2016年09月02日

福島市から来た退職したボランティアと話する (道路公団に勤めた人で道路に詳しかった)


福島市から来た退職したボランティアと話する


(道路公団に勤めた人で道路に詳しかった)


なぜその人が新田川の橋のところで鉄くずのようなものを磁石で拾って歩いていたのか不思議だったので聞いてみた。
そしたらその人は道路公団に勤めていて道に鉄くず落ちていると危ないとういこともあり拾っていた。石なども危ない場合もある。自転車では歩道だと石が危険なことは感じていた。
それでその人は道路に詳しいからソーラーパネルを高速道路の側面に設置すればいいと言っていた。なぜなら電源も高速には通っているから便利であり山と森とか平地でも田んぼなどに設置すると自然破壊になるからいいとも言っていた。
それもそうなのかなと高速のことは知らないし車がないから高速道路についてもわからない。その人がそういうことを具体的に提案できるのは道路公団に勤めていたからである。その人は退職した人で全国をボランティアで回わっている人だった
なんか退職すると暇になるからそういう人もでてくる。何か生きがいを見いだすためにしている人も増えている

その人が盛んに言っていたことは原町から福島市までてあれトンネルを通して高速を作ればいいという、トンネルは土地の買収などめんどうなことがないからいいとか盛んに言っていた。日本はそもそも山が多いからトンネル技術が発達した。
素人からするとトンネルは工事も大変でコストがかかるかと思ったがトンネルは道路を作るのにも意外と日本ではいい方法なのである。
東京辺りも家が密集していても地下に道路を造ればいい、そこでリニアカーのことをしきりに言う、リニアは地下を通るからかえっていいという
地上だとかえって土地の買収であれ電源の設備であれ電柱であれめんどうなのだという。リニアカーで福島県の南相馬市からでも新潟まで通せば近くなる

福島県は地理的に一体感がもてない、福島市でも阿武隈高原でさえぎられて福島市に行くことは不便である。会津も不便であり東京に行くより遠いのである。
その人の人生を語ると興味深かったのは親がバス会社の関係で一時津島に住んでいたことがあったという。浪江の津島というと辺鄙な所である。

「津島には歯医者があったんですよ」
「ええ、歯医者があんなところにあった、飯館村にも歯医者などなかった」
「それは戦争中そこに東京から疎開してきた人は歯医者を開いたんですよ
の息子が今でも福島市で歯医者をしていますよ」
「疎開といえば良く語られています、津島のような辺鄙な所にも疎開に来た人がいた」

これも何かその人の人生を語っていて興味深いものがあった。津島は開墾する一団が入りその人たちは結束が強いということをテレビで写していた。
戦後は引揚者が多くいたるところに開墾に入ったのである。それが全国にあり元からあった古い村民とまじっているから古い家だと思っても新しい家だったりする。
ともかく疎開というのは一つの歴史となっている

その人は福島高校を出て法政大学を出た、それで福島市長と同級だとかいろいろなことを知っている、飯館村の菅野村長は福島高校の出で北海道の畜産大学を出たという、南相馬市の桜井市長も畜産大学である。牛とか農業関係には詳しいとなるから地方の市長には村長には向いているとなる。
内堀知事のことも知っていて

「あの人は東京の出で東京大学の経済学部なんですよ」
「東大の人が官僚には多い」
「でも経済学部出は法学部からすると劣るんですよ」
「そういえば東大閥は司法を支配しているからか」
「経済学部は法学部からするとそうした権益はないからか」
「福島高校では法政大学出ということで恥だとも言うんですよ」
「ええ、法政大学出なら六大学で立派じゃないですか」
「そうでないから嫌なんですよ」
「福島高校となると福島県は一二を争う高校だからなのか」
「自分などは六大学の下の大学で経済学部だけど全然勉強していませんから」

こんな話になった、同世代らしいから話があう。この辺で原町高校が有名だけど東大に十年に一人しかはいらないとか東北大に数人入ればいいとかなっている
福島高校では東大に2016年で5人も入っている。福島県では相当なレベルである。
他でもレベルの高い大学が多い、法政大学まではここには出ていたがその下の大学はでていない。

東京大学

福島高校  5名
安積高校   3名
会津高校  1名

東北大学

福島高校  41名
安積高校  40名
会津高校  10名
磐城高校    8名
安積黎明高校  7名
白河高校    7名   
会津学鳳高校  7名
いわき秀英   4名

