2016年09月01日

塩の道の旧家で飯館村の現状を聞く


塩の道の旧家で飯館村の現状を聞く



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塩の道の旅館だったという旧家

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これだけ広い所に家が建つ

五人で分けた山.jpg


五人で所有しているという山、旧家の前のやまである。



夏から秋になる塩の道で九代つづく旧家の人がいたので話して飯館村がどうなっているのか聞いた。

「この家は古いんですか」
「九代目です」
「そんなに古いんですか、すごいですね」
「この前の土地は自分の土地です、今度ここに復興住宅が建つんですよ」
「こんなに広い土地に復興住宅が建つ、50件くらい建つのかな、鹿島区でも復興住宅が50軒くらい建った所がありますよ、ここもそのくらい広いみたいです」

そもそも飯館村については良くわからない、これだけの広い土地に人が住むとなるとそれはどういうことなのか?飯館村では千軒の家が取り壊されたとかテレビで写していた
途中で家が取り壊されて土台しかないところを見た

「家が壊されて何もないところ見たんですがもう帰ってこないでしょう」
「いや、あそこも新しい家が建ち帰るんですよ」
「ええ、帰ってくるんですか?」
「隣の家も直しているようですがここも帰るのかな」
「ここも帰りすますよ、アバートがあるけどまたアパートが建てている、あそこも自分の土地なんですよ、トラックや重機を置いてあるけどここも自分の土地だよ」
「ええ、そんなに土地がある」
「ここの前は田んぼで自分の土地だったんです」
「こんなに広い場所を整地した」

考えてみると飯館村はやはり若い人は帰らないし深刻だと思っていた。なにしろ小高などと比べると不便だからである。それが意外とそうでないみたいなのだ。家を壊したのは新しく建てるためだったのか?避難区域になったところでは楢葉の竜田駅前の家は壊していたが住むないと言っていた。新しく家を建てないのである。飯館では壊して新しい家を建てるのか?福島市に建てた人もいるが飯館村に古い家を壊して新しく建てるのか?その辺はもう一つのみこめなかった。

「自分の息子は保原にいますが帰ってきます」
「本当ですか」
「小高辺りでは帰らないみたいですけど・・・・」
「いいといなどは帰らないよ」
「あそこは離れているからか、でも結構家が多かったですが・・・」
「この草野には帰る人が多いよ」
「草野は幹線道路があることが強みなことはわかっていたが・・・」
「アグリのコーヒー軒パン屋も福島市に本店を建てて飯館に支店を開きますよ」
「ええ、そうですか、休む所がなくて困っていたんですが・・・」
「今でも結構帰って家に住んでいる人はいます」

これを聞いて意外だった、飯館村はみんな帰らないと思っていた。ここで生活するにも何をするのか菊地製作所はあったとしても農業がないとしたら何で生活するのだろう
だからここに復興住宅を広い土地に建てるということがわからない
おそらくここに集めた方が暮らしやすいためなのか

「まあん農業はやれないよ、牛をだめだよ、花栽培している家はある」
「花は放射能と関係ないですから、大内村辺りでも勧めているみたいです」
「ここは水がいいし涼しいからトルコキキョウなど有名だったんだよ、沖縄辺りまで出荷していたんだよ」
「それは聞いていましたが花栽培ならできる」

でも考えてみると花栽培だけで村の生活が成り立つというのも考えられなかった。

「道の駅があったけど売るものに困る、他から買って置くのもな」
「村でとれた特産品でも置かないと商売になられない」
「この前でソバ屋をやれと知っている人に言ったいるんだよ」
「この幹線道路には店があればそれなりに入る、ここに復興住宅が建てば食べる人もいる」

それにしてもこの広い土地の隣はソーラーバネルが並び回りは放射性物質に汚染されたフレコンバックと宿舎のプレハブである。一つあるコンビニには行列ができていた
除染関係の人でにぎわっている。

その家は塩の道にそってあった九代つづいた古い家なのである。

「ここが塩の道だったんだ」
「幹線道路は六号線のようにあとからできた」
「ここは旅館だったんです、塩の道の宿屋だったのか?」
「作見の井戸というのも有名ですからここが塩の道で古い道だった」
「この辺は古い家が多いよ、野馬追いに出る家も近くにいる、4騎くらい出ているよ」
「ええ、今も出ている、相馬藩として飯館村は江戸時代には出ていた」
「今でも出ていますよ」
「草野はやはり飯館村では古い所だから」

飯樋(いいとい)は離れているから帰らない、中心部から離れると不便になり帰らない、小高でも街内に復興住宅が建った、だから街内に集めると介護でもやりやすいし生活しやすい、あそこでも農業をすることはむずかしい。
飯館村はさらに農業することはむずかしい、放射能汚染が他より高いからである。
でもなんか飯館村の良さはまでいな生活として素朴な村という良さがあった。
ただ福島県でも最低の収入の村だったのである。

自分が飯館村で今度行って感じたのは栃窪村は実りがもどり古い碑でも何か全体が復興した感じになる、つまり田んぼがあり実りがあるときそれが一番復興したと感じる
それが飯館村には全くない、荒地であり農業も牛もいなくなったし菊地製作所があるだけでありこれが山の村なのかとなる
農業がない村が村なのかという疑問がある。そこに素朴なものはなくなる。
何か自然でも花でも樹でも飯館村は全体の雰囲気が来たとき違っていたのである。
ソバナの花が咲いていれば何かそういう自然の花が飯館村にはにあうし他では感じないものがここでは感じる、浜通りなどの市町村にはそういうことが感じない
飯館村には特別自然が純朴なものとして感じる不思議があった。
だから農業がなくなる飯館村はこれからどうなるのか、何か前の本来の飯館村が失われのではないかと思った。
第一その話を聞いた人は何か落胆したような感じではない、何かそんな雰囲気はない
子供も帰ってくるしあれだけの土地が売れたとすると補償金でも入ってきたしそれで前より金が入ってかえって余裕があるのかもしれない
もちろん福島市に家を建てた人もいるから相当な補償金が飯館村にも入ったのである。

「飯館村は合併しなくて良かった」
「南相馬市では合併して補償金でもめているからそういうことは言える」

飯館村は南相馬市として合併することも検討されていた。しかししなかったからこそ補償金でもめることはなかったのである。
要するに補償金の額が多いからそれで得している人も飯館村にも相当いるのかもしれないでもそれが現状を見るとき自分はこれが貧しくても素朴な飯館村なのか?
その良さが失われていないか?まずフレコンバックばかりの風景とかソーラーバネルでも景観を乱している、農業がないことがそうさせる
ソーラーパネル工場なのかともなる。そんな村で塩の道など偲べるかともなる

「飯館村は木材が昔から豊富だった、炭の材料として塩と交換した」
「あそこの山は五人で共有している山なんだ」
「あの山ですか」
「五人で共有しているから勝手にできない」
「昔から江戸時代から山は共有して勝手にできなかった」
「他にも山は個人ではもてない、みんな共有なんだよ」
「明治になって私有になった、それが山を破壊する原因にもなった」
「二枚橋の郵便局で大きな範囲で山をもっている」
「それは役所から払いさげられたもんかも、明治になってそういうことがあった」

山はもともと共有であり個人で勝手にできなかった、入会権があり山は共有であり個人では勝手にできないものだった。それが明治時代以降変わったのである。私有が認められるようなった、それで山が個人の所有として無数に分割されてしまったのである、
ただ五人の山だというときそれは明治以降に五人で山を分けた、隣の山も何人かで所有しているとかなると明治以降五人で分けて所有した。もともとは村全体のものだが三人であれ五人であれ分けてやがて個人所有になった。そして無数に個人所有に分割された。
木材をめぐって飯館村でも伊達藩とか争いがあった、木材は当時の燃料だから貴重だった

「この塩の道を通じて塩が運ばれ飯館から木材が運ばれた」
「この道を馬で運んだ、自分の家は旅館だった」
「そういえば他にも飯館には馬と人が泊まった家があった、ここもそうだったのかな」
「ここは旅館だったんだよ,そうかもしれないな」
「ここは塩の道なんだ、蔵を俺は直した、あの紋を見ろシダヤという屋号だった」
「立派な紋だ、太とあるからシダヤなのか」
「蔵も直さないとだめなんだよ」

