2016年09月08日

喜多方市(5世紀)の前方後円墳「灰塚山古墳」から、副葬品の大刀(たち)や矢尻など 多量の鉄製品や青銅の鏡が出土ー(福島県の古代の歴史の謎)


喜多方市(5世紀)の前方後円墳「灰塚山古墳」から、

副葬品の大刀(たち)や矢尻など多量の鉄製品や青銅の鏡が出土

(福島県の古代の歴史の謎)

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 喜多方市慶徳町にある古墳時代中期(5世紀)に築造された大型の前方後円墳「灰塚山古墳」から、副葬品の大刀(たち)や矢尻など多量の鉄製品や青銅の鏡が出土していたことが31日、分かった。同時期の古墳から大量の鉄製品が出土するのは東北初という。会津を治めた豪族の墓と推定され、専門家は「東北の古代史を塗り替える貴重な発見」と話す。 



古代半島の南部で我々の祖先(倭人)が鉄鉱石を採掘し、精錬してインゴットにして 
日本へ運んでいた 
その鍛冶・海人である倭人の集団が宇佐八幡宮のベースとなった 

白村江で日本が敗れ、半島から撤退したことにより日本は「鉄鉱石利権を失い、西日本では 
砂鉄を用いたタタラ吹きによる製鉄がメインになった

5世紀)の前方後円墳「灰塚山古墳」で 
391年から白村江の戦いまで、半島を支配したのは日本だから当然だわ。 
しかもスサノヲは、韓郷(からくに)に金銀有り、子供たちに船がなければ困るなぁ、と述べて 
資源の開発等を示唆している。

2世紀頃の釜山市の萊城(ネソン)遺跡では出土土器の94%が北部九州系。 
つまり倭人が海を渡って鉄の採掘をしていた。 

139 :名無しさん@1周年:2016/09/08(木) 04:01:06.50 ID:eGMD0pSx0
三韓征伐引き上げの際の 
九州か百済の武具や馬具の鍛冶屋を 
機内に連れ帰ったのが始まりだろ

青銅は紀元前1世紀頃から日本で作られるようになり、 
製鉄は弥生時代後期後半(1 - 3世紀)頃から北部九州のカラカミ遺跡(壱岐市)や 
備後の小丸遺跡(三原市)で開始され、 
それから時代が下り出雲地方や吉備でも製鉄が行われるようになった。 

日本の製鉄は芦原から始まったから量産難しかっただろうしね 

有田焼を筆頭に日本の陶芸の多くは技術を持った生身の人間が渡来して製作したもの、近世は 
連れてきた日本の記録や連れて来られた陶工の家系が残っているからありのままにされている。 
鉄製品の原料などどこにでもあるものだ、なかったのは製鉄、加工の技術。 
技術は海を越えてやって来ない。 
技術を保有した人間がやってきて日本で鉄製品を製造していたのだ。 
稲作も漢字も同じ、先祖の祀り方も海を越えて伝わるものではない。 
そういう生活習慣の人々が移り住んだということだ。

須恵器は現代の焼き物小屋と同じように閉じた環境で焼かれ、 
鉄成分が還元して黒っぽくなる。 
製鉄は更にその先の技術である。 

このように最低限、温度と空気を調整できるまでは

この被葬者は四道将軍の北陸道将軍の大彦命だろうか?それとも東海道将軍で大彦命の息子の武渟川別命だろうか?

山形人の井上ひさしは「会津は東北ではない」と断言してる。 
昔から中央政権と直結した独立国のような地域で、 
平安の仏教文化も関東を飛び越え会津から東日本に広まってる。 
東北の蝦夷文化とは別系統の文化が会津にあったということでしょ。

律令国家を広げるため、北陸、東海、西道、丹波に派遣された四道将軍のうち、 
大彦命と武渟川別命という二人の将軍が、各地を平定した後、 
出会って定着したので「会津」という地名になった。 
もともと記紀神話に由来する地名なんだよね。

ヤマト政権は韓人王朝だからな 
倭人や蝦夷の猿どもの大部分を支配していたのだろう 
韓半島の先進文明の政権なら支配圏は会津どころか青森まで到達していたかもしれぬ 

既に会津の大塚山古墳で三角縁神獣鏡(卑弥呼の鏡)が出土してるね。 
大塚山古墳は古墳時代前期のもので東北地方最古だから、 
今回の灰塚山古墳はそれ以降のもの。

新羅系の物部氏は、蘇我氏に敗れたあと、製鉄技術と武器、道具の製作技術を 
陸奥ヒタカミノクニ(日高見国)に持ち込み、大和朝廷に対抗する為にエミシ勢力に、 
弩(イシユミ)などの武器を提供したとされる。 
大和朝廷の「蝦夷征伐」の目的の一つは、物部勢力、新羅勢力の根絶という側面もあったのである。

わざわざ半島に攻めて行ったのは、鉄の供給を確保するためだったのか? 
大和朝廷以前から頻繁に攻めてるみたいだし 


日本で鉄器が急に普及したのは南半島を統治し鉄鉱石を豊富に確保できた時期 
それまでは原料が入手困難だったので鉄器が普及しなかった


製鉄は弥生時代後期後半(1 - 3世紀)頃から北部九州のカラカミ遺跡(壱岐市)や 
備後の小丸遺跡(三原市)で開始され、

この議論を深めると地名だと北部九州のカラカミ遺跡(壱岐市)とあるが南相馬市の鹿島区にも唐神(からかみ)という地名がある。これは九州が離れていても共通したものであるカラカミという地名は他にもあるだろう。なぜなら地名は古代につけられたのが多いからだ。

山形人の井上ひさしは「会津は東北ではない」と断言してる。 
昔から中央政権と直結した独立国のような地域で、 
平安の仏教文化も関東を飛び越え会津から東日本に広まってる。 
東北の蝦夷文化とは別系統の文化が会津にあったということでしょ。


これも万葉集の歌に出ているけど

会津嶺(あいづね)の 国をさ遠(どお)み 逢はなはば 
偲(しの)ひにせもと 紐結ばさね
     〜作者未詳 『万葉集』 巻14-3426

会津は一つの別な国だったのである。防人に出されたのは福島県までである。また会津には平安時代の仏教の寺が多い

奈良時代に生まれた徳一は、南都興福寺で学んだあと20歳の若さで都を離れ、地方で布教活動をします。そして行きついた先が会津で、大同元 (806)年に磐梯山のふもとに慧日寺を建立します

会津の歴史は東北でも独自に早くから発展した地域だとなる。会津は水がいいので米作りに適していたということもその独自の発展の源にもなったともある。


三角縁神獣鏡である。「卑弥呼の鏡」と通称されることの多いこの鏡は、ヤマト王権が服属した地方の豪族へその証として分け与えていたと考えられ、3世紀から4世紀にかけて畿内に成立した古代国家の勢力範囲を考えるうえで重要な遺物と考えられる。ちなみに会津大塚山古墳の三角縁神獣鏡は岡山県備前市の鶴山丸山古墳のものと同じ鋳型である。鏡はほかに南棺から変形四獣鏡、北棺から捩文鏡が検出されている。また、環頭大刀は、福岡市若八幡神社古墳出土の大刀に類似している。


ここに吉備が関係している、吉備も製鉄では有名である。

真金吹く吉備の中山帯にせる細谷川の音のさやけさ

そして吉備となるとこれまでみちのくの真野の草原(かやはら)で考察したようにこの歌はももともと吉備と深い関係にあった。


吉備津神社の社伝に、中山の麓に茅葺宮を営み、吉備津彦神を加夜臣奈留美命(かやのおみなるみみこと)が祀ったのが神社の起こりという事で、加夜臣奈留美命(かやのおみなるみみこと)とは、飛鳥の神名備に坐せた、加夜奈流美(かやなるみのこと)ことで、この賀陽氏の始祖神です。吉備津神社の主祭神は、大吉備津彦命ら八柱で、二柱は賀陽氏の祭祀神で、他は吉備臣の先祖とされる孝霊天皇の子神。

この「温羅(うら)伝説」の温羅こそ、「吉備伽耶王国」という巨大勢力を代表する人物で、吉備賀陽氏自身であり「温羅(うら)伝説」は、古代「吉備伽耶王国」の始祖伝承を伝えた話
後に、百済勢力が進出してきて吉備津彦と争うこととなる。


