2016年09月15日

マスメデアからインターネットの情報摂取の変化 (知らないことが致命的になる社会)


マスメデアからインターネットの情報摂取の変化


(知らないことが致命的になる社会)


インターネットとかの情報環境で何が変わったのか?
テレビとか新聞とかのマスメデアは一方的なメデアである
一方的に情報を操作して大衆向きに放送する
放送する方では視聴率を最大の問題にしているからそのためのために放送する
最大公約数のような放送をする
最近テレビを見るなというときそれはテレビが一方的なメデアであり
知らずに洗脳される、自ら考えることをなくさせるからである。

それと違うのがインターネットのメデアである。
ここでは今度は絶えずマスメデアで流す情報を本当なのかという疑問をながかける
それが実際にやらせだったということがある、貧困問題でもそうである
実際は嘘だったということが暴かれた
第一その情報をどこまで真実なのかわからないということがある
一方的にそういう情報を流されても調べようもないからである。
テレビを見るなというとき知らずに根拠のない情報に洗脳されるからである
ああ、こんなに貧乏な人がいるんだな、かわいそうだなとかなる

それはあらゆる面でそうなのである。原発事故の避難者についても常にかわいそうだねとなることしか放送されない、だから実際は複雑であり地元でも補償金でもめているのは事実でありそこは隠蔽されている、マスコミでは原発避難者は常にかわいそうだとなっているからそういうことで批判するとなんだお前は冷たい奴だなと批判される
でもそういう事実があることも知らせるのが公平なのである
マスコミはどうしても一方的にな報道になりやすいのである

インターネットのメデアはこれもいろいろ問題がある、あまりにも情報が多すぎることなどその信憑性など実際はどう利用していいのかまだわからない面がある
インターネットは確かに様々な意見があり知識がある、でもそれの是非を自分で判断するとなるとこれもまた大変なことだとなる、一方的なマスコミの判断にゆだねるのが楽だとなる、第一みんながそんなに暇でもないしそんなに多すぎる情報から取捨選択する時間もないだろう。

インターネットの問題は過剰な情報の海にほうりこまれる、すると確かに出版社とかの人が言うようにインターネットには編集がないという、それは納得する
様々な情報があってもそれがばらばらになって何が嘘なのか本当なのかもわからなくなるそういうことを個人で判断するとなると考えるとなると普通はめんどうになるから
ただ専門家の言うことなどをそのまま鵜呑みにするようになる
専門的なことになると判断することが素人ではむずかしくなるからだ。

今話題になっている貧困問題でなぜそうなっているのか?
ある女性はセクハラなのパワハラなのかやめさはられた、会社ではそうした人が実は会社にとって有能な人なので会社にとって重要な人ではないその人はやめさせられた
それが会社社会の現実なのかということを知る
一方で今新たなリストラが行われている、会社の中核と思われていた中年世代が40代、50代がリストラされている、それは印刷会社の人であり電子化しているからその電子化に対応できないから中年世代がリストラされる
この二つの問題をリンクさせると編集すると会社は今やグローバル競争にさらされているから生き残るためには有能な人間を必要としているらそうでない人間はコストとなるから切り捨てる、それが会社として生き残るためだからそうなる
一方で最近人手不足が騒がれるがそれは誰にでもできる底辺の仕事が多いのかとかなる
有能な人も人手不足なのだがこの人手不足と底辺層の人手不足が違っている
有能な人の人手不足は別に常にあったし確保するのがむずかしい、底辺層の人手不足は誰にでもできるものでありだから外国人で補うともするのである。
これはyoutubeの二つの情報を編集したことになる

インターネットは膨大な情報がばらばらになってある、一つのキーワードから探して無数に情報が出てくる、まずキーワードで情報を探すなど今まではできなかった。
キーワードで探すということはその人の関心から探すのだから常にオンデマンドなのである。買い物すらキーワードで探し現実に買うオンデマンドになっている
だから個々人が求めるものに答えるのインターネットだとなる、そして個々人の求めるものが多様化しているからそれに答えるとなる
マスメデアは個々人の求めるものには答えない、一方的にマスメデアが選択しで与えるのである。何が重要か重要ではないかもマスメデアが決めるのである。
だから選択することも自ら考えることもできないようにしているのである。

インターネットの特徴は何か自分で情報を求めないとそれにあったものはでてこない
最近郷土史で「紙漉き」のことを関心をもって調べたらそれにマッチしたものが出てきて感心した、それは意外な紙漉きの事実があったかである。
江戸時代になるが紙漉きは冬の冷たい水を利用したり重労働であり過酷だったから醜い少女を養女にして奴隷のように働かせたというのである。こういう事実には驚いたのである紙漉きというと何か今になるとロマンチックにイメージしたりするが全く違っていた事実があった。
この知識はやはり自分が紙漉きについて調べて関心をもったから出てきた。
何か強い関心をもたないとインターネットではそれについての知識は得られないのであるそしてその事に関してもいろいろな人が語るから編集が必要になるのである。
するとプログでも読む方にしても関心がある人なら要約されているから自分で調べることもなく時間を節約やることができるのである。
インターネットは調べるのに手間であり時間がかかるからである。

マスメデアとインターネットでは極端に違ったメデアでありそこにも問題がある
その中間のようなメデアも必要となる、なぜならインターネットを一日見ているような暇人はまれである。何か要約したようなものが必要になる
マスメデアはそれをしていたがそれがマスメデアが一方的な洗脳メデアとなっていたのである。だから一方的にマスメデアで選ばれた人が発言する、その他の人は発言できない、そこでも偏りができる、編集するにしても公平にはならない、マスコミの意向によって編集するから偏るのである。

人間は知るということは大事である。知らないことが致命的になる。
モスバーガーが原町にあったのにいつも20年間あの辺に喫茶店がなかったので探していたのにあそこを知らなかったのが大損失だった。
それがなぜかと考えたら自分は車をもっていなかったから寄ることがなかった、車でのみ入れて販売される場所だと思っていたからである。
車をもっていない人は車について知らない、車を利用してできることを知らないということは相当な車社会ではハンディを負っているのである。
別に車がなくても生活はできるが車をもっていればそれだけ生活範囲が広がるのである。ただ車でばかり生活していると何か失うことも確かである。
車は風とか光とか蝉の声でも虫の声でも何か自然を感じない、だから俳句とか短歌を作るとなるとそういう生活は自然を遮断するから向いていないともなる
つまり歩くことと自転車の旅でも相当に違ってる、歩くことで感じることを経験しないと江戸時代などのことも俳句でも理解できないと思う、歩くことで感じることは今や新鮮なのである。

知らないことが致命的になるということはいくらでも起きている
この辺ではそのことを痛切に感じたろう。
津波のことでも原発事故でももともと知らないということが致命的になり命まで落とした知らないことは命にかかわっているのである。
原発事故でも地元の人が政府とか東電の言うがままであり安全神話を信じていて自分達では調べることもしなかった。
一方新潟県の巻町では学者を呼んで自分たちで調べて原発を作らせなかったのである。
だから放射能のことなど核のことなど知り得ようがないということでもなかった。
ただ自分たちで知ろうとしなかっただけだともなる
第一原発にしても吉田所長が復水器のことを知らなかったというのが意外だったのである所長が知らないかったらそもそも事故があったりしたら何もできないとなる
実際に何も指示もできないということがあった。
何であれ知らないことが致命的になるのである。
またいろいろなことを調べてもインターネットで調べても個々人で判断することもむずかしい、病気のことでも自分でもそうだったが知識の迷路に陥ってゆく、ある人は民間療法など
を信じてかえって病気を悪化させるなどいろいろ問題が起きる
つまり知ったとしてもそれを判断することがむずかしくなる