ここの家はシダヤという旅館だった、屋号があり家紋があり9代つづく旧家である。
でも前の田んぼは売りそこに復興住宅が建つとここが新しい街のようになるだろう。
この変化も大きいし何か飯館村の素朴さが失われる、でも金は入ってくるから余裕であり得したと喜んでいるのかもしれない、何か暗い表情ではないのである。そこが意外だったのである。そして飯館村のまでいな生活とか独自のものが失われてゆく
そうなると飯館村の魅力を失われてゆくのかという疑問はもった。
つまり栃窪村のように田んぼに実りがもどったとき古い碑も生き村全体が復興したという感じをもったからである。
ここに復興住宅ができて街のようになってもどんな生活があるのか?
それも疑問である、何かその人たちが生活できるものがあるのかとなる、農業はないとしたら何で生活するのか?菊地製作所にしても人が減っているというからである。
なんかその人から聞いただけでは飯館村の現状はまだわかりにくかったのである。


posted by 天華 at 00:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年09月02日

市町村でも全体が喪失したことが深刻だった (復興には個々人ではなく全体が一致協力しないとできない)


市町村でも全体が喪失したことが深刻だった


(復興には個々人ではなく全体が一致協力しないとできない)


江戸時代と明治以降変わったのは何なのか?様々なものが変わったが資本主義が導入されて私的所有を認めたことである。それで入会権がなくなり山が少人数の所有になりやがて無数の個人に分割された。
もともと山林とか土地は個々に所有しても大地はつながり森もつながっているし海でも広くつながっているから私的に所有しても勝手にしにくいのである。ここからここまで自分のものだからどうしようと勝手だとはならない、回りに迷惑をかけるからである。
農業は自然を相手にするから特にそうなのである。
だから農業人口が80ハーセントとかなっている戦前でも江戸時代でも土地は自分だけのものではなく共有するものということが生活の中で認識されていた。
入会権はそういうことで自然に発生した権利だったのである。

今だから飯館村でももう農業をしないというとき、そこが荒地化している、放射性物質の土を入れたフレコンバッグが延々と積まれている、それで一時それが破れて流れだしたということが問題になった。
そして住民はもうここでは牛も飼えないし農業もできないから土地を売りたいと言う人もいた。除染をしても無駄だからやめて補償金を一億円くれという人もいた。
他で移り新しい生活を始めた方がいいという人もいるからでありこれも一理ある。
でもそこで見逃されているのが飯館村の一区画は私的に所有されているのだからその個人の勝手にしていいのだという論理である。
ではそうした荒地は何の役にもたたないから放射性廃棄物の処理場にしようとかなり国で買い上げるようになるかもしれない、するとその影響が飯館村でもまわりと全体でつながっているからもしなんらかの事故があったり何かでそれが流れだして南相馬市にも影響する、真野ダムには回りから流れだした放射性物質が泥にたまっている
それが下流に流れだしてくるのである。

そういうことは原発を建てる時でもこれだけ広範囲に影響したとなるとなぜ双葉や大熊とかの一部の是非で原発が建てられたのかとなる。少なくても影響が30キロ圏内の合意がないと決められないものだったのである。
それ以上に福島市や二本松市、郡山市までの広範囲な地域の合意も必要だったのが原発だったのである。
海だって汚染されたから広範囲になる。原発が金になるからと一地域だけで決めるものではなかった。

こういうふうに自然は広く全体としてつながっている、人間は国境で自然を分断したけど自然はそもそも分断できないものなである。空でも海でも陸地でも川でも全体とてしてつながっていて分断できない、それで環境問題になると国を越えて協力せざるをえない、そうしなければ解決しないのである。
そして復興というとき何か問題になったのか?様々あるが深刻だったのは全体を失われたことなのである。一部ではない、一個人とか一農家が失われたのでない、町全体とか村全体が失われたそのことが深刻だったのである。一農家でも一個人の家でも欠落しても全体で補うことができる、でも全体が失われたら補うことはできなくなった。

現実の実生活でもそうだが自分のような外部から見るものでも復興というとき全体が復興することが復興だと認識した。
ようやく初秋となり実りそめた田んぼを栃窪村で見たときああ復興したなと感じた
そして古い碑がありたいがいそれらは豊作を祈るものとしてあった。社もそうである。

「今年はこの辺もようやく田んぼが実りで黄金色に輝きはじめたな」
「ああ、なんかうれしいな、元の村にもどったな」
「そうなると俺たちも活きてくるよな」
「村人みんなが豊作のために建ててくれたんだから」
「荒地になっていたら俺たちもただの石くれにすぎなくなっていた」
「そういうことだ、田んぼに実りがあって俺たちも生きていたんだよ」

こんなことを古い碑は言っていたとかなる

飯館村などは全体が荒地化しているから全体が死んでしまっている、確かに補償金でうるおって個々人ではかえって得したと感じている人も避難区域には実際は多いのである。
ただ補償金できるだけ個々人もらうことに懸命になる。
でも不思議なのは全体の市町村を見て復興させようとする人はまれなのである。
日々の生活のなかでも全体を見ている全体のために働いている人はいない、会社に勤めていれば会社に尽くして月給高くしてもらいたいと考える、市町村全体を見て良くしようとする人はまれでありそれよりそうした大きな全体は意識しにくいのである。
家のために尽くそうというのはわかりやすいけど市町村のためとなると意識しにくいからである。そういうふうに全体を意識をすることができないことが人間の盲点なのである。だから国とかなるとますます意識しにくい、戦後は特にそうであり民主主義はただ個々人のあくなき利益の追求になったのである。戦前は過剰に国というものを意識していたから全体を意識したが戦後は反動として個々人のエゴがむきだしになる社会になったのである

全体というとき景観問題でもそうである。景観は全体だから日頃意識しない、でも一部が自分が指摘したが土をとるために近くの森が切られて土がむき出しになったときいつも近くで見るから嫌だなと意識する、山でも一部がはげ山になっているとそこを集中的に意識するのである。景観を乱していることを意識する、景観は全体だからそこで一個人の所有になっている森であり山なのだから勝手にしていいとなっているが全体から見ると個人の勝手にしていいのかとなるのだ。
今回の津波で原発事故でも深刻だったのはこうして全体を失ったことなのである。
津波では村でも町自体が喪失した、何もなくなったのだから驚きである。
津波の被害地で商売はじめようとしたが誰も買うものがいないとなりはじめることができない、飯館村でも商売はじめるにも買ってくれる人やお客さんが来るのかとということでなかなかはじめられないのである。
補償金問題でも自分さえ補償金をもらえばいいとは考える、でも全体を市町村の全体を復興させようとする意識が少ない、だからもう全体が喪失したとき若い人でももう復興はできないと外に流出する、補償金もらって外でやり直した方がいいとなったのである。
個々人を考えればそうなる、でもそうなったら全体が喪失したのだから全体でもって全体を復興させようとする意識がないととても全体の復興はできない
それが個々人で分離してまとまらずできるだけ補償金を個々人でももらうことだけが優先されているのである。それは全体ではなく個々人の利益を求めてきたのが入会権でもわかるようにそういう社会に明治以降なったからだともなる


それで十津川部落では水害で村全体が失われたが村全員が一致して北海道に新天地を求めて復興したのである。それは村人全員が一致して復興に立ち向かったからできたのである

(移住住民は、故郷を去り、親や兄弟と別れ、絶海の地に移住してきて、移住者同士しか頼れるものはいないのだから、これまでにも増して一致団結し、お互いに助け合い、猜疑や軋轢を生むことなく、新村の隆盛と勤王の由緒相続を目指そう。)

(恩賜金及び、旧郷から受け継いだ共有金は、新村の基本財産となし、いかなる場合においてもこれを各自に分割して消費すべきものではない。但し、新村の共有財産の保護策が確立されるまでは、道庁に保護を依頼するものとする。)

恩賜金及び、旧郷から受け継いだ共有金は、新村の基本財産となし、いかなる場合においてもこれを各自に分割して消費すべきものではない。

ここでは財産自体が援助金でも共有であり個々人が勝手にできないものだった。
この辺はこれと全く逆なのである。補償金はやるから個々人は勝手に使い、村でも町でも出ていくのも自由だ、財産は個々人に分割されたから村も町も全体を維持できなくなったのである。時代といえばそれまでだがそのためにこういう時には復興できないということになったのである。ただ放射能問題があるから違うともなりさらに復興をできなものとしたのである。




タグ:復興とは
posted by 天華 at 10:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

福島市から来た退職したボランティアと話する (道路公団に勤めた人で道路に詳しかった)


福島市から来た退職したボランティアと話する


(道路公団に勤めた人で道路に詳しかった)


