2016年07月27日

工事のために土とるために破壊された景観 (私有地になっているから景観が破壊される)


工事のために土とるために破壊された景観


(私有地になっているから景観が破壊される)

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これは南相馬市鹿島区だけど屋形の辺りが土をとるためにむきだしにされた場面である
六号線のローソンからも見えるが新しくできた復興住宅地からも遠くからも意外とこのむきだしの場面が見える

なぜこれが気になったのか?他でもこの辺では工事が多いから土が必要になり土がとられて山とかがけずりとられている所が多い
でもそれはこんなに目立たないから見逃される

ここは町に住んでいていつも目にするから何か嫌だなとなった
景観は普通は気にしないが一端森でも破壊されると気になる
この辺は回りは緑に囲まれている
それが当り前なのだけど一旦その一部が破壊されると凄く気になる
それは自分の衣服が汚されたような気分になる。

あそこが目だたない裏側の方であったなら気にしない、いつも買い物とかしている街内から目だつのである。
でもこれを気にしているのは自分一人かもしれない
なんか自分は景観を特に気にしている,情緒がそがれると詩にてりにくい。

ただあそこが一部森がけずりとられて土がむきだしになったことでこれほど自分も気になるとは思わなかった。
要するに景観は当り前にあるものだから気にしないのである。
ただ一旦それが破壊されると気になり景観とか自然の大事さを認識させられる

原発事故などで故郷に住めなくなった人がどれほどその失われたものを思っているか?
故郷は何も意識しなくても普通にあるものだったからである。
それと同じようにいつも見ている景観は当り前にあるものだから尊いものに思えないのである。ただこれがそこなわれたとき強く意識するのである。

ではなぜ簡単に景観が破壊され景観に無頓着なのかというとそこが私有地であり一人の持ち主が売るとなるとそれが通る、景観がそこなわれるから売るなと言っても私有地だからどうにもならない、そういうことが原発でも起きていた。
原発を建てる一部の土地の所有者と県で許可して原発でも建てられるということすらあった。それから漁業権でも組合が私的に所有して東電に売り渡して補償金を事故前も事故後ももらいつづけていたのである。
そして自分の家の前の海も権利があるとして補償金をもらおうとしていたのだから人間の欲が私有するととめられなくなる
広島の土砂災害があったところも無数に明治以降私有地化されていた。
入会権がなくなり私有地化してそれが宅地として売られていたのである。
入会権は土地の共有制であり一人が勝手にできないものである。
土地とか海がつながっているのだからそもそも共有的性質が大きいのである。
だから私有ということになじまないのである。

この土をとるために破壊された景観について気にしている人は自分だけかもしれないが
やはり一人でもそういう人がいるということは一人が感じていることは大事になる
みんなが何か利害が関係しないなら関心がないというのでは困る
美的な観点からもその土地のことを見る人があってもいいのである。
あれを見るといつも嫌な感じになっているからだ。
景観とか利害とかんけいしない場合、簡単に破壊されやすいのである。
その土地所有者にしてみれば利益になるのだから反対しても無駄である。
その権利も回りのものにもないのである。そこに土地の問題があった

自分は別に土をとることに反対してはいない、現実にこの変では工事で必要なのだから反対できない、ただ街内からいつも生活している所が見えるので嫌だなと見たのである。
やはりいつも生活している所が汚れていたりすると嫌だとなる。
通りすぎるだけならそうはならない、そこに生活する人の目は地方自治になるのである。
でも民主主義は多数決だから多数のものが関心がないものは取り上げられない
だから景観は利益にならないからどこでもはかいささ安いのである。
京都などでも町家の前に高いマンションが建ったりと破壊されやすい
都会には土地がないしそれを防ぎようがないのである。

結局あの土剥き出しの所は何かそのあとに緑にする、木なり花なりとか植えて土むきだしにしない、家が建てば土剥き出しなのも見えなくなる
あのままでは景観的には嫌だなとるなる、毎日見ているからそうなる。
タグ:景観破壊
posted by 老鶯 at 21:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

神奈川県の知的障害者大量殺害事件の謎 (奇々怪々な思想の乱れ、カルト的妄想に陥り安い若者)



神奈川県の知的障害者大量殺害事件の謎


(奇々怪々な思想の乱れ、カルト的妄想に陥り安い若者)