今の社会は複雑であり知るべきことが無数にあり対応できないのである。
自分が車にのらないからモスバーガーが喫茶店として利用できるのを見逃していた。
それも20年間もである、そういうことは例えばインターネットなどめんどうだから知らないでいいやともなるがそうなると自分のように車を持たないで知らないことで大損することにもなる、だから現代社会にすでに車を持たないと運転できないとかまたはインターネットを利用できないとなると適応できなくなり大損失になるしそれが命にもかかわることもある。
投資信託でもそれがなかなかわかりにくい、ましてや株のことなどもわかりにくいからだまされやすい、銀行の人が貯金しても利子がつかないからとすすめられるとどうしてものりやすい。でもそもそも投資信託の仕組みすらわからなかった。
外国の国債を買うと元本が保証されない、それも怖いことだと思ったし投資信託でもそうでありそういうなにか危険なことを知らない、それを知ろうとするとこれもめんどうになる、現代はともかくそうした情報社会でありそのために様々な問題が生れ混乱してくる
グローバル化してさらに情報社会になり事の真偽がさらにわかりにくくなる。
第一外国のことになると理解することがさらにむずかしくなるからである。
ただこうした情報社会では知らないとお前の自己責任だとされるのである。
だから知らなかったではすまされない時代になっているのである。

抽象画(山々-various mountains of abstract picture)


抽象画(山々-various mountains of abstract picture) 

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クリック拡大



これらもインターネットにある山の抽象画を変化させてできた。
山とかは具象画でも常にモチーフにされる、山は多様でありとても現せきれないものがある、それは川をテーマとして抽象画を作ったと同じである。
ただ山の場合は山として具象画として見えるものとして作っている
これは山だなと明確にわかる。

抽象画だと何かわからないものが多い、そういうものが抽象画だとなるが変化させた場合これは山だなと思って山をイメージして作り直す、すでにほとんど自分は何も手を加えない、まず自分は具象画を描けないからである。
ただ変化させてこれは山だなと思い多少を手を加えるだけなのである。

These changed the abstract picture of the mountain in the Internet, too and were able to do it.
Mountains made a motif are always various, and even a representational painting is the same at all as a mountain when it with the thing which I cannot show features the theme of a river and made an abstract picture.
I only know it definitely when this making as a thing to see as a representational painting as a mountain in the case of a mountain is a mountain.

When such a thing that there are many things not to understand when is an abstract picture is an abstract picture, it is, but when change it, think that this is a mountain, and remake it in the image of a mountain; oneself does not already add any hand almost; is because at first oneself cannot picture a representational painting.
I can change it and think that it is a mountain and only only add a hand with the number. 

2016年09月16日

心が補償金で分断された原発事故の被害地 (そもそも土地は分断できない、つながっているから)


心が補償金で分断された原発事故の被害地


(そもそも土地は分断できない、つながっているから)


「あん時は参ったよ。地権者は『米を作るよりも儲かる』ということで貸すことになった。しかし、仮置き場の周りの土地の地権者たちには1銭も入らないから、怒ってしまった。それに、のちになってわかったんだが、20キロ圏内の地域は環境省の管轄で、あっちは1反当たり年18万円。今度は市に提供した地権者たちが騒ぎだした。まあ、金のことになるとみんな勝手だよな」

 ある区長は、そう言ってボヤいた。

なぜこういうことが起きているのか?原発事故の被害はある地点ではない、広域的に起きている被害である。それで30キロ圏内とか放射線量で一地域でも分断するとか南相馬市内でもいくつもに分断されて補償金が支払われた。
30キロの境になった人では隣がもらっているのにと泣いて訴えていた女性もいた。
そもそも放射線は全体に広域的に汚染しているし影響がある。
被害に関してはそんなに差がない場合がある
30キロで区切ること自体が問題だったのである。

飯館村でも南相馬市とは関係ないと思っていたけど実際は土地はつながっているし仮置き場にしてもそこから放射性物質が雨に流されて泥とともに流れてくるかもしれない。
そういう危険性はあるし真野ダムにも放射性物質が泥とともにたまりづづけているしそこから下流に流れだしてくる。
それは大地でも川でもつながってるからそうなる、それで飯館村の人が土地を売って補償金をもらって他に移りたいというときそこが仮置き場にされまた政府のいいように使われる、何も用がないとなると放射性物質の永久の置き場にもされる
もうそこは住民のものでないとするとどうされようがとめることもできない
原発を建てるときも一地権者と県の許可でまず建てられるというのも恐ろしいことだった
土地の私有というのは明治以降認められたがそれによって入会権などがあった土地を共有するという感覚を失った、何でも私有権を主張するようになった。
信じられないのは自分の家の前の海にも権利があるとして訴え補償金を要求しているのである私道でも避難区域になったところは補償金を要求してもらっているのである。
一区画の土地が私有されることによりその土地は自分のものだから売るのも何するも勝手だとはならない、常に回りと関係して土地はあるからである。
土地はだからそもそも私有化することが合わないものだったのである。

賠償金の問題でも全体としてつながっている土地を放射線量だけで点のように分断して政府や東電が補償金を出すということ自体が間違っていた。
そんなことで分ける必要がなかった。そうした結果補償金で地域は分断されてしまった。あいつが多くもらってこっちはもらえない、放射線量など隣なのだから変わらないのにとなった。小高区と鹿島区の争いでもそうである。
つまり小高は確かに避難区域になったのだから多少は多くなってもしかたがない、それがあまりにも手厚いものとなり差別されたから一致して協力できないものになった。
もし同じように補償金を配分すれば小高であれ原町であれ南相馬市は分断されなかったし協力していたのである。
みんな同じ地域であり放射線量の多寡で分断されるようなものではなかった。
放射線量では同じように影響がある、飯館村だって雨がふれば南相馬市に泥となって放射性物質が流れてくるのである。
結局こうして補償金で分断された影響の方が大きかった。
心がばらばらになるとき和が保てずにその力は大きくそがれ一致して復興する意欲も失われたのである。

それは大熊とか双葉とかでも広い範囲でもそうである。それぞれの町や村や区で他でも
仮置き場でもそうである。それだって回りのことを考えれば田んぼにも影響する
回りに影響がないとはならない、田んぼもつながっているからである。水が流れることでつながっている、そういう中に仮置き場があることが問題なのである。
そして仮置き場にした土地の所有者にだけが金が支払われるとういのも問題だった。
回りの土地もやはり一体としてあるからである。
何かそういう配慮がなされなかった。それも私有権が強固に与えられ社会になったからだともなる、土地は共有であり私有になじまない面があったのである。
海だってそうである。漁業権者だけが勝手に所有できたのかと釣りしに来た人も言っていた。海は誰のものなのか?それも所有できないものである。
この海は自分たちのものだ、組合のものだとして東電に売り渡した、そんな権利があったのかとなる、それは土地のものみんな協議するものだったのである。

会社も問題だか明治以降は戦後の民主主義では組合もまた利権化していたのである。
東電を批判するが電事連は大きな組合であり核兵器には反対していたけど原発は推進していたのである。
そうして様々な団体がカルト宗教団体でも利権化して運動したのが民主主義だったのである。そこに弊害が生まれたのである。
そうした利権化した組合とかには農協でもそうだが反対することはむずかしくなる
それは巨大であり権力をもっているからそうなる
そのことが原発事故が起きた原因でもあったのである。
それらは権力をもっている故にタブー化するからマスコミでも批判はしないし誰も批判はできないのである。そのことにより大きな事故であり国家的な暴走も過ちも起きてくるのである。