なぜその人が新田川の橋のところで鉄くずのようなものを磁石で拾って歩いていたのか不思議だったので聞いてみた。
そしたらその人は道路公団に勤めていて道に鉄くず落ちていると危ないとういこともあり拾っていた。石なども危ない場合もある。自転車では歩道だと石が危険なことは感じていた。
それでその人は道路に詳しいからソーラーパネルを高速道路の側面に設置すればいいと言っていた。なぜなら電源も高速には通っているから便利であり山と森とか平地でも田んぼなどに設置すると自然破壊になるからいいとも言っていた。
それもそうなのかなと高速のことは知らないし車がないから高速道路についてもわからない。その人がそういうことを具体的に提案できるのは道路公団に勤めていたからである。その人は退職した人で全国をボランティアで回わっている人だった
なんか退職すると暇になるからそういう人もでてくる。何か生きがいを見いだすためにしている人も増えている

その人が盛んに言っていたことは原町から福島市までてあれトンネルを通して高速を作ればいいという、トンネルは土地の買収などめんどうなことがないからいいとか盛んに言っていた。日本はそもそも山が多いからトンネル技術が発達した。
素人からするとトンネルは工事も大変でコストがかかるかと思ったがトンネルは道路を作るのにも意外と日本ではいい方法なのである。
東京辺りも家が密集していても地下に道路を造ればいい、そこでリニアカーのことをしきりに言う、リニアは地下を通るからかえっていいという
地上だとかえって土地の買収であれ電源の設備であれ電柱であれめんどうなのだという。リニアカーで福島県の南相馬市からでも新潟まで通せば近くなる

福島県は地理的に一体感がもてない、福島市でも阿武隈高原でさえぎられて福島市に行くことは不便である。会津も不便であり東京に行くより遠いのである。
その人の人生を語ると興味深かったのは親がバス会社の関係で一時津島に住んでいたことがあったという。浪江の津島というと辺鄙な所である。

「津島には歯医者があったんですよ」
「ええ、歯医者があんなところにあった、飯館村にも歯医者などなかった」
「それは戦争中そこに東京から疎開してきた人は歯医者を開いたんですよ
の息子が今でも福島市で歯医者をしていますよ」
「疎開といえば良く語られています、津島のような辺鄙な所にも疎開に来た人がいた」

これも何かその人の人生を語っていて興味深いものがあった。津島は開墾する一団が入りその人たちは結束が強いということをテレビで写していた。
戦後は引揚者が多くいたるところに開墾に入ったのである。それが全国にあり元からあった古い村民とまじっているから古い家だと思っても新しい家だったりする。
ともかく疎開というのは一つの歴史となっている

その人は福島高校を出て法政大学を出た、それで福島市長と同級だとかいろいろなことを知っている、飯館村の菅野村長は福島高校の出で北海道の畜産大学を出たという、南相馬市の桜井市長も畜産大学である。牛とか農業関係には詳しいとなるから地方の市長には村長には向いているとなる。
内堀知事のことも知っていて

「あの人は東京の出で東京大学の経済学部なんですよ」
「東大の人が官僚には多い」
「でも経済学部出は法学部からすると劣るんですよ」
「そういえば東大閥は司法を支配しているからか」
「経済学部は法学部からするとそうした権益はないからか」
「福島高校では法政大学出ということで恥だとも言うんですよ」
「ええ、法政大学出なら六大学で立派じゃないですか」
「そうでないから嫌なんですよ」
「福島高校となると福島県は一二を争う高校だからなのか」
「自分などは六大学の下の大学で経済学部だけど全然勉強していませんから」

こんな話になった、同世代らしいから話があう。この辺で原町高校が有名だけど東大に十年に一人しかはいらないとか東北大に数人入ればいいとかなっている
福島高校では東大に2016年で5人も入っている。福島県では相当なレベルである。
他でもレベルの高い大学が多い、法政大学まではここには出ていたがその下の大学はでていない。

東京大学

福島高校  5名
安積高校   3名
会津高校  1名

東北大学

福島高校  41名
安積高校  40名
会津高校  10名
磐城高校    8名
安積黎明高校  7名
白河高校    7名   
会津学鳳高校  7名
いわき秀英   4名

原町高校は平成27年度では東北大学にも一人も合格していなのである。福島高校は県下一なことが明確である。だからこそ法政大学では恥だとされたのもわかる。
驚くのは福島高校で東北大学に41名合格していることである。これでも福島高校がいかに進学高校かわかる。原町高校には一人もいないのである。
やはり都会には優秀な人が集まるということはいえる。相馬地方では人口も少ないからそういう優秀な人はでてこない、ただ人間は学歴では判断できない、社会的に活躍しているかどうかで決まる、まず芸術家などとなると全く学歴などと関係ないからである。
だから学歴で何高校だとか大学だとかで判断できない、特に文系になったら大学はほとんど関係ない、理系は関係あっても文系は何大学出ようが関係ない
ただ遊びであり文系は独学なのである。大学四年間はただ遊びなのが多いのである。
理系は大学が目安になるが文系は東大出てもそれほど差がないのである。
ただ東大の法学部となると司法の学閥となり日本の司法関係を支配するので特別だとなっていた。それはまた社会をゆがめるものとしても作用することも言われる
官僚に東大の学閥を形成するのは社会にとっていいとは言えないのである。


学歴にこだわる人は多い、そんなもの社会に出てからこだわってもどうかなと思う。
経営者に向いているのはかえって底辺大学卒だとかそういう人がかえって向いているということを言っているのも面白い、まず学歴とか学問とか経営者になることとは関係ないのである。理系にしても技術者としては優秀でも経営の世界は全く別な世界なのである。
それで理系の一級の免許をもっていた人が経営者になったとき失敗した。
経営能力がなかったのである。だから社会に出てからの能力は学歴とは関係ないのである中卒でも経営者になれると言っていた。経営者になる能力は学歴が学問とは関係ないのである。むしろそういうものが邪魔になる場合がある

ただ何大学をでたとか結構最後まで人間の評価として見る人がいる、看護婦が自分は一流大学を出たということを自慢している人がいて嫌になったという。
学歴信仰というのが戦後にあった、それで受験戦争になった。それが団塊の世代からはじまっていた。自分も受験競争で暗記ばかりして勉強が嫌になった。
だから高校では卒業できないほどであった。それは何かほとんど高校では無能化していた理系が嫌いなことも影響していたし性格的にわがままであり集団生活にとけこめないこともあった。だからなんか学校は今でも嫌いなのである。
結局自分はその後の人生は全く自由に生きられた人生になったので良かったのである。
会社勤めも自分にはできない、この年まで自由気ままに生きてきたのである。
ただそのために社会性が欠落して介護十年でプログに書いてきたように辛酸をなめたのである。

確かに福島高校というとき法政大学出となるとかなり劣ってしまうのはわかる。
でもその人は学歴にこだわるからである。その後の人生は学歴と関係ないからである。
その人はいろいろな話をする、ずいぶん道路脇で話した。
福島市は公務員が多いから新しい店が少ないとかも言っていた。そんなことがあるのか、福島市は大きいからそんなことはないとも思った。ただ県庁があり公務員が多いからそういう進取の気性に欠けてくるのかもしれない。
公務員が多いということは保守的になるからだ。
福島県の中心は郡山市だとも言うのもわかる。会津にもいわきにも通じている交通の要所だからである。
その人は二本松市の出身だった。ただ歴史的に知識には欠けていたので自分が歴史について語った。相馬藩の歴史についても語った。
その人は震災まもなく半年ほどボランティアにきていてこの土地に詳しくなっていたのである。だから相馬のことについて詳しいのである。

なんか原発のことは反対で原発のある所を回っている、ボランティアとして方々回っている、それが退職してからの仕事となっていたのである。
相馬には福島県だからそれだけ長くいたのである。なんか道路のことでもソーラーパネルのことでも実際に役所の人とか政治家にも提案している
何か積極的なボランティアなのである。若い人でないから同世代だとなると一つの人生の歴史を持っているのが他の人でもあるから話があう。
何か一人の人間のたどった人生が歴史となっているのが60代以上の人なのである。
すでに人生をふりかえる世代になっているのである。
だからこの年の世代の人と語ることは昔をふりかえり昔を生きたこと歴史ともなることに共感することなのである。

