2016年07月01日

放射能汚染で死んだ人は福島医大で実験用に使われた


放射能汚染で死んだ人は福島医大で実験用に使われた


話の面白い小高の人はいろんな建築現場に行っていた。
それで何か道を舗装するときそこが粘土で水があがってきて困った
その人は経験から砂をまくといいことを知っていた。
そのことを酒の席で上司から呼ばれて提案したという
酒の席だから一労務者がそんなことを言った、普通は相手にされないだろう
しかし上の人はそのことを知らなかったという
その通りにしたら水があがらずうまくいったという。
でも何の報償もなかったと言っている
他にも工事現場で経験から提案してそれが成功したが何の報酬もなかったと言っている
たいだいそういうことは上の人が知っていてやるものだと思っていた。

あの人はフクシマの原発でも仕事していたからしきりにそのことを話す
何かいろいろ経験したことを上の人に言う、普通はあまり上の人とはつきあわないだろう良く言うのが仲間が原発の仕事でみんな死んだという,それが良く理解できない

福島医大では原発で放射能汚染で死んだ人がアルコール漬けにされて水槽に保管されていたという
何か放射能について研究するためにそうされたのだろう
医大とか患者でも実験の場なのである。
本人も文句言わないというとき金はもらいるしあとのことは墓までめんどうみてくれるからだという
確かに最近死んだら献体する人が普通の人でも増えてきたのは何か役に立ってほしいからだという、老人などなんの役にもたたないと常に言われているからである。
そしてあとのめんどうを死後までみてくれるのでいいと献体が増えているから献体に対しての考え方も変わった
仲間がみんな死んだというとき何か原発に関して秘密にされることが多いのである。

危険な所で働くのは何より金であり放射能のことは考えないというのもわかる
この辺でも原発の危険性より金だとなっていたからである。
だから原発は様々な利権の場所だった
政治家から検察からマスコミから地元でも危険をかえりみず金のために働いたのである。

最近原発のことが選挙の争点でもなくなった。この辺ではこの問題は延々とひきずる、30年後でもそうだろう。放射能は簡単には減らない、そしてどういう被害が出てくるのか癌になるのかなどわからない
室内では自分の部屋も減らない、0、2のままなのである。外は除染して減った所が増えた室内は変わりないのである。この辺で除染したのは樋だけである。0・23以下だったからである。
もう今でも他では忘れられる、だからこそ原発が再稼働されている
結局原発では人は死んでいない、もしシバタバタ死ぬようだったら恐怖であり即時に原発は停止されたのである。
その被害がわからないしこれからもわからない、体内被爆というのも怖いとしてもその症状がどのように現れるのかわからない、10年後でも20年後でも老人だったら癌になるのだから放射能が原因とされるとはならない。

一部燕とか木とか植物にも影響したみたいだが人間にはどれだけ影響するのかわからない動物か奇形などと生まれてもいない、そういう風に具体的なものが現れれば恐怖になるそれがないから恐怖を感じないのである。
その恐怖を感じないことも怖いのである。なんだ原発事故などたいしたことないじゃないか、誰も死しないじゅないか、それでまた再稼働するようになったのである。
公害では何か奇形化したとか具体的な被害が見えたが原発事故は見えないから恐怖にならない、20年後、30年後に影響があるといってもそれもわからない、そんな先を人間は考えられないからである。

いづれにしろこの辺は放射能の実験場にされたのである。どう影響するかわからないがそれでたいした影響がないとなると原発は促進されるだろう。
その期間が長いのである。

posted by 天華 at 10:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年07月02日

夏の日(相馬市の道の駅ー台前→鹿島区を行く)


夏の日(相馬市の道の駅ー台前→鹿島区を行く)


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白い帽子は女性である

蔵二つがあり前畑があり悠々としている

これが田舎の住まいである。

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この奥に一軒の家がある

その前は草茫々である





蔵二つ前畑に女菖蒲映ゆ

夏草や奥に一軒長き道

立葵映えて畑に仕事かな

大通り田舎の真昼立葵

夏日射しこの家の栄ゆ赤き石

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鹿島区の大通り

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相馬市の道の駅から山の方へ行った、台前という所である。
ゆきどまりの奥に一軒家があった。その前は草茫々だった。
そこは元は田んぼだが放置されたのだろう
相馬市は別に放射能汚染地域に指定されていないから前と同じであるがそこは草茫々だった、奥に一軒家があり廃屋などもあった。
ただ道が舗装されている、それは最近舗装されたものである。
その舗装された道が結構長いけど誰のために作ったのかとなると
その一軒の家のためになのかとなる、それも金が相当かかっているだろう
これがまさに限界集落とにている、一軒の家のたにもインフラを舗装した道を作ったのである。

ともかく田舎は前からいたる所を道にしていた。飯館村の神秘的な森に覆われた場所も道にされた。結局車社会だからそうなる
田舎では車なしでは生活できない、一人一台もっている、農作業でも軽トラが必需品だからである。
それで田舎はかえって金がかかるというのはそのこともある。
一方でなぜそうした不便な所に住めるのかとなる車があるからだともなる
ただ田舎暮らしというとき何か小さな町からでも離れた地域のことを言っている。
でも田舎というとき小さな町とか市がいくらでもある
そこにはスーパーはある、だから別に町内に住めば車なしでも住めるのである。
ただ田舎で普通は車をもっていない人は田舎の下層階級である。
生活保護とかなにか普通ではないと見られるのである。実際に自転車を使っている人はそういう人が多いのは確かである。
田舎暮らしというとき何か特別不便な所をさして言っている。
原町とか相馬市に住んだらそこが田舎暮らしにならないのかとなる。
その辺が田舎暮らしの変な点なのである。

南相馬市の鹿島区の大通りがあり広い、あそこだけなぜあんな広い道路を作ったのか前にフジコシとかのスーパーがありそのために広い道路にした。
鹿島区は原発事故では悪いことには必ずしもならなかった。
なぜなら今度シシドスーパーができる、なぜできたのかと考えると鹿島区は小高は避難区域になったがここはならないし新しい家がどれだけ建ったのか三つくらいの地域が新しい街になったほどである。すると人口は減らないから新しいスーパーができた。
それだけの人口があるから客が来るとして作られたのである。
鹿島区でもう一つスーパーができることは大きな出来事になる。
スーパー一軒だと競争がないから高くなるからだ。
自分は車がないから助かるとなる。