ただもともと金が絶大な力をもつようになったときすでに現代の社会が分断されていたともなる、金さえあればなんとかなるという社会である。共同性が失われていたからそうなったともなる、農業は金にならないとか後継ぎがいないとかは別に原発事故が起きたらかではなく前からそうだったのである。
ただ高倉の農家の人が時期が早まっただけだったということを言っていた。
姑と一緒に暮らしたくないからこれ幸いと出て行ったとかも言っていた。
だからすべてが原発事故のためなのかというのも疑問なのである。
それは別にここだけの問題でもない、日本全体の問題でありグローバルな問題でもある
ただここではそういう問題が極端なものとして早めに現実化しただけだとも言える
浪江でもそうだが飯館村でも草野に家が集中してその回りは無人化する
何かコンハクトシティのようになる、それは少子高齢化では人がまとまって暮らす方がいいと言うのもここでは現実化しているのである。
それが将来の街作りでありい生き残りになるからである。

posted by 老鶯 at 01:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年09月17日

秋の蝉(十年以上買物が仕事だったー昨夜は一六夜)


秋の蝉(十年以上買物が仕事だったー昨夜は一六夜)

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一六夜の月


秋の蝉なお一つ鳴き買い物に

一面に夏菊や蝶三羽舞う

家事十年男一人やめぐる秋



秋の蝉一つ鳴きにつ買い物に男一人の暮らしやあわれ

十六夜の月の薄雲に光るかな無月の後に微笑むごとく

微笑みつ去りにし女の面影や十六夜の月雲間に光る


買い物というとき介護の前からもしてたから20年くらいしているかもしれない。
家事というとき意外と料理が主だと思っていたが実際は買い物が主になる
何か料理するにしても材料を買う必要があるしいろいろ買わねばならない
すると今は買う種類が多いのである。どこになにがあり何を買っていいかとなる
それが一番わかりにくいことだったのである。

自分が仕事したというときこの買い物だったのである。だから買い物難民とか言われるけど買い物が不便なところは現代では苦しい、だんだん体が弱ってきたら近くにスーパーがないとまた苦しくなる、何かやっと歩いているような老人も買い物に来ているからである手押し車でも買い物に来ている人はいる、自分の母親90過ぎてもそうして買物していた。
ともかく家事というとき買物が一番時間がかかる、特に介護のときは買物から何からいろいろあったから忙しかったし時間の余裕がなかった。何かにいつも追われていたのであるただ人間は人の苦労がつくづくわからないのである
知り合いの人は妻が死んで一人暮らしであり大きな家にいるから淋しいといつも言っている、そしてあんたは介護している人でも家にいたから良かったんだよと何度も言うのである。

それは妻を介護する経験をしていないからなのである。こういうことは常にある
仕事だった人の苦労など経験してみないとわからないのである。
なんか自分は主婦ではない主夫になっていたのである。
その知り合いの人は買物はせずに親密な女性に頼んでいる
何か男が買物や家事を嫌うということは前はあった
そんなものは女性がするものだというのがあった。
でもその人は糖尿病だから手のこんだ料理はしている、自分はほとんど買ったものですましている、料理は女性でもうまいへたがあり簡単にできないものである。

朝顔に我は飯食う男なり 芭蕉

朝顔というのはイメージすると妻とかの女性なのかもしれない、でも一人身だから淋しく黙々と飯を食う男なんだとイメージする、何か人間は男女があって調和している
女性がいないと男性だけだと淋しいものとなる

ともかく秋になった、十五夜には月が出ない無月だった。昨日は一六夜(いざよい)であり薄雲に満月が光っていた。最近は曇りがつづいている
なぜいざようなのか不思議である。

ほほえみつ去りにし女の面影や十六夜の月雲間に光る

これってもしかしたら恋の歌なのか?女性の魅力は何かこの微笑みにある。
ただ肉体的なものにあるだけではない、肉体と関係なく人間には女性を慕うものがあるのかもしれない、男女の関係はやはり死ぬまで消えないものなのだろう
若いときはどうしても肉体的なものを求める、それでかえって覚めた眼で女性を見れないのである。

ガラス越し身をきよらかに照らしゐる十六夜の月は香のある如し      小林みどり

これは女性的な感性なのだろう、月に香りを感じるということはそんなにないだろう。
いざよいはいざなうでありいざなうには女性が男性をいざなうということがあるかもしれない、女性の微笑みもそうである。

タグ:買物 秋の蝉

山の抽象画を変化させるソフトの使い方を発見


山の抽象画を変化させるソフトの使い方を発見

夕暮れの山々(mountains in twilight) 

I find how to use software changing the abstract picture of mountains


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これはペイントショップではない、別なソフトで加工したら山の抽象画が大量生産できるつまりソフトを使いこなせるようになると抽象画が無限に作り出せる
それは変化だからである、その変化が無限なのである。
ただ著作権が問題になるかもしれない、オリジナルなものとあまりにも似ているとそれはあなたの創作品なのかとなる

これもインターネットにあった山の抽象画を変えたものだからである。
自分のオリジナルなものではない、他者の創作品を変えたのである。
でも何かソフトで変えたものの方が見栄えしているのも不思議である。
別な作品のように見れる不思議がある


The change that is because it which an abstract picture can create endlessly when this can produce the abstract pictures of the mountain in large quantities if I process it by another software which is not a paint shop that is I become able to manage software is a change is infinite.
It is only when I resemble a rest that it is the original that a copyright may become the problem whether it is your brainchild

This is because this is the thing which changed the abstract picture of the mountain in accord with the Internet.
I changed the brainchild of the others who were not one's original thing.
But it is mysterious that something which it is soft and changed does a look.
There is a wonder to be able to look at like another work


2016年09月18日

自助の精神が失われて復興ができなくなった原発避難者 (桜井市長もそのことを言うようになった)


自助の精神が失われて復興ができなくなった原発避難者


(桜井市長もそのことを言うようになった)

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darkness duaでそのことを引用して言っている

津波とか原発事故の被害地域ではこういうことに陥っている、それは前も書いたが過剰な援助でもう自力で何かを復興をやる気をなくした。全部ではないにしろ全般的にそうである。
一カ月百万とかもらったらどうなるのか?そういう人も家族が多いといたのである。
もともとこの辺は給料が安いから原発の補償金の方がずっと高いものとなっていた。
そうすると補償金をずっともらっていた方がいいとまでなる
補償金をもらえるのが当然でありボランティが来て援助されるのも当然であり俺たちはかわいそうなのだから同情されるのも当然でありそれに異を唱えるのは糾弾されるべきだとなる、自分にもそういう人がいたのである。傷口に塩ぬって楽しいかとか責めてくるしそれに同調する人が原発避難者にはいる
それはマスコミでもそうであり一方的にかわいそうだとなりそのことしか伝えない
そのかわいそうな人たちは何していたのか?
毎日パチンコ屋通いであり競輪でありギャンブルで遊んでいただけなのである。
そのことで桜井市長も避難者に苦言を言うようになった。

俺たちはかわいそうな被害者なのだ、これほど現代で強い立場になることはない、この被害者意識は国際関係でも中国と韓国がいつまでも責めてきて日本から金をまきあげることでもわかる。それはもう日本を責める、金をまきあげる口実になっている
あの戦争にも複雑な事情があり日本に一方的非があったわけでもないのである。
そんな事情はもうどうでもいい、日本を徹底的に悪者として責めれば得だとなってそうなっている、結局事実とかも現代の都合で曲げられてしまう、歴史も曲げられてしまう。