その人は道の駅で移住相談している人はお役所仕事で熱心ではないという、それで民宿を前からしていたように若い人でも泊めてここの現状を知ってもらうことがいいとか言っていた。だんだんこの辺のことも忘れられるからそういうことをしてこの土地のこと原発事故のことを忘れさせない努力をすべきだとも言っていた。
それも確かに言えることだが何か民宿にしても食事を出すとかなると一人ではできないしめんどうである。確かにそういうことをしていた人はいる。
でも人を泊めるとなるとめんどうである。ただこの辺のことを具体的に知ってもらうには有効である。
その人はボランティアでもずいぶん積極的な人だと思った。若い人が多いがあのように年配の人もいたのである。
若い人とは話があわないが同世代だと話があうので長く話したのである。

この辺は外部から来ている人が未だにいる、それでもなかなか話をすることはできないがこの人はそういう積極的なボランティアであり同世代で話があったので長く話したのである。ずいぶんここに長くいたからこの土地に詳しいことも話を合わすことができたのである。
自分は遠い人でもたいがいその地を踏んでいるから話を合わすことができる
でも福島市の住んでいるとなると選挙区も同じなのだから身近なのである。
ここから出ている衆議院議員の亀岡とかも何か身近に知った存在である。
福島市の人とこんなに話したことはないが相馬は福島市と同じ選挙区なのである。
でも福島市は阿武隈高原にさえぎられて遠い感じなのである。
むしろ相馬は仙台を常に身近に感じられるし具体的に交流も仙台が多いのである。
中通りでも福島市でも二本松でも郡山市でも遠い感じになるのが相馬なのである。
そういう地理的に一体感を感じなかったが皮肉なことに原発事故で中通りも被害にあって一体感を感じたというのも奇妙だとなる。
ともかくいろんな人と直接話をすると何か具体的に見えてくるものがある。
話す相手にもよるがやはり若い人より60代以上とかなると一つの人生を生きて歴史をもつから興味深いとなる




posted by 天華 at 22:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年09月03日

野馬追いの旗印の由来 (井形と升形の紋ー原町区の古い農家をたずねて探る)


野馬追いの旗印の由来


(井形と升形の紋ー原町区の古い農家をたずねて探る)


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手作りの椅子と机
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古い道

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馬を供養した馬頭観音
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 井戸の地上に出ている部分、あるいはその木組みを井筒、あるいは井桁と呼んでいる。井戸は水をたたえた大切な場所であり、汚してはいけないところであった。つまり、生活に欠かせないことから、家紋として用いられるようになったと考えられる。また、「井」という字の単純明快なことも武家の紋にふさわしかったのであろう。

野馬追いの旗の由来は家紋にある,井戸から由来する紋だからわかりやすい。昔は井戸は生活の中心としてあったからだ。井上という姓も多いのもそのためである。
南相馬市の原町区で六号線の入り口の道を行くと蔵の紋を見たらこの井桁である。
それで畑があり女性がいたので聞いてみた。


「ここの蔵を見たんですが古い家ですか」
「ええ、私は嫁いできたのですが古い家です」
「蔵の紋を見たんですがあれは何か野馬追いの旗で見たことあります」
「ええ、前は野馬追いにも出たことあるようです」
「そうですか、やはりここは古い家だった、ここに馬頭観音とあるのが気になっていたのですが何か由来がありますか」
「昔馬を飼っていたのですがそれが火事になって馬が死んだそうでそれを供養するために建てたんです」
「それは道にそってあるものではなかったからこの家で供養したものだった」
「古い道はこっちにあるんです」
「ええ、ここが古い道だったんですか」

そこは下高平村の領域であったみたいだ。原町の歴史は江戸時代は陸前浜街道であり雲雀が原は野馬追いのための馬が放牧していた広い原だった。そこから原町の名にもなっている。雲雀が原は今は小さいが昔はその十倍があり野馬土手があり馬が逃げられないようにしていた。だから原町中心部には古い農家はない、この辺は野馬土手の外の領域だったのか?
原町駅から街が発展して次に六号線から街が発展して六号線側に5年前くらいか道の駅ができたのである。原町村というのがありそこからは野馬追いに一騎出ていた。
原町村は小さな村だったのである。そもそも相馬藩の野馬追いには郷士が出るのであり農民であり侍であった。城勤めの侍は少なかったのである。
今でも野馬追いに出るのは相馬市内でも町内とか原町市内から出ないのである。
ここはもともと今の街内とは違う、広い畑や田んぼがある地域だったのである。
原町というとき自転車でしょっちゅう行っているがこの蔵に気づかなかった。
ここが古い農家らしいとは見ていたがやはり古い農家だった、ただ街が発展してい家が増えたから見逃しやすかったのである。何か近くで歴史でも新しいものでもわからないものが未だにあるのだ、この井形の紋は多いから野馬追いの旗にもある。

蔵の中を見たら中のものはかたづけてなにもない、古い椅子と机があった。それは手作りであり昔のものは同じものがない、大量生産でないからそうなっている。
何か一つ一つに個性があり味わいがあるのが昔の物なのである。
今の物はみんな大量生産だから何か人間味というか味わいがない、職人の技も活かされていないのである。機械で版を押したように同じをものを大量に作り出しているだけなのである。昔のものは一つ一つ職人がていねいに時間をかけて作っていたから味わいがある。そこに豊かさがありかえって今になると見直されるのである。
つまり文化とは大量に同じものを作るところにはない、個性がなければ物でも地域でも文化ではないのである。

ともかく郷土史というとき古い家とか古い村を知ることである。どこが古いか新しいのかわからなくなるときがあるからだ。蔵がある家は古い家なことはわかった。
街内でも農家があるところは古いのである。原町というと広いからなかなかわかりにくいのである。石神の農家では紙漉きしていた家に嫁いだ人もいる。
原町の領域は広いから郷土史と知るとなると地理的にわかりにくくなる。
とにかくすでに二代くらいの家でも必ず歴史があり物語がある
それは自分の家のことについても書いたがある。
ここの家の歴史は物語は馬頭観音があって飼っていた馬が火事で死んだということであるするとそこから馬のことをイメージするのである。ここに飼われていた馬が死んだのだなとなる、昔は必ず農耕馬として馬を飼っていた、この辺では野馬追いのためにも飼っていた。馬とは深くかかわる場所なのである。

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もう一つの紋として井形とにていたのが升形の紋である。この紋も野馬追いの旗印に多いこれは升形は益すということで縁起をかついだ紋であり旗印である
ますます増えるとは升のことだったのである。この紋も野馬追いの旗印に多い
だからといってそこからその由来をたどりどういうふうにもたらされたのかはわからない姓を見てもわからない、姓と紋とか旗印は一致しない場合も多いからだ。
ともかくこの升形の紋もシンプルであり旗印に多い、その一つの原型からいろいろに紋は変化している、それは野馬追いの旗印でもそうである。
ただ同一系統の旗として認識しておく必要がある。

蔵の紋井形にあれやこの家に古道も残り庭の石古る

古道というとき都路に古道という地名があるごとく古い道であり歴史の道なのである。
道も原町辺りだと変わってしまったということである。古い道がありそこが栄えたが
街も変わり忘れられてしまうのである。




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2016年09月04日

物が残っても物語(hi-story)がないと物も活きてこ (原町の馬頭観音の碑の物語でわかったこと)



物が残っても物語(hi-story)がないと物も活きてこ


(原町の馬頭観音の碑の物語でわかったこと)

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この農家の庭の畑になぜ馬頭観音の碑があるのか不思議だ。普通は道に面して建てられるのだがこれは畑に一つだけ立てられた。やはりここが古い昔の道で馬を使っていたから供養に置いたのだろうか?これはこの農家で建てた馬頭観世音の碑なのか?ここは原町の街のすぐ近くである。やはり昔の道であるからここに建てられたのか変わった処にあったので注目した

この疑問はやはり正しかった。道に沿って普通は馬頭観音があるのが多い。
ここは畑にあったからこの家の人が何かあって建てた
実際にその家の人にたまたま畑仕事していたので聞いてわかった
火事があって飼っていた馬が焼死したので供養に建てたというのである。
つくづくそうだったのかと思う、普通だったら何の変哲もないし注目もしないだろう
でもそういうものに何か知らない歴史が埋もれている

つまり物は物語でありただそこに物があってもそれは何の意味もないとまでなる
物にはなにかしら物語が残されているのだ。なぜなら人が死んだら人は灰となり煙となり何も残らないからだ。ただ物は残っているしその残されたものからその人をしのぶであるここでは馬が死んだということを偲ぶのである。
その当時は農家では馬を飼う人が多かったし農耕馬でもあった。
この辺では野馬追いに出る馬も今も飼っているからそういうこともあったろう。
この辺は馬と因縁深い土地なのである。
曲屋なども他ではありそこで馬を飼っていたのである。
馬と娘が結婚したとか何かそういう伝説も馬が家族と一緒のようにして暮らしていたからである。