みちのくの真野の草原(かやはら)遠けれど面影にして見ゆというものを 笠女郎

(かやのおみなるみみこと)は真野の茅原-草原(かやはら)の伽耶に通じている
そして真野の草原を万葉集に残した笠女郎(かさのいらつめ)の父親が吉備国の出身であり伽耶の出だともされている、何かこうしてパズルのようにつなぎあわせると真野の草原の謎が解けてくる
つまり会津でもそうだが福島県の浜通りでも早い時期から産鉄族が移動してきていた。
最近自分が考察した、ツノガノアラシトのツノという地名がついているのが小高に角部として残っているし津神社とかはツノミヤ神社であり相馬市の松川浦も津神社もツノミツ神社でありツノガノアラシト系統なのである


ヤマト政権は韓人王朝だからな 
倭人や蝦夷の猿どもの大部分を支配していたのだろう 
韓半島の先進文明の政権なら支配圏は会津どころか青森まで到達していたかもしれぬ


津軽(つがる)もツノガノアラシトとして考察した。ツガルはツノガがなまり変形したものだからである。ツノガノアラシトの系統が東北の蝦夷と言われた地域に早くから広がっていたのである。それは製鉄技術をもって蝦夷の地に来たのである。
・・・・・・・・・・
新羅系の物部氏は、蘇我氏に敗れたあと、製鉄技術と武器、道具の製作技術を 
陸奥ヒタカミノクニ(日高見国)に持ち込み、大和朝廷に対抗する為にエミシ勢力に、 
弩(イシユミ)などの武器を提供したとされる。 
大和朝廷の「蝦夷征伐」の目的の一つは、物部勢力、新羅勢力の根絶という側面もあったのである。



物部氏が日本を建国した最初の大氏族とされる、だから日本全国に物部氏にまつわるものが多いのである。この辺の桜井古墳も物部氏が作ったとかされるし地名も物部氏に由来するとされるものが多い。明らかにこの辺は物部氏が支配していた。
この物部氏はやがて大和朝廷に逆らい対抗するようになったのである。
なぜ蝦夷が強大であったのかは物部氏がいたからなのである。
その物部氏に渡来系の伽耶の国の人が製鉄技術をもっていたツノガノアラシト系統が合体したのである。


坂上田村麻呂の先祖の出自も同じ伽耶。金海金氏首露王は伽耶国始祖王。 
坂上田村麻呂とアテルイは出身国が同じ伽耶たったのだろう、だから田村麻呂はアテルイの助命を嘆願した。 

八槻と名付ける由来は、景行天皇の治世、日本武尊が東国の夷(えみし)を征伐しようとして、この地に来て、八目の鏑矢で賊を射て倒し、その矢が落ちたところを矢着(やつき)というようになったことによる。八槻には役所がある。神亀三(七二六)年、表記を八槻と改めた。
 また、古老は次のように言う。昔、この地に八人の土知朱(つちぐも)が居た。一を黒鷲、二を神衣媛、三を草野灰、四を保保吉灰、五を阿邪尓那媛、六を栲猪、七を神石萱(かむいしかや)、八を狭磯名という。それぞれに一族があり、八ヶ所の岩屋に住んでいた。この八ヶ所は皆、要害の地であった。だから皇命に従わなかった。国造(くにのみやつこ、律令施行以前の時代、朝廷から一国の長官に任ぜられた現地の豪族)の磐城彦(イワキヒコ)が敗走した後は、人々を奪い去る事が止まなかった。景行天皇は日本武尊に命じて土知朱を征伐させた。土知朱は力を合わせて防戦した。また津軽の蝦夷と共謀し、多くの鹿や猪を狩る強弓を石の城柵に連ねて張り、官軍を射た


神石萱)かむいしかや)のかやは伽耶に由来するのだろう。磐城彦(イワキヒコ)とは今の磐城からでている、そしてなぜ津軽がでてるのかも不思議だとなる、そこはかなり棚倉から福島県からして遠いからである。つまり津軽はツガルでありツノガノアラシト系統が土着していたからだとなる、それが蝦夷となり大和朝廷に抵抗したのである。
その背景には日本で新羅系統とか伽耶系統とか百済系統の渡来人が入り交じり大和朝廷側についたり反抗したりしたために複雑になっている。
蝦夷とはだからそうした渡来系と物部氏がそして原住民などが合体した連合軍だったのである。だからこそ手ごわいものとなったのである。

・・・・・・・
日本の製鉄は芦原から始まったから量産難しかっただろうしね 
・・・・・・

日本は葦原瑞穂の国だからそうなった。この意味するところはわかりにくいが葦原は萱原にも通じている、萱というのが伽耶国に由来でないとしても何か製鉄と関係していてカヤと名付けられたのかもしれない、全国で製鉄に由来する関する地名が膨大だからである。つまり萱原は鉄のとれる所として知られていた。それは奈良にも知られていて笠女郎が歌に残したのである。現実にそうした大きな製鉄遺跡がここから発見されているからであるでもそこでは軍事用の刀とかではなく仏教に関するものが多かったということは何なのか?唐神(からかみ)とあるごとくそれは仏教の仏のことである。仏教の用具も重に作っていたのかとなる

須恵器は現代の焼き物小屋と同じように閉じた環境で焼かれ、 
鉄成分が還元して黒っぽくなる。 
製鉄は更にその先の技術である。 

このように最低限、温度と空気を調整できるまでは

末続駅から新妻氏のことをことを考察して末続も末(すえ)は陶(すえ)であり須恵器でありこの由来は出雲に神社があり出雲から全国に広がった。つまり浜通りは砂鉄がとれたことで製鉄があった。会津もまた早い時期から製鉄が行われていたのである。

いづれにしろ会津でもそうだが福島県は早い時期から製鉄が渡来人などがわたってきて成されていた。それで今回喜多方市の古墳から製鉄に関するものが出たということは不思議なことではない、会津はそれだけ歴史が古いのである。
こうして全国レベルで議論すると何か歴史の謎がパズルを合わせるように解かれてゆく
そこにインターネットを利用する意義がある、古代関係とかは相当に詳しいからキーワードで関連のものを調べられるからである。
これが図書館などで調べようとする大変なことになりも時間がないからできない。









タグ:灰塚山古墳
posted by 老鶯 at 10:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2016年09月09日

抽象画(多様な流れ(abstract pictures-A variety of flows)


多様な流れ(abstract pictures-A variety of flows)

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普通川を見てもそんな違ったものとして見ない、でも川というのは流れというのは多様なのである。
抽象画で川の見方が変わったというのも不思議である。川に色がないが実際は抽象画にしてみると色があり個性が生れる

もう一つの抽象画のイメージとしてベニスは何か抽象画として相性がいい
海に浮かぶ都市というのは他でないからだろう。
だからベニスは世界でも最も不思議な都市なのである。

Do not usually watch it as such a different things to see a river either; but, in the river, flows are various.
It is a wonder that the viewpoint of the river changed in an abstract picture. The river does not have a color, but when the fact makes an abstract picture, there is a color, and personality is born

Venice will be because the city floating in the sea which affinity has good as some abstract picture is not others as an image of another abstract picture.
Therefore Venice is the city that is the most mysterious in the world.
タグ:多様な流れ

実り(秋らしくなり里に実りが回復した)


実り(秋らしくなり里に実りが回復した)

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我が里に実りもどりぬ秋あざみ

橙(だいだい)の夏菊映えて街の中

陽も落ちむ空に広がるうろこ雲


留守にせし部屋にさしおく菊の花その女見えじひそかなるかな


実りも日に日に色づいて色が濃くなっている。今年は相当実りの範囲が広がった。去年はまだまだだった、5年過ぎて実りの範囲が拡大した、まだ荒地化している所も多いことは多い、でもなんか我が里にも実りがあるなと感じるようになった
実りがもどったという感じである。
第一かえって津波が襲った海側は田んぼの区画を広くして今年は実りがある
塩分なども表面の土をとったから影響なかったのだろう。
田んぼからみるとかなり復興したとはなる

どうしても田舎だと田んぼがあり稲穂があり実りがないと田舎という感じがしない
その実りはただ鑑賞するものではない、この土地に生きるものを支えるものである。
ただ実際は地元の米よりスーパーでいろいろな米を買っているのである。
自分もそうである。地元の米を今は食べていない
それでも震災の時物資がこの辺では二週間くらい入ってこなかった。
その時自分は二週間くらいたまたまあった米を炊いてノリくらいのオカズでしのいでいたそして米が足りなくなったときこの辺で古米を無料で配ったのである。
それで助かったということがあった。郷倉というは飢饉に備えて米を蓄えていたのである
人間は何かこうした災害や緊急のとき遠くの人が助けてくれるのかと不安になる。
グローバル経済になり広域経済になってもそうである。