この辺でさらにやっかいなのは放射能問題である、これも避難者に対して何も言えないものを作り出した。子供をもっている親は特に女性は放射能を恐れる、それに対して何も言うことができない、親が帰れとは言えない、それで実際は姑と離れて暮らすのがいいと帰ってこなくなったということもある
放射能が怖いから帰れないといえば親もどうにもならないからである。
でももし補償金がそんなに出なかったらもうしかたなく住みつづける人もいたろう。
背に腹は変えられないとなるからだ。
手厚い補償金をもらった結果、かえって外に出て家を建てるとかして帰ってこないとなった。補償金がみんないい方に働かなかったのである。地域の和も破壊されたしみんなで協力してやろうとかも失われた。
浪江の工場経営者の人が仕事を南相馬市の人なのか頼んだら断られた
「あんたは何億補償金もらったんだ、仕事などしなくてもいいじゃんないか」
こうなるのも補償金で和が保てなくなったのである。
もしそうでなかったらこういうときこそ助け合うべきだとなっていたのである。
そういうことは全般的に言えたのである。

南相馬市の鹿島区の議員が小高区の避難者の所に言って親切にする、その人は鹿島の人たちの気持ちを全く知らなかったのである。
そして自分が鹿島の人たちが補償金で不満があると言ったとき怒っていたのである。
一般的に小高の人たちはそういう気持ちである。そこに根深い対立が生れたのである。
それはみんなそうである、俺たちは被害者なのだ、かわいそうな援助される人間であり
そんなことを良く言えるな、それでも人間なのかとなる。
それをマスコミでも常に応援するから余計にそうなる
そして自立の精神は失われ俺たちはかわいそうな人間であり援助されるべきでありもうこれだけの被害なのだから生涯援助されるべきであり国民年金しかもらっていない人も多いから補償金として年金を増額して補償されるべきだと主張する
それも老人が多いから特にそうなったのである。

確かに最初避難して一二年とかに避難者を批判するのは酷だった、でも五年半過ぎたのだからこうした批判もあって当然だし考えを変えねばならない時期である
ところが一旦こうして補償されるともうそれが当然のようになりそれに頼り自立の精神が失われる、農家でも三年も農作業しないと体がなまりなまけくせがついてできないという特に老人が多いから余計にそうなったのである。
この辺は六五歳以上の比率が30パーセント以上とか他より急速に高くなった、何か買物しているのでも目立つのは老人なのである。

そして常に農業でも跡継ぎがいないとか言われてきた、跡継ぎがいないということは自分もそうだが深刻なのである。世代の連続性が失われることである。
それで確かに老人なら地元で故郷で死にたい、死に場所としての故郷が実はあった。
このことは意外と若い人にはわからないが年取ればわかる、でもそうさせるのは世代の連続性があるときなのである。
つまり若い人がいて老人もいてかなうのである。老人ばかりだったら支えるも者もいないとなるとそうはならないのである。

この辺は様々なことで自立の精神が損なわれた、補償金でもそうだし和が破壊されたことでもそうだし放射能汚染でもそれを口実に使うということも若い人にあった
そして現代の時代もあった。回りは便利な生活して便利な生活になれているときあえて不便な生活を困難を選ぶ人はまれだからである。
確かに女川では外から入ってきた若い人は困難を覚悟で入ってきた。だからその若者には感心したのである。
戦後の焼け野原から開墾に入ったのは仕事も何もないからであり貧乏が当たり前の時代だからそうなった、選択する余地がないのである。どこに行っても条件が悪いのである。
今は回りが便利な生活をしているのにあえて不便な生活を選ばないのである。

ただ援助されていいことはある、飯館村では小中一貫の学校を作る、そこに何十億という援助がされるからできるとか国からの大きな援助があるから新しい構想の街作りができる、飯館村は草野中心にコンパクトシティ化するのかもしれない、草野の広い土地に復興住宅ができる、何か今までとは違う新たな試みが援助があるのでできる
飯館村などでも塩の道にそう家では新しい倉を建てたとか補償金で喜んでいる人もいる
福島市にも家を建てた人もいる、福島市に家を建てることは土地が高いから相当な額になる。でもそれが補償金でできたのである。

ともかく原発事故は今度は原町の復興団地に大熊とか浪江の人たちも入るのでそのことでも広域的な問題だった。福島県全体の日本全体の問題ですらあった。
避難した人たちが移ってくればその人たちを通じて被害が広域的であり一小地域の問題でなかったからこそ狭い範囲で原発の是非を決めること自体間違っていたのである。
狭い範囲で大熊と双葉とかの住民のエゴで決められるものではなかった
被害がそこにとどまれば文句は言わないが全体に及ぶのが原発事故だったからである。

避難指示解除前日の7月11日、小高区の住民有志が南相馬市役所内の記者クラブを訪れて「福島第一原発事故の避難指示解除に当たって、桜井勝延市長の歴史的責任を問う」と題した文書を記者に手渡した

いつまでも除染のことを言ったらきりないと思う、本音はもっと補償金をもらいつづけたいということである。地元だって今になると原町区と鹿島区の人たちはそう思っている
いつまで補償金で遊んでいるんだと思っているのである。
いづれにしろ補償金はどこかで打ち切らざるをえないのである。
原町区と鹿島区でも30キロ圏で区切られたから補償金で対立することがあった。
今になると原町区と鹿島区は一致している、もういい加減小高の人たちは帰って復興してくれとなる、いつまで補償金もらうつもりだ一生なのかとなってしまうからである。
小高区の問題は東北電力の原発がすでに工事がはじまる予定だった、そのこともやとり小高区の責任になる、それも南相馬市に合併する前だけどこれもまた広域的に決められない原発の問題があったからである。小高のことは小高で決めるというわけにはいかないのが原発だったのである。

posted by 老鶯 at 08:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年09月19日

秋の長岩(八沢浦の長岩は松は消えたが残っている) (人が住みその長岩と一体となる)


秋の長岩(八沢浦の長岩は松は消えたが残っている)


(人が住みその長岩と一体となる)

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この時はまご松だ残っていた、今はない


八沢浦八景(長岩の晴嵐)  雲晴れて入日移らふ長岩の松にしぐれを誘ふ浦風


長岩の津波のあとにも残りつつ住む人あれや秋となるかな

長岩の松はなしかもなお残り住む人あれや秋の日暮れぬ

八沢浦湊部落の消えにけり誰か訪ねむ秋となるかな

八沢浦妙見の社あわれかな津波の後にその跡とどむ

海老の浜たたずみあわれ家もなし悲しむ人のなおありしかも

海老の浜津波に残る樹のあわれ痛々しくも傷痕とどむ


津波から五年半すぎたけどなおその傷跡は深い、ここで家族を失った人はやはりまたそうでなかったものとの差も大きいのである。
それは地元でもそうである。結局人間は人の悲しみとか苦しみを自ら経験しない限りわからないのである。自分も十年間苦しんできたけどほとんど他人はそのことをわからない
それはみんなもそうなのである。他人の苦しみにはいろいろありわからないのである。
あの人何苦しんでいるとなる、一人暮らしの人はあんたは家に介護する人でもいたんだから良かった、誰でもいた方がいいんだ,自分は誰もいないから不幸だという人もいる
介護したことがないからそう言っているのである。
他人の苦しみはいろいろあり他者からわかりにくいのである。

