.
Clearly only one work becoming that it is art to do such a thing is the same as a composite picture. It is not the same thing even if I resemble the original picture because I transform it.
Some one that I transformed is strange that force is given.

This is because it is to a thing different that I cannot say, and it cannot be readily said that this is copyright violation in the people who drew this original picture seeing from the outside. It becomes the creation from one copy.
It is that it is to have been possible simply because it is the Internet because it which was impossible is computer that such a thing becomes the creation that is the art was right art( technology). It is art born in electronic space.。

2016年10月07日

海に流れたプルトニウム、ストロンチウムの危険 (安全神話で原発の危険性は無視される)


海に流れたプルトニウム、ストロンチウムの危険


(安全神話で原発の危険性は無視される)

purutonium111.JPG
プルトニウムは飯館村までしか飛んでいない
やはり重いからだった




プルトニウムとストロンチウムはより危険な放射性物質だという、それは重いので遠くに飛ばないという、一時八木沢峠の下でストロチウムが発見された。
常に放射性物質ではセシウムのことである。プルトニウムとストロンチウムは計られていない、計りにくいからである。
でもこの放射性物質は相当に危険なのである。
ではそれがどこにたまっているかというと原発がある双葉とか大熊である。
遠くに飛ばないとしたら近くに事故が起きた場所に堆積しているのである。
それがその土地に堆積したままならいいが汚染水となり大量に流れたのである。
その汚染水が魚に影響したのである。
プルトニウムは骨に付着しやすいというとき骨ごと食べる小魚は危険だという、小女子(こうなご)などは危険なのかとなる
はっきりしていることはプルトニウムとストロンチウムは大量に原発のある双葉や大熊に堆積している、原発のある所に堆積している、それは重いから遠くに風でも飛んだのが少ないからである。

まず放射能というのは実感できない、数字でしか実感できない、それがわかるのは浪江までは0・5マイクロシーベルとだったが双葉とか大熊の避難区域に入ると7マイクロシーベルとになっ、それはバスから計ってそうだったのである。
これは高いなと実感できる、そして浪江の街内は0・5とかそれほどでもない、請戸は原発の煙突が見える地域でもやはり0・5とか低いのである。
放射性物質は風の影響が大きかったのである。だから30キロ圏内とかで区切るのは間違っていた。飯館村や福島市も二本松市も郡山市も影響したのは風のためだった。

だから浪江では津島の方に避難したのは大失敗だった。その時浪江町独自で判断する他なかったからである。実際はスピーディで風の流れる方向に放射性物質が流れることはわかっていた。でもそれも公表されず避難指示もされなかった。
ただ避難した人の中に東電の人がいて放射性物質の流れる方向を知っていたのである。
それで浪江町の一部の人はその人に従い街の方向に引き返したのである。
東電では放射能のことを知っていた。流れる方向も知っていてた、しかしそれを知らせもしないし放置していたのである。
いくらなんでも放射能を扱う東電が知らないとういことはなかったのである。
例えばもし事故が起きるということを前提にしていたら事故があり爆発したとき放射性物質がどういうふうに影響するのか?風に流れるのか?そういうことは科学者だからシュミレーションできたはずである。
それも公開して回りの市町村に知らせることができた、そういう教育もするべきだった。

それができなかったのは原発の安全神話が作られて事故が起きないという前提にして作られていたからである。事故が起きるというと強権が発動されて沈黙させられる、そういう権力が政府と東電が一体となり作り上げていたのである。
だから秘密主義であり内部で何が起きているから外部のものはたちいることができなかった。確かに質問をしたりして危険性を指摘したがプルサーマル問題でも前の佐藤栄佐久知事は失脚させられた。その後に原発を誘致した渡辺恒三国会議員の甥の佐藤 雄平が知事になったのである。
プルサーマルに文句を言ったらそれで失脚させられた。もちろんそれなりの何かいいがかりはあったのか、罪はあったのかよくわからないにしろ安全神話に対して疑問を抱くことは許されていなかったのである。
それだけ原発に対しては大きな権力が働いていたのである。
国政でもそうだが福島県の県政でも大きな問題があったのである。

東京都の都政でも公開がなく税金が都議会議員や役人によって私物化されていた。
つまりブラックボックス化していたのである。秘密裏に行われるときそこで不正も隠される。それは原発でも同じだったのである。それは国政レベルでそうされていたのである。裏にはアメリカもかかわっていたから調査も何もできなくなっていたのである。
そして核武装のために原発は必要だからそのことでも原発はやめることができない、安全神話が作られたのである。

マスコミでも結局権力におもねるだけである。時流にのるだけである。福島県の民報だろうが民友だろうが雑誌もあるがそういうものは全く原発のことなど批判などしない、全くあてにならないメデアなのである。
それはマスコミというのは権力におもねる機関になっていた。
それは石原慎太郎問題でもそうであり今になってマスコミが騒いでいるけどそれまではマスコミは石原慎太郎さえ怖くて何も言えなかったのである。
それが悪を助長されることになっていって今の状態がある
権力を持つものは絶えず巨悪に陥る、だから監視しなければならないのだがそれが民主主義なのだがそれが機能していない、石原慎太郎のような個人さえ恐れていたのだからましてや巨大な権力なになったらとても批判などできないのである。
ただ巨大な権力に追従するだけで自分たちの身の安全を守るだけなのである。
いづれにしろマスコミは信用できない機関なのである。
ただ時流にのり時の権力におもねることしかできないのである。
大会社とか政府とかの出先機関と思っていた方がいいのである。
そうしてもはや権力の暴走が起きてくる、カルト宗教団体でもそうである。
権力に歯止めをかけるものがいなければ当然そうなるのである。

ともかくプルトニウムとかストロンチウムは非常に危険だというときそれも良く知らされていない、なかなか知り得ようもない、ただ明らかなことは原発のある所に大量に堆積して汚染水として海に流れている、それでどうしても魚が危険だとなる
小女子(こうなご)など骨にプルトニウムが付着するというときそれを食べたら危険になる
セシウムは常に計測されているがプルトニウムとストロンチウムは計測されにくいので見逃されている場合がある。今はすでに地元産のものが売られているし自分も食べた
でもこれも何か不安にはなる。地元産の梨でもリンゴでも食べている
ただ一番気になったのはこのプルトニウムとかストロンチウムだから魚は危険なのとかなった。遠くに飛ばないということは原発のある所から離れていればそうなのかもしれないでも明らかに原発のある所には堆積しているから警告している学者がいるのである。

セシウムとストロンチウムはほとんど同じ量が出ますが陸地はかなりセシウムで汚染されていますから海洋もストロンチウムで汚染されている可能性があります
(武田邦彦)