土手の道に立派な家がある、いろいろな石を並べてある。大きな石だからその石自体高価である。一軒見ただけで金持ちの家である。庭に金をかけている所も金持ちの家である。自分は石に興味があるからあの赤い石は女性の石であり女石(めいし)とかなる
貫祿ある石だと見る、毎日あそこを通っているからその石が心に沈着してくる
石というのはやはり長く見ていないとわからない、石というのは自然でも一時見ただけではわからない、長い年月そこにあるからやはり長く見ていないと石のこともわからない、長い時間をかけるとその石と人間が一体化するのである。
だから自然は田舎でも長く住んでいると自ずと自然と一体化するのである。
自然とアイディンティティ化してゆく、それで自分のテーマは石や樹になったのである。
タグ:台前

2016年07月03日

バングラデシュのテロの起きた高級レストランの危険 (地元の人と隔離されたような場所は危険)


バングラデシュのテロの起きた高級レストランの危険


(地元の人と隔離されたような場所は危険)



ジャージとかで汚い店で食べてたら殺されなかったろう。 
この店と客が地元民から嫌われてたんじゃないの 


外国人がおおく集まる店は危険。 屋台で食べてればまず平気。 
たとえ外人と気づかれても無視される。 タクシー・バスは現地の人と 
一緒に乗る事。 

バングラディッシュって日本より狭いのに人口1億5000万もいるんだな
しかも1日2ドル以下で生活してる超貧困層が1億2000万人くらい
そりゃ暴れたくもなるわ 

でも確かに昔は日本人だといえば助かったかもしれん 
身代金払うイメージがあったし 

今は無理だな 
何かあったときに中国人あるねと言うことにするわw 

42パーセントの子供が栄養失調


海外旅行の経験からなぜ自分がなぜ犯罪にあわなかったのか?
自分は50才で始めて海外旅行に行ったので慣れていない、だから異常に警戒していた。
金は腹巻に入れていたとか警戒していた。
その時はこんなにテロは起きていない、アラブ人は日本人に好意的であったのだ。
それが安倍首相になってから変わった、isにあからさまに敵対すると発言したからだ。
その時から日本人はテロの標的になったのである。

今回のテロがどこで起きたかを見ると外国人が集まる高級レストランなのである。
ダッカで一時待ち合わせで下りた、そしたら裸足の子供などが群がっていた。
ずいぶん貧乏な国だなとその時思った。その待合室も何かソファーでもいいものを使っていない、普通はそういう場所はいいものを使っている
空港自体が先進国とは違っているのである。

そういう国では貧乏な国では高級レストランに集まるような人たちは特別な人でありうらやましく見ていたろう。格差がはっきりするからである。
格差がはっきりする所では危険になる。日本では田舎だと高級レストランはない、ただそういう場所があり特別の金持ちだけが入る所となるとうらやましくなる
貧乏な国ではそれが目だつからテロの標的になるということがある。

海外旅行でもなぜ自分が犯罪にあわなかったのか?
それは自分は貧乏旅行者だったからバックパッカーだったからである。
中国でも危険だというが危険ではなかった。
なぜか、中国人のように見られていたことである。そして金があるように見えなかったのである。何か汚い感じでもあり中国人にまぎれてしまって中国人のようになっていたからねらわれなかったということがある。

ただヨーロッパとか中東になると中国のようにはいかない
イギリスの空港で日本人ににている人がいたので日本人かと言ったら韓国人だった。
そこで黒人がチョコレートなどを盗んでいた。
中国人と韓国人と日本人は一緒になる。そして日本人は中国人に見られることが多いのである。
チーナとかイタリアで子供に言われたのもそうである。それは軽蔑をこめて言われていた
海外旅行で犯罪にあわないためにその国の人のようになりまぎれてしまうことである。
特別目だつと高級レストランで外人だけが集まるとなる危険になる。
ヨーロッパでもレストランは一人で入りにくいのでマグドナルドのような所にしか入っていない、そこは地元の人も利用している。

今回の事件は外人が集まる高級レストランでありそれが地元の人からすると目だっていたのだろう。そういう所は貧乏な国では反感がもたれる
まず地元の人たちが一杯いたらテロの標的にはなっていないだろう。
バングラデッシュなどは相当にまだ貧しいからだ。
いづれにしろ格差社会は国内だって治安が悪くなり自分も田舎で犯罪にあった。
格差社会は底辺層が増えてそれが富裕層への恨みが露骨になるから危険になる
イスラム国などが生まれるのはやはり貧乏が原因でもある。

海外ではこれまでは日本人であることは安全であった。
アラブ人は日本人に好意的であり日本人もアラブ人が好きだったのである。
今は違う、テロの標的にされる、
いづれにしろこの格差を埋めない限り国内でも海外でも平和はない
グローバル社会でなければ別に他の国がどうであれ干渉しないし安全である。
日本が鎖国して貧乏でも他の国では関心がないのと同じである。
これだけ人が世界的に自由に交わるからそこで様々な問題が起きてくるのである。

posted by 天華 at 04:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

朝日テレビの「世界は今は」の医者の話が現代を象徴 (医療のグローバル化でも格差が世界的に生まれる)



朝日テレビの「世界は今は」の医者の話が現代を象徴


(医療のグローバル化でも格差が世界的に生まれる)


EU内でもルーマニアでは医者が給料が安いとかで外国に流出して国内で医者不足で困っている
イギリスの医者もドバイの馬鹿高い給料でそこに移った。給料だけではない、医療技術を学べるとかでも外国に流出している、最新の機械をそろえてもらってその人の技術が活かせると言っていた。イギリスでは国営なのでそれができなかったという。
ルーマニアでは若い医者がここでは最新の医療が学べないとして外国に出る、ルーマニアで月給が高いの共産主義時代の名残で軍人とか公務員だという。軍人が給料が高い国はいい国ではない、やはり医者とかが給料が高いのは先進国ではどこでもそうだからである。
でもここでの矛盾は何でもグローバル化すると金があるところに人材が集まり金のないところにはいい医者は集まらないとなる。これも矛盾である。
日本でも田舎には医者不足なのはこの事情とにている、ただ給料は高い
若い医者が田舎に来ないのは腕が磨けないからだという
南相馬市に新しくできる、建物はほとんどできた脳出血専門の病院はもともといた副医院長が手術がうまいとか評判だったし若い人がここで学びたいと前から来ていたのである。田舎でもそういう名医がいるところに若い医者が集まる