津波から5年半過ぎてもなおお悲しんでいるとしてもなかなかわかりにくいのである。
ただ時間が過ぎるとまた状況も変わってくる、八沢浦の長岩は八沢浦八景の歌として残っている、その岩は津波の後も残っている、ただ松は枯れてなくなった。
長岩の松として歌われていたその松は消えたのである。
おそらく右田の一本松も宣伝しているが枯れてしまうだろう。
海老の浜にはまだ津波にも残っている枯木が痛々しくある
右田浜は工事で変わり果てて家があったこともわからなくなる
海老浜はまだ家が多かったからここがその跡だということは近くの人は感じる

ともかく長岩が残りあの近くに人が住んでいた、あの辺は人の住めない地域だが人が住んでいた。畑がありそこに人がいた、暮らしがそこにあった。一部に実りももどった
でも津波が来た広い範囲にはなにもない原野である。
妙見の社があったがあれば明治維新後武士が入り祀った場所である。
明治行こう400人以上の武士が開墾に入った、中には北海道に移住した人もいた。
城勤めの人がそんなにいたのかとなる、ほとんどは郷士であり農民だったのが相馬藩だからである。ただ飯館村の飯樋(いいとい)には60人もの役人が塩を扱っていたからそれだけ役人が相馬藩でもいたのである。

いづれにしろ人間と風景とか自然と一体となっているのが田舎である。
自分はそこに一番魅力を感じてきたのである。都会では高層ビルとかと一体となるのか?
あんなもの見上げて生活して死ぬのは嫌だなとなる
つまり自然とアイディティテイ化することが本来の人間なのである。
だから長岩が江戸時代から知られていたというときそこに住む人もその岩と一体化するのである。長岩が津波の後にも残りここにまた暮らしがもどったなと感じるのである。
それはここだけではない、津波の被害にあった広い範囲でそういうことがあり原発避難区域でも起きているのである。
暮らしがまたもどればまたその自然も活きてくるのである。
普通はなにもなければそういうことは意外と意識しないのである。
津波とか原発事故は何か悲劇だったのだけど何か大事なものを意識させたことはあった。故郷など当たり前にあるのだけどそれも意識されてそのありがたさを知るとかなった。
そうなるとこの辺はやはり今までとは違う意識でこれから生きるということはありうる
故郷は大事なものなんだなという思いがここには受け継がれるということはありうる

希薄化した国家への意識、喪失した愛国心 (愛国心の基は郷土愛)

希薄化した国家への意識、喪失した愛国心


(愛国心の基は郷土愛)


明治維新から太平洋戦争までは国家中心の社会だった。だから愛国心を説くまでもなく日本人は愛国心をもっていたのである。
その愛国心は対外的に欧米列強に対抗するために愛国心が天皇中心に盛り上がり形成された。愛国心とか国に誇りを感じるのは対外的に形成される
第一江戸時代には愛国心がない、封建制であり藩中心の社会だから日本国自体意識しようがないのである。
ただ参勤交代などで江戸に出れば全国から藩の侍が集まるのだからそこに交流が生れたがあくまでも藩を越えた交流は生れない、藩同士で協力するということはないのが封建時代である、もともと戦国時代には藩同士が戦争していたのだから殺し合ってもいたのだから仲良くできないのである。常に敵であったし城や城下町の作りは常に敵に備えるように作られていたのである。

相馬藩が飢饉になったとき相馬藩内では協力している応援もしている
飯館村は高地であり寒冷地だから相馬藩内では飢饉になったとき応援して援助しているが伊達藩は何も援助しないのである。
だからこれだけ全国的に何か災害があったりすると協力しているのはありえないことだったのである。
ただ熊本県では東日本震災で東北は地震があるから危険であり会社は熊本県は地震がないから安全だから来てくださいと宣伝していたことが今回の地震で批判されたのである。
でも江戸時代だったらそれは普通のことだったのである。もともと敵国なのだから敵国が不利になるのは力がそがれるのは有利になるからである。
それで明治維新のとき薩摩長州の同盟によって江戸幕府が倒されたがいかに藩同士が同盟することがむずかしいかを証明していたのである。
江戸時代は藩は敵対していて協力関係にないからである。

だから江戸時代までは日本国の意識は希薄だった、日本国があるとしても庶民レベルで俺は日本人だという意識している人はまれだろう。俺は日本人だというとき外国人がいて日本人だと意識するけど鎖国していたら外国人もいないのだから日本人として意識しようもないのである。
人間の歴史をさかのぼれば愛国心というけど最初は極めて狭い範囲内で自己を意識していた。それはトーテム信仰となった部族意識である。
俺は犬族だとか猿族だとか熊族だとかなる、部族意識は国意識になっていた。
その部族同士が争っていたのである。それは日本でも同じだった、だから邪馬台国とか日本最初の国家が生れたということは相当な歳月を要したしそこに日本の原点があるということでそこがどこにあったとか詮索しつづけているのである。
日本の国家が実質的に形成されたのは蝦夷との戦いでありそれは大規模な戦いであり
それは西と東の戦争でもあった。なぜなら征夷大将軍というときそれは蝦夷との戦いに由来しているからである。この蝦夷は謎であり物部氏を中心として渡来人がいて手ごわいものとなった。それは日本を二分する戦いでもあったのである。

その時大和朝廷が生れていた。その大和というときそれはヤマトという山の戸口という意味の奈良の一地域だったのである。その一地域から大和という国が生れたのである。
だから国というとき何かというときそもそも日本全国を国として意識していないしできない、交通も発達していないから庶民レベルでは大きな国は意識できない、
明治になってから鉄道ができて日本国を意識しはじめたというのもそのためである。
関所もなくなり日本全国を行き来できることになり日本という国を藩から脱して意識するようになった。
それから日本は日清日露太平洋戦争と外国で戦争することで日本人を意識するようになった。戦争のときはやはり一番日本人を意識する、なぜなら日本のために戦い死ぬのだから当然だとなる、そういうことは戦争でしかありえないことである。
だからいろいろあっても戦争では一番愛国心とか国家意識が命かけているのだから燃え上がる、つまり民族としての同胞意識が最高潮になる、これは戦争を経験した人でないと理解できない、戦友というときそれは50年過ぎてもでも忘れられないものとして強い絆があった。

それが戦争に負けた結果、今度は一転して国家意識が否定され希薄化されて君が代すら否定される,天皇すら否定される、その変化の仕方があまりもに大きかった。
日本は敗戦によりアメリカに支配され属国化された、それは今でも継続している
アメリカには逆らえない、実質の支配者はアメリカだとなっている。
原発もそうだったのである。原発はアメリカしか知らないものがある、原発の技術はアメリカが握っていて日本人は知らないという、その証拠が原子力空母である
あの技術は最高のものであり日本人には作れないということでも証明されている
肝心の一番重要な原発のこと核のことは日本人の技術者は知らないというのである。
そしてアメリカの日本支配のためにアメリカはそれを教えないという。
日本敵国だらか教えないという、政治も経済も戦後は以前としてアメリカの支配にある
そして結果的には日本の独立はない、独立国として何もすることができない
インドも中国も北朝鮮すら独立国だが日本は独立国ではない、アメリカの属国してしか存在し得ない、原発がやめられないのはアメリカの核政策がありそれに従わねばならないからである。

