2016年09月01日

塩の道の旧家で飯館村の現状を聞く


塩の道の旧家で飯館村の現状を聞く



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塩の道の旅館だったという旧家

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これだけ広い所に家が建つ

五人で分けた山.jpg


五人で所有しているという山、旧家の前のやまである。



夏から秋になる塩の道で九代つづく旧家の人がいたので話して飯館村がどうなっているのか聞いた。

「この家は古いんですか」
「九代目です」
「そんなに古いんですか、すごいですね」
「この前の土地は自分の土地です、今度ここに復興住宅が建つんですよ」
「こんなに広い土地に復興住宅が建つ、50件くらい建つのかな、鹿島区でも復興住宅が50軒くらい建った所がありますよ、ここもそのくらい広いみたいです」

そもそも飯館村については良くわからない、これだけの広い土地に人が住むとなるとそれはどういうことなのか?飯館村では千軒の家が取り壊されたとかテレビで写していた
途中で家が取り壊されて土台しかないところを見た

「家が壊されて何もないところ見たんですがもう帰ってこないでしょう」
「いや、あそこも新しい家が建ち帰るんですよ」
「ええ、帰ってくるんですか?」
「隣の家も直しているようですがここも帰るのかな」
「ここも帰りすますよ、アバートがあるけどまたアパートが建てている、あそこも自分の土地なんですよ、トラックや重機を置いてあるけどここも自分の土地だよ」
「ええ、そんなに土地がある」
「ここの前は田んぼで自分の土地だったんです」
「こんなに広い場所を整地した」

考えてみると飯館村はやはり若い人は帰らないし深刻だと思っていた。なにしろ小高などと比べると不便だからである。それが意外とそうでないみたいなのだ。家を壊したのは新しく建てるためだったのか?避難区域になったところでは楢葉の竜田駅前の家は壊していたが住むないと言っていた。新しく家を建てないのである。飯館では壊して新しい家を建てるのか?福島市に建てた人もいるが飯館村に古い家を壊して新しく建てるのか?その辺はもう一つのみこめなかった。

「自分の息子は保原にいますが帰ってきます」
「本当ですか」
「小高辺りでは帰らないみたいですけど・・・・」
「いいといなどは帰らないよ」
「あそこは離れているからか、でも結構家が多かったですが・・・」
「この草野には帰る人が多いよ」
「草野は幹線道路があることが強みなことはわかっていたが・・・」
「アグリのコーヒー軒パン屋も福島市に本店を建てて飯館に支店を開きますよ」
「ええ、そうですか、休む所がなくて困っていたんですが・・・」
「今でも結構帰って家に住んでいる人はいます」

これを聞いて意外だった、飯館村はみんな帰らないと思っていた。ここで生活するにも何をするのか菊地製作所はあったとしても農業がないとしたら何で生活するのだろう
だからここに復興住宅を広い土地に建てるということがわからない
おそらくここに集めた方が暮らしやすいためなのか

「まあん農業はやれないよ、牛をだめだよ、花栽培している家はある」
「花は放射能と関係ないですから、大内村辺りでも勧めているみたいです」
「ここは水がいいし涼しいからトルコキキョウなど有名だったんだよ、沖縄辺りまで出荷していたんだよ」
「それは聞いていましたが花栽培ならできる」

でも考えてみると花栽培だけで村の生活が成り立つというのも考えられなかった。

「道の駅があったけど売るものに困る、他から買って置くのもな」
「村でとれた特産品でも置かないと商売になられない」
「この前でソバ屋をやれと知っている人に言ったいるんだよ」
「この幹線道路には店があればそれなりに入る、ここに復興住宅が建てば食べる人もいる」

それにしてもこの広い土地の隣はソーラーバネルが並び回りは放射性物質に汚染されたフレコンバックと宿舎のプレハブである。一つあるコンビニには行列ができていた
除染関係の人でにぎわっている。

その家は塩の道にそってあった九代つづいた古い家なのである。

「ここが塩の道だったんだ」
「幹線道路は六号線のようにあとからできた」
「ここは旅館だったんです、塩の道の宿屋だったのか?」
「作見の井戸というのも有名ですからここが塩の道で古い道だった」
「この辺は古い家が多いよ、野馬追いに出る家も近くにいる、4騎くらい出ているよ」
「ええ、今も出ている、相馬藩として飯館村は江戸時代には出ていた」
「今でも出ていますよ」
「草野はやはり飯館村では古い所だから」

飯樋(いいとい)は離れているから帰らない、中心部から離れると不便になり帰らない、小高でも街内に復興住宅が建った、だから街内に集めると介護でもやりやすいし生活しやすい、あそこでも農業をすることはむずかしい。
飯館村はさらに農業することはむずかしい、放射能汚染が他より高いからである。
でもなんか飯館村の良さはまでいな生活として素朴な村という良さがあった。
ただ福島県でも最低の収入の村だったのである。

自分が飯館村で今度行って感じたのは栃窪村は実りがもどり古い碑でも何か全体が復興した感じになる、つまり田んぼがあり実りがあるときそれが一番復興したと感じる
それが飯館村には全くない、荒地であり農業も牛もいなくなったし菊地製作所があるだけでありこれが山の村なのかとなる
農業がない村が村なのかという疑問がある。そこに素朴なものはなくなる。
何か自然でも花でも樹でも飯館村は全体の雰囲気が来たとき違っていたのである。
ソバナの花が咲いていれば何かそういう自然の花が飯館村にはにあうし他では感じないものがここでは感じる、浜通りなどの市町村にはそういうことが感じない
飯館村には特別自然が純朴なものとして感じる不思議があった。
だから農業がなくなる飯館村はこれからどうなるのか、何か前の本来の飯館村が失われのではないかと思った。
第一その話を聞いた人は何か落胆したような感じではない、何かそんな雰囲気はない
子供も帰ってくるしあれだけの土地が売れたとすると補償金でも入ってきたしそれで前より金が入ってかえって余裕があるのかもしれない
もちろん福島市に家を建てた人もいるから相当な補償金が飯館村にも入ったのである。

「飯館村は合併しなくて良かった」
「南相馬市では合併して補償金でもめているからそういうことは言える」

飯館村は南相馬市として合併することも検討されていた。しかししなかったからこそ補償金でもめることはなかったのである。
要するに補償金の額が多いからそれで得している人も飯館村にも相当いるのかもしれないでもそれが現状を見るとき自分はこれが貧しくても素朴な飯館村なのか?
その良さが失われていないか?まずフレコンバックばかりの風景とかソーラーバネルでも景観を乱している、農業がないことがそうさせる
ソーラーパネル工場なのかともなる。そんな村で塩の道など偲べるかともなる

「飯館村は木材が昔から豊富だった、炭の材料として塩と交換した」
「あそこの山は五人で共有している山なんだ」
「あの山ですか」
「五人で共有しているから勝手にできない」
「昔から江戸時代から山は共有して勝手にできなかった」
「他にも山は個人ではもてない、みんな共有なんだよ」
「明治になって私有になった、それが山を破壊する原因にもなった」
「二枚橋の郵便局で大きな範囲で山をもっている」
「それは役所から払いさげられたもんかも、明治になってそういうことがあった」

山はもともと共有であり個人で勝手にできなかった、入会権があり山は共有であり個人では勝手にできないものだった。それが明治時代以降変わったのである。私有が認められるようなった、それで山が個人の所有として無数に分割されてしまったのである、
ただ五人の山だというときそれは明治以降に五人で山を分けた、隣の山も何人かで所有しているとかなると明治以降五人で分けて所有した。もともとは村全体のものだが三人であれ五人であれ分けてやがて個人所有になった。そして無数に個人所有に分割された。
木材をめぐって飯館村でも伊達藩とか争いがあった、木材は当時の燃料だから貴重だった

「この塩の道を通じて塩が運ばれ飯館から木材が運ばれた」
「この道を馬で運んだ、自分の家は旅館だった」
「そういえば他にも飯館には馬と人が泊まった家があった、ここもそうだったのかな」
「ここは旅館だったんだよ,そうかもしれないな」
「ここは塩の道なんだ、蔵を俺は直した、あの紋を見ろシダヤという屋号だった」
「立派な紋だ、太とあるからシダヤなのか」
「蔵も直さないとだめなんだよ」

ここの家はシダヤという旅館だった、屋号があり家紋があり9代つづく旧家である。
でも前の田んぼは売りそこに復興住宅が建つとここが新しい街のようになるだろう。
この変化も大きいし何か飯館村の素朴さが失われる、でも金は入ってくるから余裕であり得したと喜んでいるのかもしれない、何か暗い表情ではないのである。そこが意外だったのである。そして飯館村のまでいな生活とか独自のものが失われてゆく
そうなると飯館村の魅力を失われてゆくのかという疑問はもった。
つまり栃窪村のように田んぼに実りがもどったとき古い碑も生き村全体が復興したという感じをもったからである。
ここに復興住宅ができて街のようになってもどんな生活があるのか?
それも疑問である、何かその人たちが生活できるものがあるのかとなる、農業はないとしたら何で生活するのか?菊地製作所にしても人が減っているというからである。
なんかその人から聞いただけでは飯館村の現状はまだわかりにくかったのである。


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2016年09月02日

市町村でも全体が喪失したことが深刻だった (復興には個々人ではなく全体が一致協力しないとできない)


市町村でも全体が喪失したことが深刻だった


(復興には個々人ではなく全体が一致協力しないとできない)


江戸時代と明治以降変わったのは何なのか?様々なものが変わったが資本主義が導入されて私的所有を認めたことである。それで入会権がなくなり山が少人数の所有になりやがて無数の個人に分割された。
もともと山林とか土地は個々に所有しても大地はつながり森もつながっているし海でも広くつながっているから私的に所有しても勝手にしにくいのである。ここからここまで自分のものだからどうしようと勝手だとはならない、回りに迷惑をかけるからである。
農業は自然を相手にするから特にそうなのである。
だから農業人口が80ハーセントとかなっている戦前でも江戸時代でも土地は自分だけのものではなく共有するものということが生活の中で認識されていた。
入会権はそういうことで自然に発生した権利だったのである。

今だから飯館村でももう農業をしないというとき、そこが荒地化している、放射性物質の土を入れたフレコンバッグが延々と積まれている、それで一時それが破れて流れだしたということが問題になった。
そして住民はもうここでは牛も飼えないし農業もできないから土地を売りたいと言う人もいた。除染をしても無駄だからやめて補償金を一億円くれという人もいた。
他で移り新しい生活を始めた方がいいという人もいるからでありこれも一理ある。
でもそこで見逃されているのが飯館村の一区画は私的に所有されているのだからその個人の勝手にしていいのだという論理である。
ではそうした荒地は何の役にもたたないから放射性廃棄物の処理場にしようとかなり国で買い上げるようになるかもしれない、するとその影響が飯館村でもまわりと全体でつながっているからもしなんらかの事故があったり何かでそれが流れだして南相馬市にも影響する、真野ダムには回りから流れだした放射性物質が泥にたまっている
それが下流に流れだしてくるのである。

そういうことは原発を建てる時でもこれだけ広範囲に影響したとなるとなぜ双葉や大熊とかの一部の是非で原発が建てられたのかとなる。少なくても影響が30キロ圏内の合意がないと決められないものだったのである。
それ以上に福島市や二本松市、郡山市までの広範囲な地域の合意も必要だったのが原発だったのである。
海だって汚染されたから広範囲になる。原発が金になるからと一地域だけで決めるものではなかった。

こういうふうに自然は広く全体としてつながっている、人間は国境で自然を分断したけど自然はそもそも分断できないものなである。空でも海でも陸地でも川でも全体とてしてつながっていて分断できない、それで環境問題になると国を越えて協力せざるをえない、そうしなければ解決しないのである。
そして復興というとき何か問題になったのか?様々あるが深刻だったのは全体を失われたことなのである。一部ではない、一個人とか一農家が失われたのでない、町全体とか村全体が失われたそのことが深刻だったのである。一農家でも一個人の家でも欠落しても全体で補うことができる、でも全体が失われたら補うことはできなくなった。

現実の実生活でもそうだが自分のような外部から見るものでも復興というとき全体が復興することが復興だと認識した。
ようやく初秋となり実りそめた田んぼを栃窪村で見たときああ復興したなと感じた
そして古い碑がありたいがいそれらは豊作を祈るものとしてあった。社もそうである。

「今年はこの辺もようやく田んぼが実りで黄金色に輝きはじめたな」
「ああ、なんかうれしいな、元の村にもどったな」
「そうなると俺たちも活きてくるよな」
「村人みんなが豊作のために建ててくれたんだから」
「荒地になっていたら俺たちもただの石くれにすぎなくなっていた」
「そういうことだ、田んぼに実りがあって俺たちも生きていたんだよ」

こんなことを古い碑は言っていたとかなる

飯館村などは全体が荒地化しているから全体が死んでしまっている、確かに補償金でうるおって個々人ではかえって得したと感じている人も避難区域には実際は多いのである。
ただ補償金できるだけ個々人もらうことに懸命になる。
でも不思議なのは全体の市町村を見て復興させようとする人はまれなのである。
日々の生活のなかでも全体を見ている全体のために働いている人はいない、会社に勤めていれば会社に尽くして月給高くしてもらいたいと考える、市町村全体を見て良くしようとする人はまれでありそれよりそうした大きな全体は意識しにくいのである。
家のために尽くそうというのはわかりやすいけど市町村のためとなると意識しにくいからである。そういうふうに全体を意識をすることができないことが人間の盲点なのである。だから国とかなるとますます意識しにくい、戦後は特にそうであり民主主義はただ個々人のあくなき利益の追求になったのである。戦前は過剰に国というものを意識していたから全体を意識したが戦後は反動として個々人のエゴがむきだしになる社会になったのである

全体というとき景観問題でもそうである。景観は全体だから日頃意識しない、でも一部が自分が指摘したが土をとるために近くの森が切られて土がむき出しになったときいつも近くで見るから嫌だなと意識する、山でも一部がはげ山になっているとそこを集中的に意識するのである。景観を乱していることを意識する、景観は全体だからそこで一個人の所有になっている森であり山なのだから勝手にしていいとなっているが全体から見ると個人の勝手にしていいのかとなるのだ。
今回の津波で原発事故でも深刻だったのはこうして全体を失ったことなのである。
津波では村でも町自体が喪失した、何もなくなったのだから驚きである。
津波の被害地で商売はじめようとしたが誰も買うものがいないとなりはじめることができない、飯館村でも商売はじめるにも買ってくれる人やお客さんが来るのかとということでなかなかはじめられないのである。
補償金問題でも自分さえ補償金をもらえばいいとは考える、でも全体を市町村の全体を復興させようとする意識が少ない、だからもう全体が喪失したとき若い人でももう復興はできないと外に流出する、補償金もらって外でやり直した方がいいとなったのである。
個々人を考えればそうなる、でもそうなったら全体が喪失したのだから全体でもって全体を復興させようとする意識がないととても全体の復興はできない
それが個々人で分離してまとまらずできるだけ補償金を個々人でももらうことだけが優先されているのである。それは全体ではなく個々人の利益を求めてきたのが入会権でもわかるようにそういう社会に明治以降なったからだともなる


それで十津川部落では水害で村全体が失われたが村全員が一致して北海道に新天地を求めて復興したのである。それは村人全員が一致して復興に立ち向かったからできたのである

(移住住民は、故郷を去り、親や兄弟と別れ、絶海の地に移住してきて、移住者同士しか頼れるものはいないのだから、これまでにも増して一致団結し、お互いに助け合い、猜疑や軋轢を生むことなく、新村の隆盛と勤王の由緒相続を目指そう。)

(恩賜金及び、旧郷から受け継いだ共有金は、新村の基本財産となし、いかなる場合においてもこれを各自に分割して消費すべきものではない。但し、新村の共有財産の保護策が確立されるまでは、道庁に保護を依頼するものとする。)

恩賜金及び、旧郷から受け継いだ共有金は、新村の基本財産となし、いかなる場合においてもこれを各自に分割して消費すべきものではない。

ここでは財産自体が援助金でも共有であり個々人が勝手にできないものだった。
この辺はこれと全く逆なのである。補償金はやるから個々人は勝手に使い、村でも町でも出ていくのも自由だ、財産は個々人に分割されたから村も町も全体を維持できなくなったのである。時代といえばそれまでだがそのためにこういう時には復興できないということになったのである。ただ放射能問題があるから違うともなりさらに復興をできなものとしたのである。




タグ:復興とは
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福島市から来た退職したボランティアと話する (道路公団に勤めた人で道路に詳しかった)


福島市から来た退職したボランティアと話する


(道路公団に勤めた人で道路に詳しかった)