原町高校は平成27年度では東北大学にも一人も合格していなのである。福島高校は県下一なことが明確である。だからこそ法政大学では恥だとされたのもわかる。
驚くのは福島高校で東北大学に41名合格していることである。これでも福島高校がいかに進学高校かわかる。原町高校には一人もいないのである。
やはり都会には優秀な人が集まるということはいえる。相馬地方では人口も少ないからそういう優秀な人はでてこない、ただ人間は学歴では判断できない、社会的に活躍しているかどうかで決まる、まず芸術家などとなると全く学歴などと関係ないからである。
だから学歴で何高校だとか大学だとかで判断できない、特に文系になったら大学はほとんど関係ない、理系は関係あっても文系は何大学出ようが関係ない
ただ遊びであり文系は独学なのである。大学四年間はただ遊びなのが多いのである。
理系は大学が目安になるが文系は東大出てもそれほど差がないのである。
ただ東大の法学部となると司法の学閥となり日本の司法関係を支配するので特別だとなっていた。それはまた社会をゆがめるものとしても作用することも言われる
官僚に東大の学閥を形成するのは社会にとっていいとは言えないのである。


学歴にこだわる人は多い、そんなもの社会に出てからこだわってもどうかなと思う。
経営者に向いているのはかえって底辺大学卒だとかそういう人がかえって向いているということを言っているのも面白い、まず学歴とか学問とか経営者になることとは関係ないのである。理系にしても技術者としては優秀でも経営の世界は全く別な世界なのである。
それで理系の一級の免許をもっていた人が経営者になったとき失敗した。
経営能力がなかったのである。だから社会に出てからの能力は学歴とは関係ないのである中卒でも経営者になれると言っていた。経営者になる能力は学歴が学問とは関係ないのである。むしろそういうものが邪魔になる場合がある

ただ何大学をでたとか結構最後まで人間の評価として見る人がいる、看護婦が自分は一流大学を出たということを自慢している人がいて嫌になったという。
学歴信仰というのが戦後にあった、それで受験戦争になった。それが団塊の世代からはじまっていた。自分も受験競争で暗記ばかりして勉強が嫌になった。
だから高校では卒業できないほどであった。それは何かほとんど高校では無能化していた理系が嫌いなことも影響していたし性格的にわがままであり集団生活にとけこめないこともあった。だからなんか学校は今でも嫌いなのである。
結局自分はその後の人生は全く自由に生きられた人生になったので良かったのである。
会社勤めも自分にはできない、この年まで自由気ままに生きてきたのである。
ただそのために社会性が欠落して介護十年でプログに書いてきたように辛酸をなめたのである。

確かに福島高校というとき法政大学出となるとかなり劣ってしまうのはわかる。
でもその人は学歴にこだわるからである。その後の人生は学歴と関係ないからである。
その人はいろいろな話をする、ずいぶん道路脇で話した。
福島市は公務員が多いから新しい店が少ないとかも言っていた。そんなことがあるのか、福島市は大きいからそんなことはないとも思った。ただ県庁があり公務員が多いからそういう進取の気性に欠けてくるのかもしれない。
公務員が多いということは保守的になるからだ。
福島県の中心は郡山市だとも言うのもわかる。会津にもいわきにも通じている交通の要所だからである。
その人は二本松市の出身だった。ただ歴史的に知識には欠けていたので自分が歴史について語った。相馬藩の歴史についても語った。
その人は震災まもなく半年ほどボランティアにきていてこの土地に詳しくなっていたのである。だから相馬のことについて詳しいのである。

なんか原発のことは反対で原発のある所を回っている、ボランティアとして方々回っている、それが退職してからの仕事となっていたのである。
相馬には福島県だからそれだけ長くいたのである。なんか道路のことでもソーラーパネルのことでも実際に役所の人とか政治家にも提案している
何か積極的なボランティアなのである。若い人でないから同世代だとなると一つの人生の歴史を持っているのが他の人でもあるから話があう。
何か一人の人間のたどった人生が歴史となっているのが60代以上の人なのである。
すでに人生をふりかえる世代になっているのである。
だからこの年の世代の人と語ることは昔をふりかえり昔を生きたこと歴史ともなることに共感することなのである。

その人は道の駅で移住相談している人はお役所仕事で熱心ではないという、それで民宿を前からしていたように若い人でも泊めてここの現状を知ってもらうことがいいとか言っていた。だんだんこの辺のことも忘れられるからそういうことをしてこの土地のこと原発事故のことを忘れさせない努力をすべきだとも言っていた。
それも確かに言えることだが何か民宿にしても食事を出すとかなると一人ではできないしめんどうである。確かにそういうことをしていた人はいる。
でも人を泊めるとなるとめんどうである。ただこの辺のことを具体的に知ってもらうには有効である。
その人はボランティアでもずいぶん積極的な人だと思った。若い人が多いがあのように年配の人もいたのである。
若い人とは話があわないが同世代だと話があうので長く話したのである。

