2016年09月18日

自助の精神が失われて復興ができなくなった原発避難者 (桜井市長もそのことを言うようになった)


自助の精神が失われて復興ができなくなった原発避難者


(桜井市長もそのことを言うようになった)

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darkness duaでそのことを引用して言っている

津波とか原発事故の被害地域ではこういうことに陥っている、それは前も書いたが過剰な援助でもう自力で何かを復興をやる気をなくした。全部ではないにしろ全般的にそうである。
一カ月百万とかもらったらどうなるのか?そういう人も家族が多いといたのである。
もともとこの辺は給料が安いから原発の補償金の方がずっと高いものとなっていた。
そうすると補償金をずっともらっていた方がいいとまでなる
補償金をもらえるのが当然でありボランティが来て援助されるのも当然であり俺たちはかわいそうなのだから同情されるのも当然でありそれに異を唱えるのは糾弾されるべきだとなる、自分にもそういう人がいたのである。傷口に塩ぬって楽しいかとか責めてくるしそれに同調する人が原発避難者にはいる
それはマスコミでもそうであり一方的にかわいそうだとなりそのことしか伝えない
そのかわいそうな人たちは何していたのか?
毎日パチンコ屋通いであり競輪でありギャンブルで遊んでいただけなのである。
そのことで桜井市長も避難者に苦言を言うようになった。

俺たちはかわいそうな被害者なのだ、これほど現代で強い立場になることはない、この被害者意識は国際関係でも中国と韓国がいつまでも責めてきて日本から金をまきあげることでもわかる。それはもう日本を責める、金をまきあげる口実になっている
あの戦争にも複雑な事情があり日本に一方的非があったわけでもないのである。
そんな事情はもうどうでもいい、日本を徹底的に悪者として責めれば得だとなってそうなっている、結局事実とかも現代の都合で曲げられてしまう、歴史も曲げられてしまう。

この辺でさらにやっかいなのは放射能問題である、これも避難者に対して何も言えないものを作り出した。子供をもっている親は特に女性は放射能を恐れる、それに対して何も言うことができない、親が帰れとは言えない、それで実際は姑と離れて暮らすのがいいと帰ってこなくなったということもある
放射能が怖いから帰れないといえば親もどうにもならないからである。
でももし補償金がそんなに出なかったらもうしかたなく住みつづける人もいたろう。
背に腹は変えられないとなるからだ。
手厚い補償金をもらった結果、かえって外に出て家を建てるとかして帰ってこないとなった。補償金がみんないい方に働かなかったのである。地域の和も破壊されたしみんなで協力してやろうとかも失われた。
浪江の工場経営者の人が仕事を南相馬市の人なのか頼んだら断られた
「あんたは何億補償金もらったんだ、仕事などしなくてもいいじゃんないか」
こうなるのも補償金で和が保てなくなったのである。
もしそうでなかったらこういうときこそ助け合うべきだとなっていたのである。
そういうことは全般的に言えたのである。

南相馬市の鹿島区の議員が小高区の避難者の所に言って親切にする、その人は鹿島の人たちの気持ちを全く知らなかったのである。
そして自分が鹿島の人たちが補償金で不満があると言ったとき怒っていたのである。
一般的に小高の人たちはそういう気持ちである。そこに根深い対立が生れたのである。
それはみんなそうである、俺たちは被害者なのだ、かわいそうな援助される人間であり
そんなことを良く言えるな、それでも人間なのかとなる。
それをマスコミでも常に応援するから余計にそうなる
そして自立の精神は失われ俺たちはかわいそうな人間であり援助されるべきでありもうこれだけの被害なのだから生涯援助されるべきであり国民年金しかもらっていない人も多いから補償金として年金を増額して補償されるべきだと主張する
それも老人が多いから特にそうなったのである。

確かに最初避難して一二年とかに避難者を批判するのは酷だった、でも五年半過ぎたのだからこうした批判もあって当然だし考えを変えねばならない時期である
ところが一旦こうして補償されるともうそれが当然のようになりそれに頼り自立の精神が失われる、農家でも三年も農作業しないと体がなまりなまけくせがついてできないという特に老人が多いから余計にそうなったのである。
この辺は六五歳以上の比率が30パーセント以上とか他より急速に高くなった、何か買物しているのでも目立つのは老人なのである。

そして常に農業でも跡継ぎがいないとか言われてきた、跡継ぎがいないということは自分もそうだが深刻なのである。世代の連続性が失われることである。
それで確かに老人なら地元で故郷で死にたい、死に場所としての故郷が実はあった。
このことは意外と若い人にはわからないが年取ればわかる、でもそうさせるのは世代の連続性があるときなのである。
つまり若い人がいて老人もいてかなうのである。老人ばかりだったら支えるも者もいないとなるとそうはならないのである。

この辺は様々なことで自立の精神が損なわれた、補償金でもそうだし和が破壊されたことでもそうだし放射能汚染でもそれを口実に使うということも若い人にあった
そして現代の時代もあった。回りは便利な生活して便利な生活になれているときあえて不便な生活を困難を選ぶ人はまれだからである。
確かに女川では外から入ってきた若い人は困難を覚悟で入ってきた。だからその若者には感心したのである。
戦後の焼け野原から開墾に入ったのは仕事も何もないからであり貧乏が当たり前の時代だからそうなった、選択する余地がないのである。どこに行っても条件が悪いのである。
今は回りが便利な生活をしているのにあえて不便な生活を選ばないのである。

ただ援助されていいことはある、飯館村では小中一貫の学校を作る、そこに何十億という援助がされるからできるとか国からの大きな援助があるから新しい構想の街作りができる、飯館村は草野中心にコンパクトシティ化するのかもしれない、草野の広い土地に復興住宅ができる、何か今までとは違う新たな試みが援助があるのでできる
飯館村などでも塩の道にそう家では新しい倉を建てたとか補償金で喜んでいる人もいる
福島市にも家を建てた人もいる、福島市に家を建てることは土地が高いから相当な額になる。でもそれが補償金でできたのである。

ともかく原発事故は今度は原町の復興団地に大熊とか浪江の人たちも入るのでそのことでも広域的な問題だった。福島県全体の日本全体の問題ですらあった。
避難した人たちが移ってくればその人たちを通じて被害が広域的であり一小地域の問題でなかったからこそ狭い範囲で原発の是非を決めること自体間違っていたのである。
狭い範囲で大熊と双葉とかの住民のエゴで決められるものではなかった
被害がそこにとどまれば文句は言わないが全体に及ぶのが原発事故だったからである。

避難指示解除前日の7月11日、小高区の住民有志が南相馬市役所内の記者クラブを訪れて「福島第一原発事故の避難指示解除に当たって、桜井勝延市長の歴史的責任を問う」と題した文書を記者に手渡した

いつまでも除染のことを言ったらきりないと思う、本音はもっと補償金をもらいつづけたいということである。地元だって今になると原町区と鹿島区の人たちはそう思っている
いつまで補償金で遊んでいるんだと思っているのである。
いづれにしろ補償金はどこかで打ち切らざるをえないのである。
原町区と鹿島区でも30キロ圏で区切られたから補償金で対立することがあった。
今になると原町区と鹿島区は一致している、もういい加減小高の人たちは帰って復興してくれとなる、いつまで補償金もらうつもりだ一生なのかとなってしまうからである。
小高区の問題は東北電力の原発がすでに工事がはじまる予定だった、そのこともやとり小高区の責任になる、それも南相馬市に合併する前だけどこれもまた広域的に決められない原発の問題があったからである。小高のことは小高で決めるというわけにはいかないのが原発だったのである。

posted by 老鶯 at 08:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連