グローバル化というとき、EUの中で人や物が自由に行き来するというのでパスポートもなく出入り自由になった、そうなれば当然人間が医者なら金になる国に移るし労働者も移るそれで不満になったのがルーマニアであり東欧から労働者が移民が入ってきたイギリスであった。双方ともに不満なものが残った、イギリスだけではないそうした医者とかが流出するとなるとルーマニアではグローバル化で損害を受ける、医者は命にもかかわるから大事である。それがないがしろにされる
要するにグローバル化の問題は金の集まるところに富裕な国にまたは日本なら東京とかに人材が集まり地方は置き去りにされるのとにている
ここにも格差が世界的に起きているのである。

医者は金と情でどちらが大事とか問うていたけどグローバル化するというときはルーマニアのように給料が安い所にいたくないとなる、情として国に尽くしたいとしても現実問題としてはそうなる、地方の医療に尽くしたいと思っても若い人は医療を学べないとして行きたくない、医は仁術というとき医者は今ここで病気で苦しんでいる人がいればその人が金のあるなしにかかわらずまず助けるということが先になる
それで救急車が無料で呼べるシステムになっているのである
医者には給料が高いのはいいとしてそうしたまず命を救うということが仕事なのである

事業をしていた人は自分が病気であることを全く考慮していない、ただ借金を返すことしか頭にないから借金を要求する、弱っているから好都合なのである
もし瀕死の状態にあるのにこいつは金をもっていないから医療をほどこさないとしたらどうなるのか?
そこに医療が他の仕事とは違う問題がある。教育なら金のかかる教育は受けられないとしても生死にはかかわらない、何か別な方法もありうる
医療の場合は結局金がないとかで医療を受けられないとした寿命を縮めて死んでゆくほかないとなる、もちろん過剰な医療が必要ないがそうでない場合も医療が受けられず命を縮めるから問題なのである。
日本は国民保険制度で平等に医療が受けられるからいいがアメリカでは金持ちしかいい医療が受けられない,簡単な手術でも何百万かかるとなるから手術も受けられないで死ぬ人かいる。ただ日本のような国民保険で医療を維持するのも金がかかるからいつか限界がくる、医療費が高齢化で膨大になり維持できなくなる、だから過剰な医療はやめるべきだとなる。ただその線をどこに引くかは個々に事情が違うのでむずかしい

また最近医療のAI化が盛んに言われる、一部はすでにロボットで手術するとか現実であるこれもどんどんすすんでゆくと医者も失業するとか言う人もいる。
ある面ではどこでも今やコンピューターの方が優れているからだ。
コンピューターの得意な点は膨大な情報を処理できることである。
それはとても人間の比ではないのである。その膨大な情報から診断できるから医者より優れる面がでてくる。
ただ必ず人間の仕事がありそれはなくならないのだ。
コンピューター化が進むとき人間に残る仕事は何かというとコミニケーションする力だと思う。それは情の分野になる。
この人はかわいそうだなとかコンピューターがロボットが同情することはないのである。同情するのは人間にしかできない、また何かを共感するというのも人間にしかできない、例えば家事は機械化して今や主婦の仕事はなくなるくらいに減った。
でも女性には慰めるというか優しさをもって男性に仕えるというのはなくならない
それは他でも看護師だったら患者をなぐさめるというかコミニケーションする力が必要になる、ただ点滴するとか注射するとかだけではない、患者とコミニケーションする力が必要になる、これは若い人にはない、やはり経験をつまないとできない。

一見若い人がいいようでもコミニケーションする能力には欠けている
だから年寄りを馬鹿にして子供に対するような言葉使いをしているとか批判しているプログもある。人生を経験を積んだ年寄りを子供扱いしているのである
それは年配の人と経験を積んだ人とコミニケーションできないからである。
自分が相馬市の病院に入院したとき看護婦長が「介護しているので大変ですね」と言ったときこの人は自分の事情を察してくれたと思ってうれしかったのである。
若い看護婦は師はそういうことはみないのである。
だから若い人と年配の人との仕事を分けるということもありかなと思った。
若い人はハードなことはできるがコミニケーションのようなソフトなことはできない
年配の人は人によるがコミニケーションには向いているからソフトな仕事をする
それは介護の現場でもそうである。
人とコミニケーションをとるというときその人に共感することが大事である。
自分も自分の年上の人の話を聞いてそのことを書いた、それは年が10歳くらいしか離れいないからできた。同じような経験をしているから話を合わせることができた
その人の語ることに共感できた。そうでないと話を聞くにもできないのである。

グローバル化とかAI化とかコンピューター化とかは現代的なものとしてすすんでゆくがそこに問題も生まれる
インターネットとは知のグローバル化であるからだ。人や物だけではない、知識もグローバルに流通する。そして膨大な知識が本が最終的に無料で読まれるようにするのがグーグルの目的だという。そうなれば素人でも専門家になりやいだろう。
文章を書くには何かを必ず参考にしているからである。
そして作家になるには物書きになるにはこれまでどうしても書斎がそれなりの本がないとなれない、一つの図書館をもっていないと何か引用したりすることができないからであるでも図書館にゆくのはめんどうだから家でできないと文章が書けないのである。
それで田舎でも情報や知識の点では格差がなくなった。
本でも古本でもアマゾンでボタンを押せば次の日には配達されるから便利である。
電子本だったら即座に読めるのである。
いづれにしろグローバル化による弊害もあり利点もある。
ただその矛盾が最近格差問題などで噴出した。医療というのもやはりグローバル化して問題が起きる、常にグローバル化とは金がある人は得して金のない人は損することが極端化してしまうのである。
それが象徴しているのがドバイの高級医療をほどこす病院だったのである。

タグ:医者

2016年07月04日

民主主義は権力の平衡をは計る制度 (暴力ではない対話と話し合いが基本)


民主主義は権力の平衡をは計る制度


(暴力ではない対話と話し合いが基本)


コミニケーションというとき現代は複雑だからしにくい、コミニケーションというというとき対等であり平等でないとできない、それが民主主義の基本である。
これまでは暴力で解決してきたのがともかく暴力にならない話し合いで対話して解決しようとするのが民主主義である。
ただ民主主義にもいろいろ問題があっても暴力にならない、戦争しないということで民主主義が選ばれたのである。その点を抑えておくことが必要である。
そこには完全な平等とか公平さはない、そもそもこの世にそんな公平な世の中は実現しない、それは神にしかできないことである。
国と国の戦争になるとどちらに正義があるかなどわからないからである。
だから必ず損する人がいて不満な人が消えることはないのである。

