2016年06月30日

底辺層の不満は根強い (余裕がないと金持ちへの怒りにもなる)


底辺層の不満は根強い


(余裕がないと金持ちへの怒りにもなる)


富裕層は底辺層のことがわからない、交わらないからわからない。政治家でも実際に交わらないからわからない。
例えはなぜそんなに不満を言うのだろうと不思議に思うことがある。
自転車屋で障害者の息子がパンクを修理してもらったらチューブまで交換して金をとられたと不満を言う、それは自転車屋で良くあることだし自分は別に文句を言わない、たいした金ではないからである。
そのことを延々と言いその自転車屋の悪口までなりもう行かないとも言っている。
その自転車屋が病気らしいのだけどそれにも同情しないのである。
そんなことで恨みまでもつことがわからない、ただ底辺層になるとそんなことまで余裕がないからこだわっているということである。
むしろ自分は同情して金をとられてもいいなと思っている、それは余裕があるからだとなりそんなところに底辺層との差が生まれる

なぜチューブまで取りかえたんだ、金がないのに

それが怒りまでになっている、富裕層だったらそんなことこだわらないのである
でも現代の経済は非情である。この人が金持ちか貧乏かなど見ていないのである。
その金の分をどんな人でも要求するのである。
それが世界中でそうなっている、相手が貧乏だからといってその金の分しか払わない
もしそんなことしたら経済が成り立たなくなるだろう。
この人は貧乏だから医者が金を安くするとかならないだろう。そういう温情は情をかけるということは昔の方があっただろう。
でも現代は金が非常に支配する社会なのである。それが世界的になっているのがグローバル資本主義である。
ただ自分にしても一般的にもそういうことはありうる、自分は特にそうだったから理解できないことはない、
自分に自由になる金はやはり小使い数万とかの単位である。だから百万使うとなると怖いのである。
そしてやはり前だったらチューブに交換しなくてもいいと自分もなっていたから同じだったのである。
やはり人間は金があれば余裕が生まれる、これはどうにもならないのである。
今は清貧ということはありえない、最低でも金がかかるからである。
日本では福祉があり生活保護を受ければ医療費とか無料になるとかで後進国よりはいいとなる。つまり富裕層がいたときその税金を高くして貧乏人に回すことで平等を計っている

ただその人が食べるものを比較するとその人の方が贅沢しているのも現代的である。
自分が外食しているのは料理に時間がかかるからである。でも普通外食はぜいたくになるでもそこは700円くらいだから贅沢とは言えないのである。
この辺でもお前は贅沢だなとなる
ただテレビで見ていたらサラリーマンの小使いが減って昼食が500円くらいになったというのも日本も貧乏になったなと思う。
まず500円ではランチでも満足なものが食べられないと思う。せいぜい弁当しかなくなる
こういうことだとすると底辺層だけではない日本人全体の不満が大きくなっている
格差社会であり富裕層への不満か大きくなる。
そして高度成長期のように中間層がアメリカでも日本でも没落したことが大きいのである月給が増えないので家計がぎりぎりになっている
やはり人間は金銭的にも時間的にも余裕がないと心もすさんでくることは否めない
自分が苦しんでいるとききた人たちも余裕がないから助けようがないのである。
一人は事業に失敗して多額の借金があり一人は問題をかかえて貧乏であるとかそんな人がもう何もできない、相手が瀕死の状態でも何もできない、自分が苦しいから自分の苦しさをなんとかしてくれという人は人を助けることなどできないのである。

現代ではそうして貧困化すると余裕がない人があふれることになり犯罪も増えてくる
その恨みや不満の対象が金持ちに向かってくるから金持ちは危険なものになってくる
高度成長時代は最初は貧乏でもみんなれなりの豊かな生活を享受できるという将来があった。年々月給があがっていたからである。
事業をしても成功する人が多かった。今は何か事業を起こすにしてもすでにいろいろなものができあがっているから成功しにくい、なんでもすでにあるじゃないかとなる
これ以上なにか欲しい物があるのかという状態にもなっている
でも物があってもまた買えないという貧乏人が増えている、それは昔の貧乏人とは違うがやはり何かと不満をつのらせる人が増えてきたのである。
それは自己責任だともならない、そういう貧富の差も固定化しているからである。

要するに現代は物があふれて過剰であるというとき物を売るということに限界が生じている、だから何か閉塞した感じになる、国民総生産だってもう上がらない、ゼロサム社会である。
こういう社会は中世にもどるという人もいる。人間は物の世界から精神世界へ内面の世界へ向かってゆく、それは宗教的哲学的芸術的なものへと向かうともなる
ただカルト宗教が創価でもそうだが戦後の焼け野原から高度成長時代へと物質的豊かさを目指して会員も増えた、それもある程度達すると今度は精神的内面的なものに向かうのである。
ともかく今の政治的状態は何かそういう時代を反映している。
貧困層というが創価はそうだというときなぜ自民党と一緒になっているのか?
本当は底辺層は野党のはずなのである。自民と一緒になることは相当な矛盾である。
ただこの世の中は必ず矛盾なのである。
格差社会になると対立が激化して内戦状態になることさえありうる
犯罪も増えるし富裕層にとっても住みにくい社会になる。
全体の富を増やすということでは共産主義より資本主義の方が優れている
でも配分をうまくやらないと今のような極端な格差社会になると社会自体が治安が悪くなったり社会全体の和が保てなくなる
こういう時代の変わり目にはやはりそれにみあった政党が生まれればいいのだができないそこにも政治経済でも何か閉塞感を感じる時代なのである。
それは世界的にももう中国もだめだブラジルもだめだとか資本主義も限界にきている。
世界自体がどこの国もアメリカでも内向きになり閉塞感が強くなっているのである。

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posted by 老鶯 at 20:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題