日本の愛国心は明治維新から太平洋戦争のときは強固にあったのである。
それは庶民のレベルでもあった。挙国一致体制になっていたのである。
それが戦争に負けた結果そうした愛国心は失われた。
それに変わるものとして日本の誇りは何になったのか?
経済成長と技術で誇ることだったのである。だから戦後は団塊の世代でも企業戦士となり会社人間となり猛烈に働きアメリカに物質的に追いついたのである。
日本が誇ると言うとき何か戦前とは違う、高度成長のときはソニーの製品だとか今でもトヨタの車は技術的に世界で優れているとか売れているとかが自慢になる
日本はノーベル賞をいくつもとっているがアジアでは日本だけだとかが自慢になっているのだ。そして原発だって日本の技術が優秀だからと言われてきたのである。
原発に関してはアメリカに及ぶものではなかったのである。
戦後の日本人の誇りは戦前とは違う、国家意識というのは喪失した。

愛国心というとき誰でも日本が誇りだというときニートのネットウヨでももてるのであるそれより日本国内でも評価するというとき職業による方が多い、第一愛国心は何かに優れていなくてももてるからである。
でも優れた職業人には誰もなれないのである。大工だって職人だって優れた人には簡単になれないのである。簡単なようでみんな優れたものになれない、必ずどこでも不適応者がいて人間には差が生れているのである。
外国でも日本人だということは意識されるが「あなたのプロフェショナル(職業)なるは何ですか問われる、医者だとか言えばグローバルに能力の高いものとして尊敬されることになる、あなたは何人かよりグローバル化するとき何に対してプロなのかとはいうことが問われ誇りになるのである。
そしてグローバル化は多国籍企業でありますます企業の方が国家より世界で認識されるものとなる、ソニーとかグーグルとかアップルとかの会社員だとか言うと何人より凄いなとなってしまう社会なのである。
グローバル化は国家意識を希薄化させているからこれは世界的な共通なものなのである。
何か愛国心を強調するのもわかるのだがグローバル化した社会では容認されないものがある。そもそも愛国精神というけどそれが何なのか?
愛社精神なら生活がかかっているのだから庶民レベルでは具体的でありもっている
でも一方で郷土愛というときこれも希薄化しているのである。
なぜなら郷土愛というのも仕事自体が郷土の中でだけあるものではない、広域化してグローバル化している、グローバルに品物も入ってくるし地震で瓦が壊れたけど直したのは磐城の会社だったし今度風呂場が壊れたので直してもらうのは仙台の会社だったり復興住宅で驚くのはなぜ佐賀県から札幌とかのナンバーがあり全国の人がかかわり仕事している
地元の人だけではもう人手もないし技術もないから作れないのである。
建て売り住宅でも地元の人は大工でもかかわらないとなる

自分の家は橲原(じさばら)に同級生のキコリがいてその人が材料を提供してくれたのである、すると何か故郷を意識するのである、今は材料すら外材が多いのだからそういう意識もないのである。

天皇の御製歌(おほみうた)一首

あをによし奈良の山なる黒木もち造れる室(やど)は座(ま)せども飽かぬかも

右は、聞かく「左大臣長屋王(ながやのおほきみ)の佐保の宅(いへ)に御在(いでま)せる肆宴(とよのあかり)の御製(おほみうた)なり」といへり。

これとにていて何か郷土に生きる誇りがここに生れていた。それはその土地でとれたもので作ったからこそなのである。


グローバル化すると広域化すると故郷意識、愛郷心も希薄化するのである。
今回の震災で原発事故でも復興の仕事に携わったのは外部から来た人たちなのである。
地元の人は何していたかというと補償金でパチンコ屋通いでありギャンブルで遊んでいただけなのである。
だからこういう社会の変化もあり簡単に若い人は外に流出したということもある
故郷に愛着するのは老人はそうだがこういう広域化グローバル化社会ではそうはならない浪江の人は会社が二本松に移動して家族も移動したとなるからだ

自分は郷土史を探求してきたからそこから自然と歴史を合わせて郷土愛というのが生れた自然とのアイディティテイを形成してきた。でも普通は今は会社員なのだから愛社精神はあっても郷土愛というのはもてるのかとなる。
郷土愛というのは何に基づいているのかというのも明確ではない、歴史というとき親が生きた地であり先祖が生きた地でありまた自然がありその自然とアイディンティティ化するそれが郷土愛となる、海であれ山であれ樹であり石であり岩であれそういう自然と一体化するとき郷土愛が生れる、また郷土で共に働くということで郷土愛が生れる、それが郷土芸能とかここでは野馬追い祭りとかなる
早乙女の田植え踊りとか祭りも村の人たちが共同で働くから生れたのである。それは農業中心の社会だったからそうなった。
でも実際の生活は現代では会社中心であり郷土に根ざすものは少ないのである。
愛国心は大和という国が生れたときもともとは一地域であり郷土愛だったのである。

やまとはくにの まほろば たたなづく 青がき 山ごもれる 大和しうるはし

そういう美しい自然がありそこにまほろばがありそれは郷土愛であり国家意識とはまた違っている、国家意識というとき外国に対して強い優れいてるとかが強調されるからであるそれはまた郷土愛とは別物なのである。
だから国家を意識する愛国心というのはグローバル化社会では希薄化する、会社社会になると競うのはいい製品を作るとか会社自体を繁栄させることであり国家を繁栄させるのとも違うからである。
ただ会社とかグローバルの多国籍企業の問題は車なら車を作るだけでありそれは自然とは関係ないとか歴史とも関係ないとか全体の一部のことでありそこだけを取り上げたら日本はトヨタの会社となり地方でも部品工場になってしまうのである。
郷土というとき狭い地域でも全体のことであり一部のことではないのである。
もう原発事故では双葉とか大熊とかは明らかに東電の会社の一部となり社員化していたのである。あれだけ大きな会社だったとは知らなかったからである。
それだけ今の企業は巨大化して郷土すらのみこむものとなっていたのである。
そのことが結局郷土自体を破壊してしまったのである。

そもそも東京などでは東京を愛するなどありえるのか?あのようなマンモス都市を愛せるものなのか、そこには郷土もなにもない,第一土すらないのだから郷土という感覚もないそこに自然の美しさもない、そこに育まれるのは何なのか?
会社化した部品化した人間しか育たないだろう。そもそも一千万の大都会となると世界でも何かアイディンティティをもつことは不可能である。
江戸時代の江戸は百万都市でも回りに自然があり富士山が美しく映えていたのである。
それは浮世絵を見ればわかる、江戸にはまだ自然の中にあったのである。
戦前でもまだ自然が残っていて愛郷心もあったしその愛郷心が愛国心となっていることもあった。愛国心の基は愛郷心なのである。それがこの歌に如実に示されているのである。

posted by 老鶯 at 21:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2016年09月21日

秋の日に高倉から小高に行く (小高に帰っているのはほとんど老人だけ)


秋の日に高倉から小高に行く


(小高に帰っているのはほとんど老人だけ)


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高倉の奥の一軒家

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安政の墓や古りて実りかな

虫の音や高倉に残る老夫婦

秋日さし旧街道をたどりゆく


隣家の庭に朝顔咲くを見つ雨しととふり家にこもりぬ

夜のふけて鈴虫すみて鳴きにけり星も清らにきらめきまたたく

ワレモコウ秋薊咲き野菊かな実り戻りぬ村一つすぐ

駅前に花植え飾り揚羽蝶舞ふも淋しも小高の通り

人住まぬ家のありにし誰住むと小高の街や秋となるかな

小高にそ人の帰りぬ少なしも通りに人や秋となるかな

イノシシの街中歩むと今はなし人のまばらに帰る街かな

モスバーガー中に休みて花映えぬふ安らぐ一時ここに得しかな

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昨日は雨であり一日こもっいるほかなかった。隣家の庭に朝顔が咲いている、秋の雨がしとしとふる、窓からその花が見える、別に隣とは仲悪いわけでもないし話もしているからいい、隣とは何かもめやすいことがある。ただ隣でも実際は花だけを見ていれば問題ないとなるのだ。


