2016年09月12日

若者(20代)の自殺率ワースト 日本の自殺率世界一 (時代をふりかえり考える)


若者(20代)の自殺率ワースト 日本の自殺率世界一


(時代をふりかえり考える)



1位 秋田 
2位 福島 
3位 山形 
4位 宮城 
5位 徳島 
6位 福井 
7位 栃木 
8位 茨城 
9位 長崎 
10位 高知


東北、北関東の自殺率がトップクラスになってる原因は何だよ 
あの一帯は何かある


人並みの生活ってのが 
どんどん遠くなって 
手の届かないとこに逝ってしまった 
中間層の没落 
格差は広がるばかり 
いい思いしてるやつを嫉妬で眺める日々 
自殺したくなるよ


20年前は9割は正社員で年収500万くらいもらえて 
9割のひとが人並みの生活をおくれていた 
今は平均年収300万クラスが半分以上 
格差がどんどん拡大して 
勝ち組上級国民や公務員とかは 
なんの努力もなく 
家買って子供産んで 
人生を謳歌してる 
対象的なんだよな 
悲惨な人生

メンタル鍛えられるもんじゃなく、立場によって変わるものだと思う。 
ひ弱なメンタルも、やばい所にいけば強くなるよ。 
生きるために殺しあわないといけない場所とかねw 
今はそういう必要がないから、豆腐メンタルでいられる。




人間は必ず時代時代を生きざるを得ない、江戸時代を自分はロマンチックに回想して美化したけど現実は最も厳しい、経済的には今の最貧国よりひどい状態でもあった。
紙漉きという仕事があってもそれがあまりに過酷で家の人がしたくないので醜い少女を養女にして奴隷のように働かせたという、そして容姿のいい女性は遊女にされたという現実があった。あとは少年でも丁稚奉公であり自分の父親がそうだった。
江戸時代は一割近くが盲人であったのショックである。それはやはり栄養不足からなっていた。侍だって貧乏侍が多く内職していた、それが今のお土産になったのである。

江戸時代は今のバングラデッシュとかカンボジアとかの最貧国を知れば実感できる。
遊女が悲惨だったというとき今でも少女が最貧国では売られているのが多いのである。
バングラデッシュでは空港にトランジットで寄ったら裸足の子供の群れが集まっているのに驚いた。そもそも空港も何かこぎたないというかソファーも何か古物なのである。
カンボジアだと少女が5ドルで売春させられている、自分は関係していないが世界からそこに年配の男性が集まっている
貧乏になるとどこの国でもそうなってくるし日本だって今や逆に日本人の女性が中国人の富裕層を相手にする、それも日本人がさんざん外国でしたことだからカルマなのである。必ず人にしたカルマはかえってくるのである。

現代で若者が自殺が多いというときその理由が何か定かではない、今の時代が生きにくいと感じるのもわかる、でもそもそもどんな時代でもその時代を生きるものにとって生きにくかったのである。
江戸時代など本当に過酷でありそれと比べたら今は天国だとなる
紙漉きしていたという農家に嫁いだ女性は華奢でありとてもその時代だったら勤まらないでは容姿がいいとなると遊女にされたかもしれない、そんなふうに考えると今の時代は楽だなと思う
自分にしても体力がないから江戸時代であれ昔になると生きられなかったと思う

明治から大正にしても貧乏はつづいていた。醬油すらまともに使えない時代だったのである。自分の母親は原町紡績で糸取りであり環境が悪いし働きづめだった。
食事は味噌汁と沢庵くらいしかないのである。だからよく細身で生き抜いたと不思議だった。
そして昭和は今度は戦争の時代だった。これもあまりにも過酷だった。
自分の姉は赤紙一枚でシンガポールに従軍看護婦にされて四年間戦地で働いた。
そこは地獄だったのである。特に日本が負けたときジャングルに逃げたので食うものもなく地獄だったのである。
戦争の悲惨はとても今では想像すらできない過酷なものであり悲惨なものだったのである
こういふうに時代時代には必ず苦しみがある、困難がある。そして現代もまた違った困難を生きねばならない、現代は肉体的より精神的なもので苦しくなるから鬱病が増えたのである。要するに仕事でも会社勤めでもやりくない嫌なことをしつづけると体にも頭にも良くないのである。
そしてみんなもっと休養したい、休みたいというとき現代の仕事は分刻みで仕事に追われている。それで神経も疲れてくる

自分が良かったのは体力がないけど何か休み自由にとっていたことである。
もう疲れたら休むだけ休んだのである。そういう環境にもあったからできた。
その結果何か体力がないのにこれまで生きてきたし今は病気もない
外からあなたは元気だと常に言われのも不思議だとなるのだ。
それは結局自分はそれだけ無理していないからだったのである。
江戸時代とか戦前とかなるととてもこんなことはしていられない、だから早めに死んでいたと思う
休みたいとき休まないと疲労は相当に蓄積される、それが体を弱めることは確かである。
体力がなくても自分は北海道を自転車旅行しても一日休んでまた走るということがあった。
そうすると体力がなくてもできるとなる、それを無理して連続して走っていれば疲れてつづかないとなるのだ。
会社などはそうして休ませないから社員も疲れてかえって効率が上がらないということもあるのだ。