なぜその人が新田川の橋のところで鉄くずのようなものを磁石で拾って歩いていたのか不思議だったので聞いてみた。
そしたらその人は道路公団に勤めていて道に鉄くず落ちていると危ないとういこともあり拾っていた。石なども危ない場合もある。自転車では歩道だと石が危険なことは感じていた。
それでその人は道路に詳しいからソーラーパネルを高速道路の側面に設置すればいいと言っていた。なぜなら電源も高速には通っているから便利であり山と森とか平地でも田んぼなどに設置すると自然破壊になるからいいとも言っていた。
それもそうなのかなと高速のことは知らないし車がないから高速道路についてもわからない。その人がそういうことを具体的に提案できるのは道路公団に勤めていたからである。その人は退職した人で全国をボランティアで回わっている人だった
なんか退職すると暇になるからそういう人もでてくる。何か生きがいを見いだすためにしている人も増えている

その人が盛んに言っていたことは原町から福島市までてあれトンネルを通して高速を作ればいいという、トンネルは土地の買収などめんどうなことがないからいいとか盛んに言っていた。日本はそもそも山が多いからトンネル技術が発達した。
素人からするとトンネルは工事も大変でコストがかかるかと思ったがトンネルは道路を作るのにも意外と日本ではいい方法なのである。
東京辺りも家が密集していても地下に道路を造ればいい、そこでリニアカーのことをしきりに言う、リニアは地下を通るからかえっていいという
地上だとかえって土地の買収であれ電源の設備であれ電柱であれめんどうなのだという。リニアカーで福島県の南相馬市からでも新潟まで通せば近くなる

福島県は地理的に一体感がもてない、福島市でも阿武隈高原でさえぎられて福島市に行くことは不便である。会津も不便であり東京に行くより遠いのである。
その人の人生を語ると興味深かったのは親がバス会社の関係で一時津島に住んでいたことがあったという。浪江の津島というと辺鄙な所である。

「津島には歯医者があったんですよ」
「ええ、歯医者があんなところにあった、飯館村にも歯医者などなかった」
「それは戦争中そこに東京から疎開してきた人は歯医者を開いたんですよ
の息子が今でも福島市で歯医者をしていますよ」
「疎開といえば良く語られています、津島のような辺鄙な所にも疎開に来た人がいた」

これも何かその人の人生を語っていて興味深いものがあった。津島は開墾する一団が入りその人たちは結束が強いということをテレビで写していた。
戦後は引揚者が多くいたるところに開墾に入ったのである。それが全国にあり元からあった古い村民とまじっているから古い家だと思っても新しい家だったりする。
ともかく疎開というのは一つの歴史となっている

その人は福島高校を出て法政大学を出た、それで福島市長と同級だとかいろいろなことを知っている、飯館村の菅野村長は福島高校の出で北海道の畜産大学を出たという、南相馬市の桜井市長も畜産大学である。牛とか農業関係には詳しいとなるから地方の市長には村長には向いているとなる。
内堀知事のことも知っていて

「あの人は東京の出で東京大学の経済学部なんですよ」
「東大の人が官僚には多い」
「でも経済学部出は法学部からすると劣るんですよ」
「そういえば東大閥は司法を支配しているからか」
「経済学部は法学部からするとそうした権益はないからか」
「福島高校では法政大学出ということで恥だとも言うんですよ」
「ええ、法政大学出なら六大学で立派じゃないですか」
「そうでないから嫌なんですよ」
「福島高校となると福島県は一二を争う高校だからなのか」
「自分などは六大学の下の大学で経済学部だけど全然勉強していませんから」

こんな話になった、同世代らしいから話があう。この辺で原町高校が有名だけど東大に十年に一人しかはいらないとか東北大に数人入ればいいとかなっている
福島高校では東大に2016年で5人も入っている。福島県では相当なレベルである。
他でもレベルの高い大学が多い、法政大学まではここには出ていたがその下の大学はでていない。

東京大学

福島高校  5名
安積高校   3名
会津高校  1名

東北大学

福島高校  41名
安積高校  40名
会津高校  10名
磐城高校    8名
安積黎明高校  7名
白河高校    7名   
会津学鳳高校  7名
いわき秀英   4名

原町高校は平成27年度では東北大学にも一人も合格していなのである。福島高校は県下一なことが明確である。だからこそ法政大学では恥だとされたのもわかる。
驚くのは福島高校で東北大学に41名合格していることである。これでも福島高校がいかに進学高校かわかる。原町高校には一人もいないのである。
やはり都会には優秀な人が集まるということはいえる。相馬地方では人口も少ないからそういう優秀な人はでてこない、ただ人間は学歴では判断できない、社会的に活躍しているかどうかで決まる、まず芸術家などとなると全く学歴などと関係ないからである。
だから学歴で何高校だとか大学だとかで判断できない、特に文系になったら大学はほとんど関係ない、理系は関係あっても文系は何大学出ようが関係ない
ただ遊びであり文系は独学なのである。大学四年間はただ遊びなのが多いのである。
理系は大学が目安になるが文系は東大出てもそれほど差がないのである。
ただ東大の法学部となると司法の学閥となり日本の司法関係を支配するので特別だとなっていた。それはまた社会をゆがめるものとしても作用することも言われる
官僚に東大の学閥を形成するのは社会にとっていいとは言えないのである。


学歴にこだわる人は多い、そんなもの社会に出てからこだわってもどうかなと思う。
経営者に向いているのはかえって底辺大学卒だとかそういう人がかえって向いているということを言っているのも面白い、まず学歴とか学問とか経営者になることとは関係ないのである。理系にしても技術者としては優秀でも経営の世界は全く別な世界なのである。
それで理系の一級の免許をもっていた人が経営者になったとき失敗した。
経営能力がなかったのである。だから社会に出てからの能力は学歴とは関係ないのである中卒でも経営者になれると言っていた。経営者になる能力は学歴が学問とは関係ないのである。むしろそういうものが邪魔になる場合がある

ただ何大学をでたとか結構最後まで人間の評価として見る人がいる、看護婦が自分は一流大学を出たということを自慢している人がいて嫌になったという。
学歴信仰というのが戦後にあった、それで受験戦争になった。それが団塊の世代からはじまっていた。自分も受験競争で暗記ばかりして勉強が嫌になった。
だから高校では卒業できないほどであった。それは何かほとんど高校では無能化していた理系が嫌いなことも影響していたし性格的にわがままであり集団生活にとけこめないこともあった。だからなんか学校は今でも嫌いなのである。
結局自分はその後の人生は全く自由に生きられた人生になったので良かったのである。
会社勤めも自分にはできない、この年まで自由気ままに生きてきたのである。
ただそのために社会性が欠落して介護十年でプログに書いてきたように辛酸をなめたのである。

確かに福島高校というとき法政大学出となるとかなり劣ってしまうのはわかる。
でもその人は学歴にこだわるからである。その後の人生は学歴と関係ないからである。
その人はいろいろな話をする、ずいぶん道路脇で話した。
福島市は公務員が多いから新しい店が少ないとかも言っていた。そんなことがあるのか、福島市は大きいからそんなことはないとも思った。ただ県庁があり公務員が多いからそういう進取の気性に欠けてくるのかもしれない。
公務員が多いということは保守的になるからだ。
福島県の中心は郡山市だとも言うのもわかる。会津にもいわきにも通じている交通の要所だからである。
その人は二本松市の出身だった。ただ歴史的に知識には欠けていたので自分が歴史について語った。相馬藩の歴史についても語った。
その人は震災まもなく半年ほどボランティアにきていてこの土地に詳しくなっていたのである。だから相馬のことについて詳しいのである。

なんか原発のことは反対で原発のある所を回っている、ボランティアとして方々回っている、それが退職してからの仕事となっていたのである。
相馬には福島県だからそれだけ長くいたのである。なんか道路のことでもソーラーパネルのことでも実際に役所の人とか政治家にも提案している
何か積極的なボランティアなのである。若い人でないから同世代だとなると一つの人生の歴史を持っているのが他の人でもあるから話があう。
何か一人の人間のたどった人生が歴史となっているのが60代以上の人なのである。
すでに人生をふりかえる世代になっているのである。
だからこの年の世代の人と語ることは昔をふりかえり昔を生きたこと歴史ともなることに共感することなのである。

その人は道の駅で移住相談している人はお役所仕事で熱心ではないという、それで民宿を前からしていたように若い人でも泊めてここの現状を知ってもらうことがいいとか言っていた。だんだんこの辺のことも忘れられるからそういうことをしてこの土地のこと原発事故のことを忘れさせない努力をすべきだとも言っていた。
それも確かに言えることだが何か民宿にしても食事を出すとかなると一人ではできないしめんどうである。確かにそういうことをしていた人はいる。
でも人を泊めるとなるとめんどうである。ただこの辺のことを具体的に知ってもらうには有効である。
その人はボランティアでもずいぶん積極的な人だと思った。若い人が多いがあのように年配の人もいたのである。
若い人とは話があわないが同世代だと話があうので長く話したのである。

この辺は外部から来ている人が未だにいる、それでもなかなか話をすることはできないがこの人はそういう積極的なボランティアであり同世代で話があったので長く話したのである。ずいぶんここに長くいたからこの土地に詳しいことも話を合わすことができたのである。
自分は遠い人でもたいがいその地を踏んでいるから話を合わすことができる
でも福島市の住んでいるとなると選挙区も同じなのだから身近なのである。
ここから出ている衆議院議員の亀岡とかも何か身近に知った存在である。
福島市の人とこんなに話したことはないが相馬は福島市と同じ選挙区なのである。
でも福島市は阿武隈高原にさえぎられて遠い感じなのである。
むしろ相馬は仙台を常に身近に感じられるし具体的に交流も仙台が多いのである。
中通りでも福島市でも二本松でも郡山市でも遠い感じになるのが相馬なのである。
そういう地理的に一体感を感じなかったが皮肉なことに原発事故で中通りも被害にあって一体感を感じたというのも奇妙だとなる。
ともかくいろんな人と直接話をすると何か具体的に見えてくるものがある。
話す相手にもよるがやはり若い人より60代以上とかなると一つの人生を生きて歴史をもつから興味深いとなる




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2016年09月03日

野馬追いの旗印の由来 (井形と升形の紋ー原町区の古い農家をたずねて探る)


野馬追いの旗印の由来


(井形と升形の紋ー原町区の古い農家をたずねて探る)


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手作りの椅子と机
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古い道

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馬を供養した馬頭観音
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 井戸の地上に出ている部分、あるいはその木組みを井筒、あるいは井桁と呼んでいる。井戸は水をたたえた大切な場所であり、汚してはいけないところであった。つまり、生活に欠かせないことから、家紋として用いられるようになったと考えられる。また、「井」という字の単純明快なことも武家の紋にふさわしかったのであろう。

野馬追いの旗の由来は家紋にある,井戸から由来する紋だからわかりやすい。昔は井戸は生活の中心としてあったからだ。井上という姓も多いのもそのためである。
南相馬市の原町区で六号線の入り口の道を行くと蔵の紋を見たらこの井桁である。
それで畑があり女性がいたので聞いてみた。


「ここの蔵を見たんですが古い家ですか」
「ええ、私は嫁いできたのですが古い家です」
「蔵の紋を見たんですがあれは何か野馬追いの旗で見たことあります」
「ええ、前は野馬追いにも出たことあるようです」
「そうですか、やはりここは古い家だった、ここに馬頭観音とあるのが気になっていたのですが何か由来がありますか」
「昔馬を飼っていたのですがそれが火事になって馬が死んだそうでそれを供養するために建てたんです」
「それは道にそってあるものではなかったからこの家で供養したものだった」
「古い道はこっちにあるんです」
「ええ、ここが古い道だったんですか」

そこは下高平村の領域であったみたいだ。原町の歴史は江戸時代は陸前浜街道であり雲雀が原は野馬追いのための馬が放牧していた広い原だった。そこから原町の名にもなっている。雲雀が原は今は小さいが昔はその十倍があり野馬土手があり馬が逃げられないようにしていた。だから原町中心部には古い農家はない、この辺は野馬土手の外の領域だったのか?
原町駅から街が発展して次に六号線から街が発展して六号線側に5年前くらいか道の駅ができたのである。原町村というのがありそこからは野馬追いに一騎出ていた。
原町村は小さな村だったのである。そもそも相馬藩の野馬追いには郷士が出るのであり農民であり侍であった。城勤めの侍は少なかったのである。
今でも野馬追いに出るのは相馬市内でも町内とか原町市内から出ないのである。
ここはもともと今の街内とは違う、広い畑や田んぼがある地域だったのである。
原町というとき自転車でしょっちゅう行っているがこの蔵に気づかなかった。
ここが古い農家らしいとは見ていたがやはり古い農家だった、ただ街が発展してい家が増えたから見逃しやすかったのである。何か近くで歴史でも新しいものでもわからないものが未だにあるのだ、この井形の紋は多いから野馬追いの旗にもある。

蔵の中を見たら中のものはかたづけてなにもない、古い椅子と机があった。それは手作りであり昔のものは同じものがない、大量生産でないからそうなっている。
何か一つ一つに個性があり味わいがあるのが昔の物なのである。
今の物はみんな大量生産だから何か人間味というか味わいがない、職人の技も活かされていないのである。機械で版を押したように同じをものを大量に作り出しているだけなのである。昔のものは一つ一つ職人がていねいに時間をかけて作っていたから味わいがある。そこに豊かさがありかえって今になると見直されるのである。
つまり文化とは大量に同じものを作るところにはない、個性がなければ物でも地域でも文化ではないのである。

ともかく郷土史というとき古い家とか古い村を知ることである。どこが古いか新しいのかわからなくなるときがあるからだ。蔵がある家は古い家なことはわかった。
街内でも農家があるところは古いのである。原町というと広いからなかなかわかりにくいのである。石神の農家では紙漉きしていた家に嫁いだ人もいる。
原町の領域は広いから郷土史と知るとなると地理的にわかりにくくなる。
とにかくすでに二代くらいの家でも必ず歴史があり物語がある
それは自分の家のことについても書いたがある。
ここの家の歴史は物語は馬頭観音があって飼っていた馬が火事で死んだということであるするとそこから馬のことをイメージするのである。ここに飼われていた馬が死んだのだなとなる、昔は必ず農耕馬として馬を飼っていた、この辺では野馬追いのためにも飼っていた。馬とは深くかかわる場所なのである。

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もう一つの紋として井形とにていたのが升形の紋である。この紋も野馬追いの旗印に多いこれは升形は益すということで縁起をかついだ紋であり旗印である
ますます増えるとは升のことだったのである。この紋も野馬追いの旗印に多い
だからといってそこからその由来をたどりどういうふうにもたらされたのかはわからない姓を見てもわからない、姓と紋とか旗印は一致しない場合も多いからだ。
ともかくこの升形の紋もシンプルであり旗印に多い、その一つの原型からいろいろに紋は変化している、それは野馬追いの旗印でもそうである。
ただ同一系統の旗として認識しておく必要がある。

蔵の紋井形にあれやこの家に古道も残り庭の石古る

古道というとき都路に古道という地名があるごとく古い道であり歴史の道なのである。
道も原町辺りだと変わってしまったということである。古い道がありそこが栄えたが
街も変わり忘れられてしまうのである。




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2016年09月04日

物が残っても物語(hi-story)がないと物も活きてこ (原町の馬頭観音の碑の物語でわかったこと)



物が残っても物語(hi-story)がないと物も活きてこ


(原町の馬頭観音の碑の物語でわかったこと)

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この農家の庭の畑になぜ馬頭観音の碑があるのか不思議だ。普通は道に面して建てられるのだがこれは畑に一つだけ立てられた。やはりここが古い昔の道で馬を使っていたから供養に置いたのだろうか?これはこの農家で建てた馬頭観世音の碑なのか?ここは原町の街のすぐ近くである。やはり昔の道であるからここに建てられたのか変わった処にあったので注目した

この疑問はやはり正しかった。道に沿って普通は馬頭観音があるのが多い。
ここは畑にあったからこの家の人が何かあって建てた
実際にその家の人にたまたま畑仕事していたので聞いてわかった
火事があって飼っていた馬が焼死したので供養に建てたというのである。
つくづくそうだったのかと思う、普通だったら何の変哲もないし注目もしないだろう
でもそういうものに何か知らない歴史が埋もれている

つまり物は物語でありただそこに物があってもそれは何の意味もないとまでなる
物にはなにかしら物語が残されているのだ。なぜなら人が死んだら人は灰となり煙となり何も残らないからだ。ただ物は残っているしその残されたものからその人をしのぶであるここでは馬が死んだということを偲ぶのである。
その当時は農家では馬を飼う人が多かったし農耕馬でもあった。
この辺では野馬追いに出る馬も今も飼っているからそういうこともあったろう。
この辺は馬と因縁深い土地なのである。
曲屋なども他ではありそこで馬を飼っていたのである。
馬と娘が結婚したとか何かそういう伝説も馬が家族と一緒のようにして暮らしていたからである。