でも話し合いとかなるとそれは時間をかけて解決する方法だともなる
暴力でもって一気に白黒をつけるというやり方ではないからだ。
共産党は最初暴力革命を是認していたのである。それで今も警戒している
創価ですら武力革命で権力奪取だとか意気込んでいた時代もあったが無血革命とか言って選挙で権力奪取を計ることに変換したのである。
民主主義政権下では暴力で武力で権力をとることは許されないからである。
ただ民主主義が万能かといったちそうではない、ナチスは民主主義の選挙の手続きで選ばれて政権を取ったからである。
第一多数だからすべて正しいとはならないし多数はかえって多数の暴力になり数が多ければなんでもいい、それで物事が決められるととなるとこれも恐ろしいのである。
ただ民主主義に代わるものがないからしているだけなのである。

コミニケーションの基本は対等であり平等でとないとできない、その対等が基本にあり日本のように敬語が多い、上下関係に気を使う国ではむずかしいものであった。
アメリカの成り立ちが王様はいない、一番偉いのが大統領であってもそれは一庶民であり特別偉いというものでもない、つまりIとYOUの対等性がある
英語自体がそうした平民的な言葉なのである。それがイギリスの英語と王が貴族が継続して成ったクェーンズイングリッシュとは違っているというのもそのためである。
ただ現代では民主主義というとき日々の生活でコミニケーションの基本が成り立たないのである。対等性、平等性がないのである。

専門家ー庶民

この間で一番コミニケーションがなりたたない、医者と患者とかでも例にするとそうである。
医者は専門家であり医者と患者は対等ではない、その知識も差があるからとても医者と対等にはなりえない、そして医者とか看護師とかは権力を持った存在なのである。
何か聞いてみるのも怖いとなる、なぜならこいつは生意気な奴だとして何されるかわからないという恐怖があるからだ。
だから医療ミスでも病院を訴えることはよほどのことでないとできない、それで膨大な医療ミスは見逃されることになる。それは権力の場所だからである。
権力がある場所はどこでも対話とか不可能である。
東電でもそうだった、何か対話しようにもお前は原子力のこと核のことがわかるのか?
自分もそういわれれば科学に弱いから何も言うこともできないのである
現代にはそういうことがいくらでもあり専門家が権力を持つ時代というイリイチの指摘がある。
何か訴えるにしても弁護士に頼らざるをえない、法律の専門家に頼らざるをえないのだから専門家の前に無力化されているのである。

それだけではない、権力をもつ団体にはもう対話もなにもできない、創価などと対話などできない、他のカルト宗教団体でもそうである。オウムがそれを証明していた。
何でも団体化するとそこは権力をもっているから対話などできない、ただ権力でもって押しつけられるだけなのである。つまり俺たちはすでに800万票をとっていてそれが信仰の証明であり力の証明なのだと数の権力でおしつけるのである。
宗教がこれほど世界的にでも広がったのは民衆が自主的に選んだものではない、権力によっておしつけられたものである。イスラム教などは特にそうである。
信じるか、信じないかしかなくノーと言えば殺される社会なのである。
キリスト教も歴史的にそういうことがあったが今ではしていない。宗教を強制していないのである。

権力関係というとき二人の人間の間でも権力をもつものと持たないものでは対話できない、権力を持つものに従う他ない、なぜ戦前とかは離婚が少なく戦後は離婚が増えたのか?それは女性が生活の面で自立してきたからである。
戦前は離婚したらもう自立できないから嫌でも夫に従う他なかったのである。
だからこれだけ離婚が増えたというのも当然だともなる、つまり二人の人間が男女でも仲良くするということはむずかしいことを証明しているのである。

人間の関係は庶民の間でも平等ではない、例えば雇う人と雇われる人がいたとするとそこにも権力が関係が生まれる、雇われる人はやめされるという恐怖があり対等にならない
ただ人間というのは権力を誰でももっていない人はいない、雇う方だって雇われる人がいなければやっていけないということがある。つまり弱みをもっているのである。
だから会社は共同で成り立つのだから社長だけで何でもできることはない
だから社員でも権力はもっているのである。ただどうしても雇う方に権力があるのが多く雇われる人はやめさせられる不安があり上の人に従うというのがある。
それでブラック会社が多いというとき雇う人の弱みにつけこんでそうしているのである。そういうことは民主主義的でないから弱者を保護する法律があり対抗手段を与えるのが民主主義なのである。

要するに民主主義が欠陥があるとしてもそうした権力の平衡を計る、それで独占禁止法などができた。ある会社が独占してしまえばその一社だけが突出した権力をもつことになりそれに誰も逆らうことができなくなる、それが東電のような会社だったのである。
完全に電気は独占企業になっていたからである。そうした権力をもった会社は自分たちの意のままになるとなり不都合なことも隠すことができた。それが大事故につながっていたのである。
民主主義とはどうしたらそうした突出した権力を抑えるかとか権力の平衡を計る仕組みである。それで三権分立ができたのである。
ただ権力ある団体に従うというときそれが今回の原発事故のような大事故にもなる。
また戦争にもなる、マスコミもこれまでは巨大な権力だった。
それに対抗するものとしてインターネットとか生まれたものそうである。
報道の自由といっても今まではマスコミだけがもっていたのである。
一個人など報道しようもないからだ。何か発言する力を持っていたのも権力をもっている人だけである。何かの代表者として発言している、創価の代弁者としてかもしれない、または左翼団体かもしれない、または仏教会かもしれないしまず何かの団体に属さない人は一個人は発言もできないのである。一見発言するように見えてもできなかったのである。常に権力の平衡を計るものとして民主主義はある。それが欠陥があり問題があってもそういう思想が民主主義にはある。
それで民主主義に反するものは批判されるのである。
タグ:民主主義
posted by 天華 at 15:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2016年07月05日

なぜバングラデシュやイスラム圏にテロが起きるのか? (明治維新のように近代化できなかったため)


なぜバングラデシュやイスラム圏にテロが起きるのか?