今回の事件はなんなのだろうと思う。この若者がなぜある時期から入れ墨したり金髪にしたり変化したというのも謎である。人間が変わってしまったということある。
この個人的変化が犯行に結びついていた。
それまでは普通の青年でありむしろ評判が良かった。
教師になれないなどから精神的挫折があってなったのか?
そういうことは若いと良くあることである。
青春とか若いということはある意味でエネルギーに満ちあふれるている時である。
それがどうしてもおかしな方向に向き安いのである。

なぜ学生とか若者がカルト宗教などにはまりやすいのか?
なにか若者はまだ現実を知らない、学生はただ理論だけである。
理論だけだということは妄想に陥りやすいのである。
創価などで運動していたときもそうである。
「世界平和」とか人類がどうだとか自分もこの人と同じことを思想で共感していた。
オウムでもそうだが何かそうした実現し得ないことでも妄想として持つ
それが実行するから怖いのである。
左の学生運動などもやはりカルト的な妄想があった。
それはイスラムのテロもそうであり宗教が妄想化して実行してテロになる。
本来の宗教とはなんら関係ないものである。
人類平和のためにとか言っていることはカルトそっくりなのである。

そして人間は日頃思っていることが現実化する、意外と甘くみているのが思いのエネルギーなのである。
誰かを殺したいとか恨む念があるとそれが伝わり別に本人ではなく他者がその念によって殺人まで起きるという思想家がいた。
人間の思いのエネルギーは意外と大きいしこれが盲点となっている
何を思うが自由であり行動に移さなければ何の害もないからいいではすまされないのである。

この人は相当にインターネットに特に2chの影響を受けていた。
ここでは毎日老人は死ねとか知的障害者には特に憎悪して死んだりすると
一人害獣がしまつできた、親も大喜びだと毎日のように言っている。
そして絶えずイルミナリティとかユダヤ人が裏で操っているとか陰謀論が語られる
それもこの人は影響されていたしはっきりと文章まで書いている
だから現代の社会を反映した犯罪だったのかとも思う。

ただこうなる前にすでになぜか人間が変化していた。
入れ墨して教員に採用されなかったとかありなぜそんなことをしたのかとなると謎である真面目な青年がヤクザのようになっているというのも謎である。
カルトに陥る人間は意外と真面目でありそんな入れ墨したりしないのである。
彼にはそうした真面目さは失われていた。だからカルト的妄想とはまた違っている
それでも知的障害者は死んだ方がいい、それは社会のためにも親のためにもいいんだという信念をもっていた。
それは別にこの人だけではない、いつもネットで言っていることだから異常なことではない、ネットではそれが常識になっていた。そこにネットとの怖さもあった。
そういう思想に毎日ふれていれば知的障害者は殺してもいいとなるからだ。

創価もカルトなのだが大人がいてまず得なことはするが損なことはしないというのがある意味で安全弁になっている。
この若者はそうした損得関係がないことがイスラムのテロとにている。
若者のいい点と悪い点があるがあまり損得を勘定しない正義感をもつことはいい面であるだからカルト宗教団体に利用されやすい。
人類平和のためにとか愛のためにとか誇大妄想思想にはまりやすいのである。

いづれにしろ今回の事件はこの人を英雄視する人も若者にででくる。
一人殺せば犯罪者でしかないが千人殺したら英雄だというのも感じる
こんなに殺したのかという驚きが先になる。
気持ちよく邪魔者を始末してくれたなと思う人さえでてくる
それが怖いのは毎日ネットで老人は死ねと言っている若者である。
それが怖いのは今回のように大量殺人につながる、現実化するからである。
すでにそういうことがあったのだが今度は二十人とか百人とかテロ的な殺害が起きてくるかもしれない。
だからあまりにもネットでは言い放題でありそういうことを言いたい放題なことが危険だということもある。
何かこの人はネットに影響された世代の人だったからである。
2chからみれば待望していた英雄とまでなるからである。

認知症でもこんな人は人ではないから死んだ方がいいとかいつも言っている。
でも家族にとってはそうはいかないしそのことは書いた。
自分は介護することに意義を見いだしていたことも書いた。
重度の知的障害者となるとこの人たちの介護に意義を見いだせるかとなるとこれはそうはいかないから深刻な問題であり軽々しくは語れないとなる。
これは社会問題でもあり若者のの問題でもあった。
若者は一歩誤ると道をはずれると奈落の底に転落する
自分も社会人から離れたアウトサイダーになったから危険であった。
でも奇妙なのはその後30年間とか隠者として田舎にいたというのもふりかえると不思議である。こんなことがありえたのも家族環境の結果だったのである。
この人は両親がいなくなり家に一人でいたということも危険なものになっていたのである

posted by 老鶯 at 09:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層