ともかくなぜ地域的に見ると福島県が二番目なのはなぜだろう,東北が多いのはなぜだろうとかなる、ただ栃木県とか茨城県が北関東が多いのかというのもなぜだろうとなる
一つは東北に関してはメンタリティが弱いということがある
大阪辺りとか西は何か図々しいしメンタリティが強い、地を這ってでも生き抜くような根性がある。商人の世界でもある。
東北はもともと農民社会でありだからこそ現代の工業商業社会に適応できないということがあるかもしれない、事業を近くで起こした人は何か経営者向きではなかった
経営者になることは商売することである、その人は職人には向いていたのである。
一級の資格をもっていたからである。東北人は職人に向いているが商売には向いていないというのは本当である。自分だったら学者に向いていたとなる
何かこつこつやっているのがいいのであり一か八かの勝負をするようなのには向いていないのである。だから株なとも向いていないし自分は投資信託でもしたくないのである。
老人になると保守的になることもあるから株は老人には向いていないのである。

人間はどうしてもその時代時代を生きざるを得ない、その時代時代の困難を生きざるをえない、今の困難は中産階級が世界的に没落したとういことが共通なのである。
その原因はグローバル経済にもあり機械が仕事するということもあり後進国が豊かになってきたということもある、世界の富を数バーセントの人が独占してあとは貧困階級に陥るというのは世界的なのである。
上に上がるには相当なスキルがある人でないとなれない時代である。
あとは大方は非正規とか派遣とかアルバイトとか底辺の仕事に甘んじて食いつなぐ他ない時代になったのである。
それでも江戸時代であれ戦前と比べれば栄養はとっているから病気にはならないし何が死因となるかとなると若い人なら余計に自殺が死因のトップになるのは当然だとなる。

現代の問題としては何かブラックな職業が多すぎるということがあるのかもしれない、江戸時代などは何かそうしてブラックなものが少ないだろう。
みんな農民であり職人であり侍だって貧乏であり何か現代のように濡れ手で粟のような株で一攫千金でもうけるとかそんなうまい商売はまれである。
みんな貧乏でもこつこつ真面目に生きざるを得ない時代だったのである。
ただそういうことでモラル的には悪いことブラック的なことがないから外国人が見たときいい顔していたとなったのかもしれない、貧乏でも悪いことしている人は非常に少なかった時代なのである。労働は過酷でもそういうことがあって社会自体が今とは違っていた。現代の仕事は会社にしてとにかく利益のためには何でもする、モラルを無視するのが普通である。東電だってそうして大事故を起こした。会社には利益しかないしモラルがない
みんな会社人間になっているとき当然個々人にもモラルがなくなり金さえあればいいとなってしまっている。
そうなると社会自体も格差が大きくなるとさらに不満が大きくなる、江戸時代でも階級社会のように見えても侍自体が貧乏だったのである。
現代は格差が広がると非正規とか派遣とかアルバイトなどの仕事が増えるとそうして公務員とかをうらやましいとなる、公務員でも非正規社員が増えていて暮らしていけないとかなっている、何か相当なスキルがない人間は現代では稼げなくなっているのである。
会社に入ってもそうなる、一部の有能な人間以外は切り捨てられて非正規とかになってしまう社会なのである。、それが希望をなくしているのである。
ただ時代により困難があり食の面からすれば今までにない贅沢をしているのである。







タグ:若者の自殺
posted by 老鶯 at 13:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

抽象画(地形の変形) Abstract picture (transformation of the topography)


抽象画(地形の変形)

Abstract picture (transformation of the topography)

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island

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river and sea and  plain

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spring winds




抽象画は変化の芸術である。何か自分でイメージするわけでもない、だから変化して何がでてくるかわからない、具象画からも変形して生まれる
地図のようなものからも生まる、地形にしても変化して生まれ、これを考えると地球上のち地形も多様であり何か変形したものなのである。

それが抽象画と変形しているとにている、こんな地形がありうるのかというがそれとにたものが地球上にはあるからだ。
地形の多様性にも驚くのである。


The abstract picture is art of the changes. It is the thing which the face of the Earth to topography is various and is what or transformed when I change into a straight circle, The topography from the thing such as the map which I transform it from a representational painting that therefore to change, and what comes out or does not know not to image by some oneself, and is born even if I do it and think about birth, this.

It is said that it transforms it with an abstract picture whether similar such topography is possible, but this is because there is the thing which resembled it in the face of the Earth.
I am surprised at variety of the topography.