(明治維新のように近代化できなかったため)


なぜイスラムの国々がヨーロッパからみると遅れてしまったのか?
このテーマが文明史的テーマだから簡単な解答はないだろう。

原因として

●気候

●宗教

●遊牧民と農耕民

●海と陸の対立

中世まではイスラム圏が文明的に進んでいた。学問でも化学でも数学でもイスラム圏が優れていた。代数がイスラム圏から入ってきたのは宗教が影響していた。
なぜなら偶像崇拝を徹底して幾何学紋様とかしか芸術として許されなかったからである。数学は高度な抽象化だからイスラムではあっていたのである。
そうしたイスラム文化が入ってきて総合的なものとしてイタリアでルネサンスが起きたのである。

十字軍はヨーロッパが遅れていたために起こった。富める国への略奪だったのである。
宗教の名を借りて略奪のための戦争だったのである。十字軍でイスラム圏からの富と文化がもたらされた。
日本でも秀吉が韓国を攻めて陶工などを戦利品として日本に移住させたように戦争では文化も流入してくる。アレキサンダーがギリシャの文化を戦争でもたらした。
仏像はまさにギリシャの文化、彫刻をインドにもたらしたのである。

歴史的にふりかえればイスラムが遅れていたとはならないのだから気候とか宗教とか遊牧民とか農耕民とかの差が影響していたとも思われない
いかに砂漠でも人間社会には不利な条件でも文明が起きる
それはエジプトでもマヤとかインカでも自然条件が恵まれているとは言えなくても起きている。だからこの三つが原因ともならないかもしれない。
中世はヨーロッパは暗黒時代であり閉ざされた時代だった。その時はイスラム文化の方が栄えていたとなる。シロクロードとか一時はイスラム圏が経済的に文化的に興隆していたのである。

その中世の閉鎖された時代を宗教革命とか技術革命とか産業革命とか国民国家とか近代化するのがヨーロッパだった。
大航海時代がありヨーロッパはアジアへ北米南米大陸へ進出したのである。
一方その大航海時代にイスラム圏は中世のままであり停滞して取り残された。
それがなぜなのか?そこにもむずかしい問題がある。
政教分離がないというのも大きな原因だった。ヨーロッパはカトリックの宗教的政治的支配から脱出して国家形成をした。
ただそもそもがヨーロッパ文明がキリスト教文明でありキリスト教とイスラム教の相違が後の歴史の流れを変えたという見方もある。

カトリックとプロテスタントが分かれたときプロテスタントが産業革命の基になった。
資本主義が修道院から生まれたというときプロテスタントにはそういう信仰、思想があってできた。勤勉の思想であり神に仕える信仰である。
それがドイツとイギリスに起きたというときそこが寒い地帯ということも影響していた。なぜなら熱帯地域だと勤勉の思想は起こらない、暑いととにかく働く気になれない
それでカトリック地帯は比較的地中海気候であたたかいから勤勉ではない、今でもシスタとか昼間は寝ているのは暑いから働けないのである。
それは砂漠のイスラム圏でもにている、一日中日影で水パイプを吸っているのもそのためである。人間にとって気候の影響は大きいのである。
ただ暑いからといって文明が興らないとはならない、エジプトでもマヤでも暑い所であり文明が起こっているからである。
だから必ずしも気候だけが文明が起きたり衰退したりする条件とも思えないのである。

ともかくエジプトでもイギリスのポンドが紙幣になっていたりイスラム圏もイギリスが支配してアジアも植民地としたのである。
だから太平洋戦争は日本とイギリスの戦争でありシンガボールを日本軍が最初に陥落したことは世界史的に大きな事件だったのである。
自分の姉が従軍看護婦としてイギリスの赤十字社の病院にいたからである。
それはシンガポールではなくマレーシアのジョホールバルだった。
イギリスが世界を制覇したという時代があり英語が世界の共通語のようになったのである世界史からみればではなぜイスラム圏は近代化できないのか?
近代化というとき政治でも経済でも技術でも総合的なものとしての近代化がある
イスラム圏はそれを成し得なかった。
そして工業化できなかった、台湾とか中国とか朝鮮では工業化している、台湾とかも暑い国だしなぜそんな小さな国でできたのにイスラム圏ではできないのかとなる
台湾ではパソコンとかの部品関係だけどそれにしてもそういう工業化の能力があったとなる

今回のバングラデッシュのテロ事件でもイスラム国の信じられない野蛮性がなぜ生まれているのか?
これもイスラム圏が近代化できない、中世の延長でしかなく停滞したままだでありそれがただ暴力となってその捌け口を見いだしている。
日本だと明治維新で若い人はヨーロッパに習い近代化した。ヨーロッパとかアメリカは当時は遠いのである。飛行機もない時代だからである。
エジプトであれシリアであれ中東はヨーロッパと接近している。
シリアの難民が陸伝いでドイツまで逃れるように接近しているのである。
だから西欧文明を学ぶとしたら地理的に有利だったのに近代化していないのである。
そしてヨーロッパの文明お基はイスラムの文化であり自分たちは教えたものだとと言ってなぐさめているのである。

そういう歴史的に見るときイスラム圏が遅れてしまった、近代化できなかったのはなぜかとなる。近代化がこうしたヨーロッパの歴史から起きたとするとき別にイスラム教を基にした西欧文明に対抗する新しい文明は起こりうる、それは尊皇攘夷とかともにているのだ攘夷とは外国人とかの文化でも排斥することから起きていたからでてある。
ただ日本の近代化もヨーロッパとは違っていた。
天皇が一番上に置いた立憲君主制でありヨーロッパの近代化とは違っていたのである。
日本でもイスラム圏と共通した問題がありそれが太平洋戦争までつづいていたのである。つまりイスラム圏ではまだ江戸時代から明治維新の時代にありそれで外国人や欧米文化を排斥するのものがあり、裕福な学生でも知識人でもテロが起きたともなる。
日本でも明治維新のとき攘夷が起きたようにそういうことが若者の間で起きた。
それは日本でも侍のエリートに起きたのだから彼らもテロでもそうした思想に基づいているということもありうる。

ともかくなぜイスラム圏は子供が多く貧民も多い人口過多なのだろうか?
なぜか繁殖力だけは強くその繁殖力でヨーロッパに移民を送りやがてイスラム圏の文明を作り支配するということまで言っていることでもわかる。
そんなことで人口圧力だけでヨーロッパ文明を支配したとしてもそれは歴史の逆戻りでありやはり停滞したものとなる。
もし欧米文明に挑戦を受けて新しいイスラム文明を作るのなら別である。
それは日本では明治維新でそうしたことをある程度は成しているからである。
それが成し得ないからこそただ暴力となりテロとなり不満の捌け口となっているだけにしか見えないのである。
暴力だけでは武力だけでは文明を興すこともまた世界に通じるということはないのであるモンゴル帝国のようにそこには文明も文化もないからただ何も跡には残らなかったとなるただ領土を拡大化しただけでだったとなる。

確かに欧米文明とイスラム文明の衝突が起きているがそれが何かマヤやインカ文明との衝突のようにも見える、進んだ国と遅れた取り残された国とのトインビーの言うように文明の衝突である、
その証拠にイスラム圏からは宗教と石油だけであり何も産み出していない、イスラム圏から学ぶものが何もないということがそれを証明しているのではないか?
日本でもアジアでも学んできたのはヨーロッパであり欧米文化だったとことでもわかる。中世時代にはあったとしても今はなにもない、ただ人口が多くそこから移民が大量に流れてくる、それも単純労働者が多いのである。
そういうふうに文明的に遅れていることがテロとなり暴力として捌け口となっている。
だからエリートである学生がまた今回の残虐なテロを起こしたともなる