セシウムと同じ量がでているのか?そしたら大量にでている。それが海に流れたのか、じゃ危険だとなる

福島第一原発の取水口と海底土からストロンチウム事故前の7000倍

明らかにこれだけの量が出ていることは魚にも影響している、ただどういうふうに影響するかは結果を見ないとわからないのである。
それが放射能のやっかいなところであり結果的にガンになってもそれが本当に放射能の影響なのかどうかもわからないとなりうやむやにされるから責任も問いないとなる
放射能の分布からみるとプルトニウムは風にのり飯館村までは運ばれたが他に運ばれていないのは重いことを証明している、ストロチウムは分散して散らばった。

posted by 老鶯 at 10:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

南相馬市鹿島区寺内に見いだした共同墓地(仏方ーホトケッポ) (除染のために杉の木が切られて現れた)


南相馬市鹿島区寺内に見いだした共同墓地(仏方ーホトケッポ)


(除染のために杉の木が切られて現れた)

hhoyokrrrkk1.JPG

仏方という字が残っている

hotokrkataa1.jpg


字が薄れてわかりにくくなっていた
仏と読み取れたから想像できた

市の博物館に行ったらここの場所を知っていた
ここは相当に広い森であり埋葬地だったのである
    

tennpouuu11122.jpg

tennpouuu11122333.jpg

男性の戒名の脇に二人の女性の名

tennpouuu111.jpg

tennpouuu1112233344556677.jpg

天保の墓が二つ
tennpouuu1112233344.jpg

tennpouuu11122333445566.jpg

ここのホトケッポは広い、森となっていた



近くにそ埋もれし墓や木の切られ今日見いだされて秋の日さしぬ

寺内に天保の墓二つ埋もれありしも今日見いだして秋の日暮れぬ

新しき家あまた建ちそのかたへ忘れられし碑や秋の日さしぬ

墓一つただ石くれや何語るここに埋もれる里の人かな

我が里に知られず埋もる墓なれや今日見いだして秋となれるも


南相馬市の鹿島区の寺内の杉の木が除染のために切られた、そこに文化財の案内が記してあった。ただその案内の板の字が薄れてわからなくなっていた。
でも仏方と読めてそこは江戸時代からの村の墓地だったのである。
ただ墓地の前は村ではホトケッポという場所に死体を葬っていたのである。
そこには墓はなかったのである。
天保と記した墓が二つあったからその頃から墓を建てた人がいた。それがそれなりに裕福な人である。僧侶かもしれない、不思議なのは信女と一つの墓に二つ記して真ん中に男性の戒名がある。
とすると一人の男性を囲んで二人の女性がいたことになる
これはどういう事情を語っているのだろうか?

何か自分の身の上とにているからこの墓が気にかかった。
自分も60まで二人の女性とともに家族として暮らしていたからである。
「信女」とあるの何かいいのである。戒名は今は必要ない、ただ信女とあるとき信頼できる女性でありその女性と一緒に墓に眠っているというのがいいのである。
今では夫婦で嫁いだ先の墓に一緒に入りたくないという嫁が三分の一くらいいるというのも驚きである。それほど姑嫁問題は深刻なのである。
江戸時代には家族墓はなかった、個人墓かか夫婦墓であり別姓の墓でもある
明治以降・・・家という一家の墓になった。
家族墓というのは明治からはじまったのであり新しい風習なのである。
江戸時代には墓はなかった、村の共同墓地である仏方(ほとけっぽ)に埋めたのである。
だからあそこには死体が埋まっているということを意識せねばならないのである。
ただ全くあそこは杉の林になっていて隠れたいたから気づかなかった。
まず外から見ても墓だったということはわからない、杉の林におおわれていたからである。

意外と人間は一番近くのことを知らないのでる、灯台下暮らしである
今日はその過去を発見したのである。
墓に興味あるのはそこに人間が本当に埋まっているということで単なる書類で過去を確認するのとは違っている、何かなおそこに生きた人がいるという感じになる
だから墓というのはいらないという人もあるが墓が残っていれば過去をそこからイメージするのでてある。
ほとんど人間は死んだらそれは不確かなものとなり本当に存在したのかどうかもわからなくなる、それは死ぬとすぐにそうなる人もいる、全く忘れられてしまうのである。
それは実は60くらいになるともう生きながら忘れられる人も多い
社会から引退して何か仕事もしていないとたちまち忘れられる、人間はともかく忘れられることが早いのである。
自分もまもなくそうなるということをイメージする

人間は何か語り伝えるということも三代目から四代目くらいになるとあやふやとなり伝えられない、特に現代は何かそうして親から子へ孫へと過去を伝えることは希薄になっている、それは大家族でもないし家族が分離しているして村だって昔の村とはあまりにも違う村でもいろんな人が混在しているし職業も違う、すると村といっても形だけなのである。祭りだってもう跡を継ぐ人がいないのである。
つまり村の伝承もなくなってしまっている、長老とかもいないだろう。
その土地土地に歴史があってもそれを語り伝える人がいなくなっているのである。

三里という新しい家々が建って街にもなったすぐ脇でありこれも対称的だった。
新しい街が生れそのかたわらに古い墓が発見される
これが世の中である。古いものもまた大事であり何かを語ってゆくのである
だから古いものも無下に捨てるというわけにもいかない、あそこも更地になるかもしれない、すると過去は完全に消えてしまうのである。
それにしてもあんなところに村の共同墓地があるとは思わなかった。
それは杉の林で隠されていたからわからなかったのである。


新地町仏方


hotokiiiiikata111.JPG

新地町に仏方(ほとけっほ)という地名があるけど
全国的にはないからこれは相馬地方独特のものだろう

2016年10月08日

墓がなくてもいいのか? 常に死者を意識しなければ死者は存在しなくなる


墓がなくてもいいのか?

常に死者を意識しなければ死者は存在しなくなる


墓がいらないとか最近言う人がいる、墓が維持できなくなっていることもある。墓を守る人もいなくなっていることもある
そもそも墓がなにかというと結構めんどうなものである。
それは死者と生者の問題であるからだ。人間はみんな死ぬ、つまりみんな誰でも死者になるのである。
だから死んだ後のことも人間は考える、死んだら別にどうなってもいいということもある人間なんか最後は灰となり煙となるたげだ、墓なんてもう子供も離れて田舎で維持することもできない、墓はいらない、一代かぎりで終わっていいということもある

墓の問題は墓があるべきとかなくてもいいとかいう前に死者をどう扱うかという問題なのである。死者は何なのだというときわからないのである。
自分の家族はみんな死んだ、60年も一緒にいたのに死んでいない、それもなんといっていいかわからない、最後は一緒にいたことさえ夢のようになってしまう。
それは60年も一緒にいてもそうである。

