2016年09月16日

心が補償金で分断された原発事故の被害地 (そもそも土地は分断できない、つながっているから)


心が補償金で分断された原発事故の被害地


(そもそも土地は分断できない、つながっているから)


「あん時は参ったよ。地権者は『米を作るよりも儲かる』ということで貸すことになった。しかし、仮置き場の周りの土地の地権者たちには1銭も入らないから、怒ってしまった。それに、のちになってわかったんだが、20キロ圏内の地域は環境省の管轄で、あっちは1反当たり年18万円。今度は市に提供した地権者たちが騒ぎだした。まあ、金のことになるとみんな勝手だよな」

 ある区長は、そう言ってボヤいた。

なぜこういうことが起きているのか?原発事故の被害はある地点ではない、広域的に起きている被害である。それで30キロ圏内とか放射線量で一地域でも分断するとか南相馬市内でもいくつもに分断されて補償金が支払われた。
30キロの境になった人では隣がもらっているのにと泣いて訴えていた女性もいた。
そもそも放射線は全体に広域的に汚染しているし影響がある。
被害に関してはそんなに差がない場合がある
30キロで区切ること自体が問題だったのである。

飯館村でも南相馬市とは関係ないと思っていたけど実際は土地はつながっているし仮置き場にしてもそこから放射性物質が雨に流されて泥とともに流れてくるかもしれない。
そういう危険性はあるし真野ダムにも放射性物質が泥とともにたまりづづけているしそこから下流に流れだしてくる。
それは大地でも川でもつながってるからそうなる、それで飯館村の人が土地を売って補償金をもらって他に移りたいというときそこが仮置き場にされまた政府のいいように使われる、何も用がないとなると放射性物質の永久の置き場にもされる
もうそこは住民のものでないとするとどうされようがとめることもできない
原発を建てるときも一地権者と県の許可でまず建てられるというのも恐ろしいことだった
土地の私有というのは明治以降認められたがそれによって入会権などがあった土地を共有するという感覚を失った、何でも私有権を主張するようになった。
信じられないのは自分の家の前の海にも権利があるとして訴え補償金を要求しているのである私道でも避難区域になったところは補償金を要求してもらっているのである。
一区画の土地が私有されることによりその土地は自分のものだから売るのも何するも勝手だとはならない、常に回りと関係して土地はあるからである。
土地はだからそもそも私有化することが合わないものだったのである。

賠償金の問題でも全体としてつながっている土地を放射線量だけで点のように分断して政府や東電が補償金を出すということ自体が間違っていた。
そんなことで分ける必要がなかった。そうした結果補償金で地域は分断されてしまった。あいつが多くもらってこっちはもらえない、放射線量など隣なのだから変わらないのにとなった。小高区と鹿島区の争いでもそうである。
つまり小高は確かに避難区域になったのだから多少は多くなってもしかたがない、それがあまりにも手厚いものとなり差別されたから一致して協力できないものになった。
もし同じように補償金を配分すれば小高であれ原町であれ南相馬市は分断されなかったし協力していたのである。
みんな同じ地域であり放射線量の多寡で分断されるようなものではなかった。
放射線量では同じように影響がある、飯館村だって雨がふれば南相馬市に泥となって放射性物質が流れてくるのである。
結局こうして補償金で分断された影響の方が大きかった。
心がばらばらになるとき和が保てずにその力は大きくそがれ一致して復興する意欲も失われたのである。

それは大熊とか双葉とかでも広い範囲でもそうである。それぞれの町や村や区で他でも
仮置き場でもそうである。それだって回りのことを考えれば田んぼにも影響する
回りに影響がないとはならない、田んぼもつながっているからである。水が流れることでつながっている、そういう中に仮置き場があることが問題なのである。
そして仮置き場にした土地の所有者にだけが金が支払われるとういのも問題だった。
回りの土地もやはり一体としてあるからである。
何かそういう配慮がなされなかった。それも私有権が強固に与えられ社会になったからだともなる、土地は共有であり私有になじまない面があったのである。
海だってそうである。漁業権者だけが勝手に所有できたのかと釣りしに来た人も言っていた。海は誰のものなのか?それも所有できないものである。
この海は自分たちのものだ、組合のものだとして東電に売り渡した、そんな権利があったのかとなる、それは土地のものみんな協議するものだったのである。

会社も問題だか明治以降は戦後の民主主義では組合もまた利権化していたのである。
東電を批判するが電事連は大きな組合であり核兵器には反対していたけど原発は推進していたのである。
そうして様々な団体がカルト宗教団体でも利権化して運動したのが民主主義だったのである。そこに弊害が生まれたのである。
そうした利権化した組合とかには農協でもそうだが反対することはむずかしくなる
それは巨大であり権力をもっているからそうなる
そのことが原発事故が起きた原因でもあったのである。
それらは権力をもっている故にタブー化するからマスコミでも批判はしないし誰も批判はできないのである。そのことにより大きな事故であり国家的な暴走も過ちも起きてくるのである。

ただもともと金が絶大な力をもつようになったときすでに現代の社会が分断されていたともなる、金さえあればなんとかなるという社会である。共同性が失われていたからそうなったともなる、農業は金にならないとか後継ぎがいないとかは別に原発事故が起きたらかではなく前からそうだったのである。
ただ高倉の農家の人が時期が早まっただけだったということを言っていた。
姑と一緒に暮らしたくないからこれ幸いと出て行ったとかも言っていた。
だからすべてが原発事故のためなのかというのも疑問なのである。
それは別にここだけの問題でもない、日本全体の問題でありグローバルな問題でもある
ただここではそういう問題が極端なものとして早めに現実化しただけだとも言える
浪江でもそうだが飯館村でも草野に家が集中してその回りは無人化する
何かコンハクトシティのようになる、それは少子高齢化では人がまとまって暮らす方がいいと言うのもここでは現実化しているのである。
それが将来の街作りでありい生き残りになるからである。

posted by 老鶯 at 01:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連