それが今では犬とか猫になり犬猫の墓がどこにでもあるのとにている。
今になるとあまり馬のことなど具体的にイメージできない、競馬している人くらいだろうでもその馬はギャンブルの対象なのだから昔のように人間的情愛で結ばれる馬とは違っている。
馬は機械ではないし生き物だからやはりペットと同じように人間の情愛の対象となる
何かギャンブルの対象だけになっている馬というのは不自然でありかわいそうだともなるただそうはいっても戦争に使われて死んだ馬も無数にあるからいちがいには言えない
スピルバーグ監督の「戦火の馬」はそういう馬をテーマにした映画である。
最後は狂ったように馬が戦場を駆け抜けてゆくシーンが心に残った。
馬も戦争に使われることに抵抗したという映画だった。
馬に関する物語はいくらでもある。ただ馬より人間が中心になり馬を主人公のようにはしないからこの映画は違っていた。
この辺は野馬追いがあり馬と今でも親密な関係を結んでいる
ただ馬が車に変わったのは戦後であり戦争中で盛んに馬が使われていて天皇陛下も馬に乗っていたし南京とか入場するにも馬である。
この時まで馬は普通に使われていたし馬を飼うことが兵隊の仕事だったのである。
だから今でも戦争で死んだ馬を供養する碑はあるが少ない、馬頭観世音は荷馬とか農耕馬として使われたものを供養したものだからである。

ともかく何かそうした一つの碑でも忘れられて何かわからなくなるのは結局そこにまつわる物語がわからないからである。
何かしらそうしして残された碑でも物でも物語があるのだがそれがわからなくなる
自分の母の実家の墓には25歳で死んだ人がいた。結核で死んだのでその話を母から聞かされている、戒名がないことはキリスト教に入ったためだった
何か苦しくて救いを求めたのだろう。この人も生きたかったろうと思う
また若くして死んだとなると戦死した人たちもそうである。それは墓に無念を刻んでいるのである。
別に有名な人ではなくてもそういう物語は無数にあるのだがなかなか物が残っていてもそれを実感しにくいのである。

自分の家でガラスケースにお菓子を入れてバラ売りしていた、母は毎日ご飯粒をつぶして糊にして新聞紙で袋を作り売っていた、暇なく働いていた、それはいい思い出と悪い思い出が重なっている、日曜日も休まず働いていたばかり家族での楽しい思い出がないからである。貧乏な時代だからしょうがないとしても働くことしかない人生も嫌だなとつくづく思った。食事もゆっくり満足に家族でできないのだから嫌だった。
ただそのカルマなのか母の介護で今も自分で食事を用意しなくならなくなり暇なく買い物だとか食事の容易だとか介護が終わったあとにも家事に追われているのが自分なのである
この辺は相馬野馬追いが有名でありするとどうしても馬と人間のかかわりを考える
ただ野馬追いとなると戦闘に使う馬となるがそこにもやはり馬と人間の物語がある
そういう物語が相馬藩では六万石であり少ない、会津だと30万石となると明治維新でも映画になるように物語があり注目されるのである。

でも何かそういう物語とか歴史はどんな家にもあるし二代くらいでもすでにそうした物語があれ歴史がある。そして必ず家々に不幸があり悲劇がある。
それはどこでもまねがれないものである、なぜなら人間は病気になるし死ぬからである。死自体が悲劇だからである。自分の家族も三人死んだけど悲劇だった。
ただ母は不幸な人でも死ぬときは何か楽だった、百歳で老衰のようにさほど苦しまなくて死んだからである。
いつも眠るように死にたいと言っていてそれだけは願いがかなったのである。
それで死顔をインターネットに出したがそれを見ている人が相当数いる、まだ死に顔をデジカメでとったとしてもインターネットに公開しているのはまれである。
とても出せない悲惨な状態のものも多いと思うからである。
ここの家の悲劇は馬が焼死したということでありそれが馬頭観音として供養され残っていたことなのである。

タグ:馬頭観音
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2016年09月05日

images of venice


images of venice


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cool hidden place

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ベニスは絵になりやすい、あのような都市は世界では本当にめずらしいだろう
海に浮かんだ都市である、それが現実にあるといことが違うのである
今ではなく歴史の街としてあることが違うのである。
だから架空の都市ではない、歴史的現実の街として今でもあることなのである

Such a city where こ Venice is easy to be attractive is the world, and it which is the city that floated in the sea which will be really rare is different in there being it as a town of the history not now when I ask it and am different in a thing in the reality.
Therefore, please input the sentence that  wants to translate now as a town of the historic reality that is not an aerial city
タグ:VENICE

なぜブラックな職業が多いのか? (社会自体がブラックだから)


なぜブラックな職業が多いのか?


(社会自体がブラックだから)


葬儀屋 僧侶 

人の不幸を喜ぶい卑しいお仕事です

カルト宗教団体

人の不幸が商売の種

風俗業

手っとり早い女性の稼ぎ場 金のため魂まで売る職業

ギャンブル(パチンコ屋など)

趣味も何もない暇つぶしの場の提供
でもギャンブル場だから身を滅ぼす人も

政治家

利権のブローカー

弁護士

ヤクザの示談屋とにている
最近は数が増えたので人気がない

医療関係

弱者となる病人相手
弱みにつけこむ商売
いらない薬やいらない手術でもうける

福祉関係(介護など)

弱者を相手にしぼりとる
弱者相手の職業だから人間のあくどさが一番現れる

銀行や証券会社

銀行は汚い消費者金融などに出資してもうけている
弱者には金は貸さないし冷たい
証券会社はマネーゲームでもうける
他人の金を利用して損しない、銀行も同じ

官僚、公務員

税金にたかる無駄使いが多い、天下り先のため大企業と結託

公明党共産党員

貧困ビジネス、弱者を相手に幹部が上前をはねて贅沢をする

学者、知識人

現体制擁護で富裕層につく、御用学者で得する

マスコミ

会社の宣伝機関、正義を装う、愚かな大衆操作の機関

皇室

権力に祭りあげられて利用される無能な人形

大企業(トヨタなど)

労働者は奴隷、派遣は一時期の部品
いらなくなれば容赦なく切り捨て
経団連は日本を牛耳る

軍隊

人を殺すのを生業とする職業

警察

権力を傘にして威張る組織
富裕層や権力側につく団体
弱者は無視

検察

正義の味方を装い権力側につく、大企業や大組織は罰しない
東電の幹部を見ればわかる、あれだけの事故でも罰せられない
百円盗んでも刑務所に入れられるのに

農協

政府から補助金をしぼりとる団体
農民もまたブラックなのか?

不動産屋

土地で暴利をむさぼること

建築関係

除染関係でも一人十万出しても一万しか労働者に払わない
ピンハネ団体

コンビニ

会社の正社員が店主や店員を搾取するシステム

暴力団

悪が支配することを標榜する正直な団体



そもそもブラックというとき自分が問題にしているのはモラルの面である。この世を見ればどんな職業でもブラックなものが大半になる。
一見まともだと見えるのもブラックである。もちろん全部がブラックとなはらないが表と裏がある。職業には何かしらブラックなものがある。
だから職業とは業でありカルマであり職業につかないことがこの世の悪に染まらないために出家した、世俗とたちきって修行に励んだのがもともと仏教の教えであり実践されたが今では戒名とかでもうけるあくどいブラックになったのが寺とかである。

第一この世で清く正しく生きることなど不可能にある。なぜならこれだけ社会がブラックだとなるとブラックに染まらざるを得ないだろう。いくら自分はそうならないとしてもそのブラック社会では困難を究める、だからこそ出家する世俗から離れることになった。
世俗から離れるといってもまたカトリックでも仏教でもそこもブラックになってくる
それが宗教の歴史でもあった。ブラックになる、悪の力がそれだけこの世では強いということを証明しているのである。
なぜなら今でも一番ブラックなのが宗教団体だからである。宗教を標榜しているからにはブラックでありえないと思っていても全く逆でありそこは真っ黒なのである。
そのことからしてこの世がどういうところか自ずと判明する