それが今では犬とか猫になり犬猫の墓がどこにでもあるのとにている。
今になるとあまり馬のことなど具体的にイメージできない、競馬している人くらいだろうでもその馬はギャンブルの対象なのだから昔のように人間的情愛で結ばれる馬とは違っている。
馬は機械ではないし生き物だからやはりペットと同じように人間の情愛の対象となる
何かギャンブルの対象だけになっている馬というのは不自然でありかわいそうだともなるただそうはいっても戦争に使われて死んだ馬も無数にあるからいちがいには言えない
スピルバーグ監督の「戦火の馬」はそういう馬をテーマにした映画である。
最後は狂ったように馬が戦場を駆け抜けてゆくシーンが心に残った。
馬も戦争に使われることに抵抗したという映画だった。
馬に関する物語はいくらでもある。ただ馬より人間が中心になり馬を主人公のようにはしないからこの映画は違っていた。
この辺は野馬追いがあり馬と今でも親密な関係を結んでいる
ただ馬が車に変わったのは戦後であり戦争中で盛んに馬が使われていて天皇陛下も馬に乗っていたし南京とか入場するにも馬である。
この時まで馬は普通に使われていたし馬を飼うことが兵隊の仕事だったのである。
だから今でも戦争で死んだ馬を供養する碑はあるが少ない、馬頭観世音は荷馬とか農耕馬として使われたものを供養したものだからである。

ともかく何かそうした一つの碑でも忘れられて何かわからなくなるのは結局そこにまつわる物語がわからないからである。
何かしらそうしして残された碑でも物でも物語があるのだがそれがわからなくなる
自分の母の実家の墓には25歳で死んだ人がいた。結核で死んだのでその話を母から聞かされている、戒名がないことはキリスト教に入ったためだった
何か苦しくて救いを求めたのだろう。この人も生きたかったろうと思う
また若くして死んだとなると戦死した人たちもそうである。それは墓に無念を刻んでいるのである。
別に有名な人ではなくてもそういう物語は無数にあるのだがなかなか物が残っていてもそれを実感しにくいのである。

自分の家でガラスケースにお菓子を入れてバラ売りしていた、母は毎日ご飯粒をつぶして糊にして新聞紙で袋を作り売っていた、暇なく働いていた、それはいい思い出と悪い思い出が重なっている、日曜日も休まず働いていたばかり家族での楽しい思い出がないからである。貧乏な時代だからしょうがないとしても働くことしかない人生も嫌だなとつくづく思った。食事もゆっくり満足に家族でできないのだから嫌だった。
ただそのカルマなのか母の介護で今も自分で食事を用意しなくならなくなり暇なく買い物だとか食事の容易だとか介護が終わったあとにも家事に追われているのが自分なのである
この辺は相馬野馬追いが有名でありするとどうしても馬と人間のかかわりを考える
ただ野馬追いとなると戦闘に使う馬となるがそこにもやはり馬と人間の物語がある
そういう物語が相馬藩では六万石であり少ない、会津だと30万石となると明治維新でも映画になるように物語があり注目されるのである。

でも何かそういう物語とか歴史はどんな家にもあるし二代くらいでもすでにそうした物語があれ歴史がある。そして必ず家々に不幸があり悲劇がある。
それはどこでもまねがれないものである、なぜなら人間は病気になるし死ぬからである。死自体が悲劇だからである。自分の家族も三人死んだけど悲劇だった。
ただ母は不幸な人でも死ぬときは何か楽だった、百歳で老衰のようにさほど苦しまなくて死んだからである。
いつも眠るように死にたいと言っていてそれだけは願いがかなったのである。
それで死顔をインターネットに出したがそれを見ている人が相当数いる、まだ死に顔をデジカメでとったとしてもインターネットに公開しているのはまれである。
とても出せない悲惨な状態のものも多いと思うからである。
ここの家の悲劇は馬が焼死したということでありそれが馬頭観音として供養され残っていたことなのである。

タグ:馬頭観音
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2016年09月05日

images of venice


images of venice


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cool hidden place

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ベニスは絵になりやすい、あのような都市は世界では本当にめずらしいだろう
海に浮かんだ都市である、それが現実にあるといことが違うのである
今ではなく歴史の街としてあることが違うのである。
だから架空の都市ではない、歴史的現実の街として今でもあることなのである

Such a city where こ Venice is easy to be attractive is the world, and it which is the city that floated in the sea which will be really rare is different in there being it as a town of the history not now when I ask it and am different in a thing in the reality.
Therefore, please input the sentence that  wants to translate now as a town of the historic reality that is not an aerial city
タグ:VENICE

なぜブラックな職業が多いのか? (社会自体がブラックだから)


なぜブラックな職業が多いのか?


(社会自体がブラックだから)


葬儀屋 僧侶 

人の不幸を喜ぶい卑しいお仕事です

カルト宗教団体

人の不幸が商売の種

風俗業

手っとり早い女性の稼ぎ場 金のため魂まで売る職業

ギャンブル(パチンコ屋など)

趣味も何もない暇つぶしの場の提供
でもギャンブル場だから身を滅ぼす人も

政治家

利権のブローカー

弁護士

ヤクザの示談屋とにている
最近は数が増えたので人気がない

医療関係

弱者となる病人相手
弱みにつけこむ商売
いらない薬やいらない手術でもうける

福祉関係(介護など)

弱者を相手にしぼりとる
弱者相手の職業だから人間のあくどさが一番現れる

銀行や証券会社

銀行は汚い消費者金融などに出資してもうけている
弱者には金は貸さないし冷たい
証券会社はマネーゲームでもうける
他人の金を利用して損しない、銀行も同じ

官僚、公務員

税金にたかる無駄使いが多い、天下り先のため大企業と結託

公明党共産党員

貧困ビジネス、弱者を相手に幹部が上前をはねて贅沢をする

学者、知識人

現体制擁護で富裕層につく、御用学者で得する

マスコミ

会社の宣伝機関、正義を装う、愚かな大衆操作の機関

皇室

権力に祭りあげられて利用される無能な人形

大企業(トヨタなど)

労働者は奴隷、派遣は一時期の部品
いらなくなれば容赦なく切り捨て
経団連は日本を牛耳る

軍隊

人を殺すのを生業とする職業

警察

権力を傘にして威張る組織
富裕層や権力側につく団体
弱者は無視

検察

正義の味方を装い権力側につく、大企業や大組織は罰しない
東電の幹部を見ればわかる、あれだけの事故でも罰せられない
百円盗んでも刑務所に入れられるのに

農協

政府から補助金をしぼりとる団体
農民もまたブラックなのか?

不動産屋

土地で暴利をむさぼること

建築関係

除染関係でも一人十万出しても一万しか労働者に払わない
ピンハネ団体

コンビニ

会社の正社員が店主や店員を搾取するシステム

暴力団

悪が支配することを標榜する正直な団体



そもそもブラックというとき自分が問題にしているのはモラルの面である。この世を見ればどんな職業でもブラックなものが大半になる。
一見まともだと見えるのもブラックである。もちろん全部がブラックとなはらないが表と裏がある。職業には何かしらブラックなものがある。
だから職業とは業でありカルマであり職業につかないことがこの世の悪に染まらないために出家した、世俗とたちきって修行に励んだのがもともと仏教の教えであり実践されたが今では戒名とかでもうけるあくどいブラックになったのが寺とかである。

第一この世で清く正しく生きることなど不可能にある。なぜならこれだけ社会がブラックだとなるとブラックに染まらざるを得ないだろう。いくら自分はそうならないとしてもそのブラック社会では困難を究める、だからこそ出家する世俗から離れることになった。
世俗から離れるといってもまたカトリックでも仏教でもそこもブラックになってくる
それが宗教の歴史でもあった。ブラックになる、悪の力がそれだけこの世では強いということを証明しているのである。
なぜなら今でも一番ブラックなのが宗教団体だからである。宗教を標榜しているからにはブラックでありえないと思っていても全く逆でありそこは真っ黒なのである。
そのことからしてこの世がどういうところか自ずと判明する

だいだいこの世でブラックでないものを探すこと自体むずかしい、そもそも何かしら罪を犯していない人間はいない、それは刑罰を受ける受けないの問題ではない、心の中で悪意をもったときすでに心に罪を犯しているとしたら人間は必ず悪意をもつからそんな人は一人もいないとなる、そんな人がいたら神だとなってしまう。
悪意というとき自然の驚きはそうした悪意をもっていない、花を見ればわかるように全く悪意はないてのである。
心であの人が憎い殺したいとまで思うときすでに殺人に向かっている
借金した人が金がどうしても欲しいとなり自分が病気になったとき脅迫してきたときその人は殺人者になっていたのである。でもそういう人も善人で通っているのがこの世である殺人を犯さない限り自分は善人だと思っているのがこの世なのである。
お前は悪人だということを意識できないのである。だから別に悪いことをしないのに優れた宗教者は自分は最大の悪人だとしていることでもわかる。
それだけ自分の罪を意識できるからかえって優れているとなるのだ。
自分も反省すれば悪人だとなるがそれでもいくらそうしたとしても深刻度がそれほどないのである。
本当に悪人だと意識できることはよほどモラル感のある人でないといない、そういう人は本当にまれである。だからこの世はほとんど善人だと思っているのである。

人間はなんらか生活するためには職業につかねばならない、ではこれだけブラックな職業が多いときブラックにならざるをえない。
ただ変なのは例えばトヨタでも大企業でも派遣などを安く使って使い捨てだけどそうさせる上のものは幹部であれ正社員ですらそういう派遣がいて会社も成り立つとき搾取しているからブラックになる、派遣とか下で働く人は苦しいけどブラックな人とは言えないのである。
建築関係でも毎日暑いのに家を建てるために働いている、その人たちが別にブラックな訳ではない、ブラックになるのは建築関係の会社だったら事業をとるために政治家にワイロを贈るとかしたらブラックになる。それは上の人のすることであり下で働く人はブラックとは言えない
ただ東電では幹部がブラックになったが普通の社員はその責任がさほど問われない、月給も下がるわけではないしボーナスも普通にもらっている、それで東電の社員はずるいという人もいる。

大きな利益があり地位ある人は責任があり収入も多いからブラックになりやすい。
その下で働く人は給料も安いからその労働はきついとしてもブラックにはなっていないのである。
だから「悲しむ人は幸いである」というときそういうふうに下で働く人は悲しむ人が多、でもブラックにはなっていないということなのかともなる
そういう下々の人はかえって心を清く保てるからキリストがそういう人たちは天国に入るとされたのである。

つまり一見この世で得している人たちは天国には入れないとなる、この世でこのブラックな社会でお前たちは十分に利益を得た、それは下々の人々の汗から生れたものでありあなたたちはそれ故に富を築いたから天国に入れないともなる
「卑いものが高くされ高い者が低くされる」となる
現実にブラックでないものを探すこと自体むずかしいからである。
どっちかというと理系的な職人的な仕事はブラックになりにくい、でも下々のものにしてもブラックではないかというそうでもない、農民だって今は補助金をもらったりしているから国の税金にたかるものだとかされる
この世に生きている限りなにかしらブラックになっている
意識せずにそうなっている場合もある。
生活保護者はずるいとかブラックだとかも言われる、そういう人もかなりいるからそう言われる
ただ一般的には権力をもっているもの金をもっているものはブラックの度合いが強いのである。下々のものはただそういう地位につけないからブラックにならないということは言える、人間は権力をもつとそのあくどさが露骨に現れるからである。

この世とはもともと天使が住んでいた、人間は天使でありこの世は天国だった、それがなぜかその天使かサタンになってしまったのである。もともと天使だったものが堕落して墜落してサタンになった。
だからこの世の魅力に負けてサタンになったのが人間なのである。
そうなれば当然この世がブラックになっているのは当然だとなる。
結局人間は金の魅力に勝てないというときもそうである。金のために魂をサタンに売り渡しているのだ。それは人間の欲から生れているからだ。
いくら宗教家を装ってもそれは偽善であり結局私利私欲を宗教を利用して追求しているだけだとなる、弁護士だって正義の味方のようでも私利私欲の追求になってしまう。
そうしなければ弁護士事務所も経営できないとなっているし医療福祉関係でも利益第一になるからブラックになってくる

この世になぜ自然の美が映えないのか?それはこのように職業でもブラックになっている
闇でおおわれている。こういう人間社会に自然の美は映えない、自然の美は天国で罪なき世界で本来の美を発揮する、それは飯館村で感じる草深い何か咲く花とにている
それはこの辺の街では感じないものである。だから何かいつもその不思議さを感じていたのである。ただ原発事故の汚染で変わってしまったしその前でも飯館村が良かったのはその暮らしが隠されていたからである。自然の中に隠されていたから露骨に人間の醜悪なものが隠されているから良かっただけだともなる
パチンコ屋もないし何もないが馬券売り場はあった、別に飯館村に住んでいる人が汚れていないということではない、要するに自然の中に隠されていたから良かったのである。
それも原発事故で大きな金が入ったりと混乱して前の飯館村とは違ってきたのである。
毎日ギャンブルでありギャンブラーになっというのもそうである。
かえって大きな補償金によって人間の醜さが露骨に現れたともなる
そもそも全体が荒地と化しているしフレコンパックとかソーラーパネルとかなるとそこが一体何なのだろうとなる、もう牛は飼えない、農業もできないとなればどうなってしまうのかとなる。

人間の社会が延々とこれだけブラックなものとしてあり変わりがないというとき、それは神の御意にとてもかなうものではない、とすると神はソドム、ゴムラのように怒り滅ぼすということがある、ノアの洪水のようなものも起きてくる、今回の津波などもそうである何か想像を絶する天変地異が起きてくる、そうして悪を一掃するか人間を滅ぼしてしまう恐怖がある。人間社会を変えることは不可能だからである。
社会主義だろうがカルト宗教だろうがそのたづさわる人間の欲は消えない、ゆえに結果的に何も変わらないのである。欲の故に滅びるということはそういうことだろう。







posted by 老鶯 at 17:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

抽象画(夏の光) intense light in summer


抽象画(夏の光)

intense light in summer

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flaming flower


黄色はゴッホの絵のように夏の暑い光をイメージする
この一連の抽象画も黄色は強烈な夏の光である。
これは電気の光となって抽象画になる

ともかく黄色は光でありそして夏の陽炎となっている
この抽象画はソフトを二つ使って作った
ソフトも一つだとたりないのである。

元になる絵はインターネットにあった、何かすべての絵が抽象画にならない
抽象画に変化しやすいのとしにくいのがある。
それは変化させてみないとわからないのである。


These a series of abstract pictures that the yellow images summer hot light like a picture of Gogh are the summer light that the yellow is strong.
This becomes the electric light and becomes the abstract picture

Anyway, I lack it if the software which this abstract picture which the yellow is light and becomes the summer heat waves uses two software and made is one.

There are the picture of none of something that the Internet had the painting causing it being easy to change into the abstract picture which there is not to an abstract picture and the one which it is hard to do.
I do not understand that it does not change it.
タグ:夏の光

2016年09月06日

なぜ学歴にそんなにこだわるのか? (プライドは認知症になっても消えない、人間の存在意義になるから)


なぜ学歴にそんなにこだわるのか?