墓が生れたのは死者にとって必要であったからではない、別に死者は何かを生者に望むことができない、何もすることもできないからだ。
ただ生者が死者をどう扱うかが問題になっているのが墓の問題なのである。
墓とは死者を意識する場所なのである。それだけはまちがいない
実家の墓では25歳で肺病で死んだ人がいた、するとこの人はこんなに若くして死んで無念だったろうとかなる、それは戦死者にも言えるし他の人にそうして無念に死んだ人は無数にいる、墓はそういうふうに死者を意識する場所なのである。
自然葬になったらどこで死者を意識するのかとなる

別に墓というものにこだわらなくても死者を意識することが死者を忘れないことが生者に必要なのである。
だから今回仏方(ほとけっぽ)というのがすぐ近くにあった、そこは村の埋葬場であり村の人を葬った場所である。そこに墓はなかった。村の人を葬る場所としてあった。
それも一つの墓地でもあったのだ。墓を建てることは結構金のかかることだから墓は金のある地位のある侍とか僧侶とかしか作られていなかった。
ただ幕末になると天保辺りからか庶民も個人墓を作っているのである。
それだけの経済力がもつようになった人が出てきたからである。
村人はその仏方(ほとけっぽ)で死んだ人を供養していた。それは村が共同体として機能していたときである。
だから現在は個人墓はいらないとか共同墓地に樹木葬とかでそうなっているのも歴史がそこにもどっているともなる

つまり明治以降家族墓になったのだが家族が分離するとそれが維持できなくなりそうなった。墓とはともかく死者を意識する場所なのである。
もし墓がないとしたら死者はなかなか特別の人でないかぎり意識されない、結局忘れられることになる
ただ人間というのは死ぬにしても死ぬ場所を選ぶというか意識しないだろうか?
ここで死んでいきここで永眠したいなとか何か生きているときでも意識する
自分でもなんか都会など嫌だなとなる、例えは電車がひっきりなしに通っている所とか高層ビルの間とか下とか団地のような狭い空間に閉じ込められたような便利な最近の墓とかなんか嫌なのである。もちろん死んだらそんなことが関係ないとも言える

人間はやはり自然の中で美しい自然の中でつつまれて死にたいということがある
まだ長く住んでいて愛着ある場所に故郷に死にたいということもある
老人になるとそういう意識が強くなるのである、だから故郷に住めなくなった原発避難民で老人はそういう意識が強いのである。
都会では土地に愛着を持つとういことがないからそういうことがないのである。
そしてもう世代の継続が今は全般的にない、それも墓を維持できないものになった。
村という共同体も希薄化して継続がない時代である。
死者でももし仏方(ほとけっぽ)とかに葬られても村の共同体が継続されていたらそれも語り継がれて供養する人はいる、村は一家族と違って村全体が家族のようになるからである

我が里に知られず埋もる墓なれや今日見いだして秋の日さしぬ

我が里という感覚はまず都会にはない、里というとき村でもそれは自然の中に営まれた共同体である。死んでも里の人に見守られているというふうになると別に個々人の墓がなくてもいいわけである。
墓はだから共同体と継続性のある社会がないといらなくなる、第一維持もできなくなるからである。
生者が死者を意識することは死んでもその人がなお生者の中に生きつづけることでもあるからだ。
ただそのために寺に金を使い供養するのとはまた違う。月命日だなんだとか金取りになっているのも問題である。
死者を思うというときそれは心の問題なのである。

ともかく仏方とあってももし墓もないならなかなか死者がそこに葬られていることも意識しにくいのである。
墓があるとここに確かに人が死んで葬られているのかと意識するのである。
墓がないと死者を意識できない、すると死者と生者の結びつきも消えるのである。
死者は全く存在しなくなるということである。
明らかなことは墓がないとしてもいらないとして生者は死者を意識するものが必要だということである。墓の代わりになるものが何かとなるとそれは何なのか?
それが問われているともなる。

南相馬市鹿島区寺内に見いだした共同墓地(仏方ーホトケッポ)
タグ:墓の問題

2016年10月09日

秋から冬-墓の短歌(故郷と啄木の函館の墓)

秋から冬-墓の短歌(故郷と啄木の函館の墓)

hhotoke1111.jpg


takahiraaa111_FotoSketcher2.jpg

高平の五輪塔



ほとけっぽここに眠れる里の人月の繊くもいでて光りぬ

南北朝の謂れのありと五輪塔秋雨ぬれて北風の吹く

白波の寄せて寒しも啄木の墓ここにあり心さわぐも

そそりける立待岬の崖暗く啄木の墓冬にたずねぬ

放浪の啄木の墓函館に冬の海とぶ鴎にそあれ

函館に外人墓地や啄木の墓もたずねて冬の日暮れぬ



墓というときそこは死者を意識する場である、寺内のほとけっぽは杉の林に隠されてわからなかった。
そこは確かに埋葬場であり死者が埋まっていたのである。ただそれも時がたつとわからなくなる、そこに死者が埋まっているのもわからなくなる、一部は畑になっているからその下にも死者が埋まっているのかもしれない、何か不明の石くれの碑もあったからである。となると死者が埋まった土が畑になり野菜を育てているともなる
土の栄養にもなったのかともなる

現代では「里の人」という感覚が失われた。たいがい会社員であり会社の人になっている里の人というときその土地で暮らした人でありたいがい農業が中心になっていたろう。
だからこそその土地と一体となり里の人となっていたのである。
商業とか工業となるなとどうしても土に根ざすということにはならない、外部へと拡大してゆく、行商などで売りに歩くのもそうである。
現代は広域社会でありさらにグローバル化社会である。
この辺で震災や原発事故以後は外部の人であふれていた、日本全国からきているし今も来ている、そういう人は里の人ではないのである。たいがい会社に属しているから会社の人となってしまう。だから故郷と言っても今はその生活が広域的だからこだわらないという感覚になってしまう。

ただ今回発見したほとけっぽはそこに里の人が眠っている、埋まっているということを知って死者を意識したのである。それで月が細く光るというとき意識して光ったとかともなる
墓というときいろいろあるしそこからよみとれるものがある。高平の柳町の墓の五輪塔は南北朝に由来すると原町市の資料の本に出ていたから前に書いたけど再考が必要である。こういう本は資料でも基本的に知っていないとまずかった。
ここからいろいろわかることがあった。

墓で思い出すのは啄木の墓である。その場所が何か啄木にあっている、白波が寄せて立待岬へゆく所にある。
放浪の詩人となるが一家を引き連れて放浪するというのも普通はない、そうなると難民になる。啄木は一家を背負うことになり悲劇となったのである。
啄木は結構世俗とも交われる人だった、だから記者にもなった。
そのことが理解できない、啄木は自然に通じていたことが不思議なのである。
でも三文小説家のような所もあり小説も書いたのである。
いづれにしろ一五才くらいで自然に通じていたということが不思議なのである。
世俗に交わると自然というのは心に映えない、自然は清い心で接しないと写らないということがある。啄木は何かそうでもない、世間と交わり小説家にもなれるような人だったのである。天才となるとやはり普通の人は理解できないのである。

