2016年08月28日

白木槿(いい思い出を残すように勤めよー人生は短い)


白木槿(いい思い出を残すように勤めよー人生は短い)



しとしとと小雨の降りて白木槿庭に咲きつつ事もなしかも

介護せし部屋に我あり母なおあれや白木槿咲く

思い出のこもれる家や我が一人継ぎてありしも秋雨のふる


ここ十年は本当に苦しかった。でも今は楽であり余裕がある,母を介護した部屋にいて書いている。しとしとと秋の雨が降っている
白い木槿がぬれている、ただそれだけのことだが何か患いがないということに幸せを感じる
そして家族が二人死んだが思い出となるだけである。

でも自分は一番良くしてもらったから介護して良かった、二人とも喜んでくれたし自分でも恩返しできて良かったと今では思っている、つまり苦しかったけど今になるといい思い出になったなと思う。
苦しいこともやがては思い出となり笑い話にすらなるのが人間である。
ただ人間はつくづく良い思い出を作るように生きねばならない
それは子供時代でも少年じだいでも青年時代でもそうである。
結局自分は学校ではいい思い出が作れなかった、集団生活になじめなかった、我がままに育ったこともある。

少年であり青年であれいい思い出をもった人は幸せである。でもこの時代は欲望がふくれあがる時代だからなかなかいい思い出はもていなのが多い
必ず若気の過ちがあり後悔しているのだ。それがあとになると大失敗だったと気づくのである
なんらか罪を犯さない人はいないのである。だから青春時代というのはふりかえると大事だった、あとはなにか変化のない延長だった、自分の場合は家庭環境で隠者になっていたニートみたいなものだろう。ただその頃はニートはいないからアウトサイダーとなる
これも実際はふりかえると危険だったし社会性が欠如するとか問題があった。
そのために介護十年して苦しんだのである。
ニートとか無職とかが今やどこにでもいて普通になったけどこういう人は何かおかしくなり自分のように最後の方になると塗炭の苦しみにあうことは間違いないのだ。

そもそもではいい思い出とはなになのか?例えは何か悪いことしたり良心にはじるようなことをしたらそれがいい思い出になるだろうか?
それはその時はいいにしてもあとで苦い思い出となってしまうだろう。
すると成功して大金持ちになっても人生をふりかえりいい思い出をもつのかとなる
現実はそんなことよりみんな金持ちになりたいのである。
それは良心にはじることをしてもそうなのである。だから人間は悪魔に変身するのが多いのである
自分のところに来た親戚がそうだった。事業に失敗して借金して自分を苦しめたのである悪魔に変身したのである。
もしその人が来て本当に苦しいとき助けていたらいい思い出になっていたのである。
それが正反対となり自分は恨みまたは怒りともなっている
ただ不愉快だけでありその人を思い出すと今でも怒りすらこみあげてくるのである。
また近くの人に犯罪にあったということでもそうである。
その人とも近くで会うから腹ただしくなるのである。

結局人間はいい思い出というのはまれなのかもしれない、不愉快な嫌な思い出の方が多いのが人生である。それだけこの世は愛情ある人は少ないと非情の世だからともなる
一人だけいい人だったなという女性がいた、その人は死んだが墓参りを自分はしている
そういう人はまれだということである。
何か昔もそうだから金の切れ目が縁の切れ目となりやすい、金を得ればあなたは関係ないというのが日常である。
自分は家族は複雑だったけどそれなりにいい思い出となっている
自分にとっては悪いことがあってもいい方が多かったのである。

今は秋雨になって涼しい、今日は一日かたづけしていた。いくらかたづけしてもかたづけきれない、料理から掃除から着るものから本の整理からパソコンの中の整理もなかなかできない、整理が一仕事なのである。余裕がでてきたからなんとかこれから順次整理してゆく゛もう余計なものを捨てるほかない、そしてなるべく身軽にする
家すら何か重荷になってしまう。小さい家ならいいが大きい家は重荷になってしまう。
死ぬときは何にもいらないのである。むしろ金はあってもいい、かさばらないからである遺産として残すのにも家や土地よりはいい、何かあること自体負担になるのである。

タグ:良い思い出

水のイメージ(ベニスは水の都) Image of the water(in Venice the capital of the water)


水のイメージ(ベニスは水の都)

Image of the water(in Venice the capital of the water) 

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Crest of Venice



ベニスはイメージするものか多い、あういう街はあそこにしかない、不思議な魅力があるだから芸術家になると一番惹かれる街になる
まさに水の都であり水に浮かんでいる都である。

何か今回の抽象画もそれをイメージする、それがたけではないが水の抽象画を川の抽象画をテーマにしてきたのでベニスは親近感が

I do not image Venice, and many encountering saying towns are the capitals which it is right the capital of the water, and float in the water where it is in the mysterious attractive town which therefore is attracted most by an artist when it is which there is only there.