今も岩手県の岩泉とかで豪雨で孤立して道も遮断されて助けに行けないと行っている
この辺も二週間くらい放射能が怖いと物資が入らなかったのである。
その間をしのぐのが結構大変なことなのである。
水道さえも壊れたところがあり水をもらいに行っていた人もいた。
だから我が里に実りがあることは心強いことなのである。
ただそれは一時しかしのげない、米くらいはあってもその他はとてもたりない
地元で野菜作っている人を知っているし金銭的に応援しているがそこでとれのはほんのわずかである。トマト十個もらったが他は何ももらえない、何かあってもとてもそこでは何の用もたせない、ただ一家族くらいなら用がたせるということはあるがそれでもたりない

人間は村も必要だが街も必要である。街がなかったら淋しいだろうなと思う
自分の街は街とも言えない、一、歯医者4軒とかあるから飯館村とかよりはいいとなる
隣に4,5万の市があるからそこに行けば街の雰囲気が味わえる
橙色の夏菊が街ににあうのである。街ににあう花はある
ただもともと自然に花はにあうから街ににあう花は少ないだろう
今は街がないということは相当に不便であり淋しいものとなる
ただ情報的にはほとんど不便感じなくなった。インターネットがあるからそうなる
買い物もできることが前とは違っている
ただインターネットの買い物は注文したものと違ったものが来たり失敗がある。
でもいいものも買えるので便利である。
今は生活が多様化しているから買い物は近くだけではたりないのである。
自転車関係の備品とかはこの辺では売っていないからである。

家を留守にしていたら菊の花を部屋さしておいてあった。その女は去っていた。
花は買ってきてもらっている。菊の花であり何か秋を感じた。
花だけさして去ってゆくというのも奥ゆかしいものを感じる
その女はそんな人ではないけど何か不思議な感覚になった。
家に入る人はまず信頼が第一である。
でもそういう信頼を築くことが時間がかかるし大変なのである。
それで自分はひどい目にあった。家捜しされて大損失だった
一年以上つきあい信頼関係ができれば安心になる
まず十年とか手伝いしているなら信用されていることである。
自分は何か手伝ってもらっているとういものでもない
ただ出入りを自由にしているという感じである
家政婦として今雇うなら20万は必要である。
自分は家事は全部自分一人でしているのである

今日も午前中は暑かったが昼間からはうろこ雲が広がったから秋になってゆく
ただまだまだ残暑が今年は厳しい





タグ:実り

的を得た行動のチャンスは若いとき一二回しかない (何に時間を費やしたかで決まる人生)


的を得た行動のチャンスは若いとき一二回しかない


(何に時間を費やしたかで決まる人生)


5分しか働かない奴よりも1時間働いた奴の方が偉いみたいな考え方の奴いるな 
その時間でどれだけのことをしたのかが重要なのに

人生80年の時代でもでは人生80年生きてその人が真に生きたかとなるとそうでもない
ただ芸術になると作品を作るのに時間がかかる、芸術家などの場合は長く時間をかけなければ作品は完成しない
ただ歴史的人物とかなるとその行動が別に長い時間をかけたからといって功績があったとはならない、だから明治維新で若者があれだけ活躍したのは時代でありその中で短い人生でも歴史的に大きな役割を果たしたとなる
坂本龍馬の真意は分からないにしても誇大化されるているにしても薩長同盟を成したことで歴史が動いたことは確かである。
歴史の中で一時でも的を得た行動すれば歴史が動かしたとなる、その判断は後世になってもむずかしくなる
当時を生きた人はいなくなってしまっているからである。

個々人の人生でも青春時代30歳くらいまでは行動の時代である。それは必ずエネルギーが悪い方に爆発して犯罪を犯すことにもなる、若気の至りでありそれが老年まで尾がひくとは思っていない、それで推理ドラマでは必ずその若気の至りのことが老年まで尾をひいてその罪が暴かれることがテーマになる
それはなかなか隠すことができなくなり暴露されるし良心的にも内面的に苦しむ
過去のことで亡霊が出てきて悩まされる、もちろん殺人したような人はとても刑罰を受けなくてもその亡霊から逃れることができないだろう。

結局自分も若気の至りがありカルト宗教団体などで貴重な時間を費やしてしまった。
ただ自分にとっては無駄だったとは言えない、要するに人生で経験することは最後はどんなことでも無駄なものはない、誤った行動でも無駄ではない、なぜなら人間が生きる時間が短すぎるからそうなるのだ。
もし人生が二百年とかなればそうはならない、二百年はあれば様々なことが経験できるからである。百年でも経験することは一個人では少ないのである。
だからどんな経験も無駄にはならない、なにかしらのたしになるようにできている

ただ的を得た行動は一生の間で一二回しかない、それは30歳まで青春時代に起きる、何かそのあとはだらだらとした延長である。
要するに野球でも9回ある間にそこで劇的なホームランとか一回くらいしかないのと同じである。人生でもホームランを打つの一回くらいしかないのである。
人生でチャンスはそうして一回くらいしかない、あとは何かだらだらと回を重ねてゆくのが多いのである。
自分にとっては東京の大学に故郷を出るということや大学で一年体育系の部に入ったとかそのあとカルト教団創価に入ったとか
次にまた放浪して家を出て死に目にあったとかある。普通の人はたいしたこでなくても自分にとっては体力もないから苦労だった。
この時は一番行動的な時代だったがあとは30年間は平凡だったし楽だったのである。 

ただ芸術とかの分野だとホームランとかは天才でないかぎりない、芸術でも学問でもこうした分野は積み重ねなのである。
そもそも学問というけどその分野はものすごく広い、本にしたって天文学的な量があり何を読んでいいかもわからないだろう、そしてまず百冊本を読めればいい方である。
そんなに人間は頭に入りきれないのである。すると知識的には限られたものになってしまう、あらゆることに詳しくなれる人間はいないのである。
インターネットととか通販がない時代だとどうしても田舎だと読みたい本、読むべき本が手に入らなかったことが不利だったのである
だから芸術とか学問などの分野は時間をかければかけるほど比例して成果を出すことができる、それは普通の人でもそうなのである。

いくら天才でもあらゆることに通じる人間などありえないからである。
人間はあることには詳しくなれるのである。
最近毛沢東のことを研究している女性は中国生れであり中学一年まで中国で過ごしたからこそあれだけ詳しくなった、日本軍に毛沢東が感謝していたというのも意外だったのである。
こういうことは雑学関係でもありうるのである。人生の時間を無益だとしてもある事を追求していたらその分野で一流となる、それはやはりそれだけの時間を費やしたとうことであり時間をそれに使ったということなのである。それは特別な才能でもないのである。
なぜなら結局何度も言うように人生は何に時間を使ったかで決まるのである。
それぞれの時間は限られている、あらゆることに時間をかけられないからである。

何か感性を磨くにしても俳句でも短歌でもそうだけど70年間生きたら季節のめぐりを経験して感性を磨き深めているのである。季語なども今でわからない季語、使わない季語が多いのである。それだけすべての季語に通じる時間が人間にはないということなのである。何か理解するにしても時間がかかる、だから退職して趣味として俳句でもやるかなとなるとそんなに簡単にはできない、その人にはそうした積み重ねがないからできないのである。
グローバル化すれば外国の一国でも理解することは時間がかかる、二カ国になったらさらに時間がかかる、これだけ世界が広がるとまた比例して時間が必要なのだが時間は限られているから理解できずに終わるのである。
そもそも日本の歴史となると相馬藩であれ福島県内であれそれが詳しく知るとなると相当な時間がかかり結局一部しか知らずに終わる
ましてや全国的な歴史となるともうお手上げだとなってしまうのである。

いづれにしろ的を得た行動は人生に一二回くらいしかない、チャンスもそうである。
カルト教団などで行動していたのは意味ないし行動とは言えない
人生を浪費するだけだとなる、戦争でもやはりそれが的を得た行動であったのか?
ただ強制されたものだけだったのか?カルト教団などで行動している人は強制されたものと同じであり奴隷として行動していたのである。
そういうところでは必ず個人崇拝となり偶像崇拝となっているからである。