タグ:イスラム
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2016年07月06日

ベネチア-ベニス( abstract pictures-veneziaー(Venice)


ベネチア( abstract pictures-veneziaー(Venice)


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結局抽象画でも具象画から離れられない、抽象画でも何かをイメージするとき具象画になる。
ベネチアをイメージする抽象画として見るとより鑑賞しやすい
何かわからいままだと鑑賞もしにくいのである。

水の都のベネチアからイメージされるのは豊富だからである。
ベネチアングラスとかもありそこは栄華を誇った時代があったからだ。

自分が訪ねたのは春だった 穏やかな春の光がさしていた、そのイメージが表現されている

Even the abstract picture that it is not separated from a representational painting in the abstract picture either becomes the representational painting after all when I image something.
It is hard to still appreciate it now from any river which it is easy to appreciate more when I look as an abstract picture imaging Venice.

What is imaged from Venice of the capital of the water is because it is abundant.
There is it with Venetian glass, and there is because there were the times proud of prosperity.

The image that the calm spring light that it was spring that oneself visited pointed at is expressed

2016年07月07日

ヨーロッパの旅ー春の俳句二十句



ヨーロッパの旅ー春の俳句二十句

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(イギリス)

(ロンドン)

春寒し駅舎に飲みぬビールかな

春寒しイギリスの栄昔かな

テムズ河海に注ぐや春寒し

春寒しテムズ河の岸のベンチかな

鴨の列石橋わたり柳かな

夕日さし古城の紋章石に古る


(フランス)

絵を売りぬセーヌの岸辺春の暮

石造り宮殿古りぬ春のパリ

春のパリ石にもたれて思案かな

春の星同じホテルに客となる

泊まる宿セーヌの辺り春の星

(ニース)

老人に春の陽ざしやニースかな

春光や城跡に波のひびきよす

春光に新婚旅行やマルセイユ


(イタリア)

春の暮ローマの道をたどるかな

ローマの春廃墟の松やもの寂びぬ

春の日や廃墟の石にもたるかな

ベネチアや春光に舟波止場かな

浴場跡夕日のさして蝶舞いぬ

春光やフィレンツの塔美しき

春雨や南イタリアの古城かな

(ギリシャ)

雪の峰海に望みてギリシャかな

菜の花にドルフィの神殿埋もれけり

ドルフィや竜舌蘭や石古りぬ


(アレキサンドリア)


海の風アレキサンドリアや春鴎

街中に海の風吹き百合の花

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やっぱりヨーロッパは旅するのには一番いい場所だった。あれだけ歴史があることが違っている。ヨーロッパはいろいろあるけど芸術の都なのである。
その代表がパリなのだけどそこが違っている
中国などにはそういうものがあまり感じない、ヨーロッパは国が分かれているけど多様な個性を作り出した、それで芸術が華咲いたのである。
多様性があり国が分かれることで絶え間ない紛争があったのだが反面は多様な個性を作り出したのである。
この時はまだデジカメの時代ではないので写真があまり残っていないのが残念

それにしても時間がすぎるのは早い、自分がヨーロッパに行ったのはすでに十何年前とかなっている
その時は円高で旅行しやすかった。イスラムのテロもない時代だった。
ともかく時代は急速に変わる,中国だって20年前とかになるし急激に変わってしまった。中国の物価はあの時からすれば十倍にもなっているかもしれない、
世の中の変わりようは本当に早い

そして十年間介護に追われてたちまち過ぎた、今は思い出す旅である。
何か老年になると思い出すということが仕事になる
思い出すということはそこに確かにいたということを確認することなのである。
そこにいたということすらわからなくなる
そういう記憶の確認作業なのである。俳句にしてのもそういう記憶が残っているからできる

外国を俳句にするのは一つの文化交流である。最近はインターネットで外国の俳句が結構出ている、ともかく誰でも海外旅行できる時代だからである。
インターネットではなかなか批評しにくい、雑然とありすぎるのである。
やはり選ばれたものを見るのは楽だとなる

旅というのは何か記憶に残っていないと収穫がない
つまり全く記憶に残らないことがありうるからだ
特に外国ではそうである。どこにいたのかもわからなくなる
だから何か記憶にとどめる旅をしないと何も残らない。
辺りの風景を記憶する旅である。
それはいくら写真でもとどめることはできない
その時々の風とか光とか何でも写真にはすべてとどめることはできない
人間は五感で感じているからである。

認知症になると同じことを過去に経験したこと何百回という、それは記憶が生きた証拠になっているからそうなる。
だから一番人生で印象に残ったことを語り続けるのである。
姉の場合は戦争のことでありそれを死ぬ直前まで語って死んだのである。
それほど戦争というのはとても忘れられない記憶だったとなる



ベネチア-ベニス(abstract pictures-veneziaー(Venice)


ストラトフォード・アポン・エイボン


2016年07月08日

福島県の歴史の道の旅の回想 (棚倉→白河→会津ー(白河街道)


福島県の歴史の道の旅の回想


(棚倉→白河→会津ー(白河街道)


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青松浜には確かに森があった、ここでヅクが鳴いていた。

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人は道を通じてつながる、道は川が最初は道となった。

古代では川は道であった。アイヌでも川は道であり身体になぞらえて川口は頭であり川上は尻になる。その名づけ方は川を上流から下るのではなく下流から上ってゆくからそうなった。久慈川が長い川であり常陸からつづく道だった。この川沿いは黄金の道、鉄の道でもあった。

南相馬市の真野川でも源流に佐須の山津見神社がある。その神社は古代にさかのぼり古く伝説が残っている。川は道がないとき道になりやすかった。アイヌではまさに川が道だったのである。

久慈川は幸くあり待て潮船にま楫しじ貫き我は帰り来む

久慈川が棚倉まで上流になっている。久慈川は茨城県と福島県にまたがる長い川なのである。矢祭→棚倉→白河→泉崎は古代の東山道だった

茨城県の名の由来は

『常陸国風土記』の茨城郡条には、「穴に住み人をおびやかす土賊の佐伯を滅ぼすために、イバラを穴に仕掛け、追い込んでイバラに身をかけさせた」とある。また、『万葉集』にも「みちのへの茨(うまら)の末(うれ)に延(ほ)ほ豆のからまる君をはかれか行かむ」という歌があり、この故事にちなむ茨城(うばらき)という地名がみられる。