Because some this abstract picture featured the theme of the abstract picture of the river in an abstract picture of the water reflecting the image of it, in Venice, there is a sense of closenes

過度な原発避難者への援助がかえって不和をもたらし復興させなくした (内村鑑三の指摘の再考)


過度な原発避難者への援助がかえって不和をもたらし復興させなくした


(内村鑑三の指摘の再考)

原発事故で荒廃した地域と同じことが江戸時代に起きていた
(内村鑑三ー代表的日本人ー二宮尊徳の教えと一致)

(すなわち)かつて耕作された土地が放棄されることほど、我々を落胆させるものはないのである。
 もし原始林のたくましい成長力がなければ、放棄された耕地が荒れ果てていくのを防ぐことはお先真っ暗な絶望となるであろう。
と言うのも誰も踏み込んだことのない土地の開墾を進んでやろうとする者が十人いたとして、見捨てられた土地の復興に身を奉げようとする者はただの一人もいないからである。

十九世紀の初め、日本農業は非常に嘆かわしい状態にあった。
 二百年もの長い間続いた平和は、あらゆる階級の人々の間に贅沢と浪費とをもたらした。
 多くの地方でその土地からの収入が三分の二に落ち込んでしまった。
 アザミや茨がかつて生産力のあった田畑に入り込んで来た。そして耕作のためにわずかに残った土地は、その田畑に課せられたすべての税金を賄わなければならなかったのである。

 村また村は徹底的に荒れ廃れてしまった。
 正直に働くことはいよいよ重荷になり、人々は不正直な生き方をするようになった。
 すなわち、彼らはこれまではやさしい大地から気前のいい贈り物を見つけようとして来たのに、それをやめてしまった。そして互いにいかさまをしたり、騙し合うことによって、その哀れな生活を支えるのに必要なわずかなものを得ようと探し求めたのである。
 彼らの禍の原因のすべては、道徳的なものであった。そして「自然」は、その卑しい子供たちに報いることを拒み、あらゆる悲惨な出来事をその土地に降りかからせたのである。

 しかし今では荒れ果てた「自然」が彼らの田畑に侵入し、<狸と狐とはその棲み処を人々と共にする>までになって、人口は以前の三分の一を数えるに過ぎず、貧困に陥った農民から取り立てることができるのは高々二千俵にすぎなかった。

 そして貧困と共に道徳的退廃が進んだ。かつて繁栄した村々は今では博打たちの巣窟となった。

「金銭を与えるとか、あるいは税金を免除するとかは、彼らの困窮を助ける方法ではない 実際のところ、彼らの救済の秘訣のひとつはまったく金銭的な援助を取りやめることにある。
 そのような援助はただ貪欲と怠惰を生じさせ、人々の間に不和を引き起こす源である。



前に書いたけどこの辺の情況がこれにぴったりなのである。
小高の人が仮設でも避難者はすることがなくパチンコ屋通いでありギャンブルであり東京とかに遊びに行っていた人もいる
その時何回も書いているように自分は苦しんでいたのである。
そんなこと誰もかまわない、親戚の人は借金でパチンコ屋に勤めていた
これも腹ただしいかったが弱みがあり何も言うことができなかった
何かそうした矛盾が自分の所に現れたのである

第一かわいそうだ、かわいそうだとボランティアがきて援助していたが肝心の地元の人は遊んでいたのである。だからボランティアに来た人も怒り地元の人と喧嘩になったというのもわかる、そして少しでも批判すると怒っていたのである。
俺たちは住む故郷も失ったのだ当然だという意識になった
常に援助されるべきでありギャンブルしようが何しようがいいのだ
そうしたのは原発事故を起こした人たちに東電や政府に責任があるのだとなっていたからである。そのことについて外部でもなかなかいいずらくなったのである。

「金銭を与えるとか、あるいは税金を免除するとかは、彼らの困窮を助ける方法ではない 実際のところ、彼らの救済の秘訣のひとつはまったく金銭的な援助を取りやめることにある。

 そのような援助はただ貪欲と怠惰を生じさせ、人々の間に不和を引き起こす源である。
これは厳しい言葉だけど事情が違うにしろこの辺の状態にあてはまる
ただ補償金やたかり屋になったのである。もっと金をくれしかないのである。
それをとがれば俺たちをこんなふうにしたのは俺たちではない、政府であり東電だ俺たちは被害者であり援助されて当然だとなる 

誰も踏み込んだことのない土地の開墾を進んでやろうとする者が十人いたとして、見捨てられた土地の復興に身を奉げようとする者はただの一人もいないからである。


これも歴史をたどると常に日本でも開墾、開拓の歴史である。浪江の津島でもあそこも開墾する一団が入ってきてその人たちの結束は今でも強いという。
赤生木(あこうぎ)などでも開墾に入った人たちがいて乳牛を飼うのに北海道まで行き苦労した。それでもなんとかしようと努力したのである。また努力せざるを得なかったのである。そういうふうにその時代は強いられていた。
北海道の開拓に入った侍でも苦労を強いられた、機械もないのに原野を開くのは並大抵ではない、それで失敗した人も多い、力尽きた人も多いのである。それは過酷だったのである。