人生はそもそも劇的なことはそんなにない、確かに戦争を経験した人は経験しないことを経験した、でも戦後はそんな劇的なことはない、やはり平凡な日常があっただけだとなる平凡な平和な日常がなければなんであれ実りなどない、戦争ばかり災害ばかりつづいているようなところでは何か芸術とか学問とかであれ実りなどありようがないのである。
だからここ十年は自分は非日常のことを介護であれ自分の病気であれ後を継ぐということであり津波や原発事故でも信じられない激動を生きたとなる
それまでの30年間は平和だったな楽だったなとつくづくふりかえるのである。

インターネットは何かマスメデアからすると馬鹿にされるけどいいことを言う人はいる
ただ今までそういう人はマスコミに取り上げられないから注目されなかっただけなのである。
こういうことを言う人は例えば仕事でも本当に有益な仕事をする人はだらだら時間をかけてはない、的を得て仕事をしている人である。それは大きな仕事するとき別に時間をかけない、何か営業でも大きな仕事を引き受ければ会社に大きな利益をもたらす、銀行でも証券会社でも一億とかを引き受ければ手数料だけでも一パーセントでも百万になるしそれが定期的に入ることにもなる、それが株とかの投資になるとその利益も大きくなるからだ。だから百万くらいの金を引き受けるより一億をもっている投資してくれ人と契約すれば
仕事の成果からすればそんな人に時間をかけても無駄だとなる

それはいい悪いは別にして計算的にはそうなる、それが仕事なのかという問題はあるにしても効率から考えればそうなる、時間をかけたからそれで成果が出せるとは限らないのである。
そもそも株とか投資のグローバル経済は大きな金を集める投資信託はそういうことで成り立っているからだ。
現代は時間の節約、効率化が極限まですすめられる、家でも組立式であり二週間で完成する、自分の家は昔の家は地元の人が半年もかけて作ったとかある。それだけ時間がかかっていたのである。インターネットでも何か通信でも知的作業でも効率化が前より計られている、文章を原稿で書いていたらそれを印刷して本のように全国に配達していたらいたら時間がかかるからである。今書いたものを即座に発信すれば一番効率的なのである。
こうして時間を節約できれば他に時間をさくこともできる、家事を全部してでもこれだけのことをプログで書いているからである。

2016年09月10日

松本清張の「黒い福音」を見て (アメリカに支配されていたために宣教師を逮捕できなかった)


松本清張の「黒い福音」を見て


(アメリカに支配されていたために宣教師を逮捕できなかった)



中国にアヘンを密輸しまくってアヘン戦争を引き起こした商会がジャーディン・マセソン商会 
そのジャーディン・マセソン商会の長崎支店こそが坂本龍馬のスポンサーであるグラバー商会である


1951年の米国議会上院の軍事外交合同委員会のマッカーサーの答弁
「日本は絹産業以外は国有の産物はほとんど何もないのです。彼らは綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、錫がない、ゴムがない、その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域に存在していたのです。
  もしこれらの原料の供給が断ち切られたら1千万から1千2百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」


  フランクリン・D・ルーズベルトのミドルネーム“D”は、デラノ一族の意味で、セオドア・ルーズベルト大統領も血族の一人で、ユダヤ人ある。ルーズベルトとは、オランダ語で「赤いバラ」である。

デラノ家は、アメリカやイギリスの富裕階層の大半がそうであるように、アヘン貿易と奴隷貿易で財をなした。

「アヘン貿易と奴隷貿易は一体となっている。今日のアメリカの隆盛の最大の原因は、イギリスの黒い貴族たちがアヘン貿易で儲けた金をアメリカに注入したからである」と鬼塚氏は端的に説いている。

バチカンの(ハプスブルグ配下の)フッガー家に対する借金返済の施策である免罪符の発行への対抗策として、教会不要論や天職理論、蓄財の正当性を説くことにより、教会へのお金の流れを銀行(預金)への流れに変えることを推し進めた。

金貸し支配の構造A ベネツィアの黒い貴族:サヴォイ家

その後大航海時代には、イエズス会は世界各国へ食指を延ばし、奴隷貿易により膨大な利益を得ていくことになり、その運用のためにバチカン銀行が造られる。
>各国の軍事施設の近くには、必ずと言っていいほど教会が設けられている。そこの懺悔部屋での諜報活動がイエズス会牧師の大きな役割となっていた。

タックスヘイブンの構築

>サヴォイ→デル・バンコが支援していたテンプル騎士団が迫害を受け、イギリス騎士団としてイギリス方面に渡る。その際、バイキングと結託し、イギリス北西のマン島にオフショア=タックスヘイブンといわれる無記名、非課税or低課税の制度を確立し、外為で獲得した膨大な利益の目減りを防ぐシステムを構築していく。その後、スイスやロンドンでも同様のシステムが設けられていく。

『権力ゲーム』とは、金融権力を握ったロスチャイルド国際金融マフィアが、世界各国で国民を支配し搾取するために、政治、行政、司法、経済、企業、労働組合、メディア、教育、宗教などの権力を握って独裁支配体制を築く『反国民の権力犯罪』である。


明治維新でもそうだが戦後でも外国宣教師が入ってきてキリスト教を布教したのは問題があった。なぜならアメリカが主だがアメリカは裕福であり権力をもっていたからである。そのために権力で宗教をおしつける、権力で宗教を広めるとなるからである。
クラーク博士はどこの宗派にも属していないし何かそうした権力と無縁の人であったからかえって明治の青年を感化したという、カトリックとかなるとあのように明治の武士の出身者を感化できなかった。そこから独立した内村鑑三のようなクリスチャンが生れた。
カトリックのようなものだとそういう人は出なかったとなる
内村鑑三は外国の宣教師を嫌っていたからである。それは日本国の個々人の独立精神を失うからである。
ただ明治となるとキリスト教のことがわからない時代だからやむをえないことがあった。今なら外国の宣教士とか宗派とか教会でもエホバとかのカルト団体とか外国系資本の教会に属する必要なとないのである。
自立していくらでも聖書など学べる時代である。むしろそういう場所に行く属することは信仰をそこねることさえあるだろう。
なぜなら自分は一回も教会で聖書の話も聞いたたとがないし聖書自体学んだこともないのである。カルト団体に属してもそれは仏教系だから全然違った世界である。
それでもクリスチャンになる人はなる、それは聖霊の働きによるからである。

この映画でも教会がアヘン取引していたとか暗黒のおぞましい所だった。ただこれはフィクションだが事実を基にしたものであり結局事件は闇に葬られた。
その時アメリカに支配されていたのだから操作すらできない治外法権の場所になっていたからである。
ただ宗教というと特に宗教団体とかなる何かそうした闇をどこでもかかえている、それはなぜなのか?巨大な権力を有するようになったからである。
それはカトリック教会からはじまった、今でもバチカンの闇がある、カトリックが国家並の権力をもつが故に歴史的にそうなっていた。
教会だってそこが商売の場所にもなるしいろいろと世俗的なものに利用される
それは創価を見ればわかる、もうそこは様々な利権が食い入る場所になっている
大成建設が何かオリンピックの入札で不正していたのではないかというのもそうである。大成建設と創価は密接な関係がある。会員も多いからだ。
第一国土大臣が公明党だったらそれも当然だとなる
宗教団体は巨大なるが故にそこは利権の場所であり権力でもって大衆を操作する場になる統一教会だったら韓国系でありとか背後に国家権力が関係している
エホバだったらアメリカとであり日本自主独立のものはまれである。

教会でアヘンを売買していたというと何か常にアヘンが資金源になっている。中国がイギリスからアヘンを売られて国力を失ったようにアヘンは亡国の薬である。
そしてルーズベルト一族がアヘンで財を成した一族だとか何かそうした巨万の富を築いたものには必ず黒歴史があり政治家にも黒歴史を背負っている
アヘンで外国を批判するが日本も戦争中、中国にアヘンを売り資金源にしていたという。アヘンというのは巨利を得る手段なのである。今でもフィリピンでもアヘンのために国と戦争状態になるとかメキシコでもどこでもアヘンがやはりそれだけ金を生むからマフィアが活躍する、そしてどこでも権力の集中するところが宗教団体だろうがなんだろうがマフィア化しているのである。