(プライドは認知症になっても消えない、人間の存在意義になるから)

ニーチェは、「人間的な、あまりに人間的な」で、“病人への忠告”;『病人に忠告を与える者は、それが受け入れられようが、聞き捨てられようが、相手に対して一種の優越感を覚えるものだ

病人への忠告者は、病人を支配する優越感を楽しんでいる。忠告は言うなれば、婉曲な命令であり、人間にとってもっとも不愉快なことは、他人に支配されることだ。

福島市から来たボランティアの人のことを書いたけど福島高校出身で同窓会に行くと「お前は法政大学出だから恥だ」と言われると聞いた。
同世代くらいだとするとその頃第一大学に入るだけで相当恵まれていたはずである。
なぜなら団塊の世代となると中卒が半分であり集団就職の時代だったからである。
一クラスで大学に行けたの数人だった、自分は四人くらいだった。
自分は高校で授業についていけないし卒業もできないほどだった。でも三流でも大学に行けたのも不思議だとなる
今振り返ると自分は本当は相当に学問向きだったことがわかった。
ただ理系関係が苦手で学校嫌いと勉強嫌いになり大学でほとんど勉強していない。
結局自分はその後まともな職にもつかず遊んでいただけだとなる
ただどういうわけか二十代は相当に苦しんでいたのである。
それで30になるころもう相当に老け込んで老人に見えていたのである。
ただその後30代以降楽をした結果、体力も回復してこれまで生きてきた。
人間は何か苦労とか心労が重なるとふけこむ、60代の女性の人は苦労が多くて10歳は老けて見えるのである。
何かもの凄い津波とかでも苦労が心労が重なると一挙に白髪となり老け込むのが人間である。
これは別に苦労しなくても浦島太郎のように快楽にふけっいてもたちまちそれも消えて白髪の老人になっているのである
老人になるとそれが現実となりみんな愕然としているのである。

人間はなぜ学歴にこだわるのかというと人間はそもそもがプライドをもつことが人間の存在意義になっている、人と比べて自分が優秀だということを何であれ示したいのである。それが生きる意義である。それは体力でもそうでありスポーツ競技はまさにその優劣を競うものだし知的な分野でもあらゆる分野で他者と自分と比べて優れているということをプライドをもち競うのが人間なのである。
人間はどんな人もプライドももっている、もっていない人はいない、底辺で働く人でも掃除している人でもどんな人でもプライドはもっているのである。
そのプライドを傷つけられることが最も人を傷つけるのである。
金がなくてとか物質面で人と争うということがあるがプライドを傷つけられただけでも人を殺すということは普通にあるし戦争すら国と国のプライドの戦いなのである。
戦争に勝てば優越感をもてるし負ければ屈辱感をもつ
そしてプライドは認知症の人にも消えないのである。
そのことは福祉医療関係で書いてきた、実際に介護もしてきたので書いてきた
認知症の人はプライドを傷つけられると怒り暴力までになる
この人は馬鹿になったのだから馬鹿にされるけど家族に対しては自分はこの家で何々してきたとか盛んに言いそれが本当だから馬鹿だとは言えないのである。
人間は最後までプライドは消えないのである。ただ人一倍プライドが強い人はいる、自分の家族の一人は最後まで自分は優秀だと言って遺言のようにしてまで言って死んだ。
それはニーチエのように自分は超人だというプライドをもって狂人になったとにていたのである。
それまで人間はプライドをもつものである。

別に学歴だけではない、人間は何か他者と比べて優秀だということを示したいのである。80歳くらいの人なのか、自分に対してお前は年齢が低いから劣っているとあからさまに言うのにも驚いた。年齢で差別して優秀だとしている、でも80過ぎてから年齢など関係ないのである。老人の個々人を見ればその差は余りにも大きいのである。
老人になると今まで積み上げてきた生きてきたことが歴然と現れるからである。
ただ自分にしても自分より年齢が下になるとそういう傾向はある、でも60過ぎたら年齢は関係ないのである。
要するに学歴にこだわるというのは年齢にこだわるとか何か様々なもので差別して優越感にひたるものとして目安として機能しているのである。
社会に出てからは東大出も通用しないものは通用しない、だいたい仕事ができるかできないかで決まる、むしろ学歴ではない、職人だったら職人の腕がいいとかで評価は決まる
もし職人として腕がいいなら一流大学卒より上ということがある。
東大出でも仕事に使えないとしたら中卒より下とすらなるのが社会なのである。

大学出とかなると団塊の世代とか高度成長時代なら通用していた。まだ大学出が少ない時代だったからである。今や50パーセントとなるもう学歴は通用しない
会社でも一応目安にしても会社自体が昔と変わり終身雇用ではないとか学歴ではない会社で仕事できる人間を求めている、学歴を見ても仕事できるかどうかは決められない時代になっている。
もう一つはグローバル化して世界的競争になり日本が落ち目になっていることも影響している。何か特別優れた人、スキルをもつ人でないともう学歴だけでは通用しない時代に入っている。
だから文系になる何大学出たからなどでその人物を判断できないのである。


優越感をプライドをもつというとき奇妙なのだけど自分が病人になったとき自分に対して親戚の人は優越感をもって自分を奴隷のようにしようとしていたから悪質でありそれも人間の本性が現れたとなる、人間は弱いものに対して優越感をもつのである
それは病人だけではない、障害者でも知的障害者がいたとするとそんな人まで比べて優越感をもつのが人間なのである。
こいつはなんなのだ、人間じゃない、こんなやつが何でいるのだ、こんな奴は社会にいらない」
こうして知的障害者を介護していた人が19人も殺したというからなんなのだろうとなるがこれも相当に人間の屈折したプライドが関係していた。
お前らは人間の屑であり生きている資格もないとしたときそこに障害者に対して優越感をもっていることの故の犯罪だったのである。
お前らより俺は優秀だとなるがその若者は社会からの落ちこぼれでありそれがそんな屈折した感情をもって犯罪になった。

人間とは何か対してとにかくなんであれ優越感をもちたい

このことが強烈にあり消すことができないのである。それが人間の存在意義になるから消すことができないしそのために生きるともなる、何でもいい、今までは男女で女は劣っているとかなっていた。男女は能力で区別してもしょうがない、役割が違っているからである。
そして人間はだからこそ優越感をプライドももつとともに必ず劣等感をもっている
障害者を殺りくした犯人もやはり社会のおちこぼれであり劣等感をもっていて屈折した感情が犯罪になったともみれる。
ヒットラーなどでも画家になりたかったがなれなくて独裁者になったとか池田大作でも異常に学歴にこだわるのはやはり劣等感をもっていた。
麻原も目が見えないことで劣等感をもつとか劣等感が屈折して犯罪に結びつく

社会に対して恐ろしい牙を向きそういう人が権力をもつと自分のプライドを満たすために恐ろしいことして社会の大きな害悪となってゆく
そういう人が社会のトップに立ち権力をもつときそれに従わされる人々は奴隷にされるのである。
それは自分が弱者になってたとき病気になったとき責めてきて奴隷のようにしようとした奴と同じである。それが人間の本性なのである。
でも強者だったら権力者にはそういう人はへいこらしているだけである。
でもそれは権力に金があるとかで奴隷のようになっているというときそれもいつかは復讐される、権力をその人から奪って自分が上に立とうするからでありそのために人間社会には権力闘争が絶えないのである。

「あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。」
「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」」
マルコによる福音書10章43節

これが実行できない、自分が一番偉いものとして仕えさせたいというのが人間の本性なのである。そのためにこの世はまたブラックになっているのだ。
この世がブラックだというとき外部の社会を見ているが実は内部の闇、人間のそうした本性が改善されない限りブラックでありつづける
人に仕えさせるために人は日夜努力しているからでてある。人の上に立ちたくて勉強もする、下にいて人に仕えるために勉強したり努力する人がいるのかとなる
有能な人であれば余計に知的に劣るとなると馬鹿にする、それが現実の社会なのである。
だから福島高校で驚きは40人も東北大学に入っているとか仙台二校では90人も東北大学に入っていることで驚く、そういうレベルになると法政大学では恥だというのもわかる
でもそういう同級生も傲慢だと思う、学歴で差をつけるのは傲慢である。
別に卒業したら学歴ではその人を判断できない、どう生きてきたかが問題になる
いづれにしろ社会では学問とかではなく多能な能力が必要でありとても学歴だけではどうにもならないのである。
学校は人間の多様な能力を開花させるにはあまりにも不十分なのである。
別に中卒だろうがなんだろうが一人一人を見ればそれなりにいいものをもっている
またそれは悪いものともなるが人間の能力は実際は多様すぎるのである。
だから介護とかでも介護士とかでもやさしさをもつ人が向いている、それも能力である。建築現場になるとやはり体力が必要となるとそれも能力でありコミニケーション能力に優れている人もいるし芸術に向いている人もいるとかあまりにも多様なのである。

その多様性があってこそ人間であり男女がいるときそれはたがいにたりないものを補いあうものとしてある。どっちが優秀だとか差別するべきではなく、それぞれの能力で補いあうとすればそんな優劣感は生れないのである。
インターネットでは普通の人も発言しているがそれなりに様々な発言があって面白いとなる、テレビとかマスコミとかだと一方的に専門家だけが発言しているから洗脳されやすいだから自分はインターネットの発言を利用しているのである。
ただ2ちゃんねるとかなると表面的で一回限りであり面白い発言していてもそれを深化できない、意味を深められないのである。
プログの方が意味ある発言している人が多いがなかなか発見するのがむずかしいのが難である






2016年09月07日

「天国の門」の映画はこの辺の事情とにている (郷土愛がテーマとなっているから)



「天国の門」の映画はこの辺の事情とにている


(郷土愛がテーマとなっているから)


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日本の国土の70%ほどの面積の土地に人口は約51万、旅行した知人によるとと一日中クルマを走らせて対向車、見かけた人ゼロという日があった由)


現代のブッシュ大統領も、イラクのサダム・フセインを大量破壊兵器を持っているとして、軍事制裁をしようとしている。イラクが大規模な油田を持っていなければこのような目に遭わずとも済んだのだろうが、アメリカの石油財閥の強欲により戦争を仕掛けられるのだろう


アメリカが理解しにくいのは中国ともにているが広すぎることなのである。グランドキャニオンなど見ればわかる、まるで別な惑星に来た感じになるからだ。
日本の村と中国の村は別物だというときもそうである。日本の村は規模が小さい。つまり外国になると日本人的感覚で見るから誤解が生じる

ただ人間はどうしても何かを理解する場合自分の住んでいる所から経験しかからなかなか理解できない、それでどうしても視野が狭くなる。
リンカーンの荒野の一軒のログハウスからはじまったのはここでも同じである。
ただこの作品に興味をもったのはアメリカの黒歴史を事実を背景として作られたからだ。壮絶な撃ち合いは映画だけのことであり実際は二人しか死んでいない

ロシア東欧系移民が先住民でありあとからきた移民との土地争いが根幹にある。
そのあとからきた移民はハーバート出の人がいて支配階級になっていった人たちである。だから法は自分たちのものだとか大統領の許可を得ているとか州政府が味方だとか言って先に住んでいたロシア東欧系移民を従わそうとした。
でもそれに従わないいわば先住民が戦いいどんだのである。
ただあのような華々しい戦いはなかった。
でもそこに住む先住民たる東欧系移民はその土地にすでに愛着がありあとからきた移民と戦う、そこには郷土愛が生じていて戦ったようにも見えた。
娼婦でもここは危ないから他に移ろうとしてもここがすべてだから移らないと恋人に言って残ってその娼婦も戦ったのである。
でもそれは映画のことであり実際にはない、別に娼婦だったらどこにでも行って楽な生活を選ぶだろう。それは作られすぎたものだった。
そもそもこの映画失敗作だとされて作った映画会社も倒産したいわくつきのものだった。
ただ何でも人によって映画でも本でも感じ方が違ってくる。
なぜ自分がこの映画に興味をもったかというとすでに郷土愛が生れ先住民としてあったものがその土地も奪われることに抵抗したことだった。
それが何かこの辺の事情と通じるものがある。
津波や原発事故で郷土が放射能で汚染されて住めなくなった。
そうなったとき多額の補償金をもらったから別に郷土に執着しないで若い人は放射能汚染もあり出て行く、そして他で生活を新たにはじめ故郷には帰ってこない
それは命をかけてまで土地を守ろうとした東欧系の移民達とは違っていた。
東欧系の移民達はすでに土着してその土地に愛着していたから土地を守るために戦ったのである。
ベトナム戦争でも穴にもぐりゲリラとなりアメリカと戦った、それも郷土愛(パトリシズム)でありアメリカはそれを無視したというのともにている。
そこは自然も広大で美しい場所だったのである。

郷土愛とか故郷というときこの辺でも住めなくなったとき問われたのである。
故郷といってもそれは普通にあるものであり意識しない、故郷を離れたときとか失ったとき意識するのが人間である。
ここでもあとから来た移民は金があり金で解決しようとした。
金をはらって追い出そうとした。でもそれができなかった。
ここでは逆に金をもらって自ら出て行くというのは違っていた。
でも戦い死んでまでも自分たちの土地を郷土となった土地を守ろうとしたら壮絶だったとなる、実際は二人しか死んでいないし州政府が仲介して終わったのである。

ただアメリカという国はインデアンを皆殺しにして土地を奪ったのが建国の由来であったり黒歴史がある。支配階級もこのジョソン郡事件のように権力で金で強引に支配してゆくそれがアメリカのやりかたでありまさにそれも世界的に行われてきた
イラク戦争でも石油にからんで化学兵器を所有しているからという一方的ないいがかりをつけて多数の死者を出したのである。飛行機がビルにつっこんだ3・11でもあれをきっかけにアメリカ人の愛国心が燃え上がりテロとの戦争だとイラクを攻撃した。
別にイラクがテロと関係している訳でもなかったが口実となった
それは真珠湾攻撃がなかったらアメリカとの戦争がなかったのとにている。
リメンバーパールハーバーでアメリカ人が日本との戦争に突入したのである。
だから真珠湾攻撃は日本がアメリカに仕組まれたものだという陰謀説が生れる
日本もまたアメリカによって一方的にいいがかりをつけられて戦争を起こされたという味方もある。それはアメリカという国がそういう体質の国だからとなる。
インディアンから土地を奪いさらに移民でも支配階級はその移民の土地を力づくで奪う
それがアメリカの支配階級のやり方だからである。

いづれにしろ郷土愛とかパトリシズムとかをもつのは例えば個々人でも家を建てるのに苦労した人はその家に愛着をもつ、俺は一代で特別他人より働いて家を建てたというとき遺産として家を受け継ぐ人より家に愛着をもつ、また開拓に入って苦労した人もその土地に愛着をもつ、でも二代目三代目となってゆくとそうした苦労も語り聞かされるが愛着がなくなってくる、それで老人はこの辺では故郷に帰りたいとなるが若い人は不便な所には住みたくないから出てゆくとなったのである。
そしてそこではやはり土地に根ざす農民とか牧畜業であり今はみんな会社員であり工業社会になっていることが違っている
故郷への愛着が生れるのはその土地に根づくというときそうした農民とか牧畜業の人たちである。会社が浪江から二本松に移動してそのまま移住したりする人もいる
その土地に根付く仕事でもないからそうなったのである。
だから現代は別に故郷とか郷土に執着する人は少ないのかとなる
だからこそ故郷も失われたのか人間も離散したのかとなる
この映画は実際にあったことを映画にしている、この辺でもやはり様々な葛藤があるのとにているのである。

映画というのもそうした人間の葛藤とか何か戦争シーン、暴力シーンだけではないものをテーマにすれば小説とかと同じになる。
シーンとして牛がいないと人力で多数で畑を耕していた、その時機械もないのだから人力になく、牛がいなかったらそうなる、それも時代を現していた。
何かそういうものは生々しく映像だと感じることがある。ただ映画どうしても実際にあるこより派手にする、今回でもあんな戦闘シーンなどなかったのである。
州政府が乗り出して反抗する移民を殺したということはない、かえって仲裁して未然に戦闘を防いだとなる。そこでは支配階級でも公正だったとなる。
インディアンだったらそんなことはしない、法もなにもない、土地を奪うだけだったとなる。

映画でもそうだが昔のものがかえって面白い、今になるとインターネットでも見れるし買うこともできる、なかなか田舎ではそうしたものを買いなかった。
そんな映画あったのと教えられることが多いのである。
テレビは面白くないけどそういう昔の映画は面白いとなり見る、人間が生きることは常に葛藤つきものである。その葛藤の中で人間が選択して判断して行動してゆく
それが別に映画でなくても個々人の人生で常に起きてくるのだ。
人間は苦難とかそうした葛藤とかない、あまりにも恵まれて苦労もしないとしたら人間として生きたのかとまでなる、そういうことも必要でも人間はどうしたってそうした苦難に直面して葛藤する、それが歴史的に国のレベルでも起きてくる、この辺は地域的レベルで起きたのである。

そういうことがないと人間は成長しないのである。様々な人間の葛藤がありそれはこの辺で起きたのである。津波の被害地でも起きたのである。
補償金で争うというのも内部抗争であり葛藤でありそれは否定できない、きれいごとだけではすまないのである。そこに人間のドラマが生れてくるのである。
「あるべきか、あらざるべきか」じゃないけどそういう葛藤こそが人間の人間たる所以なのである。だから歴史でもどういう葛藤があったのか見るべきなのである
簡単に歴史的な決断となるとそこには相当な葛藤があったと思うからである。
過去になるとその葛藤がなかなか見えない、戦争にしてもどうしてあれだけの戦争になったのか?その過程が今では見えなくなっているのである。
戦争すべきなのかしない方がいいのか決断にいたるまでの過程の方が歴史を見るとき大事だったとなる、過去のことになると結果しか見ないからである。
卑近なことでも個々人でも結婚すべきどうするべきかとか葛藤があり常に選択と決断が求められる、そこに常に葛藤が生れるのが人間なのである。
この辺でも故郷に帰るべきかもう帰らないと決断した人でも葛藤があったとなるのである。