函館には何回も行ったから冬までも行った、なんか自分はただ三〇年間旅行していたのである。函館でも今でもなんかぶらぶら歩いている感じになるのだ。
青函連絡船の時代から行っていたのである。
今ふりかえると不思議に思う、要するにそれだけ暇だったということである。
今になると旅行することが億劫になる、なんか旅行には遊びのようでもそれなりのエネルギーが必要だった。
そのエネルギーは介護十年とかいろいろあってそこなわれた。
ともかく墓は死者を意識する場である。
啄木は函館で死にたかったというからあそこに墓がある。確かにあそこが何か啄木の一生にふさわしい場だったのである。

昨日は秋雨であり今日は一時北風が吹いた、何か今年は変則的て気候なのである。
タグ:啄木の墓

2016年10月10日

舛添、石原、トランプの失墜 (60以降は人生のツケがカルマを支払わされる)


舛添、石原、トランプの失墜

(60以降は人生のツケがカルマを支払わされる)

最近の一連の事件は何なのか?
舛添知事の失脚はあれだけ金にせこい,公金を使うということはそもそも金に困ってい
その理由が隠し子なのか、離婚した女性に金を払わねばならなかったことにあった。

舛添氏は現在の妻のほかに愛人が2名おり、愛人Aに1人の子供、愛人Bに2人の子供がいるというのだ。愛人がいること自体が物議をかもしそうだが、問題のメインはそこではなく「愛人に「妻とは離婚する」「もうほかの人と結婚しない」と言って騙して交際した」

結婚3回、離婚2回、子供2人に愛人の子3人、現在「隠し子、養育費裁判」係争中』
「週刊ポスト」2014年1月24日号

なぜあれほど金にこだわっていたのか?せこいといわれほどに公金を使っていたのか?
本当は知事の給料だけでも十分だし嫁の家が金持ちだとすると困らないはずである。
ただ離婚して養育費とか払うのでそれで金に追われていた。
これは借金している人でも同じである。
借金している人は金を返すことしか頭になくなりよからぬことでもすることになる
こういうことを知られていたのになぜ知事にしたのか?
この背景も謎である。なにか裏にいろいろあったのだろう。
こういうツケやカルマをもっている人は知事にふさわくなかった。それはみんなわかっていたのに知事に押されたのである。
その責任はそうして知事に押した自民党や公明党の責任もあった。
なぜなら今の舛添の嫁は創価の幹部だと噂されたからである。
何か裏にあり押されて知事にされたのである。反対する人もいたが押し切ったのである。つまりこういう過去ももつカルマをもつ人は知事になるべきではなかったし推薦するべきでもなかった。推薦した方にも責任があったともなる
なぜならそういう過去をみんな知っていたからである。

石原知事の場合はなぜあんなに横暴な人が12年間も知事でいられたのか?
ほとんど仕事はしていなかったとか今では言われる
ではなぜそういうことが許されていたのか?
東京銀行の失敗でもその額は何百億円でありその失敗の穴埋めのためになんらか豊洲のことでも不正があり金がゼネコンなどから回っていたという。
第一そのことでも責任が問われないということも不思議だとなる
石原知事をつけあがらせたのはマスコミである。
マスコミは石原を恐れていたというのもわからない、東電のような大きな会社でもないし宣伝費がとめられるでもないし何か組織があるわけでもないし権力のバックもない
石原軍団というのはあったがそれもそんなに権力をもっていたのかとなる
マスコミは舛添をもちあげていたし石原でもそうである。
マスコミにとってその人がどういう人か問わないというのは本当だろう
モラルでも問わない、何か大衆受けする派手な人が面白い人物がいいのである。
だから芸能人がその主役となるのである。
何か本当に真面目に追求している人間は必要ないのである。
そうなるとマスコミが持ち上げる人間は信用できないとなる。
マスコミ自体が今では信用できないものとなっている

次にトランプでも女性蔑視のことで録音されていてそれが暴かれて窮地にたたされた。
これも過去のことであるがツケが回ってきたとなる
トランプはもともといかかわしかったがなぜまた支持されたのかというのうも謎だった
女性蔑視になると女性票を失うから痛いのである。
舛添前知事も女性にだらしないということはわかっていた。
でもなぜ支持されたのかとなるというのは共通した面がある。大衆受けする派手な性格だということなど何か共通性がある。
人間は何か私的な面でも必ず公的なものに反映する
もし私的に女性にだらしないとか何かモラルに反する生活をしていればやはり公的でもそれが反映される、私的なものと公的なものは区別できない
私生活などどうでもいい、公務ができれば政治家はいいんだとはならない
現実に何らか私的なモラルに反することをしているから公的な面でもつまづき失墜しているからである。

これは政治家のことだが別にそうした人でなくても個々人でも60代になると必ずこれまでのツケが支払わされる、これはどんな人でもそうである。
第一何か罪がない人などいない、何らかの罪を犯している
だから推理小説では過去の罪が暴かれることがテーマになっているのだ。
人間が過去に犯した不品行は必ずツケとして罰が与えられる、そのまま隠匿されることがない、もしこの世で暴かれなくてもその罪は来世で暴かれるのである。
自分のこの十年間の介護や病気のことでもそうだった
いろいろツケがカルマを否応でも支払わされるのである。そのための苦しみだったのである。
それはいい面でも悪い面でも必ず人生のツケはカルマは支払わされる

若いときは奔放なエネルギーにまかせるがあとで後悔する、それがあとで苦しめられることも考慮しないのである。
つまりか若気の至りというけどそれは忘れられるものでもないのである。
必ずそのツケは60以降に回ってくる。
健康にしてもそうである。それまでの生活が影響して病気がでてくる。
ただ60以降はなんらかの病気になるがそれまでの生活が体にでてくるのである。
それは心にも関係してくる、心と体も一体というとき人間は日々の生活で作られるのであり生まれつき体力があったとしても不摂生な生活をすると早死にしたり病気になる
スポーツ選手が意外と早く死ぬのは不摂生のためである。

この三人に共通しているのはモラル的に問題があった。それはわかっていたことだが推薦された。そしてその私的生活が破綻の原因だったのである。
石原もスパルタ教育だなんだと言っても自分の子供には甘かった。
でも回りでマスコミでも何でも押していたのだからつけあがっていた。
批判する人がいてもそれは目立たなかったのである。それは原発でも同じである。
原発は危険だというとを本でだしてもほとんど注目されなかったのである。
だからどうしてある人物は大きくされ原発などでも反対意見は大きな声とならないしとりあげられなかったのである。
大きな声を形成させるのは何かとなる、それはマスコミとかその他いろいろな要素がありそうなる、舛添でも石原でも大きくされたのはマスコミの影響である。
大きな声になるのは大きな権力に操作されてそうなる、アメリカが最大の権力としたらアメリカの権力の操作で大きな声が形成される、それで原発も反対できないとなる
民主主義だといっても大きな声になるのは大きな権力に操作されるとしたらどうにもならない、そこに民主主義の限界がある

posted by 老鶯 at 13:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2016年10月11日

