2016年09月07日

「天国の門」の映画はこの辺の事情とにている (郷土愛がテーマとなっているから)



「天国の門」の映画はこの辺の事情とにている


(郷土愛がテーマとなっているから)


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日本の国土の70%ほどの面積の土地に人口は約51万、旅行した知人によるとと一日中クルマを走らせて対向車、見かけた人ゼロという日があった由)


現代のブッシュ大統領も、イラクのサダム・フセインを大量破壊兵器を持っているとして、軍事制裁をしようとしている。イラクが大規模な油田を持っていなければこのような目に遭わずとも済んだのだろうが、アメリカの石油財閥の強欲により戦争を仕掛けられるのだろう


アメリカが理解しにくいのは中国ともにているが広すぎることなのである。グランドキャニオンなど見ればわかる、まるで別な惑星に来た感じになるからだ。
日本の村と中国の村は別物だというときもそうである。日本の村は規模が小さい。つまり外国になると日本人的感覚で見るから誤解が生じる

ただ人間はどうしても何かを理解する場合自分の住んでいる所から経験しかからなかなか理解できない、それでどうしても視野が狭くなる。
リンカーンの荒野の一軒のログハウスからはじまったのはここでも同じである。
ただこの作品に興味をもったのはアメリカの黒歴史を事実を背景として作られたからだ。壮絶な撃ち合いは映画だけのことであり実際は二人しか死んでいない

ロシア東欧系移民が先住民でありあとからきた移民との土地争いが根幹にある。
そのあとからきた移民はハーバート出の人がいて支配階級になっていった人たちである。だから法は自分たちのものだとか大統領の許可を得ているとか州政府が味方だとか言って先に住んでいたロシア東欧系移民を従わそうとした。
でもそれに従わないいわば先住民が戦いいどんだのである。
ただあのような華々しい戦いはなかった。
でもそこに住む先住民たる東欧系移民はその土地にすでに愛着がありあとからきた移民と戦う、そこには郷土愛が生じていて戦ったようにも見えた。
娼婦でもここは危ないから他に移ろうとしてもここがすべてだから移らないと恋人に言って残ってその娼婦も戦ったのである。
でもそれは映画のことであり実際にはない、別に娼婦だったらどこにでも行って楽な生活を選ぶだろう。それは作られすぎたものだった。
そもそもこの映画失敗作だとされて作った映画会社も倒産したいわくつきのものだった。
ただ何でも人によって映画でも本でも感じ方が違ってくる。
なぜ自分がこの映画に興味をもったかというとすでに郷土愛が生れ先住民としてあったものがその土地も奪われることに抵抗したことだった。
それが何かこの辺の事情と通じるものがある。
津波や原発事故で郷土が放射能で汚染されて住めなくなった。
そうなったとき多額の補償金をもらったから別に郷土に執着しないで若い人は放射能汚染もあり出て行く、そして他で生活を新たにはじめ故郷には帰ってこない
それは命をかけてまで土地を守ろうとした東欧系の移民達とは違っていた。
東欧系の移民達はすでに土着してその土地に愛着していたから土地を守るために戦ったのである。
ベトナム戦争でも穴にもぐりゲリラとなりアメリカと戦った、それも郷土愛(パトリシズム)でありアメリカはそれを無視したというのともにている。
そこは自然も広大で美しい場所だったのである。

郷土愛とか故郷というときこの辺でも住めなくなったとき問われたのである。
故郷といってもそれは普通にあるものであり意識しない、故郷を離れたときとか失ったとき意識するのが人間である。
ここでもあとから来た移民は金があり金で解決しようとした。
金をはらって追い出そうとした。でもそれができなかった。
ここでは逆に金をもらって自ら出て行くというのは違っていた。
でも戦い死んでまでも自分たちの土地を郷土となった土地を守ろうとしたら壮絶だったとなる、実際は二人しか死んでいないし州政府が仲介して終わったのである。