タグ:天国の門

2016年09月08日

喜多方市(5世紀)の前方後円墳「灰塚山古墳」から、副葬品の大刀(たち)や矢尻など 多量の鉄製品や青銅の鏡が出土ー(福島県の古代の歴史の謎)


喜多方市(5世紀)の前方後円墳「灰塚山古墳」から、

副葬品の大刀(たち)や矢尻など多量の鉄製品や青銅の鏡が出土

(福島県の古代の歴史の謎)

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 喜多方市慶徳町にある古墳時代中期(5世紀)に築造された大型の前方後円墳「灰塚山古墳」から、副葬品の大刀(たち)や矢尻など多量の鉄製品や青銅の鏡が出土していたことが31日、分かった。同時期の古墳から大量の鉄製品が出土するのは東北初という。会津を治めた豪族の墓と推定され、専門家は「東北の古代史を塗り替える貴重な発見」と話す。 



古代半島の南部で我々の祖先(倭人)が鉄鉱石を採掘し、精錬してインゴットにして 
日本へ運んでいた 
その鍛冶・海人である倭人の集団が宇佐八幡宮のベースとなった 

白村江で日本が敗れ、半島から撤退したことにより日本は「鉄鉱石利権を失い、西日本では 
砂鉄を用いたタタラ吹きによる製鉄がメインになった

5世紀)の前方後円墳「灰塚山古墳」で 
391年から白村江の戦いまで、半島を支配したのは日本だから当然だわ。 
しかもスサノヲは、韓郷(からくに)に金銀有り、子供たちに船がなければ困るなぁ、と述べて 
資源の開発等を示唆している。

2世紀頃の釜山市の萊城(ネソン)遺跡では出土土器の94%が北部九州系。 
つまり倭人が海を渡って鉄の採掘をしていた。 

139 :名無しさん@1周年:2016/09/08(木) 04:01:06.50 ID:eGMD0pSx0
三韓征伐引き上げの際の 
九州か百済の武具や馬具の鍛冶屋を 
機内に連れ帰ったのが始まりだろ

青銅は紀元前1世紀頃から日本で作られるようになり、 
製鉄は弥生時代後期後半(1 - 3世紀)頃から北部九州のカラカミ遺跡(壱岐市)や 
備後の小丸遺跡(三原市)で開始され、 
それから時代が下り出雲地方や吉備でも製鉄が行われるようになった。 

日本の製鉄は芦原から始まったから量産難しかっただろうしね 

有田焼を筆頭に日本の陶芸の多くは技術を持った生身の人間が渡来して製作したもの、近世は 
連れてきた日本の記録や連れて来られた陶工の家系が残っているからありのままにされている。 
鉄製品の原料などどこにでもあるものだ、なかったのは製鉄、加工の技術。 
技術は海を越えてやって来ない。 
技術を保有した人間がやってきて日本で鉄製品を製造していたのだ。 
稲作も漢字も同じ、先祖の祀り方も海を越えて伝わるものではない。 
そういう生活習慣の人々が移り住んだということだ。

須恵器は現代の焼き物小屋と同じように閉じた環境で焼かれ、 
鉄成分が還元して黒っぽくなる。 
製鉄は更にその先の技術である。 

このように最低限、温度と空気を調整できるまでは

この被葬者は四道将軍の北陸道将軍の大彦命だろうか?それとも東海道将軍で大彦命の息子の武渟川別命だろうか?

山形人の井上ひさしは「会津は東北ではない」と断言してる。 
昔から中央政権と直結した独立国のような地域で、 
平安の仏教文化も関東を飛び越え会津から東日本に広まってる。 
東北の蝦夷文化とは別系統の文化が会津にあったということでしょ。

律令国家を広げるため、北陸、東海、西道、丹波に派遣された四道将軍のうち、 
大彦命と武渟川別命という二人の将軍が、各地を平定した後、 
出会って定着したので「会津」という地名になった。 
もともと記紀神話に由来する地名なんだよね。

ヤマト政権は韓人王朝だからな 
倭人や蝦夷の猿どもの大部分を支配していたのだろう 
韓半島の先進文明の政権なら支配圏は会津どころか青森まで到達していたかもしれぬ 

既に会津の大塚山古墳で三角縁神獣鏡(卑弥呼の鏡)が出土してるね。 
大塚山古墳は古墳時代前期のもので東北地方最古だから、 
今回の灰塚山古墳はそれ以降のもの。

新羅系の物部氏は、蘇我氏に敗れたあと、製鉄技術と武器、道具の製作技術を 
陸奥ヒタカミノクニ(日高見国)に持ち込み、大和朝廷に対抗する為にエミシ勢力に、 
弩(イシユミ)などの武器を提供したとされる。 
大和朝廷の「蝦夷征伐」の目的の一つは、物部勢力、新羅勢力の根絶という側面もあったのである。

わざわざ半島に攻めて行ったのは、鉄の供給を確保するためだったのか? 
大和朝廷以前から頻繁に攻めてるみたいだし 


日本で鉄器が急に普及したのは南半島を統治し鉄鉱石を豊富に確保できた時期 
それまでは原料が入手困難だったので鉄器が普及しなかった


製鉄は弥生時代後期後半(1 - 3世紀)頃から北部九州のカラカミ遺跡(壱岐市)や 
備後の小丸遺跡(三原市)で開始され、

この議論を深めると地名だと北部九州のカラカミ遺跡(壱岐市)とあるが南相馬市の鹿島区にも唐神(からかみ)という地名がある。これは九州が離れていても共通したものであるカラカミという地名は他にもあるだろう。なぜなら地名は古代につけられたのが多いからだ。

山形人の井上ひさしは「会津は東北ではない」と断言してる。 
昔から中央政権と直結した独立国のような地域で、 
平安の仏教文化も関東を飛び越え会津から東日本に広まってる。 
東北の蝦夷文化とは別系統の文化が会津にあったということでしょ。


これも万葉集の歌に出ているけど

会津嶺(あいづね)の 国をさ遠(どお)み 逢はなはば 
偲(しの)ひにせもと 紐結ばさね
     〜作者未詳 『万葉集』 巻14-3426

会津は一つの別な国だったのである。防人に出されたのは福島県までである。また会津には平安時代の仏教の寺が多い

奈良時代に生まれた徳一は、南都興福寺で学んだあと20歳の若さで都を離れ、地方で布教活動をします。そして行きついた先が会津で、大同元 (806)年に磐梯山のふもとに慧日寺を建立します

会津の歴史は東北でも独自に早くから発展した地域だとなる。会津は水がいいので米作りに適していたということもその独自の発展の源にもなったともある。


三角縁神獣鏡である。「卑弥呼の鏡」と通称されることの多いこの鏡は、ヤマト王権が服属した地方の豪族へその証として分け与えていたと考えられ、3世紀から4世紀にかけて畿内に成立した古代国家の勢力範囲を考えるうえで重要な遺物と考えられる。ちなみに会津大塚山古墳の三角縁神獣鏡は岡山県備前市の鶴山丸山古墳のものと同じ鋳型である。鏡はほかに南棺から変形四獣鏡、北棺から捩文鏡が検出されている。また、環頭大刀は、福岡市若八幡神社古墳出土の大刀に類似している。


ここに吉備が関係している、吉備も製鉄では有名である。

真金吹く吉備の中山帯にせる細谷川の音のさやけさ

そして吉備となるとこれまでみちのくの真野の草原(かやはら)で考察したようにこの歌はももともと吉備と深い関係にあった。


吉備津神社の社伝に、中山の麓に茅葺宮を営み、吉備津彦神を加夜臣奈留美命(かやのおみなるみみこと)が祀ったのが神社の起こりという事で、加夜臣奈留美命(かやのおみなるみみこと)とは、飛鳥の神名備に坐せた、加夜奈流美(かやなるみのこと)ことで、この賀陽氏の始祖神です。吉備津神社の主祭神は、大吉備津彦命ら八柱で、二柱は賀陽氏の祭祀神で、他は吉備臣の先祖とされる孝霊天皇の子神。

この「温羅(うら)伝説」の温羅こそ、「吉備伽耶王国」という巨大勢力を代表する人物で、吉備賀陽氏自身であり「温羅(うら)伝説」は、古代「吉備伽耶王国」の始祖伝承を伝えた話
後に、百済勢力が進出してきて吉備津彦と争うこととなる。


みちのくの真野の草原(かやはら)遠けれど面影にして見ゆというものを 笠女郎

(かやのおみなるみみこと)は真野の茅原-草原(かやはら)の伽耶に通じている
そして真野の草原を万葉集に残した笠女郎(かさのいらつめ)の父親が吉備国の出身であり伽耶の出だともされている、何かこうしてパズルのようにつなぎあわせると真野の草原の謎が解けてくる
つまり会津でもそうだが福島県の浜通りでも早い時期から産鉄族が移動してきていた。
最近自分が考察した、ツノガノアラシトのツノという地名がついているのが小高に角部として残っているし津神社とかはツノミヤ神社であり相馬市の松川浦も津神社もツノミツ神社でありツノガノアラシト系統なのである


ヤマト政権は韓人王朝だからな 
倭人や蝦夷の猿どもの大部分を支配していたのだろう 
韓半島の先進文明の政権なら支配圏は会津どころか青森まで到達していたかもしれぬ


津軽(つがる)もツノガノアラシトとして考察した。ツガルはツノガがなまり変形したものだからである。ツノガノアラシトの系統が東北の蝦夷と言われた地域に早くから広がっていたのである。それは製鉄技術をもって蝦夷の地に来たのである。
・・・・・・・・・・
新羅系の物部氏は、蘇我氏に敗れたあと、製鉄技術と武器、道具の製作技術を 
陸奥ヒタカミノクニ(日高見国)に持ち込み、大和朝廷に対抗する為にエミシ勢力に、 
弩(イシユミ)などの武器を提供したとされる。 
大和朝廷の「蝦夷征伐」の目的の一つは、物部勢力、新羅勢力の根絶という側面もあったのである。



物部氏が日本を建国した最初の大氏族とされる、だから日本全国に物部氏にまつわるものが多いのである。この辺の桜井古墳も物部氏が作ったとかされるし地名も物部氏に由来するとされるものが多い。明らかにこの辺は物部氏が支配していた。
この物部氏はやがて大和朝廷に逆らい対抗するようになったのである。
なぜ蝦夷が強大であったのかは物部氏がいたからなのである。
その物部氏に渡来系の伽耶の国の人が製鉄技術をもっていたツノガノアラシト系統が合体したのである。


坂上田村麻呂の先祖の出自も同じ伽耶。金海金氏首露王は伽耶国始祖王。 
坂上田村麻呂とアテルイは出身国が同じ伽耶たったのだろう、だから田村麻呂はアテルイの助命を嘆願した。 

八槻と名付ける由来は、景行天皇の治世、日本武尊が東国の夷(えみし)を征伐しようとして、この地に来て、八目の鏑矢で賊を射て倒し、その矢が落ちたところを矢着(やつき)というようになったことによる。八槻には役所がある。神亀三(七二六)年、表記を八槻と改めた。
 また、古老は次のように言う。昔、この地に八人の土知朱(つちぐも)が居た。一を黒鷲、二を神衣媛、三を草野灰、四を保保吉灰、五を阿邪尓那媛、六を栲猪、七を神石萱(かむいしかや)、八を狭磯名という。それぞれに一族があり、八ヶ所の岩屋に住んでいた。この八ヶ所は皆、要害の地であった。だから皇命に従わなかった。国造(くにのみやつこ、律令施行以前の時代、朝廷から一国の長官に任ぜられた現地の豪族)の磐城彦(イワキヒコ)が敗走した後は、人々を奪い去る事が止まなかった。景行天皇は日本武尊に命じて土知朱を征伐させた。土知朱は力を合わせて防戦した。また津軽の蝦夷と共謀し、多くの鹿や猪を狩る強弓を石の城柵に連ねて張り、官軍を射た


神石萱)かむいしかや)のかやは伽耶に由来するのだろう。磐城彦(イワキヒコ)とは今の磐城からでている、そしてなぜ津軽がでてるのかも不思議だとなる、そこはかなり棚倉から福島県からして遠いからである。つまり津軽はツガルでありツノガノアラシト系統が土着していたからだとなる、それが蝦夷となり大和朝廷に抵抗したのである。
その背景には日本で新羅系統とか伽耶系統とか百済系統の渡来人が入り交じり大和朝廷側についたり反抗したりしたために複雑になっている。
蝦夷とはだからそうした渡来系と物部氏がそして原住民などが合体した連合軍だったのである。だからこそ手ごわいものとなったのである。

・・・・・・・
日本の製鉄は芦原から始まったから量産難しかっただろうしね 
・・・・・・

日本は葦原瑞穂の国だからそうなった。この意味するところはわかりにくいが葦原は萱原にも通じている、萱というのが伽耶国に由来でないとしても何か製鉄と関係していてカヤと名付けられたのかもしれない、全国で製鉄に由来する関する地名が膨大だからである。つまり萱原は鉄のとれる所として知られていた。それは奈良にも知られていて笠女郎が歌に残したのである。現実にそうした大きな製鉄遺跡がここから発見されているからであるでもそこでは軍事用の刀とかではなく仏教に関するものが多かったということは何なのか?唐神(からかみ)とあるごとくそれは仏教の仏のことである。仏教の用具も重に作っていたのかとなる

須恵器は現代の焼き物小屋と同じように閉じた環境で焼かれ、 
鉄成分が還元して黒っぽくなる。 
製鉄は更にその先の技術である。 

このように最低限、温度と空気を調整できるまでは

末続駅から新妻氏のことをことを考察して末続も末(すえ)は陶(すえ)であり須恵器でありこの由来は出雲に神社があり出雲から全国に広がった。つまり浜通りは砂鉄がとれたことで製鉄があった。会津もまた早い時期から製鉄が行われていたのである。

いづれにしろ会津でもそうだが福島県は早い時期から製鉄が渡来人などがわたってきて成されていた。それで今回喜多方市の古墳から製鉄に関するものが出たということは不思議なことではない、会津はそれだけ歴史が古いのである。
こうして全国レベルで議論すると何か歴史の謎がパズルを合わせるように解かれてゆく
そこにインターネットを利用する意義がある、古代関係とかは相当に詳しいからキーワードで関連のものを調べられるからである。
これが図書館などで調べようとする大変なことになりも時間がないからできない。









タグ:灰塚山古墳
posted by 老鶯 at 10:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2016年09月09日

抽象画(多様な流れ(abstract pictures-A variety of flows)


多様な流れ(abstract pictures-A variety of flows)

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普通川を見てもそんな違ったものとして見ない、でも川というのは流れというのは多様なのである。
抽象画で川の見方が変わったというのも不思議である。川に色がないが実際は抽象画にしてみると色があり個性が生れる

もう一つの抽象画のイメージとしてベニスは何か抽象画として相性がいい
海に浮かぶ都市というのは他でないからだろう。
だからベニスは世界でも最も不思議な都市なのである。

Do not usually watch it as such a different things to see a river either; but, in the river, flows are various.
It is a wonder that the viewpoint of the river changed in an abstract picture. The river does not have a color, but when the fact makes an abstract picture, there is a color, and personality is born

Venice will be because the city floating in the sea which affinity has good as some abstract picture is not others as an image of another abstract picture.
Therefore Venice is the city that is the most mysterious in the world.
タグ:多様な流れ

実り(秋らしくなり里に実りが回復した)


実り(秋らしくなり里に実りが回復した)

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我が里に実りもどりぬ秋あざみ

橙(だいだい)の夏菊映えて街の中

陽も落ちむ空に広がるうろこ雲


留守にせし部屋にさしおく菊の花その女見えじひそかなるかな


実りも日に日に色づいて色が濃くなっている。今年は相当実りの範囲が広がった。去年はまだまだだった、5年過ぎて実りの範囲が拡大した、まだ荒地化している所も多いことは多い、でもなんか我が里にも実りがあるなと感じるようになった
実りがもどったという感じである。
第一かえって津波が襲った海側は田んぼの区画を広くして今年は実りがある
塩分なども表面の土をとったから影響なかったのだろう。
田んぼからみるとかなり復興したとはなる

どうしても田舎だと田んぼがあり稲穂があり実りがないと田舎という感じがしない
その実りはただ鑑賞するものではない、この土地に生きるものを支えるものである。
ただ実際は地元の米よりスーパーでいろいろな米を買っているのである。
自分もそうである。地元の米を今は食べていない
それでも震災の時物資がこの辺では二週間くらい入ってこなかった。
その時自分は二週間くらいたまたまあった米を炊いてノリくらいのオカズでしのいでいたそして米が足りなくなったときこの辺で古米を無料で配ったのである。
それで助かったということがあった。郷倉というは飢饉に備えて米を蓄えていたのである
人間は何かこうした災害や緊急のとき遠くの人が助けてくれるのかと不安になる。
グローバル経済になり広域経済になってもそうである。