原発はなぜやめられないのか(2) (人も死なないし被害を訴えることができない)


原発はなぜやめられないのか(2)


(人も死なないし被害を訴えることができない)


津波の被害は目に見えて何も訴えることもなくて一目瞭然だった。だから同情されたしそれに文句を言う人はいなかった。
ところが原発事故の被害は確かに大きかったのだが津波のように2万人近く死んだわけでもない、原発の作業員が8人くらい死んだとしても一般の人は死んでいないのである。
関連死で老人が何百人と死んだということもあるがそれも目立ったものとして現れていない、つまり被害のインパクトがないのである。

ヒロシマ,ナガサキの原爆だったらこれも一目瞭然である、あまりにもひどすぎるとなり訴えることができる、戦後70年でもその被害を訴えることができる
でも今回の福島の原発事故の被害がなんだったかというと故郷に住めなくなったとかの被害でありそれも外部の人には補償金をたんまりもらったのだから他に移り住めばいいじゃないかと被害が言っても訴えないのである。
むしろ毎日ギャンブルで遊んでいい身分になったなと見られている、それは地元でも原発避難者をそう見ている、そして被害者でも補償金でもめて争っている

ではなぜこういうことが起きたのかというと被害がはっきり見えないし訴えないのであるもしバタバタと人が死んだとか甲状腺の子供が目に見えて増えたとか奇形が生れたとか何かはっきりと目に見えていれば訴える、原発はひどいなと見てもう原発などやめるべきだと国民でもなる。
そうならないのは被害があったとしてもそれが内部でも外部でも訴えるものになっていないからである。
ガンになると言っても遺伝子が損傷するというのも深刻だとしても今のところそんな被害がでてこない、10年後20年だになるともうそれが原発事故のためなのかもわからなくなるつまり被害が目に見えてはっきりしないことが原発事故なんかたいしたことないじゃないか、かえって補償金でうはうはなんだよな、それは事故前も事故後も原発はかえって住民にとっていいものだったんだよとか言われる
それは被害が目に見えて悲惨なものになっていないからである。

その被害が目に見えて現れないことが実は内部でもただ補償金で争うだけのものになっている、もし原発事故で人がバタバタ死んだりしたら内部で被害者同士が争うなどありえない、みんなこんなふうにしたのは誰なんだとか、みんな命懸けでも訴えて戦うということがあった。ナガサキ、ヒロシマではそういうふうに被害が甚大だから世界にも訴えることができた。今でもそうできているのである。
被害でも外部に対して訴えるインパクトがないから外部からもなんだ被害って何なんだ、被害者は遊んで暮らしているじゃないか、原発で補償金もらってうはうはだなとか言われるのである

俺も被害者になって補償金もらいたいな

こんなことを言うことなどありえないことである。誰も戦争の被害者になりたくない、シリアの避難民などになりたくない、それは目に見えて被害が悲惨だからである。

ただ腹ただしいのは

福島県産の食べないとか食べて応援などはやめろ

東電の社員に食べさせろというのは賛成である。確かに一部は福島県産を食べさせた。

お前らも原発に国策として賛成したのだから福島県産を食べろ
共同責任を果たせ

となる。原発は国民全部で決めたことなのである。そしたら福島県産を食べるなとか言えるのか?原発事故の責任は国民全部にある。
つまり福島県産を食べて共同責任を果たせ、それが原発を作った国民の責任なのである。
福島県産を食べてガンになるのは嫌だとか遺伝子が損傷して子孫に影響するとか言うけどそれは原発を作った国民の共同責任なのである。
福島県だけの責任ではないのである。
地元でも魚の骨にストロチウムがたまるとか言われると食べるのを躊躇する、その魚は結局率先して漁業している人が食べるべきである。なぜなら漁業者が一番事故前も事故後も補償金で補償されていた特権階級だったからである。
それが当然の責任だったとなる、他の人も地元でも外部のものでも食べるのが責任だとなる、福島県産は食べるな、売るなというのは何か勝手なのである。
つまり原発をもつということはそういうことなのである。
嫌だというなら原発をやめるべきなのである。

なぜ原発がやめられないのか?それはアメリカの圧力もあったとしても国民がそれだけの覚悟をもてないのである。
ナガサキやヒロシマのようになれば覚悟する、核兵器は絶対もつべきではない、世界で持つべきではないと訴えることができる
ところが原発はそういう世界でも国内でも訴えるインパクトが被害から見えないのである確かに故郷に住めなくなったということは実際は大きな被害でも外部から見ても内部でも原発避難者は補償金もらっていいとくらいしか見ないのである。
それで南部でも団結できなかったのである。
もうバタバタ人が死ぬ、甲状腺ガンの子供あふれて、何か症状が目に見えて現れ苦しんでいる姿を見れば原発はやめるべきだとなる、それが今回はないから訴えるものがなく内部でももめて外部からあいつらは補償金もらって得しただけなんだよとかしかならなかったのである。

人間が外から見て同情するとき何か目に見えないと同情しないのである。それでインド辺りでは子供の手足を切って乞食させるとかまで言われる、それだと目に見えでかわいそうだとなるから施しを受けやすくなるからである。
原発事故は何かそうして目に見えて被害が悲惨なものとならないから結局内部ですら団結もできなかったのである。
もし被害が目に見えてバタバタは死んだとかなったら補償金がどうだこうだとか言っていられない、みんな団結して戦っていたことはまちがいないのである。
それは国民全部に言える、なんだ原発事故はたいしたことないじゃないか、一人も死んでいない、何が被害なんだとか見えてしまうのである。
その被害を実感するのには

福島県産のものを食べろ

それが被害を国民が実感することだったのである。こんなもの放射能に汚染されたもを食べさせるのか?
そうは言ってもそれが国民の原発をもった共同責任なのである。それで原発の被害を実感することなのである。

posted by 老鶯 at 08:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

田舎の秋の灯(詩一編)