だいだいこの世でブラックでないものを探すこと自体むずかしい、そもそも何かしら罪を犯していない人間はいない、それは刑罰を受ける受けないの問題ではない、心の中で悪意をもったときすでに心に罪を犯しているとしたら人間は必ず悪意をもつからそんな人は一人もいないとなる、そんな人がいたら神だとなってしまう。
悪意というとき自然の驚きはそうした悪意をもっていない、花を見ればわかるように全く悪意はないてのである。
心であの人が憎い殺したいとまで思うときすでに殺人に向かっている
借金した人が金がどうしても欲しいとなり自分が病気になったとき脅迫してきたときその人は殺人者になっていたのである。でもそういう人も善人で通っているのがこの世である殺人を犯さない限り自分は善人だと思っているのがこの世なのである。
お前は悪人だということを意識できないのである。だから別に悪いことをしないのに優れた宗教者は自分は最大の悪人だとしていることでもわかる。
それだけ自分の罪を意識できるからかえって優れているとなるのだ。
自分も反省すれば悪人だとなるがそれでもいくらそうしたとしても深刻度がそれほどないのである。
本当に悪人だと意識できることはよほどモラル感のある人でないといない、そういう人は本当にまれである。だからこの世はほとんど善人だと思っているのである。

人間はなんらか生活するためには職業につかねばならない、ではこれだけブラックな職業が多いときブラックにならざるをえない。
ただ変なのは例えばトヨタでも大企業でも派遣などを安く使って使い捨てだけどそうさせる上のものは幹部であれ正社員ですらそういう派遣がいて会社も成り立つとき搾取しているからブラックになる、派遣とか下で働く人は苦しいけどブラックな人とは言えないのである。
建築関係でも毎日暑いのに家を建てるために働いている、その人たちが別にブラックな訳ではない、ブラックになるのは建築関係の会社だったら事業をとるために政治家にワイロを贈るとかしたらブラックになる。それは上の人のすることであり下で働く人はブラックとは言えない
ただ東電では幹部がブラックになったが普通の社員はその責任がさほど問われない、月給も下がるわけではないしボーナスも普通にもらっている、それで東電の社員はずるいという人もいる。

大きな利益があり地位ある人は責任があり収入も多いからブラックになりやすい。
その下で働く人は給料も安いからその労働はきついとしてもブラックにはなっていないのである。
だから「悲しむ人は幸いである」というときそういうふうに下で働く人は悲しむ人が多、でもブラックにはなっていないということなのかともなる
そういう下々の人はかえって心を清く保てるからキリストがそういう人たちは天国に入るとされたのである。

つまり一見この世で得している人たちは天国には入れないとなる、この世でこのブラックな社会でお前たちは十分に利益を得た、それは下々の人々の汗から生れたものでありあなたたちはそれ故に富を築いたから天国に入れないともなる
「卑いものが高くされ高い者が低くされる」となる
現実にブラックでないものを探すこと自体むずかしいからである。
どっちかというと理系的な職人的な仕事はブラックになりにくい、でも下々のものにしてもブラックではないかというそうでもない、農民だって今は補助金をもらったりしているから国の税金にたかるものだとかされる
この世に生きている限りなにかしらブラックになっている
意識せずにそうなっている場合もある。
生活保護者はずるいとかブラックだとかも言われる、そういう人もかなりいるからそう言われる
ただ一般的には権力をもっているもの金をもっているものはブラックの度合いが強いのである。下々のものはただそういう地位につけないからブラックにならないということは言える、人間は権力をもつとそのあくどさが露骨に現れるからである。

この世とはもともと天使が住んでいた、人間は天使でありこの世は天国だった、それがなぜかその天使かサタンになってしまったのである。もともと天使だったものが堕落して墜落してサタンになった。
だからこの世の魅力に負けてサタンになったのが人間なのである。
そうなれば当然この世がブラックになっているのは当然だとなる。
結局人間は金の魅力に勝てないというときもそうである。金のために魂をサタンに売り渡しているのだ。それは人間の欲から生れているからだ。
いくら宗教家を装ってもそれは偽善であり結局私利私欲を宗教を利用して追求しているだけだとなる、弁護士だって正義の味方のようでも私利私欲の追求になってしまう。
そうしなければ弁護士事務所も経営できないとなっているし医療福祉関係でも利益第一になるからブラックになってくる

この世になぜ自然の美が映えないのか?それはこのように職業でもブラックになっている
闇でおおわれている。こういう人間社会に自然の美は映えない、自然の美は天国で罪なき世界で本来の美を発揮する、それは飯館村で感じる草深い何か咲く花とにている
それはこの辺の街では感じないものである。だから何かいつもその不思議さを感じていたのである。ただ原発事故の汚染で変わってしまったしその前でも飯館村が良かったのはその暮らしが隠されていたからである。自然の中に隠されていたから露骨に人間の醜悪なものが隠されているから良かっただけだともなる
パチンコ屋もないし何もないが馬券売り場はあった、別に飯館村に住んでいる人が汚れていないということではない、要するに自然の中に隠されていたから良かったのである。
それも原発事故で大きな金が入ったりと混乱して前の飯館村とは違ってきたのである。
毎日ギャンブルでありギャンブラーになっというのもそうである。
かえって大きな補償金によって人間の醜さが露骨に現れたともなる
そもそも全体が荒地と化しているしフレコンパックとかソーラーパネルとかなるとそこが一体何なのだろうとなる、もう牛は飼えない、農業もできないとなればどうなってしまうのかとなる。

人間の社会が延々とこれだけブラックなものとしてあり変わりがないというとき、それは神の御意にとてもかなうものではない、とすると神はソドム、ゴムラのように怒り滅ぼすということがある、ノアの洪水のようなものも起きてくる、今回の津波などもそうである何か想像を絶する天変地異が起きてくる、そうして悪を一掃するか人間を滅ぼしてしまう恐怖がある。人間社会を変えることは不可能だからである。
社会主義だろうがカルト宗教だろうがそのたづさわる人間の欲は消えない、ゆえに結果的に何も変わらないのである。欲の故に滅びるということはそういうことだろう。







posted by 天華 at 17:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

抽象画(夏の光) intense light in summer


抽象画(夏の光)

intense light in summer

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flaming flower


黄色はゴッホの絵のように夏の暑い光をイメージする
この一連の抽象画も黄色は強烈な夏の光である。
これは電気の光となって抽象画になる

ともかく黄色は光でありそして夏の陽炎となっている
この抽象画はソフトを二つ使って作った
ソフトも一つだとたりないのである。

元になる絵はインターネットにあった、何かすべての絵が抽象画にならない
抽象画に変化しやすいのとしにくいのがある。
それは変化させてみないとわからないのである。


These a series of abstract pictures that the yellow images summer hot light like a picture of Gogh are the summer light that the yellow is strong.
This becomes the electric light and becomes the abstract picture

Anyway, I lack it if the software which this abstract picture which the yellow is light and becomes the summer heat waves uses two software and made is one.

There are the picture of none of something that the Internet had the painting causing it being easy to change into the abstract picture which there is not to an abstract picture and the one which it is hard to do.
I do not understand that it does not change it.
タグ:夏の光

2016年09月06日

なぜ学歴にそんなにこだわるのか? (プライドは認知症になっても消えない、人間の存在意義になるから)


なぜ学歴にそんなにこだわるのか?


(プライドは認知症になっても消えない、人間の存在意義になるから)

ニーチェは、「人間的な、あまりに人間的な」で、“病人への忠告”;『病人に忠告を与える者は、それが受け入れられようが、聞き捨てられようが、相手に対して一種の優越感を覚えるものだ

病人への忠告者は、病人を支配する優越感を楽しんでいる。忠告は言うなれば、婉曲な命令であり、人間にとってもっとも不愉快なことは、他人に支配されることだ。

福島市から来たボランティアの人のことを書いたけど福島高校出身で同窓会に行くと「お前は法政大学出だから恥だ」と言われると聞いた。
同世代くらいだとするとその頃第一大学に入るだけで相当恵まれていたはずである。
なぜなら団塊の世代となると中卒が半分であり集団就職の時代だったからである。
一クラスで大学に行けたの数人だった、自分は四人くらいだった。
自分は高校で授業についていけないし卒業もできないほどだった。でも三流でも大学に行けたのも不思議だとなる
今振り返ると自分は本当は相当に学問向きだったことがわかった。
ただ理系関係が苦手で学校嫌いと勉強嫌いになり大学でほとんど勉強していない。
結局自分はその後まともな職にもつかず遊んでいただけだとなる
ただどういうわけか二十代は相当に苦しんでいたのである。
それで30になるころもう相当に老け込んで老人に見えていたのである。
ただその後30代以降楽をした結果、体力も回復してこれまで生きてきた。
人間は何か苦労とか心労が重なるとふけこむ、60代の女性の人は苦労が多くて10歳は老けて見えるのである。
何かもの凄い津波とかでも苦労が心労が重なると一挙に白髪となり老け込むのが人間である。
これは別に苦労しなくても浦島太郎のように快楽にふけっいてもたちまちそれも消えて白髪の老人になっているのである
老人になるとそれが現実となりみんな愕然としているのである。