今も岩手県の岩泉とかで豪雨で孤立して道も遮断されて助けに行けないと行っている
この辺も二週間くらい放射能が怖いと物資が入らなかったのである。
その間をしのぐのが結構大変なことなのである。
水道さえも壊れたところがあり水をもらいに行っていた人もいた。
だから我が里に実りがあることは心強いことなのである。
ただそれは一時しかしのげない、米くらいはあってもその他はとてもたりない
地元で野菜作っている人を知っているし金銭的に応援しているがそこでとれのはほんのわずかである。トマト十個もらったが他は何ももらえない、何かあってもとてもそこでは何の用もたせない、ただ一家族くらいなら用がたせるということはあるがそれでもたりない

人間は村も必要だが街も必要である。街がなかったら淋しいだろうなと思う
自分の街は街とも言えない、一、歯医者4軒とかあるから飯館村とかよりはいいとなる
隣に4,5万の市があるからそこに行けば街の雰囲気が味わえる
橙色の夏菊が街ににあうのである。街ににあう花はある
ただもともと自然に花はにあうから街ににあう花は少ないだろう
今は街がないということは相当に不便であり淋しいものとなる
ただ情報的にはほとんど不便感じなくなった。インターネットがあるからそうなる
買い物もできることが前とは違っている
ただインターネットの買い物は注文したものと違ったものが来たり失敗がある。
でもいいものも買えるので便利である。
今は生活が多様化しているから買い物は近くだけではたりないのである。
自転車関係の備品とかはこの辺では売っていないからである。

家を留守にしていたら菊の花を部屋さしておいてあった。その女は去っていた。
花は買ってきてもらっている。菊の花であり何か秋を感じた。
花だけさして去ってゆくというのも奥ゆかしいものを感じる
その女はそんな人ではないけど何か不思議な感覚になった。
家に入る人はまず信頼が第一である。
でもそういう信頼を築くことが時間がかかるし大変なのである。
それで自分はひどい目にあった。家捜しされて大損失だった
一年以上つきあい信頼関係ができれば安心になる
まず十年とか手伝いしているなら信用されていることである。
自分は何か手伝ってもらっているとういものでもない
ただ出入りを自由にしているという感じである
家政婦として今雇うなら20万は必要である。
自分は家事は全部自分一人でしているのである

今日も午前中は暑かったが昼間からはうろこ雲が広がったから秋になってゆく
ただまだまだ残暑が今年は厳しい





タグ:実り

的を得た行動のチャンスは若いとき一二回しかない (何に時間を費やしたかで決まる人生)


的を得た行動のチャンスは若いとき一二回しかない


(何に時間を費やしたかで決まる人生)


5分しか働かない奴よりも1時間働いた奴の方が偉いみたいな考え方の奴いるな 
その時間でどれだけのことをしたのかが重要なのに

人生80年の時代でもでは人生80年生きてその人が真に生きたかとなるとそうでもない
ただ芸術になると作品を作るのに時間がかかる、芸術家などの場合は長く時間をかけなければ作品は完成しない
ただ歴史的人物とかなるとその行動が別に長い時間をかけたからといって功績があったとはならない、だから明治維新で若者があれだけ活躍したのは時代でありその中で短い人生でも歴史的に大きな役割を果たしたとなる
坂本龍馬の真意は分からないにしても誇大化されるているにしても薩長同盟を成したことで歴史が動いたことは確かである。
歴史の中で一時でも的を得た行動すれば歴史が動かしたとなる、その判断は後世になってもむずかしくなる
当時を生きた人はいなくなってしまっているからである。

個々人の人生でも青春時代30歳くらいまでは行動の時代である。それは必ずエネルギーが悪い方に爆発して犯罪を犯すことにもなる、若気の至りでありそれが老年まで尾がひくとは思っていない、それで推理ドラマでは必ずその若気の至りのことが老年まで尾をひいてその罪が暴かれることがテーマになる
それはなかなか隠すことができなくなり暴露されるし良心的にも内面的に苦しむ
過去のことで亡霊が出てきて悩まされる、もちろん殺人したような人はとても刑罰を受けなくてもその亡霊から逃れることができないだろう。

結局自分も若気の至りがありカルト宗教団体などで貴重な時間を費やしてしまった。
ただ自分にとっては無駄だったとは言えない、要するに人生で経験することは最後はどんなことでも無駄なものはない、誤った行動でも無駄ではない、なぜなら人間が生きる時間が短すぎるからそうなるのだ。
もし人生が二百年とかなればそうはならない、二百年はあれば様々なことが経験できるからである。百年でも経験することは一個人では少ないのである。
だからどんな経験も無駄にはならない、なにかしらのたしになるようにできている

ただ的を得た行動は一生の間で一二回しかない、それは30歳まで青春時代に起きる、何かそのあとはだらだらとした延長である。
要するに野球でも9回ある間にそこで劇的なホームランとか一回くらいしかないのと同じである。人生でもホームランを打つの一回くらいしかないのである。
人生でチャンスはそうして一回くらいしかない、あとは何かだらだらと回を重ねてゆくのが多いのである。
自分にとっては東京の大学に故郷を出るということや大学で一年体育系の部に入ったとかそのあとカルト教団創価に入ったとか
次にまた放浪して家を出て死に目にあったとかある。普通の人はたいしたこでなくても自分にとっては体力もないから苦労だった。
この時は一番行動的な時代だったがあとは30年間は平凡だったし楽だったのである。 

ただ芸術とかの分野だとホームランとかは天才でないかぎりない、芸術でも学問でもこうした分野は積み重ねなのである。
そもそも学問というけどその分野はものすごく広い、本にしたって天文学的な量があり何を読んでいいかもわからないだろう、そしてまず百冊本を読めればいい方である。
そんなに人間は頭に入りきれないのである。すると知識的には限られたものになってしまう、あらゆることに詳しくなれる人間はいないのである。
インターネットととか通販がない時代だとどうしても田舎だと読みたい本、読むべき本が手に入らなかったことが不利だったのである
だから芸術とか学問などの分野は時間をかければかけるほど比例して成果を出すことができる、それは普通の人でもそうなのである。

いくら天才でもあらゆることに通じる人間などありえないからである。
人間はあることには詳しくなれるのである。
最近毛沢東のことを研究している女性は中国生れであり中学一年まで中国で過ごしたからこそあれだけ詳しくなった、日本軍に毛沢東が感謝していたというのも意外だったのである。
こういうことは雑学関係でもありうるのである。人生の時間を無益だとしてもある事を追求していたらその分野で一流となる、それはやはりそれだけの時間を費やしたとうことであり時間をそれに使ったということなのである。それは特別な才能でもないのである。
なぜなら結局何度も言うように人生は何に時間を使ったかで決まるのである。
それぞれの時間は限られている、あらゆることに時間をかけられないからである。

何か感性を磨くにしても俳句でも短歌でもそうだけど70年間生きたら季節のめぐりを経験して感性を磨き深めているのである。季語なども今でわからない季語、使わない季語が多いのである。それだけすべての季語に通じる時間が人間にはないということなのである。何か理解するにしても時間がかかる、だから退職して趣味として俳句でもやるかなとなるとそんなに簡単にはできない、その人にはそうした積み重ねがないからできないのである。
グローバル化すれば外国の一国でも理解することは時間がかかる、二カ国になったらさらに時間がかかる、これだけ世界が広がるとまた比例して時間が必要なのだが時間は限られているから理解できずに終わるのである。
そもそも日本の歴史となると相馬藩であれ福島県内であれそれが詳しく知るとなると相当な時間がかかり結局一部しか知らずに終わる
ましてや全国的な歴史となるともうお手上げだとなってしまうのである。

いづれにしろ的を得た行動は人生に一二回くらいしかない、チャンスもそうである。
カルト教団などで行動していたのは意味ないし行動とは言えない
人生を浪費するだけだとなる、戦争でもやはりそれが的を得た行動であったのか?
ただ強制されたものだけだったのか?カルト教団などで行動している人は強制されたものと同じであり奴隷として行動していたのである。
そういうところでは必ず個人崇拝となり偶像崇拝となっているからである。

人生はそもそも劇的なことはそんなにない、確かに戦争を経験した人は経験しないことを経験した、でも戦後はそんな劇的なことはない、やはり平凡な日常があっただけだとなる平凡な平和な日常がなければなんであれ実りなどない、戦争ばかり災害ばかりつづいているようなところでは何か芸術とか学問とかであれ実りなどありようがないのである。
だからここ十年は自分は非日常のことを介護であれ自分の病気であれ後を継ぐということであり津波や原発事故でも信じられない激動を生きたとなる
それまでの30年間は平和だったな楽だったなとつくづくふりかえるのである。

インターネットは何かマスメデアからすると馬鹿にされるけどいいことを言う人はいる
ただ今までそういう人はマスコミに取り上げられないから注目されなかっただけなのである。
こういうことを言う人は例えば仕事でも本当に有益な仕事をする人はだらだら時間をかけてはない、的を得て仕事をしている人である。それは大きな仕事するとき別に時間をかけない、何か営業でも大きな仕事を引き受ければ会社に大きな利益をもたらす、銀行でも証券会社でも一億とかを引き受ければ手数料だけでも一パーセントでも百万になるしそれが定期的に入ることにもなる、それが株とかの投資になるとその利益も大きくなるからだ。だから百万くらいの金を引き受けるより一億をもっている投資してくれ人と契約すれば
仕事の成果からすればそんな人に時間をかけても無駄だとなる

それはいい悪いは別にして計算的にはそうなる、それが仕事なのかという問題はあるにしても効率から考えればそうなる、時間をかけたからそれで成果が出せるとは限らないのである。
そもそも株とか投資のグローバル経済は大きな金を集める投資信託はそういうことで成り立っているからだ。
現代は時間の節約、効率化が極限まですすめられる、家でも組立式であり二週間で完成する、自分の家は昔の家は地元の人が半年もかけて作ったとかある。それだけ時間がかかっていたのである。インターネットでも何か通信でも知的作業でも効率化が前より計られている、文章を原稿で書いていたらそれを印刷して本のように全国に配達していたらいたら時間がかかるからである。今書いたものを即座に発信すれば一番効率的なのである。
こうして時間を節約できれば他に時間をさくこともできる、家事を全部してでもこれだけのことをプログで書いているからである。

2016年09月10日

松本清張の「黒い福音」を見て (アメリカに支配されていたために宣教師を逮捕できなかった)


松本清張の「黒い福音」を見て


(アメリカに支配されていたために宣教師を逮捕できなかった)



中国にアヘンを密輸しまくってアヘン戦争を引き起こした商会がジャーディン・マセソン商会 
そのジャーディン・マセソン商会の長崎支店こそが坂本龍馬のスポンサーであるグラバー商会である


1951年の米国議会上院の軍事外交合同委員会のマッカーサーの答弁
「日本は絹産業以外は国有の産物はほとんど何もないのです。彼らは綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、錫がない、ゴムがない、その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域に存在していたのです。
  もしこれらの原料の供給が断ち切られたら1千万から1千2百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」


  フランクリン・D・ルーズベルトのミドルネーム“D”は、デラノ一族の意味で、セオドア・ルーズベルト大統領も血族の一人で、ユダヤ人ある。ルーズベルトとは、オランダ語で「赤いバラ」である。

デラノ家は、アメリカやイギリスの富裕階層の大半がそうであるように、アヘン貿易と奴隷貿易で財をなした。

「アヘン貿易と奴隷貿易は一体となっている。今日のアメリカの隆盛の最大の原因は、イギリスの黒い貴族たちがアヘン貿易で儲けた金をアメリカに注入したからである」と鬼塚氏は端的に説いている。

バチカンの(ハプスブルグ配下の)フッガー家に対する借金返済の施策である免罪符の発行への対抗策として、教会不要論や天職理論、蓄財の正当性を説くことにより、教会へのお金の流れを銀行(預金)への流れに変えることを推し進めた。

金貸し支配の構造A ベネツィアの黒い貴族:サヴォイ家

その後大航海時代には、イエズス会は世界各国へ食指を延ばし、奴隷貿易により膨大な利益を得ていくことになり、その運用のためにバチカン銀行が造られる。
>各国の軍事施設の近くには、必ずと言っていいほど教会が設けられている。そこの懺悔部屋での諜報活動がイエズス会牧師の大きな役割となっていた。

タックスヘイブンの構築

>サヴォイ→デル・バンコが支援していたテンプル騎士団が迫害を受け、イギリス騎士団としてイギリス方面に渡る。その際、バイキングと結託し、イギリス北西のマン島にオフショア=タックスヘイブンといわれる無記名、非課税or低課税の制度を確立し、外為で獲得した膨大な利益の目減りを防ぐシステムを構築していく。その後、スイスやロンドンでも同様のシステムが設けられていく。

『権力ゲーム』とは、金融権力を握ったロスチャイルド国際金融マフィアが、世界各国で国民を支配し搾取するために、政治、行政、司法、経済、企業、労働組合、メディア、教育、宗教などの権力を握って独裁支配体制を築く『反国民の権力犯罪』である。


明治維新でもそうだが戦後でも外国宣教師が入ってきてキリスト教を布教したのは問題があった。なぜならアメリカが主だがアメリカは裕福であり権力をもっていたからである。そのために権力で宗教をおしつける、権力で宗教を広めるとなるからである。
クラーク博士はどこの宗派にも属していないし何かそうした権力と無縁の人であったからかえって明治の青年を感化したという、カトリックとかなるとあのように明治の武士の出身者を感化できなかった。そこから独立した内村鑑三のようなクリスチャンが生れた。
カトリックのようなものだとそういう人は出なかったとなる
内村鑑三は外国の宣教師を嫌っていたからである。それは日本国の個々人の独立精神を失うからである。
ただ明治となるとキリスト教のことがわからない時代だからやむをえないことがあった。今なら外国の宣教士とか宗派とか教会でもエホバとかのカルト団体とか外国系資本の教会に属する必要なとないのである。
自立していくらでも聖書など学べる時代である。むしろそういう場所に行く属することは信仰をそこねることさえあるだろう。
なぜなら自分は一回も教会で聖書の話も聞いたたとがないし聖書自体学んだこともないのである。カルト団体に属してもそれは仏教系だから全然違った世界である。
それでもクリスチャンになる人はなる、それは聖霊の働きによるからである。

この映画でも教会がアヘン取引していたとか暗黒のおぞましい所だった。ただこれはフィクションだが事実を基にしたものであり結局事件は闇に葬られた。
その時アメリカに支配されていたのだから操作すらできない治外法権の場所になっていたからである。
ただ宗教というと特に宗教団体とかなる何かそうした闇をどこでもかかえている、それはなぜなのか?巨大な権力を有するようになったからである。
それはカトリック教会からはじまった、今でもバチカンの闇がある、カトリックが国家並の権力をもつが故に歴史的にそうなっていた。
教会だってそこが商売の場所にもなるしいろいろと世俗的なものに利用される
それは創価を見ればわかる、もうそこは様々な利権が食い入る場所になっている
大成建設が何かオリンピックの入札で不正していたのではないかというのもそうである。大成建設と創価は密接な関係がある。会員も多いからだ。
第一国土大臣が公明党だったらそれも当然だとなる
宗教団体は巨大なるが故にそこは利権の場所であり権力でもって大衆を操作する場になる統一教会だったら韓国系でありとか背後に国家権力が関係している
エホバだったらアメリカとであり日本自主独立のものはまれである。

教会でアヘンを売買していたというと何か常にアヘンが資金源になっている。中国がイギリスからアヘンを売られて国力を失ったようにアヘンは亡国の薬である。
そしてルーズベルト一族がアヘンで財を成した一族だとか何かそうした巨万の富を築いたものには必ず黒歴史があり政治家にも黒歴史を背負っている
アヘンで外国を批判するが日本も戦争中、中国にアヘンを売り資金源にしていたという。アヘンというのは巨利を得る手段なのである。今でもフィリピンでもアヘンのために国と戦争状態になるとかメキシコでもどこでもアヘンがやはりそれだけ金を生むからマフィアが活躍する、そしてどこでも権力の集中するところが宗教団体だろうがなんだろうがマフィア化しているのである。