田舎の秋の灯(詩一編)

keitooooooo11111122222333.jpg
クリック拡大



鶏頭の赤さを増して小菊咲く

故郷に三羽ほど舞ふ秋の蝶

ほとけっぽ闇につつまれ雲の間に月の隠れて光り消えにき



田舎の秋の灯

autumlllllll67899.jpg


秋の灯の離れてともる
家居淋しも
草むら深く月見草
我が触れもせじ
草むらに消えぬれ
雲間に月の光り隠れ
星はひそけく煌めきあいぬ
人の交わり熱き交わり
災いともなりて離反する
思いはあれど離れつつ
かそかに虫の鳴き
ひそかに煌めきあうこそよし
死者は静かに眠り騒がず
我が奥津城もそこにあれ
繊々し月は光りぬ

autumlllllll678.jpg

autummmlllll1222333.jpg


急に寒くなった。この辺でも原町とか相馬市になると四万以上であり一万の町とはかなり違った雰囲気になる、
鹿島と小高は一万だからにていた。
一万となると街のすぐ外が田畑とか森とか野になるのである。
秋の灯がともっている、川べりの道には草が深く茂り月見草が隠れ咲いている

人間関係はむずかしい、何かしら必ずもめる、女性でもそうだし家族を見ても何か必ずどこの家でももめごとがある。田舎では人間が素朴だなとない、田舎では干渉されすぎるのである。ある人は一人暮らしで四六時中回りから監視されている
畑をしている女性は必ず誰が話しかけて時間をとられると言っていた。
一時間くらい嫁の愚痴を言うばあさんがいるからそうなる
自分は家族がいるとき田舎でも人ととかかわらなかったが介護や病気になってかかわらざるをえなくなったのである。
そのためにひどいめにあったことを書いてきた。

田舎は詩のように静かでいいのだけど人間は何であれ交わりとなると熱くなってもそこに問題が生まれてくる、男女でもうまくいかない、三分の一は離婚しているからである。
離婚していない人でも実際はうまくいってない人も多い
それだけ人間は互いに合わせることがむずかしいのである。男女の関係でもそうだとしたらみんなそうなる
自分の家も死ぬまで事情があってもめつづけていたのである。そして最後は悲劇で終わったのである。

なんか三羽ほど秋の蝶が舞っている、なんでもないんだが秋らしいとみる、三羽でも仲良く舞っているのが平和なのである。鶏頭でもそうだが花と花は何も争うことなく美しく映えているのである。調和しているのである。
ともかくやはり秋は秋らしいのがいい、何か天候が今年は変則的だったのである。
秋は芸術の秋である。頭も冴えてくる、それで詩もできたのである。







タグ:秋の灯

2016年10月12日

途中下車宗谷本線(詩)ー宗谷本線が消える?



途中下車宗谷本線(詩)ー宗谷本線が消える?

souyaaaaaa11.jpg

railkkkkk1111.jpg


宗谷本線
一つの駅
おりたちぬ
夏の日の思い出
数軒の家あり
立葵明るく咲き
一軒の家の庭
花々に囲まれぬ
かしこ我がしばし
一人遊びてあり
今にして遠い記憶
一つの駅またおりぬ
その辺り歩みて
牧舎に牛のいぬ
のっそりとして
そこは湿原や
菖蒲の咲きにき
一両の電車あわれ
夏の夕ぐれ
ただ遠き日の旅の思い出
その最果ての線路
一つの無人駅
おりたちて
いつ来るとてなし
電車を長々と待ちぬ
線路には恐ることなく
でんでん虫の一匹眠りぬ
その路線も消える時
まさにただ記憶とならむ



宗谷本線の存続がむずかしくなるらしい、稚内からは乗る人がまれである。ほとんど無人駅である。電車も一両だった。youtuneで延々と電車からの風景を写している
延々と森の中を走っている、家は本当に少ない、あんなに家がなかったのか?

人間は最後は記憶だけになる、記憶がそこにあったということを示すが例えそこにあっても記憶が消えたら存在しないと同じなのである。
ても旅でも今は騒がしいから忙しいから記憶に残らないのである。
すると旅したことにもならないしそこにあったということすらなかったともなるのである
自分は暇だったから一つの駅でおりてその辺をぶらぶらしていたのである。
電車は二時間くらい来なかったかもしれない、あの辺は無人駅が多い。
電車も一両だった。それだけ乗る人がいないというとき廃止になるのもやむをえないのかとなる、北海道の路線はすでに半分は消失した。これからも消失してゆく
ただ宗谷本線は違っていると思った、なぜなら急行が走っているし本州と最果ての地を結ぶ路線だと思っていたからだ。そういうことでなくなるとは思わなかった
ただ一両の電車がたまに走る路線だから日常的に地元の人が乗る人が本当に少なかったのである。

電車の旅はずいぶんした。北海道はずいぶんのった。でも電車の旅は意外と記憶に残らない、その車窓の風景でも早く過ぎて行くから記憶に残らない、ただ途中下車するとき何かそこが記憶に残っている、宗谷本線では途中下車して長い時間をいたから記憶に残っていたのである。
記憶は時間と関係しているのである。早く過ぎたりちょっと留まったりしただけでは記憶に残らない゛ともかくそこでは途中下車しても長い時間を過ごしていたのである。
それで記憶に残っていたのである。
現代の旅は何でも忙しくて早すぎて記憶に残らないのである。すると何か実際は時間の浪費しているのである。
効率的な時間で旅すること自体がかえって時間を浪費しているという逆説になる
なんか無駄な時間がかえって記憶に残りあとで宝となる

人間は老人になればわかる、体験したことが宝でありもう新しい体験ができないから体験した記憶が貴重なものとなる、人間の生きる時間は極めて限られたものなのである。
そこに人間の限界がある。老人になると新しいことを消化しにくくなる。
ただ今まで経験したことをふりかえりその意味を深化させるのに向いているのでてある。では旅した経験を書くというとき記憶に残っていなかったら書くこともできない
でも記憶に残ることはつくづく少ないと思う、とにかく人間ほど忘れやすいものはないのである。

自分の場合、介護だ自分の病気だ、津波だ、原発事故だとかあり十年がたちまち過ぎた、それで時間を消費してエネルギーも消耗した。旅する気力もなくなったともなる
そして新しいことを消化できないのである。
今まで経験したことを深化してゆくことしかない、だから老人は狭い範囲で生きてその場で意味を深めてゆくことに適している、新しい場で再出発することは向いていないのである。だから原発避難民でも老人は故郷に帰りたいとなるのである。
そこには生きた記憶の場所だからである。

タグ:宗谷本線

2016年10月13日

秋の短歌近辺十首 (避難区域の空家の不思議-家が人を待っている)


秋の短歌近辺十首


(避難区域の空家の不思議-家が人を待っている)