人間はなぜ学歴にこだわるのかというと人間はそもそもがプライドをもつことが人間の存在意義になっている、人と比べて自分が優秀だということを何であれ示したいのである。それが生きる意義である。それは体力でもそうでありスポーツ競技はまさにその優劣を競うものだし知的な分野でもあらゆる分野で他者と自分と比べて優れているということをプライドをもち競うのが人間なのである。
人間はどんな人もプライドももっている、もっていない人はいない、底辺で働く人でも掃除している人でもどんな人でもプライドはもっているのである。
そのプライドを傷つけられることが最も人を傷つけるのである。
金がなくてとか物質面で人と争うということがあるがプライドを傷つけられただけでも人を殺すということは普通にあるし戦争すら国と国のプライドの戦いなのである。
戦争に勝てば優越感をもてるし負ければ屈辱感をもつ
そしてプライドは認知症の人にも消えないのである。
そのことは福祉医療関係で書いてきた、実際に介護もしてきたので書いてきた
認知症の人はプライドを傷つけられると怒り暴力までになる
この人は馬鹿になったのだから馬鹿にされるけど家族に対しては自分はこの家で何々してきたとか盛んに言いそれが本当だから馬鹿だとは言えないのである。
人間は最後までプライドは消えないのである。ただ人一倍プライドが強い人はいる、自分の家族の一人は最後まで自分は優秀だと言って遺言のようにしてまで言って死んだ。
それはニーチエのように自分は超人だというプライドをもって狂人になったとにていたのである。
それまで人間はプライドをもつものである。

別に学歴だけではない、人間は何か他者と比べて優秀だということを示したいのである。80歳くらいの人なのか、自分に対してお前は年齢が低いから劣っているとあからさまに言うのにも驚いた。年齢で差別して優秀だとしている、でも80過ぎてから年齢など関係ないのである。老人の個々人を見ればその差は余りにも大きいのである。
老人になると今まで積み上げてきた生きてきたことが歴然と現れるからである。
ただ自分にしても自分より年齢が下になるとそういう傾向はある、でも60過ぎたら年齢は関係ないのである。
要するに学歴にこだわるというのは年齢にこだわるとか何か様々なもので差別して優越感にひたるものとして目安として機能しているのである。
社会に出てからは東大出も通用しないものは通用しない、だいたい仕事ができるかできないかで決まる、むしろ学歴ではない、職人だったら職人の腕がいいとかで評価は決まる
もし職人として腕がいいなら一流大学卒より上ということがある。
東大出でも仕事に使えないとしたら中卒より下とすらなるのが社会なのである。

大学出とかなると団塊の世代とか高度成長時代なら通用していた。まだ大学出が少ない時代だったからである。今や50パーセントとなるもう学歴は通用しない
会社でも一応目安にしても会社自体が昔と変わり終身雇用ではないとか学歴ではない会社で仕事できる人間を求めている、学歴を見ても仕事できるかどうかは決められない時代になっている。
もう一つはグローバル化して世界的競争になり日本が落ち目になっていることも影響している。何か特別優れた人、スキルをもつ人でないともう学歴だけでは通用しない時代に入っている。
だから文系になる何大学出たからなどでその人物を判断できないのである。


優越感をプライドをもつというとき奇妙なのだけど自分が病人になったとき自分に対して親戚の人は優越感をもって自分を奴隷のようにしようとしていたから悪質でありそれも人間の本性が現れたとなる、人間は弱いものに対して優越感をもつのである
それは病人だけではない、障害者でも知的障害者がいたとするとそんな人まで比べて優越感をもつのが人間なのである。
こいつはなんなのだ、人間じゃない、こんなやつが何でいるのだ、こんな奴は社会にいらない」
こうして知的障害者を介護していた人が19人も殺したというからなんなのだろうとなるがこれも相当に人間の屈折したプライドが関係していた。
お前らは人間の屑であり生きている資格もないとしたときそこに障害者に対して優越感をもっていることの故の犯罪だったのである。
お前らより俺は優秀だとなるがその若者は社会からの落ちこぼれでありそれがそんな屈折した感情をもって犯罪になった。

人間とは何か対してとにかくなんであれ優越感をもちたい

このことが強烈にあり消すことができないのである。それが人間の存在意義になるから消すことができないしそのために生きるともなる、何でもいい、今までは男女で女は劣っているとかなっていた。男女は能力で区別してもしょうがない、役割が違っているからである。
そして人間はだからこそ優越感をプライドももつとともに必ず劣等感をもっている
障害者を殺りくした犯人もやはり社会のおちこぼれであり劣等感をもっていて屈折した感情が犯罪になったともみれる。
ヒットラーなどでも画家になりたかったがなれなくて独裁者になったとか池田大作でも異常に学歴にこだわるのはやはり劣等感をもっていた。
麻原も目が見えないことで劣等感をもつとか劣等感が屈折して犯罪に結びつく

社会に対して恐ろしい牙を向きそういう人が権力をもつと自分のプライドを満たすために恐ろしいことして社会の大きな害悪となってゆく
そういう人が社会のトップに立ち権力をもつときそれに従わされる人々は奴隷にされるのである。
それは自分が弱者になってたとき病気になったとき責めてきて奴隷のようにしようとした奴と同じである。それが人間の本性なのである。
でも強者だったら権力者にはそういう人はへいこらしているだけである。
でもそれは権力に金があるとかで奴隷のようになっているというときそれもいつかは復讐される、権力をその人から奪って自分が上に立とうするからでありそのために人間社会には権力闘争が絶えないのである。

「あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。」
「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」」
マルコによる福音書10章43節

これが実行できない、自分が一番偉いものとして仕えさせたいというのが人間の本性なのである。そのためにこの世はまたブラックになっているのだ。
この世がブラックだというとき外部の社会を見ているが実は内部の闇、人間のそうした本性が改善されない限りブラックでありつづける
人に仕えさせるために人は日夜努力しているからでてある。人の上に立ちたくて勉強もする、下にいて人に仕えるために勉強したり努力する人がいるのかとなる
有能な人であれば余計に知的に劣るとなると馬鹿にする、それが現実の社会なのである。
だから福島高校で驚きは40人も東北大学に入っているとか仙台二校では90人も東北大学に入っていることで驚く、そういうレベルになると法政大学では恥だというのもわかる
でもそういう同級生も傲慢だと思う、学歴で差をつけるのは傲慢である。
別に卒業したら学歴ではその人を判断できない、どう生きてきたかが問題になる
いづれにしろ社会では学問とかではなく多能な能力が必要でありとても学歴だけではどうにもならないのである。
学校は人間の多様な能力を開花させるにはあまりにも不十分なのである。
別に中卒だろうがなんだろうが一人一人を見ればそれなりにいいものをもっている
またそれは悪いものともなるが人間の能力は実際は多様すぎるのである。
だから介護とかでも介護士とかでもやさしさをもつ人が向いている、それも能力である。建築現場になるとやはり体力が必要となるとそれも能力でありコミニケーション能力に優れている人もいるし芸術に向いている人もいるとかあまりにも多様なのである。

その多様性があってこそ人間であり男女がいるときそれはたがいにたりないものを補いあうものとしてある。どっちが優秀だとか差別するべきではなく、それぞれの能力で補いあうとすればそんな優劣感は生れないのである。
インターネットでは普通の人も発言しているがそれなりに様々な発言があって面白いとなる、テレビとかマスコミとかだと一方的に専門家だけが発言しているから洗脳されやすいだから自分はインターネットの発言を利用しているのである。
ただ2ちゃんねるとかなると表面的で一回限りであり面白い発言していてもそれを深化できない、意味を深められないのである。
プログの方が意味ある発言している人が多いがなかなか発見するのがむずかしいのが難である






2016年09月07日

「天国の門」の映画はこの辺の事情とにている (郷土愛がテーマとなっているから)



「天国の門」の映画はこの辺の事情とにている


(郷土愛がテーマとなっているから)