この辺は外部から来ている人が未だにいる、それでもなかなか話をすることはできないがこの人はそういう積極的なボランティアであり同世代で話があったので長く話したのである。ずいぶんここに長くいたからこの土地に詳しいことも話を合わすことができたのである。
自分は遠い人でもたいがいその地を踏んでいるから話を合わすことができる
でも福島市の住んでいるとなると選挙区も同じなのだから身近なのである。
ここから出ている衆議院議員の亀岡とかも何か身近に知った存在である。
福島市の人とこんなに話したことはないが相馬は福島市と同じ選挙区なのである。
でも福島市は阿武隈高原にさえぎられて遠い感じなのである。
むしろ相馬は仙台を常に身近に感じられるし具体的に交流も仙台が多いのである。
中通りでも福島市でも二本松でも郡山市でも遠い感じになるのが相馬なのである。
そういう地理的に一体感を感じなかったが皮肉なことに原発事故で中通りも被害にあって一体感を感じたというのも奇妙だとなる。
ともかくいろんな人と直接話をすると何か具体的に見えてくるものがある。
話す相手にもよるがやはり若い人より60代以上とかなると一つの人生を生きて歴史をもつから興味深いとなる




posted by 老鶯 at 22:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

市町村でも全体が喪失したことが深刻だった (復興には個々人ではなく全体が一致協力しないとできない)


市町村でも全体が喪失したことが深刻だった


(復興には個々人ではなく全体が一致協力しないとできない)


江戸時代と明治以降変わったのは何なのか?様々なものが変わったが資本主義が導入されて私的所有を認めたことである。それで入会権がなくなり山が少人数の所有になりやがて無数の個人に分割された。
もともと山林とか土地は個々に所有しても大地はつながり森もつながっているし海でも広くつながっているから私的に所有しても勝手にしにくいのである。ここからここまで自分のものだからどうしようと勝手だとはならない、回りに迷惑をかけるからである。
農業は自然を相手にするから特にそうなのである。
だから農業人口が80ハーセントとかなっている戦前でも江戸時代でも土地は自分だけのものではなく共有するものということが生活の中で認識されていた。
入会権はそういうことで自然に発生した権利だったのである。

今だから飯館村でももう農業をしないというとき、そこが荒地化している、放射性物質の土を入れたフレコンバッグが延々と積まれている、それで一時それが破れて流れだしたということが問題になった。
そして住民はもうここでは牛も飼えないし農業もできないから土地を売りたいと言う人もいた。除染をしても無駄だからやめて補償金を一億円くれという人もいた。
他で移り新しい生活を始めた方がいいという人もいるからでありこれも一理ある。
でもそこで見逃されているのが飯館村の一区画は私的に所有されているのだからその個人の勝手にしていいのだという論理である。
ではそうした荒地は何の役にもたたないから放射性廃棄物の処理場にしようとかなり国で買い上げるようになるかもしれない、するとその影響が飯館村でもまわりと全体でつながっているからもしなんらかの事故があったり何かでそれが流れだして南相馬市にも影響する、真野ダムには回りから流れだした放射性物質が泥にたまっている
それが下流に流れだしてくるのである。

そういうことは原発を建てる時でもこれだけ広範囲に影響したとなるとなぜ双葉や大熊とかの一部の是非で原発が建てられたのかとなる。少なくても影響が30キロ圏内の合意がないと決められないものだったのである。
それ以上に福島市や二本松市、郡山市までの広範囲な地域の合意も必要だったのが原発だったのである。
海だって汚染されたから広範囲になる。原発が金になるからと一地域だけで決めるものではなかった。

こういうふうに自然は広く全体としてつながっている、人間は国境で自然を分断したけど自然はそもそも分断できないものなである。空でも海でも陸地でも川でも全体とてしてつながっていて分断できない、それで環境問題になると国を越えて協力せざるをえない、そうしなければ解決しないのである。
そして復興というとき何か問題になったのか?様々あるが深刻だったのは全体を失われたことなのである。一部ではない、一個人とか一農家が失われたのでない、町全体とか村全体が失われたそのことが深刻だったのである。一農家でも一個人の家でも欠落しても全体で補うことができる、でも全体が失われたら補うことはできなくなった。