真野川の岸辺に男一人いて心にかかる秋なりしかな

同い年死ぬ人二人秋めぐり我が命も長からなくに

はや散りぬ木の葉にあれや仮設住む人も五年や死ぬ人もあれ

五年過ぎ仮設も淋し秋の灯のともるも少なし消えゆく灯かな

群馬より来り働くその人の一年過ぎむ秋となるかな

通りにそ味噌屋の明かり漏れにけり秋にしあれや仕事あれかし

古本を捨てむと思ふも捨てられじしばしまた読む秋なりしかな

我が家を一人守りて秋となる姉と母との我を見守る

人住まず五年をここに淋しかな秋となりしを家族を待ちぬ

小高駅おりてあわれや空家かな誰か住みなむ秋となるかな

新しき家々にともる秋の灯や落ち着く暮らしここにはじまる


秋だと感傷的になる、真野川の岸辺にはベンチがあり誰か座っている、それは地元の人ではないかもしれない,外部から来る人が以前としているからだ。
なんでもないことだが秋は感傷的になる。それで啄木調の短歌ができる
それもこれだけ年になってからである。
だから27歳くらいでこうした短歌を作ってたい啄木が不思議なのである。

二人同じ年の人が近くで死んだと、60代で死ぬ人は一割はいる、すると自分も死を意識する、だから家を整理している、なかなか整理できない、本が意外す捨てられない、本を捨てようとしてその本を惜しんで読んでいた。本は家が傾くほどあったから半分は捨てた、まだ捨てたいが捨てられない、ゴミ屋敷は異常としてもなかなか捨てられないのである。そこには単なるものではない思い出があるからなのだろう。

でも本はなんか買ったけど読んだのだけど読んでいなかった。
これも忘れているのが多いのである。それよりプログでも自分の書いたものも忘れている人間はとはもかく何でも忘れやすいのである。
だから何かとにかく書き記しておかないともう何も残らない、それほど忘れやすい
そしてついには認知症になるとあらゆるものを忘れる、子供の名すらも何かも忘れる、何かそれが極端だけど人間が最後がいかに忘れやすいからを象徴していたのである。

記憶にとどめきれないことは、何でも
この白い紙に書き記すがいい、そうすれば
君の頭が生んだ子供たちはここで養い育てられ
あげくは始めて我が心にあうような思いをしよう
「シェークスピアーソネット集)

memoooooo111.jpg

プログなどはこうして日々書いて記憶させておくのにいい、ええ、こんなことを書いていたのか思ったのかとか思い出すのである。それが自分の書いたもののようにすら思えないのである。だから自分の書いたものをまた継ぎ足して新たに書くこともできるのである。
なんか家を考えるとこの辺は奇妙である。小高の駅前でも空家が多い、するとつまり家が住む人を帰るのを待っているのである。家も人が住まないと淋しいからそうなる
家は明らかに人が住まないと死んでゆく、ただたまたま掃除しに来たりしていると荒れてはいない、でも人の住まない家は死んでいるのである。

すでに仮設も五年半過ぎたのである。原発事故などの関連死もあった。でもそれが被害として目立たないのである。原発事故の被害は何か目立たないから外部からたいしたことないじゃないかと見られるのである。一番の被害は故郷に住めなくなったことである。
それも外部から見るとたいしたことじゃないかとなる、別に補償金もらったのだから外に住めばいい、現実に家を建てて住んでいる人も多いからである。

ともかく自分の家でもそうだが家と人との関係というの何かこの辺では考えさせられた。新築の家もまだ建っている、そこに秋の灯がともると何か落ち着く、でも復興住宅もそれなりにできてきたからもうだいたい終わりになっているようだ。
家は今はみんな違った作りである。前は同じような家の作りだったが今はみんな違っている、だから毎日その新しい家々を見て歩いているのである。

鹿島でも通りで店を開いているのは数軒である。味噌屋の明かりがもれてそこは仕事している。
なんかそれだけでも通りがあって活きているという感じになる
でも味噌にしてもスーパーだと種類が多い、自分はダシつきの味噌を買っている、ともかく一人だと何でもめんどうだからそうなる
最近一回相馬市の市でリンゴを買ってもらったがそれがうまかったのでまた買ったら安いリンゴと同じだったのでがっかりした。
それが倍の値段だったのである。そこは地元の市である。そこに地元の産物を売っている
そこで地元の人の会話とか地元のことを知るにはいい、市にはひとのやりとりがある
でも今は全国が世界が競争相手だから農業も厳しいのである。
安いリンゴであり小粒でありなんで倍の値段で買わなきゃならないのかと買う方にしたらそうなる
でも地元産というとき大事にせねばならないということもあるが今はないのである。
そんなこと考える人もいないだろう。スーパーでみんな買っているからである。
昔だったら地元産が多かったのである。農産物はたいがいそうである。すると地元の結びつきがあったのである。
それは高い安いとかではない、地元でとれたものを食べていたから地元を思うとなるのである。

ともかく通りに店もないと通りも死んでいる、シャッター通りにどこでもなっている
なんかそれも地方の衰退である、そういえば秋市なんか昔はあった
そういう時代はやはり近辺の産物が主であり今とは相当に違ったものだったのである。


南相馬市原町区の道の駅で67歳の自転車旅行の人にあう (その人は猛者(もさ)であり冬山にも登っていた)


南相馬市原町区の道の駅で67歳の自転車旅行の人にあう


(その人は猛者(もさ)であり冬山にも登っていた)


この前の自転車旅行の人はバッグをつけていない、ホテルか旅館に泊まっていた。
50日間自転車旅行していてもテントとか荷物がないのだから楽である。
ただ50日間が長いなと思った。

今回の人は北海道の札幌から来た、苫小牧でフェリーで八戸まで来て原町の道の駅に来た何か自転車に詳しい、キャリアーをロードにとりつけるのになく注文して半年か一年かかかった、自分のもロードだがキャリアーつけられない、それから自分の自転車を見て
変速機も軽いものに交換できるという、そこまでできると思わなかった。

どこまでいくのかと聞いたら大洗まで行くという、そこからまたフェリーにのって苫小牧に行き札幌に帰る、苫小牧から北海道には良く行ったけど八戸とか大洗は利用していない仙台から苫小牧とか名古屋には行った
その人はかなりフェリーを利用していた。日本全国自転車でほとんど回っている
自分より相当に上手である。たいして体力あるようには見えない、顔も年とった顔なのである。やせてもいるからだ。でも筋肉はしまっているのだろう。

その人は相当なタフなスポーツマンのようだ。なぜなら冬山にも登って仲間も死んだというからだ、冬山を登る人は並の体力ではない、モサ(猛者)だったのだろう。
なぜならテントも積んでいて原町の道の駅にとまるというからだ。
67歳とかなるとあまりそういうことをする人はいないからだ。
ただ60以降の退職者が良く旅しているから出会う。
今回の人は自転車旅行でも相当に旅慣れている
あの年でテントだと疲れる、自転車旅行はホテルとかに泊まりにくい場合があるからテントを持つのが普通である。
でも年になれば別にホテルでも金あればとまっていい
あの人はテントで道の駅にとまるということはやはりそういう人はまれだろう。