こういう黒歴史はインターネットでは驚くほど詳しい、何か今までおさえられたものがインターネットに噴出しているのかもしれない。
ただその陰謀論にはまるとこれも訳わからなくなる。
ただ巨大な権力自体が人間にとって悪い方に作用していることは確かである。
銀行にしてもそこに巨額の金が集まるから世界まで支配できるとなる
人間は個々人でも金を貸すことによって奴隷化される、それは江戸時代もそうだった、遊女にされたが今でも現実にバングラデッシュとかカンボジアとかはほんのわずかな金で少女が売春されている、つまり江戸時代を知りたいならそういう国に行ってみれば実感するそれをDARKNESS DUAとかで延々と書いている。
あのようなことが今までも確かに知られていたがあれだけのものを報告できるのはインターネットだからできたのである。

どうしても金がある権力がある所にはよからぬものが入ってくる
自分もそれでひどいめにあった。多少の遺産をひきつぎそのために強盗のようなものが来る、借金で苦しめられていたものが病気でも借金を要求してくるとか金があることで恐ろしい目にあうこともある、現実に常に江戸時代でも富裕な商家が盗賊にねらわれる
家政婦二人雇っていた金持ちが強盗に入られて殺されたとか常にある。それは昔からあったことである。中国では盗賊の首領が皇帝までなったしイギリス海軍は海賊が基だったりと権力があれはその権力の奪い合いが必ず起きてくる、革命でも権力を得るためにする。大義名分があっても盗賊同士の争いなのかとまで見る
だから巨大な権力がある所は宗教団体だろうがなんだろうが闇になる
その闇の正体はなかなかわからないから陰謀史論になる、結局それはサタンが世を支配すると同じである。
一見権力を金をもつのはいいように見えるし大衆でも貧乏ならみんな金が欲しいとなる
金がいらないなどという人は今では特にいないし金がないから最低限の生活すら不可能である。だからこそ金に支配されるのである。
では実際にありあまるほどの金とか権力をもつとどうなるのか?そこは闇の世界になってしまう。つまり権力と金で支配する者はサタン化するということである。
世界史自体がこれほどキリスト教が普及していても何にも変わっていない
やはり権力と金が支配する世界だということである。

この映画は戦後アメリカに支配された時の物資不足の時代のことである。
教会がアヘンの販売していたというから腐敗しきっていた
それはドラマだけのことだったのか?
これは事実を背景として生れたドラマである。教会に入るというときそうしたアメリカから物資の恩恵を受けることもあり入る人もいたろう。
人間は純粋に宗教を求めることはない、何か利益があり弱者が権力の助けを求めて入る
その弱者を利用して権力を拡大化するのが政治である。宗教もそうして権力闘争に利用されるのである。

この映画の結論が示唆に富んでいた、なぜ限りなく黒だった宣教師を逮捕できなかったのか?
それは戦後アメリカに支配されていたためなのである。
それで警察の上官が言ったことは

日本の国は強くなければこうなる、他国に蹂躙される

これと「心の青雲」で常に言っていることだからそれはあてはまる
国が弱ければ下々で最貧国のように少女はわずかの金で売られるのが歴史の現実なのである。そしてそこに公平な裁判もありえないのである。
それは今でもそうである。、検察でもアメリカの意向に従わねばならないとかなり公平ではありえない、日本は未だアメリカから独立していない、属国だからそうなる。
映画は単なるフイクションだと興味がない、なんらかの事実に裏付けされているとそこから歴史でも学ぶことができる、ただフィクションと現実は違う、そこでフィクションが現実のように錯覚しているのが映画とかテレビの時代だと多いので問題なのである。
ただインターネット時代になるとこんな映画あったのかと知らないことを知ることになるこれは最初テレビで昨日放映していた、でも途中から見たからわからないところがあったでも検索したら無料で見れるのがあった。それもこの映画は二つくらい同名で製作されていたのである。映画は何かテーマがあって製作されている、こうした映画を見ている方が世の中の真実がわかる、これからはあまりテレビを見ない時代になっている
チャンネルが百チャンネルとかなる、2チャンネルもあるが自分もチャンネルの一つであるから膨大になるのである。テレビとか新聞はもうだんだん見なくなるし読まなくなる
なぜならそんなにいろいろなものを見れないからである。
インターネットの有利なのはあるテーマとかキーワードから深く考察できることなのである。それだけの情報量が蓄積されたことによってそうなったのである。


タグ:黒い福音

(秋の蝉)南相馬市原町の市街から高倉ー押釜を回り帰る (高倉村では紙漉きが行われていた)


(秋の蝉)南相馬市原町区の市街から高倉ー押釜を回り帰る


(高倉村では紙漉きが行われていた)

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この地図は覚えていた方がいい
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綿津見神社


草茫々刈る人老いて夏の暮

草うもる高倉の墓地夏の暮

流れ落つ清水を沢蟹這いのぼる

高倉や清水にうたる蟹一匹

夏草に馬頭観世音旅の人

秋の蝉鳴きて淋しや旅の人


高倉の街より離れあわれかな秋の蝉なく声ひびき暮る

バス停の目印とあれ歩みつつ秋の蝉なき夕暮るるかな

四方より蝉鳴く声のひびきつつ我が歩むかな秋の日暮れぬ

押釜と奥にしあれや古き墓地野馬追いにいず郷士棲めるも

紙漉きを営めると昔水清し高倉村や秋となるかな




今日は高倉から押釜回り帰ってきた。帰ると7時すきているから暗くなる
前は介護していたから常に早く帰らねばならないとなるからこの辺の近くすら行けなかった。今はいつ帰ってもいいから余裕がある。

高倉の農家の人は草刈りしていた。辺りは草茫々である。若い夫婦はここを出て帰らないという、何か市街の方に出たのではなく、南相馬市を出たらしい、原町でもろくな会社がないからだとか言っていた。
姑と一緒にいるのも嫌だったしこれ幸いと出て行ったとかも言っている
あそことても田んぼにできる場所ではないだろう。
あそこから飯館村の長泥(ながとろ)に出るがそこは帰還困難区域に指定されているから入ることはできない、高倉ダムの方にでる、良く前は行っていたがここにも十年間くらい行っていないのである。
高倉の歴史は明治以降開墾に入った地域かもしれない、綿津見神社があるとてしてもその由来が良くわからない、月山大仏とか石碑にあった。妙見の徴も屋根にあったから明治以降かもしれない、明治以降武士が開墾に入った地域かもしれない

高倉村からは野馬追いに4騎出ていた。押釜村は14騎だからなぜかここがそんなに多いのかとなる、

産馬、養蚕、抄紙の三事は組合村の業なり、紙は押釜村ヨ推し十八戸あり、高倉村ヨ最とす・・と大須賀巡村雑記に記されている

紙を梳くのにいい川があり水があるから紙漉き、紙作りがあって生活が成り立っていた。石神村にも紙漉きをしていた家があった。これは意外と忘れられているのである。
相馬市の山上にも紙漉き沢という地名があるから紙漉きが行われていた。
紙漉きが山の村の産業だった時があったのである。
紙漉きというときこれも自然と融合した生活だったのである。
清い水が必要であり材料となる樹も必要でありそれが近くにないとできない
今だと大量生産の工場となったが昔ならこうして山村でもその回りの資源を利用して生活になっていたのである。そういう村であってこそ村だったのである。
そういう村の方が魅力あるとなる、ただそうはいっても現実その暮らしは紙漉きにしても厳しいとなる。

 10月から越年の春ころまでの冬場を中心とする農閑期に、凍り付いたような水にさらし、長時間の作業が続く。しかも、江戸時代から、この仕事は女性のやるべきこと、とされてきた。しかも、零細な家内での仕事なので、とくに主婦や娘への負担が増す。男も次第に加わるようになる。
 さきにふれた「養女奴隷」への負担も、そこに発した仕組みであったし、年季奉公人という徒弟制度から抜け出せないのも貧困から始まっていた。

 津和野藩では、「養女奴隷」のような記録は見当たらなかったが、奥に隠されていたことかもしれない。ただ、凍るような水に手を入れ、深夜に至る長時間の作業のつらさは語られている。また、コメとしての納税ができなければ、和紙で代替させ、のちには大坂屋敷などで換金しやすい和紙を貢納させることにもなっていった。紙の仕入れは当初、商人の手で行われていたが、藩の有力な収入源とわかる17世紀中ごろからは「紙専売仕法」を定めて藩の独占事業にしてい

