夏の暮(栃窪から飯館村へ)
飯館村の塩の道の旧家の人に話しを聞く
飯館村へ
あいの沢
秋薊
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なんか淋しそう
草野の塩の道
養蚕した兜作りの家
斉藤家の蔵
ここは昔旅館だったという、9代つづく古い家
飛んでいた蝶
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屋敷林木陰の長く田舎道
栃窪に実りもどりぬ古碑一つ
上流の木陰の深く黒揚羽
秋出水激流轟き動かぬ岩
朝の蝉ひびくや清水流れ落つ
飯館に入るやあまたソバナかな
秋めきぬ雲や峠を越えるかな
一歩一歩峠越えるや山の蟻
峠越え遠山望む夏の暮
紋様のめずらし蝶二つ夏の暮
夕暮れや石の五つや秋薊
飯館に木の実あまたや夕暮れぬ
一本の松の変わらずここに立ち道の徴(しるし)や夏の日にゆく
飯館の塩の道来て九代をつづくと蔵あり夏のくれかな
一本の樹のここにし年輪を刻むや長く夏のくれかな
塩の道穂芒あわれ我が帰る斉藤家の蔵我があとにして
今日は涼しいので一年ぶりとかで飯館村に自転車で行ってきた。これまでは日差しが強く行けなかった、今日は日差しがさほど強くないから楽だった
YAMAHA ヤマハ ロードバイク YPJ-Rは坂が急だと役にたたない、馬力が出ない、だから歩く他なかった。なだらかな坂ならいいが急な坂、長い坂はほとんど役にたたない、すぐに電池が切れる、だから坂がつづく長距離では役にたたない
帰りは電池は切れても下り坂だから良かった。
栃窪では実りがもどっていた。栃窪は古い碑の村である。奥州栃窪村と金比羅に碑を奉納したらしい。金比羅参りしてその碑が多いのである。
ここの碑は古峰の碑だろう。とにかく実りが回復したときこの古い碑も生きるし村も生きてくるなと見た。村は全体としてあり田んぼがあって実りがると全体が生きていることを感じる、workingしていると感じる、全体としてトータルなものとして村が生き返る回復したと感じる
飯館村に入るところでソバナの花があまた咲いていた。何かこんな素朴な花が飯館村にはあっていた。秋めいていて涼しいのが良かった。電池がきれるしさほど働かないので歩くほかなかった。まさに山の蟻である。前は坂は自転車を押して歩いていた。
この自転車はまず坂には弱い、坂を上る馬力がないのである。
あそこの峠道は長いから苦しくなる。
飯館村の状況がどうなっているのかたまたま家の前にいた人に聞いた。
そしたらそこは塩の道でありその家は九代つづいている古い家だったのである。
飯館村で草野は古く今でもこの近くで四騎くらい出ているという。
江戸時代からの歴史がある村なのである。
塩の道は作見の井戸の所を通る道でもあった。草野の自動車道路はあとからできた道なのである。それは六号線ともにている。
意外とこの道の新旧とか村の新旧もわかりにくいのである。飯館村でも開墾に戦後入った人たちも多いからわかりにくくなるのである。ただ草野は古いしその家は古い、その辺りの家も古いことがわかった。
そこで今の状況などの話を聞いたがそれはあとにしよう。
その塩の道をたどり帰ってきたが暗くなってしまった。
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