東山道には蝦夷が住んでいて大和朝廷の侵入を阻んだ。久慈川に沿って福島県に入ってきた。
ただ福島県に入る道は三つもあった。一つは白河関が有名だけどこの棚倉の道の方が古い、それから浜通りの勿来の関である。これも古代の道であり来る勿れであり蝦夷の抵抗にあった場所で来る勿れとなった。
つまり福島県とは古代から見ると大和朝廷にとっても侵入を阻んだ東北のみちのくの境界線だった。それは茨城県でも大和朝廷が侵入して土地の賊を無惨に殺した伝説が残っている、茨城県から棚倉辺りで強力な蝦夷が住んでいて抵抗した。

棚倉に残る伝説のこの地に8人の土蜘蛛がいた。黒鷲、神衣媛、草野灰(かやのはい)、保々吉灰 阿邪爾媛、梯猪、神石萱(かみいしかや)、狭礒名と具体的に述べている。ところが征伐に来た磐城の国造が敗れたので天皇は日本武尊を使わした。8人の土蜘蛛は津軽の蝦夷に援軍を依頼 徹底抗戦した。そこで彼は槻弓 槻矢で8本の矢を放ちたちどころに射殺した。そして土に刺さった其の矢はたちまちに芽吹いて槻木となった。そこでこの地を八槻の郷という 

これも大和朝廷とかと闘った生々しい記録なのである。カヤ族がいて真野の草原(カヤ族)がいてその名が地名化した。カヤは伽耶国のことである。

歴史はまず地理から地勢から解明してゆく、だから実地にその地を踏む必要がある。
それも久慈川沿いをたどり棚倉に到達すると実感が湧く、どういう訳か自分は自転車で会津からこの棚倉に来たのである。そしてこの棚倉で一夜のテントを張り泊まったのである
「入り野の種蔵」と呼ばれ種籾をツトコに入れて分けた。都々古別(ツツコワケ)神社があった、種というのは農業するものにとっては大事なものである。いい種をいかに手にいれるかで決まるのが農業である。もちろんその土地が肥沃かどうかとか他にも自然条件にさゆうされるのも農業である。

棚倉にテントを張りし一夜かな古代しのびて秋のともしび

都々古別(ツツコワケ)神社から一すじの道が水戸に通じる街道である。その道は東山道でる。ただ水戸は古代には知られていない、茨城県の由来となった地域ではない、それは江戸時代から水戸に通じる道となった。
水戸街道というとき東京からは今でも水戸街道と言っている、それは六号線になる。
江戸からは古代は東山道であり日光街道があった。
芭蕉は日光街道を通り白河の関所に出たのである。

この棚倉とか白河は江戸時代から明治維新の時もやはり境界線であり棚倉では薩摩長州軍と官軍と戦った。その中に相馬藩も入っていた。相馬藩は最初は官軍に抵抗していたのである。あとで天狗党に参加したりして官軍に組み入れられた。
だからここは福島県の地理的境界線だったのである。

旅をするとき鉄道の旅でも車の旅でも歴史を偲ぶことはむずかしい、新幹線などで来たら全く歴史を偲ぶこともできないだろう。
久慈川沿いを遡って棚倉につくとき歴史を感じるしまた都々古別(ツツコワケ)神社から水戸への道を見るとき歴史を感じる、自分はその時会津から棚倉に来ていたのである。
会津というと遠いのだけどやはり福島県ではないが白河藩とか関係していた。
蒲生氏郷の時代に白河藩を治めて会津町という名を残しているのである。
蒲生氏郷というときキリシタンでありそれで石垣に十字架が彫られいると土地の人が話していたのも興味深い。

白河から会津へは白河街道を行くのである

(札の辻) → 金堀 → 赤井 → 原 → 赤津 → 福良 → 三代 → 勢至堂 → 長沼・惣五郎内 → 江花 → 牧の内 → 上小屋 → 飯土用 → (白河)
 滝沢峠、沓掛峠、黒森峠、勢至堂峠と峠が多いため、宿駅間の距離は比較的短い。

 菜の花や街道行きて猪苗代湖

勢至堂はその面影が残っている。道幅が狭く両側に家があるが昔はみんな茅葺きの家だった。道が狭いということが昔の街道のままなのである。
勢至道から福良にでる。ここは町としては大きい、両側にやはり茅葺きの家が点在していた。今はもうない。街道の宿駅というとき大内宿のようにみんなってっていたのである。あそこの蔵の宿に泊まったのは奇しきことだった。



勢至道道幅狭く家並ぶ昔をしのぶ秋の夕ぐれ

磐梯山威を正しつつ湖(うみ)碧し松なおしく秋深むかも

猪苗代湖畔のあわれ虫の音のかすかにひびき稲の刈られぬ

街道の宿駅なれど忘れらる蔵の宿壁に菖蒲の映えて暮る

砂浜に波の静かに青松浜木菟(ズク)鳴く声や夏の夕暮

雨しとと田植えする人あわれかな昔の街道猪苗代湖畔

会津への道の遠しも行き暮れむ萱におおわる山間の道

街道に清水の湧きて野菊かな忘れられしや日も暮れむとす

東山へようやくいずる歴代の会津藩士の墓秋の日暮れぬ


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脇にそれた道が白河街道であり古屋敷とかの地名があるのもわかる

旧道は外からはわかりにくくなっている  


会津まで相当に遠かった。ここは春と秋にも行った。会津は別に電車でも行っている。
福島県を旅をするときたいがい今はこの道は通らない、鉄道の通る道で会津に入る、すると歴史が実感できない、棚倉の場合も今だと東北線とか新幹線からはずれているから何か本道からはずれたような忘れられた場所と錯覚する。水郡線はあまり乗らないけど一回乗ったけどこれは時間がかかる。水戸まではかなり遠さである。ここはあまりなじみがないのである。
白河の関だって白河から相当に離れた森を出た道なのである。
ただあの小暗い森をぬけた所に白河の関があり芭蕉の奥の細道を感じる場所である。
あとは奥の細道を感じる場所は福島県ではない、あまりにも繁華な通りとなってしまったからである。

草の花たどりてつきぬみちのくへ白河の関所の跡はここかな

とにかくどこをどう通ってきたのがふりかえると不思議である。
なぜ会津から棚倉に来ていたのか、その行程もわからなくなった。
その前には八溝山をぬけて福島県に出てきた。その行程がわからなくなった。
会津というときそこは一つの山国であり一つの世界観も形成される場でもあった。
そういう地理であり風土であり歴史的に厚みがある場所である。