こういう黒歴史はインターネットでは驚くほど詳しい、何か今までおさえられたものがインターネットに噴出しているのかもしれない。
ただその陰謀論にはまるとこれも訳わからなくなる。
ただ巨大な権力自体が人間にとって悪い方に作用していることは確かである。
銀行にしてもそこに巨額の金が集まるから世界まで支配できるとなる
人間は個々人でも金を貸すことによって奴隷化される、それは江戸時代もそうだった、遊女にされたが今でも現実にバングラデッシュとかカンボジアとかはほんのわずかな金で少女が売春されている、つまり江戸時代を知りたいならそういう国に行ってみれば実感するそれをDARKNESS DUAとかで延々と書いている。
あのようなことが今までも確かに知られていたがあれだけのものを報告できるのはインターネットだからできたのである。

どうしても金がある権力がある所にはよからぬものが入ってくる
自分もそれでひどいめにあった。多少の遺産をひきつぎそのために強盗のようなものが来る、借金で苦しめられていたものが病気でも借金を要求してくるとか金があることで恐ろしい目にあうこともある、現実に常に江戸時代でも富裕な商家が盗賊にねらわれる
家政婦二人雇っていた金持ちが強盗に入られて殺されたとか常にある。それは昔からあったことである。中国では盗賊の首領が皇帝までなったしイギリス海軍は海賊が基だったりと権力があれはその権力の奪い合いが必ず起きてくる、革命でも権力を得るためにする。大義名分があっても盗賊同士の争いなのかとまで見る
だから巨大な権力がある所は宗教団体だろうがなんだろうが闇になる
その闇の正体はなかなかわからないから陰謀史論になる、結局それはサタンが世を支配すると同じである。
一見権力を金をもつのはいいように見えるし大衆でも貧乏ならみんな金が欲しいとなる
金がいらないなどという人は今では特にいないし金がないから最低限の生活すら不可能である。だからこそ金に支配されるのである。
では実際にありあまるほどの金とか権力をもつとどうなるのか?そこは闇の世界になってしまう。つまり権力と金で支配する者はサタン化するということである。
世界史自体がこれほどキリスト教が普及していても何にも変わっていない
やはり権力と金が支配する世界だということである。

この映画は戦後アメリカに支配された時の物資不足の時代のことである。
教会がアヘンの販売していたというから腐敗しきっていた
それはドラマだけのことだったのか?
これは事実を背景として生れたドラマである。教会に入るというときそうしたアメリカから物資の恩恵を受けることもあり入る人もいたろう。
人間は純粋に宗教を求めることはない、何か利益があり弱者が権力の助けを求めて入る
その弱者を利用して権力を拡大化するのが政治である。宗教もそうして権力闘争に利用されるのである。

この映画の結論が示唆に富んでいた、なぜ限りなく黒だった宣教師を逮捕できなかったのか?
それは戦後アメリカに支配されていたためなのである。
それで警察の上官が言ったことは

日本の国は強くなければこうなる、他国に蹂躙される

これと「心の青雲」で常に言っていることだからそれはあてはまる
国が弱ければ下々で最貧国のように少女はわずかの金で売られるのが歴史の現実なのである。そしてそこに公平な裁判もありえないのである。
それは今でもそうである。、検察でもアメリカの意向に従わねばならないとかなり公平ではありえない、日本は未だアメリカから独立していない、属国だからそうなる。
映画は単なるフイクションだと興味がない、なんらかの事実に裏付けされているとそこから歴史でも学ぶことができる、ただフィクションと現実は違う、そこでフィクションが現実のように錯覚しているのが映画とかテレビの時代だと多いので問題なのである。
ただインターネット時代になるとこんな映画あったのかと知らないことを知ることになるこれは最初テレビで昨日放映していた、でも途中から見たからわからないところがあったでも検索したら無料で見れるのがあった。それもこの映画は二つくらい同名で製作されていたのである。映画は何かテーマがあって製作されている、こうした映画を見ている方が世の中の真実がわかる、これからはあまりテレビを見ない時代になっている
チャンネルが百チャンネルとかなる、2チャンネルもあるが自分もチャンネルの一つであるから膨大になるのである。テレビとか新聞はもうだんだん見なくなるし読まなくなる
なぜならそんなにいろいろなものを見れないからである。
インターネットの有利なのはあるテーマとかキーワードから深く考察できることなのである。それだけの情報量が蓄積されたことによってそうなったのである。


タグ:黒い福音

(秋の蝉)南相馬市原町の市街から高倉ー押釜を回り帰る (高倉村では紙漉きが行われていた)


(秋の蝉)南相馬市原町区の市街から高倉ー押釜を回り帰る


(高倉村では紙漉きが行われていた)

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この地図は覚えていた方がいい
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綿津見神社


草茫々刈る人老いて夏の暮

草うもる高倉の墓地夏の暮

流れ落つ清水を沢蟹這いのぼる

高倉や清水にうたる蟹一匹

夏草に馬頭観世音旅の人

秋の蝉鳴きて淋しや旅の人


高倉の街より離れあわれかな秋の蝉なく声ひびき暮る

バス停の目印とあれ歩みつつ秋の蝉なき夕暮るるかな

四方より蝉鳴く声のひびきつつ我が歩むかな秋の日暮れぬ

押釜と奥にしあれや古き墓地野馬追いにいず郷士棲めるも

紙漉きを営めると昔水清し高倉村や秋となるかな




今日は高倉から押釜回り帰ってきた。帰ると7時すきているから暗くなる
前は介護していたから常に早く帰らねばならないとなるからこの辺の近くすら行けなかった。今はいつ帰ってもいいから余裕がある。

高倉の農家の人は草刈りしていた。辺りは草茫々である。若い夫婦はここを出て帰らないという、何か市街の方に出たのではなく、南相馬市を出たらしい、原町でもろくな会社がないからだとか言っていた。
姑と一緒にいるのも嫌だったしこれ幸いと出て行ったとかも言っている
あそことても田んぼにできる場所ではないだろう。
あそこから飯館村の長泥(ながとろ)に出るがそこは帰還困難区域に指定されているから入ることはできない、高倉ダムの方にでる、良く前は行っていたがここにも十年間くらい行っていないのである。
高倉の歴史は明治以降開墾に入った地域かもしれない、綿津見神社があるとてしてもその由来が良くわからない、月山大仏とか石碑にあった。妙見の徴も屋根にあったから明治以降かもしれない、明治以降武士が開墾に入った地域かもしれない

高倉村からは野馬追いに4騎出ていた。押釜村は14騎だからなぜかここがそんなに多いのかとなる、

産馬、養蚕、抄紙の三事は組合村の業なり、紙は押釜村ヨ推し十八戸あり、高倉村ヨ最とす・・と大須賀巡村雑記に記されている

紙を梳くのにいい川があり水があるから紙漉き、紙作りがあって生活が成り立っていた。石神村にも紙漉きをしていた家があった。これは意外と忘れられているのである。
相馬市の山上にも紙漉き沢という地名があるから紙漉きが行われていた。
紙漉きが山の村の産業だった時があったのである。
紙漉きというときこれも自然と融合した生活だったのである。
清い水が必要であり材料となる樹も必要でありそれが近くにないとできない
今だと大量生産の工場となったが昔ならこうして山村でもその回りの資源を利用して生活になっていたのである。そういう村であってこそ村だったのである。
そういう村の方が魅力あるとなる、ただそうはいっても現実その暮らしは紙漉きにしても厳しいとなる。

 10月から越年の春ころまでの冬場を中心とする農閑期に、凍り付いたような水にさらし、長時間の作業が続く。しかも、江戸時代から、この仕事は女性のやるべきこと、とされてきた。しかも、零細な家内での仕事なので、とくに主婦や娘への負担が増す。男も次第に加わるようになる。
 さきにふれた「養女奴隷」への負担も、そこに発した仕組みであったし、年季奉公人という徒弟制度から抜け出せないのも貧困から始まっていた。

 津和野藩では、「養女奴隷」のような記録は見当たらなかったが、奥に隠されていたことかもしれない。ただ、凍るような水に手を入れ、深夜に至る長時間の作業のつらさは語られている。また、コメとしての納税ができなければ、和紙で代替させ、のちには大坂屋敷などで換金しやすい和紙を貢納させることにもなっていった。紙の仕入れは当初、商人の手で行われていたが、藩の有力な収入源とわかる17世紀中ごろからは「紙専売仕法」を定めて藩の独占事業にしてい

『紙漉きになるつもりじゃなかった』

 何か自分は過去になると江戸時代でもロマンチックにイメージするが実際はこれほど厳しいものであり奴隷労働が行われていた。これも意外だった。醜い少女がこの場合は良くて丁稚奉公のように奴隷のように使われた
一方できれいな少女は遊女に売られていたという現実がある
こういうことは今でも最貧国に行ってみればわかる、江戸時代とにているからだ。
でも山にそうした暮らしがあってこそ村も成り立っていたということもイメージする
でも米が納められないから紙漉きだと紙で納めるということもあった、つまり貧乏なときは税金でも過酷になるのである。

そういう税にしても直接的にずっしりと重いものを感じるのである。
つまり江戸時代は子供でも働かせられていて丁稚奉公に出されたとか女の子でも過酷な労働を強いられていたのである。最貧国では子供も労働させられているし子供が多い方がいい、男の子がいいというとき労働力になるからである。労働自体が過酷だったのである。まず紙漉きするような家には嫁さえ来ない、奴隷のように養女をもらって労働させていたのである。

石神で紙漉きをしていたという農家に嫁いだ女性は華奢であり力仕事などできないだろう第一そこは農家ですらない、会社員の家だったのである。
今になると紙漉きをして都会から移住している人もいる。かえってそういう仕事にも憧れ人もでてくるが現実は厳しい、そうして作られた紙だとすると高価であり貴重なものだとなる、捨てるのももったないとなるのは当然だったのである。
紙というのは戦前でも貴重だった、鉛筆でも短くなって使いないくらい短くなっても使っていたのである。物はなんでも貴重な時代だったのである。
こんなに物があふれた時代はなかったのである。これほど物を粗末にする時代もなかったのである。

皇居歌会始め 入選歌

どの家も 紙漉く夜なべ終えたらし峡(かい)を流るる 川音きこゆ

1968年(昭和43年)


ここにこんな歌がでていた。夜なべとういことは夜まで仕事していたのである。ただ昭和43年では戦後二十年でありその頃紙漉きしていた家はなくなりつつあったろう。
でもどの家もとあるからまだしていたのかとなる

そこで今回あったのは何か陶芸をしている人で蛇を探しているという、蛇の鱗が模様として参考になるというからそんな人がいるのかと思った。仙台から来た人で仙台からくる人には良くであう。街の近くにこういう流れがあるのだから夏でも涼しい
一軒家がありその脇を水無し川が最近が雨が一杯ふったので気持ちよく流れている
あそこはイオンからさほど遠くないのである。写真とらないのが失敗だった

今日は山の方で自転車がパンクして歩いた、相当な距離を歩いた、でも歩くということは自転車の感覚とは違う、自分は歩くたびはしていない、そこで歩いてみたいと思った。
鹿児島から青森まで歩いて旅するという人には驚いた。
歩く旅は自転車で感じるのとも違う、だから今の時代は歩くということは新鮮な体験になったのである。
相馬市から鹿島まで旧街道をたどり歩み、次は小高まで歩み鉄道が小高まで通ったから電車で帰るのである。これでも旅なのである。
ともかく介護が終わって余裕ができた、だからまだそんな計画をするようにもなったのである。ともかく昔のことは歩いて生活していたのだから歩いてみないとわからないのである、旅だって歩いてしていたのだから歩いてみないと旅のこともわからないのである。







2016年09月12日

抽象画(地形の変形) Abstract picture (transformation of the topography)


抽象画(地形の変形)

Abstract picture (transformation of the topography)

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island

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river and sea and  plain

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spring winds




抽象画は変化の芸術である。何か自分でイメージするわけでもない、だから変化して何がでてくるかわからない、具象画からも変形して生まれる
地図のようなものからも生まる、地形にしても変化して生まれ、これを考えると地球上のち地形も多様であり何か変形したものなのである。

それが抽象画と変形しているとにている、こんな地形がありうるのかというがそれとにたものが地球上にはあるからだ。
地形の多様性にも驚くのである。


The abstract picture is art of the changes. It is the thing which the face of the Earth to topography is various and is what or transformed when I change into a straight circle, The topography from the thing such as the map which I transform it from a representational painting that therefore to change, and what comes out or does not know not to image by some oneself, and is born even if I do it and think about birth, this.

It is said that it transforms it with an abstract picture whether similar such topography is possible, but this is because there is the thing which resembled it in the face of the Earth.
I am surprised at variety of the topography.



若者(20代)の自殺率ワースト 日本の自殺率世界一 (時代をふりかえり考える)


若者(20代)の自殺率ワースト 日本の自殺率世界一


(時代をふりかえり考える)



1位 秋田 
2位 福島 
3位 山形 
4位 宮城 
5位 徳島 
6位 福井 
7位 栃木 
8位 茨城 
9位 長崎 
10位 高知


東北、北関東の自殺率がトップクラスになってる原因は何だよ 
あの一帯は何かある


人並みの生活ってのが 
どんどん遠くなって 
手の届かないとこに逝ってしまった 
中間層の没落 
格差は広がるばかり 
いい思いしてるやつを嫉妬で眺める日々 
自殺したくなるよ


20年前は9割は正社員で年収500万くらいもらえて 
9割のひとが人並みの生活をおくれていた 
今は平均年収300万クラスが半分以上 
格差がどんどん拡大して 
勝ち組上級国民や公務員とかは 
なんの努力もなく 
家買って子供産んで 
人生を謳歌してる 
対象的なんだよな 
悲惨な人生

メンタル鍛えられるもんじゃなく、立場によって変わるものだと思う。 
ひ弱なメンタルも、やばい所にいけば強くなるよ。 
生きるために殺しあわないといけない場所とかねw 
今はそういう必要がないから、豆腐メンタルでいられる。




人間は必ず時代時代を生きざるを得ない、江戸時代を自分はロマンチックに回想して美化したけど現実は最も厳しい、経済的には今の最貧国よりひどい状態でもあった。
紙漉きという仕事があってもそれがあまりに過酷で家の人がしたくないので醜い少女を養女にして奴隷のように働かせたという、そして容姿のいい女性は遊女にされたという現実があった。あとは少年でも丁稚奉公であり自分の父親がそうだった。
江戸時代は一割近くが盲人であったのショックである。それはやはり栄養不足からなっていた。侍だって貧乏侍が多く内職していた、それが今のお土産になったのである。

江戸時代は今のバングラデッシュとかカンボジアとかの最貧国を知れば実感できる。
遊女が悲惨だったというとき今でも少女が最貧国では売られているのが多いのである。
バングラデッシュでは空港にトランジットで寄ったら裸足の子供の群れが集まっているのに驚いた。そもそも空港も何かこぎたないというかソファーも何か古物なのである。
カンボジアだと少女が5ドルで売春させられている、自分は関係していないが世界からそこに年配の男性が集まっている
貧乏になるとどこの国でもそうなってくるし日本だって今や逆に日本人の女性が中国人の富裕層を相手にする、それも日本人がさんざん外国でしたことだからカルマなのである。必ず人にしたカルマはかえってくるのである。

現代で若者が自殺が多いというときその理由が何か定かではない、今の時代が生きにくいと感じるのもわかる、でもそもそもどんな時代でもその時代を生きるものにとって生きにくかったのである。
江戸時代など本当に過酷でありそれと比べたら今は天国だとなる
紙漉きしていたという農家に嫁いだ女性は華奢でありとてもその時代だったら勤まらないでは容姿がいいとなると遊女にされたかもしれない、そんなふうに考えると今の時代は楽だなと思う
自分にしても体力がないから江戸時代であれ昔になると生きられなかったと思う

明治から大正にしても貧乏はつづいていた。醬油すらまともに使えない時代だったのである。自分の母親は原町紡績で糸取りであり環境が悪いし働きづめだった。
食事は味噌汁と沢庵くらいしかないのである。だからよく細身で生き抜いたと不思議だった。
そして昭和は今度は戦争の時代だった。これもあまりにも過酷だった。
自分の姉は赤紙一枚でシンガポールに従軍看護婦にされて四年間戦地で働いた。
そこは地獄だったのである。特に日本が負けたときジャングルに逃げたので食うものもなく地獄だったのである。
戦争の悲惨はとても今では想像すらできない過酷なものであり悲惨なものだったのである
こういふうに時代時代には必ず苦しみがある、困難がある。そして現代もまた違った困難を生きねばならない、現代は肉体的より精神的なもので苦しくなるから鬱病が増えたのである。要するに仕事でも会社勤めでもやりくない嫌なことをしつづけると体にも頭にも良くないのである。
そしてみんなもっと休養したい、休みたいというとき現代の仕事は分刻みで仕事に追われている。それで神経も疲れてくる