現実の実生活でもそうだが自分のような外部から見るものでも復興というとき全体が復興することが復興だと認識した。
ようやく初秋となり実りそめた田んぼを栃窪村で見たときああ復興したなと感じた
そして古い碑がありたいがいそれらは豊作を祈るものとしてあった。社もそうである。

「今年はこの辺もようやく田んぼが実りで黄金色に輝きはじめたな」
「ああ、なんかうれしいな、元の村にもどったな」
「そうなると俺たちも活きてくるよな」
「村人みんなが豊作のために建ててくれたんだから」
「荒地になっていたら俺たちもただの石くれにすぎなくなっていた」
「そういうことだ、田んぼに実りがあって俺たちも生きていたんだよ」

こんなことを古い碑は言っていたとかなる

飯館村などは全体が荒地化しているから全体が死んでしまっている、確かに補償金でうるおって個々人ではかえって得したと感じている人も避難区域には実際は多いのである。
ただ補償金できるだけ個々人もらうことに懸命になる。
でも不思議なのは全体の市町村を見て復興させようとする人はまれなのである。
日々の生活のなかでも全体を見ている全体のために働いている人はいない、会社に勤めていれば会社に尽くして月給高くしてもらいたいと考える、市町村全体を見て良くしようとする人はまれでありそれよりそうした大きな全体は意識しにくいのである。
家のために尽くそうというのはわかりやすいけど市町村のためとなると意識しにくいからである。そういうふうに全体を意識をすることができないことが人間の盲点なのである。だから国とかなるとますます意識しにくい、戦後は特にそうであり民主主義はただ個々人のあくなき利益の追求になったのである。戦前は過剰に国というものを意識していたから全体を意識したが戦後は反動として個々人のエゴがむきだしになる社会になったのである

全体というとき景観問題でもそうである。景観は全体だから日頃意識しない、でも一部が自分が指摘したが土をとるために近くの森が切られて土がむき出しになったときいつも近くで見るから嫌だなと意識する、山でも一部がはげ山になっているとそこを集中的に意識するのである。景観を乱していることを意識する、景観は全体だからそこで一個人の所有になっている森であり山なのだから勝手にしていいとなっているが全体から見ると個人の勝手にしていいのかとなるのだ。
今回の津波で原発事故でも深刻だったのはこうして全体を失ったことなのである。
津波では村でも町自体が喪失した、何もなくなったのだから驚きである。
津波の被害地で商売はじめようとしたが誰も買うものがいないとなりはじめることができない、飯館村でも商売はじめるにも買ってくれる人やお客さんが来るのかとということでなかなかはじめられないのである。
補償金問題でも自分さえ補償金をもらえばいいとは考える、でも全体を市町村の全体を復興させようとする意識が少ない、だからもう全体が喪失したとき若い人でももう復興はできないと外に流出する、補償金もらって外でやり直した方がいいとなったのである。
個々人を考えればそうなる、でもそうなったら全体が喪失したのだから全体でもって全体を復興させようとする意識がないととても全体の復興はできない
それが個々人で分離してまとまらずできるだけ補償金を個々人でももらうことだけが優先されているのである。それは全体ではなく個々人の利益を求めてきたのが入会権でもわかるようにそういう社会に明治以降なったからだともなる


それで十津川部落では水害で村全体が失われたが村全員が一致して北海道に新天地を求めて復興したのである。それは村人全員が一致して復興に立ち向かったからできたのである

(移住住民は、故郷を去り、親や兄弟と別れ、絶海の地に移住してきて、移住者同士しか頼れるものはいないのだから、これまでにも増して一致団結し、お互いに助け合い、猜疑や軋轢を生むことなく、新村の隆盛と勤王の由緒相続を目指そう。)

(恩賜金及び、旧郷から受け継いだ共有金は、新村の基本財産となし、いかなる場合においてもこれを各自に分割して消費すべきものではない。但し、新村の共有財産の保護策が確立されるまでは、道庁に保護を依頼するものとする。)

恩賜金及び、旧郷から受け継いだ共有金は、新村の基本財産となし、いかなる場合においてもこれを各自に分割して消費すべきものではない。

ここでは財産自体が援助金でも共有であり個々人が勝手にできないものだった。
この辺はこれと全く逆なのである。補償金はやるから個々人は勝手に使い、村でも町でも出ていくのも自由だ、財産は個々人に分割されたから村も町も全体を維持できなくなったのである。時代といえばそれまでだがそのためにこういう時には復興できないということになったのである。ただ放射能問題があるから違うともなりさらに復興をできなものとしたのである。




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posted by 老鶯 at 10:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連