『紙漉きになるつもりじゃなかった』

 何か自分は過去になると江戸時代でもロマンチックにイメージするが実際はこれほど厳しいものであり奴隷労働が行われていた。これも意外だった。醜い少女がこの場合は良くて丁稚奉公のように奴隷のように使われた
一方できれいな少女は遊女に売られていたという現実がある
こういうことは今でも最貧国に行ってみればわかる、江戸時代とにているからだ。
でも山にそうした暮らしがあってこそ村も成り立っていたということもイメージする
でも米が納められないから紙漉きだと紙で納めるということもあった、つまり貧乏なときは税金でも過酷になるのである。

そういう税にしても直接的にずっしりと重いものを感じるのである。
つまり江戸時代は子供でも働かせられていて丁稚奉公に出されたとか女の子でも過酷な労働を強いられていたのである。最貧国では子供も労働させられているし子供が多い方がいい、男の子がいいというとき労働力になるからである。労働自体が過酷だったのである。まず紙漉きするような家には嫁さえ来ない、奴隷のように養女をもらって労働させていたのである。

石神で紙漉きをしていたという農家に嫁いだ女性は華奢であり力仕事などできないだろう第一そこは農家ですらない、会社員の家だったのである。
今になると紙漉きをして都会から移住している人もいる。かえってそういう仕事にも憧れ人もでてくるが現実は厳しい、そうして作られた紙だとすると高価であり貴重なものだとなる、捨てるのももったないとなるのは当然だったのである。
紙というのは戦前でも貴重だった、鉛筆でも短くなって使いないくらい短くなっても使っていたのである。物はなんでも貴重な時代だったのである。
こんなに物があふれた時代はなかったのである。これほど物を粗末にする時代もなかったのである。

皇居歌会始め 入選歌

どの家も 紙漉く夜なべ終えたらし峡(かい)を流るる 川音きこゆ

1968年(昭和43年)


ここにこんな歌がでていた。夜なべとういことは夜まで仕事していたのである。ただ昭和43年では戦後二十年でありその頃紙漉きしていた家はなくなりつつあったろう。
でもどの家もとあるからまだしていたのかとなる

そこで今回あったのは何か陶芸をしている人で蛇を探しているという、蛇の鱗が模様として参考になるというからそんな人がいるのかと思った。仙台から来た人で仙台からくる人には良くであう。街の近くにこういう流れがあるのだから夏でも涼しい
一軒家がありその脇を水無し川が最近が雨が一杯ふったので気持ちよく流れている
あそこはイオンからさほど遠くないのである。写真とらないのが失敗だった

今日は山の方で自転車がパンクして歩いた、相当な距離を歩いた、でも歩くということは自転車の感覚とは違う、自分は歩くたびはしていない、そこで歩いてみたいと思った。
鹿児島から青森まで歩いて旅するという人には驚いた。
歩く旅は自転車で感じるのとも違う、だから今の時代は歩くということは新鮮な体験になったのである。
相馬市から鹿島まで旧街道をたどり歩み、次は小高まで歩み鉄道が小高まで通ったから電車で帰るのである。これでも旅なのである。
ともかく介護が終わって余裕ができた、だからまだそんな計画をするようにもなったのである。ともかく昔のことは歩いて生活していたのだから歩いてみないとわからないのである、旅だって歩いてしていたのだから歩いてみないと旅のこともわからないのである。







2016年09月12日

抽象画(地形の変形) Abstract picture (transformation of the topography)


抽象画(地形の変形)

Abstract picture (transformation of the topography)

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island

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river and sea and  plain

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spring winds




抽象画は変化の芸術である。何か自分でイメージするわけでもない、だから変化して何がでてくるかわからない、具象画からも変形して生まれる
地図のようなものからも生まる、地形にしても変化して生まれ、これを考えると地球上のち地形も多様であり何か変形したものなのである。

それが抽象画と変形しているとにている、こんな地形がありうるのかというがそれとにたものが地球上にはあるからだ。
地形の多様性にも驚くのである。


The abstract picture is art of the changes. It is the thing which the face of the Earth to topography is various and is what or transformed when I change into a straight circle, The topography from the thing such as the map which I transform it from a representational painting that therefore to change, and what comes out or does not know not to image by some oneself, and is born even if I do it and think about birth, this.

It is said that it transforms it with an abstract picture whether similar such topography is possible, but this is because there is the thing which resembled it in the face of the Earth.
I am surprised at variety of the topography.



若者(20代)の自殺率ワースト 日本の自殺率世界一 (時代をふりかえり考える)


若者(20代)の自殺率ワースト 日本の自殺率世界一


(時代をふりかえり考える)



1位 秋田 
2位 福島 
3位 山形 
4位 宮城 
5位 徳島 
6位 福井 
7位 栃木 
8位 茨城 
9位 長崎 
10位 高知


東北、北関東の自殺率がトップクラスになってる原因は何だよ 
あの一帯は何かある


人並みの生活ってのが 
どんどん遠くなって 
手の届かないとこに逝ってしまった 
中間層の没落 
格差は広がるばかり 
いい思いしてるやつを嫉妬で眺める日々 
自殺したくなるよ


20年前は9割は正社員で年収500万くらいもらえて 
9割のひとが人並みの生活をおくれていた 
今は平均年収300万クラスが半分以上 
格差がどんどん拡大して 
勝ち組上級国民や公務員とかは 
なんの努力もなく 
家買って子供産んで 
人生を謳歌してる 
対象的なんだよな 
悲惨な人生

メンタル鍛えられるもんじゃなく、立場によって変わるものだと思う。 
ひ弱なメンタルも、やばい所にいけば強くなるよ。 
生きるために殺しあわないといけない場所とかねw 
今はそういう必要がないから、豆腐メンタルでいられる。




人間は必ず時代時代を生きざるを得ない、江戸時代を自分はロマンチックに回想して美化したけど現実は最も厳しい、経済的には今の最貧国よりひどい状態でもあった。
紙漉きという仕事があってもそれがあまりに過酷で家の人がしたくないので醜い少女を養女にして奴隷のように働かせたという、そして容姿のいい女性は遊女にされたという現実があった。あとは少年でも丁稚奉公であり自分の父親がそうだった。
江戸時代は一割近くが盲人であったのショックである。それはやはり栄養不足からなっていた。侍だって貧乏侍が多く内職していた、それが今のお土産になったのである。

江戸時代は今のバングラデッシュとかカンボジアとかの最貧国を知れば実感できる。
遊女が悲惨だったというとき今でも少女が最貧国では売られているのが多いのである。
バングラデッシュでは空港にトランジットで寄ったら裸足の子供の群れが集まっているのに驚いた。そもそも空港も何かこぎたないというかソファーも何か古物なのである。
カンボジアだと少女が5ドルで売春させられている、自分は関係していないが世界からそこに年配の男性が集まっている
貧乏になるとどこの国でもそうなってくるし日本だって今や逆に日本人の女性が中国人の富裕層を相手にする、それも日本人がさんざん外国でしたことだからカルマなのである。必ず人にしたカルマはかえってくるのである。

現代で若者が自殺が多いというときその理由が何か定かではない、今の時代が生きにくいと感じるのもわかる、でもそもそもどんな時代でもその時代を生きるものにとって生きにくかったのである。
江戸時代など本当に過酷でありそれと比べたら今は天国だとなる
紙漉きしていたという農家に嫁いだ女性は華奢でありとてもその時代だったら勤まらないでは容姿がいいとなると遊女にされたかもしれない、そんなふうに考えると今の時代は楽だなと思う
自分にしても体力がないから江戸時代であれ昔になると生きられなかったと思う

明治から大正にしても貧乏はつづいていた。醬油すらまともに使えない時代だったのである。自分の母親は原町紡績で糸取りであり環境が悪いし働きづめだった。
食事は味噌汁と沢庵くらいしかないのである。だからよく細身で生き抜いたと不思議だった。
そして昭和は今度は戦争の時代だった。これもあまりにも過酷だった。
自分の姉は赤紙一枚でシンガポールに従軍看護婦にされて四年間戦地で働いた。
そこは地獄だったのである。特に日本が負けたときジャングルに逃げたので食うものもなく地獄だったのである。
戦争の悲惨はとても今では想像すらできない過酷なものであり悲惨なものだったのである
こういふうに時代時代には必ず苦しみがある、困難がある。そして現代もまた違った困難を生きねばならない、現代は肉体的より精神的なもので苦しくなるから鬱病が増えたのである。要するに仕事でも会社勤めでもやりくない嫌なことをしつづけると体にも頭にも良くないのである。
そしてみんなもっと休養したい、休みたいというとき現代の仕事は分刻みで仕事に追われている。それで神経も疲れてくる