高倉から小高に行ってきた。安政の墓というのがあった、木幡家であり安政から墓碑が記されていた。高倉には老夫婦が残っている農家がいた。
実りがあるというときそれは江戸時代からつづている。実りの中に墓があるというときそれは継続を意味しているのである。だいたい墓地は必ず江戸時代からはじまっている
なんらかそこが墓がないとしても人を葬った所なのである。
田舎では実りがないということは生活の継続が絶たれることなのである。
それはただ米を収穫して食べるということだけではない、生活の文化の継続ともなっているのである。だからこの辺では原野化したときはそれがなくなったからとまどったのである。原野化したなかに墓がある風景は何か歴史の継続を絶たれた風景だったのである。

ワレモコウに秋薊に野菊が咲いて実りがあって何か田舎は調和している
山側にゆくとまだまだ原野が多い、それでも実りは増えてきた。
山からおりてきて浜街道にでる、秋の日がさしてその道をたどり小高に出る
ただ旧街道というときはわからない、いろいろな新道ができて旅に出たときはわかりにくくなる。ここだってここが旧街道と意識しないかぎりそう思わないのである。
ただ漠然としては昔の道はわからないのである。
自らが意識させない限り昔をたどることはできないのである。
浜街道はいつも意識しているから地元でわかっているから秋の日がさして近くでも旅した感じになるのである。

小高の駅前の希来というところでおばあちゃんがいたので話した。
結構長くいた。

「人が帰っていますか」
「そこの家は子供いて鹿島まで通わせている」
「そうですか、子供もいたんですか」
「帰って来ているのはほとんど年寄りだな」
「人は前よりいるみたいだけど」
「それでも淋しいよ」
「年寄りは若い人が帰ってくるというけどどうかな」
「なかなかむずかしいな」
「年寄りだけ帰ってきてどうなるなのか、街が成り立つのか」
「あそこもあそこの家も帰ってきているのは年寄りだけだよ」
「確かに前よりは住んでいる人がいるみたいだけど」
「それでも少ないよ」
「なんか知り合いの女性が夜が暗くなるので嫌だと言っていました」
「それは言えるな」
「夜に来てみると灯がともることでどれくらい住んでいるからわかる」
「夜は淋しいよ」
「なんかここに来てみると帰る気がなくなるのがわかるな」
「私も帰るけど帰るのは老人だけだよ」
「今はどこに住んでいるの」
「原町の仮設だよ」
「原町だったら便利だから帰りたくなくなる、家も建てた人もいるしな」
「そういう人もいるな」
「それにしても家が空いていることがもったいないんだよ」
「誰か住めといってもな」
「市の方では空家バンクで住まわせようとしているようだが」
「イノシシが前は通りに出てきていたよ」
「誰も住んでいないと家が荒らされる」
「ハクビシンとかも出てきて家にすみついた」
「山の方で50匹もの猿が出ていたとか」
「空家にしておくのは良くないよ」
「駅前に花植えてきれいでいいよ,蝶々がとんでとまっていたよ」
「小高には高校もあって駅を利用する人がいたからな」
「鹿島よりはにぎわっていたんだよな」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

駅前の希来というところでずっと話していたら確かに前よりは住んでいる人もいるし車の通るのも多い、ただ店は開いていないから同じである。
コンビニ一軒と双葉食堂は繁盛している、除染関係の人が寄っているからだ。
双葉食堂は鹿島の仮設でも繁盛していた、ともかく外にいつも並んでいたからである。
小高でも昼間は10人も外で並んでいたから同じだった。
メニューはでもラーメンとうどんしかなくご飯はないのである。
それでも四人くらいで客をこなしていたのである。
ともかく前よりは人が住んで人がいるからいいが何か老人だけでありこの先どうなるのかという不安があるしそれは予想されたことだった。
でも全然子供がいないというわけではない、前は街から離れた所に帰る高校生もいたからである。でもあれだけの空家があり住まないともったいないと思う
ただ来年の三月には仮設も撤去しはじめるので家ある人は帰らざるをえなくなるだろう。そこでまた変わってゆく、でもなんか以前として小高に行ってみると帰る気がなくなるというのが現実なのかもしれない、市の方でもみなんに帰ってもらいたいのである。
そうしないと市の方でも困るので桜井市長が帰って復興に力を尽くしてくれと言うようになった。そして市の方でも小高が負担になる、財政的にも負担になる
そのことで南相馬市民全体の問題として小高がある。
ただ浪江であれ双葉であれ大熊であれ原町の復興住宅に入るようになったというとき広い原発事故の被害地として共有しているのである。
だから原発事故は一地域の問題ではなかったのである。

帰りは原町のモスバーガーで休んだ、あそこに20年も知らないのは大損失だった。
喫茶店として利用できたからである。最近喫茶店がない、食事するのではなく軽いもので何か話したりする場が必要なのである。そういう内装になっている
もう喫茶店だけではやっていけない、でも前からあそこは喫茶店としても利用されていたのである。
喫茶店があるとしたら何か街中というより景色のいいところで休めたらいい。何か自分は今までも喫茶店で思索したりしていたからである。
盛岡は喫茶店がいい場所にあった。川が二つありその側にあったからそれが付加価値をもたらしていたのである。
あそこは景色は良くないにしろ花が映えていたから安らぐ所だった。


2016年09月22日

限界集落化した津波や原発被害地 (将来のモデルケースになる場所なのか?)


限界集落化した津波や原発被害地


(将来のモデルケースになる場所なのか?)



自給自足ってよくリタイアする人間とかも言うけど 
はっきり言って若者以外出来ないんだよ実際 
畑や田んぼ耕すのも体力勝負だし井戸水や川の水だって安定的ともいえない 
病院のお世話にならない頑丈な体に自給自足のための食料を作る体力に 
さらに知識まで必要なのに年寄りが見よう見まねで出来るようなことじゃない 
死に物狂いで若者がやって何とか出来るレベル 
言い換えたら年寄りは本来そう言う自然界においては動物の餌になる存在だからな

経済基盤が田畠だった中世ならまだしも 
主軸が生産流通に移ってしまって 
今はそういった「過去人が住んでいた」だけの土地は、存続させる価値がない 

自然に溶け込むってんなら病気になってもその辺の薬草食ってそれでも治らないなら 
そのまま死んでいくのが自然の摂理だからな 
病気は病院行きたいとか行政サービス受けたいとか 
遊ぶ場所も欲しいとかそんな話は通るわけがない

海外の先進諸国では人々を都市部に集める政策をむしろ推進しているほど。 
そして都市部では自家用自動車は邪魔で迷惑なので、自動車を減らして自転車と公共交通の為のインフラ整備に取り組んでいるほどだしね。

だからフグスマの汚染地域とか復興させなくていいんだよ 
仙台の近くに集団移転させろ 

いま過疎地言われてる所はほぼ開拓集落で 
しかも昭和入ってからの土地だから農業やるにも条件はかなりきついところが多い 
仕事の選択肢は水田がダメなので実質酪農のみといっていいだろう 
肉牛乳業が羽振り良ければそれでもやりたい人が居るかもだけどまあ現状では無理だな 