自分が良かったのは体力がないけど何か休み自由にとっていたことである。
もう疲れたら休むだけ休んだのである。そういう環境にもあったからできた。
その結果何か体力がないのにこれまで生きてきたし今は病気もない
外からあなたは元気だと常に言われのも不思議だとなるのだ。
それは結局自分はそれだけ無理していないからだったのである。
江戸時代とか戦前とかなるととてもこんなことはしていられない、だから早めに死んでいたと思う
休みたいとき休まないと疲労は相当に蓄積される、それが体を弱めることは確かである。
体力がなくても自分は北海道を自転車旅行しても一日休んでまた走るということがあった。
そうすると体力がなくてもできるとなる、それを無理して連続して走っていれば疲れてつづかないとなるのだ。
会社などはそうして休ませないから社員も疲れてかえって効率が上がらないということもあるのだ。

ともかくなぜ地域的に見ると福島県が二番目なのはなぜだろう,東北が多いのはなぜだろうとかなる、ただ栃木県とか茨城県が北関東が多いのかというのもなぜだろうとなる
一つは東北に関してはメンタリティが弱いということがある
大阪辺りとか西は何か図々しいしメンタリティが強い、地を這ってでも生き抜くような根性がある。商人の世界でもある。
東北はもともと農民社会でありだからこそ現代の工業商業社会に適応できないということがあるかもしれない、事業を近くで起こした人は何か経営者向きではなかった
経営者になることは商売することである、その人は職人には向いていたのである。
一級の資格をもっていたからである。東北人は職人に向いているが商売には向いていないというのは本当である。自分だったら学者に向いていたとなる
何かこつこつやっているのがいいのであり一か八かの勝負をするようなのには向いていないのである。だから株なとも向いていないし自分は投資信託でもしたくないのである。
老人になると保守的になることもあるから株は老人には向いていないのである。

人間はどうしてもその時代時代を生きざるを得ない、その時代時代の困難を生きざるをえない、今の困難は中産階級が世界的に没落したとういことが共通なのである。
その原因はグローバル経済にもあり機械が仕事するということもあり後進国が豊かになってきたということもある、世界の富を数バーセントの人が独占してあとは貧困階級に陥るというのは世界的なのである。
上に上がるには相当なスキルがある人でないとなれない時代である。
あとは大方は非正規とか派遣とかアルバイトとか底辺の仕事に甘んじて食いつなぐ他ない時代になったのである。
それでも江戸時代であれ戦前と比べれば栄養はとっているから病気にはならないし何が死因となるかとなると若い人なら余計に自殺が死因のトップになるのは当然だとなる。

現代の問題としては何かブラックな職業が多すぎるということがあるのかもしれない、江戸時代などは何かそうしてブラックなものが少ないだろう。
みんな農民であり職人であり侍だって貧乏であり何か現代のように濡れ手で粟のような株で一攫千金でもうけるとかそんなうまい商売はまれである。
みんな貧乏でもこつこつ真面目に生きざるを得ない時代だったのである。
ただそういうことでモラル的には悪いことブラック的なことがないから外国人が見たときいい顔していたとなったのかもしれない、貧乏でも悪いことしている人は非常に少なかった時代なのである。労働は過酷でもそういうことがあって社会自体が今とは違っていた。現代の仕事は会社にしてとにかく利益のためには何でもする、モラルを無視するのが普通である。東電だってそうして大事故を起こした。会社には利益しかないしモラルがない
みんな会社人間になっているとき当然個々人にもモラルがなくなり金さえあればいいとなってしまっている。
そうなると社会自体も格差が大きくなるとさらに不満が大きくなる、江戸時代でも階級社会のように見えても侍自体が貧乏だったのである。
現代は格差が広がると非正規とか派遣とかアルバイトなどの仕事が増えるとそうして公務員とかをうらやましいとなる、公務員でも非正規社員が増えていて暮らしていけないとかなっている、何か相当なスキルがない人間は現代では稼げなくなっているのである。
会社に入ってもそうなる、一部の有能な人間以外は切り捨てられて非正規とかになってしまう社会なのである。、それが希望をなくしているのである。
ただ時代により困難があり食の面からすれば今までにない贅沢をしているのである。







タグ:若者の自殺
posted by 老鶯 at 13:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2016年09月13日

国レベルでもカルマの法則が成り立つ (他者であれ他国であれとばっちりを受けるのが怖い)


国レベルでもカルマの法則が成り立つ


(他者であれ他国であれとばっちりを受けるのが怖い)


カルマ(業)というとき個人→家族→小地域→国→大地域(アジア、ヨーロッパ、中東など)→人類となる
なぜ戦争が起きるのか、なぜ近代化した以降大規模な戦争が起きたのか?
今までにない多数の人が死なねばならなかったのか?

ソ連 2000万人
中国 1000万人
ポーランド 540万人
ドイツ 530万人
日本 290万人

ソ連は軍人の死者が多い、中国人は民間人が多い、ドイツや日本も軍人が多い。
なぜこれだけの人間が死なねばならなかったのか?
それには理由があったのか?ソ連はなぜ2000万人も死んだのだろうか?
中国は内戦の結果死んだ数も多いだろう。それから粛清があり死んだ
ポーランドはナチスの虐殺があった。

こういう大規模な戦争となるとやはりその大地域のまたは国のカルマが関係しているのかとなる、日本だったらアジアのカルマがありそのカルマを背負ったとかなる
ヨーロッパは複雑でありソ連もまた歴史的対立とかカルマがあり犠牲が大きかった。
第二次世界大戦は世界的カルマの総決算の様子を示していたのかもしれない
ハルマゲドン的な戦争だったのかもしれない、なぜなら人類的にこんな大きな戦争は経験していないからである。またこれだけの犠牲者を出したこともなかったからである。
国民国家が世界で生れたとき大規模な戦争に発展したのである。
だから日本の戦争の責任論でいろいろ言われるけど大局的にみると人類の業としてのハルマゲドンだったのかもしれない、日本はアジアと日本のカルマを背負い約300万人が死んだ。
ただアメリカはなぜこれらの国からすると犠牲者が少ない、ということはアメリカだけが人類的カルマを背負わない国だともなる、でもその後アメリカは戦争したのでありやがてそのカルマが返り何か大きな犠牲が出るかもしれない、その将来はわからないがアメリカのカルマも日本に原爆落としたようにかなり重いからである。
だからそれに見合うカルマを受けるかからもしれないのだ。カルマとは因果応報だからである。

なぜカルマを考えるよになったかというとここ十年の家族の介護やら自分の病気やらで自分がさんざんな目にあったからである。
それでこれは何なのだろうと考えざるをえなくなった。するとこれは自分のカルマであり家族のカルマだったのかとして納得する他ない、いくら相手を責めても自分が背負ったカルマ(業)だったのかと思う。
それは家族のカルマであったがまたカルマというとき必ずしもその本人家族だけでなくても他人のカルマも受ける、例えば犯罪は毎日起きているけどそのために苦しんでいるのは何なのだろうとなる、ある人はなぜ強盗が入り殺されたとかある、その家は金持ちであり家政婦を二人も雇っていたのである。でも家政婦は殺されない、主人が殺されたのである金をもっているが故にカルマをもちその人は殺されたとなる、金をないこともカルマであり苦しいが金を持ちすぎることも実際は怖いことなのである。

遺産争いがあり骨肉の争いがあり金があるところには権力をもつ所ではその奪い合いで争いになる、そういうことが自分にも起きたから怖かったとなる
他者のカルマも自分は受けたがこれも怖いことである。強盗だったら殺されている人もいるからその身になれば怖いことである。
必ず何か事件があり当事者でなくてもかならず親戚とか近くの人にとばっちりがゆく、隣が火事になれば自分の家も危険になる、だからこのとばっちりも怖いのである。
国でも北朝鮮のような国があると必ずとばっちりがあり何かの調子でミサイルが飛んでくる恐怖がある。他者のカルマを受けることは本当に怖いことなのである。

カルマを積まない人はいない、家族も地域も、国もカルマを積んでいる。
地域というときなぜ相馬藩内の地域に津波や原発事故が起きて人が住めなくなるほどの被害にあったのか?
これも地域のカルマがあったのだろう。原発となると別に相馬藩内だけではない東京も関係しているし国も関係しているし原発は世界中にあるのだから人類的カルマとして原発があるのだからここだけの問題ではない、カルマではない、でもここがカルマを具体的に受ける場となってしまった。
例えば飯館村などは原発とは関係していない、それなのにとばっちりを受けたのである。カルマの怖さは関係ないと見えてもそうした他者であれとばっちりをうけることなのである。
誰かが借金してそれが犯罪につながりその犠牲者になる人もいる。他者が借金したのが悪いといっても誰がそのためにとばっちりを受けるから怖いのである。

ただカルマというのは誰でもどの国でも地域でもありカルマを清算するとそのあと平和が訪れる、戦争の犠牲もそのあとに生れたものにはさほど影響しないしかえって日本はその後高度成長をすることになった。それで団塊の世代は恵まれた時代だったし自分も恵まれたのである。それは戦争でアジアの国のカルマを清算したからかもしれない
ただその犠牲者が300百万人だったからあまりにも大きかった。
でもその結果として日本はその後70年間は平和が保てて経済発展して今日にいたっているのである。
そして今度は戦後70年過ぎて今度はそのカルマを後の世に残すことになる、それもいい面と悪い面がある。膨大な借金を残したとか団塊の世代は経済的に得しているとか若者から批判を浴びるときそうである。団塊の世代もカルマを残し若い世代がそのカルマを受けているのである。
それが親でも必ずカルマを残しているのと同じである。
親のカルマで子供が必ず苦しむことになるのである。
親の因果が子に報いになるのである。

人間が生きることはカルマを背負い生きることである。すべてのカルマから解放されるのは死ぬときしかないだろう、カルマというときある人のカルマが重くある人のカルマは軽いとかもならないのかもしれない、なぜなら金持ちの家に生れて楽してもそれがいつまでつづくかわからない、ある時家が没落することも良くある、すると貧乏になると辛いことになる、もともと貧乏ならいいが金持ちから貧乏人になるのは辛いのである。
それが今貧乏人が増えたというとき中産階級が没落したとき言うときそれが起きているのである。物があふれているのにその物も買えないという餓鬼のような貧乏が起きている。戦後十年くらいは物そのものがない貧乏だったが物があふれていて買えない貧乏というのも辛いとなる、目の前にうまいものがいくらでもあるのに買えない食べられないというのも餓鬼地獄みたくなる

ともかくある時カルマを個人であれ家族であれ地域であれ国であれ清算するときがくる
その一つが大規模な戦争だったり何か国家的破産だったりする、日本だっていつまでも膨大な借金をかかえて成り立つのかとも言われるからだ。
何か借金でも積もり積もってどうにもならなくなり破産として清算される、その時国民は塗炭の苦しみを味わうのである。
借金している人はカルマにカルマを積みどうにもならなくり犯罪になったりするから怖いのである。国家的破産になるとこれも怖い、それは戦争にもるなからだ。
その突破口として戦争が選ばれるのである。
北朝鮮などが怖いのは破産したりするとミサイルを日本に打ち込んでくる、そういう非常に危ない国家である。近いか必ずそのとばっちりを受けるから怖いのである。
それは親戚に事業を失敗したとかなるとやはりとばっちりを受ける、何らか他者のとばっちりを受ける、それが怖いのである。それは国レベルでも同じなのである。

タグ:国のカルマ

2016年09月14日

秋の蝉(末期の目で見る自然ー自然な死を受け入れる)



秋の蝉(末期の目で見る自然ー自然な死を受け入れる)

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蝉一つ死して拾いぬ里の道

秋の蝉今年もここに鳴きにつつその声聞きつここに死になむ

夜をこめてしきり雨ふり虫の鳴く声のひびきつ朝明けむとす

白々と木槿の咲きて雨しとと今朝の静かに我死なむかな


我々人間は人間獣である為に動物的に死を怖れてゐる。所謂いはゆる生活力と云ふものは実は動物力の異名に過ぎない。僕も亦人間獣の一匹である。しかし食色にも倦あいた所を見ると、次第に動物力を失つてゐるであらう。僕の今住んでゐるのは氷のやうに透すみ渡つた、病的な神経の世界である

芥川龍之介の末期の眼というけど35歳で自殺した、その年で末期の眼とかあるのだろうかそれは無理をしたものである。ただ天才となると凡人にはわからないものがある
啄木の不思議は27歳であれだけのものを短歌を書けたのかということである。
それは老境のものだったのである。20代でそんなふうになるはずがないのだが結局死というものを明確に病気で感じたからそうなった。
だから若いから延々と死の未練を歌ったのである。やはり自然な死ではないからそうなった
ところが人間もやはり60代とか70代となるとだんだん死というのが自然なものになってゆく、

しかし食色にも倦あいた所を見ると、次第に動物力を失つてゐるであらう

このことが自然な死を受け入れる一番の要因になる、人間の命はやはり本能であり欲望があるからつづいている、それは個々人で差があるが欲望の強い人は老人になっても本能的な欲望は消えない、かえって熾火(おきび)のように燃えあがるのである。
だから週刊誌で老人の性の特集をしているのである。
人間の本能というか動物の本能でもそれだけ強いものであり簡単に消えないものである。人間はともかく快を執拗に追求しているのである。老人になるとかえって食にこだわる。こってりしたものは食べないにしても味にこだわる、これも快の追求なのである。
それが本能であり生きることだからである。まず誰も苦を求める人などいないのである。
ただ人間の自然な死はありうる、やはり人間の動物の本能が消えてゆくと自然な死にいたる。ただ人間の場合は本能というか動物的欲というかそういうものだけではない、様々な欲がある、名誉欲とか名声とか何かそういうものを求めるのが動物と違っている。

人間は老人になれば人によるが自然な死に向かう、すると末期の眼で自然を見るようになる、今回の短歌でも別に自分が今すぐ死ぬわけではないが何か死を受け入れて自然を見ているのである。別に病気でもないし死期が近いわけではないがやはりだんだん死に向かう心境になる。
だから死に場所を意識する、動物が象などが死に場所があり死ぬときそこに行くということはやはり本能的に死を意識するからだろう。猫も死ぬときは消えるとかいうのもそうかもしれない。だからそういうふうに人間は死期を迎え自然に死を受け入れて死んでゆくのがいいのである。

そうはいっても現代の問題は死というのがどうしても病気になると苦痛があり簡単に死ねない、そして延命治療などほどこすと最悪である。死にたいのに死なされないというのは最大の苦しみを与えることにもなるからだ。
だから自分の母親は百歳まで生きて何か苦痛もなく死んだから最後だけは望みがかなったのである。眠るように死にたいといつも言っていたからである。
百歳まで生きるとなると老衰だから苦しみがないのである。
人間はその前になんらかの病気になり死ぬのである。母は病気が死ぬまでなかったのである。

つまりもう60代は元気だけど70代以上になると高齢化でも死を意識するし死が身近なものになる、そこで死に場所が問題になるのである。
意外とこのことが見逃されている、死ぬのはどこでもいいとはならない、やはり長年なじんだ場所に死にたいとなる、故郷で死にたいともなる、それでこの辺は原発事故などで住めなくなり他に移り老人には酷だったということは確かである
そういうことを親に対して気づかう人もないだろう、親を故郷で死なせてやりたいと思う子供がいるだろうか?
それは別に原発事故がなくても親と子が離れて住んで最後は故郷ではなく子供のいる所で死ぬ人も多い、近くではそうだった、葬式のために一時もどってきたが子供の住んでいる所で死んだのである。その人も長年親しんだ故郷で死にたかったかもしれない、ただ別に故郷でなくても長年親しんだ所ならいい、それがたいがい相当な老人になり体が不自由になってから子供の所に引き取られるからその精神的負担が大きくなる

いづれにしろ自然な死を精神的には受け入れるようになる、でも肉体的にはそうはいかないのが問題なのである。死んでもいいなと思っても肉体が生きていれば生かそうとするのが現代だからである。そして家族を二人看取ったが簡単に人間は死なせることができない、延命治療だといっても認知症でも人間は馬鹿になったともいえない、人間として生きているし時々特に最後は正常になることがある。それが怖いと思った。
これも不思議な現象だった。人間が生を全うするというときそういうふうに最後までわからないことがあるからましてや他人の医者やその他の人で簡単にもう死んでもいいだろうともならないのである。社会的には延命治療など金がかかるからさせたくないということがあるが家族にするとそうでもないのが矛盾なのである。

とにかく自然な死を受け入れるばそんなに生に固執しなくなり死んでゆく
でもまだまだ自分がすぐ死ぬということではない、ただそういう心境になったということである。