自分が良かったのは体力がないけど何か休み自由にとっていたことである。
もう疲れたら休むだけ休んだのである。そういう環境にもあったからできた。
その結果何か体力がないのにこれまで生きてきたし今は病気もない
外からあなたは元気だと常に言われのも不思議だとなるのだ。
それは結局自分はそれだけ無理していないからだったのである。
江戸時代とか戦前とかなるととてもこんなことはしていられない、だから早めに死んでいたと思う
休みたいとき休まないと疲労は相当に蓄積される、それが体を弱めることは確かである。
体力がなくても自分は北海道を自転車旅行しても一日休んでまた走るということがあった。
そうすると体力がなくてもできるとなる、それを無理して連続して走っていれば疲れてつづかないとなるのだ。
会社などはそうして休ませないから社員も疲れてかえって効率が上がらないということもあるのだ。

ともかくなぜ地域的に見ると福島県が二番目なのはなぜだろう,東北が多いのはなぜだろうとかなる、ただ栃木県とか茨城県が北関東が多いのかというのもなぜだろうとなる
一つは東北に関してはメンタリティが弱いということがある
大阪辺りとか西は何か図々しいしメンタリティが強い、地を這ってでも生き抜くような根性がある。商人の世界でもある。
東北はもともと農民社会でありだからこそ現代の工業商業社会に適応できないということがあるかもしれない、事業を近くで起こした人は何か経営者向きではなかった
経営者になることは商売することである、その人は職人には向いていたのである。
一級の資格をもっていたからである。東北人は職人に向いているが商売には向いていないというのは本当である。自分だったら学者に向いていたとなる
何かこつこつやっているのがいいのであり一か八かの勝負をするようなのには向いていないのである。だから株なとも向いていないし自分は投資信託でもしたくないのである。
老人になると保守的になることもあるから株は老人には向いていないのである。

人間はどうしてもその時代時代を生きざるを得ない、その時代時代の困難を生きざるをえない、今の困難は中産階級が世界的に没落したとういことが共通なのである。
その原因はグローバル経済にもあり機械が仕事するということもあり後進国が豊かになってきたということもある、世界の富を数バーセントの人が独占してあとは貧困階級に陥るというのは世界的なのである。
上に上がるには相当なスキルがある人でないとなれない時代である。
あとは大方は非正規とか派遣とかアルバイトとか底辺の仕事に甘んじて食いつなぐ他ない時代になったのである。
それでも江戸時代であれ戦前と比べれば栄養はとっているから病気にはならないし何が死因となるかとなると若い人なら余計に自殺が死因のトップになるのは当然だとなる。

現代の問題としては何かブラックな職業が多すぎるということがあるのかもしれない、江戸時代などは何かそうしてブラックなものが少ないだろう。
みんな農民であり職人であり侍だって貧乏であり何か現代のように濡れ手で粟のような株で一攫千金でもうけるとかそんなうまい商売はまれである。
みんな貧乏でもこつこつ真面目に生きざるを得ない時代だったのである。
ただそういうことでモラル的には悪いことブラック的なことがないから外国人が見たときいい顔していたとなったのかもしれない、貧乏でも悪いことしている人は非常に少なかった時代なのである。労働は過酷でもそういうことがあって社会自体が今とは違っていた。現代の仕事は会社にしてとにかく利益のためには何でもする、モラルを無視するのが普通である。東電だってそうして大事故を起こした。会社には利益しかないしモラルがない
みんな会社人間になっているとき当然個々人にもモラルがなくなり金さえあればいいとなってしまっている。
そうなると社会自体も格差が大きくなるとさらに不満が大きくなる、江戸時代でも階級社会のように見えても侍自体が貧乏だったのである。
現代は格差が広がると非正規とか派遣とかアルバイトなどの仕事が増えるとそうして公務員とかをうらやましいとなる、公務員でも非正規社員が増えていて暮らしていけないとかなっている、何か相当なスキルがない人間は現代では稼げなくなっているのである。
会社に入ってもそうなる、一部の有能な人間以外は切り捨てられて非正規とかになってしまう社会なのである。、それが希望をなくしているのである。
ただ時代により困難があり食の面からすれば今までにない贅沢をしているのである。







タグ:若者の自殺
posted by 老鶯 at 13:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2016年09月13日

国レベルでもカルマの法則が成り立つ (他者であれ他国であれとばっちりを受けるのが怖い)


国レベルでもカルマの法則が成り立つ


(他者であれ他国であれとばっちりを受けるのが怖い)


カルマ(業)というとき個人→家族→小地域→国→大地域(アジア、ヨーロッパ、中東など)→人類となる
なぜ戦争が起きるのか、なぜ近代化した以降大規模な戦争が起きたのか?
今までにない多数の人が死なねばならなかったのか?

ソ連 2000万人
中国 1000万人
ポーランド 540万人
ドイツ 530万人
日本 290万人

ソ連は軍人の死者が多い、中国人は民間人が多い、ドイツや日本も軍人が多い。
なぜこれだけの人間が死なねばならなかったのか?
それには理由があったのか?ソ連はなぜ2000万人も死んだのだろうか?
中国は内戦の結果死んだ数も多いだろう。それから粛清があり死んだ
ポーランドはナチスの虐殺があった。

こういう大規模な戦争となるとやはりその大地域のまたは国のカルマが関係しているのかとなる、日本だったらアジアのカルマがありそのカルマを背負ったとかなる
ヨーロッパは複雑でありソ連もまた歴史的対立とかカルマがあり犠牲が大きかった。
第二次世界大戦は世界的カルマの総決算の様子を示していたのかもしれない
ハルマゲドン的な戦争だったのかもしれない、なぜなら人類的にこんな大きな戦争は経験していないからである。またこれだけの犠牲者を出したこともなかったからである。
国民国家が世界で生れたとき大規模な戦争に発展したのである。
だから日本の戦争の責任論でいろいろ言われるけど大局的にみると人類の業としてのハルマゲドンだったのかもしれない、日本はアジアと日本のカルマを背負い約300万人が死んだ。
ただアメリカはなぜこれらの国からすると犠牲者が少ない、ということはアメリカだけが人類的カルマを背負わない国だともなる、でもその後アメリカは戦争したのでありやがてそのカルマが返り何か大きな犠牲が出るかもしれない、その将来はわからないがアメリカのカルマも日本に原爆落としたようにかなり重いからである。
だからそれに見合うカルマを受けるかからもしれないのだ。カルマとは因果応報だからである。

なぜカルマを考えるよになったかというとここ十年の家族の介護やら自分の病気やらで自分がさんざんな目にあったからである。
それでこれは何なのだろうと考えざるをえなくなった。するとこれは自分のカルマであり家族のカルマだったのかとして納得する他ない、いくら相手を責めても自分が背負ったカルマ(業)だったのかと思う。
それは家族のカルマであったがまたカルマというとき必ずしもその本人家族だけでなくても他人のカルマも受ける、例えば犯罪は毎日起きているけどそのために苦しんでいるのは何なのだろうとなる、ある人はなぜ強盗が入り殺されたとかある、その家は金持ちであり家政婦を二人も雇っていたのである。でも家政婦は殺されない、主人が殺されたのである金をもっているが故にカルマをもちその人は殺されたとなる、金をないこともカルマであり苦しいが金を持ちすぎることも実際は怖いことなのである。

遺産争いがあり骨肉の争いがあり金があるところには権力をもつ所ではその奪い合いで争いになる、そういうことが自分にも起きたから怖かったとなる
他者のカルマも自分は受けたがこれも怖いことである。強盗だったら殺されている人もいるからその身になれば怖いことである。
必ず何か事件があり当事者でなくてもかならず親戚とか近くの人にとばっちりがゆく、隣が火事になれば自分の家も危険になる、だからこのとばっちりも怖いのである。
国でも北朝鮮のような国があると必ずとばっちりがあり何かの調子でミサイルが飛んでくる恐怖がある。他者のカルマを受けることは本当に怖いことなのである。

カルマを積まない人はいない、家族も地域も、国もカルマを積んでいる。
地域というときなぜ相馬藩内の地域に津波や原発事故が起きて人が住めなくなるほどの被害にあったのか?
これも地域のカルマがあったのだろう。原発となると別に相馬藩内だけではない東京も関係しているし国も関係しているし原発は世界中にあるのだから人類的カルマとして原発があるのだからここだけの問題ではない、カルマではない、でもここがカルマを具体的に受ける場となってしまった。
例えば飯館村などは原発とは関係していない、それなのにとばっちりを受けたのである。カルマの怖さは関係ないと見えてもそうした他者であれとばっちりをうけることなのである。
誰かが借金してそれが犯罪につながりその犠牲者になる人もいる。他者が借金したのが悪いといっても誰がそのためにとばっちりを受けるから怖いのである。