ただアメリカという国はインデアンを皆殺しにして土地を奪ったのが建国の由来であったり黒歴史がある。支配階級もこのジョソン郡事件のように権力で金で強引に支配してゆくそれがアメリカのやりかたでありまさにそれも世界的に行われてきた
イラク戦争でも石油にからんで化学兵器を所有しているからという一方的ないいがかりをつけて多数の死者を出したのである。飛行機がビルにつっこんだ3・11でもあれをきっかけにアメリカ人の愛国心が燃え上がりテロとの戦争だとイラクを攻撃した。
別にイラクがテロと関係している訳でもなかったが口実となった
それは真珠湾攻撃がなかったらアメリカとの戦争がなかったのとにている。
リメンバーパールハーバーでアメリカ人が日本との戦争に突入したのである。
だから真珠湾攻撃は日本がアメリカに仕組まれたものだという陰謀説が生れる
日本もまたアメリカによって一方的にいいがかりをつけられて戦争を起こされたという味方もある。それはアメリカという国がそういう体質の国だからとなる。
インディアンから土地を奪いさらに移民でも支配階級はその移民の土地を力づくで奪う
それがアメリカの支配階級のやり方だからである。

いづれにしろ郷土愛とかパトリシズムとかをもつのは例えば個々人でも家を建てるのに苦労した人はその家に愛着をもつ、俺は一代で特別他人より働いて家を建てたというとき遺産として家を受け継ぐ人より家に愛着をもつ、また開拓に入って苦労した人もその土地に愛着をもつ、でも二代目三代目となってゆくとそうした苦労も語り聞かされるが愛着がなくなってくる、それで老人はこの辺では故郷に帰りたいとなるが若い人は不便な所には住みたくないから出てゆくとなったのである。
そしてそこではやはり土地に根ざす農民とか牧畜業であり今はみんな会社員であり工業社会になっていることが違っている
故郷への愛着が生れるのはその土地に根づくというときそうした農民とか牧畜業の人たちである。会社が浪江から二本松に移動してそのまま移住したりする人もいる
その土地に根付く仕事でもないからそうなったのである。
だから現代は別に故郷とか郷土に執着する人は少ないのかとなる
だからこそ故郷も失われたのか人間も離散したのかとなる
この映画は実際にあったことを映画にしている、この辺でもやはり様々な葛藤があるのとにているのである。

映画というのもそうした人間の葛藤とか何か戦争シーン、暴力シーンだけではないものをテーマにすれば小説とかと同じになる。
シーンとして牛がいないと人力で多数で畑を耕していた、その時機械もないのだから人力になく、牛がいなかったらそうなる、それも時代を現していた。
何かそういうものは生々しく映像だと感じることがある。ただ映画どうしても実際にあるこより派手にする、今回でもあんな戦闘シーンなどなかったのである。
州政府が乗り出して反抗する移民を殺したということはない、かえって仲裁して未然に戦闘を防いだとなる。そこでは支配階級でも公正だったとなる。
インディアンだったらそんなことはしない、法もなにもない、土地を奪うだけだったとなる。

映画でもそうだが昔のものがかえって面白い、今になるとインターネットでも見れるし買うこともできる、なかなか田舎ではそうしたものを買いなかった。
そんな映画あったのと教えられることが多いのである。
テレビは面白くないけどそういう昔の映画は面白いとなり見る、人間が生きることは常に葛藤つきものである。その葛藤の中で人間が選択して判断して行動してゆく
それが別に映画でなくても個々人の人生で常に起きてくるのだ。
人間は苦難とかそうした葛藤とかない、あまりにも恵まれて苦労もしないとしたら人間として生きたのかとまでなる、そういうことも必要でも人間はどうしたってそうした苦難に直面して葛藤する、それが歴史的に国のレベルでも起きてくる、この辺は地域的レベルで起きたのである。

そういうことがないと人間は成長しないのである。様々な人間の葛藤がありそれはこの辺で起きたのである。津波の被害地でも起きたのである。
補償金で争うというのも内部抗争であり葛藤でありそれは否定できない、きれいごとだけではすまないのである。そこに人間のドラマが生れてくるのである。
「あるべきか、あらざるべきか」じゃないけどそういう葛藤こそが人間の人間たる所以なのである。だから歴史でもどういう葛藤があったのか見るべきなのである
簡単に歴史的な決断となるとそこには相当な葛藤があったと思うからである。
過去になるとその葛藤がなかなか見えない、戦争にしてもどうしてあれだけの戦争になったのか?その過程が今では見えなくなっているのである。
戦争すべきなのかしない方がいいのか決断にいたるまでの過程の方が歴史を見るとき大事だったとなる、過去のことになると結果しか見ないからである。
卑近なことでも個々人でも結婚すべきどうするべきかとか葛藤があり常に選択と決断が求められる、そこに常に葛藤が生れるのが人間なのである。
この辺でも故郷に帰るべきかもう帰らないと決断した人でも葛藤があったとなるのである。


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