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日本の国土の70%ほどの面積の土地に人口は約51万、旅行した知人によるとと一日中クルマを走らせて対向車、見かけた人ゼロという日があった由)


現代のブッシュ大統領も、イラクのサダム・フセインを大量破壊兵器を持っているとして、軍事制裁をしようとしている。イラクが大規模な油田を持っていなければこのような目に遭わずとも済んだのだろうが、アメリカの石油財閥の強欲により戦争を仕掛けられるのだろう


アメリカが理解しにくいのは中国ともにているが広すぎることなのである。グランドキャニオンなど見ればわかる、まるで別な惑星に来た感じになるからだ。
日本の村と中国の村は別物だというときもそうである。日本の村は規模が小さい。つまり外国になると日本人的感覚で見るから誤解が生じる

ただ人間はどうしても何かを理解する場合自分の住んでいる所から経験しかからなかなか理解できない、それでどうしても視野が狭くなる。
リンカーンの荒野の一軒のログハウスからはじまったのはここでも同じである。
ただこの作品に興味をもったのはアメリカの黒歴史を事実を背景として作られたからだ。壮絶な撃ち合いは映画だけのことであり実際は二人しか死んでいない

ロシア東欧系移民が先住民でありあとからきた移民との土地争いが根幹にある。
そのあとからきた移民はハーバート出の人がいて支配階級になっていった人たちである。だから法は自分たちのものだとか大統領の許可を得ているとか州政府が味方だとか言って先に住んでいたロシア東欧系移民を従わそうとした。
でもそれに従わないいわば先住民が戦いいどんだのである。
ただあのような華々しい戦いはなかった。
でもそこに住む先住民たる東欧系移民はその土地にすでに愛着がありあとからきた移民と戦う、そこには郷土愛が生じていて戦ったようにも見えた。
娼婦でもここは危ないから他に移ろうとしてもここがすべてだから移らないと恋人に言って残ってその娼婦も戦ったのである。
でもそれは映画のことであり実際にはない、別に娼婦だったらどこにでも行って楽な生活を選ぶだろう。それは作られすぎたものだった。
そもそもこの映画失敗作だとされて作った映画会社も倒産したいわくつきのものだった。
ただ何でも人によって映画でも本でも感じ方が違ってくる。
なぜ自分がこの映画に興味をもったかというとすでに郷土愛が生れ先住民としてあったものがその土地も奪われることに抵抗したことだった。
それが何かこの辺の事情と通じるものがある。
津波や原発事故で郷土が放射能で汚染されて住めなくなった。
そうなったとき多額の補償金をもらったから別に郷土に執着しないで若い人は放射能汚染もあり出て行く、そして他で生活を新たにはじめ故郷には帰ってこない
それは命をかけてまで土地を守ろうとした東欧系の移民達とは違っていた。
東欧系の移民達はすでに土着してその土地に愛着していたから土地を守るために戦ったのである。
ベトナム戦争でも穴にもぐりゲリラとなりアメリカと戦った、それも郷土愛(パトリシズム)でありアメリカはそれを無視したというのともにている。
そこは自然も広大で美しい場所だったのである。

郷土愛とか故郷というときこの辺でも住めなくなったとき問われたのである。
故郷といってもそれは普通にあるものであり意識しない、故郷を離れたときとか失ったとき意識するのが人間である。
ここでもあとから来た移民は金があり金で解決しようとした。
金をはらって追い出そうとした。でもそれができなかった。
ここでは逆に金をもらって自ら出て行くというのは違っていた。
でも戦い死んでまでも自分たちの土地を郷土となった土地を守ろうとしたら壮絶だったとなる、実際は二人しか死んでいないし州政府が仲介して終わったのである。

ただアメリカという国はインデアンを皆殺しにして土地を奪ったのが建国の由来であったり黒歴史がある。支配階級もこのジョソン郡事件のように権力で金で強引に支配してゆくそれがアメリカのやりかたでありまさにそれも世界的に行われてきた
イラク戦争でも石油にからんで化学兵器を所有しているからという一方的ないいがかりをつけて多数の死者を出したのである。飛行機がビルにつっこんだ3・11でもあれをきっかけにアメリカ人の愛国心が燃え上がりテロとの戦争だとイラクを攻撃した。
別にイラクがテロと関係している訳でもなかったが口実となった
それは真珠湾攻撃がなかったらアメリカとの戦争がなかったのとにている。
リメンバーパールハーバーでアメリカ人が日本との戦争に突入したのである。
だから真珠湾攻撃は日本がアメリカに仕組まれたものだという陰謀説が生れる
日本もまたアメリカによって一方的にいいがかりをつけられて戦争を起こされたという味方もある。それはアメリカという国がそういう体質の国だからとなる。
インディアンから土地を奪いさらに移民でも支配階級はその移民の土地を力づくで奪う
それがアメリカの支配階級のやり方だからである。

いづれにしろ郷土愛とかパトリシズムとかをもつのは例えば個々人でも家を建てるのに苦労した人はその家に愛着をもつ、俺は一代で特別他人より働いて家を建てたというとき遺産として家を受け継ぐ人より家に愛着をもつ、また開拓に入って苦労した人もその土地に愛着をもつ、でも二代目三代目となってゆくとそうした苦労も語り聞かされるが愛着がなくなってくる、それで老人はこの辺では故郷に帰りたいとなるが若い人は不便な所には住みたくないから出てゆくとなったのである。
そしてそこではやはり土地に根ざす農民とか牧畜業であり今はみんな会社員であり工業社会になっていることが違っている
故郷への愛着が生れるのはその土地に根づくというときそうした農民とか牧畜業の人たちである。会社が浪江から二本松に移動してそのまま移住したりする人もいる
その土地に根付く仕事でもないからそうなったのである。
だから現代は別に故郷とか郷土に執着する人は少ないのかとなる
だからこそ故郷も失われたのか人間も離散したのかとなる
この映画は実際にあったことを映画にしている、この辺でもやはり様々な葛藤があるのとにているのである。

映画というのもそうした人間の葛藤とか何か戦争シーン、暴力シーンだけではないものをテーマにすれば小説とかと同じになる。
シーンとして牛がいないと人力で多数で畑を耕していた、その時機械もないのだから人力になく、牛がいなかったらそうなる、それも時代を現していた。
何かそういうものは生々しく映像だと感じることがある。ただ映画どうしても実際にあるこより派手にする、今回でもあんな戦闘シーンなどなかったのである。
州政府が乗り出して反抗する移民を殺したということはない、かえって仲裁して未然に戦闘を防いだとなる。そこでは支配階級でも公正だったとなる。
インディアンだったらそんなことはしない、法もなにもない、土地を奪うだけだったとなる。

映画でもそうだが昔のものがかえって面白い、今になるとインターネットでも見れるし買うこともできる、なかなか田舎ではそうしたものを買いなかった。
そんな映画あったのと教えられることが多いのである。
テレビは面白くないけどそういう昔の映画は面白いとなり見る、人間が生きることは常に葛藤つきものである。その葛藤の中で人間が選択して判断して行動してゆく
それが別に映画でなくても個々人の人生で常に起きてくるのだ。
人間は苦難とかそうした葛藤とかない、あまりにも恵まれて苦労もしないとしたら人間として生きたのかとまでなる、そういうことも必要でも人間はどうしたってそうした苦難に直面して葛藤する、それが歴史的に国のレベルでも起きてくる、この辺は地域的レベルで起きたのである。

そういうことがないと人間は成長しないのである。様々な人間の葛藤がありそれはこの辺で起きたのである。津波の被害地でも起きたのである。
補償金で争うというのも内部抗争であり葛藤でありそれは否定できない、きれいごとだけではすまないのである。そこに人間のドラマが生れてくるのである。
「あるべきか、あらざるべきか」じゃないけどそういう葛藤こそが人間の人間たる所以なのである。だから歴史でもどういう葛藤があったのか見るべきなのである
簡単に歴史的な決断となるとそこには相当な葛藤があったと思うからである。
過去になるとその葛藤がなかなか見えない、戦争にしてもどうしてあれだけの戦争になったのか?その過程が今では見えなくなっているのである。
戦争すべきなのかしない方がいいのか決断にいたるまでの過程の方が歴史を見るとき大事だったとなる、過去のことになると結果しか見ないからである。
卑近なことでも個々人でも結婚すべきどうするべきかとか葛藤があり常に選択と決断が求められる、そこに常に葛藤が生れるのが人間なのである。
この辺でも故郷に帰るべきかもう帰らないと決断した人でも葛藤があったとなるのである。


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