これから求められるのは、徒歩回遊性の街作り 
都市間移動は、各種交通機関で事足りる社会へ 

歴史的建造物は保存しつつ、 
郊外宅地は田畑に戻し、限界集落は山野に戻す 

自動車に執着している地域ほど人口減少が激しいというのが皮肉だね。 
人(歩行者自転車)よりも自動車を優先するする地域に未来は無い。

離島や国境付近はしかたがない 
だが、この前の台風10号で被災した岩手の村のように 
集落が2、3軒しかないところに道路を整備したり 
無理やり復興させても、 
未来の子供たちの税負担が圧し掛かるだけだ

あっさり消滅してくれたら楽だけど、一番若いのが78歳とかいう集落でも 
その78が95まで生きたら、たとえ住んでるのが1人しかいなくてもゴミ収集もいるし 
水道管も道路も直すし、ガス、電気もいるし、訪問介護の人も通うし、福祉タクシーも必要になるのがな 

過疎化 ←若者が生まれ育ったふるさとを捨てた地域 

生まれ育った人達が捨てるような地域に都会の人が移住するわけがない

もはやコンビニ完備だし 
ディスカウントストアも沢山 
だから個人の商売は成り立たず 
公務員と病院だけが繁盛してるというね 
過疎地獄しかない

東北の連中 
二言目には大震災の愚痴しかこぼさない 
一生瓦礫の中に埋まってろやって思った

気持ち的に寂しいけど社会的にはいいこと 
限界集落まで何億もかけて道路や電気、水道を維持する余裕は今の日本にはない 

田舎へ戻るのはやめたほうがいいですよ。 
お父さんの代の人が亡くなられたら、 
地域に誰もいなくなります。 
行政や民間サービスの対象外になるでしょう。 
生活していけません。 

地方の過疎地域は、自然に還っていくのです。


戦後の町村合併のとき中学校は人口8000人ないと維持困難と見られてた。 
割ったら強制合併(併合)でよかったんだよ。合併先は原住民の投票で決めさせる配慮温情あればいい。 
ミニ町村にも校長いて教師職員いて議員も教育委員もいる。全く無駄だ。 

人口3,000人くらいの過疎の自治体にも公務員が数十人いて議員が十数人いる。しかも、退職者にはたっぷり年金を払っている。

田畑の手入れ・草刈り等しない人は、自治会長から電話で手入れをしてください!!と注意の連絡があるかと 
草ボーボーだと周りの田畑まで、大量に草の種がとんで、草だらけになる上、害虫の発生、水利問題等が発生します。



原発避難区域になったところはなにか前からも書いてきたけど津波や原発事故だけでそうなったのかという疑問である。
農業では食べていけない、漁業では食べていけない、林業はなきも同然、結局何にに頼るのとなると原発だった。
双葉とか大熊とかなるともう東電の町になっていたのでありそれで町も維持できていた。だから原発事故で一挙に崩壊してしまった。
もし昔のように貧乏でも自給自足的な生活をしていたら町でも村でもこんなに町や村自体がなくなるということなどはありえなかった。

限界集落というときこの辺はそうではなかったが何かこの辺では津波や原発事故でそういう状況になった。津波の被害地では三陸などはもともとこの辺より過疎化していたから
急速に限界集落化して人も住めなくなり町も村も維持できなくなる。
三陸などでももともと漁業にたよる貧しい漁村だったから明治の津波の大被害でもやはり生活しなければならないから漁業をするために海側に住んだのである。
その頃は今のような便利な生活ではない、電気などもまともにないし車もない生活なのである。
ということはインフラ整備に電気であれ水道であれ道であれ漁港にしても粗末なものだろう。だから国に頼ることもそれほどなく前のような生活をつづけたということがいえる
人間はいろいろなものをもちすぎると一旦こんな大災害にあうとそれを再建することが容易でなくなる
逆説的になるけどかえって何もっていないなら最低限のもので間に合うのだから再建するのは楽だとなる

病院もないから医者も看護師もいらない
弱って病気になったら死んでもらうほかない
もちろん介護などはしないから介護士も施設もいらない
水道もないし電気もないとしたら原発などという危険なものもいらない
石油を危険な中東から買う必要もない
道路も車がないのだから作る必要も整備する必要もない
家も掘っ建て小屋のようなものからはじめるとすると金もかからない
水道費もいらない、電気代もいらない、車代もいらない、ガソリン代もかからない
燃料は炭くらでまにあわす、あとは輸送は場所とかリヤカーを引っ張るとかなる
肥料は人糞でまにあわすとか草を肥料にするとかあるものでまにあわす

こういう生活は戦後十年はそうだった、子供のときがそうだった。
自分の家はまず水道もいならか水は近くの井戸水をもらっていたし風呂はバタなどを買って鉄砲風呂で燃やしていた、風呂は父親が手作りしたものだしトイレの便は近くの農家の人が肥料として汲んでいた。
その生活は江戸時代の継続だったのである、今の暮らしからする信じられない簡素なものだったのである。電気を使ってたとしても裸電球一つしかないとしたら電気などいらないから原発など危険なものもいらないとなる。
つまりそういう生活だったら再建するのはかえって楽だとなる
何もないのだから何も新たに作る必要もないのだから楽だとなる
そういうふうに人間は江戸時代の継続として戦後十年まで暮らしていたのである。

もしそんな暮らしだったら別に津波であれ原発避難区域であれすぐに再建できたのであるだから三陸とかでも明治の大津波でもやはり漁業に頼る他ないから危険な海側に住んで元と同じように生活していたのである。
限界集落というところでも別に自給自足の生活だったら村自体が消滅することなどなかったのである。ただその暮らしは厳しい、でも村自体が消滅するようなことはなかった。
村の生活は厳しくても維持されてきたのである。
かえって現代の便利な生活を贅沢を求めてきた結果、原発を誘致してそのために住めなくなった、村や町が消滅する危機に瀕したのである。
ただこれはここだけの問題ではない、限界集落と言われるこれから少子高齢化で日本全国の問題なのである。この辺は極端な現象として早めに現れたのである。
だから高倉の農家の人が時期が早まったというのはそういうことを予測していたのである
いづれにしろ良くコンパクトシティ化するほかないとかも言われる、飯館村なんかは草野辺りを中心にコンパクトシティ化する、でも人口が半減したりするとその維持をどうするのかとなる、もともと飯館村は県でも最低の収入しかなかったからである。
コンパクトシティ化するというとき今は国から援助がありできる、ところが今度はその施設でも維持するのに相当な費用がかかる、その負担するのは村民になるからだ
でもそれだけの税金を村でとれるかというとできなくなる、今は国とか東電とかの援助があるから補償があるからできる、でもこれからを考えるといつまでも援助は出ないから苦しくなる。

ではなぜ車から徒歩だ自転車を足に使いというときそれも時代の流れとして提案することになる、日本が少子高齢化で縮小してゆくときそれにどう対応するのかとなる
人口3000人となると議員に払う給料だってまかなえないから数人で四五人でいいとかなるしあらゆるところで節約縮小になる、そもそも大きなインフラを建物でも建てるとそうした小さな村では飯館村のようなところでは維持費がかさみ、維持できなくなる
今は援助があっていいとしても将来的には問題なのである
飯館村は補償金の問題で南相馬市と合併しなくて良かったと今は言っているが将来的に人口が半減とかするともう村自体を維持てきなくなるから南相馬市と合併するほかないと今度はなるかもしれない、今は財政的に豊かになっているが将来はそうならないからである
ともかく限界集落のことで言われることはこの辺では現実のものとしてあり見本のようになっているのである。だから具体的にどうするかということを真剣に様々なことで問われている場所なのである。

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