ただ札幌から苫小牧、八戸から大洗となるとそれほどの距離ではないだろう。
ロードだと一日百キロは行くからである。
一週間くらいだとしたら日数的には楽である
でも人間は年取って体力には差があるなとつくづく思う
自分は40代とかでも一日休養をとってやっと行っているくらいだった。
その人は体力もあるがなにかいろいろ器用にこなせる
バスにも自転車用バッグで乗せるというからだ。
人があまり乗らないとできると言っていた。ただそれも交渉が必要でありそういうこともなかなかできる人とできない人がいる
あの人はそういうこともできる人である。

ともかく67歳でもそういう人はいる、退職した団塊の世代はまだ体力がある人がいるしそういう遊びに長けた人が多いのである。
スポーツやっていた人も多いのである。冬山は一番きついのだからやはり体力が違っている、だから自分とはずいぶん違うなと見た
でもその人も最後の旅になるとか言っていたからやはりそういう年になる
何をするにも最後だという感覚になるのである。
それが若い人とは違ったものとなる

ただ札幌に住んでいるということはそこは大都会だから別に北海道でも不便な所に住んでいるわけではない、要するに都会人なのである。
自分は一万の町に住んでいるとしたら田舎人である。だから北海道でも札幌に住んでいるのとそこか離れた辺鄙なところに住んでいる人では全く違った環境に住んでいることになる、この辺では仙台に住んでいるようなものである。
本当に北海道で生活しているとなると牛を飼ったり農業している人が本当に北海道で生活している北海道人となるかもしれない、札幌は都会人なのである。
自転車屋でも大きな自転車屋があるから自転車に詳しくなれるということもある

自分もまた北海道を自転車旅行してたいと思った。ただ何か筋肉痛になったり疲れる
気力も衰えたとかなる、でももう一度北海道走ってみたい、特にロードで平坦な道を走ったら気持ちいいだろとう思う
十年は介護や自分の病気で消耗して時間がまたたくまに過ぎてしまった。
これだけ遊んでも遊び足りない、時間は遊ぶだけでもすぐに尽きる
としたら勤めている人は遊ぶのはほんのわずかな時間しかなかったとなるのだ。
つまり人間の費やす時間はあまりにも限られたものだったのである。
60になって退職して自由になり旅しようとしてもできない場合がでてくる
病気になったり介護になったり何が起きるかわからないからだ。
そして人生の時間はたちまち尽きてしまうのである。

月光る自転車旅行67歳




タグ:自転車旅行

2016年10月14日

仮設住宅から復興住宅へ 鹿島区の復興住宅は浪江と飯館村の人しか入れない?


仮設住宅から復興住宅へ


鹿島区の復興住宅は浪江と飯館村の人しか入れない?


シシドスーハーの隣の復興住宅

hhhhhhffff11122233.jpg

これは3ldk2所帯が入れる

hhhhhhffff111222.jpg
二階に二部屋ある 奥行きがある

屋根でつないだの工夫

hhhhhhffff111.jpg

hhhhhhhhhllll444.jpg

全部で二所帯入れる家が4列あり
10×2×4=80である。80所帯は多い、一つの街である


鹿島の復興住宅は50所帯くらい入るのか、一軒一軒買い上げの住宅である。
相馬市ではこれと同じようなのが土地付きで1300万円で売り出していた。
それなりの家であり奥ゆきがあるから三人くらい住むには十分だろう。
2LDKと3LDKのタイプの家である。

ここは飯館村と浪江町の人しか入れないという、小高の人は入れないという
それもなぜなのか?南相馬市が優先だと思うから小高の人が入れるのだと思っていた。
何か理由があるのだろう。

浪江の人は目につく、二万人がいて散らばったのだからやはり多いからそうなる
ただわからないのはここに住むというとことは帰らないのかとなる
浪江でも請戸は津波の被害のあった人たちは家がないのだから帰れないということがある飯館村は家があっても放射線線量が高いから帰らないと決めた人も多い
飯館村は草野中心にしてその周辺は人は住まなくなるのだろう。
佐須なども帰らない人が多く村が消滅するみたいだ
なにしろ老人が多いから小さい村はもう維持できない
このさい補償金をもらったから他に家を建てて住む人も多い

小高は別に原町が近くて生活しやすいがそれでも若い人は帰らないからほとんど老人しか帰らない、そういう街が成り立つのか疑問である。
小高の問題はかえってそうして近くに原町とか便利な所があったから別に小高にあえて不便な所に住まないという選択ができる、それでか帰らない人が増えた

原町のキクチスーパーの隣に復興団地ができた。その数は多い、そこも浪江の人が多いという。そこには大熊の人かも入るしすでに入居している。
小高の浦尻の人がいて入った、その人は2町5反の田をもっていた。
それで農機具が2000万もかかったという、何でもそれが津波で流されたとか原発の賠償の対象にならなかったとか文句言っていた。
津波の被害は東電では賠償しないのである。

「船主はずいぶん補償金もらったようだけど」
「ああ、浦尻にも船主が7軒くらいいたよ」
「浦尻にもいたの」
「塚原にもいたよ」
「塚原でも、あそこには港もないけど船主がいた」
「この団地には浪江の人が多いよ」

船主は港にだけいるわけではない、離れてもいたのである。鹿島だと右田は近いけど港はないけど船主がいたことはわかるが浦尻とか塚原にいたとは知らなかった。
船主は賠償金を事故前も事故後もかなりもちらっているから余裕である。
それで鹿島区にも船主は立派な家を建てている、磯部の人も建てたとか確かに・・・・丸とか書いた荷物を運んでいたからわかる

それにしても原町の復興住宅の数は多いのに驚く、それだけの人が入る、それは南相馬市の人だけではないのだ。だから数があれだけ増えたのである。浪江は二万人いたからその人たちも流入している、大熊の人もいるとか原町も人口が一時減ったとしても入る人も多いからどうなっているのか?小高の人が原町に移るのが一番多いことは確かである。

ともかく仮設の時代はまもなくこの辺では終わる、来年は仮設に住めなくなる、復興住宅に入る人が多くなる、新しい家を建てた人も多かったがみんなは建てられないから復興住宅に入る人がこれから多くなる、そこでは部落の人が集まるとういわけでもないだろう。浪江とか大熊とか小高とか入り交じることになる
そこで何か問題が起きてくる
仮設から復興住宅への変化が今年でも来年でも起きてくる

なぜ今になると船主であれ漁業権者が批判されるのか?
それはやはり原発事故の被害が広範囲だったからである。
農民でも被害者である。様々な人が広範囲に被害者だったのである。
でもその人たちは補償金もなにももらっていないのである。
だからなぜ特別補償金をもらい立派な家を建てているのかとなる。
自分たちでとった魚を食べることもできない、売ることもできない
そればせ罰だったのかともなる



タグ:復興住宅
posted by 老鶯 at 15:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連