そして貧困と共に道徳的退廃が進んだ。かつて繁栄した村々は今では博打たちの巣窟となった。

本当に避難区域に入るとやる気なくなるというのはわかる。だからこそもう若い人は帰らないのである、ただ人間は時代の影響から逃れられない、今の時代と昔を比較しても時代が違うから同じには考えられないのである。
当時はみんな貧乏でありそういう生活を強いられていたからである。
今はみんな豊かな生活をしている、貧乏と言われる人でも食べているものは贅沢なのである。
すると今の生活水準を落としたくないというのがわかる、そのためには金がいるとなりもっと補償金をくれを金をくれとなる、そして当時と違うのはその時は戦後まもなく焼け野原になっても若い人が多かったのである。
団塊の世代でもともかく子供が多かったから活気があったのである。

今は少子高齢化でありそれも致命的になっている、現実に避難区域に帰るのは老人が多いすると老人だけで何ができるのかとなる、最後はうば捨て山になってしまうだろう。
若い人でも現代ならそんなところで生きるより他で便利な豊かな生活をしたいとなるからだ。当時にしてみればなぜそんな過酷な開墾開拓をしなければならなかったのか?
それは農業中心の社会でありそこで生きる他なかったからである。
みんな貧乏であり今のようにどこに行っても貧乏な生活を強いられていたのである。
その差も大きいのである
人間は普通は”水は低きに流れ、人は易きに流れる”になる、あえて苦労しようとはしない,ただ強いられて苦労する、時代に強いられて苦労するのである。人間は本質的には楽を求め快楽を求めている、あえて苦労を求める人はまれである。
そして現代は楽と快楽を執拗に求めそれが得られた時代だから苦労しろと強制してもできない
誰も介護などしたくない、ただ強いられてする他なく自分にしてもしたのである。その中で苦しいけど意義を見いだしたということはあった。
苦労してそれがすべてただ苦労に終わるとはならない、その苦労の中に何らかの意義を見いだすことがある
仕事にしても嫌だなと思っていてもしているうちに生きがいを見いだすこともある。
なかなかそういうことはしてみないとわからないのである。 

つくづく人間は昔には時代をさかのぼり生きることはできない、大家族制にもどればいいとか言うけどそれもできない、するとしても形が変わったものになるのである。
だからこの辺の情況はかえって昔より復興することが困難だともなる
故郷は捨てられてしまう、他で補償金をもらって新しく始めた方がいいとなってしまう。現実にそうなっている、帰りたいのは老人だけだとなる。
その老人にしたって若い人が帰ってくるというが逆に若い人の所に最後は行くようになるそれはここだけではない、田舎でも都会に子供がいればそうなっているのである
それで家の跡を継ぐ人がいないとか墓を守る人がいないとか問題になっている。
少子高齢化という問題が深刻なのである。

でもこの辺で避難者に金銭を与えることではないとなればもしそんなことをしたら大騒ぎになり暴動にもなるだろう。
ただ補償金を与えすぎたことにより堕落したということは言えるのである。
避難した人たちは俺たちは金があるんだとかえって威張っていた人もいる、全部ではないにそういう人もいたのである。するとここだけではない、地元の人たちからするとあの人たちは何なのだとなる
避難した地域でも困っている人はいる、あの人たちは補償金もらって毎日遊んでいる、俺たちは働いているのになぜ働かないのだとなる、それは相馬市の人もしきりに言っていたしあまり表面化しないがそういう鬱憤が内にこもっているのである。
なぜならマスコミでは常にかわいそうな人たちとして取り上げてそうした地元の複雑な事情に考慮しないからである。
だから避難者も何かそういうことを言われると傷口に塩ぬって楽しいかとか怒り批判するそういう被害者の特権者になってしまい地元の人とうまくいかなくなっているのである。事情はわかるにしてもやはり補償金を特別もらったのは避難区域だけでありあとはほとんどもらっていないからである。そのことを考慮しないとここだけではない回りとうまくいかないのである。

結局帰るのが老人だけとなると国民年金しかもらっていないからもっと補償金をくれ、生涯補償してくれと訴えるようになる、老人だったらもう余計に何もする気がなくなるからである。お前ら自分たちでなんとかしろと言っても自立精神が失われている
誰かがなんとかしろとなっていることが問題なのである。またそれが当然だという被害者意識にこりかたまっているから何か復興がむずかしいのである。
本当に様々なことで復興がむずかし、放射能問題もやっかいである。
若い人にしても放射能汚染で子供に影響あるからといえば帰らない口実になる
それにとやかく親は言えないのである。何かこうしてますます荒廃してゆき復興がむずかしいとなる。

そのような援助はただ貪欲と怠惰を生じさせ、人々の間に不和を引き起こす源である。

まさにこれがこの辺の状態なのである。過度な援助によって不和が生まれ一致協力できなくなった。たがいに金のことで不和になったのである。
でもそもそも援助しなかったらどうなったのか?今の時代だと政府であれ東電であれ恨み手がつけられなくなった、だからこれもできないことではあった。
でも何か援助が必要でも援助の仕方が間違っていたことは言えるのである。

posted by 老鶯 at 10:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連