ただカルマというのは誰でもどの国でも地域でもありカルマを清算するとそのあと平和が訪れる、戦争の犠牲もそのあとに生れたものにはさほど影響しないしかえって日本はその後高度成長をすることになった。それで団塊の世代は恵まれた時代だったし自分も恵まれたのである。それは戦争でアジアの国のカルマを清算したからかもしれない
ただその犠牲者が300百万人だったからあまりにも大きかった。
でもその結果として日本はその後70年間は平和が保てて経済発展して今日にいたっているのである。
そして今度は戦後70年過ぎて今度はそのカルマを後の世に残すことになる、それもいい面と悪い面がある。膨大な借金を残したとか団塊の世代は経済的に得しているとか若者から批判を浴びるときそうである。団塊の世代もカルマを残し若い世代がそのカルマを受けているのである。
それが親でも必ずカルマを残しているのと同じである。
親のカルマで子供が必ず苦しむことになるのである。
親の因果が子に報いになるのである。

人間が生きることはカルマを背負い生きることである。すべてのカルマから解放されるのは死ぬときしかないだろう、カルマというときある人のカルマが重くある人のカルマは軽いとかもならないのかもしれない、なぜなら金持ちの家に生れて楽してもそれがいつまでつづくかわからない、ある時家が没落することも良くある、すると貧乏になると辛いことになる、もともと貧乏ならいいが金持ちから貧乏人になるのは辛いのである。
それが今貧乏人が増えたというとき中産階級が没落したとき言うときそれが起きているのである。物があふれているのにその物も買えないという餓鬼のような貧乏が起きている。戦後十年くらいは物そのものがない貧乏だったが物があふれていて買えない貧乏というのも辛いとなる、目の前にうまいものがいくらでもあるのに買えない食べられないというのも餓鬼地獄みたくなる

ともかくある時カルマを個人であれ家族であれ地域であれ国であれ清算するときがくる
その一つが大規模な戦争だったり何か国家的破産だったりする、日本だっていつまでも膨大な借金をかかえて成り立つのかとも言われるからだ。
何か借金でも積もり積もってどうにもならなくなり破産として清算される、その時国民は塗炭の苦しみを味わうのである。
借金している人はカルマにカルマを積みどうにもならなくり犯罪になったりするから怖いのである。国家的破産になるとこれも怖い、それは戦争にもるなからだ。
その突破口として戦争が選ばれるのである。
北朝鮮などが怖いのは破産したりするとミサイルを日本に打ち込んでくる、そういう非常に危ない国家である。近いか必ずそのとばっちりを受けるから怖いのである。
それは親戚に事業を失敗したとかなるとやはりとばっちりを受ける、何らか他者のとばっちりを受ける、それが怖いのである。それは国レベルでも同じなのである。

タグ:国のカルマ

2016年09月14日

秋の蝉(末期の目で見る自然ー自然な死を受け入れる)



秋の蝉(末期の目で見る自然ー自然な死を受け入れる)

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蝉一つ死して拾いぬ里の道

秋の蝉今年もここに鳴きにつつその声聞きつここに死になむ

夜をこめてしきり雨ふり虫の鳴く声のひびきつ朝明けむとす

白々と木槿の咲きて雨しとと今朝の静かに我死なむかな


我々人間は人間獣である為に動物的に死を怖れてゐる。所謂いはゆる生活力と云ふものは実は動物力の異名に過ぎない。僕も亦人間獣の一匹である。しかし食色にも倦あいた所を見ると、次第に動物力を失つてゐるであらう。僕の今住んでゐるのは氷のやうに透すみ渡つた、病的な神経の世界である

芥川龍之介の末期の眼というけど35歳で自殺した、その年で末期の眼とかあるのだろうかそれは無理をしたものである。ただ天才となると凡人にはわからないものがある
啄木の不思議は27歳であれだけのものを短歌を書けたのかということである。
それは老境のものだったのである。20代でそんなふうになるはずがないのだが結局死というものを明確に病気で感じたからそうなった。
だから若いから延々と死の未練を歌ったのである。やはり自然な死ではないからそうなった
ところが人間もやはり60代とか70代となるとだんだん死というのが自然なものになってゆく、

しかし食色にも倦あいた所を見ると、次第に動物力を失つてゐるであらう

このことが自然な死を受け入れる一番の要因になる、人間の命はやはり本能であり欲望があるからつづいている、それは個々人で差があるが欲望の強い人は老人になっても本能的な欲望は消えない、かえって熾火(おきび)のように燃えあがるのである。
だから週刊誌で老人の性の特集をしているのである。
人間の本能というか動物の本能でもそれだけ強いものであり簡単に消えないものである。人間はともかく快を執拗に追求しているのである。老人になるとかえって食にこだわる。こってりしたものは食べないにしても味にこだわる、これも快の追求なのである。
それが本能であり生きることだからである。まず誰も苦を求める人などいないのである。
ただ人間の自然な死はありうる、やはり人間の動物の本能が消えてゆくと自然な死にいたる。ただ人間の場合は本能というか動物的欲というかそういうものだけではない、様々な欲がある、名誉欲とか名声とか何かそういうものを求めるのが動物と違っている。

人間は老人になれば人によるが自然な死に向かう、すると末期の眼で自然を見るようになる、今回の短歌でも別に自分が今すぐ死ぬわけではないが何か死を受け入れて自然を見ているのである。別に病気でもないし死期が近いわけではないがやはりだんだん死に向かう心境になる。
だから死に場所を意識する、動物が象などが死に場所があり死ぬときそこに行くということはやはり本能的に死を意識するからだろう。猫も死ぬときは消えるとかいうのもそうかもしれない。だからそういうふうに人間は死期を迎え自然に死を受け入れて死んでゆくのがいいのである。

そうはいっても現代の問題は死というのがどうしても病気になると苦痛があり簡単に死ねない、そして延命治療などほどこすと最悪である。死にたいのに死なされないというのは最大の苦しみを与えることにもなるからだ。
だから自分の母親は百歳まで生きて何か苦痛もなく死んだから最後だけは望みがかなったのである。眠るように死にたいといつも言っていたからである。
百歳まで生きるとなると老衰だから苦しみがないのである。
人間はその前になんらかの病気になり死ぬのである。母は病気が死ぬまでなかったのである。

つまりもう60代は元気だけど70代以上になると高齢化でも死を意識するし死が身近なものになる、そこで死に場所が問題になるのである。
意外とこのことが見逃されている、死ぬのはどこでもいいとはならない、やはり長年なじんだ場所に死にたいとなる、故郷で死にたいともなる、それでこの辺は原発事故などで住めなくなり他に移り老人には酷だったということは確かである
そういうことを親に対して気づかう人もないだろう、親を故郷で死なせてやりたいと思う子供がいるだろうか?
それは別に原発事故がなくても親と子が離れて住んで最後は故郷ではなく子供のいる所で死ぬ人も多い、近くではそうだった、葬式のために一時もどってきたが子供の住んでいる所で死んだのである。その人も長年親しんだ故郷で死にたかったかもしれない、ただ別に故郷でなくても長年親しんだ所ならいい、それがたいがい相当な老人になり体が不自由になってから子供の所に引き取られるからその精神的負担が大きくなる

いづれにしろ自然な死を精神的には受け入れるようになる、でも肉体的にはそうはいかないのが問題なのである。死んでもいいなと思っても肉体が生きていれば生かそうとするのが現代だからである。そして家族を二人看取ったが簡単に人間は死なせることができない、延命治療だといっても認知症でも人間は馬鹿になったともいえない、人間として生きているし時々特に最後は正常になることがある。それが怖いと思った。
これも不思議な現象だった。人間が生を全うするというときそういうふうに最後までわからないことがあるからましてや他人の医者やその他の人で簡単にもう死んでもいいだろうともならないのである。社会的には延命治療など金がかかるからさせたくないということがあるが家族にするとそうでもないのが矛盾なのである。

とにかく自然な死を受け入れるばそんなに生に固執しなくなり死んでゆく
でもまだまだ自分がすぐ死ぬということではない、ただそういう心境になったということである。