会津嶺の 国をさ遠み 逢はなはば 偲ひにせもと 紐結ばさね

会津嶺のというときこの嶺は複数なのである、会津の特徴は山々が無数に重なっているのである。そして古代からそこは一つの大きな国として存在していたのである。
こうして古代から江戸時代の道をふりかえるとき確かに福島県はつながりがある地域だということはある。
福島県の特徴は古代の境界でありみちのくとして江戸時代までつづいていたのである。


この辺に松から磐梯山が見えた、舟津とか月形らしい

ここにも松が見えて磐梯山が見える
タグ:白河街道

2016年07月09日

原発事故で見直されたもの (万葉集の歌よりー純粋な水の貴重さ)


原発事故で見直されたもの


(万葉集の歌よりー純粋な水の貴重さ)



馬酔木あしびなす 栄えし君が 掘りし井の 石井の水は 飲めど飽かねかも

                      
咲き誇る馬酔木の花のように栄えたあのお方が掘られた井戸、その石で
組み上げた井戸の水は、いくら飲んでも飽きないことだ.

ある高貴な人にゆかりの井戸を誉め称えた歌.石を積んで頑丈に囲んだ
井戸は、その所有者の富裕と威勢を示したことでしょう



井戸をもっていることは自分の子供の頃でも水道もないから近くの井戸水をもらっていたのである。風呂に水を汲むときはバケツで自分も運んだからその苦労を知っている。
人間にとって水は一番大事である。
インド辺りは水を遠くから運ぶのが女性の仕事になっている。
石で囲まれた井戸となると当時では富裕な家だった。
農家ではたいがい井戸があり町内では井戸がない家があり水をもらうのに苦労していたのである。

現代では水の貴重さを感じない、水道の蛇口をひねれば水がでてくる。
ただその水は純粋な水ではない、当時の水は今の水とはまるで違ったものかもしれない

原発事故で感じたことは水もそうだが土でも森でも空気まで汚されたことである。
こうしたものは生物が生きるためのベースでありこれが汚染されたら生きていけないのである。
でも現代生活はそういうことを認識していなかった。そんなものに価値を置いていない。そういうものは意識しなくても当然あるものであり価値あるものではない
第一空気に価値があるなど感じないだろう。それは無料であるからだ。
しかしそうした人間生活のベースになるものが汚されたときどうなったのか?
人はその土地に住めなくなったのである。
この辺ではまだ山の方では井戸とか清水などをとりいれて暮らしていた家があった。
山からの清水をとりいれるのはまだ全国的にも山の方だとある。
なぜならそれだと水も無料になるからだ。水道のように金を払う必要がない、山村などでは現金収入が少ないのだからそういうことをしないと生活できないとういこともある。

原発事故ではいろいろ考えさせられた。でも以前として現代生活では電気なしではありえない。そうした自然のものより電気の方が大事になったのが現代である。
もう電気なしでも車なしでも生活できない、一時大熊の人がもう家族がバラバラになって暮らすより蝋燭で家族一緒に暮らした方がいいと言っていたがそれだけ原発事故の被害でそこまで極端化して考えるようになったのである。

現代は自然というより科学技術の方が人間の生活にとって大事になった時代である。
これまでは第一次産業に戦前でも80パーセントとか従事していたというとき農業は自然に密接にかかわるから自然のありがたさを肌で知っていた。
それが高度成長とかなり急速に失われたのである。
農業では生活できない、漁業では生活てきない、親は農業だけはやるなと子供に言ってその子供は原発で働くようになった。
そういう時代になったとき自分たちの生活を支えているベースとなるものをすでに価値を置かなかったのである。
その最も基本となる水についてもそうである。水に価値を置くことはない、ただ水でも水で有料になるから無駄使いはできないということはある。
でも昔の井戸水を飲むように水が貴重であり水なくしてはありえない生活というのは失われたのである。

最近どうも運動したとき様々なジュース類を飲む、そのジュースは甘い、相当に砂糖が入っている。その砂糖がかえって疲れさすのだとインターネットのサイトでで読んだ。
かえって水の方が体にいいという。何かジュースとか飲むと喉がかえって乾く
何かそれも良くない、お茶などは飲んだ後に喉は渇かない、だから今のジュース類にはいろいろな薬が入っていて良くないという。疲れをとろうとしてかえって疲れさすということもある。
栄養をとるというとき新鮮な生のままのものを野菜でも果物でもなんでもとればいいが今は何でも加工されることによって栄養が失われているのである。
また栄養をとりすぎて栄養過多にてり糖尿病とかになる人が増える
結局人間あきないのはそうした薬が入った砂糖で甘すぎるジュースなどではない、純粋な水が体にいいのである。
だからこそ・・・くめどあかぬかも・・・になっている

それは老子が2000年前に言ったように「無味を味わう」でありそれが純粋な水のことなのである。ともかくあまりにも加工ささたものが多すぎるのである。
文明とはそうして無駄なことに相当なエネルギーを費やされているのである。
だからこそ老子の思想が逆説的に現代への警告となっているのである。
そうして無駄なことにエネルギーが費やされることはそれだけ労働の量が増える
結果的に人間は文明化してもかえって労働の過剰に苦しんでいるのである。
働くといってもそれがすべて有効なもきとは言えない、膨大な無益な労働が文明から生まれている。

栄とは何か?

御民われ生ける験(しるし)あり天地の栄ゆる時に遭へらく思へば(万6-996)

天地と一体化して栄がある。今は文明という人工物と一体化して栄えるがある
極端化したのが原発が栄えだと双葉町では横断幕まであった。
そしてもうその故郷にも住めなくなった。栄どころではなくなったのである。
漁業者でも漁業権を東電に売り渡して栄があったが肝心の魚さえとることができなくなった。つまり第一次産業自体がこの辺でも全体の一割にもみたない生産になっていた。
原発と一体になり栄があるとなっていたのである。

それはここだけではない文明自体が自然と一体化して栄があるのではない、科学技術とか機械とか一体化して栄があるとなったのである。
そこでその生活のベースになる水とか土とか空気とか森林とかそうしたものの価値は認識されなかったのである。
万葉集時代となればそんな時代に何か豊さがあるのかとなる。
でもその時代にも万葉人は確かな豊かさを認識していたのである。
なぜなら今になると万葉集の歌のようなものが作れないことでもわかる。
その時代にしか作れないものがあるというときその時代の価値観がありそれが今とはかけ離れているからそうなる。
人間の生活の基本が何であるのかを原発事故は見直す結果とはなったのである。

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タグ:井戸
posted by 天華 at 08:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連